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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第4章  広き世界との協奏曲~コンチェルト~
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第54話  ~明かされたその名~



「珍しいな。貴様が私を招くとは」


「本来ならばこちらがおうかがいすべきところ、こうした形を取らせて頂いたことを深くお詫び致します」


「それは構わん。それで、話というのは何だ?」


 騎士館の一室、法騎士ダイアンの自室に呼び出された一人の人物。部屋の主にとっては上司にあたり、聖騎士の称号を胸に持つナトームを目の前にして、ダイアンが鋭い眼差しを向けている。上官に用があるというのに、自らが赴くでなく、相手の方を呼び出すという本来無躾である行為を踏むからには、ダイアン法騎士とてそれなりの想いがあるということだ。


「……例の一件、第14小隊に一任するというのは本当ですか?」


「事実だ。私の指揮のもと、近いうち決着をつける中、奴らの力が必要と判断した」


 淀みなく答えるナトームに、掌を額に当ててうなだれるダイアン。どんな理屈でそうした任務に、シリカ率いる第14小隊を差し向けたのか、理屈はわかる。だが、合理的かと言われればそうではない。他にも適任の隊はいくらでもあったはずなのに。


「……確かに法騎士シリカは、先日ルオス皇帝様に部下の名を名乗らせぬ無礼をはたらきました。それを踏まえれば、今回の一件の最前列に彼女達を並ばせるのは、詫びの表れにもなるでしょう」


「わかっているならなぜ納得できない」


「それによって、彼女達のような優秀な人材を、不向きな任務に向かわせた末に失うことになっては、あまりにも損失が大きすぎるからです」


 何を言っているんだか、と呆れたような顔でダイアンを見返すナトームだが、ダイアンとて譲れぬものがある。無言を返すに等しき態度のナトームに、ダイアンが切り詰める。


「無礼を承知でお尋ねしますが、あなたは法騎士シリカに恨みでもあるのでしょうか?」


「無礼だとわかっているならその口を閉じろ」


「あなたほどの方が、"アルボルの火"が関わる任務に、彼女が向かぬことをわからぬわけがない。それを知った上で彼女をその任務に送るあなたは、彼女を殉死への道へ背中を押しているようにしか感じられません」


 咎めつつもナトームが部屋を去らぬのは、ダイアンの言葉の真意にナトームが理解を示しているからだ。不届きな部下が無礼な言葉を自らに向けるなら、何も言わずに場を去って、始末書を送りつける処分を冷徹に下すのが、本来のナトーム聖騎士という人物であるはずだから。


「お答え下さい。納得のいく理由をお聞かせ頂けるまで、いつどこで相見えることになろうとも、私は同じ問いを繰り返すでしょう」


「貴様は昔から、あいつのことになると熱くなり過ぎる傾向にあるな」


 その言葉を無視するかのように、ダイアンはナトームを見据えたままだ。突きつけられた言葉は図星であったのか、的外れであったのか。ダイアンはそれを態度には見せ付けない。なぜなら今、彼にとってそんなことで話を逸らしたくないからだ。


 ナトームは鼻を鳴らし、ダイアンを嘲笑する。


「貴様と私では、法騎士シリカに対するスタンスが異なるだけだ。それで納得できぬと言うのなら、子供でもわかるような謎解きと一生付き合っていろ」


 沈黙を返すダイアンをよそに、部屋を立ち去ろうとするナトーム。振り返ったナトームは、その目をきゅっと細めてダイアンを見やる。


「貴様の負けだ。稚拙な詭弁で、私を崩せると思わぬことだな」


 部屋を去るナトームを追わず、正しくは追うことも出来ないダイアンは、一人残された自室で溜め息をつく。自分にだってわかっている。ナトームが何を為そうとしているのかも、それに対して自分がなぜここまで反発したい想いに駆られてしまうのかも。柄にもなく、整わぬ理論武装を構えて問い詰めてしまうなど、自分でも自分のことをらしくないものだと感じるものだ。


 今日、明日のことではない。法騎士シリカ自身も今は忘れかけている、過去より襲いかかり得る大いなる過ちに対するつけが、いつか彼女に降りかかることをダイアンは恐れている。そしてそれは、下手をすれば彼女の心に癒えぬ傷を残し得る、最悪の結末を招くだろう。


 英雄に最も近い法騎士シリカ。騎士団に背負わされた業をその身に背負う法騎士シリカ。彼女自身すら知らぬ事情をその手に知るナトームとダイアンは、背反する二つの彼女の顔をどう扱うのかに大きな差異を持つ。後者を問題視するナトームと、前者を肯定するダイアン。


「……何も起こらぬならば、何も起こらぬままでいいことじゃないか」


 独り言でも、抑えきれぬ想いが口をついて出ることがあるものだ。かつての部下、シリカを誰にも劣らず案じるダイアンは、そうした心中を言葉に漏らさずにはいられぬ心地だった。











 魔法都市ダニームの北部、そこにはピルツの村という場所がある。今となっては、そこにはピルツの村があった、と言い表されるのが正しい表現となってしまった。


 年明けのバケーションシーズンも過ぎ去り、各国のお祭り騒ぎも落ち着いて、のどかな地方の町村も平日の様相に移り変わってきた昨今、それは突然に起こった。ある日の真昼頃、平穏そのものだったピルツの村に、空から無数の綿の雨が降り注いだのだ。


 別名"アルボルの火"と呼ばれる、綿の雨。無数のタンポポの種のような綿が降り注ぎ、地に降り立ったその種があっという間に急成長し、人が住む里を緑によって呑み込んでしまうという恐怖の災害。それにに襲われ、ピルツの村は一日にして壊滅させられたというのだ。その日、村を訪れようとしていた旅人によって、その情報はすぐさまダニームに届けられ、夕頃を過ぎた頃には、エレム王国にも帝国ルオスにも、ピルツの村が滅んだ事実は伝えられていた。


 人里を襲い呑み込む綿の雨は、大森林アルボルに住まう精霊様の人間達への裁きであるというのが通説だ。そして同時に帝国ルオスは、昨今の綿の雨の中に、人為的に仕組まれたものがあるのではないかと、強い疑念を持っている。その情報は、ルオスの要人ジャービルとともに大森林アルボルへ赴いて、精霊バーダントと言葉を交わした法騎士シリカを通じて、エレム王国にも伝わっている。勿論その後、魔法都市ダニームのアカデミーに椅子を持つ要人にも、その情報は共有されている。


 ピルツの村が壊滅したという情報を受け取った、三国の動きは速かった。この一件に対し、解決を急ぐ意志を強く固める三国の要人達が、その日の夜長のうちに三国の要人が巡り会うに適した地、ダニームにて緊急会合を開き、今後どのような行動に出るかを素早く決断している。そしてその中で決まったのは、エレム王国騎士団の有力な者を従えた、魔法都市ダニームの大魔法使いがピルツの村跡地に赴き、村を襲った綿の雨の真相を探るというものだった。そしてその間、帝国ルオスは万一の情報が出てきた際にすぐ動けるよう、各地に網を張る立場を担ったのである。


 表には語られず、秘密裏に行われる任務。悪意ある人間が綿の雨を操っている場合に備え、三国が素早く協力できる体制を作っていることは、敢えてまだ表面化させられずにいる。それを悪意ある者が察知すれば、動きを捕えるのに差し支えるかもしれないからだ。


 そしてその役目の一端、エレム王国の有力な兵としてピルツの村跡地に赴く役目が、法騎士シリカ率いる第14小隊に預けられた、今回の一件。綿の雨の正体が何であろうと、村一つを呑み込むような強大な魔力が関わっていることは間違いのない今回の件、魔力の扱いに秀でていないシリカ達がこの役目を担うことは、本来向いたものではない。今では傭兵魔導士のチータという人物がいるにせよ、適任を探すならば他にもっと候補はいるはずなのだ。


 それを敢えて押したナトームと、強い疑念を想うダイアン。どちらの言い分も正しいものだった。何事も起こらねば良いが――というのは、いつの世でもよく使われる言葉だ。











「シリカ、あれがそうなんだな?」


「ああ……地図と一致するはずだ」


 第14小隊の代表として、ピルツの村跡地に足を向けた人物は4人。法騎士シリカ、騎士ユース、そして傭兵であるマグニスと、同じく傭兵である魔導士のチータだ。任務が出来る限り秘密裏に行われるべきことであることを鑑みて、人員を絞った上で、この任務に適した人材を揃えた形だ。指揮官としてのシリカ、この小隊において魔力の扱いに最も慣れているマグニスとチータ、あとの一人はどうしたものかと悩んだものだが、王都に残る4人を纏める役目をクロムに任せたい事情もあって、彼を連れて来れないのであればユースを連れて来ることが最適という形になった次第だ。


 地平線の上に見える、ピルツの村と呼ばれていた場所が視界に入った瞬間、馬に乗って平原を進む4人の表情が自ずと曇る。平原の中心に築かれた、木造りの小さな家や建物が並ぶばかりの小さな村。南に位置するダニームや、その東方や西方の村々と交易を営む小さなピルツの村は、遠方から眺めようとしても、上背の低い村のシルエットのせいも手伝って、なかなかその姿が見えないものだったはずだ。


 ピルツの村があったとされる場所に存在する、異形の植物が立ち並ぶことを思わせる不可解な影。地平線の彼方からそれを見ただけでも異変は見てとれるというものだが、そばに近づけば近づくほど、異変の正体が目にはっきりと映り、なおさらその異常な光景に戦慄せざるを得ない。


「噂には聞いていたが、これほどとはなぁ」


「流石にこんな形になった例は、そう多くないそうだがな……」


 嘆息と言葉を漏らすマグニスに、息を呑んでそれに応じるシリカ。言葉を失うユースの態度も実に自然なもので、変わり果てたピルツの村を目にすれば、平静の反応は難しいものだ。元より口数が少なく表情の機微を表に出さないチータとて、この光景には無興味ではいないだろう。


 村の入口の門を呑み込んだ、無数のキノコの数々。そして遠方には、家屋にも勝る背丈のキノコの影が山ほど見える。村であった地に踏み込まぬままに、村全体がキノコでいっぱいになっているであろうと容易に想像できそうなこの光景は、この世のものとは思えない風景と言って過言ではない。


「あら、予定より随分早い到着だったわね」


 そんな光景を前にして立ちすくむ4人に、突然声を放つ人物。その人物は、目を引く奇怪な巨大植物の根元にちょこんと座り、暇潰しに読んでいたと思われる手元の本をぱたりと閉じる。


 10歳を下回る少女を思わせる、小さな体躯の人物を見た4人の反応はそれぞれだ。目の前の偉人に頭を下げるシリカ、信頼できぬ人物を目の前にして目を曇らせるマグニス、小さな体とは不釣り合いな威圧感に緊張感を高めるユース。そして、目の前の人物との再会に眉をひそめるチータ。


「お待たせして申し訳ありませんでした。預言者エルアーティ様」


「別に結構よ。私の方が近い場所から来てるのだから」


 真昼の空の下、ナイトキャップとローブに身を包む彼女の姿は光景に対してギャップがあるが、これが魔法使いとしての彼女の姿であるのなら納得のいく話である。どんな危険があるのかわからぬ地に赴くにあたり、大魔法使いエルアーティとて着こなしは整えてきているはずだ。


 魔法都市ダニームの代表として、ピルツの村跡地に足を運ぶ役目を預かった人物。それは現代の魔法都市ダニームにおいて、雨雲の賢者と名高い大魔法使い、エルアーティ=ネマ=サイガーム。魔法都市と魔導帝国の二国を含めても、5指に入る絶大な魔力を持つその人物が同行することは、シリカがこの任務に少数で臨むことをためらわずに済んだ最大の要因だ。それほどには、彼女の実力は信頼に足るものであると広く認識されていることである。


 エルアーティは、目の前に現れた騎士団の面々を見やる。シリカと挨拶だけ済ませると、彼女の隣に立つマグニスに、目線を映した。


「あなた、初めて見る顔ね。お名前は?」


「マグニス。まあ何と呼んで貰っても結構っすけどね」


「こ、こら、マグニス……!」


 ダニームの大魔法使いへの不躾な態度に、シリカが慌てて制止に入る。法騎士たるシリカの肩書きは他国に行ってもそうそう目下に見られぬ立場だが、それでも魔法都市ダニームのアカデミーにおいて多くの権力を持つ大魔法使いを前にしては、法騎士とて膝をつく立場となる。エルアーティと騎士が対等に話そうとするならば、特別な聖騎士を除き、勇騎士以上の立場にでもならねば不可能だ。


 エルアーティも、自分の立場が客観的に見ていかに高い場所であるかはわかっている。目の前のマグニスがそれを知らぬわけでもなく、敢えてそういう態度に出たことを、彼女はどう捉えたか。


「あなたは私のことがお嫌い?」


「仲良くなりたいタイプじゃないっすね」


「ふふ、正直な人は嫌いじゃないわ。あなたの名前、覚えておいてあげる」


「忘れてくれて結構っすよ。二度と関わりたくないんで」


「す、すみません、エルアーティ様……! 彼の無礼は、私がお詫びしますので……」


 マグニスの手を引っぱってエルアーティの前に出ると、深く頭を下げるシリカ。そんな彼女の姿を見てもまったく悪びれる素振りも見せず、嫌な相手に会っちまったという顔を全面に出すマグニスの態度を見て、エルアーティはくすくすと笑っている。


「いいのよ、法騎士シリカ。素直な想いを口にすることは、私にとって無礼でも何でもないわ」


 掴み所が無いとされるエルアーティの姿は、ダニームにおいても評価が分かれるところだ。実力と実績は誰もが認めるところであるが、人間として彼女が信頼のおける人物かといえば、非常に難しい。感情を表に出すことも少なく、何を考えているのかわからぬ瞳ばかり見せ、ある日突然筆を握ったかと思えば毒気の強い論文を書いたり、誰も辿り着かなかったような切り口から魔法学を解析し始めたり、魔法と学問に慣れた学者とて、彼女の頭の中がどういう作りなのか読めないものだ。今でもエルアーティと親しげに話す人物といえば、それこそ双方親友と称し合うルーネぐらいのもので、それまではずっと孤高の大魔法使いと呼ばれ続けた存在が、エルアーティである。


 初対面でもマグニスには、彼女が自らの胸中を敢えて伏せ、いつなんどき何を企んでいるのかを他者に決して悟られぬ振る舞いが、自然体として身に付いていることが見てとれる。だからマグニスはエルアーティを信用しないし、今後もするつもりはない。マグニスも人を騙す振る舞いには慣れたものだが、そんな自分の生き方とよく似た気質を放つエルアーティは、たとえどこかで馬が合うことあろうとも、仲良くするつもりにはなれないタイプの人物だ。


 それを充分感じ取ったエルアーティは、興味の対象をユースに向ける。


「あなた、あの時は名を聞いていなかったわね。教えて頂戴」


 その目に押されて、たじろぎながら名を名乗るユース。これはこれで、偉人様に名乗る態度として背筋がいびつで、横目でユースを見やるシリカの目が難色を示している。ユースだってこれではいけないと頭ではわかっているのだが、それでも上手くいかない程度には、目の前でエルアーティの纏う不思議なオーラが、彼女を見下ろすことさえためらわせてくるのだ。


「つくづく嘘がつけない子なのね。可愛いわ」


 エルアーティがユースに近付き、背伸びをして見上げると、吐息がかかりそうな距離にまで二人の顔が近づく。至近距離で、深き底まで透き通ったエルアーティの瞳に見つめられ、思わず目を逸らすユース。それを見てにやりと口の端を上げるエルアーティの表情は、魔女を彷彿とさせるそれだ。


「さて、行きましょうか。私も早く引き上げて、本を読みたいしね」


 くるりと足を村の跡地に向けて歩き出すエルアーティ。3人にだけ声をかけ、絡み、ただ一人チータだけを無視したその態度は、間違いなく意図されたものだ。


「エルアーティ様」


 誰に無視されようが特に気にするような性分ではないはずのチータが、エルアーティを言葉で引き止めようとする。一切の興味の目をチータに向けなかったエルアーティも、名を呼ばれれば足を止め、声の主を意識する。


 振り返ったエルアーティの口から、何かしら、の一言が出るより早く、チータの口から用意していた言葉が溢れる。


「チータ=マイン=サルファードです。先日は、姓を名乗らなかったことを深くお詫び致します」


 チータがその名を口にした瞬間、初めてエルアーティがチータを見る目に色を宿した。目に見えて上機嫌を表すエルアーティの表情が、彼女を見据えるチータの瞳の奥まで手を伸ばす。


「名乗ったわね、子狐。少しは前より可愛く見えてきたわ」


 にやりと微笑むエルアーティと、決意を込めた目の色を宿すチータ。そのチータの隣で思わずユースが、チータの方に凝視を向けてしまったのは、彼の名乗ったサルファードの姓があまりにも有名なものであったからだ。


 魔導帝国ルオスにおける、三大魔導名家。魔王マーディス討伐に直接携わった大魔導士の属する名家、ズィウバーク家。ルオス皇帝が顧問魔導士家として宮廷に迎え入れた名家、ソルティシア家。先日、ユースやアルミナも顔を合わせたルオス皇帝の側近、ジャービルはソルシティア家の人間だ。


 そして、古くからルオスにおいては名高くも、昨今は名が立つことも少なかった魔導士達の名家、サルファード家。ルオス国内においては力もあり、ルオス三大名家に名を連ねることには誰も異論を挟まぬものの、ルオス国外の者たちにとっては比較的名の知られぬ最後の一角。そしてチータの姓がこのサルファード家と一致することは、単なる偶然だとでも言うのだろうか。


「サルファード家を飛び出した末子の話は数年前に魔導士達を騒がせたわ。まさかエレム王国騎士団で傭兵を営んでいるなんて、誰も思わなかったでしょうね」


 笑いながらそう言い放つエルアーティの目は、どこまでそれを読んでいたのかを全く計らせぬ姿勢。しかし、先日チータについて何か知っているのかとルーネに尋ねられた時、何も知らぬと言っていたエルアーティの言葉が真実なら、何も知らなかったというのに間違いもないはずだ。


 エルアーティはふと、背伸びしてシリカの耳元に口を近づける。


「あなた、知ってて匿っていたの?」


 シリカは気まずそうな顔をして、小さくうなずいた。チータは第14小隊に所属することになった際、隊長であるシリカにのみ、実は自らの姓を明かしていたのだ。家を飛び出した経緯も、事情も、すべてシリカにだけは話している。彼なりの、仕えると決めた相手への誠意だったのだろう。


「ふふふ……サルファードさん、あなたはつくづくいい人に拾われたわね」


「存じています。先日も、そのご厚意には甘えさせて頂いた身ですので」


 ルオス皇帝の前に立っても、チータの姓を語らなかったシリカの意図は、すなわち自らの境遇を秘匿したかったチータの意志を汲み取ったものに他ならない。ルオスにおいてその名を語ることは、すなわち近き生まれの家にチータの存在を悟られることに繋がりやすいからだ。事情があって家を飛び出したことを知っていたシリカは、チータの名を伏せていた。


 それによってシリカの立場が一度、立つ瀬無きものになったこともチータは知っている。思い返せば悔いるべきことだっただけに、チータもこうして姓を吐く決意を固めるに至り、彼を見守っていたシリカにとっても、一つの重荷が今日降りた形となっただろう。


「あなた、サルファードと呼ばれるのはお嫌い?」


 エルアーティの次の言葉が、真っ直ぐにチータの核心を突く。エルアーティがチータのことを一度サルファードと呼んだ時、僅かにチータの表情が曇ったことを、エルアーティは見逃していなかった。


 言葉を選ぶべく答えを返さないのか、それとも敢えて沈黙を貫いているのか、チータは何も答えを返さなかった。その反応があろうが無かろうが、次にエルアーティの放つ言葉は決まっている。


「あなたは死ぬまでサルファード家の人間よ。絶対にその真実は覆らないわ」


 チータにとっては意地悪でしかない言葉。しかし、エルアーティはもう一言、重ねる。


「チータの名を大切にすることね。それがサルファード家の人間であるあなたにとって、それとあなたを分け隔てる唯一の名なのだから」


 これは、シリカにも察することが出来た。生まれの家を嫌うからこそに家を飛び出したチータにとって、サルファードの名が嫌悪する対象であることは、事情を知らぬにしても前々から読めていたこと。そしてエルアーティが言い示したのは、それでもチータがサルファード家の人間である事実は変えられぬこと、そして一方、チータという名を持つからこそ、彼はサルファードと名乗らぬことが出来るということ。


 それが意味することは何か。答えは預言者の口から、ひとつの結論として紡がれる。


「過去に目を背けている限り、あなたに前進は無いわ。それを受け入れても、あなたはあなたのままいることが出来る。過去を受け入れた上で歩く生き方を見つけることが、今のあなたに必要な道よ」


 そう言って、チータの返答を待つこともなくシリカに目を向けるエルアーティ。言うだけのことを言えば、すぐさまお仕事に移るあたり、つくづく自分のペースを崩さない魔法使いだ。


「さて、行きましょう。いつまでもお喋りばかりしているのも何だしね」


「――かしこまりました」


 すたすたと村の跡地に向けて歩き出すエルアーティに従うように、シリカがそのあとに続く。敢えて振り返らなかったシリカだが、今に無理にチータに語りかける必要もあるまい。


 マグニスは煙草に火をつけてシリカの隣を歩き、やや遅れて、つまり前方の三人とは距離を作って、ユースとチータがその後に続く形だ。どことなくいつもよりも強張った表情で歩くチータだったが、彼がふと隣のユースを見た時、そんなチータの様子をうかがっていたユースと目が合った。


「……黙ってて、すまなかった」


 初めて見る、相手より下の立場から見上げるような目でユースを見つめるチータ。その態度と言葉に一瞬ユースも戸惑いそうになるが、どのみち返す言葉なんて決まっている。だからユースは、迷いなくその言葉を返すのみ。


「いいよ、別に。何か事情があるから、黙ってたんだろ?」


 柔らかな笑みを返すユースに、チータの心も救われる。エルアーティが言っていた言葉にはチータも同意するが、ユースは嘘をつくのが不得意なのが見るも明らかな人間だ。そんな彼が自らを赦し、受け入れてくれる言葉を迷いなく放つ様は、チータにとってはこの上なく温かい姿。


「……近いうち、ちゃんと全部話す。今は、目の前の仕事に集中させてくれ」


「ああ」


 出会ったあの日から数か月、互いに互いのことを、気が合わぬ人間だと認識し続けてきた二人。毛嫌いし合って接点を設けずそう思ったのではなく、ちゃんと互いのことを見合った上でそう判断してきたのだから、二人が抱き合う見解は決して間違ったものではないだろう。


 距離は確かにあったのだ。ユースはチータの本当の名を知らなかったし、チータも語らなかった。それを初めて口にしたこの日の出来事は、間違いなく両者の間に存在した一枚の壁を、確実に吹き飛ばしたものだった。


 性格的に、仲良くなれる相手だとは、やはり今でもお互い思えない。それでも人は、意味を持って繋がり合うことが出来る。二人が真にその意味を理解する日が訪れるのは、まだまだ遙か先のことだった。

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