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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第一章 神官グレイスの章
11/71

11.歌姫との夜<3/6>

 やがてリュートが、時を告げる鐘のように観客の心を食堂の中に連れ戻した。

 夜もだいぶ更けて、この宿の客でない者は、ここで切り上げる話になっているらしい。

 親に連れられてやってきた子供達は皆名残惜しそうだ。そんな子供達を並べ、歌姫は用意していた一抱えほどのかごのなかから、小さな紙包みを手渡している。色とりどりの紙に、なにか小さな丸いものが包まれているようだ。帰るのを渋っていた子供達はそれを受け取ると、おみやげを持たされたことで納得したのか、素直に親の元に戻っていく。連れてきた親たちの方が、帰るのを残念がっているように見えた。

 グレイスとランシィは、代金を払って舞台を見ているわけではない。ここで退場しなくてもいい代わり、ほかの子供達のようにあれをもらいに行く権利もない。だが、めざとくランシィを見つけたらしい歌姫が、可愛らしい仕草でランシィを手招きしている。

 伺うようにランシィがグレイスを見たので、気付いた歌姫が今度は自分に向かって目配せしてきた。グレイスは微笑んで、ランシィを床におろし、背中を押してやった。

 ランシィは嬉しそうに歌姫のもとまで駆け寄り、紙包みを受け取ってまた戻ってきた。紙は虹のように鮮やかに染められていて、それだけでも子供にとっては宝物のようなものだろう。

 グレイスがぺこりと頭を下げると、歌姫はなぜか少し驚いた様子で何秒かじっとグレイスを見返し、さっきランシィに見せたのとは違う、艶やかな笑みを見せた。不意を突かれて、グレイスは息が詰まりそうになった。

 思わせぶりも歌姫の演出なのだと判ってはいても、胸がざわめいてしまう。修行が足りないのかも知れない。



 時間になった人たちが退出するまでの間は、歌姫の休憩時間にもなっているようだ。

 歌姫が舞台裏に消えている間、座る場所のなかった者達が舞台近くの空いた席に移動していったり、飲み物をもらったりしている。

 グレイスとランシィも、遠慮がちに舞台の近くに場所を移した。ランシィは空いた椅子をもらえたので、それに腰をかけた。

 ランシィが眠そうなら切り上げる気でいたのだが、好奇心で気が昂ぶっているのか、全くそんな素振りがない。ほかに子供がいないわけではないので、もう少しくらいならいいだろう。

 つかの間、緩んだ空気を引き締めるように、静かにリュートの音色が響き始めた。あわせて歌姫が姿を現すと、観客の空気がどよめいた。

 歌姫は、さっきとはまた違った衣装になっていた。肩を紐で結んだ淡い紫色の薄手のドレスで、裾は長いがさっきよりも体の線がよく判る。唇の紅も引き直したらしく、濡れたような鮮やかさが目に眩しいくらいだ。ここからはちょっと大人向けの歌になりそうだ。

 少しの歌姫のお喋りの後、始まったのは異国に旅立った恋人を思う若い娘の歌だった。これはどちらかといえば、女達の琴線に触れたらしく、最後では涙ぐんでいた者も多く見られた。

 この歌のように思ってくれる女性がいたら、自分はこんな旅はしていないかも知れないな。歌声に耳を傾けながら、グレイスは呑気なことを考えていた。ランシィは歌の内容はぴんと来ていないようだが、静かな歌声にあわせてゆっくり肩を揺らしている。

 この分なら子供がいても大丈夫かと、油断をしていた矢先に、リュートの旋律が早くなった。

 ここからが本番だと言わんばかりの、情熱的な愛の歌である。

 歌が変わると内容にあわせて、歌姫の顔つきや動きも変わる。さっきまでの清楚な雰囲気から一転、潤んだ瞳になまめかしい仕草が加わってきて、その急な変化にグレイスはさすがに目を奪われた。

 歌姫は歌いながら、その熱い瞳で時折男達の視線を捉えた。グレイスも例外ではない。

 見られた方はまた自分に視線が向くかも知れないという期待も増して、もう目もそらせず見入ってしまう。その唇から流れる愛の言葉は、視線が合っていなくても強烈に耳に入り込んで来るのだ。これだけの人数がいるからまだ、出し物として分別はつくだろうが、これを一対一でやられたらどんな男でも虜になってしまうだろう。

 贈り物を持って、歌姫の後を追いかけてくる男達の気持ちがグレイスにも判るような気がした。この熱く甘い声と濡れたように輝く瞳は、若い男にはとても刺激的だ。

「……んだろう?」

 意識ごと歌の中に引き込まれそうになっていたグレイスは、袖口を小さな手に引かれ、はっと我に返った。歌はもちろん続いているが、内容があまり理解できていなさそうなランシィが、椅子に座ったままグレイスの服をつかんで引っ張っている。

「な、なんだい?」

 胸の動悸を整えながら聞き返すと、ランシィはグレイスの様子を不思議そうに見返した後、壁際に向かって指をさした。

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