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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第二章 騎士タリニオールの章
25/71

6.昼餐会<2/5>

「……まぁ、それは災難でございました」

 さんざんディゼルトが揶揄したものだから、結局いちから事情を話さなければいけなくなった。食後の紅茶を楽しみながら、昨日の一連の流れを話し終わると、エリディアはため息のように頷いた。

大事(おおごと)にならずになによりでございました」

「騎士が馬泥棒に襲われて動けなくなること自体が、既に大事だと思うがなぁ」

「それは反省してるって」

 まさか城下の、市壁の内側でああいった賊が活動しているとは思わなかったのだ。あまり衛兵を刺激しないよう、被害者にもなるべく手傷を負わせないようにと、地味に行っているのだろう。

「市民の中で、馬の需要が思ったよりも高まっているのかも知れぬな。市街地の人口はだいぶ回復しているが、田舎の農村地区はまだ差が激しいから、牧場も人手が足りずに育成が追いつかないのかも知れぬ。その辺りを少し突っ込んで調べてみるとよさそうだ」

「そうするよ。そのあたりから新しく雇用の機会ができるかも知れないな」

「まぁ、それはそれとして」

 珍しく真面目な顔つきで、ディゼルトが手にしていたカップを置いた。

「その片目の少女は、ずっとオルネスト殿が気にかけておられた子どもなのだろう? この二年、手を尽くして探していながらまったく情報が掴めなかったというのに、まさか同じ城下にいたとはなぁ」

「村から連れ出した神官殿のほかに、途中から、旅の歌姫がこの町まで同行していたのだそうだ」

 さりげなく二人のカップに紅茶をつぎ足すエリディアに、目で礼を言いながら、タリニオールは頷いた。

「町に着く時期が、オルネスト様の予測よりも遅れていたのは、歌姫の興行に合わせて移動していたからのようだ。どういういきさつで同行するようになったかまでは、まだ聞けていないが、どうやらその歌姫が、なかなかか深慮な方だったらしい。この町にサルツニアの部隊が駐留しているのを知っていながら名乗り出てこなかったのも、いろいろ理由があるのだろう」

「時間をかけて仲良くなって、いろいろお話ししてくれるようになったらよいですわね」

「うん、一二歳にもなれば、自分なりに考えていることもいろいろあるだろう」

 地方の小さな村で、両親の命を暴漢に奪われた上に左目も失い、最後の身寄りまでなくした少女、という表面だけのことだけでは、推し量れないものが彼女の中にはあるだろう。こうするのが彼女のためになるはずだ、などと大人の一方的な価値観を押しつけるのは、タリニオールにはためらわれた。

 もっと時間をかけて、彼女のために自分達はどうするのが一番いいのかを、オルネストとも相談して考えていきたい。

「しかし、カーシャムの道場で、大人と同じ稽古を受けているというのもすごいものだな」

 物思いに沈みそうになるタリニオールの意識を引き戻すように、ディゼルトが感心したように声をあげた。

「俺も一度、カーシャムの道場で助手をしていた男と手合わせしてもらったことがあるが、あれほど後悔した日はなかったぞ」

「そもそもどうしてそういうことを思いつくんだ」

「話の勢いとは恐ろしいものであるよなぁ……。一緒に手合わせ願った部下共々、揃って一週間ほど動けなかった」

「おつきあいされた皆様も災難でございましたわね」

 エリディアがくすくす笑う。ディゼルトは特に鼻白む様子もなく、いたく真面目な顔でエリディアを見返した。

「己の技量を知りたいと思うのは、武人の志として当然であるよ。でも考えてみたら、タリニオールにもまともに勝てないのに、カーシャムの神官相手など無謀であった」

「考えなくても気付くだろう……」

「しかし模造剣とはいえ、本物と素材がほぼ変わらないものを道場以外でも預かるくらいなのだから、その少女はよほど信頼が置かれているのだな」

「あの祖父殿に育てられたのだから、ほかの子ども達よりも考え方はしっかりしていそうだ」

 遠い記憶の中の、ランシィと同じ色の目をした老人の姿をタリニオールは思い返した。そして、村からの道程に同行したあの神官。いったいどういう関わりの中で、少女は剣を持つという決断をしたのか、タリニオールにはとても興味があった。

「……一度、お食事にでもお招きしてみたらいかがでしょうか?」

 タリニオールの心中を察したかのように、エリディアが優しく首を傾げた。

「もちろん、もう少し仲良くなってからの方がよろしいでしょうけど。時間を気にせずくつろいだ中でお話しできれば、お互いのひととなりもよりわかりあえると思います」

「ふむ……」

「タリニオール様は、その子のお祖父さまとお会いしたこともありますし、この町まで同行された神官様とも面識があるのでしょう? 大事な人の話ができる相手がいるだけでも、彼女には楽しいひとときになると思いますわ」

「賛成であるな」

 エリディアの言葉に感心したように、大げさにディゼルトが頷いた。

「心を通わせる早道は、同じ目標を持ってひとつの事柄を成し遂げ、同じ場で同じものを食べて飲むのことであるという。相手が子どもなら特に、ともに食卓を囲むのは有効であろう。ぜひその席には俺も招いてくれ」

「お前はエリディアの手料理が食べたいだけだろう」

「もちろんそれが最重要事項だ」

 しれっとディゼルトが答える。ディゼルトのようになりたいと思ったことは一度もないが、なにごとにおいても調子よくあれるのだけは、タリニオールには少しうらやましい気もした。



 騎士オルネストは、一二年前、自身の率いる傭兵部隊を一旦アルテヤの本隊に合流させた後、三年ほどアルテヤに留まり、前アルテヤ王に代わって即位したを友人のリュゴーを補佐していた。

 まだ騎士見習いだったタリニオールは半年ほどでサルツニアに戻り、その後はオルネストが本国に戻るまで別の騎士に仕えていた。オルネストはアルテヤ王の相談役に在任していた間、機会があればランシィの住む村に直接出向き、赤ん坊の成長を気にかけていた。

 オルネスト自身は本国に戻っても、定期的に村に使いを差し向け、村の様子を伺っていた。タリニオールがアルテヤ行きを承諾した理由のひとつには、行方の掴めなくなった少女を気にかけるオルネストの存在が大きかった。

 そのオルネストは、妻の健康状態が芳しくないこともあって、今は一線を退き、賜った領地を治めるのに専念していた。きっとランシィが望めば、喜んで養女として迎えるだろう。彼らはたぶん、一二年前からその心づもりであったに違いなかった。 

 タリニオールは折を見ては、ランシィの住む孤児院がある区画を訪ねるようになった。同じ城壁内にあっても、居住する区画によって住人の階級も生活水準も変わる。ランシィの住む辺りは古くからの住人が多く、粗末で雑多だが住人同士がそれなりによい関係を保っている区域で、治安もそこそこ安定しているようだ。

 ランシィは昼は学校に、午後や夕方はカーシャムの道場か孤児院の小さな子ども達の相手か手伝いか、といった様子で、なかなか忙しいらしい。それでも、最初の出会いで思いっきり失態を見せておいたのが逆によかったらしく、タリニオールが顔を見せるとランシィは笑顔で迎えてくれた。もっぱらかわいがっているのは馬の方だったが。

 ランシィは、普段は眼帯をつけていない。前髪で目を隠すでもなく、それが当たり前のようにごく普通に過ごしていて、もちろん周りの子ども達もそれを気にする様子もない。ランシィが眼帯を使うのは、今のところカーシャムの道場に通うときだけらしい。

「左目が見えないのが特徴だと言われるなら、それを最大限に利用しなさいと、一緒に町に来た歌姫に言われたんだそうですの」

 孤児院の管理者である神官の女は、タリニオールの何気ない問いにそう答えた。

「あの子の左目は、一見傷もなくて綺麗だから、逆に開かないことを奇異に思うものもいるでしょう。眼帯をつけていれば、なにか事情があるというのは一目で判りますわよね。特に子どもというのは面白いもので、一度そういうものだと受け入れると、特別扱いしたり、からかおうと思ったりしないようですの。ランシィがここに来た時も子ども達は、眼帯の理由を聞いて納得した後は、特にあの子との関係に問題はありませんでした」

「ああ、そういうものかもしれませんね」

「それに、人と出会ったとき、一番に記憶してもらえますでしょう? それはいずれ、どのような仕事で身を立てていくにしても、とても有利なことなのだと、教えられたのだそうです。あの眼帯も、歌姫がその時々の服にあわせられるように何種類か用意して、ランシィの為に刺繍まで入れてくれたのだそうですわ」

「そこまで……」

 たった数ヶ月の間に、ランシィは彼らとどれだけの信頼関係を築きあげたのか。結果的に、祖父を失ってすぐオルネストに保護されるだけでは得られなかった、たくさんの有益なものを得てきたのかも知れない。

「一度言ってたのが、『眼帯をして、剣を持ってるなんて、女神ジェノヴァみたいでかっこいいでしょう』って。カーシャムの神官殿に教えられでもしたのでしょうね」

「ジェノヴァ……」

 自分の剣の柄に施されている紋章の由来ぐらい、タリニオールも知っている。サルツニアの騎士叙任は、神剣ジェノヴィアの安置されているジェノヴァ神殿で行われるのだ。

『裁定の左目』を自らの剣に埋め、それを人間に預けた戦と裁きの女神。絵画では、左目を眼帯で覆った美しい戦乙女として描かれる。ランシィはひょっとして、左目がないという共通点にひかれて剣を学び始めたのだろうか。そんなに単純な動機で、大人に並ぶほどの実力が短期間で身につくものかは、いまひとつ考えにくかったが。

 やはり一度、ゆっくり話す機会をつくったほうがよさそうだ。ランシィが知らない、女神ジェノヴァに関する知識をそこそこ自分が持っているであろう事も、話の糸口としては有用であるようにタリニオールには思えた。

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