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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第3章  絆を繋げる二重奏~デュエット~
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第49話  ~新天地④ あるべき自分が見えなくて~



 短期異動期間にもそろそろ終わりが近づいてきた頃、ある日の昼下がり。訓練を終えた昼食後、アルミナが孤児院に、ガンマとキャルが買い物に出かけたその時間帯、家の軒先で煙草を吹かせていた二人の青年に、シリカが近づいて声をかける。


「……クロム。マグニス」


 中身のない会話を重ねながら談笑していた二人が、思わぬ声の主にやや驚いて振り向く。昼食後にクロムとマグニスが語らう時、その輪を割いてシリカが入ってくるのは珍しいことだ。二人に用があるのなら、だいたい昼食時あたりに伝えてしまうことの方が多いから。


「どうした?」


「……いや、その……だな……」


 話しかけておきながら、シリカは口ごもる。相手の目を見て言葉を紡がない時点で彼女らしくないと即座に思ったマグニスも、シリカの真意までは読み取れないため、黙って次の言葉を待っている。


 しばらく口をもごもごさせていたシリカだったが、やがて意を決したかのように口を開く。


「……二人とも、居間に来てくれないか。試したいことがあるんだ」






「まあ、確かにお前は指導者として微妙とは言ったけれど」


 年上であるはずのシリカを、マグニスが遙か年下の子供を見るような目で眺めている。居間に自分達を招いて何を試したいのかと思ったら、わけのわからないことを言い出して。


「お前の本意は胸に響くんだ。いいから試させてくれ」


 教え手としての自らの語り口が、どうであるかを試させろとシリカが言うのだ。先日マグニスに、アルミナの方がシリカより指導者として立派だと言われたことを、未だに気にしていたらしい。


「まあ、お前がそうしたいんなら付き合うけどさ。何を話すんだよ」


「……それも今から考える。何か聞きたいことがあるなら、何でも答えるし、教える」


 振ってきた。破綻済みの企画を持ちかけられて苦笑いを浮かべるクロムだが、こんな行動に踏み出すぐらいには思い詰めているのが見えてしまうぶん、無碍にしづらい想いも沸いてしまう。クロムは常々シリカに抱いている感情だが、迷走し始めると彼女は本当に手がかかる。


「そんじゃあシリカの恋愛経験でも聞かせてくれよ。面白おかしくさ」


「お、お前な……私がそういう経験に疎いことは知ってるだろ……」


「別に実体験じゃなくってもいいよ。誰それのそういう話を聞いていいなぁと思ったとか、読んだ恋愛小説の感想とかさ。お前の恋愛観念とか、いっぺん聞いてみてえわ」


 ひひっと笑うマグニスの表情は、教師を困らせるタイプの悪ガキを彷彿とさせるそれだ。十代の頃には、間違いなく目上の大人をこうやってからかってきたに違いないとよくわかる。


「嫌なら別の話題でもいいけどな。シリカにはちょっとハードル高すぎるかもしれねえし」


 そんなマグニスの発言に、明らかにシリカが表情をむっとさせる。自身の知識、経験不足は認めていても、それを他人に指摘されるとカチンとくるというのは、よくある話。


 ましてシリカは日頃から、恋愛観念のカケラもない女だとマグニスにからかわれ続けている。これを機会に、そういったマグニスに一矢報いたいというシリカの闘志に、軽く火がついた。


「……別に私だって、そういう話が出来ないわけじゃないぞ」


「お、マジで? シリカはアルミナあたりに恋バナ振られても、けっこう敬遠してたからあんまり期待はしてなかったんだけどな」


 挑発にさくっと乗ってきたシリカを見て、扱いやすい奴だなぁとマグニスは心底感じていた。騎士としては常々目の上のタンコブだが、こうした一面をつつけばどう足掻いてもマグニスが上手だ。


「そうだな……まずは私が10歳の時に読んだ恋愛小説だが……」


 おおよそいつもの彼女の口からは語られないような話が、シリカから溢れてくる。マグニスもクロムもこの時は、案外面白い見世物が出来たなと思いつつ、この昼下がりを上機嫌で迎えていたののだった。











 短期異動期間の終了が近づくにつれ、ユースもその日を意識し始めている。当の日になれば、ユースには決断を迫られるからだ。すなわち、その日を以ってシリカの率いる第14小隊に再び戻るか、あるいはカリウス率いる第26中隊への移籍を自らの意思で選ぶのか。


 その決断の日は、2日後だ。たったあと2回、夜のベッドで身を休めればその決断の日が訪れるこの時、ユースの苦悩は最も大きく揺れ動いていた。


 この隊に来るまでは、迷う自分を想定していなかったものだ。自分にとってシリカは、かつての出会いから運命的に巡り合って上官となった人であったし、彼女の下で師事を請うここ数年に対し、苦しいこともあったけれど幸運なことであったと強く信じてきた。


 だが、カリウスと触れた今、ユースの想いは揺れている。ここ一ヶ月近く、法騎士カリウスという新たな師と接してきてわかったのは、彼が裏表なく誠実な人間であるという事実。そしてそんな彼が自分を評価して、見込みを見出してくれている事実は単純に嬉しかったし、そんな自分を彼がじっくり手ほどきしてくれた結果、今の自分が一ヶ月近く前の自分よりも前進できたことも実感できている。


 中でも大きかったのは、長く夢見ながら、魔力の扱いに対して前向きに取り組むことを許され、加えてカリウス本人がそれを進んで力を養おうとしてくれたこと。今でも完璧に、あるいは上手に魔力を生み出し盾に纏わせることが出来ると自負は出来ないが、かつてよりはかなりスムーズに、その体を為すことが出来るようになった。間違いなくこの第26中隊に来る前よりは、魔力の抽出や扱いには慣れてきた自覚があり、その力を使い過ぎることの危険性も実感できている。


 強い恩をユースは感じている。そして、そんな教えを授かるだけ授かって、何らかの形で報いることもせぬままこの第26中隊を去ることは、生真面目なユースにとっては非常に大きな抵抗を感じる判断だ。そうした想いを自然と抱けるほどには、この中隊に来てカリウスがユースに与えてくれた修練の好機と、成長の実感は、例えようもなく大きなものだった。


 一度抱いた深い迷いは、そう簡単には晴れない。だが、決断の時だけは待つこともせず、明確にいつか訪れる。2日後に控えた短期異動期間の終了日を前にして、ユースは心中渦巻く想いに脳裏を焦がしていた。






「最後にはユースが決めることだと思うけどな、俺は」


 昼食後の一室で、ユースが相談を持ちかけている相手はアイゼンだ。騎士館の居住区の一角、第26中隊に身を置いた上で騎士館に間借りする騎士達が集う区画の一室、ユースはアイゼン含む5人の騎士達と相部屋で暮らしていた。


 この一ヶ月間、騎士館に宿泊する時間が長く続いたことは、シリカの家に数年間暮らしてきたユースにとっては懐かしい経験だった。シリカの小隊に身を置く前は、ラヴォアス率いる小隊の一員として騎士館に過ごしていたし、当時もアイゼンとは相部屋だった。ほんの少しホームシックになるんじゃないかと、当初アイゼンにはからかわれていたが、別段そんなこともなかったものだ。


 同室に住む他3人の騎士とも、この数日で初対面ながらも打ち解けてきた。この部屋に住まう騎士の中では、アイゼンが一番前を走る実力のようで、それに負けずとも劣らぬユースの実力は、同室の同僚からも敬意を得るには充分だ。そうして根幹に敬意があれば、人間的に不信を抱き合わない限り、そうそう仲がこじれることも少ない。


 仮に第26中隊に身を置き続けることを選んだとしても、ユースとしてもしがらみに苛まれる可能性は低いだろう。この新天地でやっていくことに対して、大きな不安を抱く要素など無いのだ。だからこそ、新しい世界で新しいものを得るため身を移す誘惑も大きくなる。


「ユースにとって、シリカ様っていうのはそこまで特別なんだな。俺、ここ数日で第26中隊に来たユース見てて、すごく馴染んで見えてたからさ。それでも迷うんだろ?」


 胸中の深みを突かれたユースが思わず口ごもる。そう、運命的な巡り合わせだとずっと思ってきたシリカとの関係を、自分が特別視しているのは、紛れもない事実なのだ。そしてそれが、あくまで自分が一方的に考えていることであることも知っている。


 ユースにとっては、師を移すという人生のターニングポイントになり得る今回の決断。今まで自分が盲信的に重視してきた、第14小隊のユーステットを一新し、新たな師のもと、新たな仲間と共に、今まで得られなかったものを探していくという道だってあるはずなのだ。自らの思考を縛る鎖を解き、新開地を拓く最大の好機は今しかないかもしれない。


 どうしてシリカは、自分を第26中隊に短期異動することを認めた? それは彼女から見ても、自分がそうした決断をすることで、何かを得られる可能性を視野に入れてくれていたからではないか? そんな想いが、ユースの思考の中に巡り続ける。


 シリカは自分のことを数年間、よく見てくれた先生だ。自分以上に自分のことをよく知っているとユースは信じている。そんな彼女がこの道を自らに与えてくれた意味を、ユースは追求せずにはいられない。


「……俺は、ユースが移籍してくれると嬉しいけどな。同じこと考えてる奴だってこの隊に、いっぱいいるのは知ってるし」


 アイゼンの言葉を受けて、ユースはここ数日で出会い、自分のことを先輩と呼んで慕ってくれた騎士達の顔を思い返す。特にその中、バルトという名の少騎士はこの数日前、しばらくしたらユースとお別れということを、ひどく惜しむ旨をユースに直接訴えかけている。それが遠回しに、出来ればこの隊に所属し続けて欲しいと言っていた真意であることも知っている。直接的に言えなかったのは、判断を迫られる先輩に、残ってくれと明言することを遠慮してゆえのことだともわかっている。


 第14小隊でのユースの周りは、先輩ないし同期と呼べる仲間ばかり。その以前、ラヴォアス率いる小隊に属していた時なんて、落ちこぼれで年下の後輩にも気を遣っていたぐらいだ。後輩と接した機会よりも、後輩として先輩に触れた過去の方が遙かに多かった。だからこそ少騎士バルトの気持ちや、すべてを口にしきれなかった行動の意味もよくわかるのだ。


 道に迷う後輩が自らの言葉によって、光を見出した表情を見せた時の喜びは言葉では言い表せない。そんな後輩に後から追い抜かれないよう、気概新たに修練に臨めた想いもまた新鮮で、新たな出会いによって感じ取ったものは数知れぬものだった。第14小隊からこの隊に移ったことで得られたものが何であったかと問われれば、もはや挙げきれぬと答える他ないほどだ。


 たった一ヶ月でこれだけの思い出が出来たのだ。そんな彼らに、形を以って報いることもしないまま第14小隊に帰る道を、そう簡単に潔しとする不義理を、ユースの胸は唱え続ける。


「……なあ、アイゼン」


「ん?」


 ようやく口を開いたユースに、アイゼンが待っていたとばかりに次の言葉を待つ。この後もユースは次の言葉にしばらく詰まったが、その程度の間を待つことなどアイゼンにとっては苦にもならない。


「俺、さ……その……第26中隊のみんなからは……必要として貰えてるのかな……」


 そう言ってユースはすぐに、ああ違う、と、自らの言葉を撤回する。必要とかじゃなくて――いて欲しいと思ってくれてるのかな、っていうか――などと、必死に言葉を選び直すのだ。彼自身も今の想いをどう言葉にすればいいのかわからずいるのは、アイゼンにも理解できたことだ。


 何を伝えればいいのかわからなくなって、頭から煙を吹かせてうつむくユースに、自分なりに彼の言い分を汲み取って返事を作るアイゼンも大変だ。そうした時に、煩わしいとも思わず接することが出来るのが、二人が互いのことを親友と形容できる裏付けでもある。


「ユースは、第14小隊では自分が必要とされてなかったって、自分では思うのか?」


 旧知の仲というやつは、時に想像を超えて真意を見抜いてくる。顔を下げていたユースが、目を覚ましたように顔を上げた態度からも、その言葉が心中の想いに図星だったことは明らかだ。


 答えに詰まるユースにとって、第14小隊における自分の立ち位置は非常に複雑なものだった。シリカやクロムやマグニスは言わずもがな、自分よりも力も強くて快活なガンマ、後方支援においては第14小隊の要ともなりつつアルミナ、自分よりも後から第14小隊に入った身ながら当初から重要な戦力として働き続けてきたキャル。そして一番の新参でありながら、すでに自分よりも前を走って第14小隊に欠かせぬ存在となっているチータ。果たして自分が第14小隊に必要な存在なのだろうかと考えたことなど、一度や二度ではない。


 だからこそシリカ隊長は、厄介払いではないけれど、新天地で歩きだす機会を設けるために自分を第26中隊に移らせたのではないのか、という推察にだって拍車がかかる。あの人が自分のことをどう思っているかは知らないけれど、自分を良い方向に向かわせることに対して前向きであるとは、ユースだって信じたい。


 アイゼンの問いに、そうだとも違うとも答えられないユースの胸が熱く焼ける。そうじゃないと答えるだけの自信もなく、だからといってそうだと言ってしまえば、第14小隊としての騎士ユーステットを自ら否定するような気がして、魂が全力でその言葉を喉の奥に封じ込める。誰にも必要とされない人物になってしまうことなんて、騎士に限らず誰だって恐ろしいことだ。


「俺は、絶対そうは思わない。ユースが第14小隊でどんな立場にいるのかは知らないけれど、第26中隊のみんなは、少なくともお前のことを求めてるんだからさ」


 その言葉を枕代わりに、アイゼンは言葉を紡ぎ始める。自身の思考に苛まれて表情を暗くしたユースの目の前に、彼に自らの真意を伝えようと努めるアイゼンの真剣な眼差しがある。


「第26中隊のみんなが、ユースの小隊の仲間達より優秀かどうかは知らないさ。だけど俺達だって騎士として、この道を全力で歩いてきたつもりだ。そういう俺達が、ユースっていう人物をよく見てきた上で、必要だって言ってるんだぞ。お前の信頼する第14小隊の人達が、俺達でもわかるようなユースの人物像を見落として、不要な奴だって言いきるんだったら、悪いけど俺、お前の先輩達に敬意払えそうにないよ」


 まくし立てるように言葉を連ねるアイゼンの表情は、まさしく想いの丈を相手の胸まで届けるべく、全力を尽くす少年の顔。自らの瞳に映ったユースの表情が少しでも元気を取り戻すため、心の底から熱意を伝えるアイゼンから、顔を上げたユースも目を逸らせない。


「法騎士シリカ様も、第14小隊の人達も、お前がどういう奴なのかちゃんとわかってるはずだよ。そしたら絶対、お前を第14小隊に不必要な人間だなんて、思ってないはずなんだ。……お前が第14小隊の人たちを尊敬して、信頼してるなら、自分のことを必要とされてないだなんて考えるのは、間違いだと思うよ」


 その後、しばしの沈黙が生まれたのは、アイゼンが思うところを言いきったからだろうか。だとすれば、今度はそれに対して答えを返すべきユースの時間だ。ユースが一度顔を落として考え込む素振りを見せてもアイゼンが何も言わないことからも、それがアイゼンも求めていることだろう。


 やがて、決して晴れた表情ではないけれど。ユースが顔を上げてアイゼンと面を向かわせる。


「……ありがとう。俺、もう一回だけ考えてみるよ」


 力なくも、笑顔を作って返したユースに、ちょっとは元気が出たかなとアイゼンが背中を叩く。いつぞやと違ってさほど痛くない力の込め方と、日頃の彼の掌の容赦の無さを顧みれば、いかに今もアイゼンが自分に対して気遣ってくれているかを、ユースも目ではなく肌で感じ取ることが出来た。


 つくづく自分は、良き出会いに恵まれてきたのだとユースは感じたものだ。礼を言った後にアイゼンから顔を逸らして目尻を拭うユースをアイゼンが少しからかったが、時間も時間だしちょっと眠くなってきただけだと言い訳するユースを見て、アイゼンは堪え切れないような笑いを漏らすのだった。











 クロムとマグニスが、シリカに相談を持ちかけてから小一時間ほど経った頃。クロムは最初から大きく表情を変えていないが、マグニスの表情が随分変わり映えた。


 シリカなりに抱く恋愛像にはじまり、料理の作り方や、休日の過ごし方など、マグニスが問いを切り替えて、シリカから色々なことを聞きだす流れが続いていた。だが、マグニスが上機嫌だったのは最初の方だけで、時間が進むにつれて、どうにも興味を失ったような態度が目立つようになっている。質問を変えて話題を転がす頻度も高くなっていて、シリカの話す言葉の数々に対し、あくびを我慢して耳を傾けるような姿も目立ってきている。


「――そろそろガンマ達も帰ってくる頃合いだな」


 クロムがそう言ったのは、そろそろ終わりにしようという表明だ。シリカが、クロムやマグニスを除く他の小隊メンバーの前で、これをしたくないと思っていることを、クロムは汲み取っている。


「……そうだな、そろそろ終わりにしようか。二人とも、付き合ってくれてありがとう」


 両者に対して礼を述べるシリカの表情は、決して明るくない。やっと終わったか、と、こらえていたかのように体を伸ばすマグニス。そんな態度からも、彼が自分の語り口に退屈していたことぐらい、シリカだって途中からわかってしまっていたこと。


「それで、その……どうだった?」


 声の裏側に明らかなびくつきの秘められた声。マグニスにもそれは察せたものだったが、歯に衣着せぬ物言いが、特にシリカに対してはそれが常のマグニスは、一切の遠慮も無く、率直な想いを告げ返した。


「やっぱ退屈なのは否めないなぁ、お前の話は。無理に人を楽しませようとする必要はないと思うけど、ちょっと熱くなると話も突っ走り気味になって、ついていけなくなる部分もあるし」


 シリカは黙って、動かずにそれを聞いている。動かず、というのがあまりにも的確な表現で、硬直したかのように一切動かずに耳を傾ける姿は、かえって彼女の動揺を体現しているとも言える。


「やっぱりお前、喋りに向いてる方じゃないと思うぜ? 変にそういう部分を模索するより……」


「……そうだよな」


 マグニスが言い終わらぬうちにそう言って、ふいっと二人に背を向けるシリカ。その一瞬のうちに、シリカが隠しきれなかった、今までに見せたことのない表情をクロムは見逃さなかった。


 見逃さなかった上で、クロムも驚いて目を見開いたものだ。同じくその顔を見逃さなかったマグニスも、大慌てで次の言葉を探して繕う。


「い、いや、シリカ!? 別にダメだったって言ってるわけじゃないんだぞ!? アルミナやキャルのような若い奴らにとっては、面白い話だったのかもしれねえし……」


 慌てふためくマグニスに、シリカは振り返らない。その向こうでシリカがどんな表情をしているかは見えなかったが、限りなく間違いなく想定できる彼女の顔を思えば、クロムでさえ絶句する。


 振り返る直前、目元をぐしぐしと拭うシリカの後ろ姿が二人の目に映る。第14分隊と呼ばれていたこの隊が発足されて以降、長らくシリカと暮らしを共にしてきたクロムとマグニスとて、まさか自分達の前で彼女が泣く姿を見ることになろうとは、夢にも思わなかったことだ。


 振り返ったシリカの表情には日頃の凛とした活力はなく、目もとに影を落として、だけど二人をなんとか平常時の目で見据えるように努める、かえって痛々しい表情。すまない、と鼻をすすって言い放つシリカには、彼女に対して忌憚なくものを言える二人も、次の言葉に迷ってしまう。


「……何かあったか?」


 何かあったのなら話してみろ、という意図を込めたクロムの言葉に、シリカは力なくだが笑顔を返す。もう一度指先で目尻を拭う姿には、もはや法騎士としての強さを身に纏う彼女の装いは無く、クロムもマグニスも、年末にして今年最大の大事件に居合わせてしまったと感じるのだった。






 シリカはゆっくりと、ここ一ヶ月のことを話し始めた。マグニスに、指導者として至らぬと指摘を受けた後、魔法都市ダニームに一度赴いた時のこと。そこで、アカデミーで子供達に魔法を教える先生として過ごす、ある知人の授業を遠巻きながら見せて貰った時の話だ。


 教え子の子供達よりも背も低く、日頃はおどおどした態度も目立つ彼女。そんな彼女の授業に耳を傾ける子供達が、気弱な先生をからかうことだって多かった。だけどそんな子供達を咎めることもせず、困り顔を浮かべながら子供達を受け入れる彼女。気付けばいつしか、彼女の語り口に子供達が寄り添うように集まり、先生の教えに一生懸命耳を傾けている。何十人もいる子供達が一人残らず、退屈な表情をせず、ある子供は興味津々で、ある子供は真剣な顔で教えを聞き入れる。


 それを見た時、如実に感じ取ってしまうのだ。自らが導いてきたつもりだった少年少女達――ユースやアルミナ、ガンマやキャルが自分との触れ合いの中で、あんな表情を見せてくれたことがあっただろうかと。いつだって訓練のたび、あるいはそれが終わった後も、畏怖の表情で自分を見つめる彼らしか、シリカは見たことがない。戦いの心得を教える上官として、それもあるべき姿だと長く信じてきたシリカとて、その芯が揺らぐ想いに駆られることがある。


「……あれと比較して自信失ってたら、お前いくら根性正してももたねえぞ」


「先生ってのはルーネ姐さんのことだろ。あれと比較してもしょうがねえじゃん。あれは学者の中でも格別もんだし、目標にするには次元が違い過ぎるってもんだぜ」


 クロムもマグニスも、思うところは同じのようだ。ルーネの話題になった途端に、僅かにクロムの表情が曇ったが、それを表立たせまいとしたマグニスが言葉をかぶせたことで、その空気は話の流れに沿って消えていく。


 シリカだって、指導者として比較する対象に、魔法学者ルーネが高次元すぎることは頭ではわかっている。ただやはり、アルミナでさえ後輩のプロンと笑顔を交換しながら、共に力をつけていく姿を見ているだけに、日頃なら意識しないようなことも気になってしまうのだろう。それもある程度読めるだけに、マグニスは先日の自分の言は、言い過ぎたのかと少し考え込む。


 ただ、話にはもう少し続きがあって、シリカはラヴォアス上騎士率いる小隊の集う、騎士館の第1訓練場に足を運んだ時のことを話し始めた。それは、自らの姿を見た途端に表情いっぱいに恐れを満たした騎士達の表情に始まり、そんな彼らの肩の力を抜いて訓練に臨めるよう努めようとしても、生来の性分がたたってか上手くいかなかった現実。結局ユースやアルミナにいつもやっているとおり、甘んじた剣を振るうことが出来ず、彼らを叩きのめし、怖がらせるばかりの自分を盤石にしてしまった事。


 悔いているわけではないのだ。無理に愛されようと思っているわけでもない。ただ、そんな自分が人の上に立ち、導く立場でいることにシリカは、部下である彼ら彼女の未来に不安を感じたりもする。まして、良き師や、良い友人――クロムやマグニス――に出会えた幸運あってこそ今の自分があると強く信じているシリカにとって、アルミナ達にとっての上官という重要な立場に、自分が立っていることに対し、責任感を感じないわけにはいかないのだ。だから、至らぬ自分であることが他者の命運も悪い方向に導き得るかのような錯覚に陥り、自らの在り様に最上を求めがちになる。


「……まあ、何と言うか」


 すでに火をつけていた煙草を深く吸い、煙を吐き出し灰皿にその煙草を押しつけるクロム。言葉を選ぶべくしばらく間をおいていたマグニスが、言葉の続きをすべてクロムに委ねるかのように口を閉じる。


「お前はお前で、しかも言うなら、そう簡単に変われるお前じゃねえよ。目的に合わせて、無理に自分の在り方を変えていくような柔軟な生き方は、勧めねえというより諦めろと言いたい」


 クロムの言葉はある意味で、マグニス以上に直球で、かつ冷たい。それは彼なりに思う客観性に基づくものであり、嘘偽りなく真実だと信じる想いを真っ直ぐに伝える言葉。


「人間、合わねえ相手ってのは必ずいるもんだ。巡り会って暮らしを共にするようになった連中が、自分と合うか合わねえかなんて完全に運次第だよ。特にお前のように、生き方改められねえ奴はな」


 黙って聞き入るシリカは、唇をわずかに震わせている。それは怒りや悔しさによるものなどでは決してなく、突き付けられた現実から導き出されるであろう結論が、たとえどんなに現状に対して歯がゆさを覚えても、出来ることなど無いという答えに行きつくことに対する恐ろしさ。今でさえ不安でいっぱいだというのに、そんな中で何もせずに行く末を見守らねばならぬというのは、言い知れぬ危機感と焦燥感に包まれるというものである。


「幸運を願え。ただそうあるべき時だって、あるんだよ」


 立ちすくんでクロムの言葉を受け止めていたシリカ。自分の言いたいことはすべて言った、と表情で物語るクロムに、シリカも話したいことは全て話したことを示唆するように小さくうなずいた。そしてか細い声で、一言クロムにありがとうと告げると、マグニスにも同じ言葉を告げた上で、一度自室に向かって歩いていくのだった。


 居間に残される形となったクロムとマグニス。すでに新しい煙草に火をつけて一服するクロムを見やるマグニスは、自分は煙草に火もつけずに苦笑いしている。


「容赦ないっすねぇ、旦那……」


「何も特別なことは言ってねえはずだがな」


 シリカにここまで言える人物は、騎士団すべてを見ても限られている。誰よりも近くで、長くシリカを見守ってきた男が彼女に投げつけた言葉の数々の意図は、若き法騎士の胸に届くだろうか。


 短期異動期間が終わるのは二日後だ。運命の日を前にして、多くの意志が交錯する。渦中にある二人の騎士を中心に、それを見守る者達も神経を逆立てていた。

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