羽柴の場合
三田と羽柴は相変わらず教室で話をしていた。
「もうすぐ冬かぁ……」
「ああ、冬だな」
「冬はさらに防寒力アップの季節になるなぁ」
「タイツを履く女子もいるしな……」
「あ、でも僕はマフラーしてる女子っていいと思うんだよね」
「! ……さすが羽柴。お前、分かってるな」
「ふっふっふ。あのマフラーに顔を埋める女の子の仕草がたまらないよね」
「あれマジ可愛いよな。なんつーの、チラリズム? ちょっと違う?」
こいつら女子以外の話をしないのか、と周りのクラスメイトが聞いていたら思っただろうが、教室の雑音は二人の談義を上手いことカモフラージュしてくれていた。
「午後は家庭科かぁ……」
「料理な上手な女子はもちろん良いけど、苦手ながらも精一杯料理する女子も良いよな」
「分かる分かる。失敗しちゃっておろおろしてたりしてると、もう、ね!」
そこへ近くの席に倉野と柿崎が着席した。思わず、二人はそちらに目をやった。
「……マフィン上手く焼けるかなぁ……」
心配そうにそう言うのは柿崎だった。
「倉は料理上手だし、羨ましいな。倉のお菓子もらえるの楽しみにしている男子多いんじゃないかな」
「ええ? そ、そんなことないよ」
「班ごとにお菓子違うし、交換と称して声かけられるんじゃないかな」
三田と羽柴は頷いた。倉野のマフィンならぜひ賞味させていただきたい。
「私失敗しそうだし、そしたらそのへんの男子におしつけちゃおうかなぁ」
三田と羽柴は頷いた。失敗しようが柿崎のマフィンがもらえるならぜひ。
そんなこんなで、午後の家庭科の授業はつつがなく終了した。
同じ班の三田と羽柴は一緒にクッキーを作る羽目になったが、いびつな形の端焦げ焼き菓子になってしまった。だがそれもご愛嬌というやつで、味はまぁまぁだった。
家庭科室から教室に戻る際、忘れ物をしたという羽柴を置いて先に歩いていた三田だったが、途中で声をかけられた。
倉野だった。
「なんだ?」
「あの……」
倉野が手提げの紙袋からなにかを取り出した。
「これ、よかったら」
受け取ってまじまじと見つめると、それは綺麗に焼けたマフィンだった。
「え、これって……」
「この間、一緒に帰ってくれたでしょ? だから、お礼のつもりなんだけど……」
倉野が恐る恐るというった風に三田を上目遣いで見上げる。
三田は自分の額に汗が滲むのがわかった。
「マジ、か」
手の中にはあの倉野のマフィンが確かに乗っかっている。夢ではないのか。三田は自分の手の甲をつねってみた。夢じゃなかった。
「うおっしゃああああらっきぃいいい!!!」と叫びたかった三田はそれを我慢して、倉野に笑いかける。
「お礼って、俺が誘ったんだし、そんな気を使わなくていいんだぜ?」
「でも一緒に帰って……楽しかったし」
倉野がほわっと笑った。
秋なのに、まるでそこだけが暖かい陽だまりが灯ったかのようだった。
三田は自分の心臓が速くなるのを感じた。
「……倉野、ありがとな! 大事に食うわ!」
「大事にって……」
「倉ー!」
後ろから柿崎が駆け寄ってくる。
「あ、柿ちゃんだ」
「じゃあ、俺先行くわ。マジでマフィンありがと」
三田はスキップしそうになるのを我慢しながら教室に戻った。
時刻は午後九時。
羽柴はテキストを鞄に入れると、塾の教室を出た。
なんだかんだと来年は受験生のため、羽柴はこうして塾に通っているのである。
一応夕方に腹ごしらえを談話室でしたのだが、いかんせんそれでは足りない。
早々に帰宅して冷蔵庫を漁らなければならない。いや、もう少しお金があればコンビニでも寄りたいのだが……。
塾の玄関に来たところで、羽柴は見慣れた後ろ姿を見つけた。思わず声をかける。
「柿崎さん」
クラスメイトの少女は呼ばれて後ろを振り返る。と、目を皿のように大きくした。
「は、羽柴……」
「そういえば柿崎さんもこの塾通ってたんだっけ。僕はカトヤン先生の数学だったけど、柿崎さんは?」
「わ、私は、キョーコ先生の英語よ」
はて? と羽柴は思った。なんとなく、柿崎の様子がおかしい気がする。
「あの、さ。羽柴さ……」
「うん、なに?」
「この間、さ」
「この間?」
問いかけると柿崎が俯いた。柿崎の長い髪が肩から溢れる。
そこで羽柴は思ったことを先に言ってしまった。
「柿崎さん、髪結んでみたら?」
「へ?」
驚いた顔をして柿崎が顔を上げた。
「うんうん、ポニーテールとが絶対似合うよ」
やっぱり女子の髪型はポニーテルがいい。ことに、柿崎ならよく似合うだろう。
「ポニーテール?」
柿崎は自分の髪を細い指でいじる。
「二つ結びとか首の横で結ぶのも似合うと思うけど、柿崎さんにはポニーテールが一番似合いそうだよ」
「そ、そうかな?」
「うん、絶対そう。僕、柿崎さんのポニーテール見てみたいなぁ」
と言ったところで羽柴はしまったと思った。自分の欲望が駄々漏れではないか。
しかし柿崎は気を悪くした様子もなく髪をいじり続けていた。その姿が普段は大人っぽい柿崎を歳相応、いや子供っぽく見せていて、羽柴の胸をくすぐった。
「……羽柴、私のポニーテール見てみたいの?」
思わず魅入っていた羽柴は慌てて答える。
「え? そりゃ、もう!」
「ふーん。そっか」
柿崎は壁の時計に目をやった。
「私、迎えが来てるからこれで。じゃあね」
「うん、ばいばい」
羽柴はなんとなく、柿崎が去っていった方向をしばらく見つめていた。