表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第4章  広き世界との協奏曲~コンチェルト~
64/300

第60話  ~政治的護送任務~




 第14小隊のように身軽な部隊は、護送任務を請け負うことが多い。街から街へ移る商人様の護送任務など、今まで10回や20回じゃ利かないくらい引き受けてきたし、護送任務を務めるにあたってどういう立ち振舞いが必要かなど、シリカは勿論、ユースやアルミナもしっかり身についている。


 ただ、護送任務にも様々なものがある。例えばエレム王国の政館で政治職に携わる者が、魔法都市ダニームに赴く際などにも護送任務は発生するが、護るべき人物の重さがやはり違う。このような護送任務には、勇騎士よりもさらに上の階級である衛騎士を主とした隊が組まれ、絶対に間違いが起こらぬよう万全を期されるのが普通だ。法騎士であるシリカが率いる隊が、そんな重い任務に携わることはまずないし、過去にエレム王国の政治家が帝国ルオスに赴いた際、シリカだけが勇騎士様率いる隊の一員として、同伴した程度のことしかない。それだって、一度きりの機会だった。


 そういった、国の未来さえも左右しかねない重要な護送任務は、一般にはやはり聖騎士以上の騎士が携わるのが普通であるものだ。特別な場合を、除いては。






「……魔法都市ダニームから魔導帝国ルオスに赴かれる、ルーネ様の護送任務を我々が担うことになった。ある意味では、今までで、最も重い任務だと言えるだろうな」


 シリカの口からそれを聞かされた第14小隊の面々が表情を変えたのは、その重さが一言で伝わるものだったからだ。護送任務、それも政に携わり得る人物の護送がいかに重要であるかなんて、傭兵という立場のアルミナやガンマにだってわかることだ。


 魔法都市ダニームにおけるルーネの地位は、日頃子供達に優しく魔法の使い方を教えている彼女の姿とは不釣り合いなほど、高い。数々の魔法学の新境地を切り拓き、今なお現代魔法の発展にその知恵を捧げ続けている彼女の功績は、ダニームやルオスほどは魔法学に長けていないエレム王国にも伝わってくるほど大きく、数多いものだ。ダニームのアカデミーという、魔法都市の全権を担う要の学長を担う人物にさえ、学会において意見する資格を持つルーネの地位高さは、今現在に彼女に魔法を教わっている子供達も、大人になってからさぞかし驚くことになるだろう。


「騎士館からの命令じゃないだろ。どういう経緯でそうなった?」


 尋ねるクロムが抱く疑問は間違いなく正しい。そんな人物を護送するような任務に、法騎士率いるたった8人の部隊を、騎士館が抜擢するはずがないのだ。万一のことがあれば、国の威信にも関わる。


 なのに、騎士館がそれを認めて、シリカ率いる第14小隊にその任務を任せると言っている。それを可能とする要因など、一つしかあり得ない。


「ルーネ様が、エレム王国第14小隊をご指名された。それだけだ」


「……ふぅん?」


 これにはルーネのことをよく知るマグニスが、怪訝な表情を見せた。いくらルーネがシリカと面識があるとは言っても、ルーネの顔の広さの範疇に入っているのはシリカだけではない。それこそ、勇騎士ベルセリウスや聖騎士クロードという、シリカよりもずっと頼もしい人物とだって付き合いのあるルーネが、わざわざそこよりもシリカ達を選んできたというのは、どうも理に合わない。


 ルーネだって、抜けた子供の風体に見えても、自分の立場ぐらいわかっているはずだ。魔法学者として帝国に招待される自分が、その地に何事もなく到着することは、何よりも優先して叶えられるべきことなのに、その護衛の人選にこの第14小隊は不合理だ。ルーネが、自らを護送して欲しい人物を選ぶにあたって、安全性よりも優先した何かがあることは、彼女の顔を知るマグニスにとっては明らかな事実と見えた。


「あの人は天然そうに見えて、底が見えねえからなぁ。何を企んでいるのやら」


「こら、マグニス。あまり失礼な憶測は……」


「"秘せし魔導士を信ずること非ず"、って、ルーネ姐さんが作った格言っすよね。あの人のことはけっこう信用できると思ってたけど、考えを改めるべきなんすかねぇ?」


 失礼上等、不審を想う胸中を暗喩したマグニスの言葉がシリカの表情を曇らせる。その反応もマグニスにとっては意外なもので、なぜなら、本来なら無礼な言葉を放つ自分に怒りを覚えた目で食ってかかるのがシリカという人物のはずだからだ。


「私だって、なぜ私達の小隊が選ばれたのかは疑問視しているよ。だが、授かった任務を遂行するにあたって、それを考えることが必要なことでもないだろう」


「……まあ、そうっすね。今のは俺が言い過ぎたかもしれないな」


 やれと言われた任務を遂行するにあたって、断る選択肢を視野に入れないなら、相手方の意図を探っても仕方ないのは事実である。まあ、ルーネが本当に信用ならない人物であるのなら、今回の依頼に対してその裏を探り、場合によっては別の選択肢も考えていいかもしれないが、流石に悪しき方向に企むような人物ではないとマグニスもある程度は決め打てるので、考え過ぎかと結論付けた。


「朝食を採ったら、すぐに出発だ。長くお待たせするわけにはいかないからな」


 話を纏めたシリカに追従するように、席を立って台所に用意された朝食の皿を食卓に運び始めるキャル。一歩遅れて同じ動きに倣うユースとガンマ、アルミナが食卓を整え、朝食の場はあっという間に完成し、第14小隊の一日が始まるのだった。


 何事もない、いつもより大きな任務を控えただけの朝食の場。適度な緊張感を持つ者もいれば、何ら変わらぬ朝を平静心で嗜む者もいる。ただ、その中に一人だけ、自らの表情を表に出さぬことを得意とする者が、胸中に渦巻く想いを隠して黙々と朝食に手を伸ばしていたことに、誰も気付かない。


 これから赴く地で顔を合わせるであろう人物を思い浮かべ、強い厭忌をその胸に抱いた人物。それを表に出さず誰にも悟られぬ姿には、シリカでさえもその本意の表面にすら気付くことが出来なかった。






 ここ数ヵ月間、魔道帝国ルオスは、魔法学者ルーネ=フォウ=ファクトリアを、自国に何度も招待していたという。それによって、魔道帝国の要人たる一人の人物と、ルーネの会談を設けることが目的とされていたのだが、長くそれは叶ってこなかった。


 それはルーネが、魔道帝国のそうした要求を断ってきていたからだ。ルオスの要人たる人物と会談を設けることで、どんな話をすることを求められているのかを、ルーネは知っている。それに対して強い抵抗があったルーネは、たとえ帝国が相手であろうと頑なに断ってきた。それに対してルオスが踏み込んだ姿勢に出てこなかったのも、その話の内容が非常に繊細かつ、危険を孕み得るものであると帝国も薄々察知していたからだ。


 それでも帝国は諦めることなく、その後もルオスから使者が何度も送られ、ルーネを説得する機会を設けていた。相手が帝国の要請だという側面を加味すれば、ダニームとルオスの政治的な関係を考えて、相手の要求にも妥協する選択肢もあったはずなのに、長らくそれを退けてきたルーネの意志は相当に固かったのだろう。しかし、ルオスの使者達の努力がようやく実ったのか、とうとうルーネが折れて、ルオスに足を向ける決断を踏んだのだ。それが、つい最近のことだったという。


 それに対して、ルーネがつけた条件がある。魔導帝国ルオスの方々の護衛は必要としないこと。自らを護送する者は、自分自身が選ぶこと。他にも様々、条件があったようだが、シリカ達に影響を及ぼしたのはその一点のみだった。











 エレム王都から魔法都市ダニームへの足は、船一本で事足りる。小隊全員でダニームに向かうことはその実初めてのことであったが、第14小隊の面々には船酔いに悩まされる者が一人もいなかったことも幸いし、何事もなく健やかな船旅を遂げることが出来た。


 船に乗った時からそわそわしていたガンマは、ダニームに着いた途端にその表情を輝かせた。彼にとってはこの町が、ユースにとってのテネメールの村と同じ意味合いを持つからだ。


「シリカさん! 俺、親父に会ってきてもいい!?」


「ああ、好きにしろ。迷子になるんじゃないぞ」


「だーじょうぶですって!」


 生まれの故郷、ダニームの空気を胸一杯に吸い込んだガンマの大声は、港の周りを歩く通行人の目を引いて、彼の話し相手が由緒正しきエレム王国の騎士様であることが、人々の二度見を誘っている。背中に背負う愛用の大斧が一際注目を集めるし、好奇の目に晒されることを恥ずかしく思ったのかアルミナが、ちょっと落ち着きなさいよ、とガンマに苦言を呈したりもする。


 ガンマは駆けだしてある方向に向かおうとする。と、その矢先、シリカ達に声をかける人物が一人。


「お待ちしておりました、法騎士シリカ様。そろそろ来られる頃だと思っていましたよ」


 初老の練兵といった風貌の男性が、シリカ達に歩み寄る。その声を聞いたガンマが、走りだそうとしていた足を止めて、声の主の方にぐるんと首を回した。


「ヴィルヘイム氏、ご無沙汰してお……」


「親父!!」


 挨拶を返そうとしたシリカにかぶせる形で、ガンマが声を張り上げた。その瞬間、ヴィルヘイムと呼ばれた人物はすすっとガンマに近付き、その拳骨をガンマの脳天に一撃。


「今俺が騎士様と喋ってんだろうが。邪魔すんな」


「いってーっ!! 何かにつけて人の頭殴んなよな!!」


 抗議ぶんぶんのガンマを無視して、これはお見苦しい所を、とヴィルヘイムはシリカに頭を下げる。相変わらずの親子漫才のようなやり取りに微笑を浮かべ、シリカもいえいえと返すのみだった。


 魔法都市ダニームの自衛団の多くは魔導士によって担われているが、剣の扱いに長けている者もいる。魔法の通用しにくい魔法生物が出没した時や、武器を持つ暴漢などが問題を起こした時など、物理的な力での対処が必要なこともあるからだ。シリカ達の目の前にいるヴィルヘイムはダニームの自衛団の一員であり、その地位は魔導士を除けば上位にあたり、ある程度の指揮権限を持つことも多い人物である。


 同時にガンマの育ての親でもあるこの男とは、シリカも何度か顔を合わせたことがある。ガンマがエレム王国騎士団に傭兵として入隊し、第14小隊のメンバーとなった際には保護者として挨拶を交わしたし、それ以降も付き合いは深い。シリカとヴィルヘイム、木剣を武器に一度組手をしたこともあるらしく、その時どちらが上手なのかは甲乙つけがたかったそうだ。


 ダニームの優秀な自警団員と肉薄するシリカが凄いのか、若くして法騎士の名を冠する英傑シリカの実力にも劣らないヴィルヘイムの実力が裏付けられると見るか、解釈としては意見が分かれるところ。いずれにせよ確かなのは、ヴィルヘイムもまた高い実力を持つ戦士だということだ。


「まったく、恥かかせやがって。ほら、シリカ隊長様の言葉を遮ったことを謝りな!」


「はいはい……ごめんなさ……」


「ハイは一度でいい! 目上の人に謝る時はすいません! 何度言ったらわかる!」


 グーパンチを側頭部に叩きつけられて父を睨みつけるガンマだが、ヴィルヘイムの方も、さっさと謝れと言わんばかりに厳しい目線だ。お互い、譲らない。


「隊長とユースの関係によく似てるな」


「俺、シリカさんにあんな反抗的な目をする度胸ないけど」


 チータの小声のヤジにユースが反応していると、流し目でシリカが睨んでくる。ああまあチータの言いたい事もわからんではないな、と、ユースは黙ってシリカから目を背けた。


 渋々といった風のガンマの謝罪を受け止めたシリカは、いいよと笑って返す。成り行きに満足したヴィルヘイムを見届けると、シリカは元の話を再開するべく口火を切った。


「ご無沙汰しております。今日は、わざわざお待ち頂けたのですか?」


「馬鹿息子が帰ってくるともなれば、一目様子を見ておきたかったですからね」


 乱暴な呼び名で扱われることにそばのガンマは頬を膨らませていたが、要は久しぶりに故郷に帰ってきた息子を見たくて、わざわざ待ってくれていたのがヴィルヘイムという人物だ。表面的な態度とは裏腹に、周囲の目にも親心が見える人物だと映る。


「先んじて私がご挨拶する形を譲って頂けましてね。賢者様はほら、あそこに」


 ヴィルヘイムがその掌で指し示す先にシリカが目を移すと、そこには彼女がいた。人通りもやや多くなり始めた昼前の港の中、人混みに紛れて背筋を伸ばす、小さな小さな人影だ。


 一度意図して視野に入れれば、偉人たる彼女の気質は視界の中心に自ずと割り込んでくる。そのくせさっきまで、人通りの中にある子供のような小さな体躯は意識の端にも入ってこなくて、さっきまで彼女がそこにいたことに気付けなかった事実もある。矛盾する二つの側面を持つ賢者ルーネの風格は、偉大さを醸し出す一方で近寄りがたさを一切匂わせないものだ。


 シリカと目が合った途端、ルーネがぱたぱたと駆け寄ってくる。彼女が足を踏み出す早さは、公の立場として下に位置するシリカよりも早く、相手との距離を自らの足で詰めるもの。


「お待ちしておりました。このたびはわざわざご足労を強いたことを、深くお詫び致します」


「そんな、滅相もありません。ご無沙汰しております、賢者ルーネ様」


 賢者の敬称を敢えてつけるのは、今日は公の立場として彼女に接するためだ。はじめ以降は普通にルーネ様とだけ呼ぶのだが、顔を合わせた時の挨拶だけは、しっかりした形で行わなければならない。


 エルアーティと並び魔法都市の高い地位に立つルーネもまた、法騎士シリカが等しく並び立てるような立場の人間ではない。それでもこの公の任務で顔を合わせたシリカに対し、深々と頭を下げて挨拶するルーネの姿勢は、お偉い様の態度とは似つかわないものがある。立場を正しく対照すれば、シリカが頭を下げてルーネがふんぞり返ってもいい場面なのだから。


「ルーネ先生、お久しぶり!」


 シリカの後ろからルーネに駆け寄って、元気な声で挨拶するガンマに、ルーネもお久しぶりですねと柔らかな声と笑顔を返す。先生、というルーネにつけられる呼称の方が、ガンマにとっては馴染む呼び名だった。


 幼少の頃、魔法都市の自警団員たるヴィルヘイムはシングルファーザーであったこともあり、託児施設にガンマを預けることが多かった。ルーネは暇が出来た時、アカデミーの子供達に魔法を教えたり、託児施設を巡ってそこの大人達を手伝ったりすることも多く、ダニームに住まう子供達に接点を望んで設ける習慣を持っている。だから幼少の頃、何度も遊んで貰った賢者様のことを、先生と呼ぶ子供や、元子供は非常に多い。ガンマもその一人だ。


「あれがルーネ様か……お会いするの、初めてだな……」


「ちょっと、緊張するね……優しそうな人だけど……」


 アルミナとキャルは、ルーネと面識がない。ひそひそ話は良くないと思いつつも、心中に根付いて形になりつつある緊張感を交換し、互いに支え合う形だ。ルーネは自分達よりも背も小さくて、その童顔は下手をすれば自分達よりも年下にさえ見えたりしたけれど、お偉い様だとわかっているのだし、なかなか気軽にお近付きにはなれないものだ。


 そんな両者を視野に入れたルーネが、真っ直ぐに二人に向かって歩いてくる。その姿を見て、しまったと感じたアルミナは体を強張らせ、キャルもぴしりと表情を固くする。ちらちら見ながら内緒話をしていた所を見られてしまったとなれば、不愉快な想いをさせてしまったかもしれない。


「初めまして。ルーネ=フォウ=ファクトリアと申します」


 そんな懸念を一蹴するかの如く、二人にぺこりと頭を下げるルーネ。顔を上げた彼女の顔は、極めて柔和な笑顔に満たされており、アルミナもキャルも思わず次の言葉が遅れたものだ。


「は、初めまして……アルミナ=マイスダートです」


「……キャル、です。よろしくお願いします……」


 いつもと違い、ちょっとかちかちの動きで頭を下げて返す二人が顔を上げると、もっと近くに歩み寄ってきたルーネの姿がある。二人とも、妹が目の前にいるような光景を目にしながらも、二人の手をその小さな両手でひとつづつ握ってくるルーネに、意識を逸らせない。


「はい。よろしくお願いします」


 その笑顔にアルミナがどきりとしたのは、今は亡きはずの母が自らに笑いかける時の表情に、ルーネの表情があまりによく似ていたからだ。自分達を下から見上げている小さな少女の顔が、よもやそんなものと似つかうはずがないはずなのに、まるで我が子との再会を慈しむようなルーネの表情は、遙か昔に両親を失った二人の心に、なぜか深く印象に残ったものだ。


 目をぱちくりすることしか出来ない二人にもう一度頭を下げると、ルーネはシリカの元へとぱたぱた帰っていく。後ろ姿は街を駆ける幼い少女そのものと何ら変わらないのに、シリカと話すルーネの横顔を見た途端、それがただの幼子の顔から偉大な賢者様の姿に変わる。アルミナもキャルもルーネから目が離せず、しかし先程までの畏怖に近い感情はすっかり薄れ、賢者様の挙動を不思議そうに眺めるばかりだった。


「出発まで、まだ時間がありますよね。ほんのちょっぴり、お散歩しませんか?」


 両手を合わせて首を傾け、にこやかに提案するルーネに従い、シリカもはいと頷く。大事な大事な帝国への出張前だというのに、見た目よろしく子供のように立ち回るルーネの姿には、この人は相変わらずだなとシリカも微笑ましく見守るのみだった。






 ルーネとシリカを先頭に、魔法都市ダニームを歩く第14小隊の姿は、人目を引くものだった。日頃出歩かないエルアーティが町中にいると、それはそれで魔法都市の中でも一際目を引く光景だというそうだが、その雨雲の賢者と対極を為す、凪の賢者ルーネが街を歩く姿もまた、別の意味で周囲の注目を集めるものだ。


「ごきげんよう。クレープを頂けますか?」


「おお、ルーネ様。お待ち下さいね、今すぐとっておきのものを作りますんで」


 彼女が声をかけた出店の主人が、先ほどまで新聞に目を通してぼんやりしていた目を輝かせ、すぐさま売り物作りに手を動かす。接客の瞬間に見せた、店主の輝かしい表情は、ただの客ではないお得意様を見た顔そのものだと、商売のいろはに疎いユースにだってわかったことだ。


「ここのクレープは、甘さと柔らかさのバランスが絶妙で、本当においしいんです。アルミナちゃんやキャルちゃんも、おひとついかがですか?」


 いかがですか、と聞かれ、甘いものが好きなアルミナは素直にはいと答えて財布を取り出す。キャルも、お菓子を喜んで食べるのは子供っぽいと思われそうで気恥ずかしいと思ったのか、小さくうなずいてアルミナと同じ行動に出る。


 その行為に首を振って、クレープをご馳走してくれたルーネと一緒に、合計3つのクレープを店主から受け取る、ルーネとアルミナとキャル。我先にとそれを口にして、幸せいっぱいの顔を浮かべるルーネに、いただきますと一言断って、アルミナやキャルもクレープをくわえた。


「何これ……!? 噛まなくても、勝手に溶けてくみたいに……」


「……おいしい。こんなの食べたの、初めて……」


 驚きを隠せない二人の表情を、くすくすと見守るルーネ。私もこの味と食感を自分で再現しようと挑戦したけど、どうしても上手くいかないんです、と語りかけるルーネの語り口は、クレープの出来を絶賛するとともに、それを生み出した店主の職人芸を暗に称賛する言い回しだ。


「このお店のこと、覚えておいて下さいね? ダニームに遊びに来ることがあれば、間違いなく買いの逸品を必ず出してくれる名家ですから」


「ルーネ様からお墨付きを頂けるたあ光栄なことですや」


 機嫌よく笑う店主と笑顔を交換するルーネだったが、夢中でクレープを頬張る二人を見て、美味しいものを食べている時の顔に勝って、幸せそうな表情で微笑んでいる。あんまりがっつくと太るぞ、とユースに指摘されて、別腹別腹! と言い張るアルミナの姿を見て、ふふっと声を漏らして笑うルーネは、可愛い愛娘を見守る母の顔そのものだと言えるものだった。


「楽しんでますねぇ、ルーネ様」


「ええ。喜んでくれて、よかったです」


 マグニスにそう言われて微笑むルーネは、先ほどまで緊張感を隠しきれなかったアルミナとキャルが肩の力を抜いて、目先のスイーツにかぶりつく姿を目に出来たことに由来する表情だ。ほっぺたにクレープの中のクリームがちょっぴり残るアルミナにシリカが歩み寄り、呆れたような表情でそのクリームを指先で拭う姿には、マグニスも失笑を浮かべてしまうほどではあったが。


 再会した父と、第14小隊での日々の思い出や、昨今の故郷の出来事などを交換するガンマの姿が、アルミナから少し距離をおいて、そこにある。久しぶりに顔を合わせる息子がルオスへの任務に赴く前に、話を交わす時間を楽しむ父、ヴィルヘイムもどことなく満足げな表情だ。


 その場を見守るだけのチータはマグニスのそば、言いかえればルーネのそばにいる。にこにこして周囲の若者を見守るのみのルーネを、チータは観察するように見ていたが、何も感じるものはない。目の前にあるのはただ、平穏な日常を目の前にして、安息をお腹いっぱい楽しむ少女の姿にしか見えなかった。底の見えない人間を観察する癖がつきがちのチータも、この人物の柔らかい顔の裏に、何か別の意図があるとは思えない、と、結論を導くのに時間はかからなかった。


 そんな楽しい時間を満喫していた矢先、一台の馬車が近づいてくる。御者台に乗るその男が遠方からルーネの名を呼んできたが、はっとして振り向くルーネが若干気まずそうな顔をする。


「何所に行かれていたのですか、ルーネ様……随分探しましたよ……」


「あ、あはは……ごめんなさい、ちょっと寄り道したくって……」


 御者がぶつくさとルーネに苦言を呈する言葉を読み取ると、本来ならシリカ達がアカデミーに待つルーネの元まで赴き、そのすぐそばに待つ御者が引く馬車に乗って、ルオスまで行く予定だったらしい。ところがどっこい、独断でルーネが港までシリカ達を迎えに行くわ、それを察して御者が港に馬車を引いたところで、着いてみればルーネはシリカ達を引き連れて道草紀行中、どこにいるだかわからない。魔法都市ダニームの要人として帝国に赴くルーネを、馬車に乗せてお送りするという大役を仰せつかった御者にとって、この数分間は気が気でなかっただろう。


「ヴィルヘイム氏も引き止めて下さいよ。今回の出立が、どれほど重要なものかは……」


「まあ、そう仰るな。元よりルーネ様はお望みでなかった足を動かされているんだから、少しぐらいは息抜きを挟んでも構わないだろう」


「しかしですねぇ……」


 はぁと溜息をつく御者を見て、ルーネがシリカに目配せする。そろそろ参りましょうか、という意図を込めた目には、シリカも小さくうなずいて応じる。


「すみませんでした。今すぐ、参りますね」


 御者にぺこりと頭を下げ、馬車に乗り込むルーネ。それに続いて御者に、お世話になりますと一言挨拶を交わして馬車に乗り込むシリカに、第14小隊の面々が追従するように馬車に乗り込んでいく。


 頑張れよ、と息子を見送るヴィルヘイムに、大丈夫だって! と元気いっぱいの声を返すガンマ。御者もその光景は微笑ましく見守っており、その光景を最後に、きりよく馬を歩かせて出発しようと、その手に握る手綱に力を込めようとした。


 しかし、その寸前に御者の手が止まる。なぜなら、ルーネと彼女を囲む騎士団の面々が全員馬車に乗り込んだだろうと思っていた御者の先入観に反し、まだ馬車に乗り込んでない人物がいたからだ。


「――どうされましたか? お乗りに……」


「あぁ、ちょっと待ってくれ。あとひと吸いだけさせてくれや」


 第14小隊の全員が馬車に乗ったのを見届けてなお、煙草を吸うばかりで動きを見せなかった人物。クロムは御者に声をかけられて、指に挟んだ煙草を深く吸い込むと、しばらくの間をおいて、濃厚な煙をぷはぁと吐きだした。


「悪いな、待たせて」


 煙草を握り潰し、携帯灰皿の中にそれを放り込むと、クロムも馬車に乗り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ