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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第3章  絆を繋げる二重奏~デュエット~
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第50話  ~新天地⑤ 在るべき場所~



 エレム王国騎士団、短期異動期間終了の日。日の沈んだ夕頃の暗い空を見上げるシリカの家で、シリカとクロム、マグニスの3人が居間に座っていた。もしもユースが、第26中隊の完全移籍を選ばず、第14小隊に帰ってくるのだとしたら、そろそろそんな時間帯だ。


 第14小隊の他の面々、アルミナとガンマとキャルは、第19大隊から短期異動していた傭兵少女、プロンの家に遊びに行っている。今日で同じ隊として暮らしを共にすることは最後になったが、仲を作れたここ一ヶ月の最後の締めくくりとして、アルミナの提案でそうすることになったのだ。単身プロンを育てた立派な大人であり、プロンが尊敬し愛する彼女の父親と顔を合わせた3人も、今頃は仲良くやっていることだろう。プロンの父親が、愛娘の友人となってくれた少年少女達を心から歓迎し、迎え入れられた3人も、友人プロンが誇らしく父を紹介する姿を微笑ましく見守っているのが容易に想像できる。


 法騎士ダイアンの元へ通うのがほぼ日課となっているチータは、今日はダイアンの勧めからもあって、魔法都市ダニームへと朝早くから赴いている。目当ては魔法学者であるルーネであり、日頃は多忙につき会って話をする時間も作りにくい彼女だが、ダイアンの計画的な口利きも手伝って、今日のように会える時間が作れることもある。魔導士を本職とする彼女との語らいはチータにとって実に刺激的であり、ダイアンもそんな二人の出会いをおおいに微笑ましく見守っていた。


 ユースが帰ってくるならばと、迎える役目を預かった3人。特にこの中で表情を強張らせているのがシリカであり、その次に不機嫌そうな顔を浮かべているマグニスが目立つ。クロムは相変わらずの無表情。


 そろそろ帰ってくるはずの少年騎士が、未だに姿を見せない事実。もしも日付が変わってもユースがこの家に帰ってこなければ、それは明日からもそういうことだ。長い沈黙が時計の針の音を際立たせる居間の空気は、時が経つにつれて重くなるばかりである。


「……なあ、クロム。マグニス」


 その空気に耐えられなくなったかのように、シリカが口を開いた。数分前には落ち着いた表情を装っていた仮面もはがれ、気が気でない心持ちをあらわにし始めたシリカは、言葉を放つと同時に目線を下に落とした。


「……私は、間違っていたのかな」


 とにかく、二日前から如実に元気のないシリカ。その口元が放つ問いの意味は、ユースを第26中隊に預けた自分の行動の、是非を問うものだろうか。


 そう解釈したマグニスは、はあと息をついて率直な想いを告げる。それも、手加減のない言い分だ。


「俺に言わせりゃ、お前がやったことは大失態だよ。一ヶ月前のあの日ほど、ああこいつやらかしたなって、お前に対して思ったことは無かった」


 黙ってクロムがその言葉に耳を傾ける横で、マグニスはふんぞり返っていた姿勢を前に傾かせ、テーブルの向こう側に座るシリカを真っ直ぐ見据える。


「お前、ユースってのがどんな奴か理解に欠け過ぎだよ。あいつの本質をちゃんとわかっているなら、今回みたいにユースをよその隊に預けるなんて、ハイリスクな博打もいいとこだぜ」


 マグニスは知っている。ユースが周囲の仲間達に敬意を払った上で、劣等感に近い感情を小隊の仲間達みんなに等しく持っていることを。そんな仲間に追いついて、胸を張れる自分をユースが常々目指していたこと、そしてそれゆえ同時に、今の自分が第14小隊に必要な人間であるかを強く疑問に感じていることを。そんな少年の苦悩を知りながらもあまりその事を周囲に触れ回ってこなかったのは、それがユースが自らで悩み、答えを出すべきものだとマグニスは知っていたからだ。


 そしてそんなユースが、他に自らの居場所と呼べる場所を見つけてしまった時、人生の転機に賭けて止まり木を移す可能性をマグニスは強く危惧していた。ユースだって、短絡に答えを出す事はしないだろう。だが、結局のところ、心が移れば人は自ら変わることを選ぶことがあるのだ。


 マグニスは、そうした人間の苦悩と、光を求める者の気持ちを知っている。他ならぬ自分自身が過去にそうであって、今の楽しい日々を選び取った結果をその手にしているからだ。


「最悪の結果になったらお前、ちょっと腹くくった方がいいぞ。すぐには実感わかなくたって、近い未来でかなり強烈な後悔をすることになるだろうからよ」


「……最悪の結果、とは?」


「ユースの完全移籍」


 か細い声で尋ねたシリカに、クロムは極めて具体的でシンプルな答えを返す。その言葉を聞いた瞬間、シリカの両肩がぴくりと跳ねたことを、当然のようにマグニスは見逃さない。


「言っておくが、結果次第でお前の行動の是非を語っているわけじゃねえぞ。俺はお前がどういう収穫を求めてユースの短期異動を認めたのかは知らねえが、その結果が悪しき方向に転がった時の痛手の大きさを、お前がわかってないのが気に食わねえ」


「……お前は、ユースがこの小隊を去ることになることが、それだけの痛手だと言うのか?」


「お前、マジで気付いてねえんだったら隊長やめてみるか? それとも、気付いている上でそれを敢えて尋ねてるんだとしたら、俺のことバカにしてんのかって話になるぞ」


 騎士ユースが第14小隊を離れることの大きさを、太陽が東から昇る当然のように悟っているマグニス。そして密かに想いは同じのクロムは、マグニスに、落ち着けよとばかりに手を招いている。その行動の裏には、気持ちはよくわかるが、という、マグニスに対する同意もこもっている。


「ギャンブルと一緒だよ。銭を得るために賭け事に走って、大穴当てて儲かったらやって良かった、全財産失う結果になったら、バカなことやっちまったってなるだろ」


 シリカが自分自身だけでは絶対に辿り着けない観点から、比喩を作りだすマグニス。クロムには深く語らずともわかる価値観だが、生真面目なシリカには、そらから閃ける視点ではない。


「ユースを第14小隊から失うことの致命的さを、お前はわかってなさ過ぎる。それを知った上で大博打かましてるならわからんでもないが、お前そこまで考え至ってそうしたか? 違うだろ。だから俺は、今回のお前を肯定してやることは出来ねえ。小銭を賭けたつもりで、負けたら全財産持っていかれるような詐欺博打にハメられたカモを見てる気分だよ」


「致命的……」


 目線を落として考え込むシリカ。言葉の意図すべてを読み取るに至ってはいないものの、だからこそ理解に向けてその思考を全力で巡らせる。目の前の相手が、意味のないことを言うような人物ではないと、シリカ自身が誰よりもわかっていることだ。


「……致命的、というのは、誰にとってだ。この小隊か?」


「お前とユースの二人にとってだよ。何年あいつと一緒にいんだよ、お前」


 マグニスの目に宿る、物分かりの悪い法騎士に対する強い苛立ちを意味する色に、気押されたようにシリカも表情をたじろがせる。確かな信念のもとに主張を重ねるマグニスと、迷いと不安ですでに押し潰されそうなシリカが目を合わせるのは、獅子と兎が睨み合うようなものだ。


 居間に広がるマグニスの怒気に包まれ、シリカは二日前と同じくすっかり意気消沈していた。だが、今回シリカがあの日のように涙を浮かべても、今日のマグニスは絶対に引き下がらないだろう。あの日と違って、今日は運命の日。そして実際に最悪の方向に話が転べば、マグニスはシリカのことを悪い方向に大きく見直すと心に決めている。


「……ギャンブルか。それは面白いかもしれんな」


 その空気を打破するかのように、両者の脇でクロムがつぶやいた。同時に胸元から一枚のコインを取り出して、シリカの目の前にそれを晒す姿に、向かい合っていた二人が目を奪われる。


「運試しだ、シリカ。表が出たら、お前の望む未来。裏が出たら、最悪の結末。場合によっちゃあ、閉塞した今の気持ちを吹き飛ばす、神様の声が聞こえるかもしれねえぜ?」


 作り上げた空気を打ち壊されたマグニスは少しむっとしたが、考えあっての行動だと信じ、場の空気を彼に委ねるように、前傾していた姿勢を椅子の背もたれに預け返す。シリカはクロムを見て怪訝な顔をしていたが、どこか自信満々なクロムの表情から目を離せず、意図を読もうとして上手くいかぬまま終わっている。


 黙ってシリカの返事を待つクロム。シリカはそんな彼に応えるように、小さくうなずいた。


「……神頼みは好きじゃないが、たまにはやってみようかな」


「よし、いくぞ。目を離すなよ?」


 シリカの言葉を聞き受けたクロムは、指先でそのコインをはじき上げた。回転するコインが宙に舞い、最高点に達した後に加速度を得て落ちてくる。そのコインがクロムの手の甲に落ちて、その上をクロムが逆の手でかぶせるまでの時間が、シリカにとって、いやに長く感じられたものだ。


 開けるぞ、というクロムの言葉に、固唾を呑んでうなずくシリカ。たかだか未来とは直結せぬ運試し。それをまるで本当に自らの未来を暗示するものであると信じ込んだかのように、祈るような表情でクロムの手元から目を離さない姿は、いかに今回の行く末に対して強い不安を感じているのかを顕著に物語るものだった。


 コインを隠していたクロムの手が離れ、シリカの目の前にその裏表を晒す。その瞬間にシリカの胸に突き刺さった痛みは、今までに経験したことのない動悸となって心臓を高鳴らせた。


「……まあ、こういうこともあるわな。賭け事ってのは、一番勝ちたい時に限ってつまづくもんだ」


 コインの裏面が語る、最悪の結末を示唆する結果。硬直していたシリカの表情が、それを見た数秒後、小さなため息とともに、痛々しい笑顔に変わる。


「……そうだな。覚悟しておくよ」


 それは過去の自分を自嘲するかのような、だけど強い非難を同時に向けるような、言いかえるならば途方もない後悔に渇いた笑顔を浮かべるしかない表情。顔色とは裏腹に半ば放心状態のシリカを見て、出来ることならこうなることを未然に防ぎたかったマグニスも、取り戻せない過去に対して遠い目を浮かべるのだった。


 完全に活力を失ったシリカがうつむいたのと、ほぼ同時。家の玄関をノックする音が居間まで届く。法騎士であるシリカの住居に客人は珍しく、何事かなと顔を上げたシリカは、両手で顔を叩いて表情を正す。今の不安を張り付けた顔を、見知らぬ客人に見せてしまっては恥をかく。


 玄関に向かって歩き出すシリカ。そんなシリカの背中を見送って、クロムはくっくっと小声で笑っていた。もしもユースが帰ってくるのなら、この時間帯だということをもシリカが忘れているのだと思えば、この後のシリカの表情を想像するだけで面白かったから。


「旦那ってば、悪い笑いしますねぇ……」


「ハッピーサプライズだってわかってんだから、いいじゃねえか」


 そんなクロムの言葉を受けたマグニスは、敵わないなと皮肉的な笑みを浮かべるのだった。











 玄関の扉を開けて、目の前にいた少年騎士を見たシリカは、思わぬものを見た表情を隠しきれなかった。その表情を見た少年騎士は、見たこともない彼女の表情を見て少し不安そうな顔をしたが、それを察してなお顔色を変えられぬほど、シリカにとってこの再会は予想外だったのだ。


「……ただいま、帰りました」


 悩んで、悩んで、悩み抜いた末に、第14小隊に帰ってくることを選んだユース。シリカがそんな自分を受け入れてくれなければ、居場所を失うことになる不安を胸にして、少年は強張らせた表情だ。


「……第26中隊に移籍することを、選ばなかったのか?」


 あまりにも不器用な問いしか返せないシリカに、ユースはもしや決断を誤ってしまったかと、悪い意味で心臓を高鳴らせる。だけど、たとえどう転んだって、言うべきことは言うべくユースは口を開く。


「やっぱり俺、第14小隊で……シリカさんや、みんなと一緒に歩いていきたいって思います。シリカさんの本意とは違ったかもしれないけど……俺はこうしたいって思ったんです」


 はっきりと、第14小隊への残留を希望する表明を為すユースの言葉に、一方シリカは言葉を失う。それは彼女が、ユースがそう望んでくれることをほとんど予想していなかったからだ。


 無言で自らを見下ろすシリカに、ユースは沈黙を嫌うかのように言葉を紡ぎ続ける。


「シリカさんは厳しい人だけど、いつだって俺を導いてくれた、優しい人だって信じてます。俺を第26中隊への異動を一度認めたのだって、絶対何かの意図があったんだって思ってます。だから――」


 そこまで語ってユースは一度言葉を止める。最後まで淀まず己の意志を言いきるには、やはりシリカという人物はユースにとって、緊張感を抑えられない相手なのだろう。だが、勇気を振り絞る少年の胸の奥から、やがて紛うことなき真意が言葉となって表れる。


「今じゃなくてもいいから、教えて欲しいんです。俺に第26中隊への異動を認めたことに、シリカさんの思うどんな意味があったのか。……シリカさんが俺のことを、どう思ってるのか」


 全力で投じた想いの丈を、シリカは確かに受け止めた。ユースが長らく胸に秘めていた想いが、どれほどまでにシリカに通じていたかは誰にもわからない。それでも、まっすぐに彼女と目を合わせ、はっきりと言葉を連ねて見せた少年の本気を感じ取れぬほど、シリカも人の想いに鈍感ではない。


「……わかった」


 曖昧な言葉を返しながら、シリカはその手をユースの頭に乗せようとする。騎士昇格したあの日は怖くなかったその手が、今は少しおっかなくて、伸ばされた手にユースがびくりと肩を跳ねさせる。


 ここ数日、悩みを抱えていたシリカにとって、その反応は胸に刺さるものがあった。しかし自らの想いを表すために伸ばしたこの手、引き下げるわけにはいかぬとシリカも、一度止めかけたその手をゆっくりとユースの頭の上に置く。


「――おかえり、ユース。よく、帰ってきてくれた」


 目を細くして伏せていたユースの目が、驚いたように開く。だって、シリカの言葉の意味する所は、誰がどう客観的に見たって、ユースの帰還を喜んでくれている言葉に他ならなかったから。


 その二人のやりとりを途中から眺めていたクロムとマグニスが、シリカの後方から歩み寄る。シリカ、と一声かけたクロムにシリカが振り返ると、そこには上機嫌な笑顔の彼がいる。


「知らなかったか? 俺、運のみに頼ったギャンブルには超弱いんだぜ」


 人差し指と中指で挟んだ一枚のコインをシリカの前に見せ、意図的にそのコインの裏面を晒すクロム。すっかり人を手玉にとった満足感を、隠さず表情に表わすクロムには、シリカもここで苦笑以外の顔を見せることが出来なかった。


「お前は、つくづく……」


「ま、そんなことよりですよ、シリカ隊長」


 シリカの苦言を遮って、マグニスがくいっと親指をある一方に向ける。その指し示す先には、居間があり、そこに意図して伝えたいほど重要な何かがあることを示唆する行動。


「今が一番、その時ですわ。逃げずに向き合いなさいな」


 マグニスに投げつけられた言葉を聞いて、シリカの表情が一瞬固まった。何事かとユースが彼女の表情をうかがうより早く、無表情の仮面をかぶったシリカが居間に向かって歩いていく。それに続いて居間に向かって歩いていくクロムは、振り返ってユースの顔を見ると、口の動きのみでこっそりと、おかえりの四文字をユースに伝えるのだった。


 玄関先に残されたユースに、まずはおかえり、と嬉しそうに告げるマグニス。ユース目線からも日頃はいい加減な面が目立つ先輩ではあっても、こうして仲間の帰宅を心から歓迎する笑顔で受け入れてくれる姿を見ると、やっぱり憎めない人だと改めて思うものだ。


「お前が戻ってきてくれるか、不安な奴も多くてよ。そのうちみんな帰ってくるから、今日は出払わず元気なその顔を見せてやれよ。絶対みんな喜ぶからさ」


 今のユースにとって、聞けて最も嬉しい言葉。そうした言葉を、再会して最速で選んでくる程には、マグニスはユースという人物をよく見てきたということだ。小さくうなずいて、仲間達との再会に前向きな期待を持ってほのかな笑みを浮かべるユースを見て、マグニスも満足げに笑う。


「また後で、お前がいなかった間の土産話も聞かせてやるよ。シリカが面白くってなー」


「シリカさんが?」


「おう。特に一昨日、クロムの旦那と俺が……」


 カキン、と、マグニスの後方から、騎士剣の鍔と鞘をぶつけて鳴らす音が響く。それに全身の鳥肌を立てたマグニスが、ぎぎぎと首を後方に回すと、殺意に近い覇気を纏ったシリカが立っていた。


「……余計なことは喋るなよ」


「あ、ハイ。何も言いませんので」


 そそくさと玄関の戸から逃げていくマグニス。二人の前で涙を堪えられなかった事実だけは何としても隠蔽しておきたかったらしく、シリカも相当久しぶりに手段を選ばぬ恫喝に出たものだ。忘れかけていた法騎士様のおっかなさを目の当たりにしたユースも、なんだか懐かしい心地である。


 はぁと息をつくシリカの右手には、小さな盾が握られていた。それはユースにとって見慣れた形で、第14小隊に身を置く前から愛用していた、自らの盾によく似た、あるいは形や大きさまで完全にほぼ同じの盾。光沢から察するに、新品のものであるのはすぐにわかること。


 何も言わず、それを持ってユースの目の前まで歩いてくるシリカ。そうしてしばらく、言葉を探しているのか顔をユースから逸らし、左手の拳で、もごもごと泳ぐ口元を隠している。アルミナに恋愛経験を尋ねられて困る時のシリカ以来、こんな表情を見たことのないユースの方が、何だか気まずい。


 やがて言うべきことを決めたのか、シリカはひと息ついてユースと向き合う。同時に、右手に持つその盾をユースに差し出してだ。


「……騎士昇格記念にと、用意していたものだ。完成までに、時間がかかったがな」


「え……」


 戸惑いながらも、その盾を受け取るユース。その盾は、今までユースが身に付けていた鉄製の盾より遙かに軽く、それでいて近くで見ると尚も確信するのだが、今日まで自分が使っていた愛用の盾と、形も厚さも大きさも寸分違わず同じものだ。


 身に付けてみろとシリカに言われて、手慣れた動きでその盾を左腕に装着するユース。新品の盾がそうとは思えぬほど、あっさりと腕に馴染み、軽さだけが目立つ。そしてこの時になってようやく、ユースはその盾の放つ神秘的な光沢が、シリカの持つ騎士剣と同じ素材で作られたものと非常によく似ていることに気付いた。


「シリカさん、まさかこれ……ミスリル製なんてことは……」


「……思っていたより、ずっと似合っているぞ」


 盾を拳の裏側でこつこつと叩くシリカは、素直になりきれないことの多い自分を抑えつけ、本音を絞り出した表情だ。言うべき事を言えてほっとしたようなシリカの眼の色は、まさしくそう形容していいものだったと言えるだろう。


「……ただ、勘違いするんじゃないぞ。いくら立派な武具を携えたところで、お前の実力が伴わなければ、宝の持ち腐れなんだからな」


 すぐさま厳しい言葉に繋げてしまう辺り、やはり生来の性根はそう簡単には治らないのか。しかし一方でこの言葉は、ユースの問いかけた言葉を暗に肯定する発言でもあった。


 親和性を持ち、一般的な金属よりも遙かに高い硬度と軟性を持つミスリル鉱。それで作られた盾が、戦う者にとってどれほど心強いものであるかなど、語るべくもあらずと言えるものだ。


「……期待はしている。立派な騎士を目指して、精進を欠かさないことだ」


「――はい! ありがとうございます!」


 満面の笑みと形容してもまだ足りない、希望いっぱいに溢れた表情でシリカに返事を返すユース。それは騎士昇格試験にようやく通った時とも僅かに違い、騎士館が自らを認めてくれた時以上に、シリカに僅かでも認められたことを喜ぶかのような表情。ユースがこんな表情を持っていたことなど、今までのシリカには知らなかったことだ。


 そしてある意味では、部下に恐れられるばかりの自分を責めていたシリカにとっても、救いとも言える姿でもあった。ユースが、自ら個人に向けてこんな表情を見せてくれたことなんて、これまで一度もなかったから。いつだって緊張感に溢れた表情で自分を見つめていたユースの新しい顔を見られたことに、思わずシリカもほっとしたような表情を浮かべてしまう。


 ラヴォアス上騎士、ナトーム聖騎士、ダイアン法騎士。いずれもかつて、シリカに厳しく接しながらも、確かな強さをその背に示し、シリカを導いてくれた先人。そんな彼らの背中を追い続け、その先に今があると信じたシリカにとっては、若くして法騎士という重すぎる地位に就いた中、厳格に部下に接する上官の姿しか見せることが出来なかった。それが法騎士たる自分のあるべき姿だと信じるしかない想いで、今までそうしてきたのだ。


 それが正しいことなのか、短絡なことであったのかは、今のシリカに答えを出せるものではない。だけど、法騎士シリカに僅かでも認められたことを心から喜び、あれほどの嬉しそうな表情を見せてくれたユースを見て、シリカは、優しき上官であるよう努めようとするのも、もしかしたら悪いものではないのかもしれないと初めて感じたのだった。











 その日は、第14小隊に帰ってきたユースとの再会に喜ぶ仲間達が、彼の帰還を祝う語らいを夜遅くまで繰り広げた。ユースが帰ってきてくれることを信じて、今日はちょっぴりお高い夕食の素材をわざわざ買ってきたアルミナ達の計らいには、ユースは自分の決断が間違っていなかったと信じることが出来たものだ。


 これだけいい仲間達に恵まれたのだ。自分の居場所はここにあり、みんながそれを認めてくれている。そう実感できた時の喜びは、言葉にするのも難しいほどに温かく、胸を満たしてくれる。


 夜遅くまで居間に集まって談笑する若者たちに場を任せ、庭の軒先で煙草を吹かすクロム。そんな彼に後ろから近づいて声をかけるのは、彼と晩酌を交わすのが好きなマグニスだ。


「旦那は、ユースが帰ってくるって思ってました?」


「思ってたよ。ユースが自分のことをよくわかっているなら、っていう前提つきだが」


 一服挟んでそう言い放つクロムは、まるで一世一代の博打に勝ったような清々しい表情だ。よほど今回ユースが第14小隊に帰ってくる決断を踏んだことに、満足していると見える。


「あいつはこの小隊にいるのが一番いいんだよ。お前だってわかってたことだろ?」


「そりゃそうでしょ。なにせシリカがいるんだから」


 直球ダイレクトに核心を突く言葉を放つマグニスを見て、クロムは夜長の近所迷惑も顧みず大声で笑った。一本笑いを取ったと見えたマグニスは、誇らしく胸を張る。


「ユースが見誤って、よその隊に属することを選んでたらどんな大損害になってたことやら。ここそこあそこにそれが波及して、ヘタすりゃ数人共倒れ、ってとこだったろうよ」


「そうっすねぇ。そういう意味では、マジで今回のユースの判断はグッジョブだわ」


「ま、結果として帰ってきたんだから、いいんだけどな。シリカが望んだとおり他の隊での経験を得た上で、あるべき場所に戻ってきたんだから、いいとこ総取りの最高の形とも言えるし」


 上機嫌なクロムが、勝者の笑みをマグニスに向ける。マグニスも、似たような表情だ。


「おかげ様で今日の酒は美味いもんになりそうっすね。旦那も一杯、いかがっすか?」


「おう、頂くわ。この空気にケチな酒持ってくるようなお前じゃねえよな?」


 ショットグラスをクロムに渡して、後ろ手に隠してあった高級酒をマグニスが見せたことで、お前はやっぱりわかってるな、と手を叩くクロム。真新しい酒瓶の蓋を開け、景気良く酒を注ぐマグニスと、その瓶を受け取って酒を注ぎ返すクロムは、いずれも乾杯後の一口が待ちきれない表情だ。


 互いのショットグラスを打ち鳴らし、同時に一気に酒を喉に注ぎ込む二人。悪しき運命をユースが退けたことによる勝利の美酒は、彼らがここ数ヵ月のうちに口にしたどんな酒よりも、快く両者の心を酔わせるのだ。


 騎士、ユーステット=クロニクスは第14小隊に戻ってきた。それも、第26中隊で今までになかった出会いに触れ、より大きくなって帰ってきたのだ。すべては元の鞘に、と言うには、ユースが成長して帰ってきた事実が正しくなく、かつてよりも彼らにとってさらに良き結果となったのが今。その一方でユースを失う未来の可能性もあっただけに、なおのことクロムとマグニスは喜ぶのだ。


「こんなオールオアナッシングな大博打打つなんて、シリカも隅に置けねえよな」


「そのくせ引きが強くて羨ましいっすわ。賭け事が得意な顔してねえくせにさ」


 振り返れば振り返るほど、いくらでも朗らかな笑いがこみ上げてくる。それだけ二人は、この結末に心から満足していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] んんーーー考えても分からん‼︎ユースが見誤って他の隊に属する事になったら何がどうなって共倒れとか、そこまでヤバいんだ⁇ 恋愛なのか⁇それとも心に傷を負って〜ってことか⁈んー分からーん! 今後…
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