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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第三章 風来人アルジェスの章
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第八話 過去からの道の先に <前>

 アルジェスがランシィに買ってくれた服は、むしろオルフェシアのために用意されたもののようにぴったりだった。普段の習慣の違いもあるのかも知れない。靴も、靴下と履けば問題はないようだ。

 着替え終わった姿を改めて眺め、ランシィはオルフェシアの銀の髪が夜目にもひどく見だつのに気付いた。なにか隠せるものはないか。少し考え、今の自分の数少ない持ち物の中に、パルディナが宿の部屋に入る時に貸してくれたスカーフがあるのを思い出した。

 全て隠すために結い上げている暇はない。後ろでまとめ、その上からスカーフをかぶると、なんとか「ちょっといいところのお嬢さん」風に落ち着いた。

 オルフェシアを先導し、足音を殺してランシィは階段を下りた。ユーゴとモイセは、さっきとまったく同じ姿勢で眠り続けている。ランシィは少しだけ立ち止まり、二人の姿を眺めて、鍵束をカウンターの目につく場所にそっと置いた。タリニオール達が踏み込んできたとき、鍵のありかを探るために二人を押さえつけたりしなくても済むように。

 なにかを問うように、オルフェシアがこちらを見たが、ランシィは黙って頷いただけだった。

 一度行動を始めたら、もう迷ってはいけないのだ。

 それに店を出て、角をひとつ曲がったところで、キアラが幌馬車を停めて待っているはずだった。あまり長い間停めていたら、不審に思う者もいるかもしれない。

 壁際で外の様子を伺い、外を通る足音がないのを確認して、ランシィは扉を細く開けた。

 夜に外に出たのは、アルジェスが歌姫の公演に連れて行ってくれた時以来で、しかもあの時よりも深夜だ。寝静まった周囲の建物から漏れる灯りはほとんどなく、星と沈みかけの月が町並みの影を濃く染めている。ランシィの後ろに続くオルフェシアは、ひんやりとした夜の空気に触れて、自分が外に出たことを初めて実感したようだった。

 最初の数歩だけ足音をひそめ、あとは自然に早足になって、二人は通りを進んだ。建物を離れるごとに息が弾んで、お互いの胸の鼓動まで聞こえてくるようだ。

 夜の暗さに目が少しずつ慣れ、月の光が二人の影を地面に落とすのが見えるようになった、そのときだった。聞き覚えのある足音が、つきあたった通りをこちらに向かってくるのがランシィの耳に届いた。ひときわ大きく鼓動が跳ね上がり、ランシィは思わず立ち止まってしまった。

「……?」

 ランシィの耳の良さを知らないオルフェシアが、驚いた様子でランシィに目を向ける。

 もちろん説明している余裕はない。引き返すか、それとも身を隠せるような物陰を探すか、とっさに判断がつかないでいるうちに、いつもよりは多少軽さに欠けるその足音の主が、通りの角に当たる建物の陰から現れてしまった。

「ランシィ……?」

 どこか重たげな足取りで現れたアルジェスは、立ちすくむランシィを見て目をしばたたかせた。それでも軽い笑みを作ろうとしたその視線が、ランシィの後ろに移る。アルジェスはそのまま表情を凍り付かせた。

「シア……? なんで外に……」

 呆然と呟いたのも、ものの数秒にも満たなかった。ランシィに視線を戻したアルジェスは、どこかしら納得がいった様子で、

「ランシィ、どこまで知ってるんだ?」

「……たぶん、全部」

「そうか……」

 怒るのか慌てるのか。鉢合わせする可能性をまったく考えていなかった訳ではないが、もしそうなったとき、アルジェスがどう反応するのかまでは、ランシィには想像がつかなかった。

 アルジェスは小さく息をつくと、困った様子で頭をかいた。

「あのパンを食べたとき、なんか覚えのある味が混ざってるような気がしたんだよ。あの時はそれが何か気付かなかったんだが、パルディナの部屋で酒を飲んでしばらくしたら眠くなってきて、それでやっと思い当たったんだ。パンに入ってたのはジュディブの種を粉にした奴だよな。実を干した奴はすぐ眠くなるけど、種を粉にした奴は遅れて効いてくるんだ。種の方は効き目がでるまでに毒消しを飲めばいいってのも知ってる」

 名前までは知らないが、ランシィがパンに混ぜた薬にはそういう名前があったのだろう。

 パルディナには、アルジェスが薬入りのパンを食べたかどうかを確認する方法がなかった。だから二人になった時、念のためにと、薬を入れた酒をアルジェスに飲ませたのだ。それが結果的に、アルジェスに薬を勘づかせる事になってしまった。

「まったく、肝の据わった女だよ。薬が入った酒を、俺と一緒に同じだけ飲んだんだぞ? 本人がまだぐっすりだから、なんでそんなことをしたのかまでは聞けなかったんだが、そうか……最初から、知り合いだったのか」

「……同じ薬を飲んだのに、どうして平気なの?」

「まぁ、俺はああいうのに慣れてるからな。強く効かなかったってだけだ」

 アルジェスは幾分だるそうに答えた。確かに、先に聞こえた足音も、いつものような軽さがなかった。

「そのぶんだと、モイセとユーゴはぐっすりなのか」

「うん……」

「そうか、ならいい。ランシィ、お前は何者なんだ?」

「わたしは……」

 もしここで自分の立場を明かしたら、アルジェスは今度は人質として、ランシィを捕まえようとするかも知れない。

 でも、問いかけるアルジェスの口調には、焦りも怒りも打算も感じられなかった。薬で正常な判断ができないでいるのか、オルフェシアを連れ出されたことで、遊技ゲームはもう終わりだと思ってでもいるのか、ランシィにはよく判らなかったが。

「わたしは、アルテヤ王の相談役のひとり、サルツニアの騎士タリニオールの娘です」

「相談役の騎士……?」

 記憶を探るようにアルジェスは視線を泳がせ、すぐに合点がいった様子で目を見開いた。

「ああ、あの騒ぎで屋敷が火事になっちまって、家の人間が無事か判らないままの、変わり者の騎士か! そうか、そういうことだったのか……」

 一度理解の糸口を得て、アルジェスはすぐに今までのことに思いあたったようだった。表情に悔しさは見えない。自分の思いこみに対する苦笑いの後に表れたのは、安堵の笑顔だった。

「そうか、無事だったのか」

 負け惜しみではない、それは心からの言葉のようだった。ギリェルと会話をしていたときの、『悪いことしちまったな』というあの台詞は、本心だったのだろう。

「……奥方は一緒に逃げなかったのか?」

「誰かが残らないと、後を追われるだろうからって、わたしを送り出して屋敷に残ったの」

「そうか……」

 アルジェスは一瞬瞳を揺らがせ、すぐに飄々としたいつもの笑顔を見せた。

「で、シアを連れ出してどうするんだ? その様子だと行くあてがあるんだろうが」

「どうして止めないのです?」

 それまで黙って二人の話を聞いていたオルフェシアが、不思議そうに訊ねた。

「私をアルテヤまで連れてきて隠しているのには、やむを得ない事情があったのですよね? このまま私が逃げてしまってもよいのですか?」

「まぁ、あんまりよくはねぇんだけどさ。まさか住宅街あっちより先に、シアがこういう事になるとは思ってなかったからなぁ。……つーか逆に聞くが、ランシィ、状況が判ってて今シアを連れ出そうとするのには、なにか理由があるのか? 歌姫経由で、サルツニアの支援部隊に連絡をつけてそうなもんだが、なんでお前が動いてる?」

 軽そうに見えて、アルジェスの洞察力はやはり侮れない。

 しかし、ここで話してしまっていいものだろうか。オルフェシアの救出が、高級住宅街の解放と連動していると知ったら、アルジェスが次の行動をどう判断するか、さすがにランシィには推測できない。

 不意に、通りを駆けてくる足音に気付き、ランシィは思わず視線を向けた。アルジェスが曲がってきたのとは反対側だ。ランシィの視線を不思議そうにアルジェスが目で追いかけるのと、角を曲がってギリェルが現れたのはほぼ同時だった。

「ギリェル? どうした、まだ戻る時間には早いんじゃ」

「アルジェス、実は……」

 息を切らせて口を開いたギリェルは、ランシィだけでなく、オルフェシアまで一緒なのを見てさすがにぎょっとした様子だった。ランシィにしても、ギリェルまで戻ってくるとは予想外だ。見つかってとめられたとしても、アルジェスひとりならなんとか振り切れると思っていたのだが。

「シアのことは今はいい、何があったんだ?」

「そ、それが……」

 いつになく真剣なアルジェスの声に、ギリェルは気圧された様子で、

「夜明け直前にサルツニアの支援部隊が高級住宅街の開放作戦を決行すると、外から連絡があったんだ」

「なんだって?」

「住宅街と人質は放棄して逃げろ、俺達にはオルフェシア姫を連れて夜明け前までに町を出るようにと……」

 ギリェルがそこまで言い終えるのと、背中の剣を引き抜きながらランシィが彼らに向けて地を蹴ったのは、ほぼ同時だった。

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