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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第6章  過去より巣立つ序曲~オーバーチュア~
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第93話  ~許せぬ理由~



 ティルマ=ハイン=リクラプト。それは12年前、魔王マーディスが存命だったあの頃だが、サルファード家に使用人として雇われる形で住み込んだ者の名だ。


 ルオスの小貴族、リクラプト家の長女として生まれた彼女だったが、ある時に実家が事業に上手くいかず、その家そのものが大きく傾いてしまった。貴族家に生まれた彼女とて働きに出ることが余儀なくされ、そんな彼女を雇ったのがサルファード家だったのだ。


 その3年後、ティルマはチータの専属使用人となる。言い換えれば、専属メイドとも言えよう。同時に彼女は、元よりルオスの貴族として身に着けていた魔法学の知識を買われ、チータに魔法を教える立場としても選ばれたことになる。


 普通、魔導帝国ルオスの三大名家、サルファード家ともなれば、高名な魔導士を子供につけ、英才教育を施すのが常である。現在の当主、チータの父も幼少時はそうされていたし、チータの姉や兄ライフェンもそうだった。チータだけがそうでなかったのは、父は長女と長男から随分と年の離れたチータのことを、跡継ぎとして重視していなかったからだ。チータの姉は魔導士として優秀だったし、ライフェンも当主を継ぐに向けて"貴族としては"優秀だったのも、父がチータに無興味だった理由だろう。


 魔王マーディスが存命のうちは、父もチータにもう少し力の入れた魔導士をつけていたが、それは戦乱の世に向け、戦える駒をサルファード家の血から輩出するためだ。魔王マーディスが討たれた1年後、つまり9年前、金をかけてまで雇う気難しい魔導士に見切りをつけ、魔法を使える使用人をチータに与えたのは、父にとってチータが心底興味のない存在になったことの表れだった。


 幼心にそれを察知したチータも、当初はティルマを受け入れなかった。だが、ティルマは何度チータにそっぽを向かれても、彼に心を開くことを求めることをやめなかった。長く受け入れなかった彼女と少しずつ向き合うようになれば、心優しい彼女の姿が見えるようになり始め、チータも彼女を師として認識するようになった。根は曲がっていなくとも家のことで忙しい姉や、はじめから弟を見下していた兄ライフェン、自らに興味を持たない父という家庭の中、既に他界していた母にさえ代わるほど、優しく接してくれたティルマとの距離は、次第に短いものとなっていく。


 塞ぎこんでいた一時と比べ、信頼できる人物を一人見つければ、モノクロだった世界も色を帯びてくる。少しずつだが、忙しそうな中でも姉と会話できるようになってきていたし、他の使用人からは気難しいお坊ちゃまなんて言われていたという昔話を、昔話として使用人から聞けたものだ。つまりはそれだけ、そうした頃のチータからは変われたということ。自分が変われば、己を取り巻く世界も変わる。ティルマがよく教えてくれたひとつの真理を、実証するひとつの例だった。


 暗い十年を過ごしてきた自分を、出会ったあの日から徐々に彩ってくれた彼女。今でもあの人のことは忘れていないし、今後も二度と忘れることはないだろう。もう二度と会えぬと思うだけで胸が痛むその顔を思い出し、そうさせたサルファード家を、チータは今も強く憎んでいる。











「いつだって前向きで、朗らかな方でした。月に一度、ルオスに赴くたび、顔を合わせるのが楽しみな人でしたよ」


「そうですね。あれだけ虐められていたのに、人前では決して泣き言の一つも言わない。僕には、あんな生き方が出来る自信はありません」


 没落貴族のお嬢様が、名家の使用人として転がり込む姿は、卑しい負け犬として貴族間では罵られる対象になりやすい。サルファード家は貴族の出入りが多い名家だが、メイド服に身を包むティルマを貴族達は見下し、時には嫌味のひとつでも言って去っていくのだ。貴族に育てられたチータも、幼少時はティルマをそういう目で見ていた過去があり、今ではそれを恥じてすらいる。


 また、貴族の一部は身分の低い者に対する当たりがきつい。それはチータの父やライフェンでもそうなのだが、出来の悪い使用人を罵るのはまあいいとしても、ちょっと嫌なことがあればすぐに八つ当たりの対象として、低い身分の者を虐め始めるのだ。チータの父は年をとって落ち着きが出てきたせいか、表沙汰にそういうことはしなかったが、彼の育てたライフェンが事あるごとに低い身分の者を罵倒し、蔑む姿を見れば、チータの父がどういう人物かなどお里が知れるというものだ。それをライフェンの弟である身内、チータでさえもが感じるのだから、悪い冗談のような話である。


 そうして当たり散らされた者の苛立ちの矛先もまた、後輩使用人のティルマに向きやすい。ましてティルマは元貴族の身分であり、貴族に理不尽な罵りを受けて荒んだ心の者達にとっては、格好のストレス発散対象となる。同じ使用人同士であるにも関わらず、みんなしてティルマの仕事の足を引っ張ったり、あるいは無茶な仕事を振りつけたり。目に見えてそんなことが繰り返されていたにも関わらず、放置するだけどころかかティルマばかり叱りつけていた父だからこそ、あの親ありにしてあの兄ありとチータが結論づけられる。家主からも、貴族を憎む同僚からも、攻撃の対象にされる没落貴族の行く末は悲惨なものだといわれるが、現実として目にしたチータにとっては、あんなに胸糞の悪くなる光景は無かっただろう。


「私は、あの人があのような非道に走る方であるとは思えなかったのです」


「それは僕も同じことです。今でも、信じることが出来ません」


 そんな境遇の中でも、めげずに胸を張って生きてきたティルマ。彼女を近くで見てきたチータ、付き合いのあったルーネには、拭いきれないひとつの疑念がある。それが、5年前に起こった、ある一件の出来事だ。


「サルファード家とラッフルズファミリーの商談記録の偽造書――果たして、ティルマさんという人物の立ち位置から、作れたものだったのでしょうか?」


「……極めて客観的に見れば、作れぬものではなかったでしょうね」


 5年前、サルファード家が取り仕切る商談記録の中に、不正取引と思われる痕跡が見つかった。どう計算しても、多額の金が横領されているようにしか見えない金の動きだったのだ。記録を辿ったその先にあったのは、一枚の偽造書。それを作ったのが、ティルマであったと結論付けられた。


 当時、サルファード家の金庫番を務めていた一人に、21歳であったチータの姉、ミュラーの名もあった。ティルマは使用人という立場ながら、ミュラーとは仲が良かった。ティルマの方がひとつ年上であり、ミュラーもあの父に育てられた割には気さくな人物で、両者の関係は良好だったのだ。


 そのミュラーが管轄する、ラッフルズファミリーという商会とサルファード家の取引において生じた明らかな違法行為。まず疑念はミュラーに向くが、その不正取引によって生じるはずの不当な利益の行き先が明らかにならなかった。ミュラーが自らの懐に入れていれば話は早いが、そもそもミュラーは金に困る位置に立っていない。日頃難しい立場を担っているだけあって、父に駄々のひとつでもこねれば、多少の金を引っ張り出せるはずの立ち位置なのだ。結局、偽造書が発生するような管理能力を問題視され、ミュラーはその仕事からは降ろされる形になったのだが、周囲の反応としては主犯がミュラーであるという推察は、あまり真実味を持っていなかったらしい。正直チータも、あの姉がそんな小賢しいことをする人には見えていなかった。


「1年も経ってから、その容疑がティルマさんにかかってきた。……私にはこれが、意図して組まれた長い謀略にしか見えないというのが、正直なところです」


「はい。僕もそう思っています」


 なぜなら、すべてを繋げて見るならばあまりにも周到だったからだ。


 ミュラーの元で偽造書が見つかる半月前、ティルマは解雇されていた。元より7年間の契約で結ばれていた雇用だったから、職場を離れるきっかけとしては間違っていなかったかもしれない。だが、チータもティルマもそれでお別れというのは望んでおらず、契約の更新を求めていたのに、当主である父は頑なに認めなかった。貯えも充分に出来ているだろうし、そろそろ新しい道を探してはどうかと、もっともらしい優しい言葉をかけ、結局のところティルマをこの家から追い出したのだ。


 サルファード家を離れたティルマは、父に勧められるまま小さな花屋を開き、そこで新しい人生を漕ぎ出すことになった。元よりそうした仕事に興味はあったとティルマも言っていたし、それに関してはチータも、本人が納得しているならばと強引に納得したものだ。まあ、その花屋というのも、サルファード家が持つ物件のひとつであり、いわば家賃はサルファード家に向けて支払われるもの。つまりはティルマを体よく追い出して、今までティルマに支払っていた給料を今後は払わない形を作り、独立したティルマは自分で稼いでサルファード家に家賃を払わねばいけない立場に追い込む。そうした策略だとはチータも思っていたから、当時はそんな大人の事情で、先生を追放する父のことが心底嫌になったものだ。


 状況がさらに変わったのがその1年後。つまり、今から数えて4年前の話だ。


 ティルマの花屋の常連だった人物の一人が、詐欺行為で起訴された。その人物が詐欺で以って稼いでいた金額たるや相当なもので、恐らくは屋敷一つをその日払いで買えるような大金を、度重なる詐欺で稼いでいたというのだ。この一件は当時もルオスを騒がせた一件であり、エレム王国や魔法都市ダニームにもその報道は届いていたものだ。


 そんな中、その詐欺師の金の使い道も注目される。詐欺師は集めた金で、多数の物資を抱え持ち、事業を起こそうとしていた。その事業が実現する前に罪が露呈したのだから、はいはい詰めが甘かった残念でしたねで世間の白い目が注がれたのだが、彼の所有した物件の数々の共通点がある。


 ティルマの生まれである、リクラプト家の所有する物件、あるいはその取引先などと繋がりの深い所にばかり、その詐欺師は着手していた。一部の専門家に言わせれば、この偏りによって裏で糸を引いている人物の名が浮かんでもおかしくない。実際問題、ティルマの知らぬところで、その詐欺師とティルマに何らかの繋がりがあるのではという疑念は持たれていたものだ。


 その疑念も、始めこそ強いものではなかったが、その詐欺師がティルマの花屋の常連であったこと、さらにはティルマがサルファード家にいた頃から繋がりを持っていた人々こそ、その詐欺の被害に遭った傾向の強いことから、次第に事件の中心人物が変わってくる。そして、チータやルーネが当時、最も耳を疑った証言だが、その詐欺師が尋問の末に白状した一文がある。一連の詐欺行為は、すべてティルマの指示の元にやったものであると。


 この頃から、司法が忙しくなった。まずは重要参考人という形で容疑者ティルマを引きずり出し、ティルマは仕事に手をつける時間も与えられず、犯行を否認する日々が続く。花屋に移った後も、ティルマと付き合いのあったチータは、この時ばかりは家でも気が気でなかった。


 時を遡れば、ティルマが花屋を開いた際、サルファード家だけでなく、周囲の資産家の一部が、少女の新たな門出だと言って祝儀に近いものをくれたこともあった。勿論その資産家はその後も、ティルマの花屋から格安で花を買える特権を得たのだから、そうした金持ちの動きがあることはさほど不自然なことではない。しかし、その祝儀はどこから出たものだったのかという話。


 その一年前、ミュラーの管轄する中で発生した不正取引で動いた金の行き先が、ここにきて経済家達の勘に触れる。そして司法がその行き先を辿れば、見事にその不正取引で動いた金額と、ティルマを支援した資産家が当時得た収益の一部が、綺麗に近しい金額になっている。しかもその資産家も、やがてまるで観念したかのように、ティルマからそれを受け取ったと証言するのだ。


 表向きの事件の顛末はこうだ。


 リクラプト家の没落によってサルファード家に転がり込んだティルマは、生まれた家を建て直す計画を立てていた。そしてチータをはじめとし、長女ミュラーに取り入って、金を得ようと企んだ。7年の雇用期間という制約によって、実を結ぶ前にその計画は頓挫したが、サルファード家を離れる際、ティルマはミュラーの管轄する取引に目をつけた。そしてそこに不正取引を挟み、雇ってくれたサルファード家への恩を仇で返す形で、金を騙し取って去っていった。金の行き先がわからぬよう、それはサルファード家とは縁のない資産家に預ける。花屋の開店と同時に、パトロンとなってもらう体を装って、その金を堂々と受け取り、利益を懐に入れるのだ。


 それでも飽き足らぬティルマは、詐欺師と関わり、さらなる利益を得ようとする。サルファード家で知り合った金持ち達の脇の甘い部分を詐欺師に伝え、荒稼ぎをさせる。その儲けの使い先は、復興させたいリクラプト家と繋がりのある場所に絞らせ、生まれのリクラプト家の私腹を肥えさせる。詐欺師は事業を展開できるし、ティルマは実家に金を入れられるというわけだ。


 これが、あらゆる方面から揃えられた証言に基づく結論。詐欺師は勿論、資産家も重い刑罰を受け、流刑という形でルオスを追放され、帝国と繋がりの深いエレム王国や魔法都市ダニームにも一切の入国許可を得られないようになった。エレムもダニームも、同意してのことだ。


「なぜ、こんな馬鹿な出来事がまかり通ったんですかね」


「……リクラプト家も、元より黒い噂の絶えない家でしたからね。もっとも、貴族間ではありもしない噂も飛び交いますから、どこまで真実なのかもわかりませんが」


 ティルマの実家、リクラプト家もそもそも、長女ティルマが働きに出なくてはならないほど傾いたのは事業の失敗からであったが、その裏で違法献金があったことも表沙汰になっている。だからチータも最初はリクラプト家の人間、ティルマを蔑んだ目で見ていたぐらいだ。だが、こうして信じられぬような事件を目の当たりにすると、見方は変わってくる。


 チータは、ティルマがそんなことをする人物には見えない。彼女は嵌められたとしか思えない。それと関連付けるわけではないが、リクラプト家もそもそも、没落した際にはどこかの貴族あたりに嵌められた可能性だって無いわけではないのだ。


 サルファード家という、どこにも悪口を叩かれない名家の中にいると、かえってよく見える。貴族達はその裏で、あの家はああだのこの家はこうだのと、どこまで事実かわからないような悪い噂を平然と撒き散らす。しかも限って、そういうのは上手くいっている貴族がそういう対象にされるのだ。幼少の頃からだが、上手くいっている者を蹴落として自分の所が少しでも上にいけるように、種をまいているようにしか見えなかったものだ。力のあるサルファード家に限って、そういう噂をまき散らされないから、余計に。


 現に今、あれだけサルファード家にへつらっていた貴族連中も、兄ライフェンが起こした重大な罪が表沙汰になると、掌返してサルファード家を糾弾していると聞いている。今にして思えば――立場もあるから言えなかった――などと前置きして、サルファード家の心象をより悪いものとするような、どこまで本当かわからない黒い噂を撒き散らす貴族を見ていると、つくづく連中の浅ましさが目について嫌になる。サルファード家自体は滅んでくれて結構だが、それを突き落として自分が上に立とうとする連中にも、虫唾が走るというものだ。


「チータさん」


 敢えて名を呼び、現実現在にチータを呼び戻そうとするルーネ。渦巻く想いで胃も焼けそうだったチータは、改めて目の焦点をルーネに正す。


「ティルマさんが、陥れられた立場としましょう。その場合、詐欺師の方、資産家の方、あるいは場合によってはラッフルズファミリーも含め、数多くの人々を何者かが使役し、ティルマさんという一人の人間を陥れたということになりますね?」


「……はい」


「そこまでして、その何者かがティルマさん単体を陥れることに、何の意味があるでしょうか?」


 そう、これが大きかった。ティルマは犯行を否認したし、チータも当時は、サルファード家の者としてティルマの犯行に異を唱えていた。個人的にティルマと付き合いのあったミュラーでさえも、ティルマが嵌められたという持論が揺らがなかった。


 チータとミュラーという、発言力のあるサルファード家の人間が声を発しても、ティルマの容疑が晴れきらなかった最大の根拠はここにある。ティルマを嵌めた者がいるとして、人一人をここまで周到に、人員を割いて、時間をかけてやる意味がどこにある? そう問われた時、誰も答えを導き出すことが出来ない。ティルマが第三者の策略によって名を落とされたという仮説は、これによって論破されるのが、この日までの通説だったのだ。


「もしも、です。ティルマさんを陥れた主犯が、サルファード家の人間であるのなら――」


 今でもチータには反論できない部分。ルーネが導き出したのは、4年越しの結論だ。


「ティルマさんは、サルファード家に眠る、綿の雨を降らせる秘術の何かに触れてしまったのではないでしょうか?」


 ルーネが立てた仮説。サルファード家に携わっていたティルマは、綿の雨を降らせるサルファード家の謀略の一端を知ってしまい、その口を閉ざすために葬られた。それを聞いたチータは、胸の奥が嫌な熱に満たされると共に、まさかという想いで頭をいっぱいにする。


「チータさん、心当たりはありませんか? あなたとティルマさんが出会ってから別れるまでの日――何か、ティルマさんが触れてはいけないものに触れたであろうことは?」


 全力で記憶を掘り返すチータ。あの人との日々は、今でも殆どが明確に残っている。もう会えなくなってしまった今だからこそ、かつてよりも大事にしてきた思い出の数々だ。


「日々の言動も含めれば難しいと思います。魔法に関わる出来事で、妙な出来事はありませんでしたか?」


 記憶の枠を狭め、求める情報の幅を絞るルーネの語り口が、一気にチータの記憶に光を差し入れる。握る杖の先をかつんと床に鳴らしたのは、ひとつの思い当たる節が浮かんだからだ。


「……先生が一度、僕に木術を教えようとしたことがあります。確かお別れする、ほんの少し前の話だったと思います」


 木術。それは現在非常に使い手の少ない魔法であり、少なくともティルマが会得していた魔法ではない。それをある日、息抜きがてらにちょっと練習してみましょうかと、遊び半分でティルマに提案されたことがあった。それもその日限りで、以降それを本格的に練習したことはない。


「その時の話を思い出せますか?」


「……魔力の流れを、三角法ではなく六柱法で束ねる方が望ましい――なんて言われたような気がします。それ以外の部分は、少し……」


「部分均衡解除については触れられましたか?」


「……言われてみれば、少しだけ」


「粘流気孔法や、十七分解析についての言及はありましたか?」


「……粘流気孔法については仰ってましたね」


 魔導士間でしかわからぬ魔法学の専門用語が飛び交う中、チータはやはり目の前の人物がただの魔法使いでないことを再認識する。知識の深さではなく、求める真実に向かって具体的な言葉を選び、ルーネは知りもしないはずのチータの記憶を掘り返してくるのだ。


 眼鏡などかけなくとも完全に偉大な賢者の顔つきになっているルーネが、うつむいてその瞳を一気に暗くする。悪い予感が当たった顔に他ならない。


「……緑色の狐火(ベルデフルクス)を解析した魔法理論に、酷似していますね」


 緑色の狐火(ベルデフルクス)とは、精霊とは違う人物が、綿の雨を降らせる災害を起こす魔法の名。その魔法の発現方法をエルアーティと共に紐解いていたルーネは、その昔ティルマがチータに気まぐれに教えようとした木術の理論が、あまりにもその緑色の狐火(ベルデフルクス)に酷似していると主張している。


「それじゃあ……」


「綿の雨を降らせる木術の極意――サルファード家に秘められていた罪深い魔法の一端を、ティルマさんは何らかの形で知ってしまったのかもしれません。だとすればサルファード家が、やがてその事実が露呈することを恐れて……という可能性も出てきますね」


 4年越しに明るみになろうとしている真実。もしもルーネが立てた仮説が正しいのであれば、チータは師であるティルマを、サルファード家の犯罪行為を隠蔽するために嵌められ、不名誉を背負わされてルオスを永久追放されたことになる。


「チータさん、あくまで仮説です。まだ、結論付けることは出来ません」


 瞳孔さえ開きかけたチータを引き止める、ルーネの言葉。まばたきひとつ挟んで冷静を取り戻そうと努めるチータの前、隣に座る騎士団の同僚達が戦場で見せる強い眼差しにも劣らない、賢者の意志強き瞳がある。


「私は、真実の究明のために動きます。もしもこの仮説を証明することが出来るならば、あの日無念に私達の前から姿を消さざるを得なくなったティルマさんの魂に、報いることが出来るはずです。はやる気持ちは承知のつもりですが、決して先走る行為には踏み込まぬようお願いします」


 邪魔をするな、と言っているようにも聞こえる。ルーネの目が訴えるのは、そうではない。


「下手に動けば、命さえ奪われかねない案件です。あなたまで、業深き者の悪意の刃に手をかけられ命を失うことは、ティルマさんが最も望まぬ未来であったはずです」


 今はもう会えぬ者の哀しむような目と、彼女が愛した一番弟子の行く末を慈しむ瞳を同時に携えたルーネの表情が、感情高ぶりかけたチータの心を冷やしていく。もしも今、目の前に父がいれば、事実の確認などそっちのけで殴りかかってもおかしくない感情の波が、凪の賢者の言葉によって静まっていくのだ。


「決着の日には、必ずあなたも立ち会える形を作って見せます。ですからどうか……」


「……わかりました。絶対に、先走った行動には踏み込まぬと、約束します」


 チータは深々と頭を下げ、敢えてこの話を打ち切った。心から案じられていることがわかるのだ。そんなルーネの表情が、かつて自分を愛してくれたあの人の顔によく似ていたからだ。それを見て如実にあの日々の光景を思い返すと、無表情が剥がれそうで、これ以上この話を続けたくなかった。


 悲しさも、悔しさも、憎しみも、顔に出したくはない。大好きだったあの人を失ったこと、奪われたこと、会えなくされたことを、思い出しただけで今も気分が悪くなる。司法とは真実を暴く場であると信じていたのに、ルオスは間違った罪であの人を罰したのだ。チータはずっとそう信じてきたし、妄信的であったと笑われようが、これだけに関しては真実を見ていた強い自信がある。


「……どうか、よろしくお願いします。先生の、無念を」


「はい。必ずや」


 世界でただ一人、自分だけが信じていたと思っていた、先生の潔白。4年経った今、ようやく同じ道を信じて歩いてくれる味方がいると知ったチータは、小さな会釈に想いすべてを乗せていた。


 孤独が晴れつつある。光に向けてだ。

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[気になる点] 秘術を知られたから排除するってんなら流刑じゃなくて確実に殺しそうなもんだけどな 誰かに伝えられたり物として残されたら終わりなんだし
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