第80話 ~砂漠の獄獣④ 第14小隊VS獄獣ディルエラ~
「お前らの中で、一番強ぇのは誰だ?」
くわえた葉巻を吹き捨てて、先程聞いた問いと同じ言葉を投げつけてくる獄獣。背中に背負った大斧に手もかけず、ゆっくりと歩み寄ってくる姿に、アルミナとキャルが思わず後ずさる。
「……クロムはどうした」
「おいおい、訊いてるのはこっちだろうがよ」
鋭い眼差しで武器を構え、質問に答えるつもりなど一切無いと態度を示すシリカに、呆れたような声を返すディルエラ。一方で、こんな奴にどういう印象を抱かれようと知ったことではないシリカは、問いの答えを待つように動かない。
ユースやガンマですら、足は下げずとも重心が後ろに逃げかけた獄獣に対し、一定の距離まで詰めてなお動かないシリカ。ディルエラはそこで一度足を止め、ほんの少し機嫌が良くなった顔でフンと鼻を鳴らす。
「俺と戦った、あの骨のある人間のことか。逃がしちまったよ」
表情を変えぬまま、シリカの胸にささやかな安堵が流れる。その言の真偽はさておき、クロムの生存はまだ見込める事実は、彼にあの場を任せるしかなかった不甲斐無い自分にとって、最大の救いとも言えることだった。
「まァ、お前の答えは聞かなくてもいいようだ。見てればわかったしな」
この数秒、目の前の5人の人間を見比べて、ディルエラは答えを出したようだ。最前に立つシリカの一歩も退かぬ姿は、その後ろで気概深き眼差しを向ける少年や、巨大な斧を持つ少年に勝り、この場で最も力を持つ者だと見定める。
避けられぬであろう交戦に、昨年には一度も経験しなかった最大級の胸の高鳴りがシリカを襲う。高騎士時代、最後の任務で命を落としかけたあの日に勝る緊迫感が全身を包み、死地への入口が目の前に見えた戦慄を再び経験する日が来た。
「……今来た道を、真っ直ぐに逃げろ。ここは、私が引き受ける」
誰もが拒絶したくなるような言葉を、シリカが反論を許さんばかりの声で放つ。首を振りたかったアルミナもキャルも、そんなシリカの気迫に押されて言葉を失ったものだ。
ユースが、抱いた決意を態度に表わした。騎士剣を構えたまま、シリカの横に並び、共に戦うことを意味する行動に、僅か遅れてガンマも同じく並ぶ。
「お前達……! 私の言うことが……」
「任せられません……!」
シリカの怒号に近い一言を、ユースの力強い一言が封殺した。何も言わぬガンマですら、心中では密かにわかっていること。それは、クロムの方がシリカよりも確かに実力が上だという事実。そんなクロムがこの獄獣に敵わなかったのであれば、同じくシリカも単身これに打ち勝つ力があるとは計算できないのだ。それをはっきり口にしたユースの言葉は、シリカのプライドに傷をつけたのも間違いなかっただろう。
「……勝手にしろ!」
そして、シリカだってわかっている。クロムが獄獣を無傷のまま逃すことになったことから見ても、彼でさえ敵わなかったこの敵に自分が単身挑んで勝てるかどうかなど、算数の出来ない子供でもわかるような計算問題だ。ユースの言うことは正しく、それに反論する力のない自分に対する憤りが、シリカの胸の奥を深く傷つける。
小さな人間三人が、はっきりと自分に立ち向かう意志を示した光景に、ディルエラは僅かに驚いた表情を浮かべた後、静かに笑う。今まで、こんな人間よりも遙かにがたいのいい人間が、自分を恐れて尻尾を巻く光景を何度も見てきたというのに、目の前のこいつらは少し違う。
その目からも、確実な勝利を目指しているわけでもないことは明白なのだ。その上で戦うことを選ぶ人間達の想いたるや、いったい何なのか。試してみる価値はあるかもしれない。
ディルエラは斧を握らず、両の拳を打ち鳴らして前進してくる。武器を握らず戦いに臨むことを示唆する行為は、シリカにとっても怪訝な光景だ。
「……使わないのか」
「要らねぇな。まあ、小動物に対するハンデだとでも思っておきな」
甘く見たような態度でも、シリカの誇りは傷つかない。自らの自尊心よりも、ここを如何に切り抜け、導いてきた4人が生き延びる道を敷くことこそが最重要事項。敵がその真価を発揮せず、それが叶えられる可能性が高まるならば、迷わずそれこそ幸運なことであると思える心がけは持っている。
「さァ、始めようぜ。殺し合いだ……!」
ある一点から地を蹴る足により強い力を込め、獄獣ディルエラがその速度を上げた。右拳を握り締めたディルエラの動きが、殺意の象徴として第14小隊の全員の目に映る。
拳をシリカ達が集った一点に向かって直進させるディルエラの一撃を、三人が他方に散って逃れたその直後、右拳の一撃が地面を粉々に打ち砕いた。ミノタウロスの大斧の一撃を彷彿とさせる、人間では抗うことすら敵わない破壊的な一撃だ。
右に逃れたガンマが、石壁を蹴ってそのままディルエラに直進する。その顔面めがけて大斧を振り下ろす一撃は、たとえ抗う力を正面から受けたとしてもそれを打ち破って敵を切り裂く自信に満ちた攻撃だ。
振り下ろされた大斧を、ディルエラの右拳が横殴りに吹き飛ばす。斧を手放さないガンマは、その力に流されるままに空中で思わぬように体を回される。直後ガンマの肉体を貫いたのは、ディルエラの額による勢いのある頭突きだった。半身に、馬車が突っ込んできたような巨大な一撃を受けたガンマは、内臓を守る腹部浅きにある骨を打ち砕かれた実感に瞳孔を開かされ、壁に向かって一気に吹き飛ばされる。
ガンマの方にわずかに身を進めたディルエラは、後ろから自らに迫るユース――先刻の攻撃を左に跳んでかわしたユースに向かって、後ろ蹴りを放ってくる。背を向けた獄獣に追撃するはずだったユースの虚を突く攻撃に、思わずユースも身をかがめると同時に足を止めると、前髪の先をかすめる凶悪な一撃が鼻先まで風を届けてくる。
その時ほぼ同時、最初の攻撃を後ろに跳ねて回避していたシリカが、ディルエラの下腹部近くを駆け抜けてその剣で傷をつけにいく。しかしユースに対して蹴りを放ちつつ、シリカの動きを視認していたディルエラは、剣の軌道上に腕輪を纏う手首を運び、その一撃をはじき返す。
駆け抜けて自らを離れるシリカに対し、地面を指先で勢いよく抉り払うディルエラの行動が、砕けた地面の破片をシリカに向けて放つ結果を生み出す。振り返った先から、少数ながら大粒の石弾丸が襲い来る光景に、シリカは剣を構えて自らに直撃するであろう岩石の一つを打ち払う。その行動に伴い、他の岩石からも的を逃がす体勢を作るものの、拳ほどもある岩石の一つがシリカの右肩をかすめ、岩石が持つ破壊エネルギーがシリカの表情を歪めさせる。
恐れを握り潰し、ディルエラの足を切りつけようと低い体勢のまま剣を振り抜いたユースの眼前、体姿勢のまま極小のジャンプを演じたディルエラが、この上ないタイミングでユースの剣の軌道を跳び超える。着地と同時にユースに向かって振り下ろされるディルエラの掌は、それを目の前にしたユースにとって、生への希望を閉ざす闇の接近に近いもの。
「英雄の双腕……!!」
精一杯の想いを振り絞り、盾を上に構えるユース。直後、落盤が人間を押し潰すような凄まじい衝撃が盾を伝わり、ユースの肉体を圧迫する。自らの生存を懸ける、ユースの精神と霊魂が過去最も強い魔力を絞り出す事実が、ディルエラの掌からユースを貫く衝撃を最大限に緩和する。
その上で、ユースの腰が砕けたような実感が全身を貫く。真上から振り下ろされたディルエラの掌は、真っ直ぐにユースを押し潰すものではなく、自分の腰上ほどまでしかない人間に向けて上から掌底を払い抜ける一撃であったが、その衝撃に負けたユースの肉体は、盾から体を貫いた下向きの力に押され、腰砕けのまま背中から地面に叩きつけられる結果を残す。
力ずくで上からの力に叩き倒される経験など、生涯で一度経験できるかどうかだ。まるで二階から落ちた末のような急加速度を得たユースの体は、弾性を持たない岩石の地面に一度ぶつかってなお一瞬浮く。内臓まで貫いたその衝撃に、シリカとの苛烈な訓練でも経験したことのない吐血を、ユースはこの日初めて体感した。
二人の少年が叩きのめされる光景にシリカが抱いた激情は、目の前の惨状に血の気を失ったアルミナやキャルの意識に、割って入るほど激しい気迫を放つ。ディルエラは足元に倒れる少年を見限り、自らに向かって勢いよく突進するシリカに振り返る。
構えた自分に真っ直ぐ向かってくるシリカの狙いが読み切れず、ひとまず横殴りの拳を振るって応戦するディルエラ。加速したシリカは姿勢を一気に下げてディルエラの股下をくぐり、ディルエラの右の大腿部にその剣を向かわせる。思わぬその狙いに舌を巻きながらも、ディルエラは右の脚ごと振り上げて体躯を回転させ、シリカの攻撃を回避する。
同時に見据える先にシリカがいると悟っているディルエラは、素早く握った腰元の鉄球をシリカ目がけて勢いよく投げつけた。横に跳んでそれを回避したシリカは、そのまま地を蹴ってディルエラに直進して再び攻撃に移る、そのはずだった。
そんなシリカに一瞬で距離を詰め、敵が攻め手に足を向けるよりも早く相手を射程距離内に収めるディルエラ。その左拳がシリカに向かって真っ直ぐに打ち抜かれ、完全に虚を突かれたシリカはこの攻撃を回避する暇を与えられず、やむなく騎士剣を前に構える形で歯をくいしばる。
石壁をも素拳で打ち砕く獄獣のパワーは、鍛えられた人間の力で抗えるものではない。地を蹴って後方に衝撃を逃がしたところで、その破壊力は悠々とシリカの筋力を超過し、彼女の両腕の筋肉を真っ直ぐに痛めつける衝撃とともに、シリカを石壁に向かって吹き飛ばした。
石壁に叩きつけられたシリカは、体を貫く凄まじい衝撃に、口の中のものをすべて吐き出さずにはいられなかった。同時に肺の奥からすべての空気が押し出されるような感覚に、意識を吹き飛ばしかけながら地面に崩れ落ちる。それでもぎりぎり保った自我により、片膝をついた上でなお騎士剣を手放さなかったのは、法騎士として最後の魂が為した業だと言える。
「……案外、肝が据わってやがるな」
あらゆるものを破壊するディルエラのパワーをまともに受ければ、そうする余裕もなく腕の筋肉はすべて断裁され、壁に叩きつけられた時点でシリカは意識か命を落としていただろう。それだけのパワーを当たり前のように引き出せるディルエラが、今の一瞬それを叶えられなかったのは、ディルエラがシリカに拳を届かせる直前、その腕を貫いた銃弾が筋肉の働きを阻害したからだ。
震える唇を噛みしめて、銃口から煙を吹く得物を構えた一人の少女。弓を構えながらも放つタイミングを見極められなかったのか、その姿勢のまま硬直した少女といい、明らかに喧嘩を売っても命を奪われるだけのこの状況下、牙を向けてくる人間の精神には、ディルエラも含み笑いが止まらない。
「せっかくだから、使わせて貰うかね」
ディルエラの殺気がアルミナとキャルに向いたことに、シリカの全身の血が凍りつく。すぐには立ち上がれぬその肉体に鞭を打つより遙かに早く、ディルエラがアルミナとキャルに向かって直進した。
アルミナはディルエラの鼻先に弾丸を、キャルはディルエラの胸元に向けて矢を放つ。示し合わせずとも狙いを散らす、射手二人の息はよく合ったものだが、腕輪をつけた右腕を上から振り下ろす形で、ディルエラが速度の違う二つの飛び道具を打ち落とす。たった一つの行動で、少女達の攻撃二つを同時にだ。
あっという間に距離を詰めたディルエラは、近く並んだアルミナとキャル目がけて、その掌を上から振り下ろしてきた。それは先ほどのユースに対する叩き払いではなく、真上から真っ直ぐに地面に向けて掌を向かわせる、太い流木さえも砕いて平たくする一撃。
アルミナの決断は、掌が落ちてくるより早かった。隣に立つキャルに勢いよく押し飛ばし、それによってキャルの体が横に吹き飛ばされる。そして、全体重をかけてキャルを遠方まで突き飛ばしたアルミナがその場に倒れ込んだところへ、ディルエラの掌が迫る形。
「アルミナ……!!」
彼女の死を確信せざるを得ない光景に、シリカが絶望の声をあげた。アルミナも、見上げた先から迫ってくる巨大な影が、急速に視界を陰に染めていくような光景に、ここでのさよならを思わずにはいられなかっただろう。
しかし、ディルエラの狙いは違っていた。掌をくるりと翻し、その手でアルミナの体を握る形でその手を振り抜いた。アルミナに突き飛ばされた事実さえも、何が起こったのかわからない中で殆ど認識できていなかったキャルの目の前にあったのは、獄獣ディルエラがアルミナの体をその手の中に握り締めた形だった。
完全に死んでいたと思っていたアルミナの目の前には、膝をついたシリカの姿があった。今、自分が生きている実感すら沸いていなかったアルミナの意識を現実に引き戻したのは、自らの体を包み込むディルエラの握力が、ぎしりと全身を締め上げた痛み。
「お前、まだ手の内を見せきってねえよな?」
直感任せにそう言ってのけるディルエラの言葉が、シリカの心中をつんざく。目の前にアルミナの生殺与奪を握った獄獣の言葉が何を意味するのか、青ざめた胸でシリカは全力で想いを巡らせる。
「ちゃんと見せろよ、てめえの全力をよ。でねえと、こいつの命は無いと思えよ」
「あ゛っ……ぐ……!」
ディルエラの指先に込められる力ひとつで、アルミナが声を漏らして苦しみをあらわにする。気が気でならないキャルがそれに駆け寄ろうとするが、その動きを視界に入れたディルエラの真っ黒な眼差しに押され、キャルがその足をすくませる。
「こっちへ来い。俺と一対一だ。話に乗るなら、こいつは解放してやってもいい」
その言葉を聞き受けたシリカは、足早にディルエラの元へ駆け寄る。敵の射程圏外かつ、それに近く迫った場所で、肩で呼吸をしながら騎士剣を構えるシリカの姿に、ディルエラはどことなく満足がいった顔を見せる。
「逃げねえよな?」
「当たり前だ……! アルミナを、放せ……!」
「命令口調とはたいしたタマだな。お前はむしろ頼む立場じゃねえのかよ」
人をからかう時のマグニスによく似た口様で、ディルエラが鼻で笑う所作を見せてくる。付き合う余裕もあるはずがないシリカは、敵愾心に満ちた目でディルエラを睨み返すことしか出来ない。
「ま、相手が俺でよかったな。ウルアグワ辺りが相手だったら、そんな態度一発アウトだわ」
そう言ってディルエラは、その手に握るアルミナを、遠方のユース目がけて投げつけた。シリカやアルミナの危機に、なんとか体を立ち上げていたユースは、飛来するアルミナの体を受け止める形で後ろに倒れ込む。
「っ、ぐ……! あ、アルミナ……大丈夫か……!?」
「はっ……げほ、っ……! ぅ、え……」
死の淵から生存したアルミナは、咳きこみながら体をがたがたと震えさせている。前後不覚で周りも見えずに怯える少女の姿は、彼女の身に起こった恐怖の真髄を、経験したわけでもないユースの脳裏にも伝えて刻みつけるには充分なものだった。
「キャル……! ユース達の所へ……!」
凍りついたキャルに、正しい行動を促すシリカの言葉が届く。我に帰ったかのように駆けだしたキャルが、ユース達のいる場所まで辿り着いた時、改めてシリカはディルエラに全神経を傾ける。
獄獣との一騎打ち。それは自らの死を意味することだと、シリカだってわかっている。それでもやらねばならないのが、法騎士として若き部下を率いてきた自分の為すべき重責だ。この状況を敵に強いられるこの形を作ったのも、自分の力及ばなさが招いた結果だと、言葉にして思い描くまでもなく行動原理としてシリカの精神に根付いた思想。
「悪くない目だ。今度こそ、お前の全力ってやつを見せてくれよ?」
シリカがこの戦いで封を切っていない、最後の切り札。万物を切り裂く勇断の太刀の力は、この怪物に通用するだろうか。騎士剣を敵に届かせること敵わなければ、その威力が発揮されることも無い最後のカードを、シリカは敵の実力と照らし合わせて胸の内に握り締める。
やるしかないのだ。騎士団の先人達が追い続け、討伐を為せなかった獄獣に、自らの手で一矢報いるためには、その不可能を可能にする他ない。シリカの決意はその精神から溢れて霊魂に訴え、次の一撃に全てを賭けた魔力を絞り出した。
「一発勝負だぜ、騎士様よ……!」
ディルエラがその掌を上に向け、凝縮した魔力を乗せるようにして光らせる。自らに向かい来ると予測していたシリカの読みに反し、ディルエラがとった攻撃手段とは。
先手必勝を取れるはずもないシリカの眼前、ディルエラは魔力を握り締めた拳を振り上げる。そして勢いよく、その拳を地面に向けて真っ直ぐに振り下ろした。
「列砕陣!」
地面に拳が叩きつけられた瞬間、地面を走る凄まじい衝撃波。それは走る地面を次々とめくり上げ、岩石の破片を天井まで届かせて前進する巨大な牙そのものだ。真正面からそれと向き合ったシリカも、何もせずこれの直撃を受ければ、地表から立ち上がる衝撃波に全身を粉々にされた上で吹き飛ばされ、もの言わぬ屍になるビジョンが一瞬で浮かんだ。
後ろには力尽きた仲間達がいる。すべてを呑み込む獄獣の歯牙を前にしてシリカがとるべきと判断した唯一の行動は、その衝撃波に立ち向かう前進。衝撃波に目の前の光景を遮られたディルエラの視界の外、法騎士が決死の想いと共にディルエラに差し迫る。
「シリカさん……!!」
「勇断の太刀……!!」
切り札の名を口にするのは数年ぶりだ。咄嗟の判断で詠唱などする暇もなかった日々の多い中、祈りと願いを込めたシリカの絶叫が、後方から彼女の死さえも覚悟したユースの叫び声にも勝って戦場に響き渡る。形を持たぬ目の前の衝撃波に対し、地を擦る軌道で振り上げられたシリカの騎士剣が、真っ向から立ち向かった。
ディルエラは見た。自らの手を離れた衝撃波が、敵の騎士剣の一振りによって真っ二つに割れた光景を。シリカを分岐点として別れた衝撃波はYの字に切り裂かれ、回廊の壁に衝突して爆音とともに石壁を粉々にする。
そして衝撃波を切り裂いた騎士が、弾丸の如く自らに差し迫る光景。獄獣と恐れられた自らの懐に迷い無く突き進んでくる、勇敢とも無謀ともとれるその姿は、かつて若い騎士ながら自らに果敢に立ち向かい、満身創痍となった末に自分を打ち破った一人の人間と重なってすら見えた。
「飼ってやるよ、お前……!」
今日一番の邪悪な笑みを見せたディルエラの首元に、全開の魔力を纏ったシリカの騎士剣が迫る。腕で防がれようとも、それを乗り越えて敵に刃を届かせんとする、勇断の太刀の決意を一身に背負った剣身が、ディルエラに向かって振るわれた瞬間だ。
ディルエラは、横薙ぎに振るわれた騎士剣を殴り上げ、刃に触れずしてシリカの攻撃をかち上げた。それに伴い体の浮いたシリカに対してディルエラがとった行動とは、空中で体勢を崩したシリカに、勢いよくその額を突き出す頭突きの追撃だ。
規格外の首の力が引き出す、馬車の衝突のような一撃が、空中に回されたシリカの背中に深く突き刺さる。頭を下にしたまま背骨まで響くその一撃に、傷ついていたシリカの肉体がさらに悲鳴を上げ、声にならない悲鳴が口から溢れる。そのまま吹き飛ばされたシリカは、受け身を取る意識も取り戻せぬまま空中を舞うことになる。
痛む体を引きずって地を蹴ったガンマが、シリカを空中で受け止める。その衝撃が負傷した体をさらに引き裂いたが、なんとか自分の身体を下にして地面に落ちたガンマが、シリカの命を救う結果を導き出した。
「し、シリカさん……大丈夫、ですか……!?」
表情いっぱいに苦痛を表わしながら問いかけるガンマに反し、気を失ったシリカは真っ青な顔でか細い呼吸を繰り返すだけだった。自分も受けた獄獣の頭突きは、少なくとも骨を何本も持っていく凄まじい重さだったのだ。それを、胸当てもない生身の背中に受けた彼女の肉体がどうなってしまったかなど、彼女の柔肌に触れる今想像すると、最悪の結果しか思い浮かばない。
地面に倒れた4人の少年少女と法騎士。その場でただ一人立つ人間の一人であれど、今の自分に何も出来ることなどないと突きつめられたばかりで、弓を構えることも出来ずにいる少女。そんな第14小隊に容赦なくゆっくりと歩み寄るディルエラの姿は、まさに命の芽を摘む悪魔そのもの。
「さて……どうするか。首土産の一つぐらいは持ち帰らなきゃ、アーヴェルあたりが煩いしなぁ」
殺意を口にするディルエラを前に後ずさり、横にアルミナを受け止めたまま立ち上がれないユースを目に入れた瞬間、それ以上下がれなくなるキャル。目の前の怪物から逃げ出したい気持ちと、立ち上がれない仲間達よりも後ろに退がれない想いが混濁し、少女の心が袋小路に追い詰められる。
自らの上で震えるアルミナをそっと横に置くと、ユースは地面に落ちた騎士剣を拾い、立ち上がって構えた。何も出来る気はしなかったけれど、そうせずにはいられなかった。
シリカは倒れ、クロムやマグニスもここにはいない。ガンマもすぐには立ち上がれないのであれば、この場において戦える者は自分しかいないのだ。
「お前は飼う価値があるとは思えねえけどな……なら、お前の首を持って帰ることにするか」
それは、獄獣の死刑宣告。蛍懐石が淡く照らすこの遺跡の中で、二十年に届かなかった自分の人生がここで終わる予感を身に受けつつ、ユースはその手に握る騎士剣に力を込めた。
ディルエラが、その右足に力を踏み込めたその時だ。
「む……」
ユース達の遙か後方から、弾丸のような速度で宙を駆ける影が、一瞬にして第14小隊を追い抜いてディルエラに迫った。その影の存在を一瞬で視認したディルエラは、得物を振るった影の攻撃を、胸の前に両腕を交差する形で防ぐ形を取る。
短身のグラディウスを一突きにディルエラの胸元を狙った騎士の一撃が、ディルエラの腕輪に衝突して火花を散らせる。人間離れどころか、魔物の桁さえも超えたパワーを持つディルエラが、凄まじい速度を得た騎士による、鋭い一突きに腕を震わせる前、影の正体は身を翻して後方に着地する。
「獄獣……貴様……!」
「あァ、お前か。すっかり夢中で、気付かなかったわ」
見知った顔を目の前にして、鼻を鳴らして笑いを浮かべるディルエラ。獄獣と向き合ったエレム王国騎士団の雄、勇騎士ハンフリーは後ろに倒れた若き騎士団員の惨状を背負い、怒りに満ちた眼差しをディルエラに差し向けた。
 




