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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第4章  広き世界との協奏曲~コンチェルト~
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第55話  ~ピルツの村跡地① 得体の知れない訪問者~



 その光景は、惨状ないし恐ろしいと形容するよりもまず、異質という印象を抱くものだった。


 村であった場所の到るところから生えた、巨大なキノコの数々。家屋の高さを超える上背を持つお化けキノコは、傘の大きさもそれ相応で、その上を走り回ることだって出来そうな面積だ。そんなお化けキノコの足元には大小様々なキノコ、種類も様々なそれが群生し、それらの背丈もばらばらだ。


 傘の模様も様々である。赤と黄色の縞模様、黒に斑点をまぶしたような模様、緑色の傘色に青い水玉模様を携えたもの――あらゆる色彩を放つキノコの数々によって、のどかな村であったはずのそこは、芸術家達の築いた都市ダニームよりも、遙かに色彩に富んだ光景となっている。あまりに無秩序に色を散りばめたような光景に、シリカも目がちかちかしそうな想いに駆られてしまう。


 そんなキノコの数々が、森の中における木々のように山ほど立ち並んでいる。ひまわり畑を歩くと茎の間をかき分けて歩かなければならないものだが、キノコとキノコの間をかきわけて歩く経験など、絶対に他の地で経験することなどないだろう。邪魔なキノコの柄――種子植物においては茎にあたる、傘を支える一本の柱をその手でかき分けて揺らすと、真上の傘が揺れて、傘の裏のヒダからぱらぱらと粉が落ちてくる。それが胞子か何かかと思うと、シリカもユースもチータも、思わず片手で口と鼻を押さえずにはいられない。


「魔力を持った胞子ではないわ。吸い込んでも大丈夫よ」


 平然と言ってのけるエルアーティは、小さな体躯も手伝って、キノコの間をすいすいとくぐり抜けていく。自分と同じぐらいの背丈のキノコの横を歩いて、肩がその傘に触れた瞬間、揺れた傘がぶわっと胞子をまき散らしたが、エルアーティは特に意に介する素振りもない。彼女の後ろを歩くシリカやユースの方が、思わず立ち止まってしまったぐらいだというのに。


 世の中には、触れただけで皮膚がただれるような汁を放つキノコだってあるのだ。知識としてそれを知るユースとしては、ありもしなくたって恐ろしい危険を危惧して歩く心地だというものだが、そんな後方のユースを見たエルアーティは、子供をあやすような目線を向ける。


「触って死に至るようなキノコは、魔法生物を除いて存在しないから安心なさい。皮膚を焼く汁を放つホムラダケとて、それに触れた手で目をこすったりしない限りは大丈夫だから」


 安心なさい、と言われても、エルアーティの言葉がこのキノコの群生地の危険性を完全に否定してくれるものではなくて。埃のように胞子の漂い舞うこの空間、気楽に歩ける方が図太いというものだ。変なキノコの胞子でも吸いこもうものなら、体をおかしくしたりしないものだろうか。


「胞子なんて所詮は細菌のようなものよ。あなた達が平然と暮らす人里にだって、信じられないくらい空気中に細菌は漂っているのよ? たかだか胞子の群生地通ったぐらいで、人は体を壊したりしないわ」


「……これだけの量でも、大丈夫なのですか?」


「肺が弱いとか、持病を抱えているなら話は別かもしれないけどね」


 シリカの問いにも冷静に答えるエルアーティの態度と、その口や鼻を隠すこともなく平然と歩いているマグニスの姿勢は、正しい知識を持つ者の行動として一致している。気持ち悪い模様のキノコの数々に心底鬱陶しそうな表情を浮かべているマグニスだが、それはいわば、彼が成金の集う貴族街を歩く時の不機嫌な姿とさして変わらないものだ。そこにいて気分のいい空間ではないにせよ、歩いているだけで体を悪くするような場所でない、と、マグニスもわかっている。


「キノコの形を模した魔法生物であれば、胞子に毒を乗せて撒き散らすことはあり得るけどね。そうした気配は一切感じられないから、安心なさい」


 逆に言えば、そうした存在がキノコの数々に紛れて隠れていれば、極めて危険な地であるということ。魔力によって植物の異常発生した地の探索において、いかに魔力の感知に長けた人物の存在が必要であるかは、エルアーティの語る教訓から暗に示されていた。


「とはいえ――子供には、少々目の毒であることも事実だけどね」


 この地を歩いて、身体的な傷を負うことが無いことは信じてもいいのだろう。しかし、村であったその地が植物の数々に支配されてしまったこの光景は、慣れぬ者にとっては精神的に傷を負うものだ。


 ひときわ背の高いキノコの根元に、寝そべっているあれは何だろうか。衣服の袖から、干からびた手のようなものが見えているが、動く気配は無い。よく周りを見渡してみると、背の高いキノコに限って、その足元にはそうした亡骸を抱えている。巨大に育ったキノコは、そのための養分をどこから吸い取ったのだろうと考えてしまうと、ぞっとする。


 そのすぐそばには、何百本にも束になっていそうなエノキダケのようなキノコが、ばさりとそびえている。ユースの背よりもほんの少し低いキノコの数々の間から、髪の毛のようなものがつんつんと垣間見える。あの(たば)の間に何が挟まれているかなど、想像もしたくないし見たくもない。


 樹木の幹にキノコが根差すように、民家の壁から気持ち悪いぐらい無数に飛び出すキノコの数々は、それだけで見ていて気分が悪くなる。だが、その間に垣間見えるひび割れた窓の奥に見える、屋内まで侵入して群生するキノコの数々が、民家の中に逃げ込んだ人々の生存さえも否定している。それだけ見えれば、それ以上中を覗く気になどなれるはずもない。


「……ユース、大丈夫か?」


「……平気です」


 日頃ユースに対して厳しく接するシリカですら気遣うほど、ユースはその顔色を悪くしていた。騎士団の同士の遺体も、魔物の死体も、何度も見てきた。騎士の亡骸を背負った経験だってある。それでも生物災害によって血に染まった光景は、年若い少年にとっては著しく精神力を削るものだ。


「これが"アルボルの火"のもたらす裁きに酷似した光景よ。大森林アルボルに住まう精霊様の怒りを買うような真似は、決してしないことね」


 綿雨の名で知られる生物災害、大森林アルボルの精霊の裁きと言われる、"アルボルの火"。それに襲われた人里が、これほど無残な姿に変えてしまうことを、改めてユースは実感して恐れを抱く。異質という第一印象に遅れて、やはり最後に辿り着く心象は、生物災害に対する恐怖に他ならない。


 それに気をとられていたユースは気付かなかったが、チータは聞き逃さなかった。エルアーティの言葉の裏に示された、今回の調査において最も重要な結論を。


「これは、アルボルの火による被害ではないと?」


「ええ、安っぽい魔力だわ。アルボルの精霊によるものと呼んでは、失礼というものよ」


 大森林の精霊の力、アルボルの火のもたらす裁きに"酷似した"光景、と現状を言い表したエルアーティ。それはつまり、この村を襲った魔力が、アルボルの精霊によるものではないと言うことと、ほぼ同義だ。


「魔法というのは、術者の精神と霊魂によって生じる魔力によって発現するもの。したがって、この地を襲った魔法は、術者の精神に依存した結果と効力をもたらすはず」


 エルアーティは首を回して、周囲を見渡す。それは後ろに続くシリカ達に対して、周囲をよくご覧なさい、と示唆した行動だ。


「干からびたキノコや、巻き込まれた動物が多すぎるわ。人間に対して裁きの意味でアルボルの火を放つ精霊が、根差すことも出来ず死に絶えるような植物をここまで残したり、罪なき動物に植物の根を張ってまで猛威を振るうのは、あまりに無秩序が過ぎる。何より――」


 エルアーティは、足元に生えていた手近なキノコを引きちぎる。それは決して適当なものを選んで引きちぎったわけではなく、意味のある行動。


「ここまで歩いただけでも、ネズミダケの存在比率が高すぎる。毒性も無く、強い繁殖力が特徴のこのキノコが多く散見することは、一見珍しいことではない。だけど、数千数万の植物の種類を網羅する森の精霊が、ここまで偏った植物の散布をするのは不自然よ」


 引きちぎったネズミダケを見つめながらそれを語ったエルアーティは、そこまで言いきって、握られていたそれを放り投げた。


「この森に生物災害の魔法を放った者は、この村をキノコの一色に染め上げた。精霊の気まぐれな趣向だと思わせたいのか知らないけど、精霊の放つアルボルの火は、こんな少種類の植物で村という広大な空間を占めさせるような、引き出しの少なさではない。いかにもアルボルの火を演じて、精霊に村を滅ぼした役目を押し付けたい術者の精神が、かえって透けるというものだわ」


 そもそも精霊の魔力とも思えるような絶大な魔力の名残もないし、と付け加えて、エルアーティは歩きだす。ただその話を聞くことしか出来なかったシリカ達だが、理論の展開過程はともかく、結論ははっきりしたものとして伝わっている。


「……やはり、綿の雨を降らせる者が、精霊様以外にいるのですね」


「ええ、間違いないと思うわ。それが魔物か人間か、そこまではわからないけどね」


 村の跡地を歩く五人。シリカの問いにも振り返らずに前を歩くエルアーティが、どんな表情でその言葉を放っているのかは誰にもわからなかったが、冷淡な声からは無表情の予感しかしなかった。






「――流石ね、大魔法使いエルアーティ。そこまで的確に読んでくれるなんて」






 突然、五人の前方から響く声。言い換えれば、エルアーティの前方から聞こえたその声に、一行は思わず足を止める。シリカもほぼ反射的に、腰元の騎士剣の柄を握る。


 やがてシリカ達の、エルアーティの視界の中心に、声の主の姿が現れる。それは人の姿をしたものであったが、その風体からそれが人外であることははっきりと理解できた。


 地面から僅かに浮かぶ大きな蒼い花に下半身を埋め込み、アルミナと同じぐらいの年頃に見える若い人間の少女のような姿をした何者かが、花びらに片肘をついてエルアーティ達を見据えている。上半身はほぼ裸体に近く、胸元のみを花で編んだように隠しており、へそと肩を露出させる風貌は、大森林アルボルの精霊バーダントに近い風貌であると言えるだろう。


「名乗りもせずに私の名を呼ぶ、あなたは誰?」


「ベラドンナ、という名を頂いているわ。大魔法使いエルアーティ、お会いできて光栄よ」


 せわしないアルミナとは印象が真逆の、落ち着いた気質を纏った少女の姿をした何者かは、エルアーティに尋ねられてそう名乗った。姿そのものは人のそれだが、人間であると断定するには、いささか奇妙さに過ぎる風体だ。人の姿をした魔物など、腐るほどいる。


「……何者か、答えて貰えないだろうか」


 無礼は承知、シリカはベラドンナに問いかける。たとえ相手が人間に対して害を為す者であろうとそうでなかろうと、警戒しないわけにはいかない。当然の質問だ。


 ベラドンナは自分の下半身が埋もれた、空中に浮かせた蒼い花を少し後ずさらせる。


「あまり警戒しないで欲しいわ。私は、あなた達の敵ではないのだから」


「……それは果たして、信用して良いのでしょうか?」


「人間を敵に回す趣味はないわ。私はこの村を、調べに来ただけよ」


 シリカから距離をとってそう言うベラドンナは、周囲にそびえ立つキノコの数々を見上げる。次に彼女が放った言葉は、シリカの問いに対する答えを飛び越えて、一つの結論だった。


「もう、私なりにも結論は出たけどね。この森にアルボルの火(スワローヘルバ)を放ったのは、人間であると」


 その言葉に反応するかのように、眉を上げたのはエルアーティだ。同時に彼女の思考回路から、相手が何者であるかという興味が完全に失せ去った。


「ふふ、邪推で留めておこうかなと思っていたのだけど……あなたのような者の目線からしてもそう結論がつけられるのであれば、間違いはなさそうね」


 エルアーティは、目の前の存在ベラドンナを今日初めて見知ったはずだ。それとは似つかわしくない発言にシリカも違和感を感じたが、その違和感を押し流すかのように、ベラドンナがエルアーティに言葉の続きを届ける。


「森を包む魔力が、欲にまみれているわ。村を一つ滅ぼしたことによって満足する欲ではなく、この村が滅ぶことによって後に生じる利に対する期待、そんな欲に溢れている」


「なるほどね。この村を滅ぼすことそのものが目的の魔物がこの村に魔法をかけたなら、この地をとりまく魔力から感じられる欲は、果たされ消えているはず」


「ええ、そしてそんな政治的な理念で村を滅ぼす魔物はそうそういないわ。たとえば術者そのものが人間でなかったとしても、その裏には必ず人間の影がある」


 後ろから見てもわかるほど、くっくっと声を殺して笑うエルアーティ。上下する首の動きからも満足げな笑いを堪え切れないことが見て取れて、後方のシリカも、魔女と呼ばれし大魔法使いの笑い声に、言い知れぬ不安を覚える心地だ。


「だ、そうよ? チータ=マイン=サルファード」


 振り返らずにエルアーティが言い放った言葉を聞き受けるも、冷たい無表情を貫くチータ。思わずチータの方を見やるユースだったが、いつも以上に冷淡な彼の面立ちがそこにあるだけだ。


 だからこそ、逆に読み取れる。エルアーティが今ここで皮肉のようにチータの姓を口にしたのは、エルアーティとチータの間でのみわかる何かが、この場で伝え合われたこと。そしてそれを自分達が知ったり、干渉することは極めて難しいものであるとも、察して然るべきである。


「そうね……帰ったら論文を纏めてみようかしら。新しい魔法の名を学会に提唱するためにね」


「あら? その心は?」


 脈絡のないエルアーティの言葉に、ベラドンナが興味を示す。エルアーティはベラドンナに対し、これを聞いた相手が満足するであろうことを確信した表情で、続きを言い述べる。


「精霊の裁き、アルボルの火を意味する"スワローヘルバ"の単語は、大森林アルボルの精霊の扱う術の名称として独立させたい。こんな安っぽい魔法が、高尚な精霊の魔法と同じ名称で扱われるなど、精霊に対する冒涜以外の何ものでもないわ」


 ベラドンナは目を見開いて、驚きを表情に表わすが、すぐに口元を緩ませて上機嫌な顔つきになる。


「そうね……仮にだけど、精霊の威を借りて人里を滅ぼそうとする者どもの魔法、緑色の狐火という意味を表じて、緑色の狐火(ベルデフルクス)とでも名付けましょうか」


「精霊様の意志、アルボルの火(スワローヘルバ)と、その名を騙る者の術を、呼び分けるということ?」


「ええ。アルボルの火という言葉をこれ以上汚しては、精霊の名にさえ泥を塗ることになる」


 ベラドンナはエルアーティに近付いてきて、その両手を伸ばしてエルアーティの手を握った。その表情は満面の笑みで、完全に目の前の相手に友好的な感情を抱いた姿そのものだ。


「噂に名高い大魔法使い様のご配慮、深く感謝するわ。あなたのような方が人間で、本当に良かった」


「感謝される謂われは無いわ。私が望んでやるだけのことだから」


 ベラドンナはエルアーティの手を離すと、すっと距離を取った後、改めて深々とエルアーティに対して頭を下げる。その行為の真意のほどは、後ろで見守るシリカ達には全くわからないことだ。なにせこの場で、ベラドンナがどういった存在なのかをしっかり理解しているのが、エルアーティだけなのだから。その前提がわからねば、両者の会話の意味は一本の線に繋がらない。


「あなたに敬意を表し、一つ忠告させて頂くわ。元より話すつもりのことだったから、お礼代わりになるかどうか、わからないけどね」


 何かしら、と尋ね返すエルアーティに、ベラドンナは続きを告げる。


「死に絶えたはずのこの地に今、私とあなた達以外に、二人の侵入者がいるわ。殺気立っていて、危険な存在よ。あなた達も気を付けた方が……」


「知ってるわ。二人じゃなくて、二匹でしょう?」


 ベラドンナの言葉に法騎士シリカがぴくりと反応した直後、エルアーティがその言葉を遮った。話の腰を折られたベラドンナは、参ったとばかりに額を掌で押さえる。


「なんだ、知ってたんだ……これじゃ、お礼にならないわね……」


「結構よ。私は、あなたの名を聞けただけでも満足しているわ」


 エルアーティの言葉にほっとしたかのように、ベラドンナは小さく笑う。その目線から感じられるのは、敬意を払えると定めた相手の心遣いを受けて、恐縮するような心情。


「いつか縁があればまた会いましょう、ベラドンナ。有意義な話が期待できそうだわ」


「ええ、頑張るわ。その時こそは、あなたを退屈させないようにね」


 最後にそう言うと、ベラドンナの下半身を包んでいた花が大きく広がり、すぐにその花弁を閉じる。花弁はベラドンナの全身を包み込み、その直後、蒼い花が一枚一枚の花びらまで分解されたかのように崩れ落ちていく。そしてその閉じた花がはらりと落ちた後の空間に、ベラドンナの姿は無かった。


「うふふ……来てよかったと思えるなんて、予想もしなかったことだわ」


「エルアーティ様……?」


 ベラドンナが去ったその場で、機嫌よさそうに笑うエルアーティ。思わずシリカが怪訝な顔でエルアーティに声をかけてしまったのは、あまりにもその時のエルアーティの瞳が、赤い月のように不吉な輝きを宿していたからだ。


 エルアーティがまばたきひとつしてシリカの方を向き直ると、その目は平静時の人の目と同じく、穏やかなものに戻る。しかし彼女が一瞬垣間見せた、悪意ありげな渦を宿したかのような瞳はシリカの脳裏に強く焼き付き、今もエルアーティの笑顔が妙に不気味なものに見える。


「だってね、法騎士シリカ」


 エルアーティは鼻で笑うような仕草を見せた後、シリカに右肩を向け、あさっての方向に目線を送る。シリカと目を合わせなくなった途端にまた、その目が妖しく微笑むのだ。


「一日の間に二つも、滅多に顔を合わせることも出来ぬような人物と相見えられる好機なのよ。どんな高名な見世物小屋に行こうとも、これに勝る楽しみは得られないわ」


 次の瞬間、エルアーティの周囲を取り巻く空気が、陽炎のように歪む。魔導士たり、魔力の流れに敏感なチータの全身の鳥肌が立つと同時に、騎士であり魔力の扱いに慣れぬシリカやユースでさえも身震いしてしまうほどの気質が、エルアーティの全身から放たれる。


「顔を見せなさい。減るもんじゃなし、ご挨拶ぐらいはしてもいいんじゃない?」


 言い放つエルアーティが見据える、巨大キノコの足元。そう、シリカも遠方にあるあの一角から、鋭い殺気を感じ取っている。最前列にエルアーティを構える形の陣を作った四人の中、シリカが騎士剣を抜いて、エルアーティの見据える先に向けて構えた。


 言葉による返事は返ってこない。エルアーティにとっては予想どおりであるその反応は、シリカやユースにとっては緊張の間を作るものであったが、やがてお化けキノコの陰からその人物が姿を現したその瞬間、エルアーティの後ろに立つ三人の緊張が吹き飛んだ。


 緊張感に代わりに三人の心を鷲掴みにしたのは、氷を背に詰めたような緊迫感。今しがたまで姿を隠しており、その姿を目の前に晒しただけで、あれほどの強い殺気を放てる者を、ユースもチータも過去に見たことがなかったからだ。


 そして、シリカは知っている。目の前にいる人物がいかに悪名高く、エレム王国騎士団において脅威とされる存在であるのか。その特徴的な風貌は、騎士団に言い伝えられるものと全く変わらぬもので、聞き及んだ知識に加え、その全身から放つ強烈な気迫が、その推測を肯定する。


「……貴様が、"凍てついた風"か?」


 問いかけるシリカに、その人物は何も答えない。漆黒の胸当てを身に付け、膝当てと肘当てのみに包まれた腕と脚は細く、成人男性のそれとはややかけ離れたもの。肉感と筋肉質を同時に感じさせるその四肢は、戦い慣れた戦乙女のものと見てとれるには充分だ。尖った銀髪が目立つ下で、鼻から口元を藍色のバンダナで巻いて隠すその顔からは、何の感情も感じ取ることが出来ない。


 道端の小石にたまたま目が移った程度のような、無感情な瞳をその目に宿しながら全身から凄まじい殺気を放つ姿は、あまりにも不気味な不釣り合い。ユースも、チータも、人の姿をしたそれが、かつて戦ってきた異形の魔物達よりも遙かに怖ろしい存在であることは、何度も戦場を駆けた身として直感によって強く感じ取っていた。


「相手にものを尋ねる時に、そんな二つ名を呼ぶものではないわよ?」


 ただ一人、この場において平静時と変わらぬ口ぶりと顔つきを保つエルアーティが、くすくすと笑いながらシリカに声をかける。口の端を下げぬまま、凍てついた風と呼ばれた目の前の人物を改めて見据えるエルアーティは、いつの間にか自らの後方からマグニスの姿が消えていることを踏まえて、ひとつの問いを目の前の相手に向ける。


「相方はどうしたの? 黒騎士の飼い猫、カティロスさん?」


 極度の緊迫感で、マグニスがいなくなっていることにも気付けぬユースの精神に、追い討ちをかける一言がエルアーティの口から放たれる。


 魔王マーディスの遺産、黒騎士ウルアグワの側近にして、魔王軍残党において指折りの実力を持つ存在。その名をエレム王国騎士団に轟かせる人物の名、"凍てついた風"の異名を持つカティロスの名が、エルアーティを除く三人の心を戦慄で満たした。

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