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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第5章  未来を求める変奏曲~ヴァリエーション~
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第71話  ~おっかない酒席~



 アユイ商団といえば、古くから世界を股にかけて活躍する大商団だ。当代の元締めの方針次第で、どの地方に拠点を置くかは時代によって変わるが、いつの時代も常に、エレム、ダニーム、ルオス、ラエルカンの商人界隈の間では、常に活躍してきた商団である。


 現在アユイ商団の元締めを担うジュスターブの方針にて、今の時代のアユイ商団は、ラエルカン近辺を主戦場として活躍している。結果として、アユイ商団は当方ラエルカン地方において産出が多く見込まれる農作物や、南に位置する砂漠にて仕入れた宝石や油、香辛料の商業において、世界的に市場を席巻する商団として有名だ。


 魔王マーディスがラエルカンに居座っていた14年の間に、アユイ商団の元締めとなったジュスターブは、各国の勇士によってラエルカンから魔王が退いたと知るや否や、当地の復興に全力を注ぐ決断を示した。それから5年間、アユイ商団がラエルカンにもたらした建築用人材、技術、あるいは流通への協力は、例えようもなく大きいもので、ラエルカンの復興を3年速めたものはアユイ商団の力だと今でも言われている。自らの手で蘇らせる一端を担ったラエルカンに対して愛着を持ったジュスターブは、先代元締めが商団の主戦場としていたルオスからやや方針を変え、ラエルカンにおける商業に以前より力を入れるようになった。


 今となっては、アユイ商団にとって庭とも言えるラエルカン地方。この地において知りたいことがあれば、アユイ商団元締めたるジュスターブに話を聞けば、どんなことでも筒抜けだ。法騎士ダイアンがわざわざこの地まで、不自由な体を引きずってきたのはそれが主たる理由だった。






 そうした成り行き、経緯から、現在の状況に追い込まれてしまった第14小隊。立ち話も何だということで、ジュスターブの案内によって招かれたのは、いかにも高級そうな料亭。店前に巨大な生け簀を構え、店の中は流麗な木目が現れた上等そうな木で作られたテーブルと椅子が並ぶ、一目で裕福な人々のみが常連となれる場所だとわかる、高級店だ。人生で一度、こういう店で贅沢が出来れば幸せだろうなと思うぐらいが、一般庶民のユースやアルミナが抱く、普通の感想だろう。


 アユイ商団に属する商売人によって経営されるこの店に、御大将たるジュスターブが入ってきた時、店の従業員全員の表情が凍りついたものだ。笑顔でいらっしゃいませ、を言うのが普通の商売界隈において、初見一番でこの顔を見せる商人などなかなか見られるものではない。


 ジュスターブに対してびくつきながらの従業員に案内され、ユース達が腰を落ち付けたのは、10人ぐらいはゆったり座れそうな、店の奥のお座敷優遇席。ジュスターブの巨体が2人ぶんの上座をどっかりと占拠しているが、それでも他に6人しかいなくて、広い部屋と大きなテーブルに悠々座れるものである。


 卓の向こうに座る、人売りを生業にしていても何ら違和感のないであろう、凄まじく恐ろしい人相を持つ男。立て膝をついてその膝に片肘を置き、葉巻をくわえたジュスターブの姿は、もはや犯罪組織の大親分にしか見えない。


 まるで鬼の巣の最奥地にでも招かれ、その地の主と酒を酌み交わすことを強いられるような心地である。どうしてこうなった。


「お、お待たせいたしました」


「おう、早いな。サービス業としては及第点だわ」


 席に座ってものの十数秒で、従業員達が素早く飲み物を持ってきた。夕暮れ近くて賑わう店内はいかにも忙しそうで、こんなに早く酒が回って来るのは何かがおかしい。商団のボスたるジュスターブが来たから、そこに最優先で飲み物を運んできたとしか思えない。客商売たるもの、他の客を待たせて親分を優遇していいものかという理論もあるが、そういう小奇麗な理屈なんて要らないのだ。御大将のご機嫌とりは、すべてにおいて優先される。それが商人の基礎の基礎。


「何か適当に持ってこいや。絶対に旨いもんをな」


 プレッシャーのかかる注文を受け、従業員はそそくさと厨房の人間のもとへ駆けていく。すぐさまそのタイミングで、ジュスターブに酒を注ぎにいくシリカの姿勢が、第14小隊の面々にとってはなんと勇気あり頼もしい行動に見えたものだろうか。よくあんな極道に自分から近づけますねと。


「法騎士シリカ様には、息子がお世話になっているようですね。手のかかる奴でしょう」


「いいえ、そんな。クロムには、いつもこちらが助けられているほどで……」


「ははぁ、貴女クロムにいくらか掴まされてませんかねぇ? あの馬鹿息子をそんな風に絶賛する奴がこの世にいるとは、到底思えやせんのですが」


 賄賂(わいろ)でも貰って褒めるように頼まれてるんじゃないのか、という冗談に、シリカも否定しつつ引きつった顔。速攻でそんな発想のジョークが出てくる時点で、この人はそういう道にだってある程度精通しているのが、見えてしまう気がしてならない。見た目からして裏の人間なのに、それ以上その印象を強めないで、というのがシリカの本音。


「ささ、ダイアン法騎士様。乾杯の音頭を」


「僕でいいんですか? あの子にでもやらせてあげた方が、いい経験になるんじゃないですかね」


 ダイアンに指し示された対象は、ユース。なぜ俺が。


「おー、そりゃあいいかもしれませんね。騎士団の未来を担う若い衆に音頭を取って貰える席は、今後に向けても縁起のいい酒が呑めそうだ」


「でしょ? さ、ユーステット君」


 ジュスターブの言ってる意味が全然わからない。ユースは誰かこの状況を説明して下さいと周囲の仲間達に目線を送る。アルミナとチータは目の前のグラスに目線を寄せて、ユースと目を合わせない。シリカは気の毒そうな目を返してくれたが、諦めて頑張れという意味も込めた眼差し。手を差し伸べてはくれなさそうだ。


 よくわからないまま膝立ちになったものの、頭は真っ白で言葉が出てこない。とりあえず、にまにまして自分を見上げてくるダイアンを見て、日頃からダイアンのことを、いたずら心が過ぎて困る方だと評していたシリカの真意が、今さらわかった気がした。げんなりする。


「あ……っ、あのっ……!」


 膝立ちのまま目を泳がせていたユースの意識を割く、不意の少女の一声。ユースの隣に座っていたキャルが、びくつきながら手を上げて、彼女にしては大きい、細い声を発して注目を集める。


「わ、私、ちょっと寒くて……温かい飲み物に、代えて貰ってもいいですか……?」


「ん? おお、そうか。それならちょっと待ってろ」


 ジュスターブが席を立とうとしたので、シリカの方が速やかに席を立ち、従業員に声をかけに行く。その間、キャルに他愛ない世間話を振るジュスターブが場の空気を保ち、膝立ちのままユースは、止まっていた時が動き出したかのように、意識を立ち返らせる。


 ふと横のキャルを見ると、あの強面のジュスターブの世間話に対し、明らかに緊張した表情ながら愛想の笑顔を返すキャルの姿がある。正座した膝の上に置いた両拳を握り締めて、怖い大男に話を合わせている姿を見て、ユースの反対側でキャルの隣に座っていたアルミナも、顔を上げてジュスターブを見る。


「お嬢ちゃんはたいした肝っ玉だな。数年待たねえうちに、いい女になると思うぞ」


「そ、そんなことは……あ、ありがとうございま……」


「ね、ねえ、大商人様。エレム王都にも、アユイ商団と繋がりの深いお店とか、あります? お勧めのお店とかあれば、教えて頂ければなって……」


 キャルが頑張っているのに、自分だけびくびくして逃げてなんていられないと感じたか、アルミナの方からジュスターブに声をかけるのだ。話題も必死で即興で絞り出したものだが、その言葉をきっかけに、ジュスターブの目線がキャルからアルミナに移る。


「王都南の、"月落ちて"っていう料亭はなかなかのもんだぜ。あまり名が通った店ではないが、飯は旨いしサービスも利いてて、固定客が離れない名店だ」


「へ、へぇ~、初めて聞きました。今度行ってみようかな……」


 クロムに教えられて一度行っているが、初耳のふりをして、ありがたがるフリをする。アルミナがアルミナなりに頑張っているその横を、ユースがふと見ると、頑張って、という目を送ってくれるキャルの眼差しがそこにある。頭が真っ白だったあの状況から、時間を稼いでくれたキャルの目が。


 それからすぐに、従業員からホットミルクを受け取ったシリカが戻ってきて、キャルにそれを手渡す。わがまま言ってごめんなさい、とキャルがジュスターブに頭を下げると、別にいいさとジュスターブも笑うのみ。そうした流れを経て、内心第14小隊の少女達の勇敢さを目にして感心していたダイアンが、気を取り直して、とユースに音頭を取るよう振ってくる。


 ラヴォアス上騎士の小隊にいた頃、仲間うちの席で何度か音頭を取らされた経験を思い出し、ユースは意を決してやってのけた。時間にして10秒、軽い挨拶から、この場に招かれた有難さを口にする社交辞令を述べ、乾杯! の一言を発するまでの時間を、無駄なく長過ぎずやりおおしたユースは、胸を撫で下ろす想いで席に座り直したものだ。


 極度の勇気を振り絞った後のキャルが、お疲れ様、という眼差しをユースに送ってくれた。誰のおかげでこの局面を乗り切れたかをはっきりわかっているユースは、小さくうなずいて心の底からの言葉をキャルに小声で送っていた。勿論、感謝の一言を。











 1時間ほど、ささやかな小宴会が続いた。ほとんどジュスターブの一人舞台であり、ダイアンが小気味良く相槌を打ち、ここだと思えた場所にすかさずシリカが言葉を挟む、大商人様と法騎士様の3人が主に語らうばかりの場だったと言えるだろう。ユースもキャルもアルミナも、どれだけ時間が過ぎてもジュスターブの顔を直視することに慣れず、時々話しかけられて、ぎりぎりの愛想を返すのが精一杯だった。その点チータは、ジュスターブに話しかけられても差し障りのない返答を常に返し、冷静すぎる態度では相手を甘く見ていると思われる誤解を生むことも避け、所々で頭を下げるなどして相手への謙りを為している。世渡り上手なのは元から知っていたことだが、本当に出来た奴だとユースも嘆息が出そうだったものだ。同い年とは思えない。


「それにしても、ライフェンの坊主が魔物と手を組むとはなぁ。さすがにそんな、身の程知らずな道に踏み込むほど、バカじゃねえと思ってたんだが」


 そんな中でジュスターブの口から溢れた、さりげない本音。その名を聞いた途端にチータの眉がぴくりと動いたものだが、彼の特別な境遇抜きにしても、この話題は耳を逸らせない。シリカやユース、アルミナとキャルも、話の続きに耳を傾ける。


「各方面から集めた情報から推察するに、現在北方にライフェン元司祭が隠遁している可能性は低いと結論づけられています。エレムも、ルオスも、ダニームも、厳重な網を敷いていますので」


「旧ラエルカン地方は、それら地方ほどには人の手による体制を綿密に組めぬのが実情でしょうから、やはり潜伏個所として有力なのはこの地方になるでしょうな」


 ダイアンが話を広げ、杯を傾けながらその話を拾うジュスターブ。両者の語り口が、話を聞いている第14小隊にもわかりやすいように状況を説明する形になっているのも、意図的なものだ。


 エレム地方やルオス地方、ダニームを中心とする群集落の集う地方は、確固たる政治体制と統率力を持つ組織の指揮のもと、充分な監視体制が敷かれている。一方で、現在のラエルカンが仕切る地方は、ラエルカンそのものの国力がかつてほどではないことと、未だ治安の安定しきらない区画も多いこと、さらには魔王マーディスが率いていた魔物の残党が居座る場所も多いことから、地方全体に対して監視の目を光らせきることが難しいのだ。だから、ライフェンが潜伏しやすい場所といえばラエルカン地方か、その南のラムル砂漠あたりが、最も有力となる。


「それはつまり、魔王マーディスの遺産と共に行動している可能性も見込めるということでもある」


「仰るとおりです。フィート教会で百獣皇アーヴェルがライフェンに助け舟を出したことからも相まって、奴らに繋がりがあることは強く見込めるでしょう」


 その潜伏候補個所2つは、魔王マーディスの遺産達が主に根城とする場所でもある。かつて魔王マーディスが一度支配し、魔物達も地理に明るくなったラエルカン。それ以前には魔王マーディスが本拠地とした、コズニック山脈の東に面するラムル砂漠。当のコズニック山脈も含めればその三点が、魔王マーディスの遺産達の隠れ潜む地として有力な場所となる。


 その通説を破り、時にエレムとダニームの中間点であるコズニック山脈に、獄獣や黒騎士が現れたこともある。百獣皇が現れたのは、ダニームとも繋がりの深いラルセローミ。既に討たれた魔将軍エルドルが最後に姿を見せた地も、ダニームとルオスの間に位置する場所だった。動きが読めない相手だからこそ、魔王マーディスを討伐して10年近く、それらを根絶できずにいる。


「……個人的にライフェン単体をこれ以上追うことは、お勧めしづらいですがね」


「どういうことですが?」


 ダイアンの虚を突く言葉を放つジュスターブは、葉巻に火を付けて一度煙をよく吸い込む。含んだ煙を吐き出すと、サングラスの奥からでもわかるほど鋭い視線をダイアンに向けてくる。


「ライフェンが魔王マーディスの遺産と手を結び続けて、魔物連中に何の得がありますかね」


 ダイアンは無言を返す。シリカやユースには思い至れなかった部分だが、ダイアンやナトームには薄々感じられていたことを、ジュスターブが具体的な言葉で表現し始めた。


 ダイアンの態度を見れば、自らの言いたいことは概ねわかって貰えているだろうと、ジュスターブも見切りをつける。大酒を飲みながらも、はきはきとした口を動かすジュスターブが、目線をシリカ達、第14小隊に向け直し、低く重い声で話しかける。


「確かにライフェンは、魔導士としてそこそこの腕はあるだろう。だが、ちょっと戦えるだけの人間を、魔王マーディスの遺産達が、戦力として歓迎し、自らに力を貸せと飼いたがるかね? もっと言えば、ライフェンは同胞の人間を裏切って魔物の陣営と手を組むような奴だぜ。魔物陣営の風向きが悪くなれば、あっさり人間側に寝返る人間だって、魔物達にだってわかるような話だろ」


 駒としても戦力不足、信用するにも値しないような人間を、わざわざ魔王マーディスの遺産達が何の意味もなく傍に置く理由などない、と、ジュスターブは言っている。確かに見方を変えるなら、魔物達が人間を飼う行為とは、人類の陣営が魔獣ミノタウロスを飼うことの対義語だ。それが確実に戦力になって、かつ裏切らないという見込みがあるならまだしも、魔物にとってのライフェンはどちらにも該当しないのに、わざわざ飼う理由が見当たらない。


「……人間社会の繋がりなどに通じた人間から、情報を聞き出そうとしているとは?」


「ライフェンのような同胞を裏切った過去を持つ人間が提示してきたような情報を、うかうかと鵜呑みにするほど黒騎士や百獣皇がバカだと、お前は本気で思うのか?」


 チータの言葉を、浅知恵だと言わんばかりに切り捨てるジュスターブ。その目はやはり、相対すると萎縮を強いられる眼力を持っていたが、先程まで漠然と身震いして仕方のなかった、単に人相の悪い大人の目ではなかった。それは数々の修羅場をくぐってきた経験則から、鋭く真実を見抜く大商人の気迫が自然と溢れる顔であり、彼の半分も生きていない少年少女達に、反論を抱く余地すら与えない説得力を醸し出している。


「……では、ライフェンはすでに、魔王マーディスの遺産と手は切れていると?」


「甘い。使えるものは何でも使うのが、黒騎士ないし百獣皇のやり口だ」


 シリカ自身も疑問を感じながらも放った発言を、これまた斬って捨てるジュスターブ。それから改めて葉巻を吸って、次の言葉への間を整える姿は、確かにクロムと似通う部分もあるものだ。


「俺が魔物連中の頭なら、ライフェンは人間どもをおびき寄せるエサに使う。頃合いを見計らって、ライフェンの潜伏地を人間達に晒せば、捕えたい人間どもは確実に動き出す。そこに魔物の兵力を集わせ、致命的な迎撃をぶちかます。それがライフェンという人間社会の罪人を、魔物陣営にとって最も有効に利用する手段じゃないのかね」


 交渉術と人心の扱いに長けた、表舞台の商人達。策謀と悪意の実現能力に長けた、裏社会の人間達。それらと数十年渡り合ってきた百戦錬磨の大商人の読みは、若き騎士達には想像もつかなかった部分まで手を伸ばし、さらには見えぬ敵の胸中を具体的なビジョンに練り上げる。ダイアンでさえ、ここまで具体的に敵の心中を予想することは出来なかったものだ。


「まあ、あくまで仮説ですがね。ライフェンを追うことと、魔王マーディスの遺産を探すことは、別件としてでなく並立に考えるべきだと思うわけですよ。人間の犯罪者を追うことに意識を注ぎ、魔王マーディスの遺産という怪物への対策を怠ったまま戦場に赴けば、間違いなく数多の犠牲者を生み出すことになると思われますな」


「……なるほど。確かにそうした見方もありましたね」


 ダイアンの方に向き直し、整った口調で話しかけるジュスターブに、ダイアンは拳を口元に当ててうつむき、考え込む。新たな見解を思考に置くならば、今日まで考えていたことも根本から見直す必要があるかもしれない。それを見極めるには少しは時間が必要だ。


 ジュスターブはダイアンの姿を見て、彼が考えを纏めるまでの間、他に話しかけて時間を潰す。そのジュスターブが目をつけたのは、先ほど自分に話しかけてきたチータだ。


「お前さん、ライフェンの弟だそうだが、あまり身内だからって過大評価しない方がいいぜ。お前も冷徹に考えれば、ライフェン如きの人間が、魔王マーディスの遺産どもにとっては、道端の石にも劣るどうでもいい存在だって、充分読み取れたはずだろう」


「……そうですね」


 自己紹介もしていないのに、自分とライフェンの繋がりが知られているが、それは敢えてチータも気にしないことにした。情報が命の大商人、語らぬはずの情報を既に握られていてもおかしくない。まして相手は世界を股にかける、世界有数の商人だ。


「今の兄貴様をお前がどんな感情で捉えているかは知らねえが、間違いなくあいつはろくな死に方をしねえぞ。どれだけあいつが、魔物のそばにいて周り全てを上回って生き残ろうと努めても、黒騎士や百獣皇の先を読んで優位に立つことなんて出来るわけがないんだからな」


 かつて魔王マーディスが存命だった頃、魔王軍の頭脳を担っていた黒騎士と百獣皇。それらが組み敷いてきた策略に、エレム、ルオス、ダニームの参謀陣が、どれだけ頭を悩まされてきたことか。たとえばいくらライフェンが有力な兵であり、頭が切れたとしても、地力も手駒も思考力も備え持った魔王マーディスの遺産達の裏をかいて上に立てる見込みなど、あるはずがない。


 チータだって、わかっている。わかっていてもその答えに至れなかったのは、やはり個人的な感情が邪魔をしていたせいだったのか。他ならぬチータ自身が、その答えを明確に導き出せなかった。


「まあ、わかりやすく言えば、だ」


 ジュスターブの目線が、テーブルの真ん中に注がれる。それはいわば、これから放つ言葉はこの場にいる全員に向けるという意思表示でもある行為。


「お前ら、いくら高い儲けが見込めるとはいっても、俺の金庫破りをしようと思うかね?」


 恐ろしくわかりやすい例え話が出たものだ。確かにジュスターブは大富豪であり、彼の金庫をこじ開けて中身を盗み出せば、途方もない利益が得られるだろう。しかし、これほど貫録満点の商人の目を欺いて、彼の財産をかすめ取れるかという例え話。


 全員、無理だと思った。誰がどう見たって、表舞台でも裏社会でも絶大な力を持つ人物であると、一目でわかるようなこの大商人。その懐に手を忍ばせる愚かしさなんて、初めて会った時から想像が出来たものだ。要するに、魔王マーディスの遺産に取り入って生き残ろうとするライフェンの行動は、ユースがこの大商人に金庫破りをして大金を得ようとするほど、無謀なこと。


 納得した面持ちの騎士団を見て、葉巻で灰皿を叩きながらジュスターブはげらげらと笑う。一本取って相手に思い通りの顔をさせた時、クロムもよく悪い笑いを浮かべる人物だ。この親ありにしてあの息子あり、とまではいかないが、確かに随所にそうした面影を感じるものである。


 その後の席は、話題を切り替えたジュスターブの舵取りにより、また楽しげな宴会に戻る。真剣に人類の未来を想う会談を踏んだ今、どことなくユースも、おっかなくて仕方のなかったジュスターブが人間らしく見えてきて、ほんのちょっと肩の力が抜けたものだ。そんな内心を口にすれば、じゃあさっきまでジュスターブは人間に見えていなかったのかとでも突っ込まれそうなものではあるが、いずれにせよ善人には見えなかったのも事実なので、それもある意味では正しい心情の変遷。


 もっとも、酒が入るにつれてなおも饒舌になってくるジュスターブを見るにつけ、やはり口を開くのが難しくなってくる部分もあるのだけど。酔っぱらった人間は、沸点が低くなる。酒の席で目上の人と話す際は、どこに地雷があるのかいつも以上にわからなくなるということを、かつて騎士団の男社会で学んできたユースはよく知っている。触らぬ神に、祟りなし。


 大商人に紹介されたこの店が運んでくる料理は、どれもこれも絶品で、プライベートで訪れていれば二度と忘れられないほどのご馳走だったに違いない。場の空気を変な方向に流さないために全神経を使わざるを得なかった第14小隊の舌は、それらを記憶する余裕もなかったのだけど。


 前回のルオス皇帝様謁見の際といい、どうもここ最近、美味しいものを冷や汗かきながら食べなきゃいけないような経験が重なって困る。キャルを挟んで2つ隣のアルミナに、そうした目線を送ってみると、なんだか自分以上に元気のない顔が返ってきた。


「あんたはまだいいわよ、由緒正しい騎士様だから……私、単なる傭兵なのよ……」


 ユースは騎士団で、目上の偉人と接する機会が多かったから、日頃の心労はあるにせよ、こうした場に対して心の準備が作りやすかろう、という見方もある。単なる傭兵で、尊敬するシリカのそばにいられるだけでも光栄だった自分が、ルオス皇帝様との会食もそうだが、なぜまたこんな鉄火場に連れて来られているのか、アルミナは本気で運命に疑問を感じていた。


「いや、うん、気持ちはわかるけど……俺にそんなこと言われても……」


 勿論アルミナだって、理不尽な絡み方をしているとわかっている。乾いた苦笑いを返してくるアルミナを見るにつけ、精一杯の冗談を振り絞ってくれたアルミナなりの配慮が、ユースの目にはかえって痛々しく映る。


「あっはは……どうしてこうなった」


「……王都に帰ったら、どっか飯食いにいかないか?」


 心の折れかけた目になりかけているアルミナを見て、愚痴なら後でいっぱい聞いてあげるから、という旨を含み、ユースはそう言っておいた。哀しげに、心底お世話になりますと言わんばかりに小さくうなずいたアルミナの姿を見て、隣のキャルもアルミナの手を片手で握りに行く。


 赤鬼が上座に座る宴会席など、経験したって肝が太くなり得るだけで、百害あり得て一利あるかないか。若い頃の苦労が後で売れる世界でなければ、こんな経験一生願い下げである。

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