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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第一章 神官グレイスの章
15/71

15.ふさわしい強さと心<1/5>

 自分達の部屋として与えられた納戸まで一旦戻ると、引き戸が細く開かれ、ランプの灯りが廊下に洩れて伸びている。ランシィの寝具は空になっていて、触れるとまだ温かい。

 グレイスは自分の外套を掴み、それを羽織る余裕もなくまた廊下を駆け出した。さっき窓から見えた子供の後ろ姿は、ひょっとしたらランシィではないのかもしれない。だとしてもこの時間、外套もなしに子供が外を歩いているのは尋常ではなかった。

 手伝いをしていたおかげで、建物内の出入り口はあらかた覚えていた。グレイスは迷わず裏庭に続く扉に向かった。

 もうこの時間は出入りができないはずの、扉の錠が外れている。

 外に出ると、凍り付いた夜の空気が、温まっていたグレイスの顔と体にまとわりついて、息が詰まりそうになった。だが、すぐに点々と続く足跡が目に入り、グレイスは持ってきた外套を羽織るのも忘れて雪の中に駆け出した。

 普段は全体的に草地なのだろう、木も植わっていなければ特に障害物もない。足跡をたどるとすぐに、広い平地の向こうに小さな後ろ姿を見つけることができた。この寒さの中、外套も羽織らずに、ランシィが草原の向こうに広がる闇を見据えるようにただ、立っている。

 ランシィの聴覚なら、自分が慌てて追いかけてきていることに気付いていそうなものだ。だがランシィは振り返りもしない。あと少しでランシィに追いつくというところで、草原の更に向こう、白い雪の中に溶け込んで、もう一人誰かが立っているのに気がついた。



 なぜここまで気がつかなかったのかはすぐ判った。彼が着ている服は、夜の闇にも雪の中にも目立たない灰色だったのだ。剃っているのかもとから生えていないのか、頭は丸坊主だ。夜目では全身が、夜の雪景色の中に紛れてしまっている。

 不思議なのは、宿から続く足跡はランシィ一人だけのもので、ランシィから灰色の人物までの間の地面は、足跡ひとつないなめらかさだった。あの人物はどこから来たのだろう。少し離れた背後には山しかないというのに。

 グレイスが自分に気付いたらしいのを見て取ったのか、灰色の人物は静かに微笑んだようだった。男だというのは判ったが、夜目遠目では年齢までは判別できない。判るのは、子供ではないという程度である。

 グレイスが横に並んでも、ランシィはその人物から顔をそらさなかった。グレイスが声をかけるより先に、灰色の男が口を開いた。

「その左目、取り戻したくはないか?」

 低いのに、驚くほどよく通る声だった。感情の見えない瞳で男を眺めていたランシィが、はっとしたように身じろぎした。

 なぜあの男は、ランシィの左目が見えないのを知っているのだ。グレイスは警戒したが、ランシィは多少硬い表情になったものの、はっきりと頷いた。男に向かって。

「なら、強くなるがいい」

 言い聞かせると言うよりは、当然のことを淡々と語るような声だった。

「ふさわしい強さと、ふさわしい心を持つがいい、時の選びし者よ。ふさわしい力を持つ者に、ジェノヴァは剣を託すだろう」

「時の選びし……?」

 問い返したのはグレイスだった。だが男は視線をランシィからそらさないまま、小さく頷いた。話は終わったとばかりに、こちらに背を向ける。

 グレイス思わず、呼び止めようと足を踏み出しかけた。

 不意に、それまでやんでいた風が吹き抜け、積もったばかりの雪を舞い上げた。グレイスはとっさに、ランシィを風から守るように抱き留めた。舞い上がった雪は視界を奪い、男と自分達の間を白く隔てた。

 舞い上がった雪が落ち着いて、視界が戻る頃には、もう男の姿はそこにはなかった。姿どころか、残されているはずの足跡もない。男のいた場所まで行ってみるべきかとも思ったが、自分に抱えられたランシィが体を震わせたのに気付き、グレイスは慌てて、持ってきたまま羽織るのを忘れていた外套をすっぽりとランシィにかぶせた。

「雪の夜に一人で外に出るのは危ないよ」

「……呼ばれたのが聞こえたから」

 屈み込んで視線を合わせたグレイスにそう答え、ランシィは男がいた方向に改めて目を向けた。

「誰か知ってる人だったのかい?」

 ランシィは首を振る。グレイスは小さく息をつき、ランシィの頭を撫でた。話を聞くにしても、ここにこのままではお互いに辛い。

「とにかく、中に戻ろう。風邪引いちゃうよ」

 ランシィに外套を着せてしまったので、グレイスは法衣だけである。風も雪もやんでいるとはいえ、真夜中の外気にこの軽装はなかなか厳しかった。ランシィの背中を抱えるように押しながら宿の建物に戻り、扉を開けて、グレイスはぎくりと身をすくめた。

 静かな怒りに瞳を燃やした美しい歌姫が、両の手を腰に当てて待ちかまえていた。

 そうだった、歌姫の情熱的な攻勢をすっかり放ったらかして飛び出してきたんだった。なにも悪いことはしていないのに、グレイスはなぜか逃げ出したい気分に駆られたが、ランシィの手前そうもいかない。ランシィは、歌姫がここにいる理由自体が判らないので、目をぱちくりさせている。

「一体どういうことか、きっちり説明してもらえるかしら?」

 子供が夜中に一人で外へ出て行くのを見たら、追いかけるのは当たり前じゃないか……

 グレイスは言い訳の代わりに引きつった笑みを浮かべた。一体自分は何をどうすればよかったのか、どこを間違ってこんなことになっているのか、思い返してみたが、さっぱり原因も理由も判らない。判っているのは自分が、歌姫のご機嫌を徹底的に損ね続けているらしいことだけだった。

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