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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第三章 風来人アルジェスの章
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3.ランシィ、アルジェスに拾われる<3/ 5>

 目を閉じている間に少しはうとうとしたのか、気がつくと窓からの日差しはだいぶ傾いていた。階下からは、女達の足音と声が昼よりも多く聞こえてくる。

 ランシィは自分の体を伺うようにゆっくりと起き上がった。もう悪寒も残っていないし、多少ふわふわする感じはあったが、動くのには問題ないようだった。

 かごに入れられていた自分の服に着替え、オルネストの剣と麻袋を持って、ランシィは気持ち足音を殺しながら部屋の扉を開けた。やはり二階は宿屋になっているらしく、階段の降り口の周りには、等間隔で同じような扉が並び、手彫りされた部屋番号の板がそれぞれ打ち付けられている。

 ランシィは階段を降りきらないところで腰をおろした。階段の下は狭いホールになっていて、玄関のほかに、食堂につながっているらしい扉がある。

 食堂では夜の支度が始まっているのか、何人かが動き回る音と、いろいろな温かい食べものの匂いがしてくる。生まれた村を出てから、グレイスと一緒に泊まった宿屋のような気配だった。

 もう少し降りて食堂の方まで行ってみるか、誰かが通りかかるか待ってみようか思案していると、食堂の扉が開いて、空になった麻袋を抱えた若い女が出てきた。全体的にふっくらとした体つきで、若い割に化粧が濃い。

「あら、……あんたアルの拾った子? もう起きてて大丈夫なの?」

 さっきアルジェスと話していた女の声だった。ランシィは女を見て首を傾げた。

「ひょとして、ニーナ?」

「そうだけど……」

 怪訝そうにニーナは答える。もちろん、ランシィは声を聞いただけで、直接会ってはいない。ニーナは声を聞かれていることも気付いていない。

「アルジェスが、ニーナはここで一番可愛いんだって言ってた」

「や! もうアルったら、子どもにまでなに言ってんのかしら」 

 花が色づくように、ニーナは頬を赤らめた。

 こういう言葉は、本人に直接言われるよりも、間接的に「あのひとがこう言っていた」と伝えられる方が、言われる方はなぜか信じるものだ。もちろんそこに、ランシィの感想など入ってはいないのだが、ニーナはすっかり、『この子供は可愛い自分を見てニーナだと判った』のだと思いこんでいる。

「ほら、あんたおなかすいてるんじゃないの? なんか食べさせてあげるから、こっち来なさいよ」

 抱えていた麻袋を階段の裏に積み上げ、ニーナは嬉しさを隠しきれない様子で、ランシィを店に促した。ランシィは素直に立ち上がり、ニーナに背中を押されるように店に入った。

 店はどうやら、酒場と食堂を兼ねているらしい。仕込みをしているのは年配の男で、あとは女ばかりが数人、忙しく働いている。女達の年齢は様々だが、ニーナがここでは一番若いようだ。

「オヤジさん、この子に少し、そのシチューもらっていい?」

「構わんが、お前少しあの若いのに入れ込みすぎじゃないか。どこから来たかも判らないような男なのに、あんまり熱をあげるのは感心しないぞ」

「あたしが熱あげてるんじゃないの。アルが勝手に言い寄ってくるんだから、仕方なく相手にしてあげてるだけよ」

 ほかの場所で仕事をしていた女が二人、微妙な笑みを見せたが、ニーナは気がつかないらしい。カウンターの背の高い椅子にランシィを座らせ、自分は機嫌よく皿にシチューをとってランシィの前に差し出した。

「ここのシチューは町一番なのよ」

「褒めたってなにも出ないぞ」

 口ではそうは言うものの、オヤジさんの口調はまんざらでもなさそうだ。ランシィは匙をもらい、一口、口に入れた。酒を飲む客のためにか、多少香辛料と塩気が強い気がしたが、ランシィはこちらを伺っていたオヤジさんに向かって嬉しそうに笑って見せた。

 それまであまり表情を変えなかったランシィが笑ったのが、オヤジさんには強烈だったらしい。

「そんなに旨いのか? お前、ろくなもん食ってないんじゃないか、だからそんなに細いんだろ。ニーナ、昼の残りのパンもあったろ」

「あれは後で油で揚げるんじゃないの?」

「いいんだよ、食わせてやれって」

 塩気が強いシチューだったので、パンがもらえるのはありがたかった。食べ始めて思い出したが、これが今日初めての食事らしい食事だった。ランシィはしばらく、黙々と食べていた。

「……そういえば、ロンザーヌ地区で何軒も火事があったって聞いたけど、どうなってるのかねぇ」

「貴族の別宅とかある所でしょ? いつもご用聞きに行く八百屋の旦那が、今日はあの区域に入れてもらえなかったって言ってたよ」

 隅で食器を揃えていた女が、鍋をかき回している別の女に話しかけている。ランシィは食べながら、悟られないように耳を傾けた。

「出入りに制限があるのは夜だけじゃない? あの辺。それが今日は朝から一日中、門が閉まって、兵隊さんが周りを固めてるんだって。火事だけじゃなく何事かあったんじゃないかって話だよ」

「昨日の夜は、お城の方も騒がしかったしねぇ。サルツニアの兵隊さん達が城壁の外に出て行ったって話も聞いたけど、関係あるのかしら」

 どうやらまだ、正確な情報は伏せられているようだ。どのみち、人の口に戸は立てられない。城に出入りする商人や兵士の家族の間から、遅くても明日には話が洩れ始めるだろう。

 出入りが出来ないのが高級住宅街だけなら、城壁の外にいるはずのサルツニア軍と一緒のディゼルトや、城に向かったタリニオールにも連絡のつけようはあるはずだ。教会の孤児院がある区画まで戻れば知り合いもいる、なんとかなるだろう。

「お、飯食わせてもらってるのか、よかったな」

 不意に、店の扉を開けて顔をのぞかせたアルジェスが、嬉しそうに声をかけてきた。

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