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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第一章 神官グレイスの章
7/71

7.月下の盗賊<3/4>

 たどり着いてみたら、そこにあるはずの宿屋がなかった。



 地図上では、低い山あいの中で三叉路になっている場所だ。グレイスとランシィが向かうのは北へまっすぐ伸びる道だが、ここを東に折れた先に、もうひとつ村があるらしい。地図の記述ではこの分岐に、旅人相手の小さな宿屋があるはずだった。

 ツハトの村からなら、大人の足で急げば半日でたどりつけそうな距離だ。グレイス一人であれば、夜までに次の村に行こうと、ここは素通りしていたろう。旅慣れないランシィに最初からあまり無理をさせたくはなかったから、ここに夕刻までにたどり着くつもりで余裕を持って歩いてきたのだ。確かに計画通り、まだ日があるうちにたどり着けたのだが。

 かつて宿屋だったらしい建物は、今は窓にも扉にも板が打ち付けてあった。周りの草木が繁る様子からして、もう何年も使われていないようだ。

 戦争が終わった早い段階で、この道を通る人の数も減っていただろう。この分岐で宿を営むよりは、もっと北か東の村で店を構えた方がよいと、持ち主は判断したのかも知れない。

 幸い、山に入る者がたまに利用するのか、建物のわきにある物置のような小屋だけは出入りができるようになっていた。

 扉を開けると小屋の手前半分は地面がむき出しになった土間で、奥は一段高い板の間になっている。宿を当てにしてきた者が困らないようにか、粗末だが毛布も何枚か畳んで置かれていた。

 板の間には囲炉裏もあるし、土間には石で組んだ簡単な炊事場もある。枯れ木を集めて火を起こせば、湯を沸かして暖をとるくらいのことはできそうだ。

 今からここを出たら、次の村にたどり着くのは深夜になるだろう。晴れてこそいるものの、日が傾くと共に寒さが増してきている。今日はここに落ち着いたほうがよさそうだ。

 建物の近くに小川が流れていて、水も不自由しない。食料も、携帯できるものを何日分か持ちだしてあった。

 グレイスとランシィは、日のあるうちに周りの林から枯れ枝を集め、土間にあった桶に水を汲んできた。板の間を簡単に掃除して、毛布の埃を払い、囲炉裏に火を起こす頃には、日が沈みかけて西の空も赤く染まっていた。寄せ集めの枯れ枝なので、部屋全体を快適に温めるまでにはいかないが、毛布にくるまって身を寄せ合っていれば十分に夜の寒さはしのげそうだ。

 することはたくさんあったほうが、逆に気が紛れてよいのかも知れない。

 昼の疲れもあって、ランシィはそれほど遅くならないうちに寝付いてしまった。先のことをあれこれ心配するのは、人のいる場所に出て国内の状況がはっきり判ってきてからでもよさそうだった。



 寝入っているうちに、燃えるものがあらかた尽きてしまったのだろう。囲炉裏の火はだいぶ弱まっていた。グレイスを起こしたのは、壁や窓の僅かな隙間から忍び込む夜の冷気ではなく、自分の肩を揺り動かすランシィの小さな手だった。

 用でも足したいのかなと、グレイスは呑気に目を開けた。ランシィはグレイスが起きたのを確認すると、小屋の扉に向けて指を差した。

「道から誰か来るよ」

 グレイスの耳には、人の足音や話し声は別に聞こえない。ランシィは夢でも見て目が覚めたのだろうか。

 しかし笑って聞き流す気にもなれず、グレイスは起き上がり、弱い囲炉裏の炎を頼りにそろそろと扉に近づいた。扉に作られた小窓の板を少しずらし、外の様子を伺う。

 元宿屋の敷地内にあるこの小屋は、道からはけっこう離れている。月明かりに照らされる中、足音を殺し木立に身を隠すようにしてこちらに近づいてくる人影があった。目に見えるだけで三人。

 目的地にたどり着く前に夜になってしまった旅人が、休息できる場所を探している……ようには見えなかった。それなら、もっと堂々と近づいてくるはずだ。雪も降るようなこんな時期に、先客が小屋を使っているかも知れないなどと、普通は考えないだろう。

「『夕方に大人と子供が小屋に入るのを見た』って言ってたよ。『この時期に町に行くなら路銀も持っているだろう』って」

 いつの間にかグレイスの横まで来て、ランシィは小声で付け足した。

 グレイスが気づかなかった彼らの会話まで、ランシィには聞き取れていたのだ。

 ランシィの背丈ではもちろん小窓は覗けないが、その先に人がいるのは判っているらしい。ランシィの右目はまるで、扉をすかして人影が見えているかのようだった。

「そうか……、君は耳がとってもいいんだね」

 早い段階で視力を失ったものは、それを補うために別の部分の感覚が鋭くなるという。ランシィの見えない左目を補うために、聴覚が人よりも鍛えられていたとしても、おかしくはなかった。

 その間にも、人影たちは辺りを伺いながら、少しづつ近づいてきていた。手には棒のようなものをそれぞれ持っている。ここに宿をあてにして来た旅人を狙って盗賊まがいのことをする者が、近くに住んでいるのだろう。残念だがどこにでもそういう者はいる。

 さてどうするか。グレイスは人影を伺いながら息をついた。

 自分一人ならなんてことはないが、今はランシィもいる。相手はこちらが子供連れなのを知っているから、不利になればランシィを盾にしようとするだろう。連中が建物に近づいてくる前に自分だけ外に出て、さっさと片付けてしまうか……

 考えながらふと見れば、ランシィは今度は、土間の隅に落ちている大きめの小石や木片を黙ってかき集めていた。

 怯えて混乱するでもないし、グレイスに頼り切るでもない。危険に立ち向かうためにできることはないか、自分なりに考えているのだ。

 勇敢な子だ。グレイスは微笑んだ。微笑んだら気分にも余裕ができたのか、ひとつ案が浮かんで、グレイスはランシィのそばに屈み込んで耳元に口を寄せた。寄せなくても聞こえるのかも知れないが、そのあたりは気分の問題だ。

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