3.騎士、異国にて過去と再会する<3/4>
薬に体が抵抗した分、余計に体力を使っていたのだろう。いつの間にかタリニオールは眠っていたらしい。
気がつけば、カーテンの隙間から朝の光が差し込んできている。
館の私室でもなければ城の自室でもない天井の色に、タリニオールはしばらくぼんやりと、自分がどこにいるのかを考え込んでいた。
窓の外からは子供達の声が聞こえてくる。なんとなく前髪をかき上げようとして、手の甲や腕に擦り傷があるのが目に入り、自分が動けなくなってここに担ぎ込まれてきたことをはっきり思い出した。
起き上がると、寝台の横のテーブルに、昨日あの少女が置いていった水差しと水飲みが置いてある。吸い口のついた水飲み以外にも、ちゃんとカップも添えられていたので、タリニオールはごく普通にカップに水を注いで口に運んだ。手足は問題なく動くようになっているし、気分も悪くない。
立ち上がってカーテンを開けると、窓の外はちょっと広めの庭になっていた。そこではレマイナの法衣を着た若い女に見守られた一〇人ほどの子供達が、木につながれたタリニオールの馬の周りにあつまり、水をやったり飼い葉を運んできたりしていた。
子供達の年齢はばらつきがある。一番小さい子で四歳くらいだろうか。あまり不用意に近づいて馬が蹴ったりしないか一瞬不安になったが、昨日の少女が馬に寄り添ってなだめるように首を撫でているせいか、周りではしゃぐ子供達を馬は寛大に眺めているようだった。
窓をあけようと、タリニオールが触れた窓枠がかたりと音を立てた。その音が聞こえでもしたかのように、少女の顔がこちらを向いた。今は眼帯をしていない左目は、しかし右目の動きには全く合わせないまま、まぶたを閉じたままだった。
目に見えた傷は一切ないが、少女の左目にはなにかしら事情があるらしい。自分の記憶の中でなにかが輝いた気がしたが、タリニオールがそれを拾い上げる前に部屋の扉が叩かれて、昨日門を開いた年かさの女が顔をのぞかせた。簡単だが朝食の用意ができるというので、厚意に甘えることにした。
再び窓の外に目をやると、さっきまで馬のそばにいた少女はもう姿が見えなくなっている。ちょっと落胆した気分で寝台に腰掛けると、少し経って、新しい水差しと果物の皿を乗せた盆を持った女と一緒に、さっきの少女が部屋に入ってきた。腕に抱えているのは、タリニオールのマントと剣だった。
「昨日は、危ないところをありがとう」
タリニオールは剣とマントを受け取ると、立ち上がって改めて頭を下げた。こんなに丁寧に礼を言われるとは思わなかったのか、少女は不思議そうにタリニオールを見上げると、あまり表情豊かとはいかないまでもそれなりの笑顔を見せた。
「どういたしまして、おじさん」
まだそれなりに若いつもりだったので、おじさんと呼ばれてタリニオールは一瞬言葉に詰まった。実際まだ三〇前だし、雰囲気こそは地味なものの、見た目もそんなに老けてはいないはずだ。しかし考えてみたら、自分は一度もここで自己紹介していない気がする。
「私は、サルツニアの騎士タリニオール。できれば、名前で呼んでいただけると、有り難いのだが……」
気を取り直したタリニオールの率直な自己紹介に、少女は目をぱちくりさせると、なにかに思い当たった様子で頷いた。
「そうか、お兄さんって言えばよかったんだよね。ごめんね」
「あ、いやその……」
「その子は町に来るまで、家族以外の者とあまり話す機会がなかったみたいで」
どうやら、自分のような反応をする者は初めてではないらしい。持ってきた盆をテーブルに置きながら、法衣の女が可笑しそうに口を挟んできた。
「大人の男の人は、年齢もご身分も関係なく、みんなおじさんと呼べばいいと思っていたようですの。悪気はないので気にしないでやってくださいな」
「あ、いや、そういうわけでは……」
「ほら、自己紹介していただいた時は、どうすればいいの」
最後の言葉は少女に向けてのものだった。少女はまた目をぱちくりせると、
「ああ、そうだった。ランシィです。今はこの家のこどもです」
「この家?」
「ここはレマイナ教会の孤児院でございますよ」
そうすると、外にいる子供達もこの施設で暮らしているのだろう。タリニオールは頷いた。
「しかし、ランシィの剣術の腕は素晴らしいものでした。どこかで学んでるのですか?」
「カーシャムの道場に行ってるよ。子供は昼なんだけど、私はもう昼の先生じゃ追いつかないって言われて、大人が来る夜の稽古に行ってる」
「カーシャムの道場で、大人と同じ稽古を受けているのか」
カーシャムの神官達の実力は、サルツニアで名だたる武人達も皆一目を置いている。自分も騎士の見習いをしていた頃はよく世話になったが、カーシャムの道場は戦場での戦い方だけでなく、一般の社会の中でのもめごとに対応する方法も教えてくれるので、とても参考になったものだった。
「カーシャムの道場はとても基準が高いのに、大人と一緒とはすごいものだなぁ……。何歳か聞いてもいいかな」
「このまえ一二歳になったよ」
得意げにするでもなく、ランシィは答えた。一二歳でこれなら、これからまだまだ伸びるはずだ。もともとそういう素質のある家柄の子供なのだろうか。そういえば、タリニオールが騎士だと判ったのはなぜだったのだろう。
「……その紋章のついた剣、持ってる」
タリニオールが問おうとしたことを察したかのように、ランシィがタリニオールの剣を指さした。
「持ってる? でもこれは……」
サルツニアの騎士に与えられる剣には、戦と裁きの女神ジェノヴァの紋章がついている。もちろん、正式に騎士叙任を経て賜るもので、おいそれと譲渡できるものではないのだ。過去に一度だけ、自分の師がある村に証として置いてきた例があるだけで……
「その左目……」
さっきから時折記憶の中できらめくものの意味に、タリニオールはやっと思い当たった。一二年前、麦の穂が黄金の海のように波打つ中に浮かんだ、小さな村で起きた出来事を。
「ツハトの村の、ノムスの孫娘のランシィか!」
その声に、ランシィが初めて動揺らしい色を瞳に見せた。それには気付かないタリニオールは、驚きと喜び以外はなにも考えないまま、ランシィの細い体を抱きしめていた。法衣の女はあっけにとられたようで、声も出せないでいる。
「ずっと君を捜していたんだ。こんなに大きくなったんだなぁ……」
感極まって半分涙ぐんでいるのが、タリニオールの声で判ったらしい。固まっていたランシィが、タリニオールの腕の中で「しょうがないなぁ」とでも言うように息をついた。




