第7話 サンドイッチ・チェイサー
第7話 サンドイッチ・チェイサー
目を覚ますと、目覚まし時計は午前7時を指していた。仕事のない日も早起きである。
カーテンを開け窓を開けると、暖かい日差しと春の花の香り、そして、巨大猿が部屋に入ってきた。ああ、今日も伊吹原の1日が始まった。
俺はゴリラなみの巨大猿に、ボロボロのバッグを投げ渡した。フリーマーケットで大量に購入した代物だ。巨大猿は満足そうに部屋から出て、電線を伝って朝の霞の中へと消えた。これが、最近の俺の朝の日課だ。
部屋の中に突然巨大猿が入ってくる日常なんて、この世には存在しない!そう思う人がほとんどだと思う。実際俺も、そうだと思っていた。
しかし、これが伊吹原の日常なんだ。巨大猿が部屋に侵入してきてバッグを盗んでいったり、顔がそっくりな男たちがヒーローごっこをしていたり、願いを叶える天使が家に住み着いたりする。こんなことが伊吹原では日常茶飯事なんだ。
お面男を倒してから一週間が経ち、俺の周りには一時の平和が訪れた。
お面男ことユウノスケは、お面ライダーイブの相棒ことお面ライダーユーノを名乗り、動画投稿を始めたらしい。その身体能力の高さと伊吹原への想いの強さが話題となり、伊吹原ではちょっとした有名人だ。ミカは、「この人、見覚えがあるんですよねぇ…」と言っている。付けるお面が変わっても、彼の追い続ける夢は変わらないのだ。
それ以外にも、この一週間の間に様々なことが起きた。まずは、謎の巨大猿の出現である。
アイチ曰く、伊吹原のマスコットキャラクターらしい。彼はじぃらと呼んで可愛がっていた。その後調べてみると、新宿にも同じような生物が目撃されていて、UMAだとも言われているらしい。そんなのが一般的にマスコットキャラクターとして認識されているなんて、やっぱりここはおかしい。
自称じぃらを愛する会のアイチがじぃらはバッグを渡すと喜ぶと言うので、フリマで格安のボロバッグをまとめ買いし、鳩に餌をやる感覚でバッグをあげている。今更だが、俺の適応力も大したものだと思う。
二つ目は、愛塚家のことである。お面男ユウノスケを倒した次の日、ボロボロの体を引きずりながら白界寺に改めて取材に行った時のことである。
***
本当に願いを叶える天使はいたのだが、俺はミカのことには一切触れずに、代わりにハルさんから教えてもらった『他の天使』について取材した。
ハルさんは、ミカのように何かの事故で体に変化が起きてしまった人の事を調べており、結果、ミカのように願いを叶える能力を手にした幼女、少女が以外にも全国にいたことが分かった。
原理は不明だが、心に大きなショックを受けた幼女、少女の背中に天使の羽のような痣ができ、ミカと同じような能力を発現するらしい。そしてハルさんは、恐ろしい事実を知ってしまったのだ。
「願いを叶えた天使は、全員行方不明になっているのよ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋がゾクリとした。ミカはそのことをまだ知らないだろう。もしあの時、願いを叶えられていたらと思うと恐ろしい。
そしてこれからも、願いを叶えさせる訳にはいかない。そう心に固く誓った。
取材の後、ハルさんは言った。
「私はこれから、愛夏と協力して天使についてもっと詳しく調べるつもりよ。だから、白界寺はしばらく留守にするわ。あ、マナツは私の双子の兄よ」
「…ミカとアイチはどうするんですか?」
アイチは高校を卒業したばかりだというが、見た感じ生活感ゼロである。そんな彼が、触ると吹き飛ばされてしまう厄介者と一緒にろくな生活が送れるだろうか。そう思い、訊いてみた。
「どうするって、トワちゃんのアパートに直行に決まってるじゃない。だって、そうするしかないじゃないの」
訊かなきゃよかったと、その時心底思った。
***
つまり今日、問題児二人が俺のアパートに来ることになった。ただでさえ取材で大変なのに、これ以上負担を抱えたくない。だが、これから賑やかになるであろう生活が、楽しみでもあった。
8時頃、七号室のドアを何者かが叩いた。のぞき穴から正体を探ると、それがミカとアイチだということが分かった。
安心して、ドアを開けた。その瞬間、ミカが部屋の中に駆け込む。
「うわぁ、トワの匂いがします〜」
そう言って跳ね回るミカとは真反対の、憂鬱な表情をしたアイチが俺を恨めしそうに睨む。
「なんか、ごめん」
「謝るな…。俺がさらに惨めな顔になるだけだ…」
そう言いながら、アイチは大きな荷物を持って部屋に上がっていった。
俺の部屋はあまり広くはないものの、三人が川の字になって寝れるほどのスペースはあった。これからどれくらいこの状態が続くのかは不明だが、俺が白界寺に行った方がよかった気がする。お金に困らないし。
まあ、今頃悔やんでも仕方ない。俺は、布団で跳ね回るミカとそれを見て鬱になっているアイチを残し、次の取材に取り掛かった。
俺が白界寺の取材を終え、編集者にFAXを送った時。すぐさま編集者から電話がかかってきた。
「まさか二日で本当にあの仕事をこなすとは。やはりあなたに頼んで正解でした。」
編集者は俺をベタ褒めした後、次の取材について説明した。
「次の取材の報告は二週間後でいいです。内容は、『人工知能』についてのことです」
どうやら、この伊吹原のどこかに人間のような意思を持った人工知能が潜伏しているらしい。噂によると、超極秘機関の超極秘ファイルを開くための超極秘パスワードを持たせているらしい。その人工知能の正体を明かすのが今回の俺の仕事だ。私生活が超極秘と言われた俺にぴったりの仕事だ。
まあ、学生時代いろいろあって不登校だったからだが。
レポート提出期限まであと九日、間に合うだろうか。
***
三人で適当に過ごしていると、もう正午になっていた。
俺がコンビニで昼食を買ってこようとしたら、アイチが腕を伸ばし俺を制止した。
「昼食なら持ってきた。コンビニ弁当なんか危なくてミカには食べさせられない」
溺愛しすぎだろ…しかし、アイチがバッグから取り出したのがサンドイッチだったので、少しじんわりした。
「覚えててくれたんだな…俺のサンドイッチ」
「お前の分は無い。とっとと買ってこい」
よし、追い出そう。そう思いアイチに掴みかかった時だった。
袋入りのサンドイッチが半分はみ出たバッグが、いつの間にか消えている。目を離したのは数秒だったのに…唖然としていると、ミカが「じ、じ、じぃ…!」とアブラゼミの真似をしているのに気づき、声をかけた。
「アブラゼミとは、季節外れだな」
ミカは、頬を膨らませ答えた。
「違いますよぉ!お猿さんが、あの窓からバッグを取って行ったんです!」
お猿さん…?まさかと思い、急いでアイチとともに窓から首を出し外を見回すと、電線を伝って去っていくじぃらの姿が目に入る。ちくしょう、やられた。
その時、すぐ近くから忌々しいオーラが立ち昇ってきた。
隣でアイチが殺意に満ちた目を光らせる。自称じぃらを愛する会の面影は見当たらなかった。
「じぃら…お前には、ロリコンの胃袋に入ってそのままタンパク質になってもらおう」
俺のためにじぃらをハントして生肉を提供してくれるのだろうか。未確認生物の肉なんか食いたくないが、サンドイッチだけは取り返さなければ。俺とアイチは、ミカを残してじぃらを追って外に飛び出した。
「あ、サンドイッチ落ちてました。良かった〜…あれ?みんなは?」
***
「じぃぃらぁぁあ!待ちやがれぇ!」
いつものクールなアイチはもうどこにもいない。彼はもう、天使のために猿を狩るモンキィ・ハンターと化したのだ。俺は、命令に忠実なオトモモンキィとして、全速力のアイチを追うことしかできなかった。
それにしても、じぃらは速い。全速力で走り、家の屋根の上を駆けまわるアイチから、その巨体で軽々と逃げてまわる。
「こんの、クソ猿がぁ!」
アイチはその強靭な脚で屋根を蹴り、じぃらに飛びかかる。しかし、じぃらはそれを紙一重で避けてしまう。勢いのままアイチは一つ先の家の屋根に激突した。家主よ、申し訳ない。
その時だった。急に、じぃらの動きが鈍くなったのだ。瓦の破片の中から顔を出したアイチがニヤリと笑う。流石モンキィハンター、何か仕掛けたようだ。
目を凝らすと、じぃらの体に釣り糸が絡まっている。そのせいで、うまく四肢が動かせないようだ。可哀想だが、許してほしい。俺はじぃらに向かって密かに謝罪する。
そんなことはきっと微塵も思っていないであろうアイチは、まさに悪魔のような表情でじぃらに近づいていく。じぃら愛好会ってなんだっけ。
「ミンチにしてやろうか、丸焼きにしてやろうか…フフフ」
まずい、このままだとかなりグロいことになる。サンドイッチとともに無惨な姿となったじぃらを持ち帰ったら、きっとミカの心に多大なショックを与えるだろう。それだけは駄目だ。じぃら、逃げてぇぇぇ!
だが、願い虚しく、アイチがじぃらのもとに辿り着いてしまった。俺はアイチを止めるべく声をかけたが、アイチの耳には入っていかないようだ。そしてとうとう、アイチがじぃらのうなじを掴み、生肉を剥ぎ取ろうとする。
その時、アイチが急に「んん〜!?」と唸った。いったい何があったのかと尋ねると、まさかの返事が返ってきた。
「こいつ、サンドイッチ持ってねぇ」
急に大人しくなったじぃらを下に降ろし、絡まった釣り糸をほどいてやると、確かに食べた痕跡もないことがわかる。どういうことだと考えていると、思い出したようにアイチが言った。
「あ、そういや、じぃらは空のバッグしか持ってかない習性だった。悪い」
俺たちの三十分ほどの追跡はなんだったんだ。すっかり力の抜けた俺は、帰宅しようと後ろを振り返った。しかし、アイチは何か心残りがあるようにその場に立ち尽くしていた。
心配に思い、話しかけた。
「どうした、何か気になることでも?」
アイチは右手を見つめながら言った。
「さっきじぃらのうなじを掴んだ時、違和感が…」
そう言って、アイチはじぃらのうなじを調べ始めた。そして、「何だこれ…」と声を小さくして呟いた。俺もその場に行くと、じぃらのうなじには以外な物がくっついていた。
それは、小さい機械だった。割れてしまっているが、「ピ、ピ、」と規則正しく音を発している。それをじぃらの首から取り外すと、じぃらは瞬く間に元気になり、電線を伝ってどこかへと消えた。
それが何か気になるので、アパートに持ち帰って調べてみることにしよう。俺はすっかり冷めたアイチとともに、お腹の空かせた天使の待っているであろうアパートへと向かった。
***
「え?サンドイッチならさっき食べちゃいましたよ?」
「えええ!?」とアイチが驚きの声を発する。時計は午後一時を指し、規則正しく時を刻む。
結局、アイチも俺と一緒にコンビニで弁当を買った。あれだけコンビニの食を馬鹿にしていたアイチだったが、弁当とともに買ったパフェに心を鷲掴みにされ、「これからは毎日コンビニだ!」と宣言していた。
昼食後、俺は二人に将棋でもやってて静かにしていろと命ずると、早速じぃらのうなじに付いていた小型機の解析を始めた。
しかし、二人ともきっと将棋未体験なのだろう、わいわい叫びながら、将棋とは似ても似つかぬゲームをしている。
「わたし、歩が二つです!」
「残念だが、俺は歩が四つだ。今回は俺の勝ちだな」
「もう一回!もう一回やりましょう!」
今すぐ本当の将棋のルールを教えてやりたかったが、ぐっと堪えて小型機の解析を進める。そして十分後、まさかの出来事が起こった。
専用の機器で小型機とパソコンをつないでデータを読み取ろうとしたら、突然、パソコンの画面に少女の顔がアップで映し出されたのだ。思わず、「のわぁぁ!」と叫び後ろに引き下がった。将棋もどきをしていた二人がこちらを凝視する。音を消していたはずのパソコンから、少女らしい笑い声が響く。
「ちょ、驚き過ぎ!まあ、目の前に突然理想の美少女が現れたら、そんなリアクションになるかなぁ」
アイチとミカが駆け寄る。
「トワ、お前とうとう二次元の女に手を出したのか…」
「え?もしかして、トワの彼女さんですか?可愛いですぅ!」
必死で全否定する。
「違う違う違う!こんな娘知らない見たことない!」
その時、電脳少女は恐ろしい言葉を口にした。
「仲睦まじいとこ悪いけど、天使ちゃんは僕が手に入れるから〜。そこんとこ、よろしくぅ!」
場の空気が一瞬凍りつき、皆がポカンと口を開けている。
パソコンの奥には、無垢な瞳の少女がニヤニヤと笑顔を浮かべていた。
謎の巨大猿…じぃら
能力:謎
年齢:謎
鳴き声:謎
好きな物:空のバッグ