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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第三章 風来人アルジェスの章
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8.ランシィ、アルジェスを観察する <3/4>

「いなくなったってなによ。家出とか?」

「失踪っていう話だけど、サルツニアでは内乱が起きてるって言うじゃない? 反乱軍にさらわれてたりとか」 

「トリシアさんの旦那さんって、お城の兵隊さんだったよねー」

 今までのうわさ話よりは、出所に信憑性があるかもしれない。ランシィは得体の知れない動悸を感じて、胸が苦しくなってきた。

 いずれランシィも、タリニオールについてサルツニアに行くことにはなっていたが、今はまだ、サルツニアの国に関しては雑談程度にしか知識を持っていなかった。だから、今の王に兄がいて、その兄が王になれなかったという話も知らなかった。しかしいくらなんでも、今のサルツニア王と、その王女の名前くらいは聞いたことがある。ディゼルトが、冗談めかして言っていた事があったのだ。

「ランシィなら、オルフェシア姫とも年齢が近いし、近衛の兵士として適任かも知れぬな」

 アルジェスは、屋根裏にいるらしい人のことをなんと呼んでいた?

『子どもが来たのはシアには言ってある』

 ひょっとして? 「シア」とはオルフェシア姫のことなのだろうか。

 いや、たとえ王女が何者かによってさらわれたのにしても、国外まで連れ出してどうしようというのだ。それに、いくらなんでも王女を連れて国境を越えるなど、サルツニアの軍もアルテヤの軍も、気がつかないわけがない。どこの国だって、国境を越えるとなればそれなりに厳しい検問が……

 そこまで考えて、ランシィは思い出した。グレイスが、自分が住んでいたツハトの村にやってきたときのことを。

 グレイスは、アルテヤとサルツニアを隔てる山地を越えてやってきた。地図上では、サルツニアの王都と、アルテヤの王都を真っ直ぐつなぐ、一番近い道だ。だが道は険しく、冬は雪で閉ざされ、夏だって通る者はいないのだ。グレイスだって、途中までは盗賊討伐のためのサルツニアの部隊と一緒でなければ、通ってこなかったはずの道だった。もしあの道がもう少し通りやすく整備されていたら、ツハトの村は無人になるほどまでに寂れなかったはずだ。

 当然、あの道はアルテヤ側に検問などない。サルツニア側はどうなのだろう。山地に入るのに多少は制限があるかも知れないが、盗賊が出るという山地に好んで入るような者が多くいるとは思えない。

 しかもグレイスだけではない、一三年前、実際にあの村をサルツニアの傭兵部隊が訪れている。タリニオールとその師オルネストは、馬を連れてその部隊を率いていたという。道が判って、それなりに訓練を積んだ者なら、馬を連れても通れるのだ。

 ランシィは思わず、自分の左目を片手で覆っていた。一三年前、左目を失った自分に、オルネストは左目のない女神の紋章のついた剣を託していった。グレイスは、その女神の半身ともいえる神カーシャムに仕える神官だった。タリニオールは、左目のない女神の紋章のついた剣を預けられる騎士だった。


 ならば強くなるがいい。ふさわしい強さと、ふさわしい心を持つがいい、時の選びし者よ。ふさわしい力を持つ者に、ジェノヴァは剣を託すだろう……


「……ランシィ?」

 無意識に、ランシィは歩みを進めていたらしい。角を曲がったランシィに声をかけてきたのは、パンや果物をいれたかごを抱えて、自分達のすみかの建物に入ろうとしていたアルジェスだった。アルジェスは、血の気の引いた顔で左目を押さえるランシィに、心底心配そうな顔で近づいてきた。

「どうした、また具合でも悪くなったのか? 目が痛いのか?」

 ランシィは思わず身を引こうとしたが、すんでの所で動きを止め、首を振った。今不審に思わせてはいけない。まだ推測の域をでないことの方が多い今、アルジェスを警戒させるわけにはいかない。自分の手の内を、相手に悟らせてはいけない。

「戦争が、起きるかも知れないって、町の人がいってた」

 アルジェスが表情を曇らせたのが判った。ランシィは荒くなった呼吸を隠さずに言葉を続けた。

「アルテヤに、ルトネアの軍が攻めてくるんだって。また人が死ぬの? お父さんとお母さんを取るだけじゃ、だめなの?」

 大事なことはなにも知らない無力な子どもだと思わせなければいけない。動揺で震えるこの声は、戦争に対する恐怖だと思わせるのだ。

「お前……この前の戦争で、親、亡くしてるのか?」

 アルジェスの問いに、ランシィは視線をうつむかせたまま微かに頭を動かした。半分嘘で、半分本当だ。アルジェスはなにか言いかけ、そのままランシィの背中を抱くように、建物の扉を開けた。

 厨房に立ってなにやらスープらしいものを煮ているユーゴと、テーブルの拭き掃除をしていたモイセは陽気な顔で声をあげようとして、ランシィの様子に気付いて顔を見あわせた。

「なぁランシィ、大人ってのはそんなに馬鹿じゃねぇよ」

 ランシィを椅子に座らせると、アルジェスはその横で気遣うように、ランシィの背中をさすった。

「ルトネアの軍隊だって、まだ国境を越えてないみたいだしさ。本気で戦争おっぱじめようと思ったら、敵が準備する余裕を持たせるようなことはしないさ」

「だって、貴族のお屋敷を襲ったのも、ルトネアの人なんでしょう。またいっぱい死ぬの? わたしも死ぬの?」

「ないない、連中だって、貴族の家族を人質にしたくらいで戦争が有利になるとは思ってないだろ。ありゃきっと、別に理由があるんだよ」

「理由って?」

「んー……」

 いつの間にか、階段から降りてきたギリェルまでが、半分眠そうな顔ながらもアルジェスとランシィのやりとりを見守っている。硬い表情のランシィの問いかけに、アルジェスは困った様子で少し考え込んだものの、すぐに笑顔を見せた。

「戦争するぞって脅かして、実はなにか交渉したいことがあるんだろ。ルトネアのお偉いさんだって、本当に戦争する気なら、アルテヤからサルツニアの軍がいなくなってからのほうがいいって判ってるはずさ。ランシィだって、そんくらい判るだろ?」

「だって……」

「戦争なんか、どっちもいいことなんかないんだからさ。今のごたごたも、少しもめればすぐおさまるよ」

「本当?」

「ああ、あんまり心配すんな」

 アルジェスは本心から、ランシィを安心させようとしているように見える。少なくともランシィには、『ルトネアは戦争を起こす気がない』『賊の行動は、ほかに理由がある』というアルジェスの言葉は、真実なのではないかと思えた。

「さ、飯にしようぜ。腹減ってると、ろくな事を考えないもんだ」

 ランシィが黙り込んだので、アルジェスは明るく笑ってランシィの背中をぽんぽんと叩いた。ギリェルは小さくため息をついたが、特に口を出す様子はない。

 気まずそうに話を聞いていたモイセとユーゴも、ほっとした様子で、アルジェスが持ち帰ってきたパンや果物を別の皿に盛り始めた。

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