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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第三章 風来人アルジェスの章
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第七話 4

 オルフェシアは、外の世界でなにが起きているかを詳しくは知らないはずだ。高級住宅街が賊に占拠されていることも、自分の救出が高級住宅街の開放と連動して計画されていることも知らないでいる。

 彼女が無事に保護される、それ一点だけを考えたら、明け方にタリニオールが踏み込むのを待てばいいだけだった。

 ランシィが一足先に鍵をあけ、奥へ入ってきたのは、タリニオール達が踏み込む前にオルフェシアを自由にしてこの場から連れ出すことで、言ってしまえばアルジェスの仲間であるモイセとユーゴが『王女軟禁の現行犯』として捕らえられないようにする狙いがあった。

 彼らが抵抗しなければ、手荒なことはしないと、タリニオールはランシィに約束した。タリニオール達が踏み込んだとき、モイセとユーゴは将棋盤を挟んで眠り込み、屋根裏は鍵が全て開けられて誰もいない。状況を聞こうにも、二人は薬が切れるまでは目を覚まさない。いるはずのランシィもいない。

 彼らが本当に、オルフェシアを軟禁していたのかは、オルフェシア本人が見つかるまで断定することが出来なくなる。

 もちろんタリニオールは、二人が歌姫かキアラのもとにいると推測し、すぐに見つけだすだろう。

 その、タリニオールが自分たちを探し当てるまでの間に、ランシィはオルフェシアと直に話すことができる。

 アルジェス達の行動にはやむを得ない事情があるらしいこと、その中でも可能な限り王女を大切に扱い、併行して指示していた高給住宅街の占拠に関しても、人質を人道的に扱うよう指示してきたこと。そして彼らは非常に有能で、今回の事態に関する重要な情報を多く持っている。サルツニア側の味方につけることができれば、今度は反乱軍に対処する上で、大きな助けとなるだろう。

 彼らに寛大に接することは、サルツニア側にも益になる。

 それをほかならぬオルフェシアに納得してもらえれば、アルジェス達を単に「高級住宅街を占拠していた賊」「王女の誘拐犯」として拘束したままよりも、双方ともずっと状況はよくなるはずだ。彼らが事態解決に貢献した状態でカタがつけば、最終的にアルジェス達に与えられる罰もいくらか軽くできるだろう。

 でも、実際に彼女と会ったことで、ランシィのなかにはそれまでになかった戸惑いが生まれていた。

 なによりも彼女は、一番の被害者なのだ。

 どういう形でかは判らないが、突然本国から連れ出され、最初のうちは賊にどんな扱いをされるかと、怖い思いもしただろう。手荒なまねはされなくとも、今度は彼らの目的も判らないまま、狭い屋根裏に隠されてきた。幼い頃からの教育や培われた心構えがあるからこその気丈さで、これが市井の女子供であれば、怯えて憔悴していても無理はない状況なのだ。

 それに、いくら丁重に扱われてきたとはいえ、本人でなければ判らない不安や苦痛、怒りはあるはずだ。

 その彼女に、なにも知らせないまま、アルジェス達の罪を少しでも軽くしてもらうためにここから連れ出すのも、彼女を利用することにはならないだろうか。

「……もうすぐ、アルジェスが協力している賊たちを、ディゼルトの部隊が制圧します。タリニオールはここのことも、アルジェス達のことも知っています。アルジェス達は一緒に捕まるでしょう」

 考えてみたら、ランシィは高貴な人との話し方をなにも学んでいなかった。剣の柄を見せるために片膝をついたのだが、これが作法として合っているのかはよく判らない。許されるまで顔を上げてはいけないのかも知れないし、言葉遣いもおかしいだろう。

「殿下にお願いがあります」

 片方しか開かない瞳で、自分を真剣に見つめるランシィに、オルフェシアは無言で頷いて先を促した。

「アルジェス達のしたことは悪いことです。殿下も怖くて悲しい思いをしたでしょうし、いろんなひとが心配してるのも知っています。わたしにも、無事かどうか判らなくて心配な人がいます。でも、アルジェス達が殿下をここまで連れてきて閉じこめていたのには、しかたがなかった理由があるようなんです。わたしが、タリニオールよりも先にここに来て、あなたをここから連れ出そうとしているのは、彼らが捕まった後、殿下に少しでも、彼らの罰を軽くしてもらえないか、相談したかったからです。もし仲間にできれば、アルジェス達は反乱軍をおさえるために、大きな力になってくれると思います」

 ランシィの言葉の中には、オルフェシアが把握していない事柄も多く含まれているはずだ。賊とは、反乱軍とはなんのことなのか、ここにオルフェシアを軟禁している以外にアルジェスがなにをしているのか、聞きたいことはあっただろう。

 だが彼女は、それらの疑問を一旦飲み込むと、自分を見つめるランシィに向かって首を傾げた。

「それを、なぜ今言うのですか? 彼らを許す事はできない、タリニオール卿が迎えに来るまでここを動かないと私が決断したら、あなたはどうするのですか?」

「ごめんなさい、ここにあがってくるまでは、ただ『助けに来た』とだけ言って、連れ出すつもりでした」

 ランシィは素直に頭を下げた。

「でも、ここにきて、あなたの顔を見たら、黙って連れ出すのはずるいんじゃないかと思いました。もし殿下が彼らに厳しい罰を与えたい、どんな事情があったとしても、少しも許す気はないと思うのなら、それはきっとあたりまえだと思います。わたしも、タリニオール達が来るまで、みんなと一緒にここで待ちます。それから、タリニオールとディゼルトに、いままでのことを話してみます」

 頭を下げたままのランシィを、オルフェシアがじっと見つめている気配がする。オルフェシアは柔らかな溜息をつくと、ランシィの手を取った。

「さすが、タリニオール卿が自分の娘にと望んだお嬢さんだわ。賢いはずなのに、不器用で実直なところなどそっくり。ディゼルトにも気に入られるわけです」

 驚いて顔を上げると、オルフェシアは穏やかに微笑んでいた。ランシィとさほど年齢が違わないはずなのに、とても落ち着いた大人びた雰囲気があった。

「ひとつ確認したいのだけど、あなたには、タリニオール卿達とは別に、味方となって協力してくれている人がいるのですよね?」

「え……?」

「いくらあなたが賢くて観察力に長けていても、たとえば古いサルツニアの言葉を用いて連絡したり、下の階にいるひとたちの目を盗んでここまでこられるようにするには、あなたひとりだけでは難しいはずです。あなたの話から状況を判断し、正しく手助けしてくれた誰かがいると思います」

「は、はい。そのひとが、あなたを一足先に連れ出して、話を聞いてもらったらどうだと考えてくれたんです。今は、アルジェスを朝までここから引き離しておくために、気を引いてくれています」

 オルフェシアは頷いた。

「私も、その方に会ってみたくなりました。アルジェスはとても親切だし、楽しいお話もしてくれますが、とても巧みで、外の詳しいことはなにひとつ教えてくれないのです。そのアルジェスを出し抜ける方々に、私も興味が出てきました。そうした方々から協力を得られる、あなた自身にも」

「わたしに……?」

「そうね、後から問われたら、あなたは『タリニオール卿が踏み込むまで待つつもりだったけど、彼らが隙を見せたので、安全に私を助け出す好機だと判断し、先に連れ出した』。ということにしましょう。踏み込んでもみ合いになったら、双方に不測の事態が起こらないとも限らないですからね」

 きょとんとしていたランシィは、オルフェシアの言葉の意味に気付いてぱっと表情を明るくした。

「ああ、でも、外に出られる服と靴がないのです。捕らわれたときに身につけていたものは、アルジェスがどこかに隠してしまったようで……」

 確かに、彼女が身につけているのはこの時期の夜にも寒くない程度の、長袖の夜着のようなものだった。冷えないように靴下もはいているが、靴はどちらの格子の部屋を見回しても見あたらない。さすがにこのまま外に出たら、通りかかったひとに不審に思われるだろう。

「……あ、あります! 下の部屋に、アルジェスが用意してくれたわたしのよそいきがあります! 私と同じくらいの背丈だし、殿下にも着られると思います」

「アルジェスは、自分で懐に入れた人には、本当に優しいのね」

 その声に、ただの感想とは違うなにかを感じた気がして、ランシィは目をしばたたかせた。くすりと笑ったオルフェシアはすぐに、大人びておちついた表情で立ち上がり、持ち出して役に立ちそうなものはないかと、ぐるりと部屋を見回した。

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