第84話 ~傷癒えるまで~
サーブル遺跡捜索任務を終え、騎士団や帝国にその報告が届いてからが、各国の参謀部の仕事だ。騎士団代表たるベルセリウス、帝国代表たるジャービルの責のもと届けられた情報をもとに、今後の展開を展望していかなくてはならない。
「ライフェンの亡骸回収に関しては冒険者どもに任せればいいだろう。回収出来なかったにせよ、それはそれで別に構わんが」
「まあ、たいした問題ではありませんしね」
ライフェンと交戦したチータの証言に端を発し、その事実を報告にまとめた指揮官達の言から、人類の裏切り者ライフェンの末路はもう、帝国ルオスにも届いているだろう。聖騎士ナトームと法騎士ダイアンにとっては、さほど興味のないことだ。ライフェンの亡骸が回収されれば、死体を検死、解剖して、チータの証言が事実であるのかを確かめることは今後見込まれるが、それはいずれにせよルオスないしダニームのお仕事だ。エレム王国としてもチータの証言をわざわざ疑う理由もなければ、ライフェン死亡の過程などどうでもいい。エレム王国所属の傭兵がライフェンを討伐した、という事実だけでも何ら問題はないのだから。
「問題はマーディスの遺産どもだな。特に、獄獣だ」
争点はやはり、忌むべき魔物達の長。犠牲者を悼む国葬への手続き、各国に対しての今後の動向を促す報告など、すべて済ませた騎士団の参謀格たる二人の論点は、そこに帰着する。諸悪の根源たる魔王マーディスの遺産達をいつか討伐するためにも、そこの情報は細かく紐解かねばならない。
「法騎士シリカに、証言はとってきたか?」
「ええ。あの負傷は、獄獣の攻撃によって負ったものだと本人から」
「解せんな。意図的なものだとしか思えん」
獄獣のパワーは、騎士団においてあまりにも有名だ。岩壁を拳で簡単に破壊し、その足で家屋を薙ぎ倒せば、建物さえも倒壊させるパワーを持つ獄獣なのだ。人間がその攻撃を受けて、命があるという時点でまず不自然。それが獄獣をよく知るナトームの正しい解釈だ。
身体能力強化の魔法を限界まで施したクロムが、その槍を構えて防御して、さらに後方に逃れて衝撃を逃がしてなお、腕の筋肉をズタズタにされたのが獄獣の怪力の賜物。それだけのパワーを持つ怪物が、生身のシリカに攻撃をヒットさせた上で、その命を奪いきらなかったという時点で、獄獣が意図してパワーをセーブしていたのは明らかなのだ。殺し合いの局面において、なぜそんなことをする必要があるのか、誰も未だに獄獣の真意に対して答えを見出せていない。
「獄獣の"飼い"は今までにも例がなかったわけではないが、まさか法騎士シリカまでもがその対象に選ばれる日が来るとはな」
「……まあ、この件は参謀本部にも報告した上で、議論を進めましょう。今までの"飼い"の傾向からも視点を詰めれば、何かしら見えてくるかもしれませんから」
魔王マーディスの遺産と交戦する戦役があれば、そこから数日、各国の頭脳の話題はそれで持ちきりだ。進めなくてはならない議題はまだまだあるため、ひとまず留意点だけまとめると、ナトームとダイアンも話の矛先を転換する。
「あとは、そうですね。当面、法騎士シリカの率いる第14小隊をどうするかですが」
「騎士クロムナードの負傷にも伴い、指揮官に欠けた部隊だ。短期間、人材を分裂させて他の部隊で使うのが真っ当な使い方であるが」
「僕は反対ですね。いや、別にそれでもいいんですが、もっといい使い方があるかな、と」
それを聞いて、ナトームははぁと溜め息をつく。何を考えているか、だいたいわかる。同時に、ダイアンの提案がやや冒険を孕んだものであるとも予測がついている。
「言っておくが、私は責任を取らんぞ。お前の管轄下ですべて行えよ」
「ええ、存じております。ナトーム様に迷惑はかけませんよ」
ダイアンは、にんまりと笑った。彼だけにとって愉快なことを企んでいる笑顔と見るには、充分だ。
シリカとクロムのいない、第14小隊が住まう家は静かなものだった。元より口数が多い方ではない二人が欠けただけなのに、ここまで会話が減ってしまうというのは、いかにこの小隊という名の家族において、二人の存在が大きかったかを象徴するものだ。マグニスはこんな時ですら、いつもと変わらずどこかに遊びに行ってしまうし、キャルに関してはじっとしていられないのか、教会に足を運んで二人の無事を神様に祈りにいくほど。ガンマとアルミナという、この小隊の中でも一番元気な声を放てる二人が揃う家の中、こんなに沈黙いっぱいの空気が流れるのは珍しいことだ。
ラエルカンから時間をかけてエレム王都に帰ってきたものだが、シリカとクロムはその足で、騎士館の医療所に担ぎ込まれる形になった。二人とも、命に別条はないよと言ってはいたものの、どちらも人に心配をかけることを嫌う性分であることを知っているアルミナ達にとっては、そんな自己申告、さほど信用できるものではない。自ずと余計に心配してしまう。
遺跡内で活躍した銃を手入れしながら、そわそわして友人の帰りを待つアルミナが焦れてきた頃、玄関の扉を開く音がする。その音で思わず顔を上げたガンマの反応は自然なものだったが、言い換えれば、前向きを絵に描いたようなこの少年が、ずっとうつむいていた数秒前を象徴する行動でもある。
「おかえり、ユース。どうだった……?」
「シリカさんは大丈夫だって。医療所で安静にしてれば、一週間もすれば復帰できるってさ」
復帰というのは戦列にである。負傷者が相次ぐことは避けられない宿命の騎士団において、その命を預かる騎士団医療所は、腕利きの医者や顧問魔導士を多く擁している。確かな診断と、傷の回復を促す魔法を扱う魔法使いの併せ技は、本来ならばもっと長い休養期間を要するシリカを、その時間で戦場に復帰させてくれるというわけだ。それに、一週間で戦列に並べるということは、もう少し早い段階で平常時の暮らしを営めるほどには回復できるということでもある。お気の毒痛み入る立場には違いないがひとまず心配はいらないという形と見ていいだろう。
「兄貴は?」
アルミナが問うより早く、ガンマが身を乗りだして尋ねた。この小隊で最もクロムを敬愛する彼にとって、いの一番に聞きたいのが彼の安否だ。
医療所でシリカとクロムの診断結果を教えて貰ってきたユースが、何から言えばいいのかと少し言葉に詰まる。答えを待つアルミナとガンマにとっては、短くとも実に焦れる時間だ。
「……命に別条はないってさ。ただ、復帰までにはどれだけかかるかわからないって聞かされた」
「そんなにひどいの……?」
「腕の筋肉も、体も、滅茶苦茶だったんだって。クロムさんが身体能力強化の魔法を使える人で、自己治癒を促せる人じゃなかったら、もう二度と戦列には並べていないはずだって言われたよ」
無事に加え、未来があると判断されたことは喜ばしいことには違いない。それでも、やはり身内がそこまでの傷を負った事実には、アルミナもガンマも我が事のように表情を暗くしたものだ。
二人が反応を示さないので、ユースは聞いてきたことを説明する。クロムが身体能力強化の魔法を使えることは、帰り道の中でクロム自身が語ってくれていたことなので、それは説明不要だった。
身体能力強化の魔法は、自身の身体増強、傷の一時的治癒など、戦場における戦士の寿命を著しく伸ばすものだ。理論上、その力を極めていると仮定すれば、意識あって魔法を行使できる限り、ある種不死身のまま戦場を駆けられるように見える。どんなに負傷しても、傷を自ら癒せばいいのだから。
ただ、矛盾が生じるのは、その魔力はどこから出るのかという点。精神と霊魂の絡めつけによって生じる魔力でそれを用いて身体能力を高めれば、霊魂は疲弊する。霊魂が疲弊するということは、精神と肉体を繋げる役割が希薄になり、肉体に悪影響が出る。ユースも戦場で魔法を行使する立場にあって、魔力の過剰な使用が肉体に危険を及ぼす実感は何度も経験していることだ。
体が傷つく、魔力を作って傷を癒す、霊魂が疲弊して肉体が言うことを聞きにくくなる、その疲弊を魔力で身体強化して誤魔化す、結果としてさらに霊魂が疲弊する。この悪循環だ。自らの魔力で以って自身の傷を誤魔化して戦うというのは、魔力続く限りの永久機関であると見えて、それによってかかる術者への負担は、二乗比例して高まっていくものなのである。
クロムは霊魂の疲弊を厭わず、体が一生使い物にならなくなることを拒み、戦場を去った後も長くその肉体の保全に魔力を費やしていたという。だから永遠の再起不能とならず、今は医療所の一室で休んでいる。しかしその一方、長時間の酷使によって枯れかけた霊魂は風前の灯に近く、今もクロムは目を覚まさずに眠っているらしい。下手をしてもっと無理をしていれば、霊魂の方が駄目になって、肉体無事のままにして精神と肉体を繋ぐ役割が死に、事実上命の方が危うかったかもしれなかったと、医療所の魔導士はそら恐ろしげにユースに教えてくれたものだ。
現在医療所では、魔導士達がクロムの霊魂の疲弊を癒すべく、その魔力を行使しているという。そしてクロムの霊魂が回復し、目を覚まして精神と肉体の繋がりがはたらくようになった時、その体を動かせるよう、医者達がその全身を治療しているという話である。
「魔導士様が言うには、芯の強い肉体と霊魂のおかげで、もう二度と目を覚まさないようなことにはならないって話だよ。ただ、やっぱり無茶が祟ってる部分は大きいから、時間をかけて肉体と霊魂を癒していかなきゃ、戦列に並ぶことは認められないって言われた」
戦士にとっては長く戦える肉体の保全を促すはずの、身体能力向上の魔法。それの使い手が現代において多くないのは、その扱いが難しく、肉体の長生きを促そうとするあまり、霊魂の死滅の境界線を見極めるのが難しいことに由来する。体は痛みが限界を教えてくれるが、霊魂の警報は日常生活からの経験から、その深刻さを計る一線が見極めにくい。身体能力増強の魔法の使い手は、自身の霊魂の限界を見極められる才覚に溢れるか、本当の意味での命知らずしかいないというのが通説だ。困ったことに、クロムはこれにおいて後者なのだろう。
「はぁ……まったく……」
アルミナの溜め息が意味するのは、命を大事にしてくれないクロムに対する諦観に満ちたものだ。弱い自分達を守るために全力を尽くしてくれる姿には、感謝も不甲斐無さも感じはするものの、敬う人物の危篤に、残された者の胸が悪い意味で高鳴るのは別問題である。人様の生き様に口を挟むのは筋違いだとわかっていても、他人じゃなく身内なのだから不満の一つぐらいは沸いてくる。
「まあでも、兄貴が無事でよかったよ」
「そうだな」
ユースとガンマは、最もシンプルな結論で敢えてこの場を締め括る。アルミナと同じく個々人思うところはあったけれど、やはり想うところとしてはそれが最たるものだったから。
「……それにしても、明日からどうなるんだろうね、第14小隊。シリカさんもクロムさんもお休みじゃ、やること無くない?」
ユースとガンマの態度を見れば、敢えて話をあまり掘り下げないように努める二人の心中はわかる。それを察して新しい話題を切り出す辺りには、アルミナの敏感さが光る場面だ。
「俺達は傭兵だから、別の部隊に一時的にでも参入させられたりするかな?」
「アルミナは第19大隊と繋がりあるから、呼ばれたりして」
「そうねぇ、機会があればまた、プロンちゃんと一緒にお仕事したいけど」
他愛もない話で時間を潰す。第14小隊所属とはいえ、傭兵の立場であるアルミナとガンマに関しては、どこぞの隊からオファーが来れば、一時的にそちらで働くことも可能だろう。何ならば、こちらの方から仕事を探して、騎士団に相談してもいい立場だ。傭兵というのは、そういう意味で自由である。
まあ、誰もそんなことを真剣に考えてはいない。よもやわざわざよそからお声がかかるだなんて、そんな目覚ましい活躍をしてきた自覚なんてガンマもアルミナも無いし、そもそも二人ともそこまでお金には困っていない。シリカやクロムの見舞いに時々顔を出しつつ、先輩二人の帰還を待つだけの数日以外に、具体的な未来は想像していないのだ。単なる空想仮定の与太話である。
「でも、ユースはどうなんだろうね。騎士だから、よその隊に移るのも手続きかかるでしょ」
「第14小隊が凍結状態になったら、その期間はユースも無職みたいなもんだよな」
「なんだその言い草。別に任務貰えるなら何だってするよ」
「ん? 今何でもするって言ったわよね?」
「ごめん取り消し。法騎士ダイアン様とかってけっこう怖い任務振ってきそうだから、考えたい」
冗談を重ねて、ありもしないことを考えて。シリカとクロムの無事が共有された情報になると、三人ともいつもの調子に戻ってきた。ささやかな言葉遊びで笑って、むくれて、首をかしげて。二十歳を前にした無邪気な会話がそこにあるだけだ。
「でも、もしも騎士団が第14小隊に任務が振ってくるなら、けっこう面白いことになるわよね」
そう言って、アルミナがくすくすと笑っている。何がおかしいのか、とユースが疑問の目を返すと、アルミナは机の上に身を乗りだしてユースと向き合う。
「だってシリカさんとクロムさんがいないとなれば、第14小隊で騎士なのはユースだけじゃん? そしたらこの状況で第14小隊が動けば、隊長はユースってことになるじゃない」
「あ、そっか。指揮官になれるのは、傭兵じゃなくて騎士だけだもんな」
何だかよくわからないが正論だった。少騎士であった頃は指揮官になる権限はないが、今のユースは騎士階級。5人以下の人数で構成される分隊の、指揮官となる権利はある。そして消去法で、今の第14小隊で指揮官になれる者がユースしかいないというのは、まあ事実。
「隊長……隊長、ねぇ……」
遠い目で乾いた笑いを浮かべるユース。今まで身近に見てきた隊長様といえば、法騎士シリカ、第26中隊のカリウス法騎士、あるいは鬼軍曹のラヴォアス上騎士ぐらいのものだ。いずれも頼もしく部下を導く、強い騎士達。ユースのイメージする隊長像とは、そういうもの。
それに自分をあてはめた時、どういう心地になるか。無理無理。
「シリカさんもクロムさんもいないんだし、第14小隊はしばらくお休みなんじゃないの」
「もー、なんでそう消極的かな。今任務もらえたら、ユースも隊長の経験できるチャンスよ?」
「絶っ対ガラじゃない。俺がそんなのやるぐらいなら、マグニスさんがやった方がマシ」
「マグニスさんはマグニスさんで、あの人が隊長なんかやってたら仕事にならない気がするけど」
誰も彼もが、ご勝手なことを言い述べるだけの語らいの場。シリカが帰ってくるまでの約一週間、暇になる予感しかしなかった三人は、適当な夢妄想を並べて未来予想図に落書きを重ねていた。
そんな折、家の戸口を叩く音。すっかり平常時の元気を取り戻したガンマ辺りが、大きく首を回して音のした方に顔を向ける。
「どうも、郵便です」
「あ、はーい」
妙に上ずったような声に対し、アルミナがぱたぱたと駆けていく。玄関先への対応に慣れた少女の動きは、ほぼ反射的にこの手の仕事を自分のものだと認識して駆ける想いに由来する。
玄関の戸を開けると、声の主がいた。明らかに知った顔だ。
「なんだ、チータじゃん。何あの声」
「ん、僕の声だってわからなかったか?」
「全然。チータって地味に変な特技持ってるよね」
意外と妙なところで、意味のないおふざけを挟んでくるあたり、チータも第14小隊に馴染んできた証拠だろうか。アルミナと一言二言交わした後、居間に歩いてきたチータが見据えた先は、おかえりを発する直前のユースだった。
「ユース。隊長から伝言だ。話があるから、時間が作れれば来て欲しいってさ」
「俺?」
シリカから伝言を預かったというチータの言葉に、ユースはちょっと目を丸くした。あのお厳しい上官の呼び出しというのはちょっと怖い部分もあるが、叱られるようなことはしてないはずだよな、と高速で頭を巡らせる。ほぼ反射思考だ。
ユースは身支度を整えて、家を出発する。いってらっしゃい、と見送ったアルミナとガンマの一方、チータは頑張ってこいよ、なんて言ってユースを送り出すのだった。
「……チータ、妙に機嫌よくない?」
「まあ、面白いことになりそうだから」
いつものとおり、無表情。それでも杖を磨くチータの目が、ややご機嫌に見えたのはアルミナだけでなく、ガンマの目にも同じことだ。
声色作って家に帰ってくるいたずらチータなんて、今後含めてもまた見られるかどうか。明らかに様子のおかしいチータには、家を出た後のユースにも何だか嫌な予感を感じずにはいられなかった。
エレム王都の大教会は、王都に隣するエルピア海の神様を崇める宗教の総本山だ。海の恵みは百年や二百年では利かないスケールで長くこの国の歴史を支えてきており、海を超えた先との交易を重ねてきたことで、エレム王国はここまで大きくなってきた。穏やかな流れと気候で、安全な海の旅を常にもたらしてくれたエルピア海の波は、人が偶像として感謝し崇めるには充分なものだ。
水はすべての命の源。海の神様ないし精霊様を祈る者達の想いには、近き人の命の安らぎを願う心がよく根付く。この教会を訪れ、海に眠るであろう神様ないし精霊様の像の前で手を組んで祈る人々の中には、わざわざ離れた地から、病に伏した身内の安全を願いに来る人もいるぐらいだ。
エレム大教会の中心でひざまずき、握り合わせた手と閉じた目で一心に祈り続けるキャルの想いも、それに準ずるものだ。シリカとクロムが命に別状がないというのは一応聞いているものの、五体満足で彼女らがもとの暮らしを営めるようになって欲しいというのが、身内として当然の願い。無心で祈りを捧げるキャルの姿は、この教会に足を運ぶ他の人々の目にも、見ただけで並々ならぬ願いをその胸に抱いていることが見て取れるものだった。
長く祈りを捧げたキャルが、不安でいっぱいの瞳を開き、立ち上がる。最後に神様に強い祈りを心中でひとつ捧げ、仲間達の集まる家に帰ろうと足を切り返した、その時だ。
帰ろうとしたキャルの足が止まる。自分の後方からやや離れた場所に立ち、まるで自分を見守っていたかのように立っていた者が、あまりにも予想だにしない人物だったからだ。
「こんにちは」
にっこりと微笑んで、キャルに語りかける魔法都市の賢者。エレム王国でその顔を見ることなど滅多にないはずの存在、凪の賢者ルーネの姿がそこにあった。
「失礼します」
シリカが身を休めているという病室に踏み込むユース。迎え入れたシリカの表情は、やや驚きに満ちたものに見えた。
「……ユースか。よく来てくれた」
何か違和感がある。シリカが自分を呼んだのだから、あんな驚いた顔を見せるのは若干おかしい。あなたが呼んだんじゃないんですかと。
「シリカさん、話ってなんですか?」
なんだか嫌な予感がしたので、開口一番に聞いてみる。具合はどうですか、よりも先に。
シリカが一瞬、言葉に詰まった。これは用意していた言葉を上手く言えない時の顔ではない。
「……何の話をしているのかな」
シリカが表情を失った顔を見せてくる。まさか。
ユースは、チータの伝言を聞いてここまで来た事を説明する。シリカが話があると言って自分を呼び出した、そう聞いた旨をうかがったシリカは、かくっと首を落として溜め息をつく。
「私はそんな話した覚えはないよ。そもそも、チータはここに来ていない」
よくよく考えてみれば、合点のいかない部分はあった。ラエルカンでもシリカの見舞いに来なかったチータの理念からすると、見舞い目的でここに来ているとは考えにくかったのだ。チータがシリカから伝言を預かったというのであれば、シリカと顔を合わせているはずだという、当然の理論と相反する。
チータが何のつもりなんだかわからないユースにとって、今の状況は気まずい。話があるからと呼ばれたので、別に話題を持ってきたわけでもなく、話すことがない。心の準備不足だ。
「――昨日言いそびれてしまったんだが」
そんなユースの意識の間を切り開き、シリカの声がユースの耳に届く。はい? と、不意に近く反射的に返事をしたユースの目の前、シリカの表情は少し暗いものだった。
「すまなかった。法騎士として、情けない結果を出してしまった」
「あ……」
やっぱり、気にしていたのだ。シリカが敗れ、ハンフリーが駆けつけてくれなかったら、誰もがあの場で助かっていなかったであろう現実。あの場を率いていたシリカが責任を感じるのは、上官として至極当然の思考だ。
ユースは首を振ったり、気にしないで下さいと言ったり、本音を口にすることが出来なかった。相手が悪かったとも、どうしようもなかったとも、心根を語ればいくらでも、今のシリカに対してフォローの言葉を連ねることは出来る。それが口に表せないのは、こうして自責するシリカを無責任に励ませば、かえってシリカの胸を痛めさせることにならないかと思うからだ。先日、シリカにあの言葉を向けたのも、今となっては良かったのだろうかと考えることも多かった。
本当に自責で胸がいっぱいで、それを言葉にしてしまうような時、下手に優しくされると涙さえ出そうになってしまうことを、ユースは過去の経験からよく知っている。今のシリカをそういう状況に置いてしまったら、だいたいこの人がどんな顔をするかも予想がつく。4年も付き合いがあれば、この人がどういう性格をしているかぐらいわかるというものだ。
言葉や態度にそれを表しはしなかったものの、ユースの眼差しはやはり曇る。その目を見れば、言いたい何かを敢えて封じていることだって、シリカにも伝わってくる。胸中の真すべてをシリカも読み取れるわけではないが、自分の言葉をしっかり受け止めてくれて、考えあっての顔と態度を示しているユースの姿は、シリカにとっても嬉しいものであったはず。
「復帰すれば、今回の失態を取り返せるよう努めていきたい。不束な上官で申し訳ないが、今後も私を支えてくれると嬉しい」
露骨に謙った言葉を自分達に向けるシリカの姿を見るのは、これが初めてだ。ユースは複雑な表情を隠しきれなかったものの、シリカの言葉に重い声で、はいと返事を返すのだった。
ユースの答えを聞いたシリカは、ほっとしたような顔で微笑んでくれた。ベッドから上体を起こし、痛む体ながら気恥ずかしそうに差し出してきた右手を、ユースも同じく右手で握り返す。目線を落としかける一方、ユースから目を逸らさず柔和な笑みを見せるシリカに、ユースも彼女の想いに応えられるよう、鋭気を養う想いに胸を満たすのだった。
手を放し、ひとまず息をつくシリカ。何かしら安心したような表情だが、ユースの目からすれば、自責の想いにも一区切りついたかと見えて、ほっとさせてくれる顔色だ。
「……ところでユース。お前を呼んだのは私ではないんだが、報告しておくべきことは一つあるんだ」
新しい話題の発信。ちょっと重かった空気が溶けたので、ユースも気を重くせずシリカの言葉に耳を傾ける。
「先程、法騎士ダイアン様がこちらに来られて、今後の第14小隊の方針を語られた。サーブル遺跡でユースも負傷したようだが、傷はもう癒えたか?」
「あ、はい。ラエルカンでも魔導士様に、手当をして貰って……」
「そうか」
シリカが気まずそうに目線を落とした。何ですかその顔は。いい予感がしないのですが。
そういえばダイアン法騎士といえば、チータと関わりのあるいたずら騎士様ではなかろうか。ユースは、チータの嘘に惑わされてここに来た事実と、今ダイアンの名が出たことに、ふんわりとした気持ち悪さを心の隅に置く。
「明日からも今までと同じように、騎士団から第14小隊に任務を授ける方針のようだ。大変だとは思うが、頑張ってくれ」
はあ。それは結構なことですが。
いや、ちょっと待って下さい。第14小隊、今は隊長がいないんですが。
「慣れないことも多いと思う。下手に背負いこむようなことはせず、みんなと協力して頑張れよ」
「あの、シリカさん。まさかとは思いますけど」
法騎士ダイアンが、シリカに第14小隊の今後の展望を伝えた。そのシリカの元へユースが来るよう、チータという差し金が上機嫌で暗躍していた。そして今聞いた、シリカとクロムが不在の中で第14小隊はこれまでのように任務を請け負うという今後。策謀の匂いと、さっきまで冗談半分でアルミナ達と話していた妄想話がなぜか一致する。
シリカの表情が、硬すぎない程度に無表情。少なくとも面白い話をする顔ではない。
「短期間だが、エレム王国第14小隊隊長の責をお前に一任する。頼んだぞ」
仕事関係で冗談を言うことを少ない人が、絵に描いた冗談のようなことを真顔で言ってきた。言葉もなく立ちすくむユースは、数秒遅れて、えっ? という言葉を返すので精一杯だった。




