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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第4章  広き世界との協奏曲~コンチェルト~
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第63話  ~始動に向けて~



 ジャービルの自室は、彼の戦友とも言えるアルケミスとは真逆で、殺風景だった。広い一室は、真昼時にカーテンを開けば日の光が部屋の端まで届きそうで、部屋に飾られている装飾の数々も、壁にかけられた美しい絵画や天井の綺麗なシャンデリアぐらいのもので、床を取る飾りは殆どない。絨毯が敷かれた広い床は、大の字に寝転がっても大きな余裕があると目に取れてわかる。


 必要最低限の家具しか置かれていないこの部屋には、椅子に座って向かい合えるような机も無い。ジャービルに招かれた3人がこの部屋に腰を落ち着かせるには、床に座るほか無いだろう。部屋の奥にある机と椅子には、ジャービル以外の者が座るとは思えないのだし。


「ああ、その辺りにでも適当に。足は崩してくれても構いませんよ」


 椅子がないことを申し訳なさそうに、床に腰を下ろすことを持ちかけてくるジャービル。さすがにそんなことを言われてもあぐらをかくわけにもいかず、床に立て膝をついて座るジャービルに対し、シリカもユースもチータも正座して向かい合う。


「体が固いぞ少年。ほら、もっと楽な姿勢に」


 這うように手を伸ばして、正座したユースの両肩を握ってゆさゆさと揺らすジャービル。そんな事言われても、という顔でシリカを見やるユースの目は、助けて下さいシリカさんという想いいっぱいに染まっていた。


「ええと、あの……私はこの姿勢が一番楽ですので……」


「僕もそうですので、どうかお構いなく」


 シリカは元から、床に座る時は正座を貫いているような人間だ。チータはまあ、正座が習慣づいているわけでもないが、目上の人の前では姿勢を崩さない教育を昔徹底されたもので、今はこれ以外の姿勢を考えられない。実際、二人とも肩の力は抜けている。


「お二人はそんな気がしますね。だが、君はもっと素直にならねばな」


 正座したユースの太ももをぺしぺし叩いて、あぐらでもかけと強いてくるジャービルは、根負けしてユースが足を崩すと、満足そうに離れていく。偉大なる魔法剣士様の前であぐら座りだなんて――と、恐る恐る上官であるシリカの顔色をうかがうユースであったが、シリカも、まあ今回はそれでいいよと生温かい目を返してくるのだった。


 ジャービルはユースから離れ、立て膝ではなくこちらもあぐらを組む。目の前に緊張した少年騎士がいるせいか、表情そのものは柔和なままに保ったままであるが、その目は改めてシリカを真っ直ぐに見据え、今から行われる会談に向けて気持ちを切り替えたものに変わる。


「さて。シリカどのやエルアーティ様がピルツの村跡地に赴いて下さった結果、ピルツの村に降った綿の雨は、精霊様の手によるものではないという結論に至ったそうですね」


「エルアーティ様、いわく。付け加えるならば、"番犬"や"凍てついた風"の存在も確認できた事から、魔王マーディスの遺産の手も伸びている可能性は強く見られます」


 ジャービルは一度、ふむと一呼吸挟む。既に聞いているはずの情報を改めて聞いて、考える必要は特にないはずなのだが、あえてこうして話のリズムを整えているのは、目の前にこうした会談の場に慣れていないであろう少年騎士がいることへの配慮だ。


「同時にエルアーティ様が仰るには、人間が綿の雨に関与していると。それはつまり、人間と、魔王マーディス軍の残党が手を結んでいる可能性を示唆している」


 わざわざ自分達の間では把握していることを敢えて復唱するのは、そういう意図である。ユースも事の重大さを再認識するためには、このやりとりがあって良かったものだろう。


「エルアーティ様からの報告を受け、我々としてはその後の調査結果から、既に容疑者を絞り込んでいます、港町ラルセローミのフィート教会。ルオスを聖地とする、"緑の教団"のラルセローミ支部とも言うべきあの教会に、いくつか不審な動きが見えます。教会に身を置く者の多くは魔導士ですし、はじめは疑念のみで済ませていたのですが――」


 ジャービルの言葉に、チータが眉を跳ねさせた。僅かな表情の機微にも気付いているジャービルも、今はまだそれに触れずに話を続けるのみ。


「状況証拠と物流、人員の流れや布教の傾向などを鑑みるに、いよいよそこが本筋となりました。今もルオスの諜報員が各地で情報を集めていますが、このままいけば証拠が揃い、フィート教会を追い詰める結果になることが濃厚であると、我々は踏んでいます」


 魔法などを用いた犯罪行為には証拠を揃えることが難しいものだが、現場に残された残留魔力や状況証拠などを踏まえ、ある程度まで突き詰める手段が魔導士同士にはあると、シリカも聞いたことがある。魔法都市ダニームと魔導帝国ルオスはそうした手段においては一日の長がある一方、エレム王国にもそうした知識を持つ要人は少なくない。ダイアン法騎士やナトーム聖騎士は、本職に比べ魔法に秀でた存在ではないが、それらに対しての知識を積んでいることはシリカも知っている。


「明日、一気に証拠を揃え、明後日にはフィート教会を詰問するつもりです。証拠が掴めれば明日にでもエレムとダニームに報告し、明後日フィート教会に踏み込む形になるでしょう。今の所、ルオスが固めている方針としてはそんなところですね」


 今も、早馬に乗って駆けるルオスの使者によって、エレムやダニームにもこの情報は共有されつつあるとジャービルは付け加える。このままいけば作戦決行は約36時間後、明後日の昼であるという方針に、黙ってそれを聞いていたチータが杖を握る手に力を込める。


「……ラルセローミのフィート教会を管理しているのは、サルファード家に属する人間です。チータ君にとっては、少々複雑な想いであると私も感じていますよ」


 やはりジャービルの目線からも、チータの境遇については察し済みだった。そしてその上で、今回ルオスの疑う先が、チータにとってどういう意味を持つかを、ジャービルも感じ取っている。


 ルオスの疑うフィート教会が、サルファード家と深い繋がりを持つという読みには、シリカも思わずその目を揺らがせたが、その隣に座るチータは意を決したように顔を上げ、ジャービルに対して己の心中を打ち明ける口を開く。


「サルファード家は、長らくルオス三大名家と呼ばれながらも、近年はその名高さを失っていました。僕の父は、そんな現状に強い反意を覚え、力を取り戻すことに固執していました」


 魔王マーディスを討伐したアルケミスの属するズィウバーク家、皇帝様の宮廷顧問に選ばれたジャービルの属するソルティシア家。ルオス三大名家のうち二つが、現代において非常に名高く、発言力を持つようになった一方、サルファード家がその陰を潜めたことも事実だった。ユースだって騎士昇格試験の時、ルオス三大名家の名を問われた時、他二つの名家の名を挙げられてもサルファード家がもう一つの一角であることに自信が持てなかったものだ。


「末子として生まれた僕には、父が為していたことのすべてが知ることは叶いませんでした。しかし父がその裏で、本来人の道に反することを行っていたと思える出来事は数多くありました。だから、僕はサルファード家を離れ、一人で生きる道を選びました」


「……それは、告発として捉えられかねない発言だが、その上で言っているのかね?」


「どう捉えて頂いても問題ありません。僕は、サルファード家が悪事をはたらいているという確たる証拠を掴んでもいませんし、客観的には印象論でしかありません。ただ、僕はサルファード家に対し、清廉潔白という言葉を充てるのは決して適切ではないと感じています」


 自らの生まれた家に対し、半ば罵るかのような言葉を連ねるチータ。息を呑むユースと対面する位置に腰を据えたジャービルは、決意に満ちたチータの目を見据え、しばし口を閉ざして考え込む。


「――君の言葉を、よく覚えておくことにしよう。ともすれば、君の生まれた家を我々ルオスが、国力を以って圧することも、考えられるかもしれない。君は、それを厭わないと見える」


「はい。僕の父が罪人であると証が立てられたなら、そうあって然るべきだと思います」


 チータは揺るがない。いつもの彼、あるいはいつも以上に堅固な意志を宿した彼の姿には、見守るシリカも今後のことを抽象的ながら思い描かずにはいられなかった。


「ともかく、ルオスの方針としてはお話したとおりです。場合によっては明後日、法騎士シリカ様達にも、ご協力を願う形になるかもしれぬことを、ここにあらかじめ申し上げます」


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 きっと自分が当の作戦に関わるであろうことを、シリカは半ば確信している。ピルツの村跡地への調査に選ばれ、ここでこの話を聞く機会を得た時点で、最終段階にも兵力として加算されることは予想できることだ。少なくとも上司にあたるナトーム聖騎士は、そうした采配を行う人物である。


 会談を終え、双方立ち上がって頭を下げ合い、この場は解散となった。ジャービルから、今宵は城に泊まっていかれないのかという提案は為されたものの、同じ小隊の仲間達が宿をもう探している事実も踏まえ、シリカはそれを丁重にお断りした。前回は招かれた立場として城に寝床を借りる形になったものの、今回は来客とは違う立場であるため、流石にその申し出はシリカにとっても恐縮してしまう。それはジャービルもある程度予想していたらしく、シリカの断る姿勢を微笑みながら受け入れていた。かつてジャービルも若い頃は、目上の方々との接し方には頭を悩ませた経験がある。


 部屋を出た後、城門まで見送りに来てくれたジャービルの姿には、シリカも頭を下げるばかりだ。そうした姿でその人物の人格すべてが計り知れるわけではないにせよ、シリカもユースも、彼の姿には偉人様の立派な姿だけが映ったものだ。魔王マーディスを討伐した勇者様と巡り会う機会などそうそう無いだけに、両者にとっても今回のことは良き思い出になったことだろう。











「おう、シリカ。お疲れさん」


「クロム? お前がわざわざ来たのか?」


 ルオスの城を出たシリカ達に、煙草をくわえて一人待っていたクロムが歩み寄って声をかける。宿を見つけたら、小隊の誰かがシリカ達を迎えに来るという打ち合わせどおりではあるが、彼らを纏めるクロムがその役を預かるとは少し予想外だ。てっきり、クロムの言うことをよく聞くガンマあたりがその役を預かると思ったが。


「提案なんだがな、シリカ。俺とチータだけ、今日のうちに馬を走らせて帰るってのはどうかね」


「…………? 説明してくれないか」


「前にも聞いたが、チータはサルファード家の人間なんだろう。家を飛び出したチータが、あまり長くこの街に滞在するのは不都合があるんじゃないかと思ってな」


 チータの姓は、以前チータがエルアーティにそれを明かして以降、場を設けてでもチータが第14小隊の全員に知らせたことだ。隠していたことにチータが頭を下げつつ、誰もがユースと同じで、事情があるなら別にいいという反応だったものだ。


「チータの実家がどういう動きを見せる方々かは知らねえが、家の人間の目に触れると色々と面倒なことになるんじゃねえの?」


「……そうですね。父は、サルファード家の内情を知る僕のことを、極力野放しにしたくないと考えそうな人間でしたから」


 チータが自らの姓を明かしたがらなかったのも、ルオスに赴くことを本来ならば好まなかったのも、そうした思慮を抱いていたからだろう。チータは、サルファード家の人間に自らの所在が露見する事を少なからず望んでいない。今はエレム王国騎士団第14小隊に属する身ながら、その事実を知ったサルファード家が、エレム王国まで乗り込んでくることを、密かに長く恐れていたものだ。そうなれば、保身を捨ててでも第14小隊を離れる覚悟は出来ていたが、やはりそれはチータにとって本意といえるものではなかった。


「つーわけで、今日のうちにトンズラこいちまおうぜ、ってのが俺の提案。シリカ、チータ、どうだ?」


「……まあ、帰り道も断じて安全が確保されているわけでもないし、クロムがチータを導くというのは人選としても適切だとは思う」


 真夜中の帰り道、チータ一人を馬に乗せて駆けさせるのは流石に不安だ。いくら彼に実力があると行っても、多数のならず者に奇襲を受ければ万が一の可能性も考えざるを得ない。そこでクロムがそばに付くなら、もしもの事態に陥っても危険は少ないと思えるのだが。


「ただ、帰りのルーネ様を護送する役目を6人で済ませるというのもな。チータの事情はわかるが、それを潔しとしていいものかどうかは判断に迷う」


「僕もそう思います。いち早くルオスを離れたい気持ちはありますが、それによって隊長や第14小隊に迷惑がかかるのであれば、その提案をお受けするわけにはいきません」


「適当に理由をつければ早引きとしても納得のいく理由はつけられるさ。賢者ルーネ様や騎士団に対する言い訳は、もう作ってマグニスに伝えてあるから、話は丸め込められるよ」


 予想される懸念を口にするシリカとチータに、煙を吹かせながら自信満々に言いきるクロム。マグニスも大概だが、クロムもなかなか達者な口を持っている。望んで火種を撒くようなことはしないが、発生し得る火を消す弁舌に長けたクロムの言葉には、過去の経験からシリカも信頼は寄せている。


 その昔、他の小隊と魔物討伐任務を共有した戦場で、未熟だった頃のアルミナの銃弾がとある傭兵のそばをかすめたことがある。任務は犠牲無く終わったものの、血の気の多い傭兵とひと悶着起きそうな任務後だった時、そこに仲介して話をまとめてくれたのもクロムだった。あれから数年経つが、当の傭兵とはそれを機会に知り合うことになって、時々クロムはその人物と酒を酌み交わす仲になっている。いったいどんな語り口を以って話を丸めたのかはシリカには計り知れなかったものだが、そうした事例が重なって、クロムの立ち回りは話に角を立てない方向には有力であると、第14小隊の誰もが信用しているものだ。


「また聖騎士ナトーム様にお叱りを受けるのは嫌なんだがな。お前がそう言うなら、任せてみようか。まあ、万一上手くいかなくても、対処する覚悟はしておくよ」


「心配せずに任せとけ。シリカからも許可が出たなら、チータもそれでいいか?」


「……そうですね。お気遣い、ありがとうございます」


 決まりだな、と煙草をくわえて息を吸い、吸殻を灰皿に入れて煙を吐くクロム。宿の位置を示すメモをシリカに渡すと、クロムは行くぞとばかりにチータに手招きする。ことが決まったのであれば、目的に沿って速やかに動くが吉、という動きだ。


 ルオスの貸馬小屋に向かって足早に歩いていく二人を見送り、残された形になるシリカとユース。大柄な体とは不釣り合いに達筆なメモを見て、シリカもすぐに宿の位置を把握する。


「行くか。クロムという監視役を失ったマグニスが、妙なことをしてないか心配だしな」


「ああ、同じこと考えてました」


 第14小隊の年長3人は、いずれも小隊内では信頼を寄せられるような人物だ。ただ、素行のみに限って言えば、マグニスに寄せられる信用がいかに失墜しているかが見て取れる会話だった。


 結局、宿に辿り着いたシリカ達を待っていたのは3人だけで、マグニスはアルミナの監視の目をかいくぐり、宿の窓から抜け出して夜の街に遊びに出かけていたらしい。傭兵3人をほっぽり出して遊びに出かけたマグニスが朝帰りした時、シリカの鋭い蹴りがマグニスの尻を捕えたのも、第14小隊の若い衆には見慣れた光景だった。











「おはようございます。皆様、今日もお世話になりますね」


 翌朝、ルオスの巨大な城門から小さな影を足元に落としながらルーネが退出し、待機していたシリカ達とダニームの御者に頭を下げる。徹底して腰の低い彼女のことだから挨拶を口にするのも早く、おはようございます賢者ルーネ様、をこの場の第一声にしたかった、シリカの出鼻がくじかれる。


 ルーネの深々としたおじぎに負けないぐらい頭を下げて、シリカも朝のご挨拶を交わし、ルーネをはじめとして第14小隊揃って馬車に乗り込む。御者が馬を歩かせると共に揺れる馬車、それによっておっととルーネの小さな体が傾き、隣に座っていたシリカにもたれかかる。胸元に倒れてきたルーネを抱き受ける形になったシリカだったが、本当に子供でも抱いているような心地になったものだ。


「す、すみません、思いっきり気を抜いていました」


「いいえ、お気になさらないで下さい」


 気恥ずかしそうに離れるルーネは、賢者としての姿とはかけ離れた少女の姿そのものだ。シリカもどことなく、彼女の内面にある偉人の気質を常々感じ取ってはいるものの、やはりこうして平静時のルーネを見ていると、そうした認識に自信がなくなるほど、か弱い風貌だと思えてならない。


「……そういえば、お二人はどうされたのですか?」


 今ここにいないクロムとチータのことについて、ルーネが当然の疑問を投げかける。それに対してどう言い訳すればいいのか知らされていないシリカは、動揺を顔に出さないように努めてマグニスの弁明を待つ。


「あー……クロムの旦那とチータっすか? 昨日、宿探しの途中で一人で歩いていたチータに、ルオスのゴロツキが絡んだみたいっすね。ひと悶着あったみたいで、チータだけ先に帰って貰うことにしたんすよ」


 半ば徹夜明けのマグニスが、眠そうな目ながらもスムーズに説明役の立場に入ってきた。彼が語るに、一人で夜のルオスを歩いていたチータに、金品を巻き上げようと絡んできた(やから)が数名いたという話だ。当然、作り話なのだが。


 あわや魔導士チータが抗おうとしたところ、同行する仲間達が合流したことによって、輩達は引き上げていった。しかし怒りの収まらないチータが報復行為を示唆する態度を見せたため、小隊の判断でチータだけは引き上げさせたという結論に至ったという。そのチータの目付役として、年長者であり実力も申し分ないクロムがその役を担った、というわけだ。これも勿論、作り話。


 チータはかつて、エレム王都でひったくりに苛烈な裁きを下した過去がある。これは作り話でなく、騎士団もよく知る事実だ。その一件から、チータはかっとなると過激な行動に出る可能性があるという評価は、すでに騎士団も下している。ましてマグニスの作り話が本当ならば、非はチータに無いだけに、ひと暴れしそうなチータを騎士団も想像してくれるだろう。結果として、過去のチータの行動から、今回の作り話は信憑性を持って貰えるというわけだ。


 この話が通れば、傭兵が騒動を起こそうとすることを未然に防ごうとした小隊の判断は、騎士団としても納得してくれるだろう。それでもある程度のお叱りはあるかもしれないが、せいぜいお小言で済む。


「……そうですか」


 納得しているのか、していないようなわからないルーネの返答と表情。元より嘘をつくのがあまり好きではないシリカの良心にはちくりとくるものがあるが、ルーネの態度を見たマグニスが考えていることは別のことで、ああどうせ嘘だってバレてんだろうなと諦観を心中に抱いている。


 一言返して沈黙を貫くルーネの一方、マグニスは馬車の隅に寄りかかって目を細める。護送任務中に居眠りするなとシリカに小突かれて、寝不足全開で眠らせてくれと訴えかけるマグニスの姿を見て、微笑ましく笑うルーネ。今この場においては最たる要人であるルーネの表情に倣い、馬車の中の空気は柔らかく、いつもの日常風景を和やかに演じつつのダニームへの帰り道となった。


 時間が経てば、うとうとし始めるマグニスをシリカがまた睨みつけるが、案外そういう時、まあまあとシリカをなだめる役目がアルミナだったり。何も起こっていないのなら、寝不足なんだからそっとしてあげれば、と言うアルミナを見て、クロムやマグニスに毒されたかとシリカが口を尖らせる。アルミナに感謝して体を休めるマグニスだが、王都に帰ったら何かして貰いますよ? とちゃっかり囁きかけるアルミナの姿を見て、シリカも溜め息混じり。ユースやガンマもシリカを説得する役目に回ったりして、数多くの弟や妹に囲まれたような形のシリカが、第14小隊の若い衆に押し負けるように、マグニスの居眠りを見逃す形になったものだ。


 そんな彼らを尻目にして、御者台近くに顔を出し、晴れた草原の眺めと風を嗜むルーネ。絹のような蒼い髪を纏めたツインテールが風に揺れる姿は美しく、その後ろ姿は良く出来たお人形のようにさえ見えたものだ。


 ふと彼女の隣に、這うようにして近付く一人の少女。ルーネと同じく小柄なキャルがそばに来たことにルーネは振り向き、いい眺めですよねと、何気ない言葉を向けてくる。


 そうしたルーネの言葉に対し、キャルが返したのは短い沈黙だった。ルーネの隣で彼女の顔を見るその眼差しに対し、何でしょうかとルーネが尋ねる寸前、キャルが口を開く。


「……あの。もしかしたら、間違ってるかもしれないけど……」


 そこまで言って、一度言葉を切るキャル。ルーネは次の言葉を待つのみだ。


「……元気、出して下さい」


 キャルの言葉が、ルーネの胸に突き刺さる。一瞬、透き通るように綺麗なキャルの瞳に映る、ルーネの表情の目が当惑に満ちるが、すぐにルーネは、表情を切り替える。


「……ありがとうございます」


 ただ一人、ルーネの胸中にある、密かな哀しみの一端を見抜いたキャル。それがなぜ生じたものなのかはキャルにもわからなかったが、僅かにそれを表に出してしまったルーネの表情からその欠片を感じ取ったキャルに、ルーネは平静時と変わらぬ笑顔を返すのだ。


 親友のエルアーティを除き、誰にも自らの口から明かさなかった秘密が、ルーネにもある。それは限られたごく一部の人間、世界じゅうでも手の指の数以下の人間しか知り得ない事実。今もなお、ルーネの心を寂しさと哀しみに満たす、大切な繋がり。


 人に話せない秘密など、誰でも一つは持っているものだ。ルーネ自身が提唱した、"秘せし魔導士を信ずること非ず"という格言がどこまで真理を突いているのかは、これからも学者達の間で議論の絶えない命題となっていくのだろう。

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