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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第二章 騎士タリニオールの章
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2.騎士、異国にて過去と再会する<2/4>

 そんなに間を置かず、少女が呼んだらしい「知り合い」が数人駆け付けてきた。倒れた賊を縛り上げているのが、かけ合う声と人の体を動かす音から察せられた。

 タリニオールは顔が動かせないので、耳に入るやりとりだけが判断の頼りだ。どうやら彼らは正規の衛兵ではなく、住人の自警団のような者達らしい。賊を倒したのは少女がしたことだと判っているらしいのだが、そのことは特に驚いた様子もなさそうだった。

「こいつらはとりあえず衛兵の詰め所に放り込んでおくが、そっちの人はどうする?」

()()に連れていくから、その馬に乗せてあげてくれる? 薬が抜けるまで時間がかかると思うから、衛兵の人が事情を聞きたいっていうなら、朝にしてもらって」

「判った」

 話がまとまると、上を向いたまま動けないでいるタリニオールの顔を、大柄な男がのぞきこんだ。

「あんた、大事(おおごと)になる前に見つけてもらってよかったなぁ。この前馬を盗まれた男なんか、身ぐるみはがされてほとんど素っ裸で動けないのを、朝になって市場に行く娘達にみつかってたぞ」

 それはなんという悲劇。タリニオールは思わず心の中でその男の冥福を祈った。死んではいないだろうが。

「あんたぐらいにいい男なら、娘達も喜んだろうにな」

 からかうように言いながら、また男の顔が視界から見えなくなる。そのまま大人二人がかりで自分の体が持ち上げられた、と思ったとたん、竿にかけられる洗濯物のように、馬の背に放り投げられた。

 再び体が反転し、今度は地面と馬の脇腹だけが視界に入るようになった。首から裏返って地面に垂れ下がったマントを男達が体に掛け直してくれたのは、せめてもの情けだろう。


 少女が手綱を持って馬を引き始めたのか、体が揺れて視界の中の地面が後ろに流れ始めた。馬は背中の荷物を煩わしそうにするでもなく、素直に引かれて歩いている。

 痺れのせいで、時間の感覚まで麻痺しているのかも知れない。どれほど歩いたのかもよく判らないうちに、目的の場所に着いたようだった。馬が止まると、門にかかっていたらしい鐘がいくつかぶつかり合って、安っぽいが派手な音を立てた。呼び鈴の代わりらしい。音に気付いたらしく、門の少し向こうで慌ただしく扉が開く音がした。

「まぁ、帰りが遅いと思ったら、一体どうしたの?!」

 門は木戸ではなく、鉄の格子なのか、中の人間からは門を開ける前からこちらの姿が見えたようだ。年齢的には少し年かさらしい女の声と一緒に、閂が外され、門が開かれる音がした。再び馬が歩を進める。

「そのひとが、馬泥棒に襲われてたから」

「まぁ……」

 短い説明だが、すぐに納得いったらしく、ため息のように女の声が答える。

「人を助けるのはよいことですけど、そういう時は先に大人を呼ぶようにって、道場の先生にも言われたでしょう? もし相手の数が多くて、あなたになにかあったらどうするの」

「だって、馬が怖がってたんだもの」

 少女は少し面倒くさそうに、答えになっているようないないような言葉を返した。

 ひょっとして、自分ではなく馬を助けに入ったのだろうか。それなら、この洗濯物のようなぞんざいな扱いも頷ける。

 馬に乗せられたまま、建物の側ぎりぎりまでまでタリニオールが連れて行かれる間に、女に呼ばれて、建物の中にいた大人が集まってきた。四・五人いるが、なぜか男手はないようだ。タリニオールは肥ってはいないが、背も高くそれなりに鍛えた体つきをしているから、馬の背から下ろすのに女達はあれこれ思案している。

「危ないから、外すね」

 少女の声と一緒に、タリニオールの肩のマントと、左腰に帯いた剣が外された。剣の扱いに慣れているのか、革のベルトと金具を外す手際もいい。

 今度は女達の手が、タリニオールを落とさないように四苦八苦しながらも、なんとか仰向けに地面におろしてくれた。

 タリニオールはそのまま担架に移された。自分の体が低い位置に来たことで、少しの間だが全員の姿が視界に入った。

 年齢にばらつきはあるが、女達は皆同じ服を着ていた。白を基調とした法衣は、大地の女神レマイナに仕える神官の証である。ここはひょっとしたら、レマイナ教会の診療所か、それとも孤児院か。

 視線を巡らすと、女達の作業を邪魔しないように立つ少女は、タリニオールの剣の柄を不思議そうに眺めている。


 そのまま、木造の古びた建物の中に担ぎ込まれた。夜なので、建物の中は薄暗く、所々の燭台の灯りだけでは全体の雰囲気を察するまでにはいかない。

 寝台意外には余計なものをおく空間のない、まるで病室のような部屋に運ばれ、そのまま寝台に移された。移されたときに、体の下にいくつか枕を入れてもらえたので、動けないながらもタリニオールは、なんとか部屋全体を見回すことができるようになった。

「……アナドアラの根の毒かしらね」

 楽に横になれるようにか、タリニオールの胸元を緩めてくれる女のその向こうで、さっきの少女が少し年配の女と話をしている。少女の手の上には、布にくるんで持ってきたらしい、さっきタリニオールに傷を負わせた矢がひとつ乗っている。それに直接手を触れないように、女が匂いをかぎ、色合いを観察していた。

 レマイナの神官は皆、薬物や治療術の知識に長けている。医者としての資格を持つものも少なくない。手当の参考になるようにと、少女が矢を持ってきたのだろう。

「呼吸もちゃんとできてるし、動けないだけで意識はあるようだから、少し経てば、なにもしなくても抜けてしまうと思うわ。ただ喉が渇くでしょうから、お水に少し塩と糖蜜を足したものを飲ませてあげましょうね」

 少女が頷いて、布にくるんだ矢を女に預けた。こちらに背を向けているので顔はよく見えないが、身長はほかの女達より頭ひとつほど低い程度だろう。後ろ姿だと、少年とも思えそうな細い体つきだ。とてもひとりで数人の賊を簡単に打ち倒せるようには見えない。

 そのまま少女は奥に引っ込んでしまったが、しばらくすると、水差しと、吸い口のついた水飲みを盆に載せて戻ってきた。寝台の横の小さなテーブルにそれを置くと、水飲みに少し水を注いでタリニオールの口元に吸い口を突き出した。

 飲め、ということなのだろう。確かに少し喉が渇いてはいたから、タリニオールは抵抗せずに唇を動かした。人に水を飲ませてもらうなど、何年ぶりだろう。

 なんとかこぼさず、むせもせずに口に含んだ分を呑み込むと、タリニオールはやっとまともに少女の顔を見ることができた。

 だが顔立ちよりも先に目についたのは、少女の左目を覆う白い眼帯だった。炎症でも起こしているのかと思ったが、眼帯にはあまり派手ではないが花を象ったような刺繍が施してあって、手当のために一時的に使っているようなものには見えない。

「おじさん、サルツニアの騎士のひと?」

 あまり感情の見えない灰色の瞳に見返され、タリニオールは思考を中断せざるを得なくなった。後ろの女達がまさかというようにざわめいた。

 まぁ、あんな夜道を馬泥棒に襲われて、この少女に助けられるような間の抜けた男が騎士とはとても思えまい。

 しかし、いくら恥ずかしくても、ここで否定するわけにもいかない。なにを根拠にそう問われているかも判らないが、タリニオールは目と、微かに動くようになってきた首でなんとか頷いた。少女はさして驚くでもなく、タリニオールの頭から足下までをひととおり見回して、小さく息をついた。

 ああ、本気で呆れられている。タリニオールは自分の頬が熱くなるのが判った。無言でタリニオールを見返していた少女は、それまで表情の見えなかった右目を細め、口元をおさえて笑い出した。

 同じ年頃の少女に比べたら華やかさに欠ける笑顔だったが、悪意のあるものではなさそうだ。

「すぐに薬が抜けちゃうって言うから、おうちの人には知らせなくてもいいよね」

 恥をかかせないように気遣ってくれているのだろうか。少女は無言を了承の答えと受け取ったらしく、自分の倍くらいはありそうな年齢のタリニオールの頭を、慰めるようにぽんぽんと撫でた。

「誰にだって失敗はあるよ」

 タリニオールが微妙な笑顔を作ったのが判ったらしく、今度こそ、後ろの女達が吹き出した。


 そのまま、腕や顔の擦り傷に軟膏を塗りつけられながら、タリニオールは少女のその手を眺めていた。小さくて指も細いが、確かに剣を扱う者の手だった。

 一体この少女は何者だろう。なぜ自分をサルツニアの騎士だと見抜いたのだろう。左目の眼帯にも、なにか記憶に引っかかるものがある。

 聞きたいことは山ほどあったが、うまく口もきけないこの状況ではじたばたしても仕方ない。ここはおとなしく厚意に甘えることにして、明日の朝にでも礼を言いがてら話を聞いてみよう。

 腹を決めた後は、タリニオールは少女のするに任せておとなしく薬を塗られていた。傷に軟膏をすり込まれる度に軽い痛みを感じたから、言われたとおり、しびれ薬の効果は少しずつ切れてきているらしかった。

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