第70話 ~ボス~
「法騎士ダイアン様がラエルカンに訪問されることになり、その護送任務を預かった。朝食を終えたら、すぐに出発するからな」
朝の食卓でシリカが発表したことに、それぞれが興味を示すかのように目線をシリカに向ける。興味の主な対象は、法騎士様に護衛が必要なのかという一点。その辺りの事情を知っているクロムやマグニスは黙々と朝食を口にしていたが、他の5人としては気になるところだ。
「ダイアン様は、魔将軍エルドル討伐の際に負った深手のせいで、今はもう戦場に並べるようなお体でないんだよ。だから、地を移られる際には護衛が必要となるわけだ」
そしてこれは、納得のいく回答。魔王マーディスの遺産と呼ばれた最強の魔物4体のうち一匹、魔将軍エルドルと呼ばれた怪物を討伐したのが法騎士ダイアンであることは、概ねよく知られる事実である。騎士団に身を置くユースは当然、魔王マーディスの軍勢に両親を奪われたアルミナとて、そうした情報は必ず頭に刻みつけている。キャルもチータもそうした出来事はしっかり耳から頭に留めるタイプだし、その事実を今が初耳みたいな顔で聞いているガンマの方が少数派だ。
「アルミナとしちゃ、礼のひとつでも言いたい相手じゃねえのか?」
「うん、楽しみ……! まさかお会いできるなんて……!」
アルミナの故郷を、両親の命を奪うとともに壊滅させたのは、魔将軍エルドルと百獣皇アーヴェルの率いた魔物の軍勢であると言われている。その仇の一角を討ってくれたダイアンの名を、アルミナが忘れることなど絶対にあり得ない。
本音を言えば、ダイアンとシリカが知人であることを知ったあの頃から、わがままを言って対面を求めたいとさえ思っていた人物だったのだ。そんな想いも封じて、いつか自然な成り行きで会えれば幸運ぐらいの気持ちでいたアルミナにとって、今回の任務ほど嬉しいことはない。まして、今は五体不満足になったダイアンの力になれる立場なんだから、気持ちが高まるのは自然なこと。
「ところでシリカ。今回も8人全員での護送ってことになんのかね?」
「いや、その必要はないとダイアン様も仰っている。今回は、私とユース、アルミナとチータ、加えてキャルの5人で同行することになる」
「おう、助かる。お気遣いどうも」
「礼ならダイアン様に言うことだな。知った上で、あちらもこうした采配を受け入れて下さった」
ふぅと息をついてシリカに笑いかけるクロムと、その声を微笑ましく受け取るシリカ。何か事情でもあるんですか、とユースがすかさず尋ねると、それに応えるのはクロム本人だ。
「俺、あんまりラエルカンには行きたくねえんだよ。以前砂漠にお前を連れていった時みたいに、少し立ち寄る程度ならいいんだけどな」
「旦那、いい機会だから教えてやってもいいんじゃないっすか? 前々からこの秘密に関しては、広く知られると困るけど、こいつらには話していいって言ってましたよね」
そうだな、と一言返すと、クロムは目の前に置いてあったお茶を飲み干す。今から、長らく伏せてきた秘密を語る表情にしては、そう重いものでもなく、一服後のように落ち着いた表情だ。
「……いや、いいかな。黙っておいた方が面白いかもしれん」
実際に出たのは、肩透かせな回答。何ですかそれ、とアルミナが突っ込むものの、マグニスと顔を合わせてくっくっと笑うクロムと、それに応じて悪い笑いを返すマグニスの姿が際立つだけ。
「まあ、もう隠すつもりはないから、シリカも隠そうと努める必要はないぞ。現地に行けば、黙ってた理由も説得力を増して伝えられる気がするだろ」
「それはそうかもしれないが……」
良からぬ企みを顔に表すクロムの意のままに動くことは本意でないにせよ、一応クロムの長らく黙っていた秘密を抱えた身として、彼の意向を無視するのは難しいのがシリカの考え方だ。どうせ隠すつもりはないから、現地に行った後のお楽しみ、としたクロムの意図も、変に破るのはクロムにとって興ざめになるかもしれない。
「……まあ、任務の形式上、恐らく件の方に顔を合わせる機会もあるだろう。その時になったら、みんなにも知らせることにするよ」
いまひとつ煮え切らない結果に落ち付いたものの、最終的には明かしてくれるという言葉を受け、同行することになったユースとアルミナ、キャルにとってはささやかな楽しみが出来たものだ。長らく付き合いのあるクロムだが、その過去については知らないことも多く、今回の機に知らなかった先輩の一面が覗けそうなことには、やっぱり無条件にわくわくする。
同行しないガンマには、後々クロムの口から直接明かすことが約束され、朝食の話題は纏まった。法騎士たるダイアンと顔を合わせられるという楽しみも相まって、特にアルミナにとって今回の任務は、始まる前から胸が躍るものだっただろう。
かつて皇国と呼ばれたラエルカンは、25年前のあの日、魔王マーディスの総軍による襲撃を受けて一度壊滅している。その後約15年に渡り、魔王マーディスの居座る拠点として支配され、魔王マーディスが討伐される10年前まで、人類にとって忌避される地として扱われ続けたものだ。
ラエルカンに居座る魔王マーディスを、エレム、ダニーム、ルオスの連合総軍によって撃退した12年前の大進撃は、100年先も歴史書に刻まれるであろう、ラエルカン戦役の名で広く知れ渡られている。その一年後、ラエルカンの玉座を追い出された魔王マーディスが自身の生まれの地、コズニック山脈の最奥地に逃れたのを追い、4人の勇者とその後ろを追う総軍の力によって、魔王マーディスは討伐されたことは、今もエレム、ダニーム、ルオスの誇り高き歴史として刻まれていることだ。
一度滅んだラエルカンが、再び人里として機能するようになるまでには随分と時間がかかったものだ。幸いにも魔王マーディスの支配下におかれていた15年の間で、国の姿は随分といびつにされたものの、土壌までは死滅していなかったことで、自然を含めた復興作業にはある程度スムーズに事が運んだらしく、復興開始から5年後には、エレム、ダニーム、ルオスの尽力も実を結び、ラエルカンはほぼかつてと同じ街の姿を取り戻すことが出来た。その中には、ルオスと懇ろの、大森林アルボルの精霊バーダントの協力もあったようで、ラエルカンの生き残りである人々の心には、大森林アルボルの精霊様に対する信仰心も、殊更に強い傾向がある。
巨大な軍事国家として名高かったラエルカンではあったが、足を踏み入れれば南国の温かい気候に相応しく、花と緑の溢れる美しい街であったとよく知られていたものだ。ラエルカンの生まれである魔法学者ルーネや、聖騎士クロードの証言も積極的に取り入れられ、かつての姿に近しい形で再生されられたラエルカンの都は、すっかり息を吹き返したと言ってもいい姿だろう。かつて魔王マーディスによって滅ぼされたあの日、この地から逃れていた幼きラエルカンの皇太子もこの地に戻って成長し、30代前半の若い王としてこの地を治めるようになっている。まだまだ上手くいかないことも多く、三国の力添えもあるままにラエルカンは治められているものの、歳月が進んで独り立ちが済めば、やがては100年前のように、皇国ラエルカンの政治体制を取り戻していくことも出来るだろう。
今は春先。フィート教会突入任務からはひと月半の時が流れ、暖かい風が吹くようになったこの季節、ラエルカンは花の香りに包まれて人々の心を安らがせる。一時期は建築現場や植林作業で忙しかった頃もあり、旅目的で立ち寄る人々も少なかったラエルカンだったが、今では他国からこの地に居を移した人々も増えるほど、魅力溢れる都となった。幼い子供達が公園を楽しそうに駆け回る姿は、息を吹き返したこの地に生まれた命が、ラエルカンの未来を築いていくことを予感させてくれるものに他ならない。
「ユーステット君は、前々回の騎士昇格試験を受けた身だったね。その時の問題で、この石碑の名は答えられたかな?」
ラエルカンの中心、かつてこの地で命を落とした人々を悼むべく作られた、太陽に映える光沢を持つ大きな石碑。昨年秋の騎士昇格試験で、この石碑の名を問う問題が出たことを知っているダイアンは、その時試験を受けて騎士に昇格したとシリカから聞いているユースに、そう問いかける。
「いや、その時は正直……後から覚え直しましたが……」
「そうか。済んだことだからって、知らないままでいないのはいいことだ」
咎めるでもなく、優しく笑いかける柔和なダイアンの表情は、大人びた男性の顔として第14小隊の面々にも映るもの。一方、現役時代には騎士剣と鎧を身につけていたその姿を知るシリカにとって、武装を整えずカジュアルな服装に身を包む彼の姿は、戦人のそれではなく、もう第一線を退いた一人の男性として映る。彼がこうして騎士館の外で朗らかに笑うたび、第二の人生を歩み始めてしばらく経つ彼が、いつまでもその笑顔を絶やさぬことを祈るばかりの想いが、シリカにはあった。
「エルアの石碑、でしたっけ? 魔法都市の賢者様が、お作りになられたっていう……」
「お、ご名答。詳しいじゃないか」
ややダイアンから離れた場所から答えたアルミナを見て、ダイアンは嬉しそうに笑った。試験時にそれを答えられなかった立場のユースとしては、ちょっぴり負けた気分になる。
「賢者エルアーティ様が、この都の復興を記念してお贈りになられた、平和を祈るオパールの石碑。その名をつけたのは、エルアーティ様の親友であるルーネ様だそうだね」
「ラエルカンの象徴石であるオパールを主として作られたんですよね。その心遣いに、建造責任者となったルーネ様が、発案者エルアーティ様の名をつけた、って聞いてます」
「そこまで知っているのか。君は勉強熱心だね」
「あ、いや……新聞はよく読んできたつもりだし……」
アルミナは博識な方ではないが、魔王マーディス討伐後の関係歴史に関しては、第14小隊の誰よりも詳しい口だ。かの魔王が滅ぼしたラエルカンの地が息を吹き返したことを象徴する、オパールの石碑が作られたことには、5年前の今よりずっと幼い頃にも新聞で見知り、まるで故郷が生き返ったかのように喜んだものである。当時孤児院暮らしだったアルミナが、孤児院の大人に無理を行ってラエルカンに連れて行って貰い、石碑の前でかつてのラエルカンの犠牲者と、あの世でこの平和な世界を見降ろしている両親に祈りを捧げたことは、孤児院の人々から聞いた話でシリカもよく知っている。
憧れの人に褒められて、緊張するような声を放つと同時に、言葉を交わせる幸せを存分に満喫するアルミナの姿には、シリカも微笑ましい想いだ。ジャービルと話した時のアルミナもそうだったが、偉大な殿方に恋慕の目を向けるでもなく、尊敬の眼差しをきらめかせるその表情には、アルミナをこの任務に連れてきてよかったとシリカが思うには充分だった。
アルミナと世間話を重ねるダイアンの遠方、ややユースは気が楽だった。やっぱり法騎士様であり、魔将軍エルドルを討伐した偉人と知られるダイアンのお近くに立つのは緊張するし、その話相手をアルミナが一手に引き受けてくれている事実には、重荷を預けられる心地なのだ。アルミナ自身もすごく楽しんでいるようだし、華やかな夕暮れの街を人々が歩く姿を見て、一度滅んだと言われた地が蘇った姿を眺めて心を安らがせていたものだ。
「……あんまり、気を抜かない方がいいぞ」
そんなユースに、シリカが後ろから肩を叩いて話しかけた。法騎士様のお近くで肩の力を抜き過ぎていたと指摘された気がして、振り返ったユースはばつの悪そうな表情。
「いや、そうじゃない。この後のことを考えると、だな……」
シリカの目が、なんだか弱った兎を見るような哀れんだ色を宿している。ふと、シリカが目線を上げると、その目線の先から、大きな荷馬車が歩いてくるのが見えた。
その荷馬車から、シリカは目を逸らそうとしない。三頭の馬が引く巨大な馬車が、ラエルカンの石碑があるこの場所へと通じる、大通りをゆっくりと進む姿は、ただでさえ目を引くものである。だが、それを遠方に見据えたシリカの表情は、単なる好奇の意図でなく、間違いなくそれ以外に何か真意を抱くような眼差しだ。
まるで、勇騎士ベルセリウスを前にした時のような、目上の人物に対する眼に近いもの。それに加えて、巨人ゴグマゴグと敵対した時のような、何らかの覚悟を固めるような目の色が加わっている。シリカの表情はここ数年で様々なものを見てきたユースも、こんな複雑な目をする彼女を見るのは初めてだ。
「――お、来た来た」
アルミナと話し込んでいたダイアンも、その荷馬車の存在に気付いたらしく、その方を見やる。目線を追うアルミナもその方向を見て、ダイアンの目に映った馬車を視界に入れる。
「あれが、ラエルカンでお会いしたいと言っていた方の乗る馬車ですか?」
「うん。特徴的な馬車だから、すぐわかるよ」
馬車のてっぺんに立てられた、ラエルカンやルオスを中心に活動する大商団、アユイ商団の旗印を描かれたフラッグをはためかせ、その馬車はゆっくりと近づいてくる。やがて馬車がダイアンのすぐそばまで近づくと、熟達の御者が手綱を引いて馬を止める。
「法騎士ダイアン様ですね?」
「はい」
御者はダイアンに一礼した後、馬車の戸を開く。その奥から現れる、尊敬するダイアン法騎士様のお知り合いの方とは、どんな人なんだろうと、アルミナも興味をくすぐられたものだ。
ただ、ユースとチータには、一つ気になることがあった。馬車の側面にも刻まれた、交差した武器の後ろに砂金が描かれた、アユイ商団のシンボルが目に入ったことから、この馬車はかの有名なアユイ商団の馬車であることは明らかだ。港町ラルセローミでも、アユイ商団の協力を経て任務を遂行したあの日、同じシンボルは見たばかりなので間違いないのだろう。それはいい。
御者の顔がいかつい。ユースもチータも、初めてクロムに出会った頃は、その顔から彼が歴戦の戦士であると、なんとなく感じたものだ。男の顔というものは、纏う気質が半生を匂わせることもあると、そうした経験から知っている二人だったが、この馬車を引いている御者に抱いた印象が、当時の経験によく似ている。太い腕に彫りの深い顔、禿げ上がった頭は一発で頭に入ったものだが、同時に彼の顔から感じ取れた気質たるや、斧か棍棒でも握って、巨大な魔物の一匹か二匹でも打ち倒した過去でもありそうなオーラを放っていたものだ。
それが、御者? 馬を引くような立場に、あんな強面が座っている光景は、ユースとチータの経験則にはないことだ。だから何というわけでもないが、二人の脳裏に焼きついた違和感のようなものは、馬車の中から一人の人物が顔を出すまでしつこく残ったものだ。
やがて馬車の中から現れた男。それを見た瞬間、第14小隊のメンバー全員の顔が凍りついた。チータですら。
「ご無沙汰しております、法騎士ダイアン様」
「ご無沙汰しております、ジュスターブ=アユイ=ヴォークラン氏」
アルミナは引きつった表情で、ダイアンとその目の前の人物を見比べている。キャルは驚きのあまり、慌ててシリカの後ろに隠れてしまった。どんな魔物を目の前にしても表情一つ変えなかったチータが、眉をひくつかせている。ユースはシリカの表情を二度見して、何ですかアレが本当に法騎士様のお知り合いなんですかと目で訴えている。シリカは久しぶりに目にするその人物を目の前にして、ルオス皇帝と対面した時に勝るとも劣らない緊張感を顔に表わしている。
ダイアンにジュスターブと呼ばれた大男は、背の高い成人男性よりもさらに一回り大きな身長に、首を毛皮で包む、真っ黒で高級そうなジャケットを羽織っていた。迷彩柄のアーミーパンツに覆われたずっしりと太い足で地面に降り立つと、ダイアンの前に立って小さく会釈する。その巨体は大した問題じゃない。山賊の親分か何かかと思える体格と風貌だったが、それはこの際些細なこと。
シャープな形状をしたサングラスの、右レンズの上下からちらつく、右目をばっさりと貫いているであろう深い傷跡が、その男の隻眼を容易に想像させる。薄くなりがちのよれよれの長い頭髪を後ろでくくり、葉巻をくわえたその口の下、首元に巻かれた純金の細いネックレス。太い指の先にも、とんでもなく高級そうな宝石をあつらえた指輪を2,3個身につけており、手首には白金製だと一目でわかるブレスレットが輝いている。
ユースがチータの方に見ると、ふと目が合った。次の瞬間、引きつった表情のチータが指先で自らの頬を、一本の線を描くように縦に撫ぜる。どうやらチータも、ユースと同じことを考えていたようだ。
あれはカタギの人間ではない。間違いなく、あっち側の世界の人間だ。
「だ、ダイアン様……この人は……?」
目の前の人物をもう一度目にするのも恐ろしいアルミナは、ダイアンだけに目線を絞ってそう問いかける。さっきまで畏れ多くて、ダイアンとつかず離れずの距離を保っていたはずのアルミナが、思わずダイアンのすぐそばに近付いてしまうほどには、この対面は衝撃度が高かった。
「ああ、お会いするのは初めてかな? このお方は……」
「お、法騎士ダイアン様も随分可愛い彼女さんを連れてますね。相変わらずの色男ですな」
ジュスターブがアルミナに目をつけた。自分のことを言われていると数秒遅れて悟ったアルミナがその人物に目を向けると、その方から巨大な手が迫ってくる。その瞬間、熊の爪先を目の前にしたかのようにびくりと肩を跳ねさせて、アルミナの体が硬直する。
「いやあ、可愛らしい子だ。私もこんな可愛い娘に恵まれたかったもんです」
巨大かつ皮の厚い掌でアルミナの頭を撫でるジュスターブに対し、取って食われる小兎のように目を見開いて縮こまるアルミナ。よく見ると足も震えているのではなかろうか。遠目から見守るユースもチータも、今のアルミナと立場を代わりたいとは絶対に思えなかった。
「こんな可愛い子が出店に並べば、看板娘として充分に通用する上玉ですよ。ダイアン様も、こんな子と知り合ったのならうちに紹介して下さいよ」
「いやあ、僕も今日知り合った立場でして。仰ることはわかりますが」
ダイアンに向けてその口の両端を上げて話しかけるジュスターブだが、その表情を見てキャルがシリカの背中に顔を隠し、彼女の腰元をぎゅっと握って小刻みに震え始めた。ジュスターブは何の気なしに笑っただけのつもりのようだが、まるで奴隷商が獲物を見つけた時の上機嫌な笑みにしか見えないその顔は、無垢なキャルにとっては恐怖の対象でしかない。頭に手を置かれたアルミナも、伏せたその顔に死を覚悟したような表情を張り付けている。
「あ、あの、ジュスターブ氏……その辺で……」
意を決したかのようにシリカがジュスターブに近付いて、アルミナの頭を撫で続けるジュスターブの大きな手に、自分の手を置く。要するに、そろそろ解放してあげて下さいという意図だ。
「お、おお、これは失礼。流石に無礼でしたかな」
ジュスターブの手から解放されるや否や、アルミナはシリカにしがみつく。よほど怖かったらしく、シリカの胸の横に顔をうずめて震える姿には、シリカも申し訳なさげにジュスターブに会釈する。
「うむぅ……私もダイアン様のように、凛々しいお顔立ちに生まれたかったものですぞ」
「若い頃のあなたの顔は、奥様に肖像画を見せて貰いましたよ。若い頃はジュスターブ様も、実に男前だったじゃないですか」
歳月と経験が今のジュスターブの顔を作ったことを示唆するダイアンの発言に、ジュスターブも困り顔。その顔も、捉えようによっては不機嫌な強面に見えて、少し距離をとって眺めるユースも、ダイアン様やめて下さい刺激しないで下さい、という想いに駆られる一方だ。
「ところで、法騎士シリカ様がおられるということは……」
「はい。彼らがエレム王国騎士団、第14小隊です。みんな、ご挨拶して」
えっちょっとやめて下さいよ、と言った表情のままユースの顔が硬直する。なぜこっちに話を振ってくるんですかという想いで胸がいっぱいになるぐらい、あの人物には関わりたくない。
アルミナとキャルにしがみつかれて身動きのとれないシリカをよそに、手近な場所にいたユースに歩み寄ってくるジュスターブ。チータの方がさりげなく、ユースよりもジュスターブから遠かったせいだろうか。何気ない立ち回りの上手さをここでも発揮する友人の手腕を、密かにユースが呪う。
「アユイ商団第63代元締め、ジュスターブ=アユイ=ヴォークランだ。第14小隊の方々には、うちの不肖の息子が世話になっている」
年若い騎士の前に立ち、野太い声を放つジュスターブ。その言葉を受けて、ユースは思わず逸らしがちだったその顔を、相手に向け直す。
ジュスターブ=アユイ=ヴォークラン。同じ姓を持つ人物を、ユースはよく知っている。
「……クロムさん?」
「おお、そうだそうだ。あいつめ、さん付けで呼ばれるような立場になってんだな」
クロムナード=ヴォークラン。過去に一度聞いたか聞かないかというレベルの、ユースの頭の片隅に残っていた記憶が、ここにきて一瞬で蘇った。




