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 神の慈しみを ―雪降る宿のちいさなお話― <前>

 風邪をひいてしまった。


 風に雪が混じって、砂が窓を叩くようなさらさらとした音が、浅い眠りの中からグレイスを幾度も引き戻す。暖炉が焚かれた部屋の中は温かいが、窓の隙間から入り込む風がカーテンを動かし、何者かの息のように時折ひやりとグレイスの前髪を撫でた。熱から来る悪寒で体は寒いが、熱くなった顔には心地よい。

 パルディナに不調を見抜かれたのは、次の大きな町への道半ばでのことだった。

 実を言うと、出立した頃から調子はあまりよくなかったのだが、吹雪続きだった後の晴天で、せっかくの移動の好機を潰すわけにはいかないと思ったのだ。

 大丈夫だと言うグレイスの言葉を、聡明な歌姫は全く信じなかった。午後半ばの鐘が鳴るか鳴らないかの頃合いに、予定よりもひとつ手前の町で宿を取っていたのだ。その頃にはもう、額で湯が沸かせそうなほどグレイスの熱が上がっていた。

 こうした風邪は、長く一緒にいると伝染るというのが一般的だ。宿に着くと、歌姫達が泊まるのとは別に、狭いが暖炉も窓もある一人部屋をあてがわれた。

 遠慮するグレイスの声など誰も聞かない。あれよあれよというまに夜着に着替えさせられ、寝台にくくりつけられる勢いで休ませられた。そのあとは、夜の公演の手配に取りかかったためか、部屋にはしばらく誰も来なかった。

 寝台横に置かれたテーブルの、手の届く場所に、水差しと干した果物を盛った小皿が置かれている。食堂が近いのか、廊下を行き来する人の気配と喧噪が時折耳に入るが、熱で朦朧としているでせいでうるさくは感じられなかった。むしろ、人の気配が感じられることに、安心してすらいた。

 喉は渇くが、熱のせいで水を飲むために動くのすら面倒だ。うつらうつらしては目を覚ます、を繰り返しているうちに、雪雲のせいで薄暗かった外が更に暗さを増してきている。

 部屋が暗くなると、暖炉の炎がなんだか心強く感じられた。炎の中に、生命力に似た力を感じるからだろうか。まぶたの裏に揺らぐ炎の気配を心地よく感じていたら、ふと扉が開いて、外気のものとは違う少し冷たい風が吹き込んできた。

「無理して動かなくていいわよ、ちゃんとお水は飲んでるの?」

 片手に燭台を、もう片手に椀を乗せた盆を持ったパルディナだった。両手がふさがっているのにどうやって扉をあけたのかと思ったら、その横では水を入れた木桶を抱えたランシィが顔をのぞかせていた。

「今夜はここの食堂を借りて、歌うことになったの。ランシィはあたし達が見てるから、あなたは安心して寝てるといいわ」

「どうもすみません……」

 彼らに同行するのは、自分が用心棒として役に立つから、という話でもあったのだ。移動の初日から自分が真っ先に倒れているなど情けない。

 かすれた声のグレイスに肩をすくめてみせると、パルディナは枕元のテーブルに盆を置き、持ってきたランプの火を、部屋に作り付けの燭台に移した。

 暖炉の炎が陰影を作っていた薄暗い室内に、柔らかな光が広がる。側に立つランシィの目が、不安そうに揺れているのがはっきり見えるようになった。

 ランシィは身を起こしかけたグレイスの動きを遮るように、彼の額に手をあてた。いつもは自分より温かいランシィの手が、今は少し冷たく感じるくらいだ。

 ランシィは、グレイスの顔を見下ろすと、微かに首を傾げた。

「グレイス、死ぬの?」

 いきなり何を言い出すのか。グレイスは思わず苦笑いを浮かべそうになった。

 だが、自分を見下ろすランシィの表情は、淡々としているようでやはり不安そうだ。

「雪が降り始める少し前くらいに、ノムスが同じように熱を出したよ。何日か動けなくなって、熱が引いたら、一人で歩くのも大変になった。ねぇ、グレイスも、死ぬの?」

 朦朧とした頭で、グレイスはランシィの短い言葉の中から情報を拾い上げた。

 たぶん今年の秋口、少なくとも最後の家族が村を出て行った頃までは、老人の動きはしっかりしていたのだろう。冬の頭に風邪をひき、回復はしたものの、すっかり体力を奪われて歩くことすらおぼつかなくなってしまったのだと推測できる。

 レマイナ教会の啓蒙のおかげで、有効な対処法が知られるようになり、風邪――いわゆる『感冒』も、昔ほどの致死率ではなくなった。それでも、診療所の恩恵にあずかれることが少ない田舎や貧しい層にはまだまだ、たかが風邪、などと言っていられない。

「大丈夫だよ、みんなが一緒だしね。温かくして、一日休めば大丈夫」

「本当?」

 グレイスは軽く微笑んで頷いた。それでも、グレイスの肩に手を添えるランシィは、表情が硬いままだ。

 幼い子供にとって、ほかに助ける者のない状態で、日に日に弱っていく祖父を見るのは、大人が想像する以上に不安なものだったろう。

 老人も、自分に何かあればたったひとりランシィが残されてしまうから、せめて冬を超すまではと必死で気力を保っていたのだ。

 自分が現れたことで、その気力の糸が切れてしまったのかと思うと、やはり複雑な心境だ。

 なんにしろ、ランシィに心配させるような無理をするべきではなかったと、グレイスは改めて反省した。

「大丈夫、体力があれば、簡単に死んだりするような病気じゃないわよ」

 盆から椀を取り上げて、パルディナがランシィの横に立った。なんだかいたずらっぽい笑顔なのは、ランシィを安心させるためなのか、別の意図があるのか。

「お薬もあるし。はい、あーん」

 言いながら背中をかがめ、薬を乗せた匙をグレイスの口元に寄せる仕草をして見せた。間近で顔をのぞき込まれると、こんな状況でも動揺してしまう自分が情けない。

 それに、ランシィの目の前で、そこまで世話をしてもらうのも気恥ずかしい。だが、グレイスを見るランシィはの目は不安そうなままだ。

 グレイスは少し首を起こし、歌姫が伸べた匙の先を口に含んだ。薬はざらついて辛みと苦みがあり、当然美味しくはない。でも、初めて口にするはずなのに、なんだか懐かしいような不思議な味だった。

「前に立ち寄った村で、レマイナ教会の司祭様が調合法を教えてくださったの。材料自体はどこでも安く手にはいるから、旅の先々で、調合法を広めてくださいって言われたわ。体が温まって、鼻の通りも良くなるから、眠り易くなるんですって」

「はぁ……」

「子供に飲ませるときは、糖蜜を混ぜなさいって言われたけど、大人だからいいわよね」

 微妙な顔をしたグレイスをおかしそうに眺め、パルディナは更に匙で薬をすくい、グレイスの口元に運ぶ。ランシィが真面目な顔で見ているので、遠慮するわけにもいかないし、もちろん味に文句を言うことも出来ない。

 あらかた空になった椀に、パルディナは白湯を少し入れ、今度はそれをグレイスの口に含ませた。白湯と一緒に、飲み込んだ薬が胃に落ち着くと、確かに体の芯から優しい温かさを感じるようになった。

「あとは、時々また水を飲んで、一晩寝てれば、だいぶ楽になるはずよ。汗もちゃんとかいてるみたいだし」

 言いながら、今度は木桶の中の水で布を絞り、それをグレイスの額に乗せる。ランシィが不思議そうに、

「温かくした方がいいのに、頭は冷やすの?」

「その方が気持ちいいでしょう? 病気の時は、安心して気持ちよく休むのが一番なのよ」

 パルディナはそう言うと、ふと思い出したように窓に視線を向けた。外は雪空だから、夕暮れ時が近くなっても夕焼けの色にはならない。少しずつ、暗さが増していくだけだ。

 パルディナはなにを思いついたのか、窓に近づいて半分ほど開けはなった。雪の混じった風が嬉しそうに部屋に入り込み、開いたままの扉から廊下へと通り抜ける。

 冷えた外気は、顔全体が熱くなった自分には気持ちがいいくらいだが、ランシィが寒そうだ。

「体調を崩してるからってただ閉じこもってると、部屋に悪い気が溜まるから、時々窓を開けて風を通すといいそうよ。悪い気が増えると、ほかの人にも伝染りやすくなるんですって」

 その言葉が、熱で上手く働かない頭の片隅で、遠い遠い記憶に触れたのをグレイスは感じた。だがそれが言葉にまとまる前に、パルディナはまた静かに窓を閉じ、厚めのカーテンを引いた。室内の灯りが暖炉と燭台だけになり、ここだけが一気に夜のような雰囲気になった。

「舞台が終わるまで来られないから、宿の人に、たまに様子を見てくれるようにお願いしたわ。枕元に呼び鈴の紐があるから、今よりも気分が悪くなったら人を呼ぶのよ」

「はい、あの……」

「助け合うために、一緒に来ることにしたんでしょ。こういうときは変に気を遣わないで、ちゃんと休みなさい」

 謝ろうとするグレイスの言葉を先回りして封じると、パルディナは心配そうに立ったままのランシィの肩をぎゅっと抱き寄せた。

「この宿は家族連れが多いから、今夜は楽しい歌をたくさん歌うわよ。ランシィもお手伝いしてね」

「お手伝い?」

「そうよ、ランシィが一緒に歌ってくれれば、ほかの子供達も歌いやすくなるでしょ」

 パルディナの笑顔は、些細な不安など吹き飛ばしてしまうほど生命力に溢れている。微笑んだランシィを見て、グレイスも思わず表情をゆるめた。



 浅い眠りで見る夢の合間に、遠くから歌声が聞こえてきた。懐かしいような、初めて聞くような。昔どこかで聞いたなじみ深いような、天上からの歌声のような、どちらにしろそれは夢と現実を行き来するグレイスの耳を心地よくさせてくれるものだった。

 宿の者が何度か、薪の様子を見にやってきた気がする。きっとその時に、食堂の賑やかさが廊下を伝って聞こえてきたのだろう。拍子テンポのよいリュートに合わせ、幼い子供達の声も聞こえた気がする。それもすぐに、夢の合間の闇に溶けてしまったけれど。

 薪がはじけ崩れる音でグレイスは目を開けた。部屋はランシィとパルディナが来た時よりもだいぶ暗くなっている。どうやら燭台の蝋が燃え尽きたらしい。部屋を照らすのは、暖炉の炎だけになっていた。

 カーテンが引かれているから時間はよく判らないが、もう多くの者が寝静まるような時刻なのだろう。食堂から届いていた喧騒も今は聞こえず、時折さらさらと窓を叩く雪の音が、微かに聞こえてくるくらいだ。

 よく眠れたおかげか、体はだるいものの頭はすっきりしていた。熱からくる悪寒もだいぶ収まっている。グレイスは水差しの水を飲もうと、ゆっくり体を起こした。

 それにあわせるように、かたりと音がして、開かれた扉からランプの灯りが差し込んできた。金色の髪の美しい歌姫が、静かに顔をのぞかせる。

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