17.ふさわしい強さと心<3/5>
「あんたみたいな若い神官さんが、こんな冬の時期に、小さな女の子を連れて旅をしているっていうのも、なにか理由があるんだろうね。見た感じ、妹さんってわけでもないようだし」
「はぁ……」
「神官さんなら、教養もあるだろうし頭も働くだろうが、パルディナには、あんたの知らない、いろいろな伝説や伝承の知識がある。俺はただの旅芸人だが、あんたにはない人生の経験ってものがある。なにか変わった事情があるのなら、知恵を貸すくらいのことはできるかも知れないよ」
確かに、一人で考えることには限界があるかも知れない。王都までたどりつければ、カーシャムの教会に限らず公的機関に相談もできるが、それまでは一人でランシィを守らなくてはいけない。
相談までいかなくても、客観的な意見を言ってくれる者がいればそれだけで心強いかも知れない、とは思う。
「ひとつの視点からじゃ見えないことが、ほかの人間の目からならあっさり見えることもある。たとえなにもできなかったとしても、人に話すことで流れが整理できて、今後のことを考える助けになるかも知れない。どうだろう」
だが、出会ったばかりのこの二人に、ランシィの事情を簡単に話してしまっても良いのだろうか。グレイスは伺うようにランシィに目を向けた。
「……このひと達に、君のこれまでのことを話してもいいと思うかい?」
すっかりカップを空にして、底に残る赤茶色の粉をもの惜しげに眺めていたランシィは、グレイスの声に目を瞬かせた。少し考えて、
「『外套着せたって、足が雪の中に埋まってたら冷たいじゃない、早く戻ってきなさいよ』」
「え……?」
パルディナとグレイスが揃って声を上げた。はっとしてグレイスがランシィの足を見ると、だいぶ乾きかけてはいたが、雪に埋まった部分の服の裾に濡れた後があった。
「このお姉さん、いい人だと思う」
「あれが聞こえたの? ……まいったわね」
パルディナが離れた場所から雪の中での彼らの会話を聞きわけたように、ランシィにも、離れた場所で見ていたパルディナの呟きが聞こえていたのだ。双方の声量に差があった分、聴覚の鋭さはランシィの方が上のようだ。
パルディナの表情が、子供を見る大人の顔から、対等の相手を見るものに変わったのを、グレイスは見て取った。
「最初から、あなたに聞くべきだったわね。ランシィ、あなたの事情や、さっきの雪の中の出来事を、教えてもらって構わないかしら?」
ランシィは小さく、だがはっきりと頷いた。
ランシィには、知識や経験のある者から積極的に意見を取り入れようとする柔軟さがある。今はランシィの判断を尊重してみよう。グレイスはカップの中の液体を口にしながら、なにから話すのが一番判りやすいのか、思案を巡らせ始めた。
とはいえ、子供は子供なのだ。夜も更けていたこともあり、体が温まったらランシィはすっかり眠くなってしまったらしい。
パルディナはランシィを自分の寝台に潜らせ、寝息を立てるランシィの髪を撫でてやりながら、グレイスの話を聞いていた。柔らかな寝具の中で、ランシィの寝顔はなんだか安心しているように見える。
あいた鏡台の椅子に、ちょっとおさまり悪く腰をかけ、グレイスは話を続けた。
自分が北の山地を越えてサルツニアから来た経緯。ランシィの祖父から聞かされた話と、その祖父の死。サルツニアの騎士オルネストが、一〇年前のランシィの為に残していった剣。女神ジェノヴァの絵から、その剣にある紋章の意味をグレイスが悟った直後に現れた、灰色の服の男。
見せてよいものか迷ったが、ここまで話せば同じ事だろう。グレイスはランシィの家から持ち出してきた、オルネストの剣を二人に見せた。さすがにサルツニアの騎士剣を見るのは初めてだったのだろう、二人とも神妙な面持ちで、美しい装飾の施された剣をのぞき込んでいる。
「確かに、できすぎてるくらいよね……」
話が一段落すると、パルディナは考え込むように頬杖をついて頷いた。
「話の流れから考えると、絵をこの宿に持ち込んだのは、さっきあなたたちが会ったっていう灰色の服の人と同じってことよね」
「そう考えると、ジェノヴァのことを口にしてたのも判らないではないんですが」
宿の女主人は、絵を持ってきた男の服は、グレイスが着ているものに似た形だったと言っていた。さっきは距離があったから細部まではっきり判別できなかったが、確かにあの男の服は、神官の法衣と形が似ている気がする。
しかし、灰色の法衣など自分は聞いたことがない。
「ジェノヴァ神殿の、神官なんじゃないのかしら?」
「そうだとしても、灰色がジェノヴァの何を象徴した色なのか判りません」
カーシャムは死と眠りの神だから、夜や目を閉じたときの闇を連想させる黒い法衣なのだと一般には言われる。だとすれば、半身のジェノヴァに仕える神官は、何色の服を与えられるのだろう。灰色なら、それが意味するのはなんなのだろうか。
だがそもそもジェノヴァ神殿は、カーシャム教会建屋と同じ扱いのはずだ。歴史の古い建物なので、例外的な慣例が内部にあるのかもしれないが。
あの男がジェノヴァ神殿に関係のある者で、なんらかの神託めいたものを授けに来た。そう考えると確かに話はぐっと判りやすくなるのだが、なにぶん裏付けるものがなにもない。そのあたりは性急に結論づけできない。
「それはそれとしても、『時の選びし者』っていうのは、どういうことかしら」
「……資格がある、という意味じゃないか」
空になったグレイスのカップに、今度はぬるめの白湯を入れて差し出しながら、ユーシフが言った。
「その灰色の服の男は、ランシィを『時の選びし者』だと言いはしたが、剣をくれると確約はしなかったんだろう?」
「そうね……」
頷いて、パルディナは思い起こすように瞳を伏せた。
「その左目、取り戻したくはないか。……ならば強くなるがいい。ふさわしい強さと、ふさわしい心を持つがいい、時の選びし者よ。ふさわしい力を持つ者に、ジェノヴァは剣を託すだろう……」
即興らしい、柔らかな旋律に乗って、パルディナの唇から男の残した言葉が流れた。歌にすることで、よりはっきりと記憶の中に言葉を刻み込むかのようだ。大きくはないが美しいその声に、グレイスは状況を一瞬忘れてため息をついた。
「……つまり、ランシィにはジェノヴァの剣をもらい受ける資格があるのかも知れない、ということよね。ただ、権利は確約されていないから、剣をもらい受けるための条件を備えなさい、ということじゃないかしら」