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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第三章 風来人アルジェスの章
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第六話 4

「アルテヤ軍の内通者を欺くために、サルツニアの部隊が明日の早朝、占拠された高級住宅街に突入する準備をしている。同時に、殿下が捕らわれている建物にも踏み込んで、殿下をお助けする」

「踏み込む……」

 見返したランシィに、タリニオールは大きく頷き、懐から一枚のしおりを出した。パルディナが渡したのだろう、今まで使っていたものと同じ紙に同じインクで、ランシィの読めない文字が書かれている。

「これにはね、『深夜、片目の女神の紋章を授かった者が参ります』と書かれている。殿下なら、その意味がわかるだろう」

 片目の女神の紋章は、サルツニアの騎士の剣にしか与えられていない。王女なら、味方が自分の居場所を把握し、救出する手はずを整えていると察することが出来るだろう。

「本当は、殿下を今すぐにでも助け出したいのだけど、それだと賊と通じている者に気取られてしまう危険があるからね、両方同時に行わないといけないんだ」

 幾分不安そうに見上げたランシィの手を、タリニオールは優しく握った。

「大丈夫、彼らが抵抗しなければ、手荒なことはしないよ。ランシィは、彼らに人質にでもされないように、事が始まったら身を隠しているんだよ」

 王女を助ける者達が踏み込んできたとき、ユーゴやモイセは、自分を盾にしようとするだろうか。ランシィには、あまりうまくその光景が思い浮かべられなかった。

「本当は、君をもうあの建物に戻したくはない」

 タリニオールは真剣な表情でランシィを見つめた。

「でも、君にそのしおりを持って戻ってもらわないといけないし、今君が姿を消したら、彼らは不審に思うかも知れないからね。……君たちのいる建物は、遠くからそれとなく様子は見させているけど、でももしもう居続けるのが無理だと思ったら、散歩に出る振りをして、歌姫のいる店でも、このキアラさんのお店でも来るんだよ。彼女たちが上手く、戻らなくてもいい口実を作ってくれるからね」

 ランシィは頷いた。今、頼まれたことを投げ出したまま戻らなかったら、なにが起きたのかとユーゴ達は心配するかも知れない。姿を消すにしても、お使いを済ませた後で頃合いを見た方がいいだろう。

 しかしそれ以上に、ランシィはこのまま、アルジェス達のもとを離れてしまう気になれなかった。屋根裏の『誰か』が心配というのとは別の、不思議な気持ちだった。


 タリニオールはこれから、明け方の計画に関して秘密裏に準備を進めなければならないことがあるという。せっかく会えたランシィと離れがたそうにもう一度抱きしめると、タリニオールは布で頭を隠し、店の裏で荷を降ろして待っていた荷馬車の荷台に乗り込んで去っていった。

 二階の窓からキアラと並んで、荷馬車が去っていくのを見下ろしていたランシィは、完全にその姿が見えなくなると、思わず小さなため息を漏らした。

 出会えて無事を知らせられた安心と、それとは別の、正体の判らない不安や、寂しさや、いろいろな感情が混ざり合っていて、ランシィにもよく判らなかった。

「……ねぇランシィ、あんたはどうしたいんだい?」

 少し後ろで、同じように外を見下ろしていたキアラが訊ねてきた。ランシィは質問の意図が判らず、キアラを見上げて首を傾げた。

「悪いことをした人は、罰を受けなくちゃいけないね。アルジェス達のしてることは、とても悪いことだ。オルフェシア姫も、姫のご両親であるサルツニア王と王妃も、高級住宅街の中でとらわれている人たちも、その家族も、みんな怖くて心配で悲しい思いをしている。サルツニアでは、こうしている今も内乱で、多くの人が不安な思いをしてる。命の危険にさらされてる人たちだっているだろう」

「……」

「そういえば、パルディナから聞いたけれど、女神ジェノヴァが片眼なのは、裁きの左目を神剣ジェノヴィアに埋め込んだからだというね。神の公正な目で裁いたら、地上に人はいなくなってしまうから。だから、ジェノヴァの天秤は大きく偏って、多くの罪を許すんだってね。……一三年前の戦争で、リュゴー様は多くの人を許したよ。カルーアス公みたいに仇で返す人も確かにいるけど、でもたくさんの人が、許されたことでもう間違わないように、みんなのためにもっと優しく正しくなろうって頑張って来られたんだ」

「許されたことで……?」

「そうさ、人はもともと、心には心で返すようにつくられてるんだ。そこが壊れてさえいなければ、何回間違ったとしても、必ずよい方向に自分をただせるように努力できるものさ」

 ランシィはふと、ユーゴとの会話を思い出した。

『……アルジェスはなんにも聞かない。行く場所が見つかったら出て行けばいいし、いたければいろって言う。なんでかって聞いたら、自分もそうだったからだって言うんだ』

 彼らがあれこれ文句を言いながらもアルジェスを中心にまとまっているのは、損得を考えないアルジェスの心に、心で返そうとしているからではないのか。

 ランシィを拾ったときも、アルジェスは見返りをなにも期待していなかったし、今だってそうだろう。だからこそ、自分は彼らをそのままにしてはおけないと思ってしまうのかも知れない。

「……みんなを、助けることはできないのかな」

「みんな?」

「アルジェスもモイセもユーゴもギリェルも、やりたくてやってるんじゃないと思う。知り合いを助けるために、仕方なく引き受けたんだったって言ってた。今も、なるべく人を傷つけないように気をつけてるみたいだし」

「アルジェス達は、失敗して捕まったとしても、そんな言い訳はしなさそうだけどね」

 確かに、彼らはああ見えて、自分たちがしていることはどういうことなのか、理解しているような気がする。与えられる罰は甘んじて受け入れるだろう。

逆に、そうしたときにずる賢く立ち回るような人たちが、素性の判らない子供を拾って世話するとも思えない。

「でも、パルディナなら言うだろうね、『ランシィを助けて世話してくれたんだから、そのぶんだけでもなんとかしてあげよう』ってさ」

 驚いて顔を上げたランシィに、キアラはニヤリと笑みを見せた。

「ランシィがそうしたいっていうなら、彼らに逃げ道を用意することができる。もちろんなにもなかったことにすることはできないけど、ランシィの気持ちの分だけ、助けてあげることができるかも知れない。そのためにはアルジェス達も、タリニオール卿も、ちょっとだけ出し抜かなくちゃいけないんだけどね」

「出し抜く?」

「パルディナにもあたしにもできないことだ。失敗したとしても、結局明け方に踏み込むタリニオール卿の仲間が姫を助け出すだけだから、やってみてもいいんじゃないかな」

 言いながら、キアラは仕事用の机の上に手を伸ばした。空き瓶に挿されている丸められた紙を手に取り、広げる。

 ランシィは、キアラと並んでその紙をのぞき込んだ。

 そして、目を丸くした。

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