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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第二章 騎士タリニオールの章
27/71

8.昼餐会<4/5>

「法衣? ああ……赤だったよ? 鮮やかな明るい赤じゃなくてもっと深みのある……茜色っていうのかな」

 ランシィは、それと判るほどに落胆の色を見せた。なぜ赤だとがっかりするのかタリニオールには判らない。

 ジェノヴァは絵画では、燃えるような赤い髪に、同じ色の瞳を持つ戦乙女として描かれる。半身であるカーシャムの象徴が夜の闇を思い起こさせる黒なら、ジェノヴァは燃えさかる太陽のような赤であっても不思議ではないはずだ。

「座ってゆっくりお話しになられたらいかがでしょう?」

 さっさと長椅子に座っているディゼルトに紅茶を給仕しながら、エリディアが声をかけてきた。タリニオールに促され、勧められるまま腰を降ろしたランシィの前に、白い陶器のカップを置いて、エリディアが紅茶を注ぐ。琥珀のような美しい液体と、花の香りに似た甘い匂いに、ランシィはカップを手に取るのもおそるおそるといった様子だ。

「エリディア殿の淹れる紅茶は、王宮での茶会のものよりも薫り高いのであるよ」

「卿はいつそんなものに参加してきたのだ」

「そこはそれ、ものの例えというものだ」

 タリニオールの突っ込みに、ディゼルトはすました顔で答えた。ランシィはくすりと笑うと、そっとカップに口をつけた。口に含むと、驚いた様子でまたカップの表面を眺めている。

「綺麗なのに、すごくいい香りで、美味しいね」

「ありがとうございます」

 言葉は足りないながらも素朴なランシィの賞賛に、エリディアはとても嬉しそうに微笑んだ。

「……ランシィ殿は、女神ジェノヴァにも関心がおありのようであるな」

 ひととおり給仕が終わり、エリディアが椅子に腰掛けると、ディゼルトがそれとなく訊ねた。

「サルツニア以外の国では、一般にはあまり知られていないようなのであるが、誰からか話を聞く機会でもあったのかな」

「……グレイスに聞いたんだ」

 グレイスとは、ランシィを町まで連れてきたカーシャムの神官の名だと、タリニオールが横から補足した。

「グレイスと泊まった宿の食堂に、ジェノヴァの絵が飾ってあったの。左目に眼帯をしてる、綺麗な女の人の絵だった。剣もあんな形だったけど、埋まってるのは宝石じゃなくて、人間の目だった」

「人間の目とな……確かに宝剣ルベロクロスの宝玉は女神ジェノヴァの左の瞳というが、それをそのまま絵に描いたものは珍しいな」

「そうなの?」

「やっぱり、絵画となると、画家は見栄えを気にするようだからね」

 タリニオールは応えて頷いた。

「目をそのまま描くと、生々しくなってしまうからじゃないかな。その宿屋の絵は、鑑賞のためというよりは、よりジェノヴァの本質に近い部分を描くよう、画家が心がけて描いてたんだろうね」

「女の人の足元には、人間の兵士みたいな、化け物がいっぱい倒れてた」

「じゃあ、やっぱり教理的なものを教える意味合いが高い絵なのだろう。ジェノヴァの足元に倒れていた化け物のようなものは、自分の中の悪い心に負けて、魔物のように振る舞うようになった人達の象徴だろう」

 ランシィは判ったような判らないような顔で頷いた。もう少し噛み砕いて説明した方がいいのだろうか。タリニオールは思わず考えこみかけたが、

「ランシィ殿が剣の道を志したのは、やはり女神ジェノヴァへの憧れからであるか?」

 旨そうに紅茶を飲みほして、ディゼルトが穏やかに問いかける。ランシィは即答せず、言葉を探すように首を傾げた。

「強くなりなさいって言われた」

「……カーシャムの神官殿に?」

 ランシィは首を振る。少しためらったその灰色の右目が、壁にかけられたジェノヴァの絵を映し、やっとランシィはなにかに納得したように頷いた。

「絵を宿屋に持ってきたらしい『灰色の服の人』に、言われたの。左目を取り戻したければ、強くなれって」

「左目を?」

 問い返したタリニオールに応えるように、ランシィは息を吸い込んだ。

「その左目、取り戻したくはないか。……ならば強くなるがいい。ふさわしい強さと、ふさわしい心を持つがいい、時の選びし者よ。ふさわしい力を持つ者に、ジェノヴァは剣を託すだろう……」

 吟遊詩人が楽器を片手に唄ったら、さぞ映えそうな旋律だった。それがランシィに与えられた言葉で、歌姫がそれに曲をつけたのだろうと、全員がすぐに納得した。ただ言葉の記憶だけでは時間と共に細部が食い違ってしまいかねないが、歌として覚えてしまえば、人は長く正確に記憶することが出来る。

「そのひとはすぐいなくなっちゃったから、詳しい意味は聞けなかった。その言葉が本当だとしても、『左目を取り戻す』っていうのが、本当に言葉どおり、わたしの目を治すことかはわからないし、『ジェノヴァが託す剣』っていうのも、本物の剣か、それとも、剣にたとえたなにかか、はっきりとは判らないよ、って、グレイスは言ってた。でも、ジェノヴァから剣を託されるのにふさわしい人間になるように努力するのは、けして無駄ではないんじゃないかって」

「カーシャムの神官殿なら、『ジェノヴァに剣を託される』という言葉にどんな重みがあるかは、判っているであろうからな」

 ディゼルトもタリニオールも、頭からランシィの言葉を信じているわけでもなかったが、逆に笑うつもりもなかった。ランシィをここまで連れてきた神官とその仲間達が、『灰色の服の人』の言葉を、彼女が生きる上での当面の目標にしても無駄ではないと判断した根拠があるはずだからだ。

「ノムスは、自分を守れるほど賢く強くなりなさいって言った。自分を守る力って言うのは、文字通り喧嘩に強くなるだけじゃないよって、グレイスもパルディナも言ってた。なにかを判断するときに、知識とか、知恵とか、力以外のものが身を守る助けになるって」

「ふむ……」

「ノムスの言ってたことと、『灰色の服の人』が言ってることは、実は同じことなんじゃないかって。だったら、ジェノヴァに剣を託されるのにふさわしい人になるために努力するのは、無駄じゃない。もしわたしがそうしたいのなら、そのために出来ることを考えようって、みんなが言ってくれた。だから、わたしがこの町の孤児院に入っても、カーシャムの道場に通えるようにグレイスがお願いしてくれたんだ」

「なるほど、そういうことなのか」

 ランシィに関わった大人達は、片目がないことを特別扱いせず、彼女が前を向いて生きていけるよう、手助けをしてくれたのだ。『灰色の服の人』の言葉を、無責任に都合良く解釈して、ランシィに特権意識を持たせるようなこともしなかった。

「きみは、本当によい出会いをして、良い仲間とここまで来たんだね」

 タリニオールの率直な言葉に、ランシィは嬉しそうに頷いた。

「ランシィ殿もそうであるが、その神官殿や歌姫殿のひととなりも、興味深くあるな。よければいろいろ話を聞かせてもらいたいものだ」

「私も、とても関心がございますが」

 それまで話の邪魔にならないよう、黙って控えていたエリディアが、穏やかに笑みを見せた。

「そろそろ頃合いでございますから、寝かせていた生地を窯に入れて、昼食の準備を整えてしまいましょう。お話は改めて、お食事の時にでもいたしませんか」

「うむ、賛成であるな」


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