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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第1章  若き勇者の序奏~イントロダクション~
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第4話  ~少騎士と上騎士のお手合わせ~



 ユースは騎士団に属す身でありながら、あまり王宮に足を踏み入れる機会がない。


 まず、エレム王国の王宮は、政治に携わる王族や貴族達が日々を過ごす政館と、多くの騎士が集い日々を過ごす騎士館――いわば騎士団本部に分かれている。もちろん少騎士であるユースが、政館に足を運ぶ機会などないのは当然のことではある。


 騎士館内には騎士の住まうための宿舎もあり、多くの騎士はそこで寝泊まりをしている。月に一度、騎士館に間借りしているだけの家賃を支払う必要があり、それは月給から差し引かれるのだが、それでもエレム王国内で家を買ったり、月に一度の家賃で普通に家を借りるよりは遙かに安く済む金額だ。


 エレム王国騎士団に入隊する者には、この国出身でない者も数多い。たとえば遠方の帝国ルオスには、そこにも名高い軍があるのだが、その地に生まれた身でありながら敢えてそこを選ばず、エレム王国騎士団に入隊してきた者もいる。勿論、逆のケースだってある。


 海に近く、豊かな自然に恵まれ、頼もしい騎士団に守られたエレム王国は平穏な国だ。遠方の国にも当然違った良さがあるのだが、この国に魅力を感じ、この国を守るために戦士として生きようと決意を決めた者が少なくない。それが示す事実は、それだけエレム王国が安寧に根を張った、魅力的な国だと世界に認められているということ。先ほど挙げた大国にも勿論魅力はあるが、そこは選ぶ者の感性次第ということだ。


 傭兵上がりから、定職を求め騎士団に入った者も少なくない一方、エレム王国に近い場所に住まいを持たない者だっているのだ。だからエレム王国騎士館には、そうした騎士達のために宿舎を用意している。もっともそこへの移住が許されるのは騎士だけであるため、傭兵のままでは入居できないのだが。


 ゆえに、騎士になることで安い住居を獲得できるという実情は、定職に就く前の決して手元が豊かでない若者にとって、非常にありがたい状況だ。そうした安定した福祉性も、エレム王国騎士団に入団する者が少なくない遠因のひとつだろう。






 昔はユースも、騎士館で間借りしていた時期があった。だが、第14小隊に入隊した際、隊長シリカに招かれてシリカの家に居を移している。


 騎士館内に住居を間借りしている騎士達と違って、一日の最後に帰る先がまず騎士館でないこと。騎士団から第14小隊への指令を受け取るのは主にシリカであり、ユースが直接騎士館まで足を運び、指令を受ける事がまず無いこと。今住んでいるシリカの家には訓練場がすでに用意されているため、騎士館の訓練場に足を運ぶ機会もあまりないこと。


 シリカの家に住まうユースには、騎士館に行く理由が殆どないのだ。住んでいる場所から足を運ばずに、騎士としての責務を全部まっとう出来る仕組みになっているのだから、見方を変えれば非常に楽な暮らしはしているのだが。






「ユース、今日は久しぶりに騎士館に行ってみるか」


 時々、シリカはこうしてユースを騎士館に連れて行こうとする。騎士館にはユースと同期で入った騎士の同僚もいるし、世話になった先輩も数多くいる。たまには顔を出したいなと思うことは、確かにユースにもある。


 非番の時にも時々顔を見せには行こうと思うことはあるのだが、用もないのに戦闘訓練や任務で忙しいかもしれない同僚の時間を割かせるのも、少し気が引ける。こうしてシリカに誘って貰って足を運ぶぐらいが一番気兼ねなく顔を出せるのだ。


「たまには上騎士ラヴォアス様に揉んでもらえ。毎日訓練相手が私では退屈だろう」


 と思っていたら、こんな言葉が飛び出したりと。


 休日気分で騎士館に行くには違いないが、鍛練までお休みになるわけではないらしい。シリカの悪意のない笑顔を見て、ユースは引きつった笑顔を返すしかなかった。











 騎士館は王宮の一部であるだけあって、大きい。擁する人間の数の差から当然政館より大きいし、騎士団の増員につれて、騎士館だけを増築した過去も多い。


 騎士館内は広く取られた居住区の他に、武器や兵糧を集めた兵倉区、政館を介さずに騎士館のみで定められる騎士団内の人事や方針や指令を定める院政区、そして騎士達がその力を養うために日々訓練を重ねている鍛練区に大きく分かれている。


 騎士と言っても、使う武器はその実様々だ。騎士団入隊の際には最低限の剣術は必要とされるし、任務時の帯剣は原則として義務とされているが、状況に合わせ槍や弓、斧を扱う騎士も多くいるため、訓練の形式も様々である。擁する騎士の数のために訓練場の数そのものも多く確保されているが、訓練場の様式も鍛錬の内容に沿って様々な形式やオブジェクトを揃えている。弓の訓練をするために的があったり、特殊な地形での戦闘を想定するため足元に突起や起伏があったり、など。






 ユースやシリカは普通の騎士剣を扱うため、広く平坦で特徴のない第1訓練場あたりが一番足を運びやすい。ここが数ある訓練場の中でも、最も多くの騎士が集まる場所と位置付けられており、対人訓練をするには最も適した場所と言えるだろう。


「おお、これはシリカ様。ご無沙汰しております」


 シリカとユースが第1訓練場に足を踏み入れた瞬間、それに気付いた背の高い大男が駆け寄ってきて、敬意を口に示す。黒のタンクトップ、色褪せたアーミーパンツから溢れる筋骨隆々の肉体と、背中に背負われた大剣、鎧をはずして露出された二の腕に残る大きな傷跡が、百戦錬磨の戦士であることをわかりやすく物語る。重い甲冑に身を包んでいたとしても、戦場を平然と駆けられそうに見えるパワフルな肉体は、長身のはずのシリカが向き合ってなお、彼女が小さく見えるほどだ。


「よして下さい、ラヴォアス様。あなたにそう来られると、恐縮してしまいます」


「しかし今はあなたが法騎士様、私は上騎士。そろそろ慣れて頂きたいものです」


 困った表情を浮かべるシリカを見て、ラヴォアスと呼ばれた年老いた大男は豪快に笑った。禿頭の左右に白髪を残した頭、白い顎髭をたくわえ皺の目立ち始めた顔はそろそろ老いを感じさせるが、笑い声一つでまだまだ現役だろうなと感じさせてくれる老兵の姿は、衰えてなお頼もしく見えるシリカの元上司。


 そんなシリカの隣では、委縮するように固まっている少年が一人。


「おお、ユース、久しぶりだな。しっかり鍛練は積んでるか? サボってないだろうな?」


 シリカに向けていた柔和な表情とは少し違う、かつての部下に久しぶりに会えた嬉しさを見せるにかっとした笑顔がユースに向けられる。ユースはと言うと、蛇に睨まれた蛙のように縮こまって、小声ではいと言うぐらいしか出来なかった。


「こらこら、声が小さいぞ」


「っ、はい……!」


 シリカの重い声に引き出される形で、ようやく声が出る。その様子を見て、ラヴォアスはそれはもう大きな声で笑った。


「ガハハハ! シリカ様のもとで訓練サボれるようなガキはいねえわな!」


「い、いや、そんなことは……彼は訓練にも前向きですし、私はそこまでは……」


 お恥ずかしいところを見せてしまったシリカが少し慌てて繕う。


 "そこまでは"何なのかは知らないけど、そこまで厳しいのがうちの上官ですよと内心思ったユースだったが、それは口にはしなかった。ヘタに彼女の機嫌を損ねても何の得もないし、むしろそれが実現したら大損どころか火傷する。


「それにしても珍しいですな、シリカ様が王宮の訓練場に来られるとは。ご自宅の訓練場ばかりでは、時々飽きがきますかな?」


「たまには彼にも他の相手と訓練をさせたいと思いまして。いつも相手が私では、経験としても偏りますからね」


 その言葉の意味するところは、誰かユースの相手をしてくれる者はいないかという事。もうこの言葉が出た時点で、ユースは腹を決めねばならなかった。


「私にお任せ頂きたいですな。彼の成長ぶりを、この目で確かめたいと存じる次第です」


 ほら来た。絶対こうなると思っていた。


「よろしければ、シリカ様もこちらでご指南頂けませんか? せっかくのこの機会、シリカ様の教えをうちの部下に叩き込んで貰えればと思うのですが」


「よろしいのですか? 対人訓練の機会は私にとっても有難い話ではありますが、今はラヴォアス様の指揮のもと訓練中では?」


「シリカ様にご指南頂けるなら中断で結構です。こんな機会は次いつあるかわからない」


 シリカは訓練場の、ラヴォアスの部下と思しき男達をふっと見る。いずれも、滅多にこんな場所を訪れない法騎士様の訪問に、興味深そうにこちらを見ている。


「何を手を止めてやがる! 法騎士様はてめえらの見世物じゃねえぞ!」


 訓練場いっぱいにラヴォアスの怒声が響き渡ると、遠距離ながらラヴォアスの部下達が体をびくりとさせて訓練を再開する。この光景だけで、いかにラヴォアスが部下全員から恐れられている上官かが、一発で伝わってくる。


「まあ、あんな調子です。たまには徹底的にしごいてやって欲しいわけです」


「徹底的に、って……私はそんなに鬼上官のイメージなんですかね……」


 ユースいわく、その通りです。口には出さなかったけれど。


「わかりました。こちらこそ、この機会を下さったことに感謝します」


「恐れ入ります、シリカ様。――おーい、てめえら! 訓練は中止だ! 今から法騎士シリカ様が、てめえらと対人訓練して下さるとよ!」


 思わぬ流れに、ラヴォアスの多くの部下達が目を丸くする。騎士団内でも名の知れたシリカと剣を交える機会など、誰も想像していなかったからだ。


「……誰から、かな。私としても修練の場だ。全力でかかってきて欲しい」


 訓練場に木剣を持って足を踏み込んだシリカに、若い騎士達が我先にと手を挙げる。シリカが厳しい上官であるという噂話はある程度耳に入っている者もいただろうが、目の前にいる女騎士様との訓練というこの好機には、やはり男心がくすぐられるのか。


 ユースは小声で、知らないぞ……とつぶやかずにはいられなかった。あの男達のスケベ心が、この後恐怖に塗り変わるのは時間の問題だろうと確信しているからだ。


「よお、ユース。お前さんの考えてることはわからんでもないが、今は目の前の相手のことを考えた方がいいんじゃねえか?」


 はっとして顔を上げると、目の前には熊のような大男が立っていた。ごつい熊さんはすでに鎧を身に付けて、大剣を模した巨大な木剣を握っている。


「さっさと鎧を整えて武器を取ってこい。別に丸腰でも止めやしねえが……」


 そこまで言って目の前の大男は、殺しちまうかもしれねえぞ? と小声で囁いた。


 ユースは大慌てで訓練場の壁にかけてある皮鎧を身に付ける。そして騎士剣に近い形の木剣を右手に握り、日頃自分が愛用している小盾を左腕に装着する。


 そして大男の正面に立ち、やや引きつった声で、


「よろしくお願いします……!」


「昔よりもよっぽどいい目をするようになったなぁ、ユース! いくぜ!」


 ボロ雑巾になっても構わない覚悟は、数分後にもう整えた。


 絶対そうなるから。覚悟っていうのはそういうものだ。











 ユースは現在、少騎士という階級にある。これは騎士の中で、一番下の階級だ。


 少騎士は、3ヶ月に一度訪れる騎士昇格試験で合格すれば、ひとつ上の階級である"騎士"に昇格できる。年齢制限はなく、一定の基準さえ満たせば昇格は可能だ。


 少騎士から騎士になると、分隊の指揮官を務めることがある。分隊というのは1人から5人の人数で構成される最少人数の隊であり、ちなみに1人でも分隊とは定義できる。必然、その場合はその唯一の者が分隊の指揮官ということになるのだが、少騎士には指揮官という立場に立つことが許されていないため、言い換えれば少騎士のままでは、1人で単独の任務に就くことは出来ないということでもある。


 少騎士というのは、そういう扱いだ。騎士団から信頼されて任務を受けるような立場とはまだ言い難く、その上の騎士という立場に上がってから、ようやく一人前と見なされると思っていい。昇格試験はその実かなり厳しく、毎回多くの不合格者をはじき返しているが、それだけ少騎士と騎士の間には大きな格の差があると言えるだろう。




 騎士のひとつ上には"上騎士"という階級がある。騎士から上騎士に昇格するには試験などではなく、実務における功績の積み立てのみが条件である。もちろん、騎士でありながら目覚ましい活躍を見せることが出来れば、極端な話、騎士に昇格した翌日に上騎士になっていることも決して不可能ではない。しかしそんな実例など過去を見ても勿論少ないし、その昇格に至るためにどの程度の功績が必要かも明言はされていない。


 怠慢なく勤続していれば、5年もすれば自然と昇格出来るものであると一般には言われているが、命を懸けて臨まねばならない任務もある中で、5年の勤続と功績の積み重ねを貫くことは、言葉で語られるほどに容易いものでは決してない。上騎士になると、分隊より大きな集団、小隊の指揮官を務める資格を与えられるわけだが、その立場に至るまでに積まれた経験が、ただの騎士と一線を画すのは当然である。




 上騎士のひとつ上の階級が"高騎士"だ。これは小隊を率いるようになった指揮官としての責務や実績も含め、功績によってのみ上騎士から高騎士に昇格する。上騎士は高騎士率いる中隊の一員として、指揮官ではない兵として任務に就くことも非常に多いものの、高騎士となれば一般兵と同じ扱いで戦場に並ぶ機会はかなり少なくなる。中隊のみならず、小隊の指揮官に抜擢される数が各段に増えるからだ。


 指揮官というのは、任務の成功如何を左右すると同時に、その任務により守られる人々や町の命を左右するという、極めて重要な立場。生半可な者では到底務まらないし、上騎士である間に積み重ねた指揮官としての手腕こそ重視された末に、実績を含めて評価された者だけが到達できるのが高騎士という立場である。若くして高騎士の地位に立った者がいる例も過去にはあったが、一般的には高騎士の立場に立つ頃には、その者の年齢が20代後半を回っているのが殆どだ。それらでさえ、10代から騎士団に入団して長い年月を経た者ばかりである。


 ラヴォアス上騎士は、実績もあるし指揮官としての手腕も確かではあったが、敢えて上騎士の立場に落ち着いている。なぜなら、高騎士以上の地位に就くと、率いる人数が変わってくる上、同じ隊の指揮官でい続ける機会もやや減少する。つまり下の立場の者と接する機会が、かつてより減ってしまうのだ。騎士団としても、未熟な人材を育てるためには優秀な人物に任せたいというのが当然なのだが、昇格した人物は任務に追われる毎日になっていく側面から、優秀な者をすべて上に上げていると、下を育ててくれる優秀な人材はその数だけ欠けていく。


 ラヴォアス上騎士のように、実績とは吊り合わぬ低い地位で、求められる責務を果たしてくれる人材も必要なのだ。彼の現在の仕事は、大きな任務があった際、自分よりも階級の高い指揮官のもと強力な兵として動くことと、こうして年若い者たちの集まる小隊の隊長として日々彼らを鍛え上げることの2つが最たるものだ。だからラヴォアスよりも上の階級の者、たとえばシリカも彼に対しては、階級の垣根を超えて敬意を払い続けるわけだ。




 少騎士、騎士、上騎士と続き、この上に立つ高騎士となれば、いよいよ名も知れエレム王国の民の間でもちょっとした有名人になっている頃だ。そして、その高騎士のひとつ上の階級が、"法騎士"と呼ばれる階級である。


 ユース達が属する第14小隊隊長、シリカが持つ肩書きがこれだ。高騎士という立場に就いた者の多くが、20代半ばに至っていることを加味すれば、法騎士という地位に就くまでにどれほどの歳月と実績が本来必要とされるかは、想像に難くない。


 そしてシリカは事実として、23歳という若さでここに辿り着いている。だから王国内でもひときわ名の知れた存在となり、良くも悪くも注目の的となっているのだ。






 全然関係のない話だが、ちょうど今アルミナが、そんな話を子供達に聞かせていた。両親を亡くし、孤児院育ちのアルミナは、自分が昔お世話になっていた孤児院に時々顔を出して子供達と遊んでいる。そして今日は、騎士団に興味があると言い出した小さな男の子に、こうした騎士団の階級の話を、もっと子供向けにわかりやすい言葉を使って話していた。






 第1訓練場から遠く離れた孤児院で、アルミナがそんな話を子供達にしてあげて、お昼寝の時間を迎え子供達が寝静まったちょうどその頃、騎士館では。


「まだまだだな、ユース。随分マシにはなったが、これが魔物との実戦なら、お前100回は殺されてるぜ」


 ラヴォアス上騎士にズタボロに叩きのめされたユースが、訓練場の床にぐったりと倒れていた。上官様の、皮肉のこもったありがたいアドバイスが耳には入っているものの、返事しようにも息が絶え絶えで声も出てこない。


「立てよユース。まだ始まったばかりじゃねえか。それともてめえは後ろに守るべき人がいたとしても、立ち上がることを諦めるのか?」


 騎士はその命尽きるまで、戦うことを諦めてはいけない。たとえ未来のために、敵に背を向け逃げることがあろうとも、立ち上がることまで放棄する理由にはならない。


 ラヴォアスの暴論にさえ聞こえかねない言葉にも、首を振らずに立ち上がる者こそ、戦いから逃げないことを背中で示せるのだ。ユースは立ち上がる。ただ立ち上がるためだけに十数秒の時間がかかってしまっているけれど。


「それでいいんだ、ユース。さあ、いくぜ!」


 休む暇も与えずラヴォアスが大剣を模した木剣を振り下ろす。ユースにはあまりにも速過ぎる太刀、かわすことも出来ない、しかしまともに受けてしまえば鎖骨を砕かれ、深刻な意味で再帰不能にされてしまいかねない。この人は容赦なく、そういうことをしてくる人だ。


 ユースは今までに経験した実戦以上の決死の覚悟で、左腕に装備した盾でラヴォアスの太刀を受け止め、腰を下げて衝撃を逃がしつつ攻撃を止めた。たかが木剣から繰り出される一撃とは思えぬ重さに左腕が軋み、あまりの激痛に表情が苦痛いっぱいに歪む。裏返ったうめき声が思わず口から漏れた。


 しかし、止めることが出来た。右手に握った木剣で、敵対するラヴォアスの脇腹目がけて突きを放つ。


 ラヴォアスは大剣を模した木剣を軽々と扱って、あっさりとユースの突きを払った。渾身の突きをいなされたユースは体勢を崩した上、それを整える間もなく、前のめりになったそのままで、腹部をラヴォアスの巨大な膝に蹴り上げられる。


 声にならない悲鳴が喉の奥から溢れ、体の浮いた一瞬が数秒にすら感じた。そして地面に崩れ落ちるより早く、ラヴォアスの木剣がユースの背中に振り下ろされ、ユースは腹から勢いよく訓練場の床に叩きつけられる。


「生きてるか? 死んでたら返事しろよ」


 ユースはもう、指一本動かすことも出来なかった。今の一連の致命傷を受ける前にも全身に受けたダメージのせいで、手足も全然動かないし、身動きひとつ取れない中で肺を潰されて呼吸を封じられた苦しみは、永遠の地獄のようにさえ感じた。


「返事がないってことは生きてるな? じゃあ立て」


 無理です。


 さすがに心の折れたユースは心の中でそれだけ明確にはっきりと返答し、尽きた肺の中の空気と一緒に意識を失った。






 ラヴォアス上騎士は、シリカが正式に騎士となる前の見習い騎士だった頃、彼女に白兵戦のいろはを余すことなく叩き込んだ人物だ。要するにシリカは、ラヴォアス上騎士にしごかれて育ったのである。


 この親ありにしてあの子あり。そういう認識でだいたい合っている。

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