第81話 ~サーブル遺跡④ 兄弟対決~
「風円刃!」
兄であるライフェンが、風属性の魔法を得意とすることは知っている。その杖先から生じた薄い円盤状の風の塊、岩石にさえ傷を付ける鋭い風の刃が3つ飛来する光景に、チータはそれらを回避する行動をとる。
「開門、封魔障壁……!」
時間差で襲いかかるそれらを、一つはしゃがみ、一つは横っ跳びに、かわしきれぬ最後の一つは、目の前に魔法を防ぐための空間の亀裂を作り、そこへ呑み込ませる。同時に、後方から自らに向かって追撃する、かわしたはずの風の刃が大きく弧を描いてターンしてくる様も意識に入っている。
後方から自分に向かう風の刃に対し、ぎりぎりで身を逃してそれを回避、同時に風の刃の一つを呑み込んだ亀裂を維持する魔力を解き、敵の魔法を抑えていたその亀裂が破裂する。チータの魔力で拘束されていた風の刃は再び空中を駆け、今しがたチータを狙っていた風刃とぶつかり合って相殺する。そして残ったもう一つが自分に向かい来ることを視認すると、詠唱なく火球魔法を発動させ、火球を風刃にぶつけて相殺する。
空中に滞在し続けるライフェンの魔法をすべて撃ち落としたチータが、落雷魔法による反撃に移るべくライフェンを睨み返す。しかし、魔法で追撃してくると思っていたライフェンがとった行動は、チータの予想に関し、自らチータに直進してその杖を振るって攻撃してくる接近戦。
靴元に風を纏い、加速して接近してくるライフェンの動きは彼にとっての十八番。護身術程度には手慣れた棒術の扱いを以って、ミスリル製の杖を振るって殴りつけてくるその攻めに、チータは後方に飛び退いて回避、いや、逃れる。接近戦に持ち込まれては、チータに勝ち目は薄い。
「開門、岩石魔法……!」
ライフェンと自らの中間点に岩石の槍を隆起させ、あわよくば敵の顎を打ち抜かんとするチータの魔法攻撃。チータとの距離を詰めようとしていたライフェンはすんでのところで体を傾け、風を纏う足で地表を滑るように、減速せずに槍を回避した。同時にチータに向かって、詠唱もなく風の刃を飛ばす魔法、風刃魔法を発動させる。
ライフェンの掌から放たれる風の刃の数々を、チータは身を翻して回避するものの、動きを鈍らせたその瞬間、勢いよく自らに距離を詰めてくるライフェン。接近戦が不得意な自分にこうした戦い方を持ちかける兄の動きは合理的だったものの、あまりにも猪武者な戦い方に、チータの心中に強い違和感が走る。
「開門、火柱魔法……!」
ライフェンの眼前足元に赤い亀裂を作り、そこから特大の火柱を発生させるチータ。爆音とともに作られたその火柱は、ライフェンが防御魔力を身に纏っていたとしても充分なダメージを与えるものであり、それを回避してさらに距離を詰めてくるならば、迎撃の準備はもう整えてある。眼前の巨大な火柱でライフェンの姿を一瞬視界から失ったチータは、どこからライフェンが現れても次の一撃を決定打とする心積もりだった。
そのチータの予想を最も裏切るライフェンの一手。灼熱かつ巨大な火柱を突っ切って、最短距離でチータに突進してくるライフェンに、予想外の場所からの特攻にチータの次の一手が遅れる。迎撃の魔法を発動させるにも、ライフェンの速攻がそれを封じた形だ。
チータの首元めがけて杖を振り抜いたライフェンの動きに、かろうじて反応したチータがその杖を引き上げ、その一撃を杖で食い止めた。同時にライフェンの力任せのパワーが、非力なチータの体を横方向に吹き飛ばし、地を蹴って衝撃を逃がそうとしたチータの体を吹き飛ばす。ライフェンの位置から少し離れた場所に、受け身を取りつつも半身で倒れるチータに向かって、すかさずライフェンが杖を振るって風の刃を飛来させる。
体を貫く痛みに歯を食いしばりながら、ライフェンと自らの間に岩石の壁を作りだし、風の刃を食い止めるチータ。詠唱なく咄嗟に、不慣れの岩石召壁の魔法を唱えるのは、強引な魔力の抽出によって霊魂が著しく傷つくが、体を切断されることに比べればずっとましだ。
「風円刃!」
ライフェンの手を離れた3つの円盤状の風。迂回して岩石の壁を回避して襲いかかるその刃は、それぞれが別方向からチータに向かい来る。それぞれを撃ち落としてこの攻撃から逃れるにはあまりにも厳しい攻めに、チータはまたも詠唱を挟まず、跳壁召の魔法を自らの倒れた地表に展開し、自分の身体を空中に押し出すことでライフェンの攻撃から逃れた。
「っ……開門、火球魔法……!」
チータを捕えるはずだった場所で交錯した風の円盤は、ライフェンの意志によって空中のチータに向かって軌道を変える。チータが展開した軌道から放たれる2つの火球が、ライフェンの魔法の刃に衝突してそれらと相殺するが、ライフェンの高い魔力を背負って走るその刃を相殺するために火球に込めた魔力は大きく、チータの魔力はまたも大きく削られる。
「開門、岩石弾雨……!」
地上に着地したチータに再びライフェンが攻めてくることを危惧したチータは、先手必勝の落石をライフェンの周囲に降りしきらせる。ライフェンはそれらの回避に足を駆けさせ、一時チータへの追撃を止めたことで、チータはなんとか体勢を持ち直し、敵を改めて見据える形を取る。
「厄災風術!」
その矢先、ライフェンの唱えた魔法によって発生する、台風のような突風がチータに襲いかかる。ライフェンのいる位置からチータに向かって吹くその狂風はチータの足を地面から離れさせ、後方の壁に向かってチータを勢いよく吹き飛ばした。
即時背中に跳壁召の魔法を展開させたチータは、石壁が弾性に近い反発力を得たことによって、背中から石壁に叩きつけられた自らへのダメージを軽減した。その眼前から飛来する、先ほどチータがライフェン周囲に降らせた岩石の数々が、地表を離れて突風に乗せられ、自らの方向に向かって飛来する光景が危機感を煽る。
「っ、開門……封魔障壁……!」
魔力によって生じた岩石は、魔力の風によって質量を超えた干渉を受ける。次々と自らが背にする石壁に岩石達が衝突して砕ける中、自ら向かって的確に直進してきた殺意の弾丸を、チータは目の前に魔法の障壁を作ることで防ぎおおした。やがてライフェンの起こす風がやんだその瞬間、自らの位置をわずか横に逃がしたチータがその魔法障壁を消すと、魔法障壁に抑えられていた岩石が元の軌道を取り戻し、チータが先程まで背中を合わせていた壁にぶつかって砕け散った。
いかに修練を積んできたチータとはいえ、ここまで連続して魔法を使うことを強いられたことで魔力の限界を意識せざるを得なくなってきた。致命的でないにせよ肉体へのダメージも少なくない。魔力の消費による霊魂の疲弊は、そのダメージを強調するかのように全身を軋ませてくる。
息を切らし始めたチータに対し、得意の風を靴に纏う魔法を展開し、素早く地表を滑ってチータに直進するライフェン。いくら自分が白兵戦を不得意としているにせよ、狡猾な一方で自らの危険には臆病な兄が、ここまで積極的な攻勢に移る光景にはチータも眉をしかめる。何か、辻褄が合わない。
胴元に杖を振りかぶってくるライフェンの攻撃を、意を決してチータは杖を構えて食い止めた。ミスリルの杖と象牙の杖が衝突する鈍い振動が、杖を握るチータの手に鋭く響き、慣れぬ痛みにチータの表情が歪むが、間近で同じように額にしわを寄せるライフェンも、それと似た実感を抱いているのだろう。
「っ……随分、強気ですね……兄上……!」
詠唱とは異なるも、それは接近した敵に対する激烈な一撃を目指す遺志を込めた言葉。チータ近しいライフェンの頭上に3つの亀裂が発生し、ライフェンを狙いすます方向に稲妻を放った。
舌打ちしつつもライフェンは、杖を振るって斜め上からチータを殴りすましてくる。回避すらとろうとしないその行動に驚嘆しつつも、チータはなんとかその攻撃にも対応して杖を掲げて防御。直後ライフェンの全身を貫く、チータの放った雷撃錐の雷撃は凄まじい光を放つ。
まばゆい眼前に視界を失ったチータの脇腹を貫く、ライフェンの杖による第3撃。鋼鉄より軽くも、遙かに高い硬度を持つ杖に肋骨を打ち抜かれたチータが、口の中のものを吐き出しながらその体を横に流される。そしてよろめくチータに向かって掌を突き出すライフェンが放った風の刃は、チータの首元を的確に狙う至近距離の一撃。
魔力の揺らぎを肌で感じたチータは、瞬時に全身を防御の魔力で包んでいた。耐魔結界の魔法によってチータの全身、ならびに首を覆った魔力は、そこに直撃した風の魔力が持つ切断力と相殺し、手刀のような衝撃をチータの首に与えるだけに留まった。命は取り留めたものの、続けざまに受けたダメージ、加えて連続展開した魔法による霊魂への負担が、目まいに近い感覚をもたらしてチータの意識をぐらつかせる。
「か、開門……火球魔法……!」
半ば苦し紛れながら、ライフェンに向かって特大の火球を放つチータ。日頃扱う小さな火球とは異なる、人一人を呑み込めるほどの巨大火球だ。稲光が収まり、チータの攻撃から解放されたライフェンに差し迫るその攻撃は、単調ながらも無防備に受ければ即死さえ視野にはいる猛撃。
チータの歪む視界の先、火球はライフェンに直撃したかのように爆発した。魔力による防御を展開したことは予想できるが、それよりも、回避せずにそれを受け切ろうとしたライフェンの動向に、チータはこれまで抱いていた認識を完全に一新した。
煙が消えた先に立っていたのは、杖を握った手を前に突き出し、火球をその手で止めた姿勢を示唆するライフェン。それは少なくともチータの知る兄の姿ではなく、顔を合わせなかった数年の間に、魔導士としての格を遙かに高めたライフェンの姿。
「……兄上。あなたは、まさか……」
火柱魔法の火柱を突貫し、雷撃錐を受けきり、高出力の火球魔法を受けてなお倒れぬライフェンが、その都度耐魔結界による魔力の防御を展開していたであろうのはわかる。そこまでこの兄が、敵の攻撃の直撃を耐えた上で、あれだけの猛攻に魔力を費やせる高位魔導士である事実は、どう考えたって理に合わないのだ。チータがサルファード家を離れたあの頃時点でも、充分にライフェンは力のある魔導士ではあったが、そこから数年の歳月を挟んだとは言っても、単身ここまで強い魔導士になっているとは考えにくい。
そして、先程杖を交わせた時に、チータの目に映った明確な違和感の正体。一瞬目に入っただけのあれは、見間違いかとさえ思ったが、チータの前でにやりと笑ったライフェンの口の端から、それは現実のものであったと事実が突き付けられる。
「百獣皇アーヴェルの手腕は見事なものだ。これほどの力を得られるとはな」
ライフェンの口元からちらりと見える、悪魔の牙のような尖った長い歯。それは明らかに人間が持つ長さの歯ではなく、チータのすぐ目の前でライフェンが舌打ちした際にも、わずかに光った異物の正体そのものだった。それが目に入った瞬間、ライフェンの目までもが殺意に満ちた魔物の瞳の如く、赤く光って見えたものだ。
「……ネビロス」
「知識だけは一人前だな。ご名答だ」
チータが仮説を一つの単語に集約して口走ると、その言葉を肯定するようにライフェンは答えた。ガーゴイルの上位種であり、風の魔法を扱うことを得意とする魔物、ネビロス。人としての姿を半ば捨てた風体のライフェンを、推測の上で適切な言葉で比喩するには、その言葉が充分だった。
チータも話には聞いたことがある、旧ラエルカンの呪われた技術、渦巻く血潮。魔物の血を人間の肉体に流し、人ならぬ力を得るという、眉唾の知識が急激に現実味を帯びてくるというものだ。ただの名家生まれ、温室育ちの魔導士が、あれだけの強力魔法を一身に受けた上でここまでの魔法攻撃を繰り出してきた事実に対する答えは、きっとそれで間違っていない。
よろめくように後ろに退がって距離を取るチータに、ライフェンはゆっくり歩み寄ってくる。魔力防御を展開したとはいえ、雷撃錐の直撃で痛めた体のダメージもそろそろ気にならなくなってきたか、ライフェンは余裕の表情でチータを見下してくる。
「……あなたはもう、人でさえなくなったのですね」
「人を超えたと形容して貰おうか……!」
ライフェンが杖先から放つ風の刃が、体の痛みに反応を鈍らせるチータの肌をかすめていく。膝をつく一歩手前で死に体となることを拒んだチータは、正しく構えてライフェンを見据え直す。
堕ちたる兄。元より敬意の欠片も払ったことのない兄が、魔物と手を結ぶにとどまらず、その身までも魔に堕とした事実には、チータも内心言葉に出来ぬ想いがある。しかし、それに勝ってチータの胸中から沸き立つ想いは、目の前に敵として立ちはだかる絶対悪に対する、憤慨に近い感情。
魔法とは、霊魂にはたらきかける精神の揺らめきが生み出す魔力によって、その力を行使する力。まだ、魔力は絞り出せる。胸の奥から沸き立つこの激情が、勝利への力となることを確信しているチータは、虚ろになりそうなその目に炎を宿してライフェンを睨みつける。
「四陣風激!」
「開門、雷撃槍!」
ライフェンの後方に渦巻く風から放たれる、4つの竜巻の砲撃がチータに伸びる。真っ向からそれに対して特大の電撃の槍を放ったチータの行動は、彼にしてはあまりにも非合理な対処法。回避もしくは防御でいなせばいいものを、力任せに相殺しようとするのは魔力の使用効率が悪すぎるからだ。
絶大な破壊力を持つライフェンの風の魔法を、チータの雷撃魔法が相殺し、両者の中間点で大爆発を引き起こさせる。目を見張るライフェンの正面位置、負けられない戦いに向けて覚悟を決めたチータの強い眼差しが、敵を突き刺す。
これだけ心身ともに疲弊した状況下、ライフェンの力技を相殺できるだけの魔力を振り絞れる事実を確かめたチータは、己が胸に渦巻く感情の高ぶりを実感する。戦える。魔物の力添えで薄っぺらい力を獲得したライフェンになど、自らの魔力が劣っていないことを証明できたことは、勝利を目指すチータの精神を前に向けて強く漕ぎ出した。
満身創痍の第14小隊の前に現れた勇騎士ハンフリーの存在は、まさしくこれに勝って頼もしい者はいなかったと言える。魔王マーディスを討伐した勇者の一人、勇騎士ベルセリウスに等しい階級が背負う意味は、形だけの地位ではなく卓越した実力に基づくものだからだ。
そんなハンフリーでも、一度距離を取ったのちに睨み合わねばならぬ相手。彼の眼前で拳を打ち鳴らし、にたりと笑う獄獣ディルエラの姿は、騎士団の中でも有数の実力を持つハンフリーにしても、隙を見出すのが難しい怨敵だ。
「ハンフリー、っつったっけな、お前。ウルアグワの奴が、要注意人物に挙げていた気がするよ」
まるで酒場で他愛もない話を振るような、軽い口調で語りかけるディルエラに対し、ハンフリーは眼差しだけでその言葉を斬って捨てる表情。すぐ後ろに無残に倒れた、若き騎士団の後輩達の姿は、彼の怒りに火をつけるには充分なものだった。
「まァ、口より拳で語らう方が、俺の性には合ってるか」
ディルエラの掌に、魔力が集中する。次の瞬間、ハンフリーの放つ殺気に近い覇気が、両者の立つ戦場を一気に駆け抜けた。それは地面に倒れ伏せたガンマや、立ちすくんでいたユースやキャルが、思わず全身の鳥肌を立てるほどのもの。
獄獣ディルエラの奥義の一つ、列砕陣。凄まじい衝撃波を地に走らせ、広くを破壊する必殺技の存在は、かつて魔王マーディス存命のあの頃戦場を駆けた者達は、少なくとも一度目にしている。ハンフリーとてその例外ではなく、何度も見たあの技の発動前における獄獣の気配は、これほど近く立つ今となっては肌で感じられるものだ。
「相変わらずだな、お前はよ」
その拳が放つ衝撃波を起こそうものなら、それより速くその手首を刎ねてくれようというハンフリーの気迫が、ディルエラを引き止める。その手を地面に振り下ろす大振りのモーションは、今のハンフリーの前で無防備に演じるには危険であると、獄獣ディルエラも判断したようで、掌に集めた魔力を発散させるに至る。
ディルエラは一歩退がった。敵が隕石のように突進してくることを覚悟していたハンフリーには予想外の行動だったが、意識を切らずに構えを解かない。前に出ることもしないのは、後方に倒れた若き芽を守るためだ。
「ベルセリウスの奴も、この近くに向かっているようだしな。ここらが潮時ってことかねぇ」
当たり前のように、現在進行形の遺跡内の情報を口にしながら、ディルエラが石壁に近付く。ハンフリーと向き合ったまま、その左手で石壁を撫ぜるディルエラだったが、何やら残念そうに一つ溜め息をつくと、不意にその左拳を握るのだ。
裏拳で壁を殴りつけたディルエラによって、遺跡の石壁はあっさりと風穴を許した。ユースやガンマ、キャルがぞっとする光景に凍りつく中、微動だにせず敵の攻撃を警戒するハンフリーが、未だこの戦場を制圧する形を維持する。
「次に会う時が、楽しみだ」
石壁の穴の下、生き残った壁をも蹴飛ばして破壊すると、門をくぐるように石壁の向こうに去っていくディルエラ。直後、その巨体が駆けていくような重い足音が、ハンフリーや第14小隊の耳から離れていくように届いた。
最大の脅威が去った今、ようやくハンフリーはグラディウスを鞘に収めて、後方の若者達に改めて目を向けた。誰もが肉体的な傷以上に、規格外の怪物に心を折られ、これ以上の戦闘を望めない状態。彼らの頼みの綱であった法騎士も、若く小さな体の傭兵に抱きかかえられる形で気を失った姿に、事実上のこの小隊の全滅が事実として目に映るのは自然なこと。
「……さあ、立つんだ。撤退するぞ」
ライフェンの追跡を目的とする事実が残っていても、結果的に獄獣に構った形でライフェンを見失った今のハンフリーにとって、目の前の若き戦士を生きて帰らせることが最優先目的へと変わる。ここまで尽力してくれた部下の心意気との天秤にかければかけるほど、重き決断を強いられるというこの状況。それでもハンフリーが選ぶ決断とは、それだった。
騎士昇格試験、エレム王国騎士団5つの難題、第五問。騎士として、何のために戦うか。"魔に脅かされる目の前の人々の命を守るため"。若きあの日、解答欄にそう書き込んだハンフリーの信念は、未だ揺るがず彼の行動の礎そのものだ。
「っ、待って下さい……!」
そのハンフリーに対し、異を唱えた人物がいる。声の主に目を移したハンフリーの前にいたのは、傷ついた体であることが一目で見てとれる、若き少年騎士だった。
「ライフェンを見つけた仲間が、この先にいるんです……!」
無意識の奥にさえ根付く、遙か雲の上の人、勇騎士に対する畏怖。平常時ならば話しかけることさえ恐れ多い相手に、二十歳にも満たぬ少年は喉の奥から必死で声を絞り出して訴えかけた。
ハンフリーは、僅かな間を置いたのち、小さくうなずいた。それに数瞬遅れてユースの胸を、遙か高みに立つ人物に話しかけたことからくる、激烈な緊張感が締め付けるが、一瞬足元に落としかけた目線を必死に引き上げ、真っ直ぐ勇騎士様から目を切らなかった。
「……君達は、走れるか?」
ハンフリーか語りかけたのは、法騎士シリカを抱きかかえる少年傭兵と、その傍に腰を抜かすように座り込んだ少女、そして弓を握ったまま動けない少女。半ば茫然自失の二人をよそに、ガンマはシリカをそっと石畳に置き、そばに転がった自らの大斧に駆け寄ってそれを背負う。
「――走れます!!」
そのままシリカの元に舞い戻り、彼女を両手で抱きかかえてはっきりと声をあげるガンマ。その声に体を震わせていたアルミナも、目が覚めたように顔を上げて声の主を見る。同じくはっとしたかのように、地に腰をつけたままのアルミナに駆け寄るキャル。
「動けるならば、この先に進むんだ。聖騎士グラファスと合流し、撤退の旨を伝えてくれ」
「わかりました……!」
力強くうなずくガンマの近く、アルミナの手を両手で握るキャルが、親友を立たせるために非力なその手に力を込める。唇を噛みしめ、震える足に鞭打って立ち上がったアルミナは、未だ少し涙目のままながら、ハンフリーに指し示された先に眼差しを向けた。立ち上がり様、キャルの肩をぽんと叩いたのは、彼女に対する感謝を言葉にする口がまだ上手く動かなかったからだ。
ガンマは後ろの二人が動ける状態だと確認すると、親しんだ隊長を抱えたまま走りだす。それを追うように去っていくアルミナとキャルを見届けると、ハンフリーはユースに目線を向け直す。
「案内してくれ。方向だけでも、大きな手がかりだ」
「はい……!」
勇騎士ハンフリーの前を走りだすユースは、歴戦の勇士の快足を鈍らせぬよう、わかる限りを全力で駆けていく。魔王を討伐した勇者と並び立つような偉大な騎士、その前を走る少年の後ろ姿は、今より未来を切り拓こうとする必死なる魂を顕し、ハンフリーは追随することを快く選んだ。




