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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第1章  若き勇者の序奏~イントロダクション~
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第5話  ~法騎士も見上げる勇騎士様~



 気を失ったユースが目を覚ますまでに、さほど時間はかからなかった。


 頭を打って脳震盪を起こしたなど、身体に重大な危険を及ぼすようなダメージを負ったならおおごとだが、ユースが受けた攻撃の数々はいずれも人体急所をはずれていた。まあ、背中を大剣に模した木剣でぶん殴られて、腹から床に叩きつけられて酸欠で気を失ったというのに、たいしたことないと言われるのもひどい話ではあるが。


 目を覚ましたユースは、口の中の酸っぱい胃液の味で気分が悪くなったものの、死ななかったことを神様に感謝する想いは自然と溢れてきた。上官が下官を訓練で命を奪うようなことは決して無いものの、それぐらいの覚悟では臨んだということだ。


 これが実戦だったら、命を奪われていたであろうことは確かな事実なのだから。


 一戦一戦に、一太刀一太刀に乾坤一擲の覚悟で挑まねば、死地で自らや守るべき人の命を守れるだけの力を身につけることは出来ない。それはシリカが、ラヴォアス上騎士が、それ以上の地位に就く多くの百戦錬磨の騎士たちが、口を揃えて言う言葉。幼少の頃よりユースが読み耽ってきた騎士道精神の指南書にも、書いてあることだ。






 目を覚ましたユースに、お前はまだまだ弱いなぁと一言厳しく言ったあと、


「俺がお前と同じ年頃の時には、今のお前よりもずっと弱かったけどな。挫けず精進して、とっとと俺を追い越して立派な騎士になることだ」


 そう言ってラヴォアス上騎士は、ユースの手を握り、力強い拳に力を込めてユースを引き、立ち上がらせる。強い上官に将来を期待され、立ち上がり一念発起す……れば、ユースも頼もしい少年騎士と言える一場面であるのだが。


「い……っ、いだだだだだ! ま、待って……待って下さ……」


 強引に腕を引っ張られて二の腕の筋が延び、何度も打ちのめされてズタズタになった腕の筋肉が非常警報を鳴らす。まさしく目の覚めるような痛みに、悲鳴を上げてユースはラヴォアスの手から逃れようとした。大男の握力がひどすぎて、離れられなかったけれど。


「ガハハハ! 生きてる生きてる! こりゃあ明日以降のお前にも期待できそうだ!」


 ユースの手を握ったままラヴォアスは声高く笑った。ユースは手を引き剥がそうとしたのを諦めて、逆にラヴォアスの手を支えに、震える足を堪えて立っていた。


「ラヴォアス様、ありがとうございました。いい勉強になりましたよ」


「おお、シリカ様もひととおり終えられましたか。随分長い間付き合わせてしまったようで、恐縮です」


 シリカの方を向き直ったラヴォアスは、ぽいっとユースの手を放して頭を切り替える。その手が支えだったユースは、倒れはしないものの軽くつんのめる。


「こちらの部下どもにはいい勉強にはなったでしょうが……シリカ様に学べる部分なんてありましたでしょうかねぇ」


「彼らはラヴォアス様の部下だけあって、基本的な動きをよく勉強されている。それゆえにこちらが型をはずした動きをすると、対応しづらい傾向があるようですね」


 ちょっとまだユースには次元の高い話が、両者の間で繋がる。だいたい言葉の意味はわかっても、その本質を理解するにはユースは少々経験不足だ。


「実戦になると、使い慣れた型が自然と出てしまいますからね。それだけでは良くないということを再認識できたのは、間違いなく大きな収穫です」


「ガハハハ! あのボンクラどもがシリカ様のお役に立てたっていうのなら、それに勝る光栄はねえってもんですわ! ――お前らもそう思うよなぁ!」


 ラヴォアスが、シリカ達と木剣を交わしていた部下達を一瞥する。男たちは皆、憔悴しきった表情でうなだれていた。


 ユースにはわかる。ああ、あの人に相当きつくしごかれたんだろうな、って。うん、よくわかる。


 次の瞬間、ラヴォアス上騎士が壁にかけてあった木剣を握り、部下の一人の足元に向かって思いっきりぶん投げた。木剣は鎌鼬のような風切り音を甲高く舞い上げ、狙い澄まされた部下の足元に叩きつけられて、もの凄い音を立てる。


「てめえら、法騎士様のご指南に対して何の一言もねえのか……」


 抑えた声がやたら野太く訓練場に響き渡り、ラヴォアスの部下達は一瞬で背筋を伸ばして法騎士シリカに、ありがとうございました! と唱え上げる。シリカは厳格な感謝の言葉に、いやいやそんなと困った笑顔を返していた。


 ――ああ、そうか、隊長。あなたはあの鬼ラヴォアス上騎士の恐ろしい(しつけ)ぶりを見てもそこは完全スルーなんですね。ドン引きしてるのは俺だけなんですね――


 流石のユースもちょっと引いた。ラヴォアスに対して以上に、そんなシリカに。


 明日も明後日もこの人と訓練するのか。そうですか。











 シリカがその身に背負う"法騎士"の称号は、騎士団において非常に重要な立場だ。500人にも届く大隊の指揮官を務める資格を持つ法騎士だが、その大隊を動かして為そうとされる任務というものは、騎士団にとっての重要性があまりに大きい。


 魔王マーディスを、エレム王国の勇敢なる騎士が討伐したことは、民にとって騎士団にとって非常に明るいニュースだったが、かつて魔王マーディスが率いていた魔物達の残党は、まだ数多く残っている。その討伐のために、大隊を率いて魔物の巣窟に乗り込むこともある。なぜそれだけの人数が必要なのかと言うと、残党と安い言葉で呼ばれる魔物とて、決して侮れたものではないからだ。


 雄牛の頭と筋骨隆々の肉体を持つ怪物、ミノタウロス。石作りの肉体と巨大な体を持つ鉄壁の巨人、ゴーレム。人間と同じほどの身長ながらコウモリのような翼を携え、悪魔を思わせる風貌から奇術を繰り出す空の遊撃魔物、ガーゴイル。いずれも、そんじょそこらの少騎士や騎士が1対1で挑んだりしようものなら、あっさりと返り討ちに遭うような化け物ばかりだ。


 魔王マーディスがかつて率いていた強豪の魔物達。それらが未だ、人里離れた場所に多く闊歩している。小隊、中隊規模の数の騎士を率いて、そんな魔物の集団を討ち取ろうとするようなことは、予想される犠牲を思えば非常にリスクの高すぎる話だ。そういう時は、敵の数にもよって隊の規模は変わるものの、せめて大隊を率いることが多いのだ。それだけの兵力を揃えて初めて、こちらに死傷者を出さずに勝利出来る可能性が見込めてくる。


 そんな大隊を率いることを許される立場というのは、言うなれば騎士団にとって今後の運命を左右する任務を預かり得るということだ。そんな大規模作戦単位の指揮官を務めるためには、軍謀や戦略論を本格的に研究する軍学の、専門教育を受ける必要がある。その上で、高騎士として隊を率いる手腕と、重ねた実績の実証があって初めて法騎士という立場に就けるのだ。


 シリカは育ちが特殊であることもあり、幼少の頃から軍学にはかなり通じていた。ユースのような一般民が憧れる騎士道物語も程々に、実践的な軍学書にこそ目を通していた育ちも手伝って、高騎士になる頃にはある程度の基礎知識が揃っていたという側面もある。もちろんそれでも騎士館の専門教育所には足しげく通い、同時に高騎士として目覚ましい活躍と実績を示したからこそ、今は法騎士という立場にいる。その門の狭さから、高騎士から法騎士に昇格できぬまま生涯を閉じる者が非常に多く、高騎士と法騎士の間には、非常に大きな一つの出世の壁があると言って過言ではないだろう。


 法騎士以上の階級に行こうとすれば、あとは一気に話が簡単になる。実績のみだ。どれだけ大きな実績を残せばその上に行けるかは、もはや少騎士あたりの想像力では補いきれないほどの、大きな功績を残さなくては上に行けない世界である。




 ひとつの例として、法騎士からひとつ上の階級"聖騎士"に昇格したという、過去に実在したベルセリウス聖騎士の件を上げてみよう。


 彼は29歳で法騎士に昇格し、何度も大隊を率いて数多くの魔物を討伐した。当時はまだ魔王マーディスが存分に暴れていた時代であり、現在以上に数多くの魔物が跋扈していた時代である。エレム王国に、1000にも届こうかという魔物の大軍が襲来したこともあり、その都度、自分よりも階級の高い騎士の指揮のもといち兵士として、同時に大隊の指揮官として、国を守るために戦い抜いてきた。


 そんな日々の中で失われた命の数は、星の数にも勝る勢いだった。彼の叔父が魔物に無残な死体へ変えられたこともあれば、恋人の母親を守りきれずに失わせてしまったこともある。高騎士という立場に13年かけて辿り着いた、年の近い後輩の人生が閉じられた時の彼の心情は、ある意味では家族を失うにも匹敵する悲しみに包まれたはずだ。


 それでも戦い続け、数多くの魔物を打ち破り、やがて自ら率いる大隊とともに、石巨人の魔物ゴーレムの軍団の指揮を一手に引き受けていた白銀の大巨人――4階建ての建物ほどの巨体を持つ怪物、ウルリクルミを討伐することに成功した。その戦役は昼下がりから日没にかけてまで続く激戦で、最後その大巨人を討伐したことでゴーレム達を指揮していた頭脳は崩壊し、ひとつのゴーレムの群集団を完全に滅することに繋がった。


 勿論その場で討ち取ったのがすべてのゴーレムではないし、存命したゴーレムは魔王マーディスの率いる他の幹部の指揮のもと、再び戦場に現れることにはなる。しかしウルリクルミという、ゴーレム集団を操ることに最も長けた指揮官を失ったことは、間違いなく魔王軍にとっても大きな損害だった。


 統率の執りきれない動きで暴走するゴーレムが増え、以前よりも遙かにゴーレム討伐がしやすくなったことは、誰の目にも明らかであった。当然、ゴーレムによる被害者、死傷者の数は以前よりも格段に数を減らし、討伐成功の声も次々と上がるようになる。当時法騎士だったベルセリウスが為した功績というのは、それほどまでに大きかったのだ。


 日々の実績と併せ、この大義を以ってベルセリウスは、法騎士から"聖騎士"に昇格した。彼が法騎士という立場に就いてから、実に6年後の話である。これほどの事を為してこそ、法騎士の上の階級に立つことが出来るということだ。











 騎士館を歩くユースの隣のシリカは、何を思うのか無表情で言葉ひとつない。廊下を歩くこつこつという靴の音が、この人と無言で並んで歩いていると妙に耳に残る。


 訓練だけ済ませて帰るというのも、何というかあまりに素っ気ない。いくらか騎士団内の知人に挨拶のひとつでも交わして帰ろうというシリカの提案は、ユースにとっても嬉しかった。


 第14小隊に属する前はユースもこの騎士館で暮らしていたし、顔見知りの年の近い友人もこの騎士館には何人かいる。彼らも日々を鍛練や任務とともに生きているし、向こうにもわざわざ法騎士シリカ様の家を訪ねて遊びに来るような大物はいまい。こうしてこちらから足を運んだ時ぐらいが、旧友と顔を合わせられる機会なのだ。


 ユースは友人達と顔を合わせるのが楽しみではあったが、今はシリカについて動いている。旧知の同僚と顔を合わせたいのはシリカだって同じだろうし、まずはそちらを優先だ。別行動という選択肢も無くはないのだが、さすがに上官と一緒に行動している以上、好きにさせて貰いますと単独行動に移るのは憚られる。


 広い騎士館を歩き続けた先に、立派な扉を携えたひと部屋の入口に辿り着く。この扉の向こうに、シリカの知人がいるということらしい。当の人物は任務や私用で出払っていることが非常に多いそうだが、ラヴォアスが言うには、今日は非番でゆっくりしているそうだ。日頃は隊を率いて遠征に出ていることが殆どである人物だけに、今日顔を合わせられるというのは実に巡り合わせがいい話だ。


 ユースは、この扉の向こうにいる人物の名を知らされていない。いずれにせよ自分よりも上の立場の人間なのだから、隊長の顔に泥を塗らないような態度を一貫できるよう、心の準備は立てている。そしてユースが緊張気味に深呼吸した次に、シリカが扉をノックして、室内の人物にアクションをはたらきかける。


「どうぞ」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、よく通る男性の声だった。声だけで向こうの年齢など人物像は計り知れるものではないが、ユースが感じたの第一印象としては、20代後半の男性の姿がなんとなく浮かんだ。


 失礼しますと一言渡してシリカが扉を開けると、よく整理された広い部屋の奥で、椅子に腰かけて、手元の本にしおりを挟んでいる男性の姿が目に入った。第一印象は概ね正しかったように見えた一方、想定よりは少し年上だったかなとユースは感じた。


「ご無沙汰しております、"勇騎士"ベルセリウス様。突然の訪問をお詫び致します」


「結構だよ。僕も久しぶりに、君の元気な顔が見られて嬉しい」


 名前を聞いて、ユースは石になったかのように硬直した。法騎士シリカの知人だと言うから、同じ法騎士か、その前後に位置する高騎士様か聖騎士様に会えるのかと思っていたら。


 というか正直、聖騎士様に会えたとしたら超幸運ぐらいに思っていたら。


「隣の子は、今の君の部下かな?」


「はい。ほら、ユース、ご挨拶しろ」


 シリカに声をかけられて、思わずはっとなって、改めて目の前の人物を見るユース。端正な顔立ちに、ばさりと伸びた黒髪、50歳手前という事実からは15歳ほど若く見えるその穏やかな風貌は、男のユースから見ても、ああこの人モテるだろうなと思える人物像。髭も残さず整えられた顔立ちは、輪郭の形もよく、年経て尚も男前だと断定できる端正なご尊顔だ。


 ぶっちゃけそんなことはどうでもいい。何か言わねば。固まってる場合じゃない。


「だ、第14小隊少騎士、ユーステット=クロニクスです……」


「ははは、そんなに恐縮しなくたっていいよ。任務中じゃないんだから」


 声が震える。あまりに相手が大物過ぎた。その緊張ぶりを見てベルセリウスが笑い、隣のシリカがやれやれと苦笑いを浮かべた。






 "勇騎士"というのは、聖騎士のまたさらに1つ上の階級だ。つまり法騎士シリカの2つ上の階級にあたる存在で、ここまで来るとユースのような少騎士からすれば、雲の上の存在を突き抜けて、天上界の見えない神様みたいなものだ。


 聖騎士は、大隊を率いる法騎士の一つ上の階級で、主に連隊の指揮官となる存在だ。連隊といえば二千人級の軍勢であり、そんな人数を指揮する指揮官に課せられる責任の重さは、今のシリカにだって担いきれるものとは言いきれないだろう。


 そのさらに上の勇騎士といえば、五千人規模の、旅団を率いる地位である。どれほどの功績を積めば聖騎士から勇騎士になれるのか、ユースには本来想像もつかない。


 しかし、ベルセリウスは例外だ。彼が聖騎士から勇騎士に昇格した最たる要因となった、途轍もなく大きな功績は、今やエレム王国に住まう民で知らぬ者はいないほど有名なものだから。


 ベルセリウスは、魔王マーディスを討伐した英雄の一人である。当時聖騎士であった彼は、自分より2つ階級が上の上官に率いられ、魔王マーディスと対峙した。そしてその地にて仲間達とともに、魔王マーディス討伐のための一本の剣として戦った存在なのだ。


 魔王マーディス討伐は、これからも綴られていくエレム王国の歴史書にも常に残されるであろう、歴史的快挙である。そこに立ち会った、歴史の生き証人と言っても過言ではない存在が突然目の前にいる現実に、少騎士のユースが平静を保っていられないのは必然であった。






「ラムル砂漠への遠征はどうでしたか?」


「特に大きな発見はなかったよ。砂漠に群生している魔物の生態系のサンプルを、いくつか見つけられたのは収穫だったが」


「以前の調査では、ゴールドスコーピオンの生態を採取されていましたね。新たな発見が?」


「ああ。コカトリスやサンドウォームの行動パターンなどで、ある程度の見切りがつけられたのは大きかったな。もう少し詰めれば、書物化も出来そうだよ」


「興味深いですね。いずれも砂漠においては、危険性が高いとされている魔物でしょう」


 非番というのは本当らしく、勇騎士ベルセリウスは鎧を身に着けることもなく、椅子に腰かけてゆったりした服装だ。ばさばさした長髪が邪魔になるのか、額に赤いバンダナを巻いて垂れる前髪の根元を押さえているが、きっとこれは戦闘時に限らず平静時からの習慣なのだろう。


 何を平然と勇騎士様と話しているのだ、と思わずにいられないのがユースの正直なところ。こんなに上の立場の人間と緊張もせずに話せるというのは、シリカがよほど図太いか、この二人の間に旧知の仲が長らくあるかのどちらかだ。


 騎士団内において、シリカの縦社会に対する姿勢の徹底ぶりは常日頃から知っている。だから今の仮説で言うならば、前者ではなく後者であるのはわかるのだが、それはそれでこの偉人様と過去に何があったのかと気になるのも、騎士の卵であるユースにとっては当然のこと。


「君も、肩の力を抜いてくれていいんだよ」


 ふとベルセリウスに声をかけられて、またどぎまぎしてしまう。はいと返事はしたものの、肩からどころか全身から力が抜けきっていない。


「僕も昔は、尊敬する騎士様と顔を合わせた時にはそんな感じだったよ。今自分がそういう立場になっているっていうのは、複雑な気分だけど」


 ベルセリウスにも少騎士だった頃があり、ユースの気持ちはよくわかるのだろう。勿論シリカにもその気持ちはわかるが、彼女はユースの直属の上官ゆえに、あまりユースの姿勢を甘くは見られないのもまた道理。


 ユースと同じぐらいの背丈のシリカがユースの頭に手を置いて、くしゃくしゃと掻き撫でることで、だいたいの想いを表現する。気持ちはわかるがしっかりしろよ、という示唆だ。


「シリカも立派な、部下を率いる法騎士になったんだな。ラヴォアス上騎士に毎日鍛えられて、泣きながら剣を握っていたあの姿が懐かしいよ」


「あ、あまりその話はここでは……」


 シリカがとてもばつの悪そうな顔をする。あまり表立たせて欲しくないと思ったのは、部下の前だったという側面もあるのだろう。


 ユースは笑えなかった。屈強な男の騎士でさえ上官の凄惨なるしごきに耐えられず、部下が人事異動を自ら求めるか、最悪脱走すら後を絶たないというラヴォアス上騎士の小隊で、鍛錬を逃げ出さずに受け続け、立ち上がり続けていたシリカの過去を聞けば、改めて思うのだ。そりゃあれだけ強くなるわけだって。


 ラヴォアス上騎士は間違いなく、自分の部下の鍛練において男女を差別化しない。まあ対人訓練で女の顔を傷つけないように配慮するぐらいの線引きはあるかもしれないが、今日あの人と訓練して改めてわかったのは、それでもやりようはいくらでもあるということ。ラヴォアス上騎士の膝を腹部に深くめり込ませられ、背中を木剣で叩きのめされて一度死んだ少し前の記憶は、今思い返しても戦慄が走る。少騎士あるいは騎士時代の、二十歳にも満たないシリカが、毎日のようにあんな苦痛を受け止めてきたというのだとしたら、もう。


 そう考えると、そんな育ちでありながらそこまでしないシリカは、もしかしたらまだマシな方かと一瞬錯覚する。が、訓練場で倒れた自分の首ねっこを掴んで立たせ、叩き伏せまくってくる彼女を思い出すと、ああやっぱり錯覚だよなとも思う。






「それにしてもシリカ、第14小隊の他の4人はまだ帰ってこないのかい? 今は3人で回しているそうだが」


「ええ、彼らは今ラルセローミの町で輸送護衛の任務に就いています。あの地方は魔物も多いですし、人手が足りないそうですから」


「そうか……うーん……」


 言葉を探しているベルセリウスの思考に裏があることを一瞬で読み取ったシリカだったが、敢えて尋ねず言葉を待つ。


「話は変わるけど、ナトーム聖騎士から君達へ預けられる任務は、もう聞いているかい?」


 ユースの眉がぴくりと動いた。その名前には、少々引っかかりがある。


「いえ、存じておりません。それが何か?」


 シリカは特に思うところもないかのように、淡々と返事した。ベルセリウスから見た目の前の二人の表情は、片や冷静、片や少し怪訝顔。読み取れる熱の差がやや大きい。


 ベルセリウスは、ほんの少し首をかしげて次の言葉を紡ぐ。


「コズニック山脈のコブレ廃坑、その奥地で、魔物が出没する事件が多発しているらしい。今もいくつかの小隊、中隊が代わる代わる護衛任務でそこに向かっているが、最近はどうもその事件の頻度が高くなっているそうだ」


「……それは、つまり?」


 なんとなく、シリカはこの後のベルセリウスの言葉に予測がついた。


 事件の内容と、ナトーム聖騎士の名を聞けば、つまりはきっとそういうことだ。


「ナトーム聖騎士は、君達第14小隊に、コブレ廃坑調査の指令を下そうとしている。……君達が今、3人だけの分隊になっていることを、彼は知っているのだろうか?」






 ユースは危うく舌打ちをしたくなるほど、嫌な意味で胸が熱くなった。帰ってこの話と、件の人物の名をアルミナに聞かせてやれば、きっと今の自分と同じ顔をするだろう。


 シリカは無言でベルセリウスの言葉を受け止めていた。常日頃より一層冷たい無表情からは、これから自らに降りかかる試練への強い覚悟が、静かに滲み出ていた。

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