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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第三章 風来人アルジェスの章
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7.ランシィ、アルジェスを観察する <2/4>

 思っていたよりも歩いたが、教えられた店はすぐに判った。共同井戸では、周辺に住む女達が、水を汲むだけでなく、汲み上げた水を洗い場の上に置いた大きな桶に溜めて野菜を洗いながらお喋りに興じている。その近くに、普段使う調味料やちょっとした食材を扱っているらしい小さな店があった。

 店先では、粗末な長椅子に座って、年老いた女が二人、のんびりと世間話をしている。店の奥に人の気配はないので、老女のどちらかが店番をしているのだろう。ランシィが声をかけると、

「おや、アルジェスのお使いかい。ちっこい男の人は忙しいのかね」

 どうやらいつもはモイセが来ているらしい。ランシィとさほど変わらない背丈の老女は、ゆっくりと立ち上がり、ランシィの渡した本を持って店の奥に入っていった。

 もう一人の老女は、剣を背負ったランシィの姿を少し不思議そうに見たものの、特になにもいわなかった。剣術の習い事でもしているとでも思ったのだろう。

「……やっぱり、ロンザーヌ地区を占拠してるのは、ルトネアの間者だってね」

「警備の兵士たちや、館の使用人の中に紛れ込んでたって話だろ。火をつけられた館もあるって言うし、怖いもんだね」

「でも、その割にルトネアの軍は、国境の手前で止まったまんまなんでしょ? 本当に戦争する気あるのかな」

「だからさ、お偉いさんの家族を人質にして、なにかたくらんでるんだよ」

「なにかってなによ」

「そんなのあたしが知るわけないじゃない」 

 女達の話には、相変わらず、どこの誰が言っていたという肝心の部分がない。大半の女達にとって、噂の出所などどうでもいいものなのだ。女のうわさ話は、自分達に害があるかもしれないものに関する情報と、漠然とした不安を共有するためのものなのだから。

「そういえば知ってるかい、サルツニアでも内乱が起きてるかも知れないんだってよ」

「え? 本当なの、サルツニアってすごくよい王様って言うじゃない。一三年前の戦争だって、あの王様が援軍を出してくれたからうまく収まったんでしょ」

 初めて聞く情報に、ランシィは思わずそちらに顔を向けそうになるのをこらえ、素知らぬ顔のまま耳を傾けた。

「今の王様って、もとは第二王子だったんだってさ。お兄さんの第一王子はいろいろと問題があって、王様になれなかったんだってね。今になって、当時の第一王子を支持してた領主達が、反抗を始めたって」

「えー? サルツニアの王様が即位してから、もう一五年以上になるでしょ? なんで今更」

「貴族の考えることなんか判らないけどさ、第一王子が失脚した巻き添えで待遇が悪くなって、ずっと我慢してたとかじゃないの?」

「それじゃ、もしルトネアがアルテヤに侵攻してきても、今いるサルツニア軍以外の援軍はないかも知れないの? それって大変じゃない?」

「怖いね……なにがあってもすぐ逃げられるようにしておいた方がいいのかな」

 ただのうわさ話にしては、サルツニア王の即位までの説明が妙に具体的だ。これもアルジェスが流している話なのか、本当にそんなことが起きているのか、今のランシィにはきちんと見極める方法がない。世の中の大人達は、どうやってうわさ話の中から、正しい情報を判断するのだろう。

『司令官は全体の情報が掴める場所にいないと話にならない』とアルジェスは言っていた。

 ということは、アルジェスには全体の情報を掴む手段があるのだろうか。アルテヤ軍、ルトネア軍、サルツニア軍、そして高級住宅地を占拠している賊の情報を。しかし、賊の目的は、そのどれに対応しているのだろう。

「じゃあ、これを渡しておくれ。また適当なのを用意しておくよ」

 立ちすくむように考え込んでいたランシィに、奥から出てきた老女が、渡したのとは違う本を三冊差し出した。ランシィが受け取ると、老女はまたさっき座っていた場所に腰をおろした。

 そこにいる口実がなくなってしまったので、ランシィは仕方なく、本を抱えて歩き始めた。

 帰り道は、さっきより人の通りが多かった。そろそろ、市場から仕入れを終えて戻ってきた店が開きはじめ、野菜や果物を並べた店の前でも、買い物に来た女達がお喋りをしている姿もみられるようになった。やはり話題は、さっきの井戸の周りの女達のそれと同じようだ。

「そういえばさ、トリシアさんが言ってたんだけど、サルツニアの王女様がいなくなったらしいよ」

 ふと耳に入ってきた声に、ランシィは思わず足を止めた。

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