第87話 ~隊長ユーステット③ 賢者の語る黒騎士像~
「とりあえず今後の方針としては、各地にいるアマゾネス族の生き残りの面々から、当時から今に至るまでの証言を集めてみましょうか。恐らくは7年経った今にまで、緑の教団に対して独自の調査を重ねてきた者もいるでしょうから」
「……はい。よろしくお願いします」
暗い図書館の一角、エルアーティの言葉にキャルは深く頭を下げた。緑の教団に対する賢者の動向がまとまった時点で、ここでのこの話は終わったと言っていいだろう。
「それにしてもエルアーティの姐さん、博識っすね。キャルがアマゾネス族の生き残りってことも知ってたんすか?」
「人付き合いは嫌いだけど、情報網は広く持ってるから」
「ふぅん」
相手が誰だろうと平然と突っかかり得る問題児に、ユースがあんまり踏み込まないで下さいよと腕を引く。第14小隊を預かるユースとしては、自分の立場以上に、シリカから託されたこの隊の立場を危うくするようなことだけは絶対にやめて欲しい。マグニスもユースの気持ちはわからぬでもないのか、わかっているよとばかりに軽く腕を振って、ユースの手を振りほどく。
「それと、今日は法騎士シリカがお休みのようだけど、隊長はあなたが務めてるの?」
情報を広く集めていることを証明するかのように、エルアーティがユースに目線を移す。シリカが先の任務で負傷したことも、今日の代役が彼であることも、知っている表情だ。まあ、それぐらいは騎士団から通達ひとつ貰えればわかる話だが、そういう話の要点を押さえているのはやはり肝。
「これ、聖騎士ナトームに渡しておいて頂戴」
近くの本棚の一角に置いてあった、数枚の紙を束ねた冊子を突き出すエルアーティ。どぎまぎしながら受け取ったユースだが、中身に興味が無いわけでもない。
でも、詮索はしない。お偉い様の封書の中身を尋ねるなんて、そんな恐れ多いことは流石に。
「賢者様の論文っすか。どんなことが書いてあるんすか?」
流石はマグニスだった。躊躇がまったく無く、ユースの表情が凍りつく。
「黒騎士ウルアグワと綿の雨の関連性に対する推測よ。まあ、既にダニームには発表済みの論文だし、別に密書と言えるほど中身を伏せる必要もないのだけど」
「解説して下さいよ。帰り道の暇つぶしに読むのもいいが、賢者様の講義で聞けるならその方が面白そうっすわ」
「私の講義は高いわよ? いくら払える?」
「言い値でどうぞ。払えないと思ったら払いません」
彼女と口を利ける人間すら限られるという偉大な賢者様に、論文の解説を求めるなど、ダニームの学者達なら、渇望する想いのあまり憚られるほどの要求だ。平然とそれを言ってのけるマグニスの態度を見て、エルアーティはなぜかどことなく機嫌のいい顔になる。
「地位で私を見ず、厚かましいことをずかずか言う人間は嫌いじゃないわ」
「そりゃどうも。俺はあんたのことそんなに好きじゃないけど、頭のいい人間の話を聞くのは嫌いじゃないっすからね」
先輩じゃなかったらそろそろ殴ってでも止めてやりたいぐらい、マグニスの語り口は今のユースにとって気が気でない。シリカがマグニスを問題児扱いする理由が、ここにきて本当によくわかる。
エルアーティはマグニスから目を逸らし、不意にアルミナに目を向けた。目線がぶつかったことに一瞬アルミナが肩をすくませるが、エルアーティの目はそう尖ったものでもない。
「興味、あるのでしょう?」
黒騎士ウルアグワの名を出した時、アルミナの目の色が少し変わったことを、エルアーティは見逃さなかった。アルミナにとって、魔王マーディスとその軍勢は、両親の仇であり忘れられない怨敵だ。だから魔王マーディスならびに、その側近の名が耳に入ると、敏感に反応してしまう。
「いいわよ、特別にレッスンしてあげる。質問あれば、その都度尋ねて頂戴」
エルアーティは椅子を移し、ユース達が座る椅子をそれぞれ指差す。賢者エルアーティと、第14分隊の少年少女、一人の青年が向き合って座る形の出来上がった。
「黒騎士ウルアグワ。かの存在が持つ異名に関して、あなた達はいくつ知っている?」
「無差別殺人鬼」
「人類最悪の敵」
「劣悪非道の代名詞」
「無慈悲の象徴」
「……千の天災よりも恐れられる悪魔」
ガンマが、ユースが、アルミナが、マグニスが、キャルが、ことごとくひどい呼び名で黒騎士ウルアグワを形容する。五者五様まったく違う言葉が出てくるだけでも、それだけ多くの呼び名で黒騎士ウルアグワは忌み嫌われているということだ。
「黒騎士ウルアグワは、どうしてここまで人間の命を奪うことに固執すると思う?」
魔王マーディスが存命だった頃は、侵攻する対象の兵を削ぐ意味があったという答えに辿り着く。主を失ってなお、人類の命を奪う魔王マーディスの遺産の意図は、未だに議論の的である。
「黒騎士ウルアグワは、殺した相手の魂を捕らえるすべを持っている、って話が有名っすけどね」
「ええ。ダニームの南、リリューの砦の一件は記憶に新しいでしょう?」
それは、今から約一年前に、黒騎士ウルアグワ率いる魔物の軍勢に滅ぼされた城砦。魔法都市ダニームの英知の結晶であったその砦は、かつて魔王マーディスが存命だった頃にも、魔物達の軍勢を退けてきた実績がある。強固かつ、ダニーム南部の平穏の要として信頼されてきた砦だった。
約一年前、黒騎士ウルアグワ率いる軍勢に滅ぼされて以来、その砦跡は未だに復興されていない。それはその地を、黒騎士ウルアグワが作り出した屍人や霊体が、未だに数多く徘徊しているからだ。今も魔法都市の魔法使いや学者達が、そうした存在を浄化にあたり続けているが、それらが片付くまでその地を人が住まう地に復興させることが出来ないというわけだ。
「黒騎士ウルアグワの騎士剣、"タナトス"と呼ばれる妖剣で命を奪われた者は、同時に霊魂を傷つけられ、輪廻に旅立つ力を失うとされている。――霊魂理学はあなた達、詳しくないかもしれないから、その辺りは補足しつつ説明しようかしらね」
通常、肉体が死を迎えた霊魂は、あの世に飛び立ち生まれ変わりへの道を辿るとされている。生まれ変わるまでの魂が巡る輪を人は"輪廻"と呼び、死した肉体の魂は天のどこかにあるその輪に加わり、生まれ変わる時を待つ。これが霊魂理学の基本だ。
黒騎士ウルアグワに傷つけられた魂は、その輪廻に向かって飛び立つ力を失い、現世に留まる。そうした霊魂を自らの手中に収め、悪用するのが黒騎士ウルアグワだ。自分が殺した人間の魂を使い、屍人の魔物を作りだしてきた実績は、何年来の歴史で既に何度も立証されている。
「魔法学の基本事項だけど、魔力というのは精神と霊魂の触れ合いで発生するもの。つまり、霊魂とは魔力を生み出す最高の触媒なのよ。どんな高い親和性を持つ物質とて、霊魂そのものに勝り魔力を生み出す要素にはなり得ないわ」
親和性を持つ物質、たとえばミスリル鉱などは、あくまで霊魂が魔力を生み出す支えになるようなものだ。焚き火ひとつで例を挙げるなら、火という魔力を、親和性という名の油でより燃え上がらせることは出来る。だが、油は元よりある火を燃え上がらせることは出来ても、無から火を生むことは出来ない。火をこの世に現した"熱"そのものにあたるのが霊魂で、焚き木や油が火を作り出すことの根源となるのが霊魂にあたる。魔力にとって、霊魂そのものがエネルギーなのだ。
「ウルアグワが人の命を欲するのは、霊魂を獲得するためだというのが最も有力ね。そうして得た霊魂を用い、悪事に利用し、さらなる命を奪っていく。言い古された理論ではあるけれど、私もこの通説は間違ってないと思ってるわ」
黒騎士ウルアグワの恐れられる所以はそこにある。人を殺し、霊魂を得、力を得て、再び人を殺す。この行動原理が真であるなら、黒騎士ウルアグワは永遠に人の命を奪うことをやめないだろう。ユース達が挙げた黒騎士のおぞましい別称も、すべてはここに由来するものだ。
「問題はそんなに霊魂を集めて、黒騎士ウルアグワは何をしようとしているのか、という点」
ここまででユース達に語られていることは、わざわざ魔法学者が聖騎士に論文を送りつけてまで語るようなことではない。聖騎士ナトームなら、これぐらいのことは何年も前から知っている。
「黒騎士ウルアグワは、魔王マーディスを復活させようとしているんじゃないかしら?」
ぞっとするような響きがユース達を襲う。果たしてそんなことが可能なことであるのか、魔法学や霊魂理学に長けていないユース達にはわからないことだ。だが、少なくとも死者を蘇らせるようなことは出来ないと思うし、そんなことが出来るなら人間だってその道を目指したいはず。
死した者が蘇ることは、誰でも一度は無意識下で願うことだ。蘇生の魔法を真剣に夢見て研究した魔法学者なんて星の数ほどいるに決まっている。その上でそれが現世に無いのだから、不可能な魔法と結論付けて間違いないのである。それぐらい、ユース達でも理論的に導き出せることだ。
「賢者様も、時には夢妄想みたいなこと仰るんすね」
「学者とは、あり得ない不可能を可能にするために学ぶのよ。夢妄想に始まって、新たな世界を切り拓くのが学問の真髄でもある」
地震が起こっても倒れない家の設計、歩かずして遠き地に辿り付ける"馬車"の発明、何よりも魔法。当たり前のように広がるこの世界は、より良き世界を作ろうとしてきた学者達によって作られてきた。人の歴史とはそういうものだ。笑われるような夢を叶えたその先に、偉大な発明の数々がある。
「まあ、蘇生魔法なんか実現不可能だと歴史が証明しているし、私もそれに異論は唱えない。だが、屍兵を作り出すウルアグワを、その人間の観点と同じくして語ることは難しいわね」
ましてウルアグワはそういう外法を行使することにためらいがないのだから、と、エルアーティは付け加える。ウルアグワが作っているものはあくまで死した兵だが、少なくとも死体を操ることに関しては、人類よりも遥か先を進んでいるのも事実である。
「蘇生魔法を真剣に研究しようとすれば、死者を躊躇なく漁る図太さと、そこから膨大なデータを取らなきゃ、学問として成立しないわ。それがそもそも非人道的だから、蘇生魔法の究明は人類の歴史で進んでこなかったんだけどね」
いくら崇高な目的があっても、してはいけないことというのがある。踏み外してはいけない、人の道というやつだ。黒騎士ウルアグワには、それが無い。
「ひとつ、いいっすかね。どうしてエルアーティの姐さんは、黒騎士ウルアグワが、そんなことを企んでいるって発想に辿り着いたんすか?」
死者の蘇生が叶わぬ夢、叶えられない事象であるということは、ユース達以上にエルアーティこそよく知っているはずだ。そんなエルアーティがこの仮説を立ててきたことに対し、マグニスは踏み込み問うている。
「大量の霊魂を集めて、黒騎士ウルアグワが叶えたいこととは何か。そう考えた時、思い当たるものがそれしか無かったというのが理由ね。他の可能性をしっかり加味できていないから、未だにこれは仮説止まりなのだけど」
確信が持てればエルアーティは、"仮説"としてでなく"預言"として発信する。だから今立てている論も、あくまで推測の域を脱していないのだろう。
「ここで説明すると一晩かかりそうなぐらい、様々な要素から、そういう結論に至っているわ。ちゃんと説得力を持たせようとすれば、そこまで説明しなきゃいけないんだけど」
「あ、じゃあ結構です。そこまでは」
「私も正直いやだわ。だるいもの」
エルアーティも自分の時間をつぎ込んでまで、そこまでやるのは勘弁という態度。今日はそこそこ気前がいいが、そこまで人の良い魔女ではない。
「まあ、そういうことよ。獄獣やら百獣皇やら、討伐の急がれる魔物は他にもいるけど、黒騎士ウルアグワに関しては本当に討伐を急いだ方がいいわ。他はある程度、行動理念も理解できるけど、黒騎士ウルアグワは本当に何を企んでいるかわからないからね」
そう聖騎士に伝えて頂戴、と一言添えて、エルアーティは近くに置いてあった本を手に取る。話は終わり、という、彼女なりに一番わかりやすく示す行動だ。
「アマゾネスの子、キャル。あなたの協力は無駄にはしない。必ずやカルルクスの里を滅ぼした人間を、裁きの場に磔て見せましょう」
「……よろしくお願いします」
最後に、この場に騎士団を招いた本題を復唱して。キャルが深々と頭を下げた正面、小さくうなずくエルアーティは、しおりを挟んでいた書物を再び読み始めた。
ダニームからエレム王都に帰るには船旅一本で事足りる。航路の中、甲板で風を受けて柔らかい髪をたなびかせるキャルの隣、アルミナはずっとそばにいた。
「……ごめんなさい、黙ってて」
うつむいていながらも、ちゃんと自分と向き合う形でそう言ってくれるキャルだからこそ、彼女の心根の素直さをアルミナは再認識できる。こうして謝る言葉を一番最初に向けた相手が、隊長であるユースでなく自分であったことも、アルミナにとっては嬉しかった。ユースには悪いけど。
「キャルは、自分がアマゾネス族だっていうことを、知られたくなかった?」
自分からは沈黙を作らないアルミナ。その問いにキャルがしばし口を閉ざしてしまっても、彼女が考えているであろう間、答えを待つ。尋ねられたことに対し、正直に答えてくれるだけの誠実さを持つキャルであると、アルミナは信頼しているからだ。
「……話す機会がなかったの。でも、みんなに黙ってる形になっちゃったのも本当……」
「じゃあ、隠し事じゃないよ。謝ることなんてないはずだって」
人間誰しも語りたくないことの一つはある。騙して陥れられたならまだしも、過去を語られなかったことを批難する者など、第14小隊には一人もいない。誰もがそれぞれ違う道からエレム王国騎士団に辿り着き、想うところあって戦う道を選んできたのだ。事情はそれぞれ、言いたくないことは言わずにいることの、何が悪いというのだ。
「私だって、隠し事ぐらいはしてたよ? 今だって、キャルを主役にした小説書いてるし」
甲板に暗い目線を落として黙り込んでいたキャルが、数秒遅れてがばっと顔を上げる。自分の頬を指先でかりかり掻きながら、あーあ言っちゃった、とばかりに雲に目線を逃がすアルミナが目の前にいた。
「……冗談だよね?」
「実はもう完成間近でさぁ……そろそろキャルに言って、許可を貰ってから、トネムの出版社に持ち込む予定だったんだよねぇ……」
冗談なんかではないとアルミナが提示した瞬間、キャルがずいっと前に足を踏み込んだ。後ずさるアルミナが距離を取ろうとしても、ぐいぐい距離を詰めていく。
「ダメ」
「し、シリカさんをモデルにした時みたいな恋愛ものじゃないよ? 射手の女の子が、後衛で縁の下の力持ちって感じに活躍するお話で……」
「ダメ」
「こ、今度は主人公の名前もいじってあるから! キャルがモデルだってバレないようには……」
「ダメ」
アルミナの文才は、以前のキリカ小説でキャルも目を通している。アルミナは、読む側が恥ずかしくなるような歯の浮く表現を、かなりの頻度で使う。シリカをモデルとした女戦士キリカというキャラクターが、作中で恋心の芽生えを自覚していくくだりなんて、読んでて変な笑いが出そうだった。知り合いがこんな恥ずかしい文章書いてると思うと、いたたまれなくて。
そのアルミナが、自分をモデルにした小説を書いているらしい。許可できない。絶対に許可できない。
「ね、ねぇ、いいでしょ? もう出来上がり寸前で、破棄しちゃうのも惜しくて……」
「ダメ」
後ずさりまくりながら、往生際悪く交渉していたアルミナが、船のへりにお尻をぶつける。このまま後ろにバランスを崩せば海に真っ逆さまである。慌てて前に重心を移すアルミナだが、彼女が海に落ちてしまわないように、キャルはアルミナの手をぐいっと引いた。
そしてキャルの力が思いっきり強い。海に落ちるのを免れた直後、キャルに引っ張られる形で前につんのめるアルミナ。キャルがひょいっとアルミナをかわしながら手を離し、前のめりに手を甲板についたアルミナが、四つんばいの形になる。
次の瞬間、キャルがアルミナの背中にのしかかり、体重をかけてくる。耐え切れずにうつぶせの形に甲板に押さえ込まれたアルミナの腰に、キャルがまたがってアルミナの両肩を甲板に押し付ける。
「出版しないって約束するまでどかない」
「そ、そんなぁ~……けっこう時間かけて作ったんだから、慈悲を……」
うつぶせのまま首を回してキャルを見上げ、抗議するアルミナ。ならばとキャルはアルミナの脇に手を滑り込ませ、その指先をアルミナの脇に食い込ませた。
「へひゃっ!? ちょっ、やめ……」
「出版しない?」
「かかっ、考え直……ひゃひっ!? そこダメ、っ……離し……」
コート一枚羽織っただけで、その下は薄着のアルミナの脇は、彼女にとっての急所である。指先に力を入れてぐりぐりされると、全身の力が奪われて腰が砕けてしまう。まあ、今は地面に押さえつけられている形だから、腰が抜けてもあまり関係ないが。
「やめる?」
「お、お願い、キャル……やめ……勘弁……」
自分の腰にまたがるキャルの腰元に手を当て、押しのけようと力を加えるアルミナ。しかしキャルが脇を執拗にこねくり回し続けるため、手に力が入らない。身をよじって逃れようとしても、しっかり甲板に膝をつけてアルミナを押さえつけたキャルの体重が逃がしてくれない。身動き取れないまま、一番弱いところを年下の少女に蹂躙されるアルミナの図。
「約束できないの?」
「ひっ、は……も、ダメ……し、死んじゃう……助け……」
くすぐりの拷問に息も絶え絶えだったアルミナが、そろそろ本気で酸欠状態になってきた。それでもキャルはやめない。出版しないと言質が取れるまで絶対に。抵抗もほとんど出来ておらず、後ろ手を泳がせながら上半身をくねらせることしか出来ないアルミナだが、容赦する気配は一切なし。
「だったらもう、王都に着くまでこれやめないよ?」
「~~~~っ……! わ、わか……わかった、からぁ……っ……!」
今でさえ目の前が真っ白になりかけているのに、王都に着くまでの時間ずっとこれを続けられたら本気で死にそうだ。肺から絶叫に近い声を張ろうとして、酸素が足りずに裏返った声の降参を発するアルミナを、ラストスパートだとばかりに、キャルが指の動きをさらに乱暴にする。
「諦める?」
「あ……っ、あきりゃめ……まひゅから……も、許ひ……」
本当に? と一言念を押しながら、指先でぐりぐり。声も出なくなったアルミナが、必死でかくかく首を縦に振る姿を確認して、ようやくキャルもぱっと手を離す。精も根も尽き果てたアルミナが、汗だくで全身をひくつかせながら、開けっ放しの口でかすれた呼吸を繰り返している。
「約束だよ?」
「はっ……はひ……」
アルミナにまたがったキャルは、至極真面目な顔でアルミナに問いかけ、アルミナは精一杯の降伏を口にする。遠方でひっそり、彼女らのやりとりを見守っていたユース達も、この光景には失笑を隠しきれなかった。
「キャルを元気付けたかったのはわかるけど」
「もっと他にやりようあっただろっつー話」
良くも悪くも体当たり。アルミナに制裁をくらわせて体を動かしたせいか、さっきまでお先真っ暗だったキャルの表情も、いつの間にか日頃アルミナと語らう時と同じく、今の感情がよく顔に出ている。先日シリカにあれだけ叱られたのに、懲りずに同じ轍を踏むアルミナには、キャルも溜息交じりのやれやれ顔だが、それが顔に出せる時点で、さっきまでより表情は柔らかい。
息も絶え絶えにぐったりするアルミナを見て、流石にちょっとやり過ぎたかな、と感じたキャルは、アルミナを起こして座らせる。その後ろに自分の体を、背もたれにするような形でだ。キャルに体重を預けるアルミナが、糸の切れた人形のように首をかくんと落としたままなので、大丈夫? とキャルも尋ねずにはいられなかった。
振り返らずにアルミナは、なんとか力を振り絞って、自分の首の後ろにある、キャルの頭の上に掌を持っていく。力なく、だけど優しく頭を撫でられたキャルが、アルミナの行動に目をぱちくりさせていると、アルミナが下から頭を傾け、キャルの顔を見上げようとする。
アルミナの表情は、目に見えてほっとしたもの。それは、塞ぎ込みかけていたキャルが、ややいつもの顔つきに近付いたことに対する、喜びを含んだものだ。すぐに近くでこの目を見れば、キャルも今の自分の顔が、さっきまでの自分と全然違うことに今ようやく気付くことが出来る。
「……それで、いいんだってば」
息を切らして、いつもの顔に戻ったキャルを全力で肯定するアルミナ。苦しい時はいつだって、そばにいてくれて支えてくれた親友の体重を胸で受けながら、キャルはアルミナの言葉を噛み締める。思わずアルミナの体に手を回して、ぎゅっと抱きしめてしまったのも、キャルなりの気持ちの表現。
人目も気にせずそんなことをしてしまう辺り、キャルは本当に真っ直ぐで、自分の想いに正直だ。女の子にこんなふうに、愛情表現いっぱいに抱きしめられるなんて変な心地だったけれど、それが無垢な想いによるものであると信頼できるほどには、アルミナもキャルの性格は熟知している。
まるで本当の姉妹のように。今の立場にあるユースは、いつも以上に第14小隊の一員である仲間達に対してよく目を配っていたが、アルミナとキャルについてはいつも変わらないなと感じるばかりだった。




