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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第三章 風来人アルジェスの章
36/71

1.ランシィ、アルジェスに拾われる<1/5>

エリディアの機転で、混乱する高級住宅街からひとり脱出したランシィは、川をあがれず動けなくなったところをアルジェスという青年に助けられた。

そのアルジェスが実は、隣国ルトネアのアルテヤ出兵、高級住宅街の襲撃事件にも何らかの形で関わっていると察したランシィは、何も知らない素振りで情報を探り始める。

アルテヤとサルツニア、ふたつの国を揺るがす大事件、その解決の糸口をつかんだのは、一三歳の少女ランシィだった。

 

後に「時の選びし者」と唄われる、隻眼の少女ランシィの始まりの物語。

 懐かしい匂いがした。

 干した布団の匂いと、ランプの油の匂い。秋の日のほんのり冷たい空気の匂い。いろいろな人が残したいろいろな匂い。それらが混ざりあった、初めての場所のはずなのに、どこか懐かしい匂い。

「……うか、見つからなかったのか」

 夢から醒めかける意識の中に、小声で話す男の声が遠くから入り込んできた。

「使っていた油にでも火がついたのか、厨房の辺りだけひどく焼け落ちて、まだその跡を探せる状態じゃないようだ。煙に巻かれてそこで倒れていたとしたら、なんともいえないな」

「押し入ったらかえって怖がるかと思ったんだが、裏目に出たかな」

 報告を受けているらしい男の声は若い。答えたあと、ため息をついた気配があった。

「仕方ないさ、まさかアルテヤ王の相談役をするような騎士の屋敷に住んでるのが、家族数人だけとかなぁ。住み込みの召使いも何人か抱えてるんだろうと思ってたのに、どうにも変わり者らしいな」

「新婚で子どもが一人なら、まだ赤ん坊だろ。奥方が抱えて逃げ遅れたなら、悪いことしちまったな」

 彼らが話しているのが、タリニオールの館の話かも知れないと気付いて、ランシィは思わず身動きしようと目をあけてしまった。体はなんだかだるく、いつものようにいうことをきかない。

「お、気がついたか」

 離れた場所で話していた若い男が、どこか嬉しそうな声で近寄って来るのが判った。横たわったままのランシィが目を動かすと、彼は寝台のそばの椅子に、背もたれを抱えるようにまたがって、悪意のない笑顔でランシィの顔をのぞき込んだ。

「熱は下がったか? 喉乾いてないか?」

 言いながら、ランシィの額に手を伸ばそうとしてくる。思わず身を引こうとしたのが気配で伝わったらしく、男は苦笑いを浮かべた。整った顔立ちに、いたずらっぽい瞳が輝いて、どうにも子どもっぽい。

 見た感じの年齢は、別れたときのグレイスよりも上で、タリニオールよりは若い。ただ、全体的な雰囲気が明るく、ともすれば軽薄な印象を受ける。それは、南方の船乗りを思わせる軽快な服装と、耳と首元、手首や指を彩る様々な洒落た飾りもののせいらしい。

「なにも怖いことはしねぇよ。覚えてるか、お前、川の中歩いてたんだぞ。どっから来たか知らねぇが、ふらふらになって逃げてくるなんて、よっぽどひどいところにいたんだな」

 ランシィは口を開きかけたが、すんでのところで声を抑えた。相手の正体も判らず、状況も判らない今、感情的になって自分の情報を与えるのは得策ではないだろう。

 よく判らないが、彼は厚意からランシィを助け、哀れみこそしているのものの、警戒している様子はない。この状況を出来る限り利用して、情報を引き出さなくては。

「……だれ?」

 動揺と、いろいろな思いが入り乱れて、結果的に表情は固く、言葉も短くなってしまった。それを男は、怯えていると受け取ったのだろう。人なつっこい笑みを絶やさない。

「俺はアルジェス。アルでもジェスでも好きなように呼んでくれ。お前は?」

「……」

 ここで、自分の名前を出してもよいものだろうか。一瞬戸惑ったが、下手に偽名を使っても、あとからそれが判った時に、なぜ偽名を使ったのか説明しなければならなくなる。彼は「王の相談役の子ども」の性別も、正確な年齢も知らない。名前だけなら、判ったとしても偶然の一致ということで誤魔化せるだろう。

「……ランシィ」

「そっか、ランシィ、お前、左目が悪いのか?」

 アルジェスは気を遣っている割に、話に遠慮がない。ランシィは硬い表情のまま、小さく頷いた。

 熱があるらしく、動こうとすると妙な悪寒が体全体に広がって気持ちが悪く、ランシィは眉をしかめた。それをどう受け取ったのか、アルジェスはランシィを安心させようとするかのように白い歯を見せた。

「ちっさいのに、いろいろ大変だなぁ。大丈夫だよ、怖い大人が連れ戻しに来たら、俺が追っ払ってやるから」

 最近はだいぶ背が伸びたが、それでもこの男から見たら、ランシィはまだまだ小さくてなにもできない子どものようらしい。相変わらず、ランシィが自分を虐げていた場所から逃げ出してきたようにも思いこんでいる。なら、その思いこみを利用するのが一番だ。

 ランシィは、ぎこちないながらもなんとか口元を動かし、微かに笑みらしいものを作った。とても子どもらしいとはいえない、無邪気さのないこわばった笑顔なのだが、アルジェスは嬉しそうに目元にしわを作った。

「おいアルジェス、そのガキ、どうするんだよ。こんな時にお前が面倒見るのか?」

 それまで様子を見ていたもう一人の男が、慌てた様子で割って入ってきた。アルジェスより若干年上の様子だが、やはり一見しただけではどんな職業なのか判断がつかない。陽に灼けた肌に、肩まで伸ばした髪を細かく三つ編みにして、額には何種類かの鮮やかな色で織られた細い布を巻いている。やはりこの男にも、南方の船乗というか、絵本に出てくる気のいい海賊のような、不思議な雰囲気があった。

「いいじゃねぇか、もう拾っちまったんだもの。それに後は、バルテロメの奴がいいって言うまで待機なんだろ。ほかに特にすることもねぇしさ」

「おい、その名前は出すなって……」

「いちいちうるせぇぞ、ギリェル。とにかくこいつは俺が拾ったの! 拾ったものの面倒を見るのは人間として当然だろ」

 まるで子犬でも拾ったような言いぐさである。ギリェルと呼ばれた男は、呆れた様子で大げさに肩をすくめた。

「お前の財布で面倒見ろよ。それでなくたって、今回前金が少なくてかつかつなんだからな」

「判ってるってば。俺はお前と違って、金出してくれる女がたくさんいるの!」

 うるさそうに追い払われて、ギリェルははいはいと頷きながら部屋を出て行ってしまった。半分あっけにとられて話を聞いていたランシィは、アルジェスがまた自分の方に顔を向けたので、つとめて不安そうに表情を作った。

「あいつも悪い奴じゃないんだぞ、そのうち慣れるから気にすんな。で、ランシィは腹減ってないのか? なにか飲むか?」

 放っておくと、自分の言いたいことしか言わない男らしい。とりあえず頷くと、どう受け取ったのかアルジェスは、

「ちょっと待ってな」

 軽い身のこなしで立ち上がると、部屋の外に出て行った。

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