第90話 ~隊長ユーステット⑥ 短期隊長期間最終任務~
「ただい……」
「おかえりなさい、シリカさん!!」
この人に、この家でまた会える日を何日待ち望んだことか。玄関の敷居をまたぎ、居間に足を踏み入れようとした法騎士がただいまの一言を言い切るより早く、すぐそばまで駆け寄ったアルミナが大きな声で迎え入れた。
今にも抱きついてきそうな距離感の少女を前に、改めてただいまと言うと、シリカはアルミナの頭を撫でてやる。居間に座る第14小隊へと目線を送れば、懐かしき面々がそこにある。
「シリカさん、おかえりなさい」
「うん、ただいま。しばらく第14小隊を留守にしていたが、明日には復帰する予定だ」
サーブル遺跡で獄獣にやられた傷も癒え、明日には戦場に並べる体まで復調したシリカ。アルミナの後ろからシリカに近付き、露骨に嬉しそうな自分の顔を隠すように少し下を向いておかえりを言うユースの後ろ姿。マグニスもこれを見て、相変わらずの二人だなと失笑を禁じ得ない。
「みんな、すまなかった。明日からは、ここ一週間の失態を取り返せるぐらい、しっかり働かせてもらうことにするよ」
「あんま厳しくし過ぎんなよー? お前は昔っから、失敗の直後はつんのめる癖があるからな」
「ああ、自覚している。失態の上塗りにはならないよう、留意させて貰うさ」
軽く確認を入れてみたが、精神面でも充分に立ち直ってはいるようだ。傷心の彼女なら、もっと自虐的な言葉を第一声に挟んでいただろうし、今は先のことを見据えていることも察せていたが、このシリカの態度を見てマグニスも、ひと安心といったところである。
「それで、隊長。今日はもしかして」
「ああ。法騎士ダイアン様から任務の言伝を預かっている」
普段は法騎士ダイアンの指揮のもと、綿の雨を降らせた人間の調査にあてられるチータも、この日は第14小隊の本職に戻っている。なぜなら今日行われる任務において、兵力は一人として欠かせるものではないからだ。
「法騎士ダイアン様より勅令だ。イオン高地に潜伏する魔物の討伐任務が、この第14小隊に与えられた。第14小隊隊長、ユーステット=クロニクス。受任してくれるな?」
「はい……!」
前日から、そうした任務があるであろうことは聞かされていた。復帰前、一日早く第14小隊の前に顔見せをすると共に、その任務が決定づけられたことを伝えたシリカの声を以って、法騎士不在の第14小隊に大きな仕事が振り与えられた。
シリカから隊長職を預かった最後の日。シリカ不在の中で迎える、ユースにとっては試練の時だ。
イオン高原は、エレム王国の南に位置するコズニック山脈の東端に位置する場所だ。かつて魔王マーディスが本拠地としていたコズニック山脈には、今も数多くの魔物達が巣食っているとされ、魔王マーディスの遺産達の根城とも言われる山脈一帯には、基本的には人も戦士も寄り付かない。
時にこうして、騎士団や帝国から兵力が派遣され、魔物達が群生する地を叩き、魔物達の兵力を削ぐはたらきを為している。ユース達が差し向けられたこの任務もまさにそうで、イオン高原に巣食う魔物達の殲滅が、ユース達に任せられた仕事である。
「君とこうして大きな仕事に就くのは、プラタ鉱山任務以来かな。共に力を合わせて功を為し、生きてエレム王都に帰ろう」
「はい」
エレム王国騎士団第16中隊隊長、両剣のカリウスと名高い法騎士カリウスに右手を差し出され、相手の目をはっきり見据えたまま、その両手でカリウスの手を握り返すユース。ひと昔前のユースなら、法騎士様に手を差し出されれば、思いっきり頭を下げて腰低く、両手でその手を握り返していたはずだ。背筋を伸ばしたまま、戦場に臨む覚悟を法騎士の目に映すユースの姿は、第14小隊を預かる若き騎士の責任感を表したもの。
男子三日会わざれば克目して見よ。冬先に顔を合わせて以来、久しぶりに見た少年騎士の表情が、随分と戦人のそれに代わり映えたものだとカリウスも感じたものだ。預かった隊長職が彼をそうしていることは予想にも難くないが、地位が人を作るという通説もあながち間違っていないものだと実感する。
シリカとクロムを除いた全員が揃う第14小隊は6人。騎士階級のユースにこの隊の隊長を務める責は与えられず、この日第14小隊は第26中隊と合併してこの任務に臨む形となる。元より在籍する第26中隊の93名に6人が加わる形で、99名の兵で構成される第26中隊の総指揮官、法騎士カリウスの指揮のもと、今回の任務は行われることとなる。ユースもこの日は、指揮権を預かって戦場を駆けるわけではなく、一人の兵力として第26中隊に混ざるものと考えていい。
だからいつもどおりでいい、というわけでもない。第14小隊に属する騎士はユースのみ。第26中隊に力添えする小隊の長として、結果を出すことが求められている。誰をどうこう捌くことが求められているわけでなくとも、預かった肩書きに要求される責任は決して安くない。
「頑張ろうぜ、ユーステット隊長。お前の力、うちのみんなにも見せてやってくれよ」
「隊長って呼ぶのやめろよ。今日はそんな感じじゃないんだから」
第26中隊に属する親友、騎士アイゼンの何気ない語りかけに、客観的な言葉を返すユース。その口様とは裏腹に、背負ったものの重さをしっかり自覚していることぐらい、アイゼンならびに後ろからそんなユースを見守っている、第14小隊の面々もわかっている。あいつは、そういう奴だって。
プレッシャーをかけてしまうようなことは、若いユースに本来言うべきことではない。だが、アイゼンはよく知っている。誰かに大切な役目を預けられた時、それによる重圧をはねのけて、無心でユースが為すべきことを為せる芯を持っていることを。過去、本番に弱いと言われていた騎士見習い時代のユースを知っているだけに、今の彼がそうでないことをアイゼンもよく知っている。
「さあ、出陣だ! 進軍する!」
カリウスの号令と共に、九十九の兵がイオン高原に乗り込んでいく。ある者は功績を挙げるチャンスだと奮い立ち、ある者は死を恐れる緊張感を胸に抱き、戦場手前に響いた騎士団の咆哮は天高く濁って消えていく。
誰もが緊迫感を捨てていなかった。イオン高原に潜む魔物の名は、彼らをそういう想いに駆るにはあまりにも説得力のあるものだったからだ。
「本来なら、グラファスどのを派遣してもいいぐらいなのだがな」
「グラファス様はお忙しい。アルム廃坑方面への調査を出来る方など限られますし、あの方にはそちらに回って頂きましたよ」
イオン高原出陣任務の責任者、法騎士ダイアンは自信に満ちた顔でそう言うが、向かい合う聖騎士ナトームの表情には疑問が残っている。イオン高原に潜む魔物達を討伐するにあたり、第26中隊と第14小隊の連合隊だけでそれを遂行するのは、リスクが伴うからだ。
猛将グラファスと呼ばれる騎士団の雄をその地に向かわせて、何ら差し支えのないような今回の任務。ナトームが本来提案していた、聖騎士グラファスの代わりにダイアンがその任務に当てたのは、第14小隊という新鋭気質の集い。彼ら6人が、聖騎士グラファスの代わりになるなどとは、さすがにダイアンも思っていまいが、ならばこそその決断は安全性に乏しいものとも言える。
「貴様は随分、第14小隊を買っているな。法騎士シリカや騎士クロムナードの属する小隊という事で今までは評価もしてきたが、その両名を欠いた今でも、第14小隊を大きく扱うのだからな」
「ええ。あの小隊は、法騎士シリカは騎士クロムナードだけの小隊ではありません。騎士団もようやく第14小隊を評価し始めていますが、それでもまだ過小評価だと思いますね」
第14小隊の長シリカ、階級に似合わずその名が知れ渡るクロムの活躍は、第14小隊の名を知らしめる最大の要因だ。その二人いてこその強き第14小隊であるという騎士団の評価を、この機会に覆してやろうというダイアンの試み。イオン高原の魔物討伐任務には、それだけの意味がある。同時に、並の者では為せない危険な任務でもあるということだ。
「第26中隊も優秀な部隊ですが、それだけでは流石に危険であるのは、わかって頂けるはずです」
「その危険性を払拭するのが、第14小隊という保険だと?」
「ええ。彼らはあなた達が思うほど、幼い部隊ではありませんよ。既完の大器と言ってもいい」
あえて挑戦的な言葉を連ねるのは、あくまで自信を強調するためのものだ。まだまだ第14小隊は成長していくと信じていながらも、そうした言葉を敢えて使う意図は、ナトームにも伝わっている。
「まあ、貴様がそう言うならばそれでいいだろう。ただし、グラファスどのではなく第14小隊を選んだ結果、悪しき結果が生じた際、貴様に生じる責任を私は庇いきれんぞ?」
「ええ、問題ありません。必ずや、成功以外の報は返ってきませんよ」
自信満々のダイアンを見て、ナトームはふぅと息をつく。付き合いも長いし、彼の性格も意図もわからぬではないが、自分とのスタンスが違い過ぎていて時々参る。
「いくら自信があるとはいえ、不測の事態というのは常にあるものなんだがな」
「それを恐れていては為すべき決断も為せませんよ。誤った評価を覆すこの好機に、僕は賭けますね」
「賭け事に臨むのは結構だが、部下の命を張ってそれをする図太さは大したものだよ」
「だから参謀職ってのはつらいんですよ。あなたもわかるでしょ?」
戦場に並ばなくなって久しい、二人の騎士。死線に臨む同士の生還を望む想いは、口にするまでもなく共有できる真意だった。
「うっひゃー、激戦区! こんなに魔物多いとは聞いてねえわ!」
イオン高原に潜む魔物の数たるや群生たるもので、マグニスも鬱陶しそうに声をあげずにはいられない想いだった。岩場に林、盆地に草陰、魔物が潜んでいそうな場所は山ほどあるこの高原。視野を広く持ってないと、いつどこから敵に襲いかかられるかわからない。
「アルミナ、後ろ! ヘルハウンド!」
「ありがと! 知ってるけど!」
ユースの声が耳に入る少し前に既に身を翻していたアルミナが、後方の岩陰から飛び出していたヘルハウンドの脳天を銃弾で撃ち抜く。振り返り様の発砲によって体が傾くが、その力のはたらきも計算してある一方を向くアルミナは、そのまま二発目の銃弾を放つ。狙う先は、遠方の騎士達を上空から狙い済ましていた、一匹のコカトリスの胸元だ。
「開門、電撃魔法」
アルミナの銃弾が向かう先に魔物あり。アルミナやキャルの動向を常に視野に入れることで、三人ぶんの視野を意識するチータは、アルミナに打ち抜かれて怯んだコカトリスを稲妻で狙撃する。その詠唱によって生じた稲妻は一つではなく、年若い騎士が苦戦していると思われる一匹のリザードマンを撃ち抜く稲妻も同時に喚んでいる。
「この敵の数、ちょっとシャレになってねえなぁ。キャル、矢は保ちそうか?」
「大丈夫……!」
持ち歩ける矢の数なんてのは、背負う矢筒に入れられるだけであって限られている。キャルが矢も構えずに弓の弦を引くと、両手を結ぶ光の矢が発生する。神秘の矢とマグニスに命名して貰ったその魔法の矢は、キャルが右手を手放したその瞬間、本物の矢のように射手の手を離れて飛んでいく。
その的となった一匹のワータイガーの側頭部に光の矢が直撃した瞬間、大男の棍棒で殴られたような重い衝撃が炸裂する。体をぐらつかせて隙を生じさせたワータイガーは、槍を握る騎士によってその喉元を一突きにされ、やがて息絶える。小柄で大きな矢筒を背負うことに不向きなキャルは、魔力で以って矢を作り、戦場でその腕を発揮する回数を稼ぐのだ。実弾の矢は魔法の矢とは違って貫通力があり、敵の急所を突けば一撃必殺にもなり得る武器。要所によってキャルはこれを使い分ける。
アルミナとキャルは、魔物に接近戦を仕掛けられれば戦う手段に乏しいため、主にマグニスは彼女らからつかず離れずの場所にいる。二人を守る役目をチータに預け、前線で暴れるという戦い方も今では出来るが、元々マグニスはそんなに積極的に働きたいタイプではない。
「まあ私情抜きにしても、俺は中衛がベストなんだがな」
後衛にマグニスがいるとなれば、チータも前に出ることに躊躇いがない。今もユースやガンマの少し後ろで、周囲の騎士達への援護射撃をしながら立ち回るチータだが、彼をその場所で働かせる事がチータの評価の向上に繋がると、マグニスは計算している。それだけの実力が、あれにはある。
「開門、地点沈下」
一人の騎士に向かって突進するミノタウロスがある一点に足を踏み込んだ瞬間、その場所がまるで空の木箱を踏み抜いたかのように、地表が割れてくぼむ。突然全体重をかけていた足ががくんと落ちたことに、ミノタウロスの巨体がつんのめりそうになる。
「開門、岩石魔法」
そのミノタウロスの顔面を、地表から突き上げる岩石の槍で殴り上げるのだ。鈍い衝撃を頭部に受けたミノタウロスは、片足を穴に捕われたままふらつき、その隙を騎士団と傭兵達の、銃弾と矢が次々と撃ち抜く。騎士団の兵も敵の急所を心得ており、その多くが胸より上を的確に貫くものだ。
怪物と恐れられるミノタウロスの討伐も、もう効率的に為せる手段は編み出した。地面を砕き、極小の落とし穴を作る魔法で足元を挫き、虚を突けたなら畳み掛ければいい。地点沈下の魔法は費やす魔力も少ないし、あの強敵を突き崩すのをこの程度の魔力で為せるのなら、明らかに釣り合いが取れる。
タイリップ山地戦役で、野盗の作った罠のうち、捻挫を生じさせる程度の落とし穴が、相当な数の騎士達を苦しめたのは事実である。あの頃からそうした魔法の開発が出来ないかと模索していたチータにとって、この魔法を編み出したことは、小さくて大きな前進だ。非常に地味かつ、敵が手練で足取りを掴めぬ者なら使い道もないこの魔法だが、魔力の揺らぎに警戒の薄いミノタウロス相手なら充分に活かせる手段だ。
「ユースかガンマがいるなら、地点沈下だけで致命傷に出来るんだがな」
耐久力と守備力に秀でるミノタウロスを、チータが単身討ち取るのは相性が悪い。近くに戦える者がいて、こうした搦め手で動きを縛って討伐を任せるのがベスト。とはいえ騎士団の連中は、つまづかせた程度のミノタウロスを安全に討伐してくれるだろうとまでは信頼できないので、岩石魔法での追撃を挟まざるを得なかった。正直魔力の浪費なので、安定度を求めないならば本意の詠唱ではない。
騎士団の勇士達よりもチータが遥かに信頼する、当の騎士と傭兵は、チータの視界から離れて遥か前を駆けている。法騎士カリウスという最高の保険もそばにおかず、二人で次々と魔物を討伐する姿は、もはや視野の広いマグニスも殆ど目にかけていないぐらいだ。
リザードマンの上位種にあたる、騎士剣と鎧、盾を装備した魔物ドラゴンナイトは、長身のマグニスにも勝る背の高さながら、その素早い動きと攻撃力で人間を葬る魔物だ。トカゲ面のリザードマンとは異なり、さながら竜人とも呼べそうなその顔だけでも威圧感は段違いだが、剣を交えればレベルが違うことは一目瞭然だ。振り下ろされたドラゴンナイトの騎士剣を、その盾で横に叩き飛ばしたユースの腕に伝わるのは、受け流したにも関わらず腕を貫く鈍い衝撃。剣と剣をぶつけ合えば、間違いなく力負けすることがわかる。
振り上げる騎士剣でドラゴンナイトを斬り上げるユースの斬撃を、ドラゴンナイトは的確に盾で防ぐ。そのまま横から振るう剣で、敵を葬るのだ。少騎士ないし、経験不足な騎士であれば、その反撃だけで命を奪われるだろう。
ユースの胸元を横かた狙うその一閃を、一気に体を落として回避したユースが、それとほぼ同時に騎士剣でドラゴンナイトの左大腿部を突く。竜の鱗に包まれたその肉体は、鎧がなくとも頑丈だ。鋭く研ぎ澄まされた騎士剣であっても完全に突き抜けさせることは出来ず、ドラゴンナイトの大腿部半ばでその騎士剣は止められてしまう。
すぐさま剣を引き抜いたユースの顔面を、盾を突き出す形でドラゴンナイトが怒りの一撃を放つ。騎士剣を空振った手で追撃するより、最速の攻撃手段を取った形だ。ユースの機敏さを確かめたドラゴンナイトのこの一手は、敵に攻撃を当てるという意味では間違いなく正着手。
腕を引き上げたユースの盾が、ドラゴンナイトの大きな盾とぶつかり合う。力負けすることは始めからわかっているユースは、それと同時に後方に飛び退いて衝撃を逃がしている。振り下ろされるドラゴンナイトの盾にやや下向きの力を加えられながらも、尻餅つかずに地面を転がってすぐさま立ち上がるユースは、不恰好ながらも自身を貫くダメージをほぼゼロに抑えている。
地を蹴る体勢が整えばドラゴンナイトに一直線。敵が自分を迎え撃つ剣の一撃を想像し得る限り想定しながらの、一瞬の駆け引きだ。ユースを射程距離に含めたドラゴンナイトの迎撃は、右手に握る騎士剣を最高のタイミングで振り下ろす強撃だ。
70%で駆けさせていた足の動きに、刹那に100%の脚力を踏み込んで僅かな加速。そんな僅かな変化が、ドラゴンナイトの想定を狂わせるのだ。剣先でユースの体を捕らえるはずだったドラゴンナイトの懐まで一瞬で潜ったユースは左腕を伸ばし、携えた盾でドラゴンナイトの騎士剣を握る手をはじき飛ばす。振りかぶられた剣が相手では力負けするが、弧の小さいその手の動きなら、盾を使えば充分阻害できる。
それとほぼ同時、真下からドラゴンナイトの顎元目がけて突き上げる騎士剣を放つ。距離が詰まる寸前に突き上げたその一撃が、ドラゴンナイトの頭部を下から貫いた直後、ユースの肉体とドラゴンナイトの肉体がぶつかりそうになる。その腹を蹴る形でドラゴンナイトを突き放すと、ドラゴンナイトの頭を貫いていた騎士剣が、その鼻先を裂いて魔物の顔面を真っ二つにする。
蹴飛ばされた勢いで地面に倒れたドラゴンナイトは、痙攣するのみであとは絶命を待つだけだろう。若き戦士では束になっても返り討ちが関の山の魔物剣士を、単身討伐した余韻に浸ることもなく、ユースはすぐさま周囲に目を向ける。自らに突進するオーガが見えた瞬間、迷わずその魔物に正面から突き進む。
オーガの方こそ小さな人間が直進してきたことに驚いたぐらいだが、その棍棒を振りかぶってユースの体を打ち抜こうとしてくる。身をかがめて回避するには低すぎるそのスイングを、ユースは跳躍して回避すると共に、前進する勢いを殺さずにオーガの眼前を通過する。同時に騎士剣を振るってオーガの顔に傷をつける動きは、シリカが得意とする空中戦法を模倣したもの。
その一撃でオーガに致命傷を与えるほど、あの動きを完全に真似ることは出来なかった。それでもいい。後方に着地したユースに、怒り狂ったオーガが突き進もうとしたその瞬間には、視野の狭くなったオーガの盲点から、一気に距離を詰める同士がいる。
一瞬にしてオーガの胴体を、その大斧で真っ二つにするガンマの姿は目に入っていた。オーガとすれ違ったあの瞬間には距離があったはずだが、あいつならそれぐらいの距離も詰め、一気に勝負をつけてくれるだろうと信頼していた。つくづく、視界の中にいるだけで安心させてくれる親友だ。
「ガンマ、ありがとう。アイゼンは?」
「こっち! 法騎士様と一緒に、きついとこ回ってる!」
カリウスの名前も覚えてないのがガンマらしいが、必要な情報はしっかり届けてくれるのでそれは良し。ガンマが駆けていくまま、それに追従して走るユースは、第26中隊の親友を案じる想いにも駆られていた。
さっきまで、自分やガンマと近しく戦っていた彼の姿が見えなくなったのは、少し前のことだ。リザードマンの群れや、その親分であるドラゴンナイトの撃退に自分が意識を捕われる少し前、ジャッカルやヘルハウンドの群れを抑える方向に駆けていったアイゼンが最後の後ろ姿。おかげでヘルハウンドの援護射撃も恐れることなく、ドラゴンナイトとその配下の討伐に専念できたわけだが、それが済んだなら今度はこちらが向こうを助けねばなるまい。後方の第14小隊のことも気にはかかるが、それを差し引いてもアイゼンの安否を気がけた行動を優先できる程度には、第14小隊の仲間達への信頼は高かった。
駆けるユース達の目の前に、アイゼンの姿が映るのは早かった。数々の魔物の屍が横たわる中、両足で地面を踏みしめて立つ騎士アイゼンの生存は、ひとまずの安心を促してくれたもの。しかし戦況全体を見渡せば、まだまだ予断が許されぬことは一目瞭然だ。
巨大な獅子ほどの体躯を持つ、真っ黒な体毛に全身を包んだ魔物。獰猛な犬か狼の頭を、3つその首の先に持つ異形の化け物がアイゼンに飛びかかり、アイゼンは逃げ退くようにこちらに下がる。アイゼンを追ってきたユース達が、それに追いつくのが早かったのも、前進と後退が噛みあったからだろう。
「アイゼン!」
「気を付けろ、ユース……! カリウス様はもう一方の怪物の討伐に手一杯で、こっちへの加勢は期待できない……!」
遠目に見えるジャッカル、ヘルハウンド、果てはサイコウルフの死体の数々。アイゼンが討伐した魔物もいるのだろうが、その多くはアイゼンと同じ戦場で戦っていた、法騎士カリウスが討伐したものであると考えるのが自然なのだろう。
そしてその三つ首を動かし、目の前の獲物3人を睨み付ける魔物達の親玉。魔獣ケルベロスの名は耳にしたことがあっても、まさかこれと自分達が交戦することになる日が来るなんて、ユースやアイゼンもかつて想像していなかったことだ。
濁ったよだれを口の端からどろりと漏らすケルベロスが、小さな唸り声を徐々に大きくする。ユース達が身構えたその瞬間、獅子にも勝るケルベロスの巨体が少年達に襲いかかった。




