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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第5章  未来を求める変奏曲~ヴァリエーション~
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第79話  ~砂漠の獄獣③ 一難去って~



 魔法剣士ジャービルは、もはや詠唱を唱えるのも煩わしくなったか、目まぐるしい動きで百獣皇を攻め立てていた。魔王マーディスの遺産の一角として名高い、最強の魔物の一匹である百獣皇アーヴェルも、歴史に名を残すであろう勇者の本気を前にして、余裕を張り付けた表情を既に溶かしている。


 ジャービルの掌から放たれる火球がアーヴェルに迫る。空中で自由自在に飛び回るアーヴェルがそれを回避した瞬間、その火球は爆発して熱風をアーヴェルに浴びせる。望む場所で爆発させることで、敵に回避されてなお攻撃の一手となる魔法、爆炎弾丸(レッドクラッシャー)は、敵の動きを抑制しつつ敵を追い詰める、ジャービルの得意とする魔法だ。


 宙を舞うアーヴェルは次々と真空の刃を撃ち出して応戦する。魔法障壁を作ることなど造作もないジャービルが、そうした手段を用いずにそれらを回避することに徹するのには、理由がある。百獣皇アーヴェルの放つ空裂断裁(エアスラッシュ)の魔法は、岩石すらも貫いて対象を切り裂く奥義なのだ。それを魔法障壁で防ごうとするならば、相当な魔力を費やさねば防げない。そして魔力の過剰な消費は、長期戦になれば必ず肉体に響いてくる。


「くぅ~、当たらんニャ。人間なんてコレ一発当てりゃ、簡単に死ぬのにニャ」


 アーヴェルの戦い方は極めて労力をかけず、敵の命を奪う手段に長けている。多量の魔力を注いで派手な魔法を使わずとも、人間は身体のいずこかを切断してやれば、それだけで致命傷を作れることを知っているのだ。ゆえにこそ最も使い慣れた風の魔法の中、最も魔力を使用せず、かつ敵を葬れる威力を確保した空裂断裁(エアスラッシュ)の魔法を、人間相手には多用する。


 そうしたアーヴェルの性格は人間達の間にも広く知れ渡っており、単なる風の初級魔法、風刃魔法(ウインドカッター)と同じような魔法と同じく、アーヴェルの矢を甘く見る者は少ない。しかし、散弾雨のように飛来するアーヴェルの攻撃を、せわしなく回避することを強いられるのは、体力面に響いてくる。息をするのと同じぐらい容易く、負担なく、空裂断裁(エアスラッシュ)を放てるアーヴェルにとっては、労力のアドバンテージの取れた戦略には違いない。厄介な立ち回りだ。


 これを打破するには攻め手に移り、アーヴェルにとって望まぬ動きを強いるしかない。ジャービルが地面に手を当てた瞬間、アーヴェルの真下から吹き出す水柱。しかしそれは、アーヴェルに届く直前、鋭い氷の刃となって襲いかかる。噴出する水の速さと重さ、さらには凍結した水の硬度を伴わせ敵を打ち抜く貫撃氷河(ライズグラーソン)の魔法は、敵の思わぬ角度から速く重い攻撃を打ち出す、奇襲にはもってこいの術。


 機敏にそれを回避したアーヴェルの隣、その氷柱はすぐさま炸裂する。氷のつぶてを放つその崩壊はアーヴェルの視界を彩りつつも襲いかかる牙となるのだ。巨大な槍を回避した直後、尖った無数の刃に晒される二重の奇襲にもアーヴェルは怯まず、自らと、氷柱であった氷の弾丸の間に魔法障壁を展開し、無傷のままにして空中を舞う。


 しかしさらに念じたジャービルの魔力により、突如アーヴェルの周囲に数々の岩石が現れ、まるで磁石同士が結合するかのように固まっていく。初めて見る魔法にアーヴェルが戸惑うものの、やがてアーヴェルの視界が闇に包まれる。突如空間上に現れる岩石によって敵を捕える魔法、捕獲集石(ボルダープリズン)をジャービルが発動し、アーヴェルの周囲を岩石によって卵の殻のように完全に包み込んだからだ。


音速の殺意(ソニックストライカー)……!」


 次の瞬間、ジャービルがその手から放つ必殺の一撃。それは形を持たない音波の衝撃波であり、ジャービルの高い魔力を以って放たれるそれは、今のアーヴェルを包み込む岩石ごと、その中にあるアーヴェルの肉体ごと真っ二つにする力を持つ奥義。四方八方を岩石に阻まれ、身動きのとれないアーヴェルは、視界にそれを入れる暇もなくその肉体を切断されるはずだった。


「……雲散霧消(ディシュペイション)


 その音波の一撃が岩石に包まれたアーヴェルに届くより早く、アーヴェルを包んでいた岩石が一瞬で砕け散った。そして、障害物など何もなかったかのようにあっさりとその身を低く落とし、ジャービルの放った音の刃を回避したアーヴェルは、未だ無傷のまま翼をはためかせている。


「ふぃー、人間も油断ならんニャ。術を増やしてやがるニャ」


 百獣皇アーヴェルが得意とし、その実力高さを不動とする最たる所以となる魔法、雲散霧消(ディシュペイション)。それはあらゆる魔法を、構成する魔力に意図的に介入することで、魔力の乱れを誘発し、術者の実現させようとした事象を叶えさせない魔法。一言で端的に言い表わすならば、あらゆる魔法を打ち消し、無効化させる百獣皇の秘術。


 初めて見た魔法でさえも、その魔法の中に流れる魔力を一瞬で把握し、打ち消す手腕を証明するアーヴェルの姿には、元よりこの存在の恐ろしさを知るジャービルも改めて歯噛みする。空を機敏に舞い、遠隔攻撃を持ち、自らの身を守る魔法を駆使し、敵の魔法は根本から無かったことにしてしまう。小さな体躯の百獣皇、それを討伐する明確な手段を、未だ人類の誰もが提唱出来ぬ所以はまさしくここにある。


 一瞬の思考を巡らせたのち、すかさず攻勢に移るべく動こうとしたジャービルの眼前、アーヴェルがその錫杖を振りかざす。その魔力がまき起こす突風の魔法が、前進しようとしたジャービルの体と足を強引に引き止める。


 すかさず全身から魔力を解放し、自らの体を押しとどめようとする風と相殺し合う気流を発生させるジャービル。しかし同時にアーヴェルから放たれる、無数の風の刃が、一瞬でも足を止めたジャービルに襲いかかる。体の自由を確保したジャービルがそれを回避することは難しくなかったものの、前進を遮られたジャービルの前にいたアーヴェルがその身を翻し、勢いよく逆方向に向けて滑空する。


「く……! 業火球魔法(バーニングブラスト)!」


 逃亡の動きを露骨に演じるアーヴェル目がけ、ジャービルが特大の火球を放つ。魔物ガーゴイルの放つ火球と同じく巨大にして、ジャービルの手によって軌道を自由自在とするその火球は、アーヴェルの機敏な動きにさえも対応させて敵を討ち得る大技の一つだ。


雲散霧消(ディシュペイション)


 自らのその火球が着弾しようとした瞬間のみ振り返り、可愛らしい肉球を携えた掌で火球に触れるアーヴェル。その口が十八番の魔法を口にしたその瞬間、火球は消え失せ発散する。


 にやりと笑って、ジャービルから離れる方向に向かって加速するアーヴェル。その方向は地上へと向かうそれであり、言いかえるならば、先に撤退した兵達にも迫る動きでもある。


 迷いあれど、ジャービルはそれを追うため全力でその足を向けた。次にいつ相見えるかも知れぬマーディスの遺産を追うとともに、百獣皇が後陣の兵を皆殺しにすることを阻害するための動き。遺跡の深部をベルセリウス達、優秀な騎士団が攻め立てている現状、今のジャービルにそれ以外の選択肢は与えられていなかった。


 ライフェンを追うための任務、そしてそのライフェンが潜むであろう遺跡深部にこそ、さらなる脅威が潜んでいることも知っている。それを理解した上で、その戦場からの離脱を強いられる形になったジャービルは、無念を怨敵への激情で上塗りしてその足を加速させた。










 あの先の角を曲がれば、やがてライフェンも見えてくるはずだ。ライフェンの足は、決してそこまで人間離れして速くない。日々戦場を駆けるための肉体を鍛え上げ続けてきた騎士団の、体力と足を以って追いかければ、必ず追いつくことが出来るはずのもの。


 後続の魔導士達の指し示す方向に向けて、眼前の曲がり角をターンしようとした勇騎士ハンフリー。その瞬間に視野に入った巨大な牙がその足を曲げ、迷いなき走りを横っ跳びに方向転換させる。


「ちっ……! 誘い込まれた形でもあったか……!」


 角を曲がった瞬間のハンフリーを噛み砕こうとした巨大な大蛇が、咄嗟の判断でそれを回避したハンフリーを捕え損なったと知った瞬間、勢いよくその首を引っ込めていく。数瞬遅れてその場に踏み込んだ聖騎士グラファスと、ハンフリーの目の前に居座るのは、回廊の中心に大きく居座った、木の幹にも負けず劣らずの太い体を持つ、巨大な蛇が数匹絡み合ったような怪物だ。


 一匹でも大熊を呑み込めそうな巨大な蛇の頭を5つ持つ、異形の魔物アースヒドラ。その5つの頭が携える二桁の数の目が、勇騎士ハンフリーと聖騎士グラファスを睨みつけている。それらに後ろから追いついてきた後続の騎士や帝国兵達も、この魔物と遭遇するのは初めての者が殆どだ。


「ライフェンは、この先へ?」


「ああ。恐らくこいつを足止めの要とし、逃亡を続けているはずだ」


「左様で」


 ハンフリーに問いかけ、答えを聞き受けたグラファスは、瞬時に地を蹴って目の前の怪物に差し迫る。疾風の如く急速に距離を詰めてきた一人の人間に対し、アースヒドラの巨大な頭の一つが大口を開いて正面から襲いかかった。


 アースヒドラの大口が自らを呑み込む直前、僅かに進行方向を横に流してその頭とすれ違う形となって前進するグラファス。そこにもう一つの首が上から襲いかかり、さらに加速したグラファスが一瞬前に踏んだ場所を大蛇の頭突きが叩き壊す。加速によってその重厚な一撃を回避したグラファスはアースヒドラの胴体が絡みつく核心部に近付き、その刀に手をかける。


 残った3本の首のうち、一本がグラファス目がけて斜め上から襲いかかる。跳躍して本体に向かおうものなら、おそらく残った二本の首が撃墜しにかかるだろう。グラファスが跳躍した方向は、高くも後方であり、その目線の先には先刻グラファスめがけて地上に頭突きした大蛇の、胴体部分がある。その横をかすめると同時に刀を振り抜いたグラファスの一撃が、アースヒドラの首の一本を、鮮やかに切り落とした。


 ダメージにうごめくアースヒドラだったが、残った4本の首も、グラファスに代わる形で自らに迫り来るハンフリーを見逃していない。4匹の大蛇が絡み合う核心部に詰め寄るハンフリーに対し、3本の首が次々と襲いかかってくる。一匹はその長い胴をなぎ払うように、一匹が地表を滑るように大口を開けて、さらに一匹は巨体を倒れ込ませるように広くを押しつぶす形でだ。


 時間差で自らに襲いかかるそれらの攻撃を、まず跳躍、そして首の一つを蹴るようにして軌道を変え、上空から襲いかかる大蛇の蛇腹をすれすれで回避する動きで前方に落ちていくハンフリー。僅か上前方にある、大蛇どもの結合箇所が見えたものの、その目の前には核心部を守るために最後の大蛇が鋭い眼を光らせている。真っ直ぐにここを攻め落とすべきか、否か。


 ハンフリーは着地と同時に、アースヒドラの脇をくぐってその位置を置き去りにする。一本の首を失ったアースヒドラは、勇騎士ハンフリーと聖騎士グラファスに挟まれる形となったが、ハンフリーはその形を活かしてアースヒドラと戦う道ではなく、そのまま前方に駆けていく。


「任せたぞ、グラファス!!」


「御意」


 遺跡内に響く高らかなハンフリーの指示に対し、落ち着き静かに発されたグラファスの声は、相手に届いたものではなかっただろう。それでも通じ合わされた両者の意志は明確に叶えられ、今ここに残ったのは、後ろに兵を控えた聖騎士グラファスが、アースヒドラと対峙する局面。


 アースヒドラを盾にして逃亡を続けるライフェンを単身追うハンフリー、そして魔王マーディスの遺産が操る強大な魔物の討伐にかかるグラファス。この隊にある主要戦略の役割は分担され、敵を追い詰めるはたらきは明確に為される形となる。


 再びアースヒドラに向かって突き進むグラファスに、後方に去ったハンフリーから目を切った4匹の大蛇が、ぎらついた目で相手を睨みつけて巨体を震わせた。











「見つけた……!」


 独り言でもそう口にせずにはいられぬほど、今のチータが視認した対象は目指し焦がれたもの。遺跡の一角から現れ、階段を降りていくその対象を目にしたその瞬間、チータは魂を震わせ魔力をその精神から絞り出す。


 相手が馬鹿でもない限り、これで必ず向こうもこちらに気付いたはずだ。自分が長らく会っていない彼の魔力でさえも不慣れな魔力探知で察知できたのだから、逃亡者たるあの人物が、実弟の自分の魔力も感じとれぬほど鈍感であるはずがない。


「――四陣風激(テトラストーム)!」


「開門! 封魔障壁(マジックシールド)!」


 それはかつての兄に対する挑戦心。階段を降り切ったその瞬間、チータに襲いかかる4本の風の砲撃。目の前に亀裂を開き、それらを受け止めたチータは、その亀裂の脇を抜け、目の前で杖を構える一人の男を真っ正面から見据えた。


 後方の魔法障壁をチータが解除したその瞬間、敵の放った風は進行方向への破壊を再開し、4本の風の砲撃は今しがた降りてきた階段をぐしゃぐしゃに抉り潰す。砕けた階段の破片のいくつかが小石のような粒になって背中に当たるが、今の敵から目を切らぬチータにとっては気に留めていられぬこと。


「……兄上」


「貴様もここに来ていたのか……忌々しい」


 サルファード家に生まれ育ち、血の繋がった兄弟でありながら、全く違う育ち方をしてきた二人。長男として父から寵愛され、サルファード家の魔導士として英才教育を受けてきた兄ライフェンと、そんな父からはとうの昔に目を切られ、家政婦に近い顧問魔導士の教えの元、独自の魔道を開拓してきた弟チータが、ここサーブル遺跡にて数年ぶりの再会を果たす形となる。


「……逃げ道なんか無い。神妙に縄につき、人の手による裁きを受けて頂きたい」


「生意気な口を……!」


 自らよりも高い魔力の潜在を容易に感じさせるライフェンの魔力が、彼の霊魂と肉体を中心に渦巻く。杖を構え直すチータは静かに沸騰する感情を胸に抱き、その精神と魔力を絡ませて魔力を練り上げた。











 自らに迫るシリカに対し、長い戦斧の柄の端を振り上げるビーストロード。その怪力と重い武器の威力は、それを当てただけでも人間に対しては致命的な打撃となる。


 同時に後方から差し迫るユースの視界に、その回転によって落ちてくる大斧の刃は、それだけで動きを牽制してくる代物だ。戦斧の柄を、駆けながらも身を捻って回避したシリカだが、直後ビーストロードはその戦斧を握ったまま体勢を低くし、地面に平行となった長い戦斧を振り回す形を作る。


 地面を水平に周囲一体を斧の両端でなぎ払う一撃を、シリカは跳躍して回避する。シリカが跳んだ先はそばにあった柱であり、その場で低くかがんだユースは駆け足を止められる。まだ距離のある位置で足を止めたユースではなく、柱を蹴って自らに飛来するシリカこそ、ビーストロードにとっては迎撃すべき対象。回転する軌道に合わせて斧を振り上げたビーストロードの動きに合わせ、空中からビーストロードに向かうシリカに対し、巨大な戦斧の一撃が襲いかかる。


 戦斧の平面部で殴りかかってきたなら救いはなかった。明確に自らの胴体を真っ二つにする軌道を持つビーストロードの明確な狙いに活路を見出したシリカは、襲いかかる斧に騎士剣を叩きつけ、空中にある自らの肉体を回転させる合力を得る。振りかぶられた斧を飛び越えるように、空中で肉体をわずかに浮かせたシリカが斧先から逃れた直後、ビーストロードの攻撃を回避した直後に地を蹴っていたユースが、ビーストロードの一連の回転運動の軸足となっていた左足の、アキレス腱とも言える場所を深々と切り裂いて駆け抜けていく。


 ぐらつきかけながらも右足を踏ん張って体勢を整えるビーストロードの眼前、着地したシリカは、斧を上ずらせて無防備なビーストロードの胸部に向かって弾丸のように直進する。そしてビーストロードの首が、自らの振るう騎士剣の射程距離内に入った瞬間、その騎士剣を勢いよく横一閃に振るうのだ。


 脅威の接近に身を逸らして回避したビーストロードの顎先を、シリカの剣が風切り音とともにかすめていく。振り払った騎士剣の動きに合わせて身を翻すシリカは、そのままビーストロードの胸部に両足を着地する形をとり、さらにはその瞬間騎士剣を勢いよくビーストロードの胸に突き立てる。そしてビーストロードがそのダメージに呻き声をあげるより早く、その胸を蹴って騎士剣を引き抜くと同時に離れるのだ。


 離れていくシリカを捕えるべく振り抜かれるビーストロードの斧は、わずか届かずシリカの足先をかすめていく。シリカも密かに肝を冷やす局面ではあったものの、その斧を振るいながら後方にのけ反るビーストロードに、隙を見出したのか立ち向かうユースの姿が目に入る。


「待て! そいつはまだ……」


 着地したシリカの声を耳に入れたその瞬間、ユースは一度傷つけたビーストロードの左足首めがけてその騎士剣を振るっていた。しかし、その足が突然目の前から消え、顔を上げたユースの前にあったのは、地面に両手をつけて後方回転するビーストロードの身のこなし。あの巨体で跳躍もなくあれだけの動きをすることに、ユースも信じられないものを見た表情だ。


 そしてその両足を地面に着けた瞬間、ビーストロードは前方のユースに向かって直進する動きを見せる。雄牛よりも遙かに巨大な怪物が自らに突撃するその光景に、過去にない光景に一瞬思考を止められたユースの動きが硬直する。後方でそれを視界に入れるシリカが、ユースの死を直感して心臓を凍らせる。


英雄の双腕(アルスヴィズ)……!!」


 直進しながら斧の柄をユースに向かって振るうビーストロードに対し、ぎりぎりの所で咄嗟の判断に移るユース。その行動は、盾を構えてビーストロードの顔面目がけて跳躍する行為。その跳躍によってビーストロードの武器による致命的な一撃は回避したものの、向かい来る怪物とそれに向かうユースの動きが、凄まじい相対速度で両者の距離を詰める。


 頭を下げたビーストロードの額と、構えられたユースの盾が凄まじい勢いで衝突した。頑丈なミスリル製の盾で頭部に突撃を受けたビーストロードの頭を貫いた衝撃は激烈なものだったが、怪物の石頭のエネルギーを盾越しに受けたユースへの衝撃はそれ以上だ。巨体に伴う重厚な質量と、その突進力が持つ速度が合成されたエネルギーは、走る馬の前足に蹴飛ばされるにも勝る衝突力。


 緩衝の魔力を伴わせたとはいえ、盾を構える腕から前進まで伝わってくる強烈な痛みに、思わずユースが身を傾けると同時、その方向にユースの肉体もはね飛ばされる。石壁に半身で叩きつけられたユースにとって、その痛みの方がさらに耐えがたく、騎士剣を握った右肩の痛みに、思わず武器を落としそうになる。絶対に武器を手放してはならぬという日々からの心がけに支えられていなければ、間違いなく痛みに負けて武器を落としていただろう。


 シリカを追い抜き、ビーストロードに向かって真っすぐ向かう矢と弾丸。ユースの盾構えの突撃を顔面に受けたビーストロードが、その目でユースを睨みつけた瞬間を狙う、アルミナとキャルの一撃。銃弾はビーストロードの肩口を、矢は斧を握る右手に的確に着弾し、思わぬ場所からの遠隔攻撃にビーストロードが怒りの矛先を切り替える。あわや前後不覚寸前のユースにとっては、まさしく彼女らの攻撃でビーストロードの追撃を免れ、命を救われた形となったものだ。


 しかし、次の瞬間命を危険に晒されるのは別の対象。ビーストロードは遠方にいる射手達に向かい、一直線にその肉体を向かわせる。その間にシリカが立っていることなど関係ない。邪魔者となり得るシリカに向かって大斧を振るうと、身をかがめてそれを回避するしかないシリカを追い抜いて後方のアルミナとキャルに差し迫ろうとする。


 シリカの追撃ないし反撃を防ぐために、その足が走る軌道はシリカを蹴飛ばす動きも兼ねている。身をかがめた状態の自らの顔面を打ち抜こうと地表僅か上を滑空するビーストロードの左足を、シリカはぎりぎりまで引きつけて回避する。同時に振るった騎士剣で、ユースが傷つけたビーストロードの左足をさらに深く抉る。


 深々と足の筋を傷つけられても転びもせず、地面を踏みしめて直進するビーストロードが、アルミナとキャルを視界の中心に見据える。そしてその正面に立つ、最後の邪魔者目がけて斧を振りかぶった。


「舐めんなよ……!」


 ガンマとアルミナ、キャルを同時になぎ払うべく振るわれたその一撃を、ガンマの斧が全力で上にかち上げた。真っ向からの正面衝突ではビーストロードの怪力に勝れるかは知らぬものの、力を流す方向に力を加えるならば、自らのパワーが概ねに通用することを、ガンマは正しく自信に刻みつけている。思わず身をかがめてしまったキャルの前、斧を上ずらせるビーストロードの前で得物を構え、敵を見据える頼もしいガンマの背中が残っている。


 恐るべきビーストロードの攻撃をも、ガンマが防いでくれると信頼していたアルミナは、一切体を動じさせることなく構えていた銃の先から、ビーストロードが斧をはじかれた瞬間に一撃を放つ。小さな人間にこのように攻撃をはじかれることを予想していなかったビーストロードに、それに驚く間も設けさせぬ速さで、その鼻先に深く銃弾がめり込んだ。


 大きくのけ反るビーストロードだが、鼻を銃弾で撃ち抜かれてもすぐには絶命しない生命力に乗じ、ガンマ達のいる位置目がけてその斧を振り下ろしてきた。重力任せの殺人的な一撃にはガンマといえど見切りをつけ、横に跳びのき回避する。一瞬反応が遅れかけたキャルも、彼女を抱えて横に飛び退いたアルミナの機転によって事なきを得る。地面を壮絶な破壊音と共に打ち砕いたビーストロードの斧が、アルミナやキャルの心臓まで届いて恐怖を高鳴らせる。


 後方からビーストロードに迫っていたシリカの跳躍して向かった先は、ビーストロードの後ろ首。斧を振り下ろして前に屈んだビーストロードの首元に勢いよく騎士剣を突き立てたシリカは、そこから勇断の太刀(ドレッドノート)の魔力を発動させ、剣を振り抜いてその肉体をばっさりと切り裂いた。万物を切り裂く魔力を得たシリカの剣は、ビーストロードの頸椎と首の筋肉を勢いよく断ち切り、その傷口から勢いよく鮮血を噴き出させる。返り血から逃れるようにすぐさま離れたシリカだったが、ぐらついたビーストロードの動きに合わせてその鮮血は乱暴に散り、たなびいたシリカの金色の髪にしぶきを浴びせる形になった。


 致命傷を受けてなお、素早くその首を回して視界にシリカを入れたビーストロードが、着地したシリカに向かって後ろ蹴りを放ってくる。まさしく断末魔の一撃とはいえ、その重厚な肉体の繰り出す一撃は人間にとっては決定的な一撃であり、シリカも眼前から向かい来る大きな獣の足を見て、咄嗟に地を蹴って後方に逃れる。


 その動きとすれ違うかのように、シリカを追い抜いてビーストロードの足に向かう一つの影。それは盾を構えたユースであり、英雄の双腕(アルスヴィズ)の魔力を纏った盾でビーストロードの後ろ蹴りを盾に捕えると、それと同時に勢いよくその足を上に向かって叩き上げたのだ。瞬馬の蹴りより遙かに重いその一撃を、衝撃を和らげると共に上空に逃がしたユースにより、ビーストロードはつんのめるように前方に倒れていく。


 直後にビーストロードの首元に勢いよく斧を振り下ろしたガンマの一撃が、決定的なとどめとなった。首を切断されたビーストロードは完全に動かなくなり、倒れてなお近くにいた人間、アルミナやキャルに目がけて動かされようとしていた腕も、糸が切れたように横たわるのだった。


 立ち上がったアルミナとキャルがシリカのそばまで駆け寄り、ガンマもそれを追うように走る。少女二人はシリカのそばに立ってビーストロードを振り返る一方、ビーストロードの足を上方にはね上げた反動で地面に背中から叩きつけたユースの方に駆け寄るのがガンマ。


「ユース、大丈夫だったか!?」


「な、なんとか……いっ、てぇ……」


 ガンマの手を自分の方から握るユースに、呼応するように力を加えて立たせるガンマ。もう片方の手で後頭部を押さえながら立つユースは、歪めた表情を抑えられずにいた。


「ユース、つらいだろうが頑張れ。一刻も早く、この場を離れなくてはならない」


「はい……!」


 全身軋むユースに厳しい言葉を向けるシリカだったが、その両足で地面をしっかり踏み締め、ユースは毅然とした声を返した。ここは戦場の真っ只中、まして獄獣やビーストロードのような怪物ひしめくこの合戦場で、痛みに負けて立ち止まっていては、やがて取り返しのつかない傷を負うことに繋がっていくだろう。


 うん、と力強くうなずいたシリカが踵を返し、チータの向かった方向に向かって駆けていく。その姿に従うように、第14小隊の少年少女達が後に続く。雑念を捨て、シリカの導く先にただついて行く、兵としてはこの上なく理想的な姿。


 その直後のことだ。シリカ達が向かう方向、その壁の一角が、突然向こう側から吹き飛んだ。思わず立ち止まるシリカと同じく、誰もが何事かと目の前の光景を疑ったものだが、数秒後にはその事象を引き起こした主役の姿が、第14小隊に現実を突きつける。


 石壁の灰塵立ち込める中から現れた存在。石壁を向こう側から蹴破り、その穴を両手でこじ開けて侵入する怪物は、先程顔を合わせたばかりの存在。夢でも見ているような錯覚に陥る少年少女達の心持ちは、極めて自然な心情の変遷と言えるだろう。


「よぉ、また会ったな」


 夢と言うには生易しく、死を目の前にする悪夢に襲われた心地。獄獣ディルエラと近い場所で再会した人間の心を蝕む戦慄が、第14小隊の5人の心を強く支配した。

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