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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第4章  広き世界との協奏曲~コンチェルト~
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第67話  ~フィート教会④ メデューサの涙~



 獣魔メラノスの心中は、戸惑いと焦りに満ちていた。勇猛果敢に大斧を振るい、自らに差し迫る少年闘士の強さと速さが、あるべき想定を遙かに超えていたからだ。


 斧を振り下ろしたその攻撃を横に身を逃して回避した次の瞬間には、そんな自分めがけてクロードの鉄球棒の鋭い突きが迫ってくる。それを大きく後方に逃れて距離を作ろうとしても、大斧を持った小さな体躯の少年はすぐさま自らに迫り、その大斧で首を刈りにくる。見るからに絶大な質量を持つその斧は、たとえバブルシールドを纏わせた腕で防ごうにも、自らの腕が斬り落とされるか粉砕される未来が透けている。回避を強いられるメラノスは、思うがままに立ち回れぬ戦況に苛立ちを感じていた。


螺旋水柱(ヴァダスプレッド)……!」


 自らの足元から、間欠泉のように吹き出す水を召喚し、上空に逃れるメラノス。自らの呼び出した水上にあってバランスを乱すこともなく、上空から地上のクロードとガンマを見据えつつ、魔力の流れを操って、その水柱を回転させる。水柱は一気に膨れ上がり、高さを失うとともに幅を広げ、その回転する水流の流れに沿って渦を作りだす。


 その手口を既に見ているクロードもガンマも、一度後方に逃れて上空のメラノスを見上げる。同時にメラノスが放つ迫撃水流(アクアブラスト)の砲撃が二本放たれ、地上のクロードとガンマに迫り来る。


 身を一歩退けてそれをかわしたガンマが少し前まで立っていた地面を、メラノスの迫撃水流(アクアブラスト)が深く抉るとほぼ同時、既に地を蹴っていたガンマはメラノスに向かって跳躍していた。その猪突猛進を促せれば儲けものだと思っていたメラノスは、画策していた戦術を実現する。


泡陣守護法(バブルシールド)!」


 自らの周りを包む、魔力を帯びた大きな泡。その中心に立つメラノス目がけて進んでいたガンマは、突然現れた泡の壁という障害物に、その大斧を振りかぶる。ガンマの全力を以って振るう大斧が、自らの魔力の壁に勝るか劣るか、それを見極める意味でもメラノスにとっては意味のある行動。


 泡は砕けない。ガンマの大斧を受けた泡の膜は、その形を大きく曲げたものの、メラノスに迫る大斧を膜の壁で緩衝し、自らが守る主まで刃を届かせない。にやりと笑ったメラノスの表情にガンマが歯ぎしりする頃には、泡の膜が斧を強い弾力ではじき返し、斧を手放さないガンマごと勢いよく退けた。


「開門! 岩石召壁(ストーンウォール)!」


 直後、ガンマがはじき返された方向に現れる、空中に浮かぶ亀裂とそこから発生する岩石の壁。本来ならば、敵の物理的な攻撃をはじくために概ね用いられるチータの魔法が、今ここでは違う目的のために発せられている。


 チータの作りだした岩石の壁に、空中で猫のように体勢を翻したガンマは、その壁を蹴り返して再び跳躍する。向かう先は当然の如くメラノス、しかし今度は直線的ではなく、弧を描く放物線のようにメラノスに向かって落ちる形。


「何度試みても結果は変わらぬ! 泡陣守護法(バブルシールド)!」


 先ほどガンマに一撃を受けて魔力の大半を吐きだした泡を周囲に保ちながら、その僅か内側にもう一つの新しい魔力の泡を作りだすメラノス。同じように受ければ、弱った泡が貫かれることは想像に難くなかったことを、メラノスは正しく判断できている。


 ガンマがメラノスの脳天めがけてその大斧を振り下ろす。落下する勢い、重力任せに振るわれたその一撃はメラノスの泡を大きく歪ませ、大口を叩きながらもこの勝負所に緊迫感を持っていたメラノスの精神を奮い立たせる。もしも泡をガンマの大斧が破れば、その得物は自らを頭から真っ二つにするであろうこの局面、メラノスの精神から絞り出される不可侵の泡を作るための魔力が色濃く顕現する。


 斧は大泡を貫かなかった。そしてその結果にメラノスがほくそ笑むその瞬間、獣魔の視界の外から、その隙を見逃さない特大の砲撃が放たれる。


 高く跳躍し、メラノスと同じ高さまで到達したクロードが、その鉄球棒をメラノス目がけて全力で投げつけたのだ。それにメラノスが気付いたその瞬間には、メラノスの周囲を完全に包んでいた泡の膜に、クロードが握っていた超質量の鉄球棒が衝突している。


 ガンマの大斧を受け止めていた大きな泡に、別の角度から凄まじい外力を加える鉄球棒。メラノスの守備に用いられた魔力を超過した力の合成が泡に加えられ、一瞬でメラノスの精神に強い危機感が警鐘を鳴らす。そしてメラノスの泡が破裂したその瞬間、重力に任せて自らに振り下ろされる大斧を、メラノスは勢いよく後方に逃れる形で回避した。


「開門! 圧撃召水(ブルーカスカータ)!」


 そのメラノスが逃れた先の僅か上に突如開かれる、チータの作りだした大きな青い空間の亀裂。そしてその真下にメラノスが到達した瞬間、亀裂から鉄砲水のように大量の水が発射され、メラノスを呑み込んで地面に叩きつけるべく襲いかかった。


 空中に身を置く敵を、滝のように吹き出す大量の水によって地面に叩きつけるこの魔法は、水の魔法を得意とするメラノスにも同じものが使えるだろう。今回その術を敵に浴びせたのはチータであり、水術師としてのお株を奪われた心地のままメラノスは地面に叩きつけられ、軋む全身を奮い立たせてぎろりと魔導士の少年を睨み澄ます。


 先ほどまでメラノスが立っていた渦の柱は術者の魔力を失い霧散し、地に降り立ったガンマがすぐさまメラノスに跳びかかる。当然それを想定していたメラノスであっても、自らに大斧を振るって迫り来るこの闘士を目にして、揺るがぬ疑念がさらに深まっていく。


 人間が侮れぬことは知っている。だが、ただの人間の少年が、ラエルカンの生き残りかつ、人間を超越した身体能力を持つクロードよろしく、これほどのパワーとスピードを兼ね備えるのか? 今ここでそれを思い巡らせても意味のない問いだと知りつつも、メラノスは目の前に迫る規格外に対して、恐れにも近い焦燥感を止められない。


 ガンマがその大斧をフルスイングしてメラノスの腹部を真っ二つにしようとした一撃。退いてその攻撃を回避しようとしたメラノスだが、痛めた体の軋みによって動きは全力のものではなく、わずかにその大斧が腹部をかすめた。そして、僅かかすめただけでも伝わる大斧の持つエネルギー量が、致命的ではないにせよその腹部につけた浅い傷から、血を噴き出させる。


水噴柱(ウォーターピラー)……!」


 苦痛に表情を歪め、体勢を崩しかけながらもメラノスが放った苦肉の策。ガンマの足元から勢いよく吹き出す間欠泉のような太い水流が、ガンマを上空に押し上げる。あと僅かで敵にとどめを刺せたはずだったガンマの舌打ちと、肉薄していた危機を退けたメラノスの安堵が戦場に交錯する。


 その水柱によって塞がれた前方への視界。メラノスは視界の中にいないもう一人の脅威に対する危機感を忘れず、後方に勢いよく逃れる。そしてまさしくその好判断に救われる形で、鉄球棒を拾って水柱の影からメラノスに迫っていたクロードが、水柱の脇を三角跳びしてメラノスに急接近して繰り出す鉄球棒の突きを、ぎりぎりのところでメラノスは身をひねって回避することが出来た。


 戦人と畏れられたクロードは、一撃目をかわされただけでその手を止めはしない。回避されたとはいえ、苦し紛れに身を翻したメラノスが次の動きにすぐさま移行できぬことは知っている。クロードが至近距離から繰り出す裏拳の一撃が、鰐の頭を持つメラノスの頬骨を勢いよく打ち抜き、固い鱗に覆われたその皮膚を突き抜け、頬骨まで凄まじい衝撃を伝え抜く。


 よろめくメラノスの柔らかい腹部に、クロードが片足を軸にして放つ回し蹴りを抉り込ませる。ガンマがつけた傷口に、その上から深く突き刺さる一撃には、人外なる耐久力を持つメラノスとて、目を見開いてその大口から血を吐き出す。


「バ……泡陣(バブル)守護法(シールド)……!」


 一歩退いたクロードが鉄球棒の先、大鉄球を敵目がけて放つフルスイングを放った瞬間、メラノスの決死の防御がその周囲に展開される。素早く逃れることも出来ぬ中、クロードの鉄球棒の一撃が自らを貫く攻撃を防ぐには、これ以外に方法などない。正しい判断だ。


 メラノスの横から迫る鉄球の一撃が、泡に阻まれ、メラノスに到達する僅か手前で止まる。歯を食いしばるクロードに対し、攻撃を防ぎきったメラノスが魔物よろしく浅ましく相手を見下すような表情を見せなかったのは、この攻撃を防ぎきれねば自らの命がないとわかっているメラノスの決死の精神力あってこそ、この攻撃を防げているからだ。


 そして、勝負はついた。なぜなら今この場において、メラノスが最も恐れていた敵が、上空より大斧を振りかぶって自らに迫っていたからだ。メラノスがクロードに意識を集中したその瞬間、ガンマを空中に押しやっていた水柱は消え去り、解放された少年が、チータの呼び出した空中の岩石召壁(ストーンウォール)を蹴って跳び向かう先は、クロードと対峙した敵に他ならない。


 クロードの鉄球棒を防ぐため、全力の魔力を費やされていたメラノスの泡も、そこにガンマの追撃が加わればもたないことは先ほども証明されている。メラノスの頭部目がけて振り下ろされる大斧は、泡にぶつかると間もなくしてその泡を粉砕し、そのままメラノスの頭部から脇腹にかけてをばっさりと二つに斬り分けた。


 目の前で泡が消えた瞬間、鉄球棒がガンマに誤爆する危惧から武器を引き、一歩後ろに下がるクロード。忌まわしき敵が力なく後ろに倒れる姿を見ると、息を切らせる少年の横に並び、改めて見下ろす形でメラノスを見る。


「ら、ラエルカン、の……生き残り、か……二人も、相手では……な……」


 すべてを諦観したような表情で、ガンマとクロードを交互に見て、口元からもおびただしい血を吐くメラノス。頭頂部から脇腹にかけてを切断されて、ろくに言葉も吐けない体になってなお、苦言を吐くその姿は、まさしく人間を超越した獣魔の生命力を物語っていると言える。


 直後、もはや言葉も聞きたくないと言わんばかりのクロードの鉄球が、メラノスの頭蓋を粉砕した。ただの強敵ではない。かつて祖国の隣人を何人も葬ってきた仇だったのだ。敵にとどめを刺すという極めて合理的な戦人の行動と、憎しみを敵にぶつける真っ黒な感情が混濁した重い重い一撃が、長らく魔王マーディスの遺産の側近として暗躍した魔物の命を、永遠にこの世から消し去った瞬間だった。


「――ようやってくれた。おぬしがおらなんだら、勝利は掴めなかったやもしれぬ」


 自らよりも背の高いガンマの腰をバンと叩いて、クロードはそう言った。それは紛れもなく本心からの言葉であり、聖騎士という地位に上り詰めてなお、志を共にする者への敬意を失わぬ姿を体現したもの。たとえ相手が、一介の傭兵であったとしてもだ。


「ぬしもよう頑張ってくれたのう。彼がその力を発揮できたのも、ぬしのサポートがあってこそじゃ」


 へへっと気恥ずかしげな笑いを聖騎士様に向けるガンマと目線を交換すると、クロードはチータにもそうした言葉を預ける。勿体ないお言葉を、と言わんばかりに、少し離れて頭を下げるチータの反応は、ガンマとはまた違った形で誇らしげでもある。


 ふうと一息つくと、クロードは再び聖騎士としての強い眼差しを宿す。しかしその目は、先程までの敵を追う目とは違い、半ば任務の終了を示唆するような落ち着いた目。


「ひとまず、先に進むとしよう。気は抜かぬようにな」


 今からシリカ達が向かった方向に支援に向かっても、向こうで何が起こっていたとしても間には合わないだろう。だから、先に進むのみ。とは言っても、メラノスほどの魔王軍の要人が居座っていたこの先に、これ以上の脅威があるとも想像しづらいところだ。そんな駒がここに揃っているのなら、メラノスと一緒に自分達を阻んでいただろうから、むしろこの先に敵などいない可能性の方が高い。


 駆けだすクロードを追って、ガンマもチータも走りだす。この先にある地下道の出口まで、敵がもういないことを確かめることで、彼らの任務はほぼ終了と言っていいだろう。


 別の道を駆けたシリカ達が気がかりなのは、ガンマもチータも同じこと。仲間を信じ、その道を託すことの重要さを経験によって積むことも、年若い二人にとって重要なことだった。











雷撃槍(スパークランサー)……!」


 メデューサの頭に巣食う蛇の一匹一匹が、その口から光輝く矢を放ち、自らに迫るクロムとユースを狙い撃つ。雨あられのように迫り来る雷撃の槍の数々を、クロムは冷静な足さばきで、ユースは必死に回避を為している。


 跳躍してメデューサの頭部めがけて進むクロムに、メデューサがその口を広げて、火炎砲術(ファイアバースト)による炎の砲撃を放つ。シリカと同じく魔力を纏わせた槍先でそれを切り裂くクロムだが、それと同時に空中のクロムに向かって、メデューサの頭部の蛇が、触手の群れのように伸びて襲いかかってくる。


 素早く槍を短く持ち直したクロムは、空中にありながらもその蛇の数々をことごとく切り落とす。もはやユースにとっては、何年先にあの境地に辿りつけるかわからないような芸当であったものの、それを見ればクロムを案ずる必要など微塵もない想いしか沸いてこない。迷いを失った少年は、メデューサの体躯に向かって一直線に駆けていく。


 蛇の数々が放つ雷撃槍(スパークランサー)の数も、切り落とされた蛇の数に影響して随分と数が減ったものだ。それらをかいくぐるユースに対し、安定しないであろう足元を刈るべく放たれたメデューサの尻尾によるなぎ払いも、跳躍したユースによってかわされる。


 接近するシリカをも同時になぎ払おうとしていたその尾の攻撃だったが、地面を跳ねて自らの首を狙うやや高い尾のスイングを、シリカは走りながら頭をかがめて回避する。蛇の襲来を退け、自らの横を流星のように通り過ぎていくクロムをよそに、ユースとシリカという脅威がメデューサに迫る。


 先にメデューサが目をつけたのは、二人の中でも近い方にいたシリカだ。振りかぶった尾を素早く引き寄せたメデューサは、彼女が地を蹴ってメデューサめがけて跳躍するより早く、斜め上空からシリカ目がけてその尾を振り下ろした。太すぎる尾の襲来に、シリカも舌打ち混じりに一度後方に跳ね退き、今一度距離を取らされる。


 闘志を宿した少年騎士が跳躍し、メデューサの巨大な上半身に差し迫る。その騎士剣が深々とメデューサの胸部を切り上げた瞬間、身を反らせて回避しようとしていたその動きに伴い、悲鳴をあげて敵がのけ反る。おおよそ人間とはかけ離れた声、魔物の悲鳴にユースも憐憫を抱くことはしなかったが、空中でユースがメデューサと目を合わせた瞬間、その心中を鋭い痛みが突き刺した。


 先程のシリカと同じくして、メデューサと目を合わせたその瞬間、明らかに空中で集中力を一瞬失ったユース。その隙は後方でそれを視野に入れていたクロムやシリカにも見えたものであり、メデューサとて好機を見出すには充分だ。頭の蛇をすかさず伸ばし、ユースに絡みつけようと迫らせてくる。


 しまったとユースが気付く頃には、3匹の蛇が騎士剣を握るユースの手首、胴体、首の三か所に巻きつき、その動きを空中で止める。首に巻きついた蛇が、自らの眼前でその大顎を開いたその瞬間、ユースの脳裏を占めた恐怖たるや、過去に例を見ないもの。


 しかし、直後にユースを捕えていた蛇が脱力し、目をつぶりかけていたユースの意に反してその身が地面に吸い寄せられる。それはクロムがその槍を全力でメデューサに投げつけ、寸分違いなくメデューサの喉元を貫いたからだ。本核が決定的なダメージを受けたことに伴い、ユースを捕まえていた蛇も、少年騎士を捕えたままではいられなかった。


「ふ……火炎(フレイム)障壁(ヴォール)……」


 朦朧とする意識の中でメデューサが唱えた魔法。それは先程退けたシリカが、再び迫っていることを視野に入れた判断による詠唱で、メデューサに向けて直進するシリカの眼前に、広い横幅と高さを持つ炎の壁が現れる。


 落下してくるユースは不安定な体勢のまま地面に叩きつけられるところだったが、すかさず落下点に滑り込んだクロムにその体を受け止められ、事なきを得る。感謝する暇もなく、クロムはユースの脇に腕を差し込み、強引に彼を引っ張ってメデューサから距離を取る。


「行け、シリカ! 決めてこい!」


「ああ……!」


 シリカが炎の壁をその騎士剣で斬り拓いて道を作り、メデューサとの距離を一気に詰めていく。たとえ蛇の防衛線をメデューサが差し向けてこようが、その手や尾を振るって抗ってこようが、シリカがとるべき行動は決まっている。


 直後、顔の前でその掌を打ち鳴らせたメデューサの動きに伴い、周囲の炎が一気にメデューサの手に集まっていく。そして直後、メデューサが掌同士を少し離した瞬間、そこに集った炎の魔力がおぞましいほど真っ赤に燃え盛る。


「おっといかん、あれは……」


 クロムはユースを抱えたまま、走る方向を変える。胴を抱えられたまま振り回されるユースはいちいち息が詰まり、騎士剣を手放さないように、かつクロムを傷付けないようにするので精一杯だ。


 シリカはメデューサの動きが何を意味しているかを、直感的に悟っている。知っている。それでもとるべき行動は一つだけだ。予定していた動きに変化を加える意図はなく、走るその足に全力を込める。


爆炎魔法(エクスプロード)……!」


 喉に大槍を突き刺されたまま、決死の想いで振り絞られた詠唱は、メデューサの精神から生成される濃厚な魔力を、最高の形で絞り出す。次の瞬間、シリカが地を蹴ってメデューサに跳び迫った瞬間、メデューサが両掌を前方に向け、そこに凝縮された魔力が火を吹いた。


 その掌を起点とした爆風と焦熱が、凄まじい勢いで放たれる。それは嵐の空に吹き荒れるすべてを吹き飛ばす風と、燎原をも焼き払う激熱の炎を伴う、風と炎の複合魔法。対象の全身を焼き払い、命を失いかけた敵を遠方に吹き飛ばし叩きつけることでとどめを刺す、メデューサにとっては最後の切り札とも呼ぶべき最強の魔法。その存在を知った上で立ち向かうシリカの剣に込められた魔力は、生か死かのこの局地において活路を導こうとする彼女の精神に伴い、過去最も色濃く輝いた。


 自らを襲う焦熱と風。唯一にして最大の切り札たる勇断の太刀(ドレッドノート)の発動と共に、シリカは勢いよくその騎士剣を振るった。かつてレットアムの村で、プラタ鉱山で、何度も向き合ってきた爆炎魔法(エクスプロード)の魔法の熱と風。それが今ここでいかに強大なものであろうと、敵がその使い手である限り、それを破らねばその手を敵に届かせることは出来ない。勝利を目指すシリカの振るった騎士剣は、万物を切り裂くことを志した彼女の精神を実現させ、爆炎魔法(エクスプロード)の爆熱と風を切り裂き、敵将への道を広く開いた。


 それを見たメデューサが目を見開くものの、次の瞬間には敵の頭部目がけて突き進むシリカの体躯が迫り、勢いよく突き出された騎士剣の一閃が、メデューサの額を貫いた。衝撃に上半身をのけ反らせるメデューサの巨大な顔面の鼻先を足につけ、勢いよく騎士剣を引き抜くシリカ。同時に下方にも手を伸ばし、メデューサの喉に突き刺さった槍を握ると、その鼻先を蹴って槍をも引き抜いた。


 想像以上の槍の重さに、空中で体勢を崩しかけたシリカだったが、なんとか姿勢を整えて地面に降り立つ。着地点近くには、ユースを抱えたクロムがいる。メデューサが放つ爆炎魔法(エクスプロード)の気配を察知して、シリカの後方に位置する場所に移動していたクロムが。爆風をシリカが切り裂いてくれるならば、そこが一番安全だと察知していたクロムが。


「おう、悪いな。槍まで取り返して貰っちまって」


「重いな、これは……よくもまあこんなものを、お前は片腕で持てるものだ」


 シリカは腕に力を込めて、ぐいっと槍をクロムに差し出す。ちょっと気合を入れないと、シリカの細腕では持ち上げるのも疲れる代物だ。騎士剣を扱うだけの力は養われていたって、ここまで巨大な得物を自由自在に扱えるものではない。


 満足げにクロムが槍を受け取る姿を尻目に、踵を返してシリカはメデューサの方に歩み寄る。同時にユースがクロムの腕から抜け出て、シリカの後を追っていく。少し咳き込んでいても、シリカの後を追う少年騎士の姿は、上官様の後を忠実に追う未熟な騎士の姿だと見るには充分なものかもしれない。


 だが、シリカを追い抜いてでもメデューサに駆け寄るユースの姿は、明らかにそうした姿とは一線を画したものだった。敢えてシリカとユースの後を追わず、後方で二人を見守るクロムは、メデューサとの戦いの中で明らかな動揺を見せた二人の胸中を思い返し、魔物に近付く二人が危険を伴うはずの行動をとっていることを、努めて黙認していた。


 喉と額に致命傷を負ったメデューサの顔を、駆け寄ったユースが覗き込む。先ほど自分を捕えて、殺そうとしてきた怪物の顔をだ。こうして近付いて目を合わせることが、相手に命ある限りどれほど危ういことであるかも承知の上で、少年はそうせずにはいられなかった。


 自らの死を悟ったメデューサの目は、遠い天井を仰いでいた。目の前にユースがいることにも、きっと気付いていただろう。だけどその目にもはや殺意はなく、死を目の前にした安らかな瞳がそこにあるだけだったのだ。


「シリカさん……」


「……わかっている」


 変わり果てた、魔物の顔。だけど、どこかに面影が残っているのだ。確信に至るにはまだ少し遠かったけれど、自分達はきっとこの顔を知っている。そしてその憶測が正しいのであれば、この魔物は罪深さに補って、あまりに哀れな姿であると、二人の目には映って仕方がなかった。


 シリカが騎士剣を構える。討伐すべき魔物、ここで命を断つべき存在。そう自らに言い聞かせるシリカの眼差しが、メデューサがシリカを見やった瞳と合う。


 言葉の一つでも手向けるべきかと考えたシリカも、言葉が出てこなかった。目は口ほどにものを言うのか、そうしたシリカの胸中が伝わったかのように、命の灯が消える間際のメデューサは、凶悪な風貌とはあまりに不釣り合いの、安らかな目をシリカに向けてきた。


 その首を断つ刃を振り下ろす寸前、メデューサが流した涙を、シリカとユースは生涯忘れないだろう。刎ねられた首が暗い地下空間に転がり、石床に血を沁み込ませる光景から、ユースは目を背けることが出来なかった。


「行こう。黒幕を追う」


 シリカはそれだけ言って、大空間の先へと進む道へと駆けていく。返事の一つもせぬまま、それについて走るユースの姿は、上官の言葉に張った声を返す平静時の彼とは全く似つかわないものだ。それに対して違和感を感じつつ、事情は後で聞けばいいとばかりに何も言わず、クロムが追うように駆けていくのだった。

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