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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第二章 騎士タリニオールの章
32/71

13.見えない未来と小さな手<4/4>

 タリニオールの奔走とは別の所で、ランシィの働き口の件は解決することになった。

 子どもを抱えてなかなか働けずにいる女達が多いというタリニオールの報告に、アルテヤ王が思った以上に関心を示した。試験的に市内の数カ所の建物を借り上げ、短時間の託児施設を増設する計画が立ち上がったのだ。

 単純に、託児施設を増やすだけではなく、働き口を探す女達を優先的に雇い入れること、そこに通う子どもの中でも年齢の上の子どもには、下の子ども達に基礎的な読み書きを教えてもらい、ふさわしい賃金を払うことで、就学中の子どもにも安全な働き口を提供することもできる。

 学校で学ぶことが働くことに役に立つのを、目に見えやすい形で示すようにすることで、学問を軽視して子どもを働かせる親を諭す狙いもあった。

 タリニオールの館も、託児施設としての設備的な条件を満たしていたので、その計画に協力することになった。


 高級住宅街の中にあり、日中は警備の者が常駐するタリニオールの館は、子どもを預ける上で安全度も高い。ランシィは施設に通う他の子ども達と一緒に、週に数回、タリニオールの館の一部を使った託児所で、修学したばかりの小さな子どもに読み書きを教えることになった。

 館の一部を貸すだけなので、運営自体にはタリニオールもエリディアも関わることはない。だが、実際に人が住んでいる館の一部を貸し出す立場からの意見を拾い上げることも、この試験運用には大事になってくるらしい。本格的に同じような施設が増えたとき、起きるかも知れない問題を事前に多く想定して、対処法を講じておくことは確かに有益だろう。

「日中に、庭から子ども達の声が聞こえてくるというのも不思議なものだね」

 いつもの居間で、エリディアの淹れてくれた紅茶を口にしながら、タリニオールは窓の外の様子に耳を傾けて笑みを見せた。

 託児施設が利用する範囲はきちんと定められていて、たまの休暇にタリニオールが日中館にいても、やんちゃな子ども達がふらふらと奥まで入ってくることはほとんどなかった。タリニオールが騎士であることで、場を提供している者にきちんと敬意を払うよう、教えやすいのかも知れない。

「今まで静かでございましたからね。片手で足りるほどの数の大人だけで使うには、このお屋敷は少々広すぎましたもの」

「一応王の相談役だから、館もそれなりのものを使えということだったんだろうけど、三〇人からが入れるような食堂があってももてあますだけだよなぁ。使い道が出来て良かったよ」

 来客がなければ、食事の時もその後のお茶も、タリニオールはこの居間で過ごすことが多い。館を管理する仕事の傍らでも、エリディアの目が行き届きやすい場所なので、タリニオールには居心地がいいのだ。

「今日は午後からランシィが『お仕事』に来る日でございますよ」

「そうだった、上手くやれているのかな」

「お勉強を教えるとき以外も、子ども達の面倒を見てくれるのでとても助かっているそうですわ。時々歌も歌ってくれるそうですよ」

「へぇ……」

「雨の雫が、世界中のいろいろな場所を旅して戻ってくる歌なのですって。歌姫に教えられたのでしょうね」

「私も聞かせて欲しいものだな」

「では今日の夕食にでも誘ってみて、お願いしてみましょうか」

「改めてだと恥ずかしがらないといいけど」

 耳が良いなら、音程をとるのも上手いかも知れない。子どもの扱いも上手いというし、ランシィは、剣術以外にも、いろいろ可能性がある子なのではないか。

「エリディア、ずうっと一緒に育ったようなものなのに、こういうことを聞くのも、今更どうかと思うんだが」

「改まってどうしたのですか?」

 首を傾げて自分のはす向かいに座ったエリディアに、タリニオールは多少いいにくそうに笑みを見せた。

「エリディアがランシィくらいの年の頃って、将来自分は何になりたいとか、思ってたかい」

「まぁ、またランシィの話ですの」

 エリディアはくすくす笑うと、記憶を探るように視線を泳がせた。

「私は、タリニオール様のご実家のお屋敷で、タリニオール様のご両親と共に働く父と、父を支える母の姿を見る機会が多くございましたから、漠然と、いずれは自分もあのように手伝いをさせていただくのかなとは思っておりました」

「それだけ? ほかには?」

「ほかに……そうですわね」

 エリディアの微笑みに微かに困ったような色が入ったのだが、それも一瞬のことだったので、タリニオールは思い出すのに困っているのだろう位にしか思わなかった。

「いろいろあったように思いますけれど……、友人の中には、音楽家になりたいと頑張っていた者や、家業を継ぐために専門の道を目指していた者もありましが、ほとんどの者はまだ遠い未来のことよりも、目の前のはやり事のほうに夢中でございましたわね。幸いにも、先の暮らしをあまり憂う必要がない環境でございましたし」

「そうだよなぁ、私も具体的にはほとんど考えていなかった。剣術と馬術は、好きだったから続けていただけで、まさか自分が騎士になるとは思ってはいなかったよ」

 エリディアが微妙に答えをずらしたことにも気付かず、タリニオールは納得したように頷いている。

「でも多くの子ども達は、漠然とした未来を思い描くことも出来ないまま、目の前に用意されたいくつかのものしか仕事も未来も選べないで、そのまま大きくなるんだろうなぁ……」

「貧しい家の子どもほど、そのような傾向になるのでしょうね」

「生まれたときには、みんな平等に未来の可能性があるはずなのに」

 言いながら、タリニオールは無意識に、自分の右手の人差し指を眺めている。エリディアは微笑んだ。

「なにが幸せで、なにが幸せでないかを決めるのは、自分自身でございますわ。人は本当に望めば、そのためにどんな努力でもできるものでございましょう?」

「ああ……確かにそうなんだけど」

「ランシィも、自分に与えられた環境の中で、自分の思い定めたものに向かって、精いっぱい頑張ってますわ。だからこそ、タリニオール様との出会いがあったのでございます。ご両親と一緒に片目が失われたことは確かに哀しいことではございますけど、ランシィにはそれを言い訳にしない強さがございますわ。それでなおさら、タリニオール様はランシィの力になってあげたいと、思われているのではないでしょうか」

 穏やかだがはっきりした物言いに、タリニオールは驚いたように改めてエリディアを見返した。その反応をどう思ったのか、エリディアは目を丸くし、口元を両手で覆った。

「私、なにか変なことを申しましたか?」

「そうじゃないよ、ほんとうに、エリディアの言うとおりだと思ってね」

 タリニオールは恥ずかしそうに笑みを見せた。

「そうなんだな……ランシィが恵まれてないとか、不幸な生い立ちとか思ってて、そういうのを同情してるわけではないんだ。私はただ、ランシィになにかしてあげたいと思ってるんだ」

 返す言葉に困るエリディアから、半分ほどに減ったカップの中の紅茶に視線を移して、タリニオールはそのまま黙り込んだ。考え事を始めたのが判ったので、エリディアはそっと席を外しかけ、窓の外に目を向けて微笑んだ。

「まぁ、今日は頼れる護衛がついているようですわ」

「ん?」

 エリディアがベランダに続く扉を開けると、ディゼルトに肩車されたランシィが手を振っているのが見えた。

「今日辺り、エリディア殿が夕飯に招いてくれるような気がして寄ってみたら、そこでランシィと行きあったのだ」

「どうしてそう無駄なところで勘がいいんだ」

「無駄ではないぞ、エリディア殿の手料理を食す機会を逃すなど一大事ではないか」

 どうやら先日の一件で、逆にだいぶ仲が良くなったらしい。ランシィはディゼルトの頭を抱えたまま、ベランダに出たタリニオールとのやりとりを面白そうに眺めている。

「というか、ランシィを誘うつもりだったんだよ。仕事が終わったら、晩御飯を食べていかないかい、孤児院おうちには連絡しておくから」

「うん、いいよ。今日はディゼルトのおじさんが小さい子と遊んでくれるんだって」

「邪魔だと思ったら叩き出していいからね」

「うん、わかってる」

「おいおい」

 すました顔で答えたランシィは、ディゼルトの心外そうな声に思わずといった様子で笑みをこぼした。

「前よりも、よく笑うようになったような気がするなぁ」

「心を許してくれているのですね。もっともっと、仲良くなれたらようございます」

「そうだね」

 肩車されたまま、託児施設の方に向かうランシィを、エリディアと一緒に見送りながら、タリニオールは頷いた。

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