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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第二章 騎士タリニオールの章
24/71

5.昼餐会<1/5>

 タリニオールが館に帰ったのは、そろそろ昼が過ぎようという頃だった。孤児院を辞するとき、ランシィに言われ、仕方なく衛兵の詰め所に顔を出してきたのだ。

 開け放たれた門のそばで、花壇を手入れしていた年配の衛兵が、タリニオールの馬に気付いて慌てて定位置に戻るのが見えた。

 門をくぐって馬丁に馬を預けていると、玄関の扉が開く音がした。ぎくりとして顔を向けると、館の管理人である若い女が、扉を開き切るのも待ちきれない勢いで飛び出してきた。美しい鳶色の髪が風に踊る。

「タリニオール様! ご連絡もないままお戻りになられないので、心配しておりました」

「あ、ああエリディア、すまなかった。その……」

 柔らかな緑色の瞳に間近で見上げられ、今までさんざん頭の中で繰り返してきた言い訳がすっとんでしまい、タリニオールは曖昧に語尾を濁した。

 自分の師であるオルネストが探していた子どもが見つかった、と切り出して、流れをなんとなくぼやかして説明するつもりだったのだ。だがそれより先に、エリディアははっとした様子で、言い淀んだタリニオールの頬に手を伸ばした。

「その傷はどうなさったのですか? まぁ、腕にまでこんなに」

 転んだのだと、とっさに子どものような言い訳をしようとしたタリニオールは、開いたままの扉からもうひとり、知った顔がこちらを伺っているのに気付いて絶句した。サルツニアから派遣された、アルテヤ支援部隊を統括するディゼルトだ。

「朝早くに、エリディア殿がわざわざ使いをよこされたのだ」

 年齢も体格もひとまわり上のディゼルトは、タリニオールと目が合うと意味ありげに笑みを見せた。

「タリニオール卿が朝になっても戻らないから、急なお役目でもあったのかと心配しておられてな。卿は昨夜は市街で酒をたしなんだ後に、経験豊かな女人が管理する館でゆっくり過ごしている故、心配召されるなと伝えに来たところだ」

 事実だが、中間を省いている上に、意図的に誤解を与えそうな説明ではないかそれは。それ以前にディゼルトにはとっくに、自分が馬泥棒に襲われて保護された経緯がばれているのだろう。赤くなったり汗をかいたりで二の句が継げないでいるタリニオールには構わず、ディゼルトはわざとらしいほど誠実な顔つきでエリディアを見やった。

「男が連絡もせず朝帰りとなれば、女人には言い難いそれなりの事情があるものだ。ここは私に免じて、あまり深く問い詰めないでやって頂けぬか。そのかわりそなたの心の穴は、この俺がこころゆくまで埋めて進ぜよう」

「特に埋めていただくようなものはございませんが、そのようにディゼルト様がおっしゃるからには、きっと大事なお役目があったのでございましょうね」

 エリディアは軽く受け流すと、落ちつかなげなタリニオールにやわらかく微笑んだ。

「もしお昼がお済みでないのでしたら、すぐご用意できますが、どうなさいますか?」

「あ、ああ……お願いしようかな」

「はい、ディゼルト様もご一緒にいかがでしょう」

「エリディア殿のお誘いなら、ほかの用事を全て蹴ってでもお受けしよう」

 すました顔で調子のいいことを並べているが、慣れっこのエリディアは構わず軽く膝を折り、身を翻して館の中に戻っていった。その姿が見えなくなったところで、タリニオールはじろりと年の離れた悪友を睨みつけた。

「あれでは私が、やましいことでもしてきたかのように思われるだろう」

「嘘はついておらぬだろう?」

「ものには言い方というものが……」

 かばってくれているようで、人の失態を率直に笑い話にしない分たちが悪い。文句のひとつも言いたくなるというものだ。

「女遊びを心配されるくらいが、ちょうどよいと思うのだがなぁ。卿、まだエリディア殿に手を出しておらぬのか」

「て、手って!」

「こっちに来てもう二ヶ月であろう? わざわざ国から同行させておいて、同じ館にいるのになにごともないとか……」

 一瞬で首まで真っ赤になったタリニオールを見て、ディゼルトは頭が痛いとでも言いたげにため息をついた。

「エリディア殿のご両親もさぞやご心配であろうなぁ。いくら騎士でもこんな気の利かない奥手の男が相手では、見ていて歯がゆくて仕方ないだろうに」

「結婚も申し込んでないのに軽はずみな真似は……」

「嫁入り前の娘が、異国での任務に同行してもらって自分の身の回りの世話を任せたいなどと言われたら、普通は結婚の申し込みと取るであろうが。やっと婚約かと思えばこれであるからなぁ。今時一七そこらの男女ですらもう少しうまくやるぞ」

 タリニオールは言葉もない。もちろん、エリディアに話を持ちかけたときはそのつもりだった。

 エリディアは、タリニオールの実家に勤める使用人の娘である。使用人といっても、タリニオールの父親は貴族でもなければ役人でもない、多少よそより仕事に恵まれているだけの商人だ。エリディアの父と一緒に商売をしていた関係で、エリディアの母が館に手伝いに来ていたのだ。

 タリニオールは三男坊で、剣術以外にこれといった取り柄もなく、あまり華やかな場所を好まなかった。同年代の元気な男友達よりも、しっかり者で物静かなエリディアのほうが、一緒にいて気詰まりがなかった。

 成長するにつれ、いつの間にかエリディアがタリニオールの専属の世話係のようになっていったのは、双方の親の思惑もあったのかも知れないが、タリニオールの思考や生活の(パターン)を一番よく把握していたのがエリディアだったから、というのが一番の理由だったのだろう。

 なんの間違いでかオルネストに見込まれて、商人の息子から騎士見習い、そして騎士へとタリニオールの肩書きが変わっても、エリディアは態度も立場も変えなかった。あまりにも一緒にいるのが自然だったので、タリニオールは自分が、数年アルテヤに留まってディゼルトの補佐とアルテヤ王の相談役を勤めるように言われたとき、初めて、今の関係のままではエリディアを館に置いていかなければならなくなることに気がついた。

 タリニオールは鈍いだけで、考えるきっかけさえあればきちんと筋道を立ててものを考える事ができた。これまでを振り返ってあれこれ反省したり冷や汗をかいたりしつつも、やっとひとつの結論に至った。自分なりに時機(タイミング)も考え、滝から飛び下りるような気分で、

「私と一緒に、アルテヤまで行って欲しい」

 そう言ったときは確かに、婚約の段取りなどもあれこれ考えていたのだ。

 だが、なんのためらいも見せないエリディアにあっけなく承諾の返事をもらった瞬間、タリニオールは自分の失敗に気付いた。

 あの時タリニオールは、

「私と一緒に『なって』」

 と言うべきであったのだ。

 かくして、タリニオールの言葉どおりアルテヤ行きの手配を始めたエリディアに、婚約の話も切り出せないまま、道中ではほかの者の目もありあまり込み入った話もできず、着いてからはお互いがお互いの役目で慌ただしくしていたために、なにも進展しないまま今に至る。


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