第66話 ~フィート教会③ 討伐しろ~
メデューサのまき起こした爆発を回避した三人の騎士は、各方からメデューサに差し迫る。巨体を持つメデューサの左前方から光の如く素早く接近するシリカ、真右まで回り込んでなおもその快速でメデューサに迫るクロム、そしてメデューサの正面からやや遅れて単身突進するのがユース。
「火炎障壁」
自らの射程範囲にシリカが踏み入ったその瞬間、長い尻尾を振りかぶってメデューサがシリカをなぎ払おうとする。同時にその口が静かに唱えた詠唱が、クロムの真正面に高い炎の一枚壁を生み、メデューサに迫ろうとしていたクロムの視界を遮った。
メデューサの尻尾を跳躍して回避したシリカは、そのままメデューサの頭部めがけて飛来する。一瞬速度を落としかけたものの、クロムはその槍先に魔力を纏わせ炎の壁を切り拓き、地を走るままにメデューサに接近する。それらの動きを頭上にうごめく蛇の目で視認しているのか、尻尾を振り回して視界もぶれたはずのメデューサは、頭の蛇の数々を一斉に空中のシリカに差し向けてきた。元より長いメデューサの髪代わりの蛇が、まるで生き物の動きを超越したかのように長く伸び、対象に牙を向けて襲いかかるのだ。
空中で多数の弾丸に晒された経験も少なくないシリカは、自らに迫る5,6匹の蛇を次々とその騎士剣の錆にして切り落とす。腕を振り回し、身をよじったせいで勢いが落ち、着地点が予定よりもやや後方となり、メデューサよりもやや離れた場所への着地となりそうだ。しかしシリカとは別角度からメデューサに迫るクロムが、シリカを狙った勢い任せに自分の頭をなぎ払おうとしてくるメデューサの尻尾を、身をかがめて回避する。
跳躍したクロムがメデューサの脳天めがけて飛躍する。頭部目がけてその大槍を振りかぶると、それを視野に入れていたメデューサが頭を引いて、死神の大鎌のような一撃を回避する。しかし、たなびいた蛇の髪の一部が槍先の牙にかかり、いくつもの蛇の亡骸が地面に落ちた。そのまま着地に向かうクロムをメデューサが目で追おうとするより早く、正面からメデューサに迫っていたユースが勢いよくメデューサの脇を跳び抜けると同時に、その脇腹に深い斬撃を刻みつけていく。
その痛みにメデューサが気を取られるのも束の間、頭を下げたメデューサの比較的近い場所にシリカは着地し、そのまま地を蹴ってメデューサの頭に差し迫る。額にその騎士剣を差し込めば、いかに強靭な生命力を持つ魔物とてそう長くは生きていられないはずだ。屍兵以外の生物を狩るにあたって、頭部は最たる弱点。
「火炎砲術……!」
真正面から自らの急所に向かって直進するシリカこそ、今退けるべき対象であると正しく認識したメデューサは、その口を開けて喉の奥から、炎の塊を吐きだした。それは火球とは遙かに質の違う、口から一体となって長く伸びる、太い炎の渦の一撃だ。
魔法による自らへの迎撃を想定していたシリカは、魔力を纏わせた騎士剣によって炎の渦を真っ二つに切断する。勇断の太刀の斬撃は、かつてネビロスの旋風砲撃を真っ二つに裂いた実績を持つ、今のシリカにとっては攻防いずれにも頼もしい武器となっている。道を拓いたシリカの突き進む先には、自らを見据えたメデューサの鬼の形相がそこにあるのみ。
メデューサとシリカの目が合った。それも、すぐそばでだ。
「っ……!?」
シリカが心を乱す。メデューサの額目がけてその騎士剣を突き立てようとしていたシリカの意志は半ばにして曲げられ、メデューサの額の上の蛇達を横薙ぎに切り落とす。そして空いた額の上を通過するシリカの動きに、勝負ありだったはずと見ていたクロムも、不自然なシリカの動きに目を見張る。
メデューサの頭上に腰を据える蛇の一匹が、シリカの足に追い迫る。足首に巻きついたその蛇により、空中で動きを引き止められたシリカが、目に見えて体勢を崩す中、彼女目がけてメデューサの頭上の蛇達が襲いかかってくる。
シリカに迫った後続の4匹の蛇達は、次々とシリカの肉体に絡みつく。右の足首を捕えた一匹の蛇に続き、左の手首に、左の太ももに、腰回りに、そして最後の一匹は、その長い蛇腹をシリカの首に巻きつけた。
メデューサの髪の代わりに頭から伸びる蛇達が、空中でシリカの肉体を捕縛して締め上げる。各部の締め付けに対する痺れる痛みもさながら、その細い首をメデューサの刺客に締め上げられる苦しみに、思わず騎士剣を握らぬ右手で抗うシリカ。意識が飛ぶか、あるいは首の骨を折られるかと想うような締め付けに、左手でその蛇の腹を引っ張って足掻くシリカの表情が、口を開いて息を吸おうとすることを拒めない苦痛の表情に満ちている。
顔をシリカの方に向けたメデューサが、その大口を開く。その口から放たれる火炎砲術の火炎砲によって、髪の蛇ごとシリカを灰にしようとする予備動作。騎士剣を握った左手を拘束され、抗うことの出来ないシリカの心を、血の気も引くような戦慄が満たす。
遠のきそうな意識の中、次の瞬間シリカの目に映ったのは、メデューサの頭から自らに伸びる蛇の数々が、空中を駆け抜けた一閃の人影がすれ違った瞬間、切り落とされる光景。直後、締め上げられていた自らの左手首と足首に対する痛みが和らぎ、そこに巻きついていた蛇達が地面に吸い込まれるように落ちていく。
メデューサがその目で追うのは、跳躍とともに、シリカを捕えていた蛇の数々を切り落とした少年の姿。地面に落ち始めたその後ろ姿を見据えたメデューサは、開いた大口という名の主砲の矛先を、好機を摘み取ってくれた少年に変える。
「火炎砲術」
空中にあるユースに向かって放たれる、炎の渦が真っ直ぐ伸びるかのような火炎の砲撃。後方から迫る、自らを死に至らしめるであろう脅威の攻撃に、少年は全身の血を凍らせながらも身をよじり、火炎の砲撃が迫る方向にその盾を構える。
「英雄の双腕……!」
決死の想いでその詠唱を口にしたユースの盾が、凝縮した魔力をその全身に纏い、光沢のあるその水晶色を際立たせる。空中で回避の利かないユースを救うべく、地を蹴って跳躍しかけていたクロムの足が、その盾が放つ魔力と光を目にして止まる。
メデューサの放つ炎の砲撃をその盾で受けたユースの腕に加わる、圧倒的なパワー。その力に押されるままに、ユースは吹き飛ばされる。身を流されながらも渾身の力を込め、盾を装着した腕をユースが振り払うと、振り払った方向に向けて炎の砲撃の起動が逸らされる。自らのすぐ左を炎の砲撃がかすめていくのをユースが視認した直後、その肉体は近く地下空間の土壁に勢いよく叩きつけられる。背中から勢いよく壁に叩きつけられるまま、頭を勢いに持っていかれたユースが後頭部を土壁に打ち付けるも、一瞬目の前に星が飛んだ一方、地面に向かって落ちていく自らの体を空中で翻し、ユースはなんとか着地する。片足の裏で、片足の膝で、騎士剣を握らぬ左の掌で地面を捉えてなお、重力任せに地面に崩れ落ちそうになるが、ユースは虚ろになりかけた目をメデューサに向け直す。
「雷撃槍」
メデューサの頭上で踊る蛇の数々が、その口から光り輝く矢を放つ。それらの狙いはユース、未だ空中にその身を捕えられたシリカ、そしてユースとシリカ両名から等しい地点に立つクロム。無数の蛇が三方に、稲妻の矢を針千本の勢いで放つ光景は、一対多をものともしないメデューサの立ち回りを如実に表したものだ。
焦点が定まらない目ながら、なんとか勢いよくその身を横に跳ばせて回避するユースが、咄嗟すぎた回避に地面を転がって受け身を取る。騎士剣を握るシリカは、直前自らの首と太もも、腰回り、首に絡みついていた蛇を一太刀に切り捨て、綱を失った自らの肉体が落ちていく形で稲妻の槍を回避する。そしてクロムが、稲妻の槍の数々を回避しつつメデューサに突進し、稲妻の槍の数々が地面を焼き続けるのを後ろに置き去りにしてメデューサに接近する。
メデューサがその顔をクロムに向け、大口を開いたその瞬間のことだ。腰元から握った携帯灰皿を勢いよくメデューサの顔面目がけて投げつけたクロムの行動に、思わずメデューサは反射的に右腕で、飛来する灰皿をはじき飛ばす。一瞬視線をその灰皿に奪われた次の瞬間には、遠方より地を蹴ってメデューサに向かって跳躍したクロムが、メデューサの胸元にその大槍を深く突き刺していた。
「手ごたえはあるが」
メデューサの心臓部を貫いたとも思える一撃を浴びせたクロムは、極めて冷徹な表情でメデューサの腹を蹴飛ばし、自らの肉体を後方に逃がすとともに槍を引き抜く。次の瞬間、その傷穴から緑色の血を噴き出させるメデューサだったが、その目に怒りを宿し、着地寸前のクロムに向けてその両掌を向けると、詠唱を省略してその手から火球魔法の魔法を放ってきた。
今までに見てきた火球魔法とは異なり、メデューサの放つ炎は人一人をまるまる呑み込めるほどの巨大な一撃。無防備に受ければクロムとてその肉体を焼かれ、もの言わぬ屍となるしかない攻撃だ。しかし着地と同時にクロムがとった行動とは、すぐ目の前に迫る大火球を、片足を軸にした回し蹴りで蹴飛ばす行為であり、その蹴りを受けた火球がそのままメデューサに向かって逆走する。生身の人間が絶対に為せない行為を実現させた光景は、クロムもまた魔力の扱いに秀でた人物であることの証明だ。
火球を掌で受け止めたメデューサは苦悶の表情を浮かべるが、掌に集めた魔力で以って自らの魔法に抗う力を作り、火球と相殺させる。メデューサの掌によって止められた火球は、すぐに小さくなってその両掌によって握り潰された。
胸の風穴からどくどくと緑の血を流すメデューサを見据えるクロムと、地上に降り立ちメデューサから一度距離を取るシリカ、土壁に叩きつけられたダメージに歯をくいしばりながら堪えて立ち上がるユースの三人を、メデューサの頭上の蛇が役割分担するかのように、それぞれを無数の目で見据える。三人の立ち位置はてんでばらばらだが、それらの位置を正しく把握するメデューサの視野の広さには、対峙するクロムも隙の突きどころを探すのに時間がかかる。
クロムがふと仲間達の様子を見るため視線を送るが、ダメージに耐えながら敵を見据えるユースの姿はまだいい。あれはあれなりに、集中している。問題はシリカの方だ。地に足を着けて、油断せずに相手を見据える姿はいいが、明らかにその目の色が、戦場におけるいつもの彼女の眼ではない。
「どうした、シリカ! 問題があったなら言え!」
怒鳴るクロムの声を受け、シリカは表情を変えなかった。今の声を聞いたユースも思わずシリカの表情をうかがったものだが、シリカの目に焼きついた、先程近くして見たメデューサの瞳が脳裏をよぎり、シリカの心に暗い闇を落とす。
シリカの眼差しに宿る、明らかな当惑。それはついさっき、敵に決定的な一撃を浴びせることが出来たはずのシリカが、一瞬メデューサと向き合ったその瞬間に何らかの動揺を見せたことに由来する。それを見受けていたからこそ、クロムはこの場で敢えて問う。
「っ……討伐しろ! 迷いは要らない!」
クロムの問いに対し、短い沈黙を返した後の、シリカの返答。目の前にいる魔物を討伐することに、本来何のためらいも不要であるこの状況で、敢えてその言葉を放ったシリカに対し、クロムは何の疑問もその後に投げかけない。彼女の迷いが正しく目的を再認識し、為すベきことを為すための精神状態を取り戻せるなら、彼女からの返答など求める意味もないからだ。
「ユース! 奴から目を逸らすなよ!」
正しい冷静さを取り戻すには己の心が正しく在らねばならない。それを促すべく、最もこの場においては年若いユースにクロムが言葉を投げつけるとほぼ同時、シリカの言葉を受け取ったユースの精神は、既に意識をシリカからメデューサに改めてその目線を向けていた。
「火炎砲術……!」
だから、最もこの場で未熟であり、メデューサにも比較的近い場所にいた少年騎士を目がけてメデューサが炎の渦の砲撃を放ったことにも、正しくユースは対応できた。メデューサの口から尾を引く彗星の如く放たれた炎の一撃を、横っ跳びで回避したユースは、今度は体勢を崩さぬままにメデューサに突き進む。
迷いは要らない。必ず自分の後ろには、シリカやクロムがついてくれている。不覚を取らぬ限り、必ずあの二人が自らの動きによって望まぬ行動を強いられたメデューサを討伐してくれる。仲間を強く信頼する少年騎士は、はじめから迷いなどとうに吹っ切れていた。
「火炎障壁……!」
メデューサが自らの眼前に作りだした、幅広く高さを持つ炎の壁。それが津波の如く前進し、迫るユースやクロムに対して真っ向からぶつかろうとする中、ユースの進行路に横から割り込んだクロムが、その槍を以ってユースの眼前の壁を真っ二つに切り裂き、道を拓く。
「行け! 何があってもフォローしてやる!」
クロムと並んでメデューサに迫る少年の心に不安など無い。その駆ける両者にやや遅れて、自ら目がけて少年達より速く駆けるシリカを見定め、瞳に魔力を持つと伝説上で語られるメデューサは、憎々しげに次の魔法の詠唱へと口を走らせた。
「泡陣守護法……!」
メラノスが水の魔力で以って作り上げた、シャボン玉のような魔力の膜が、メラノスの腕全体を長細い形となって覆い包む。直後メラノスに接近したクロードによる、鉄球棒によるフルスイングが、鰐頭のメラノスの頭部目がけて振りかぶられる。泡で守られたその腕で、その鉄球による攻撃を食い止めるメラノスだが、怪力と重みによって繰り出されるその一撃には、人並み外れた筋力を持つメラノスも歯をくいしばる。腕を守る魔力による防御で威力を緩衝していなければ、その腕の骨ごと持っていかれていたことは、本人が誰よりもよくわかっている。
鉄球棒による攻撃を防がれようと、走る勢いを止めずに飛びかかるクロード。メラノスの顔目がけて跳躍し、顎を蹴り上げるべく足を振り上げるが、一瞬早く身を逸らしたメラノスによってその足先は空を切る。目線の先にクロードがちょうどいるその瞬間を見逃さず、その手に握る錫杖でクロードを突き上げるメラノスの攻撃に、鉄球棒を引き寄せたクロードは、その細い持ち手の部分で的確にその突きを受け止める。
空中にあるクロードの肉体がそのベクトルを受けてあらぬ方向に身を逃がすと同時、メラノスに接近したガンマがその斧を振りかぶる。メラノスが動かぬなら、腰元から肩口にかけてを真っ二つにしていたであろうその逆けさ斬りを、メラノスは迷いなく後方に跳躍して回避する。泡陣守護法の魔力で保護した腕で以ってしても、切断を伴うあの大斧の攻撃は防ぎきれる保証がないからだ。
「開門! 落雷魔法!」
「水魔妨壁」
空中高くに身を逃したメラノスを、後方から狙撃するチータの雷撃。メラノスの前方に立つはずのチータが、その方向からメラノスを魔法で狙い撃つ行為は、視覚的にも意識的にも死角を突いたはずの攻撃だ。しかし冷静に後方から襲いかかる雷撃と自分の間に、魔力による水の盾を作り出したメラノスによって、稲妻は水の盾に阻害され対象に届かない。さらに、チータの雷撃を受けた水の盾はその魔力をその身に吸収し、帯電したまま空に残る。
錫杖を振るったメラノスの命令に従うように、帯電した水の盾はチータに飛来する。反発空間の魔法を瞬時に発動し、足元から自分を跳ね上げる力を受けて高く跳躍してその攻撃を回避するチータだが、口の端を上げたメラノスの意志のまま、地上のチータ目がけて上から向かっていた帯電水は、進行方向を急激に曲げ、跳躍したチータをそのまま追うように直進していく。
「耐魔結界……!」
魔法の障壁を作っても、それを回避して襲ってくるであろうメラノスの帯電水の動きを想定したチータは、防御の魔力を全身に纏うことによる守備を展開する。帯電したメラノスの水がチータに直撃し、抱いた電力をチータに向かって放出する。魔力による防御がなければ、水の電導力も手伝って全身を焼けただらせられていたであろう一撃に、思わずチータもその表情を歪める。
「水噴柱」
落下してくるメラノスを迎え討つべく駆け迫るクロードを見て、相手と自分の間に間欠泉の如く水を噴き出させ、その道を塞ぐメラノス。その直前にて急停止を強いられるものの、すぐさま走る軌道を修正し、クロードは三角跳びのように地を蹴ってメラノスに迫ろうとする。
水柱に遮られた視界が開けてメラノスの姿が目に入った瞬間には、至近距離でその大口を開いていたメラノスの姿がある。鰐の大口を以って敵を粉砕するパワーを持つメラノスの牙にかかれば、人間の肉体など一瞬で粉々にされる。目と鼻の先にメラノスの舌が見えるその光景に、思わずクロードは後方に跳ね退いて逃れるしかない。直後クロードの頭があった場所を、歯を打ち鳴らす甲高い音と共にメラノスの口が閉じられる。あわや頭を一瞬で噛み砕かれる寸前だ。
メラノスの背後から斧を振り下ろすガンマの一撃を、メラノスは振り向くと同時に横に跳んで回避し、次に地を蹴った瞬間にはガンマ目がけてその大口を開いて差し迫る。跳躍し、後方に逃れるガンマに対し、その牙を再び空振るメラノスだが、その目ははっきりとガンマを見据えたままだ。
「螺旋水柱」
ガンマが着地するであろう一点のそばから吹き出す、間欠泉のような水。そしてそのすぐそばにガンマが着地した瞬間、吹き出す水柱は突然その径を広げ、上向きに噴き上げる水柱を軸を中心とするかのように、渦を巻く動きに変わる。
すぐそばに中心地を持つ、自らの背の高さの倍ほどある太い水柱に呑み込まれ、その流れに流されるように身体を持っていかれるガンマ。水の中にあって、凄まじい勢いによって体勢も崩されたガンマは、どちらが上か下かもわからない感覚に襲われたまま渦の中で振り回される。
「貴様……!」
メラノスに接近するクロードがその鉄球棒を振りかぶるも、彼を相手にすることを拒絶するかのように跳躍して距離を取るメラノス。さらに、追撃しようとしたクロードと自分の間に再び水噴柱の魔法を発現させ、一瞬クロードの動きを止める。
メラノスがガンマが振り回される渦に顔を向ける。あの渦の流れは完全に自分が支配しているのだ。やがて意のままに操れる渦の流れに沿って、その渦からガンマの肉体が遠心力任せに放り出される。そしてその方向は、メラノスのいる方向に向けて一直線。
渦の流れの遠心力で、自ら目がけて投げだされたガンマの肉体を、待ちわびたとばかりに大口を開いて迎えるメラノス。前後不覚のガンマは自分の進行方向に、倒木も噛み砕く凶悪な牙が待っていることに気付くことも出来ぬままだ。
「開門、岩石魔法……!」
それを遠方から見届けていたチータが咄嗟に取った行動。一気に魔力を解放し、自身をとりまく帯電水を振り払うと、詠唱によって生み出した岩石の槍を、メラノスの足元から突き上げさせる。一瞬早くそれを察知したメラノスは、ガンマを待ち構えていた構えを解き、後方に飛び退いて、足元から自らの顎目がけて突き上げる岩石の槍を回避する。
直後、その岩石の柱に叩きつけられる形になるガンマ。一瞬早く目の前の障害物に気付いたか、身をよじって庇い手を作り、太腿の横と足の裏で受け身をとるガンマ。とはいえ、衝突した障害物の硬さと重さにその衝撃が全身を貫き、その表情が苦悶の一色に染まる。衝突の瞬間にチータが魔力を解き、岩石の槍がチータのぶつかった衝撃で砕けて、勢いの一部を逃したにしても、だ。
悠々と地面の一点に着地するメラノスと、地面に崩れたままのガンマ。全力で次の手を導くべく思考を巡らせるチータと、ガンマとメラノスの間に立つようにして改めて構えを作るクロードの前で、魔王マーディスの遺産の側近たる獣魔は目を赤くしてぎらりと笑っている。
まだまだ余裕を匂わせながらも、戦う中でその血が滾り、徐々に人の血を屠る喜びを思い出したかのように本性を目に表す獣魔は、まさしく人々の最も恐れる、殺意の塊たる魔物の姿。戦う前の落ち着き払った冷静なメラノスの姿など、血を求める本能を眠らせた、モチベーションに欠けた単なる一匹の人もどきに過ぎない。悪意と殺気に満ちた怪物が、その恐ろしさを発揮するのはむしろここからだと、クロードはここにいる誰よりもはっきりと知っている。
「迫撃水流」
突きだした掌から、渦巻く水の砲撃を放つメラノス。質量の塊である水がメラノスの魔力を背負い、対象の肉体を粉砕するパワーを抱いてクロードに向かって直進する。
「舐めるなよ、メラノスめ……!」
回避すれば、後ろに倒れ伏せたガンマがその術の的となることをわかっているクロードは、恐れるどころか怒気を高めてメラノスに突進する。そして自らに迫り来る水の砲撃を、敵の魔力に抗う魔力を寄せ集めた鉄球で以って横薙ぎに叩き飛ばし、メラノスの放った砲撃が軌道を逸らしてクロードのすぐ横をかすめていく。
さらに距離を詰めたクロードによる、自らの頭めがけて振りかぶられる鉄球棒の一撃を、今度は防がずしゃがんで回避するメラノス。防げば先程とは違う、別の攻め方をクロードが繰り出してくることはわかっている。一度通用しなかった攻め方を、繰り返してくるような相手ではないのは想定済みだ。
鉄球棒を振りかぶった勢いに任せてその身を回転させつつ、メラノスの懐に入ったクロードが短い脚ながら回し蹴りを放つ。錫杖で以ってその足をかち上げて、クロードの体勢を崩しにかかるメラノスだが、片足を打たれれて転ばされるかと思ったクロードは、回し蹴りの軸としていたもう片方の足で地を蹴って、かち上げられた足が受け取ったベクトルを利用して空中に舞い上がる。そして自らの動きを把握しているクロードには、空中から鉄球棒による追撃を繰り出すという選択肢がある。
「泡陣守護法!」
頭を下にしたような体勢ながら、鉄球棒による突きの一撃を、上空からメラノス目がけて放つクロード。緩衝の泡を纏わせた両腕で以って対応するメラノスだが、重力も手伝って、さらなる重みを得たクロードの攻撃に、思わずその表情にも一瞬余裕が失われる。
「ぬぅ、ん……!」
くい止めた直後、その腕が膨れ上がる程の全力を込め、鉄球ごとクロードを押し返すメラノス。身を翻して、崩れかけた体勢ながらも正しい着地を踏もうとしたクロードを追撃するつもりだったメラノスだが、その視界の中心からその意識を割く矢のような一閃。
先程まで倒れ伏せていたはず、距離も充分にあったはずのガンマによる、突然の突進。自らの胴体を真っ二つにせんかという大斧の横薙ぎに、思わず跳ね退いて錫杖を構えるメラノスだが、次の瞬間にメラノスが見た光景は、自らの想定をやや超えたものだった。
着地した瞬間には、再びガンマの斧が自らに振り下ろされている。横に跳びのいてそれを回避したメラノスが、勢い任せの少年をその魔力で迫撃してやろうと思ったその瞬間には、すぐさま次のガンマの一撃が自らに迫っている。
あまりに速いガンマの連続攻撃。守りを捨てたかと思えるような最速の猛攻を重ねるガンマに舌打ちしつつ、メラノスは勢いよく後方に跳んで距離を取る。ガンマはすぐに自分に向かって直進すべく地を蹴る足の動きをしていることが、離れていても肌で感じ取れる。
「迫撃水流……!」
すぐさま掌を目の前に突き出し、そこから渦巻く水の砲撃を放つメラノス。それはガンマの肉体を正面から貫き、その肉体を後方に向けて勢いよく吹き飛ばす。
メラノスの魔法の直撃を受けたガンマに、思わずチータも表情を凍らせた。水の砲撃は、風や炎の砲撃とは違い、肉体への斬裂や壊死を伴わせるものではないが、大量の水が持つ圧倒的な質量による圧力たるや凄まじいものであるはず。あれをまともに受けてしまえば、岩石を投げつけられるにも等しい破壊が、ガンマの肉体を貫くはずなのだ。
吹き飛ばされたガンマの身体が地面に転がる。フン、と鼻を鳴らすメラノスと、若き騎士を粉砕されたクロードがメラノスを睨みつける中、チータはガンマの戦闘不能を確信し、いかにこの場で勝利を導き出すかを再考しなければならない想いに駆られる。
しかし。
「ハー……ハー……てめ、ぇ……!」
むくりと上体を起こしたガンマが、握ったままの斧を持ち直して立ち上がる。怒りを宿したその目ははっきりとメラノスを睨みつけ、目を合わせたメラノスも、敵が立ち上がってきた事実に、驚く目の色を隠せない。それはクロードやチータとて同じことだ。
メラノスほどの魔力の持ち主が放つ砲撃の直撃の受けて、立ち上がれる人間がいるのか? それともガンマは全身に魔力を纏い、その威力を幾許か殺したのか? 魔力の扱いに長けたメラノスもチータも、ガンマが魔力で以って防御を行った気配は感じ取っていなかったはず。ならばつまりは、ガンマはその肉体の強さのみで、メラノスの魔法の直撃を耐えてみせたのか?
あり得ることではない。人間の骨は、肉体は、金属の塊ではないのだ。強度に勝るパワーを受ければ必ず砕ける。その条件にはっきりと一致するはずのガンマが立ち上がってきたことに、メラノスは、チータは戸惑いを隠せない。
軋むはずの肉体をごきごきと鳴らして、斧を握る手に力を込めるガンマ。その目はまるで、血の匂いを嗅ぎつけたメラノスの瞳によく似て真っ赤に染まっている。ぎらついた眼差しを携えた少年傭兵は次の瞬間、獲物を見据えた獣の如くメラノスに向かって直進した。まるで、傷を受けたその肉体の痛みさえも忘れたかのように。




