下着ドロ
つい出来心で物干しの下着を盗んでしまった「俺」。真夏なのに全く違う視点で背筋が凍る、熱帯夜に読んで欲しいショート・ショートミステリー。
梅雨明けしたある夏の夜。熱帯夜だ。外では、エアコンの室外機が唸る。
しかし、それは俺の部屋以外の話だ。
悪夢だ。もどかしい。今日はひときわ、寝苦しい。
俺は、大家宅の物干しから、大学生の娘のものだろうと勘違いし、つい、出来心で下着を盗んでしまったのだ。
それは反省している。それが、大家のものだと判明したときの恥ずかしさといったら、言葉では言い表せない。ああ、考えただけでももどかしい。吐き気がする。
激怒した大家は、俺の部屋だけ電気を止める報復に出た。6部屋あるうちの俺のところだけ、冷蔵庫も、テレビも、電灯も使えやしない。
謝ろうと何度も大家の携帯に掛けるが、一向に出てくれない。
大家の娘は、ミスコン荒らしの異名を持つ、アイドル級の美人だ。いっぽう、大家は…、どうってことのない、普通のオバさんだ。10年ほど前に離婚し、再婚もせず、女手ひとつで娘を育てていると聞いている。
一日、経った。蒸し暑さのためか一睡もできていない。完全なる寝不足だ。ま、いくらなんでも、帰ったら通電してくれてるだろう。おっと、バスの時間が迫る。俺は、淡い夢を胸に、汗だくの体を拭く暇もなくスーツに着替えた。
クタクタになって帰宅。電灯のスイッチを付けてみる。
アチャー。まだ電気、止まってら…。
「おお!お疲れ。ビールでも飲んでく?」
隣室の田中さんが、声を掛けてくれた。地味だが人は良い彼は、お中元で貰ったという缶ビールを片手に、ドアのところに立っている。当然ながら、エアコンの効いたキンキンの冷気が俺を彼の部屋へと誘っている。
俺は、それらの誘惑に負け、彼の部屋で今後の相談をしてみようと思った。
「まあ、土下座でもして、謝るしかないんじゃない?7月に電気止めるなんざぁ、相当、怒ってるんだろう。会えば挨拶もしてくれるし、普段はとても良い人なのにな…。アンタのしたことはまあ、置いといて…。とにかく、菓子折かなんか持って、一日も早く謝りに行ったら?」
とりあえず、コンビニでお中元用のビールセットを購入し、アパート裏の大家宅に謝りに行こうと決意した。梅雨明けし、熱帯夜が続くためにエアコンがないと、たまったもんじゃない。
「ねえ、こんなもんはどうでもいいの。アンタの、人としての行動に、私は怒ってるの」
アラフィフの大家は、しかし好物のビールを見たからか、そこまで怒っている様子ではなさそうだ。
「反省していますっ!この度は、本当に申し訳ございませんでしたぁっ!」
俺は、絨毯が擦り切れんばかりの勢いで、床に頭を擦りつけた。娘は、バイトでいないようだ。
これまたエアコンの効いているこの部屋は、大家と、俺の二人っきりだ。
「ねえ。私の娘、アンタ狙ってるでしょ」
突然、話の内容が変わった。
「え?ま、まぁ…、その…。とても可愛らしい娘さんだな、とは思ってまして」
こうなりゃ、開き直るしかない。幸いにも、下着ドロの件は通報されていないし、今のところ、田中さん以外の第三者には知られていない。
「あのー、僕ももう30だし、いま、ひとつ夢を言え、と申されますならば、娘さんのような、超美人の女の子と結婚できたら…なんて」
大家はおもむろに煙草に火を点け、ベテランホステスよろしくプハーッと、一服した。煙草の大嫌いな俺は、ただでさえ暑いのに頭がクラクラする。
「そりゃ、私の大事な一人娘だもの。超美人なのは、百も承知よ」
「ただ…、私も店子の一人です。大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同様、っていうじゃありませんか。梅雨明けもしたし、毎日暑いし。流石にもう、エアコンがないと、眠れないっスよ…」
「でもさぁ、エアコンなんか無くたって、団扇とか、あるじゃない」
「ええ、まあ…。ただ、冷蔵庫とか、あるじゃないですか。中のものも腐っちゃうし、百歩譲ってエアコンは我慢できますけど、それ以外の電化製品が使えるようにしてはいただけないでしょうかねぇ…」
大家は、二本目の煙草に火を点けた。
「アンタさあ、私の娘、狙ってんのよね?パンツ盗っちゃうくらいだし」
まずい。違う方向に話が進んでやがる…。
「ねえ。パンツ盗って、なにしようとしてたのよ」
男にとって、答えにくい質問をぶつけてきやがった。
「え?いや、その…」
「それが娘のじゃなく私のだ、ってわかったとき、恥ずかしかった?」
「え?ま、まあ。ただ、あれは間違いなく若い…、いや、娘さんのかなあ、と思っちゃって」
俺は、とっさに大家を褒めちぎる作戦に切り替えた。
「か、仮にですよ。僕なら、たとえあのパンツを大家さんが履いてた、としても、別にそれは良い、と言うか、似合うっちゃあ似合う、っちゅうか」
やばい。大家は、苦虫を噛み潰したような形相に変わってしまった。
「話は変わるけど、私の夢、聞いてくれる?せっかくだから、いい機会だからさ」
勘弁してくれよ…。俺はただ、部屋の通電をして欲しいだけなのに。
「私、アンタみたいな年下の男、嫌いじゃないのよ」
へっ?
「ねえ?私の娘をさあ、嫁として、じゃなくって、娘、として見れない?」
はぁ?なに言ってんだこのババア。
「私、アンタが入居してから、ちょっと気になってたのよ。よく見ると男前だし、スタイルも悪くないし…」
煙草のけむりも相まって、俺は、なにがなんだかわからなくなっていた。
「そうねぇ…、私の旦那になってくれるんだったら、いますぐ通電してやってもいいわ」
とんでもない方向から特大バズーカ砲ぶっぱなしてきやがったぞ、コイツは!
なんと言い返して良いかわからず、マゴマゴしている俺に、大家は更に畳みかけた。
「私と一緒になるのが嫌なら、下着ドロの件、今すぐ通報するわよ。通電も、してあげない。さあ、どうするの!」
「俺」は、どんな選択をしたのだろう?一寸の虫にも五分の魂。この大家、犯人が店子とわかって、内々で済ませてやろうと通報しなかった優しさに、「俺」は感謝すべきだろう。下着盗っちゃったことは、男として情けないけど。




