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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第4章  広き世界との協奏曲~コンチェルト~
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第52話  ~年明けの砂漠にて~



 騎士団そのものに休日はない。バケーションシーズンに誰かが休暇を取っている時も、騎士団の他の人物が立派に職務を果たしている。晦日に休んだ者は元旦に働くし、逆に晦日に働いていた者達は元旦での休暇に回るわけだ。多数の人員を抱える組織ゆえ、役割を回して仕事を成立させるのだ。


 元旦翌日からは、騎士団の仕事ぶりはほぼ平常運転に元通りだ。とは言っても、急にすぐさま任務が預けられるとも限らないもので、数多くの隊は仕事を受け取る形にならず、結果的に休暇に近い状態になることが多い。騎士団の方も、バケーションシーズンにおける騎士達の扱いにある程度は配慮しており、元旦含む年始3日間ほどは指令を騎士に下す数がやや減るのである。


 第14小隊もその例に含まれており、さして第14小隊向けの急務もない現状、騎士団から法騎士シリカ率いる小隊に対して、さしたる任務は預けられていなかった。なので、アルミナとキャルは孤児院に向かったり、ガンマは里帰りしたり、チータは魔法都市ダニームの図書館へ魔法の研究を進めに行ったりと、各々が自由な年始休みを堪能していた。


「お、見えてきたぞ。あれがラムル砂漠だ」


 そんな中、第14小隊の二人の騎士がちょっとした旅行に出かけていた。元旦翌日の朝にエレム王都を出発し、馬を飛ばして旧皇国ラエルカンのあった地に向かう。かつて魔王マーディスに滅ぼされたその皇国も、数年の歳月をかけて再興しつつあり、一度魔物達に占拠、破壊された城塞や街も修繕され、概ね過去に近い形まで再生している。かつてラエルカン皇国に生まれ育ち、故郷を追われた末に今はエレム王国騎士団に身を置く聖騎士クロードあたりはこの年始、この地の防衛任務も兼ねて、復活した故郷への里帰りを果たしていることだろう。


 その地よりさらに南下すると、果ての見えない巨大な砂漠がある。ラムル砂漠の名で有名なその地は、数多くの遺跡が眠ることや、土地柄そのものから生まれる産出物の存在も手伝って、魔物が出没する地でありながら多くの人々が出入りする地だ。そうした意味では鉱山とよく似ている。


 砂漠の入口近辺の小さな村に馬を預け、ラクダに乗り換えて砂漠へ踏み出す騎士二人は、冬の砂漠の涼しさと心地よい風を受けながら進んでいた。夜になると一気に冷え込むそうなので、王都からここまで持ってきた防寒着を脱ぎはするものの、いつでも着込む準備は万端だ。


「ラクダって、なんで馬よりも言うこと聞きやすいんですかね?」


「騎士団の馬は躾けられ過ぎてるからな。些細な動きも命令として動いちまうから、ユースのように乗り手が慌てたりすると、七転八倒になっちまうんだよ」


 笑うクロムと、痛い所を突かれて顔を伏せるユース。年始休暇に王都の色街で遊びまくっているマグニスもこの場にはおらず、この二人だけで行動を共にする光景というのは珍しいものだった。










 ラエルカンの南に位置する広大なラムル砂漠は、南の果てまで行けば砂漠の王朝がある。砂漠を超えてその地まで赴くのは非常に骨の折れる旅路であるため、その王朝とエレム王国の繋がりは希薄だが、砂漠に点在する集落の数々は、砂漠を超えたい人々にとっては重要な足がかりだ。


 クロムに連れられてユースが辿り着いたのは、ラムル砂漠の最北部に位置するこの場所で人々が集い休める、アレナの集落地と呼ばれる場所である。小さなオアシスのそばに人が集まり形作られたそこは、石作りの建物や露天商が立ち並び、小さな村として個を形成している。砂漠の気候と風土に慣れたなら、ここに住まうことも難しくなさそうだ。


「クロムさん、待ち合わせって言ってたけど……」


「まあもうちょっと待ってろ。相手方さんも忙しい身だからな」


 集落の一角、南国植物を思わせるような大木の下で、初めて来る砂漠の集落の風景を見回しながらユースが尋ねかける。あまりきょろきょろしてると田舎者だと思われるぞ、とクロムに指摘され、思わず胸元の騎士階級章を隠してうつむくあたり、騎士としての自覚があっても追いつかない少年の微笑ましい姿が垣間見えるというものである。


「そういえばユース、お前テネメールの村の出身だったな。確かあそこには"トマリギ"って宿があったと思うが、あそこの女将さんって今どうしてんのかね」


「今も元気にやってると思いますよ。こないだ里帰りした時も、繁盛して見えましたし」


「あそこはメシの量がやたら豪勢だからなぁ。旅人達にゃ、安いわ多いわで人気もあったもんだ」


 この集落では人が落ち合う場所としてわかりやすく利用される大木の下、クロムは煙草を吹かしてユースに世間話の数々を振ってくる。人を待つだけのこの時間、ユースが退屈しないように話の種をふりまいてくれるクロムの姿は、今までに出会ってきた口が達者な商人様を彷彿とさせるものだ。日頃口数の少ない彼が、今ここでこうしてくれる姿を見ていると、尚更そんな気がしてならない。


 30分はこの場所で、動かずクロムと話し込んでいただろうか。やがて慌てた足取りで、クロムと待ち合わせをしていたと思しき人物がここに駆け寄ってくるまで、結果としてユースは時間を忘れたかのように退屈しなかったものだ。


「ごめーん! 超遅れちゃった!」


 四角く荷造りされた大きな荷物を背負った女性は、シリカと同い年ぐらいに見える風貌だ。だから恐らくクロムよりは年下だけど、ユースよりはそこそこ年上なのだろう。冬の砂漠の涼しい気候に合わせてアーミーパンツを纏う下半身に反し、薄着の白いタンクトップ一枚で汗をかくその姿は、ここまで相当足を急がせてきたことの表れと見える。長い黒髪を上手く頭の上で結っているのも、よく動く日々の暮らしから、髪が邪魔にならないための手ほどきなのだろう。


「おう、言い訳どうぞ。正直でも、面白い作り話でもいいぞ」


「正直な方でいくわ。叩き屋に遭っちゃって、対処が大変だったのよ」


「まだそんなことやってる奴いんのか。懲りねえなぁ」


 クロムの待ち人であった女性の言葉を受け、気の毒そうな笑顔を返すクロム。


「クロムさん、叩き屋って何ですか?」


「ん? 値切り交渉してくる輩に対する蔑称だよ。不当な理由をつけたり、足元を見て値切る行為を"買い叩く"って言うだろ。それに由来する商人達の造語だ」


 それを聞いたユースの眼差しが、クロムと向き合っていた人物に対して向く。そちらの方からもユースの方へ目線が移ったのもほぼ同時だ。


「クロム、この子があんたの?」


「おう、俺の今の後輩。ほらユース、ご挨拶はどうした?」


 今の話の流れからして、この人は商人なのかな、と思索を巡らせていたユースが、クロムの言葉を耳に受けて、慌てて頭を下げる。詮索するより、初対面なのだからまずは自己紹介からだ。


「え、エレム王国騎士団第14小隊、騎士ユーステット=クロニクスです」


「ああ、ごめんなさい。私も名乗るべきでした。アユイ商団所属、ジーナ=バウムです。ご挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません」


 明らかに自分よりも年下であるユースに対して深々と頭を下げるその姿は、駆け出しの商人の姿勢としては理想的な姿だと言えるだろう。舐められないよう強気に出るには、如何せん彼女は若過ぎる。そしてそんな自分を正しく認識している商人だからこそ、若くとも世を渡れるというものだ。


「そんなに頭を下げて頂かなくても……俺の方が年下なんだし……」


「お前今、さらっとド失礼なこと言わなかったか?」


 素早く的確なクロムの突っ込みに、ジーナと名乗った商人の女性は声をあげて笑った。ご婦人に対して年がどうだの言うことがどれだけ危険なことなのか、ユースだってわかっているはずなのに、つい口からそんな言葉が出る辺り、挨拶が遅れたことでちょっと冷静さを欠いているのだろう。


 数秒遅れて失言に気付いたユースの顔色が青ざめるが、ジーナはそんなユースの肩をばんばんと叩き、気にするなと言わんばかりに笑ってみせる。


「いいのいいの!! 年相応の貫録がついてると見えたなら、商人としては嬉しい話よ!!」


 快活な笑顔は、良き商人の最大の武器。一目見ただけでも若さと魅力に溢れたその女性は、太陽に映えるその笑顔によってなお、ユースの目に輝いて見えた。











 石造りの外観を持つ砂漠の建築物も、人が住まう以上内装は凝られるものだ。熱い夏には建物内を青を基調としたタペストリーや絨毯で彩り、炎天下の建物外から屋内に入ると一転、日光を遮って風通しよく作られた構造によって、来訪者を涼しげな心地にさせてくれる。今は冬、建物の中に入ると日光が遮られて肌寒いものの、通気路を季節に合わせて塞いでいるのかあまり風通しはよくない。日が暮れるに連れて気温が下がってくることに合わせてか、砂漠の建物にしては不釣り合いに見える暖炉が、しっかり屋内に作られている。


「俺、行商人の方に会うのは初めてなんです。元行商人、っていう人には何度か会ってるけど」


「駆け出しの頃は、みんなこうして行商の道を踏む人が多いのよ。お師匠様の後ろについて歩いてるだけじゃ見えなかったものが、たくさん見えてくるのよね」


 ユース達が腰を落ち着けたアレナの集落地の酒場は、乾燥した空気の中砂埃も多く、決して衛生的であるとは言えない空間だ。温室育ちの貴族などがこうした場所に立ち寄れば、こんな場所で飯が食えるかとでも言おうものだが、ジーナのような旅暮らしの商人や、似たような過去を持つクロムにとってはむしろ肌に合うのか、席に腰かけた瞬間から二人とも安息した表情だ。ユースも騎士見習いの頃には男臭い職場で育ったせいもあり、こうした空間は嫌いじゃない。


「昔は叩き屋を疎んじる師匠の気持ちの半分も理解できてなかったわねぇ。独りで旅して、明日も保証されない行商人に対して、値切ることがどれだけ無情か、あいつらわかってなさ過ぎよ」


「まあそうだな。買い手にとっちゃあ交渉による得は夢のある遊びだが、相手を選ばなきゃよ」


「店構えて暮らしの安定した商人にやりなさいっつーの。こちとら身銭が尽きたらおしまいなのにさ」


 酒に弱いユースが度の弱い発泡酒を口にする前で、クロムとジーナは匂いからしてきつそうな濁酒を呑み明かしている。ユースもいる手前、二人ともペースはさほど早くないが、元より酒に強いと知っているクロムはさておいても、ジーナもなかなか酒には強い肝臓を持っていそうだ。


「叩き屋……って、どんなふうに値切ってくるんですか? 言葉を聞いた感じだと、足元見たりとかいちゃもんをつけてきたりするんですか?」


 叩き屋の語源となった"買い叩く"の意味から、商人の敵の手口を推察するユース。商売のいろはを知らない可愛い少年が商い話に興味を持ったのが嬉しかったか、ジーナはユースに振り向く。


「いちゃもんも何もいらないのよ。行商人って、それだけで不利なんだから」


「どういうことですか?」


「例えば今日、私は香辛料を売ってきたんだけどさ。――ああ、香辛料は軽い上に利益を生むから、商人の間じゃ黒い宝石って言われるぐらい、有力な商売道具なんだけど」


 さらりと豆知識を挟むのは、目の前のユースが知識欲旺盛であることをジーナが感じ取ったからだろうか。へぇ、と深々うなずくユースにとっては、面白い表現だったのかもしれない。


「行商人ってさっきも言ったけど、身銭が無くなったらそれで終わりなの。まあ、私は商団に所属している身だから、いざ無一文になってもそっちを頼れるけど、それって最終手段なわけ。商団の力を借りなきゃ生きていけない商人じゃ、独り立ちなんて百年かかっても無理だからね」


「そういう生き方を選んでる商人もいるけどな。商団雇われの身としては暮らしも安定するし」


「狭い商団でサラリーマンやって何が楽しいのよ。世界はこんなに広いのにさ」


 まあな、と笑ってクロムはジーナに同意する。危機と困窮を避けた安定した暮らしよりも、広い世界を自分の力で歩く方が好みの二人だから、ここに関してはよく馬が合うようだ。


「でさ。行商人と、店を構える商人の最たる違いって何かわかる?」


「……暮らしの安定ですか?」


「そう。店を構える人っていうのは、仕入れ先や転売ルート、客足の確保などを済ませた後なのよ。来月の儲けの見込みを語れば説得力もあるから、いよいよとなっても借金だってしやすいわ。だけど行商人は余程顔を広く知られ、その高い手腕を認識して貰えない限り、借金ひとつするにも信用がないから出来ないのよ。お金がなくなったら、破産するしかないってわけ」


 濁酒を口に含むジーナだが、悪酔いをしている気配はない。饒舌なのは生来だろう。


「店構えの商人様は、値切りたがりの客に応じる余裕があるわ。そういう商人様の方が、お客だって集まってくるじゃない。だから余裕のない行商人にとっては、値切り交渉をしてくる客っていうのは鬱陶しさしか感じないってわけ。こっちには値切りに応じるだけの体力がないんだからさ」


「叩き屋、ってのは、それをわかっていて行商人をいびってくる奴も多い。特に儲けも芳しくなく、暮らしに困窮し始めた行商人なら、諸々わかっていても目先を追って、値切りに応じちまうからな」


「だから行商人に値切り交渉してくる叩き屋ってのは、弱った獲物から身ぐるみ剥いでやろうとするハイエナみたいなもんだって、商人の間じゃ言われるわ。行商人の事情をわかっているなら、店を構えた商人様に値切り交渉した方が上手くいきやすいってわかるはずだし、ハイエナとまでは言わないにしても、常識知らずっていう烙印を押すのが普通ね」


 ボロカスに値切りたがりをこき下ろすジーナの目が、今日の客に対する呆れの色に染まっている。それを見ているとユースも、払うべきものは払って買い物をするべきだなと感じざるを得ない。


「ユースも気を付けろよ? 品のない値切りをしてる奴は、商団の方にその特徴が言い伝えられて、商人広くにブラックリスト入りさせられちまうんだぜ」


「商団は怖いわよ~? あらゆる方向に圧力かける力を持ってるし、一度その組織に問題ありだって烙印押された人なんて、ろくに買い物もさせて貰えなくなるんだから」


 一部の商団というのは、下手をすれば小国家よりも力のある組織である。金や物流の流れを広く支配し、証拠も残さず街や国家を孤立無援にするだけの力を持っているのだ。所詮は人間社会、権力や武器に訴えて力を振るおうとしても、金の流れを支配する存在というものはやはり力がある。仮にそれ以外の力、例えば武力などで商談を攻撃したとしても、大きな商団が手痛い傷を負うと、それが取り仕切っていた市場の多くが停滞し、各地のあらゆる商業が破綻することになる。そうなれば、その引き金を引いた反商団組織は一気に世間を、世界を敵に回すことになるのだ。市場を取り仕切る商団は、金の流れを操ることで反勢力を鎮圧する力を持つ一方、潰されることのない強みを持つ、ある意味では人間社会において、国家に並ぶ裏番長と言える立ち位置にある。


 そこまでわかっていなくたって、商団の怖さというのはユースにも何となく察せることだ。にまにまと脅し文句を突きつけてくるジーナに、そんなことする勇気ないですよ、と苦笑いを浮かべるユースの言葉は、紛れもなく本心である。


「商団は所属する商人へ、仕切る市場への参加、権利の保護、あらゆる庇護を商人に授けてくれるわ。商人としての道を歩むなら、始めはそこに身を置くのが一番安定した道のりじゃないかな」


 学者を志す者ははじめ学校へ。騎士を志す者ははじめ剣術指南所へ。それと同じことだ。


「商団に身を置いて、顔を知り、知られ、信を築き、金銭を貯え、独り立ちへの道を築いていく。若くして商団に身を置く商人達にとっては、一度は思い描く理想の出世街道だよな」


「私もお金と脈が積もったら、いつか独立してお店を持ちたいんだけどね。どんなお店にしようかな、っていう青写真だけは進んでいくんだけど」


 現実は甘くないのか、夢の実現というのはなかなか手近には転がってこない。だけども遠い夢を見るジーナの目はそれを悲観するわけでなく、追い続けることへの希望に満ちている。


「見せろよ青写真。持ってるんだろ?」


 クロムの振った話に、嬉しそうに背負った荷物を降ろしてその紐を解くジーナ。取り出したるは丁寧に畳まれた1枚の紙。その端が朽ち初めた大きな一枚紙は、彼女が何年もその紙を大切に荷物の中に背負い、旅を続けてきていたことを物語っている。そしてその紙には、彼女がいつか構えたいと思う店構えを描いた、緻密な理想図が描かれていた。


「外装はこう。ダニームに店を構えるなら、芸術的な塗装を理想とする方がいいって言われそうだけど、それじゃ他の店に埋もれちゃうだけ。それよりも建築美と均整を重視した構造を表面に出して、外観そのものは木造の素朴な雰囲気を醸し出した方が、かえって目を引くと思うのよ」


 次にジーナの取り出した2枚目の紙には、店の内装と思わしき絵が描かれている。テーブルに広げた未来予想図を所々指さしながら、ここはこうで、あそこはああした意図で、などと、楽しそうに語るジーナの瞳は、まさしく夢を語る若き志を体現したものだ。


「……ユース君、退屈してない? 私ばかり喋っちゃってるけど……」


「いいえ、聞かせて下さい。ここにかけてある壁絵が青く塗られているのも、わけがあるんですか?」


「うんうん。実はね、それはその下に置く予定の植物とも関係があって――」


 独り語りになっていることを危惧したジーナがユースを気遣うも、ユースだって楽しんでいる。いつか自分の店を持ちたいと、そんな理想を紙に起こしてしまうほどの強い夢を持っている人物が、その希望を語る姿を見ることに、何の不快や退屈を抱こうというものだろうか。何よりジーナの語る未来予想図は、彼女なりに身につけた美意識や均衡、商論に満ちており、新鮮な言葉や見解ばかりに出会えるユースにとっては、たまらなく面白くて興味深い。


 ジーナが語り、ユースが聞き入り、クロムが横から時々口を挟んでジーナの語りたい想いの丈を引き出す。数枚の未来予想図を酒の肴に、あっという間に1時間近くの時間が溶けていったことから、楽しい時間ほどすぐに過ぎ去るものだという格言がつくづく真実味を帯びるというものだ。


「ホントはこんな風に夢語ってるだけじゃダメなんだけどねぇ。わかってても、話聞いてくれる人がいると、ついつい喋らずにいられなくなっちゃうのはなんでなんだろ」


「単に酔ってきてるんだろ」


「そうかもね」 


 声をあげて笑うクロムと、くすくす笑うジーナ。いさかいなく酒を交わす大人達の席に並ぶことは今までも少なくなかったユースだが、何度経験してもこの温かい空気は、そばにいるだけで気持ちが和むものだ。酒に弱いユースでさえこうした場を嫌わないのは、これまで良き出会いに恵まれてきたからだろう。


「今度お前もコブレ廃坑に来いよ。ウォードの兄貴に、久々に商売論を学んでみたらどうだ?」


「あの人怖いから嫌なのよ~。知ってるでしょ、極地に立った時のあの人」


 次の話題に移るクロムだが、ユースも知る名をさりげなく挙げる辺りが彼なりの配慮。かつてコブレ廃坑における調査任務で、ゴブリンやワータイガーと交戦したあの日、廃坑奥に潜る前に顔を合わせた商人様の名が出てきたことに、ユースも自ずと興味が湧く。


「ウォードさんって怖いんですか? 優しそうな人だったけど……」


「私、行商人時代のあの人の弟子だった時期があったんだけど、ハンパなく厳しい人だったわよ。客前ではまさしく商人らしく柔らかい物腰だけど、宿に泊まった夜なんて毎晩叱られてたもん」


「そりゃ7年前のあの人じゃ仕方ねえだろ。今のお前と同じで必死だった頃だし、弟子に対して厳しくもなるわ」


「まあおかげ様で色んなこと学べはしたけどね。効率的なお金の数え方とか、荷物の仕分け方とか、何より商人の裏表の激しさとかさ」


 最後の皮肉にクロムが笑うが、コブレ廃坑で好青年たる商人ウォードの姿しか見ていないユースにとっては、一体どんな様だったのだろうと興味が尽きないところだ。そしてそんな怪訝顔のユースの気配を感じ取ったか、ジーナは思い出したくない過去を敢えて思い返し、苦笑する。


「ウォードさんも今は随分丸くなっただろうけど、マジで怖いのよ? 昔々、トネムの都で調子に乗った貴族がいたんだけどさ――」


 身震いしながら過去を語り始めるジーナの話に、ユースが食い入るように耳を傾ける。ウォード達商人の並ぶ市場を横柄な貴族が巡り歩き、露天商を営んでいた商人の娘が自分の通り道を横切ったことに腹を立て、暴力を振るって泣かせてしまったという話に始まったのだが――


 それに怒りを覚え、貴族に掴みかかった在りし日のウォードの暴れぶりたるや。どんな角度から貴族の顔を殴ったか、緻密に話してくれるジーナの語り口に、ユースも話を聞いているだけで、かつてのウォードがいかにえげつない拳を振るったのかが、明確に脳裏に浮かんでしまう。


「――ってなわけ。医療所送りになった貴族に賠償金を払う形になっちゃったけど、その貴族は二度とウォードさんのいるシマに近付かなくなっちゃったわ。市場はムカつく貴族をぶっ飛ばしたあの人を喝采してたけど、あの人のマジ切れの目を見た私とかは逆に凍りついてたんだから」


 世間知らずだった少年には想像も及ばなかった、あの優しそうな好青年の鋭き過去。次にあの人と顔を合わせる時には絶対に粗相のないようにしよう、と心に誓うユースの横で、そんな緊張した少年の面持ちを肴に、クロムは次の酒に手を出すのだった。






 談笑に次ぐ談笑で、閉店近くの時間まで酒場で時間を共にする二人の騎士と一人の商人。それぞれにとって、年始の楽しい酒席ではあったものの、はるばる王都から離れたこの地に来た目的は、もちろんただそれだけというわけでもない。


「それよりまあ、ジーナ。儲け話の方は上手くいきそうなのか?」


 他人事ではなく、当事者としてのクロムの発言だ。ジーナはその問いに対し、手元に残った残り少ない酒を飲み干して、次の瞬間には商人の真剣な瞳をその目に宿す。


「アモス遺跡よ。私の読みが間違ってなければ、途方もない利益を生み出すわ」


「ほう、それは楽しみだ」


 血に飢えた獣のような眼差しと共に笑うジーナと、その目に応じるかのように鼻を鳴らして笑うクロムの表情は、酒など吹き飛んだかのような顔つきだ。ついさっきまで子供のように笑ってばかりだった彼女と、それを見守る兄のように温和な顔を貫いていた先輩騎士の豹変には、ユースも、先達者の底というものは一目では知れないな、と感じてしまう。


「宿に着いたら、詳しいことを話すわ。とりあえず、ここのお勘定を済ませてくるわね」


「おう、持ってけ。遅刻に待たされることを補って釣りがくる程度にゃ、楽しませて貰ったよ」


「ふふ、ありがと」


 場代を意味する代金を差し出すクロムの紙幣を受け取り、それに軽くキスをするジーナ。商売人として金を見る目ではなく、心遣いに対する純粋な感謝の意を示す目の色は、商人である彼女の中にある人間性を表わすもう一つの側面だ。まいどあり、の笑顔とはまた違う、友人に対するありがとうの笑顔を向けるジーナの表情が、決して作りものでないことはユースにだって伝わっている。


 金に細かく、利益に貪欲なのが商人という生き物。ただその定義だけで個の商人を語ろうとすればそれこそ言葉が足りないと感じる辺り、つくづく人間というものは奥深く、面白いものである。

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