第73話 ~砂漠への出陣~
「不穏ですね」
「まったくだ」
ラエルカンの南、ラムル砂漠にて、逃亡者ライフェンの目撃情報がはっきりと寄せられた。法騎士ダイアンが、アユイ商団元締めジュスターブと対面してから、一週間も満たない間にである。
法騎士ダイアンの自室にて、組んだ作戦の最終推敲を行うナトームとダイアンの胸中にあるものは同じものだ。あまりに、話が早過ぎる。
「ジュスターブ氏は、マーディスの遺産達はライフェンを、騎士団を誘い出すための餌にすると仰っていましたが……」
「それは充分に考え得ることだろうな。逆に言えば、マーディスの遺産を討つ好機ともとれるが」
堂々とそう言いきったナトームの考え方も、間違ったものではない。かねてより追跡を続けてきた魔王マーディスの遺産を、おびき寄せられる形とはいえ巡り会えるのであれば、それはある意味では討伐のチャンスでもある。
問題は、それを踏まえてどう陣を構築するか。もう完成した布陣を今さら崩すつもりはないが、出撃である今日、自分達が組んだ戦線に対してやはり何も思わずにはいられないものだ。
「ベルセリウス様やハンフリー様がいらっしゃる以上、間違いは無いと信じたいですがね」
「ルオスからはジャービルどのも来られると聞いている。まあ、本来なら安心できる陣だ」
「ええ……本来なら、ね」
突入する敵陣本拠地の様相もすべて加味し、完璧な陣を組んだつもりだ。本来以上に駒を揃え、マーディスの遺産達が総がかりででもかかってこない限り、大きな過ちは起こらないはずだ。
ただ、ダイアンにはひとつだけ気がかりなことがある。今ひとつ晴れない表情の彼に対し、心中を読み取ったナトームが言葉を突き刺す。
「第14小隊のことがそこまで心配か?」
「そこまで身内贔屓をするつもりはありませんよ。否定は出来ませんが」
最近名を上げつつある第14小隊を、今回の任務に差し向けることには、ダイアンもはじめから納得していたことだ。兵力としても申し分なし、ここで彼女らを遣うのは合理的に違いない。
「……まあ、何も起こらないことを祈るだけですよ」
「それはいつものことだがな」
出撃の際、軍師が神経を使うのは当然だ。戦前の夜に血が凍るのは、現場に立つ者達だけではない。
アレナの休息地。クロムに連れられて年始にこの地を訪れたユースは、またここに来たことに短い懐かしさを感じていた。ここより南のラムル砂漠に出撃する前、この地にて同志達と集合する形に手筈になっており、それに対する緊張感も胸に抱きながら。
「騎士様達は重役出勤っすかねえ? 俺らは前日から会場入りしてんのに」
「それは俺の都合込みでそうさせて貰ってんだろ。悪いな、シリカ」
「別に気にしなくていいさ。私としても、ここで一夜明かす方が性に合っていたよ」
騎士団の仲間も、帝国ルオスからの同盟軍も、昨日の夜は北のラエルカンで一夜を過ごしたはずだ。第14小隊は、ラエルカン滞在を快しとしないクロムの都合も手伝って、集合現地であるここ、アレナの休息地に昨晩遅くに到着し、この地の宿で一夜を明かした。別に指令上でも問題はないし、シリカとしては集合地で寝泊まりする方がやりやすいので、こちらの方がよかった。マグニスが少々難色を示しているのは、エレム王都からラエルカンまででも遠いのに、さらにそこで足を止めずに南下するという強行軍を、昨日一度に行わされたからだ。要するに一日でここに来るのは疲れると。
あと、ラエルカンの方が明らかに娯楽施設が多いので、一晩過ごすならそっちの方がよかったという都合もマグニスにはあった。わかっていたから、シリカも敢えてこちらを選んだ部分もある。正直クロムがいようがいまいが、こうしていたとはシリカ自身も思っていた。
「緊張するなぁ……ベルセリウス様に会えるんでしょ……?」
魔王マーディスを討伐してくれた英雄様の一人、ベルセリウス。ジャービルと同じく、あまりにも高い尊敬心を抱くに充分な人物と、今回の任務では顔を合わせることになる。しかも、プラタ鉱山への出撃時とは違い、今回はかなり出撃兵の数が絞られている。そうなれば、お近くで見られる可能性もやや高いし、下手をすれば一言二言お話することが出来るかもしれない。まあ、顔を合わせたとしても言うだけのことはとうに決まっていて、それ以外に何も話すつもりはないのだけど。
「ベルセリウス様とお言葉を交わしたいという人は多いから、あまりがっつかないようにな。抜けがけ、ではないけれど、浮き足立っていれば回りも面白くないだろうから」
「はーい……」
ここ最近、ジャービルやダイアンにお会いできていたという経験のせいか、ちょっと気が緩みかけていたアルミナに、シリカは柔らかくだが釘を刺しておいた。彼女の言うとおり、いち傭兵の者が勇騎士ベルセリウスに気安く話しかけていれば、一度偉人とお話したい想いを抑えて職務を全うしている騎士達にとっても、機嫌よく眺められる光景ではないだろう。
「んで、ユースはまたちょっと緊張してるな。相変わらず過ぎて笑える」
「いや、まあ、仕方無いでしょ。今回はハンフリー様も来られるみたいだし……」
ここ最近、お偉い様と顔を合わせる機会に恵まれたせいもあって、ユースの方もかつてほど体を固くすることはなくなってきている。とは言っても、今回初めて顔を合わせる、騎士階級で言えばシリカより二つ上の階級の方にお会いする以上、やはり緊張感なしというのは無理だ。ただでさえ、ベルセリウスと再会するだけでも緊張はするのだから。マグニスに笑われたって、体に嘘はつけない。
春も半ばに入り、砂漠の朝は日差しに照らされて徐々に暑くなりつつある。アルミナはとうの昔にマントの前を開けて風を受けて暑さに備えているし、ガンマも動くと暑くなるから、木陰に潜り込んでじっとしている。快活なガンマにしては珍しい姿だ。この気候の中でも全身真っ黒のチータに、暑くないの? と尋ねるキャルも、額から汗を流し始めている。
暑さにも寒さにも慣れっこのマグニスは、クロムと一緒に煙草を吸っていた。マグニスが日陰にわざわざ入ろうとしないので、クロムも日光晒しになっているが、砂漠は暑いものだと割り切っている彼としては、それで汗をかこうがかくまいがどうでもいいらしい。他の6人が日陰に移っている一方、日差しの下で平然と話す二人は、ある意味ではちょっと浮き気味ではあった。
そんな折、遠方からクロムを見つけるや否や、駆け寄ってくる一人の人物。それは騎士団や帝国の兵ではなく、ユースも一度出会った戦わぬ一人の女性。
「――クロム!」
「ん? おぉ、久しぶりだな。年始以来か?」
年明けにクロムとユースをこの地で迎え入れた商人、ジーナが息を切らしてクロムに詰め寄った。距離はあるものの、目の前で息を切らせる彼女に、軽い言葉をかけたクロムも少し戸惑う。
「誰あの人。クロムさんの彼女さん?」
「その発想に至るのが早過ぎだろ」
恋愛小説執筆者のアルミナにユースが突っ込みを入れる目の前で、ジーナは何やらクロムに話しかけている。この場所からは聞き取れないが、ジーナの表情はあまり明るくない。
「……サーブル遺跡に行くんでしょ?」
「ああ、仕事でな。魔物と手を結んだアホをシバきに行くだけの簡単なお仕事だ」
やっぱり、と一言漏らして、ジーナが不安げな目でクロムを見やる。目の前の女性がそこそこの美人であることも手伝って、その表情を見たマグニスも口を挟みたくなったようだ。
「旦那と縁のある方だよな。心配しなくたって、旦那は……」
「……騎士団に、逃亡者の目撃情報を寄せたのは私なのよ」
華麗にスルーされ、マグニスも立つ瀬なく苦笑。まるで表情に余裕のないジーナはそれを視界にも入れず、ライフェンと思しき人物が、三日前に砂漠の遺跡の一角、サーブル遺跡にひっそりと身を隠すべく去っていく姿を目撃したことを説明する。それを商団に伝え、その情報が騎士団や帝国に届けられたことまで説明して、ジーナは言葉を止めてしまった。
「お前が情報源か。なら、信頼できるな」
「そういう問題じゃなくって……!」
声を荒げたわけでなく、抑えたままの声を強く放ち、ジーナは額に手を当てる。心配している自分の気持ちが全く伝わってなさそうなこの状況、相手の鈍さに頭を抱えたくなる気持ちもあるというもの。
「親方から聞いたわよ。ライフェンは、魔王マーディスの遺産達が、騎士や帝国兵をおびき寄せるための餌にするための存在だろうって。……あんた、今からそこに行くんでしょ?」
自分の発信した情報が元で、知人が危険な地に足を運ぶことになるというのは、誰にとっても決して寝覚めのいいことではない。気付いていないような顔をしていたクロムにだって、そういう気持ちも決してわからないわけではなかった。
クロムは手を伸ばし、ジーナの頭をくしゃくしゃと撫でる。やめてよ、と手を払いのけるジーナにクロムが向けるのは、いつもの朗らかな笑顔。
「俺は不死身が売りの喧嘩屋だぜ。心配したって、翌朝には杞憂だったってお前も思うだろうよ」
自信満々の顔の裏、戦場に足を踏み入れる男の覚悟を潜めたクロムの眼差し。戦場に立ち並ばないジーナには理解しきれるかどうかわからないが、隣に立つマグニスにとっては、これほどまでに信頼できる戦士の表情は無いと言えるそのものだ。
「……生きて、帰ってきなさいよ。あんたは、アモス遺跡発見者の片棒持ちなんだから」
「おう、そういやそうだったな」
快活さは無いものの、戦場に乗り込む男を笑顔で見送ろうと努めるジーナの姿に、クロムはかっかっと笑うのみ。両者の間にある熱の差がよく見えて、マグニスもやれやれと肩をすくめるのだった。
「んで、あれ誰だったんですか? クロムさんの彼女さんですか?」
「仮説を捨てる気はないんだな、お前……」
話が終わってジーナが立ち去るや否や、代わりにクロムに駆け寄って尋ねるアルミナ。どうせこうなることはわかっていて、つい同じく近付いて突っ込みを入れるユースは、突っ込み気質が抜けきらない彼の姿勢をよく表わしている。
「んーまあ長い付き合いだしな。向こうがどう思ってるかは知らんが、俺はいい関係だと思ってる」
微妙な回答に、隠し事してませんよね? とアルミナが詰め寄る。なんでお前らに彼女がいるのかいないかを隠さなきゃいけないんだよ、と、クロムも失笑して返すのみ。大人が子供をあしらっているとも、与太話に付き合ってあげているとも取れる風景だ。
「あまり気を抜くなよ。そろそろお見えになるぞ」
シリカが目線で差し示す方向を見ると、彼方からこちらに歩いてくる数人の騎士達の姿。その先頭に立つのは、タイリップ山地やプラタ鉱山の戦役でも一度顔を合わせた強豪。
「お疲れ様です、聖騎士グラファス様」
「うむ。第14小隊、すでに揃っておるようだな」
着物に袴、草履に刀を携えた、白髪の老兵。階級は法騎士シリカの一つ上の階級に過ぎないが、その経験豊富さと圧倒的な実力は、とてもシリカが気安く触れられるものではない。魔王マーディスの遺産が潜むであろう地に赴く兵を選ぶなら、彼の名は真っ先に思い浮かべられるという、騎士団の中でも随一の実力を持つ剣豪である。
そんな彼の後ろに並ぶのは、エレム王国第19大隊、射手を多く含む騎士達の部隊。その隊列を率いる青年法騎士たる隊長は、シリカの前に顔を見せにくる。
「法騎士タムサート様、お疲れ様です」
「よろしく、法騎士シリカ。及ばずながら、うちの隊も力を貸すことになった」
どんな中隊、大隊にも、射手は少数でも含まれるものである。しかし、グラファスをはじめとし、白兵戦に優れる兵が充分に揃えられた今回の戦役、射手の数を揃えるにあたって、タムサート率いる射手の大隊には名差しがかかったと見える。
「先輩! お疲れ様です!」
「あっ、プロンちゃん!」
第19大隊に名を連ねる、銃を得物に戦場を駆ける傭兵少女、プロンが第14小隊に駆け寄ってくる。以前の短期異動の際、第14小隊で暮らしを共にしたプロンとの再会に、目を輝かせてアルミナも手を握りにいく。
「いいねえ、あの子。眼福、眼福」
スパッツを履いたプロンの腰元に巻かれたベルトには、数々の銃弾を込めた弾倉が収められている。以前はツインテールだった彼女の黒髪が、今はポニーテールにまとめられているのは、先輩のアルミナを真似した髪型と見えれば、彼女のアルミナに対する愛着が見てとれるだろう。一枚の白いアンダーウェアの上、赤いノースリーブジャケットを纏い、年頃に育ちつつある胸元が、アンダーウェアの張りに浮き彫りになっている姿は、マグニスにとっては非常にありがたい光景。脚の露出も決して少なくない。
「……あんまりじろじろ見ると、アルミナが怒りますよ」
「まあまあ、ちょっとぐらいいいじゃないの。プロンちゃんはアルミナと違って発育も……」
マグニスの袖を引っ張って引き止めるキャルが不安げな顔をしていると、その予感が的中してアルミナがくるりと振り返った。太陽のような笑顔だ。
「マグニスさん?」
「怖ぇよその笑顔。わかったわかった、悪かったってばよ」
過保護のマイスタ、アルミナは、可愛い後輩をマグニスのスケベ心満載の眼差しに晒すことを徹底的に阻害する。ヘタをすればいつぞやのように髪をかすめる銃弾を撃たれそうなので、あんまりこういう時のアルミナは刺激しない方がいい。
役者が揃いつつある騎士団は、数が詰まってきたことも相まって、アレナの集落の南の出口に至って人里から少し離れる。居住区のど真ん中、この人数で立ち並ぶにはいささか窮屈だからだ。
あとは聖騎士グラファスの上の階級の騎士を待つのみだ。そして彼らがここに移動したことも、過去にアレナの集落地を集合地としたことのある騎士団の歴史から、向こうは見通してくれるだろう。
日陰なき太陽のもと、それぞれの騎士が暑さを疎ましく感じ始めた頃、それは見えた。集落地の中心を、馬に乗って駆けてくる二つの影。いずれも多くの騎士にとっては見慣れぬシルエットで、それは彼らが並の騎士と任務を共にすることが少ない背景に基づくもの。
「お疲れ様です。勇騎士ベルセリウス様、勇騎士ハンフリー様」
「お疲れ様、グラファス。みんな揃ってるかい?」
「はい、ここに」
黒髪に蒼いミスリルの鎧を纏うベルセリウスの隣にいるのは、対照的な色彩を持つ一人の騎士。金髪の長い髪に白銀の全身鎧を身に纏い、腰元には剣身の短いグラディウスを収めた鞘を下げている。ベルセリウスを騎士剣を握る蒼い勇者様と形容するならば、こちらの人物は短身の剣を振るう白銀の騎士様と呼ぶに値する、近い年ながらつくづく風貌が似通わない二人。
ベルセリウスと同期で騎士団に入り、やや彼に遅れつつも勇騎士の地位まで辿り着いた、剣豪たる聖騎士グラファスをも凌ぐ実力を持つ歴戦の戦士。勇騎士ハンフリー=ビーン=ディエスの名で知られる彼と共に戦場に並ぶのは、この場においてベルセリウスとグラファス以外の誰もが経験したことがない。
魔王マーディスを討伐した勇者の一人である、勇騎士ベルセリウス。それに等しい立場である勇騎士ハンフリーを揃え、さらには聖騎士グラファスという英傑を構えた布陣に、この後帝国ルオスの精鋭が合流するのだ。この布陣に落ち度があるとは誰もが思えぬ中、騎士達の士気が高まるのも自然なこと。
「それじゃあ、行こうか。ルオスの方々は、別路から現地に直接向かわれるそうだ」
「かしこまりました」
動きは国の方針に合わせてそれぞれだ。アレナの集落地を離れ、砂漠の中を南下していく騎士団の精鋭達は、やがて訪れる魔の潜む遺跡に向け、覚悟と戦意を研ぎ澄ます。
「おお、エレム王国騎士団の皆様。お疲れ様です」
辿り着いたサーブル遺跡は、7階建ての建物に相当する高さの頂点を持つ、正四角錐の建築物だ。各一面は綺麗な正三角形を作っており、現在よりも測量術が発展していなかったはずの太古の時代、これほど美しい造形美を成した過去の人々の手腕には、今を生きる者にとっても感銘を受けるものである。
正四角錐の建造物の四方にひとつずつ、この遺跡の中へ入るための入口がある。南下してきたエレム王国騎士団を迎えるかの如く、遺跡の北に位置する入口の前、ルオス帝国兵達の指揮官たる人物は、兵を率いて待っていた。
「お疲れ様、ジャービル。髭、伸びたかい?」
開口一番、軽い口のベルセリウス。魔王マーディスの軍勢と戦い続けたかつての日々の中、国境を越えて繋がる友人となった両者なので、口ぶり自体は無礼でも何でもないのだが。
「一応ちゃんとご挨拶しろ。部下の前だぞ」
ハンフリーがベルセリウスの後頭部を小突いて叱る。勇騎士様の頭を小突ける人物なんてそうそういるわけがないので、後ろでそれを見る騎士達にとってはあまりにも新鮮な光景だ。
「いいだろ、別に。勝手知ったる仲なんだから」
「ふふふ、君といい、ハンフリーどのといい、昔から変わりませんな」
昔から童心の抜けないベルセリウスと、よく彼のそばでその態度を諫めていたハンフリー。50を前にしてもその関係はほとんど変わっておらず、そんな二人を長年見届けてきたルオスの英雄ジャービルも、両者の兄のような心持ちで見守っている。
「――聖騎士グラファス様。ご無沙汰しております」
「また貴殿と共に戦えることを、光栄に思います」
一礼し合うジャービルとグラファス。ここもまた、かつて数多の戦場を同じ志と共に駆けた間柄。魔王の存在は確かに多くの犠牲を生み出したが、それに立ち向かう中で生じた縁や繋がりもまた、今となっては例えようもなく大きな財産だと言えるだろう。
「こちら、帝国ルオスの精鋭127名。予定通りの人数です」
「エレム王国騎士団142名。手筈どおりです」
ベルセリウス、ハンフリー、グラファスを筆頭とする騎士団。ジャービルを頭とし、こちらにも聖騎士や法騎士のような立ち位置に相当する指揮官格の帝国兵を数名揃え、その下に剣士や魔導士を揃えた帝国軍。総勢269名の、エレム・ルオス連合軍がこの地に踏み揃った。
「それでは、参りましょうか。ご武運を祈ります」
「ええ。必ず勝利を!」
騎士団の代表者たるベルセリウスと、帝国軍の代表者たるジャービルが固く握手を交わし、最後の一言だけは騎士団と帝国軍の流儀に則りかしこまる。そしてジャービルを先頭とする帝国軍の一陣は、帝国兵の一部と第19大隊の一部を引き連れて、遺跡の東の入口に向けて駆けていく。第19大隊隊長たるタムサートが駆けていくのも、同じ方向だ。
「油断するなよ。お前はいつも、最後の詰めが甘いからな」
「憶えておくよ……!」
ハンフリーとベルセリウスが、眼差しと言葉を交換すると、ハンフリーとグラファスを先頭とする一陣もまた、帝国兵の一部と第19大隊の一部を引き連れて、遺跡の西の入口に向けて駆けていった。
そしてこの場に残った、ベルセリウスと第14小隊、第19大隊の残り約三分の一と帝国兵の約三分の一。サーブル遺跡、北の入口たるこの場所が、この陣の突入口だ。日頃タムサートに率いられる第19大隊、そして帝国において法騎士の位置に立つような人物も数名含む、帝国兵達の指揮官となるのは、エレム王国騎士団ベルセリウス。
「――行くぞ!!」
簡潔な号令と共に、ベルセリウスが遺跡へと足を踏み入れる。それに続く騎士団員と帝国兵達は、心強い勇者を先頭に、血気盛んに魔のひしめく砂漠の要塞へとなだれ込んだ。
魔法戦士ジャービルと法騎士タムサートを筆頭とする、90人の東からの突入軍。勇騎士ハンフリーと聖騎士グラファスを要とする、83人の西からの突入軍。そして勇騎士ベルセリウスと法騎士シリカを矢面に構える、96人の北からの突入軍。砂漠の空の上高く昇りつめていた太陽は、すでに沈み始めており、戦いが終わり彼らが地上に戻る頃には、月が砂漠を照らしていることだろう。
人類の裏切り者、ライフェン。そして彼が威を借るマーディスの遺産と、その悪意が潜む砂漠の建造物。ここに踏み入れた者のうち、明日の朝日を何人がその目で見ることが出来るのか、今はまだ誰一人として知ることは叶わない。しかしただ一つだけ、これまでの歴史の語る、極めて信用できる経験則がある。魔王マーディスの遺産が潜む地に人類が足を踏み入れた時、犠牲者が出ることは決して避けられない。それは魔王を討伐して以降10年の歴史の中、決して破られたことのないジンクス。
春と共に訪れた、戦士達の未来を占う大戦役。砂漠の遺跡を舞台とした激闘の幕開けである。




