第39話 ~プラタ鉱山③ いかに希望を見出すか~
「開門、火球魔法……!」
雨が激しくなってきたこの気候の中で火球を放ち、眼前に迫ってきた屍の魔物、デッドプリズナーを焼き払うチータ。元より魔力で発生させて固定した炎は雨に晒されても簡単に鎮火することなく、魔物を炎で包みこみ、やがてデッドプリズナーはチータに触れるより先に崩れ落ちて動かなくなる。
「くそ……! どこが本核だか探すだけでめんどくせぇ……!」
大斧で数々のデッドプリズナーをなぎ払い続けるガンマは、一見快進撃と見えるその勇猛ぶりとは裏腹に、苛立ちをあらわにしていた。たとえば胴体や首を切断すればその時点で絶命させられる人間や魔物の敵とは違い、こうした魔物達にとどめを刺す方法は異なってくる。
ガンマが斧でぶん殴ってバラバラになったデッドプリズナーの肉体は、吹き飛ばされて一度地面に転がる。しかし、その残骸の数々はまだ動きを止めない。ある残骸のうち手だけがその部分だけで跳ねて騎士達に襲いかかったり、肋骨だけが這うように地面を走ってその鋭利な骨の先で騎士の一人に噛みつこうとしてくるのだ。騎士達もガンマも、とどめを刺すのが難しいデッドプリズナーの集団と雨の中連戦することには、著しく体力を奪われている。
人間は、心臓や脳を破壊されれば死に到るのが通説だ。魔物の親玉によって屍に命を吹き込まれた目の前の魔物達は、急所がその常識と著しく離れている。肉体のどこかに宿る、魔物の親玉によって仕込まれた本核を破壊しない限り、活動を停止しないのだ。
「開門、火球魔法……!」
舌打ちをしながらデッドプリズナーを焼き払うチータの戦い方は、デッドプリズナーの動きを確実に止める方法としては最も有力だ。こうして屍人の全身を焼き払い破壊すれば、体内どこに屍兵創造者の魔力が流れていようが、その源を肉体と分離、あるいは破壊することが出来る。そうすればデッドプリズナーは活動をやめてくれるのだから。
「ちっくしょー! 無駄打ち多すぎて嫌になるぜ!」
あるデッドプリズナーの胴元を切り裂くガンマの手前、切断されたデッドプリズナーの上半身は地面に転がって動かなくなるが、腰より下の下半身だけが前進しガンマに蹴りを放ってくる。この攻撃そのものは後方に跳ねて回避するガンマだが、このデッドプリズナーの"本体"は下半身のどこかにあるというわけだ。
下半身だけで活動するデッドプリズナーの右膝を、遠方から矢で射抜くキャル。撃ち抜かれたその脚が脆過ぎる肉体ゆえにあっさり崩れ落ちるが、残った左足はその一本だけになっても倒れずに、跳ねてガンマに襲いかかってくる。もはや足だけが体当たりを仕掛けるような動きだ。
「そん中に本核か……!」
自らに襲いかかるデッドプリズナーの脚をガンマが斧で叩き折ると、ようやくその足が粉砕されて動かなくなる。ここまでしてやっとこの魔物の討伐は完遂、そんな面倒な魔物が次々と襲いかかってくるのだ。冬も近く気温も低い中で雨に晒される騎士達、ならびに第14小隊のガンマやキャルの表情にも、疲労の色がうかがえ始めてきた。
そんな中、その空間に駆けつけた数人の救援。ガンマに襲いかかろうと鈍い走りを始めていたデッドプリズナーの一匹を、剣を握った少年騎士が右肩から腰の左にかけてをばっさりと両断した。
「ユース……!」
「気をつけて……! どちらかはまだ動くよ……!」
ユースの援軍に希望を見出したガンマと、離れた場所でキャルが叫んだとおり、切断して地面に落ちたはずの、左腕と頭だけになった部分が手で地面を押して跳ね、ユースに向かって飛びかかってくる。
直後そのデッドプリズナーを頭部を、ユースの背を追い越したアルミナの銃弾が撃ち抜く。吹き飛ばされたデッドプリズナーだったが、地面に転がってなお動きだし、這うようにユースに近付いてくる。
アイゼンがそのデッドプリズナーの左腕の肘に剣を振り下ろし、切断する。手は動かなくなり、銃弾で撃ち抜かれてボロボロに崩れかけた頭を持つ胸部だけが、びくびくとうごめいている。手の方にも本体が無いなら、ここが本体だ。アイゼンがその胸部を剣で両断し、この一匹は討伐を果たされた。
シリカとクロム、マグニスを除く全員がここに集結する形で第14小隊は気を引き締めるものの、遠方から迫り来るデッドプリズナー達は後を絶たない。周囲に立つ騎士達も、ガンマ達に負けず劣らず数々のデッドプリズナーを討伐しているが、実力に見合わず景気良く魔物を討伐できずにいた。
「くそ……一匹一匹片付けていくしかないのか……!?」
アイゼンが苦境を口にする横で黙々とデッドプリズナーと戦い続けるユースも、心中では同じような想いだった。この戦場にいる誰もが、不安と焦燥感に駆られて戦い続けている。
しかし、そんな彼らをさらに追い詰める敵が、上空からその口を動かして魔法を詠唱していた。
「電撃球体」
突如、上空から放たれた光り輝く球体。アイゼンを狙い澄まされたその球体は当人が気付かぬまま、まっすぐにアイゼンに迫る。遠方よりそれを見届けていたキャルが、咄嗟に弓を構えて矢を放ち、横入りする形で光り輝く球体を射抜いた。
手鞠ほどの大きさのその球体に矢が直撃した瞬間、球体が激しい光と火花、轟音を放って爆発する。雷撃の凝縮体であるその電撃魔法の一撃は、魔力を纏ったキャルの矢を対象物として炸裂し、気付いたアイゼンが見上げる頃には既に火花と変わって消えた後だった。
「ふざけた不意打ちね……!」
上空に浮かぶ魔法使いを、すかさずアルミナがその銃で撃ち抜く。道化の姿をした人間のようなその魔物は喉元を撃ち抜かれ、ふよふよと空中を漂っていた体勢を崩し、ぐらりと落ちてくる。
親友を狙い撃った魔物に怒り心頭のユースが跳躍し、魔物が地面に辿り着くよりも速くその腹部に剣を突き立て、力を込めて胴体を切断する。魔物はこの瞬間に絶命し、地面に転がり灰のようになって雨に流れて消えていく。
前方からユース達に迫るデッドプリズナーに混ざって、それらは進軍してきた。二又別れの三角帽子に、縞模様のピエロを思わせる服装、その肉体が空中に浮かび魔力を匂わせるその風貌は、多種の魔法を使う魔物として名高い、ジェスターと呼ばれる魔物。デッドプリズナー達の親玉と知られるマーディスの遺産が、好んで使役する魔物の筆頭である。
死を恐れぬ屍兵の数々に加え、魔法を使いこなす魔物の増援に、騎士団の面々の精神が追い詰められる。疲弊し始めたところへの難題の追い討ちは人の心に絶望の影を落とし、戦意を削ぐ如実な毒となり襲いかかるのだ。戦場を放棄して逃亡するような者はこの場にいなかったものの、反面誰もが心に抱く不安を膨らませて前に進むしかない心持ち。精神的な負担は大きくなる。
戦場を取り巻くそんな空気を正しく見定めチータが、意を決してある魔法の詠唱に入る。魔法を扱い魔力に敏感なキャルがふっとその気配に気付きかけた頃には、チータは体内に巡る魔力を解放し、今にもその魔法を放とうとしていたところだった。
「開門! 落雷……」
その詠唱を言い終わる直前、チータを追い抜き魔物達へ真っ直ぐに駆けて行く瞬迅の影。その存在がチータの集中力と詠唱を妨げた結果になったが、チータの魔法が火を吹くことと同じだけの意味合いを以って、その影はやがて戦場に活力をもたらすこととなる。
二本の剣を持ったその影が、二匹並んで駆け寄って来るデッドプリズナーに接近した瞬間、その剣を振るいデッドプリズナーをバラバラにする。目にも止まらぬ剣捌きに、魔物ジェスター達のみならずユース達騎士団の人間もその目を見張り、場の空気が一瞬硬直する。
その人物が何者かを悟った騎士達の表情に勇気が満ちてくる。"両剣のカリウス"と名高いその人物は、今しがた遠方で数匹のガーゴイルを討伐し、敵のひしめくこの場で戦う部下達の支えとなるべく駆け付けた、まさに騎士団にとってはこの上ない増援。
「すまない、遅くなった。君達には苦しい戦いを強いる形になってしまったね」
カリウスは落ち着いた口調のまま、しかしその胸に宿る騎士の熱い魂を体現するかのように、稲妻の如く駆けだして、また一匹のデッドプリズナーに接近する。そしてその動きに対応しきれない愚鈍な屍兵を為すがままに切り裂いて、本来あるべき動かぬ屍に変えて見せた。
一騎当千の戦士の背中が目の前にあるだけで、騎士達は曇天模様になぞらえたような表情を一変させ、血気盛んに雄叫びをあげて魔物達に突進する。たった一人の有力な駒が増えただけで自身が何か変わったわけでなくとも、希望と活力を以って前進できるだけで騎士達の動きは鋭さを増す。士気とはそれだけ重要なのだ。
奮起する敵の動きを抑えつけようと、ジェスター達が上空から電撃球体の数々を放ち、デッドプリズナー達も騎士に立ち向かう。魔物の爪先を、魔法による火花を、痛みを以って受けながらも、闘志を胸に走る騎士達は止まらない。戦況は一変しつつある。膝をつき、倒れる騎士もいたものの、押し返されつつあった騎士団の手元の流れが、徐々に前向きな風へと変わりつつあった。
事態を重く見たジェスターの一匹が、不意にその指を口にくわえ、この場いっぱいに響き渡る音を演じる指笛を鳴らした。数々の騎士がそれを視界に入れた直後、アルミナの銃弾がそのジェスターの脳天を撃ち抜いたが、当のジェスターはにやりと悪意に満ちた笑みを浮かべた後、宙に浮かばせていた肉体を地面に落として絶命し、消えていく。
構うものかとカリウス率いる騎士団が前進を重ねようとした時、それは起こった。前の遠方から騎士団の心まで響くような、地響きを思わせる足音。その音を聞いた騎士達が一瞬気を取られた頃、音の正体を知るジェスター達は空中でにやにやと笑っている。
状況の変遷を意にも介さず騎士達に襲いかかるデッドプリズナー達と交戦しながらも、騎士団の面々は僅かな不安を抱かずにはいられない。カリウスという軸を持つこの戦場において、正体も見えぬ足音らしき音は、集中力を極端に乱す要素ではなかったが、やがてその音が近づくように大きくなるに連れて、騎士達の不安は大きくなる。
デッドプリズナー達の討伐が概ね済んだかと言えるほどには、次々と前方から沸いて出てきた屍兵の増軍がやみ始めた頃のことだ。デッドプリズナー達の代わりに現れたその巨体は、騎士団の多くの者達の表情を凍らせた。
「う、嘘でしょ……? こんな奴まで……」
「……さっきの音は、こいつを呼ぶためのものだったか」
アルミナが愕然とする前方で、冷静に状況を整理するカリウス。その眼前に立ちはだかる形で現れたのは、三匹のサイクロプスだった。二階建ての建物の天井まで届くような長身を持ち、岩石の肉体に単眼を持つ怪物が三匹も目の前にいる威圧感は、カリウスを除くどの騎士もかつて経験したことのない凄味。目の前の光景だけで、果たして自分はこれに立ち向かって生きて帰れるのだろうかと、根拠もなく戦慄を覚えるには充分だ。
五匹のジェスターはサイクロプスの頭の上へ位置を移し、うすら笑いを浮かべて騎士達を見下す。自分達の屈強な味方に、打ち勝てるものならかかってきてみな、という挑戦的な表情は、強い味方をそばに置く魔物の優越感を如実に表わしていると言えただろう。
一匹のサイクロプスの単眼が、光弾を放つ。身をすくませていた騎士の一人に向けられたその攻撃に、当の騎士は正しく反応することが出来ず、思わず騎士剣でそれを防ごうと剣を上げた瞬間、騎士剣にぶつかった光弾は爆裂し、その騎士は悲鳴とともに後方に吹き飛ばされる。
コブレ廃坑でサイクロプスを一度目にしたユースもアルミナも、この存在の恐ろしさは知っている。あの時はシリカがサイクロプスを討伐してくれたものの、シリカがいないこの場でこの敵を相手取らなくてはならない現実は、努めねば勇気を奮い立たせられぬ苦境。
誰もが似たような想いに表情を強張らせる中、敵の討伐方法を思索していたカリウスよりも遙かに早く、敵に向かって一直線に向かう者がいた。大斧を手にしたその少年はサイクロプスに接近し、その太い足に向かってその斧を振り下ろした。
岩石で構成されたサイクロプスの大脚を、ガンマの巨大な斧が打ち砕く。人間如きにここまでの攻撃力を想定などしていなかった当のサイクロプスは体勢を崩し、ぐらつく。そしてその単眼が、自らの肉体を砕いた憎き人間を見定めたその瞬間、勇気を振り絞った文字通りの第二の矢が、戦場を駆け抜けた。
キャルの放った一閃の矢が、ガンマに意識を傾けたサイクロプスの単眼を的確に貫いたのだ。急所に風穴を開けられたサイクロプスはその両手で単眼のあった場所を覆って悶絶し、激しく動くその巨体に慌ててガンマが飛び退いた直後、やがてかつてユース達が見たサイクロプスの活動停止の直前の如く、ゆっくりとその動きを鈍らせていく。
「電撃球体……!」
「開門!! 封魔障壁!!」
五匹のジェスターが、不届きな人間と見定めたガンマに向かって同時に電撃の球体を放った。同時に詠唱を済ませていたチータが、ガンマに迫る電撃球体とガンマの間に大きな亀裂を発生させ、亀裂の開いた大口に電撃球体が呑み込まれて消えていく。
「ガンマ、離れろ! 抑えきれない!」
ジェスターの放った魔物五匹分の魔力を吸い込んだ亀裂がぶるぶると震えている。叫んだチータの声に倣うまま、上空で電撃の球体を吸い込んだ亀裂から離れるガンマだったが、直後亀裂から強い光が放たれ、魔物五匹分の魔力が爆発を起こして亀裂を崩壊させた。
「勝てる勝負だ。物怖じするべきような局面じゃない」
そう言い放つチータの姿に、法騎士も顔負けだなと苦笑を浮かべるカリウス。サイクロプス達の登場で傷を負いかけていた騎士達の士気に、発破をかけるには的確な言葉を放つチータの姿は、勢いを取り戻そうと思惑を巡らせていたカリウスの望んだことを、まさしくわかりやすい形で実現してくれるものだった。
そしてチータの意志を受け取ったかのように、騎士剣を握った二人の少年が前方に駆けだす。岩石巨人のサイクロプスに接近するや否や、跳躍して真っ直ぐにその単眼に向かう一見無謀な姿は、後方に立つ仲間を信頼した上での行動だ。
単眼に迫るユースとアイゼンをその腕で迎撃しようとしたサイクロプスをそうさせなかったのは、後方からアルミナとキャルが彼らよりも早く、当の単眼目がけて銃弾と矢を放っていたからだ。先程一匹の仲間が単眼を貫かれた事実に警戒心を解けないサイクロプスは、その腕で目を庇い、ユースとアイゼンはそれを見越したかのようにサイクロプスの腕に跳び乗る。
そのままさらに足場を蹴飛ばし、それぞれが向かう先は空中のジェスター。サイクロプスに無謀な攻撃を浴びせようとしている愚かな人間だとしか二人を認識していなかったジェスター達は、その動きに完全に虚を突かれ、ユースの剣が一匹のジェスターの首を刎ね、アイゼンの剣が一匹のジェスターの胸元を貫いた。
攻撃を完遂した二人の騎士をジェスター達が電撃球体で狙い撃つものの、先ほどの攻撃パターンを頭に入れている二人は、着地してすぐ、地を蹴って移動する。地面にぶつかった雷撃の球体は爆散し、激しい砂埃をまき上げるものの、騎士の体に傷一つつけられない結果に終わる。
二人を狙って腕を振り下ろすサイクロプスの単調な攻撃を避け、ユースとアイゼンはサイクロプスやジェスターを挟んで、カリウス達と反対側に立つ形になる。敵は残り五匹。二匹のサイクロプスと三匹のジェスターを、数に偏りはあるものの挟み撃ちの形にすることが出来た。
「――第26中隊は敵の左方へ! 第10小隊は敵の右方へ回れ!」
戦術の心得を正しく知るものなら誰でも思いつくような最善策を指示するカリウスの心中にあったのは、もはや勝利の確信以外の何者でもなかった。あの騎士達の曇った空気を打破し、これだけの状況を各自の判断による行動で作りだした優秀な部下を率いる指揮官が、どうして敗北を思い浮かべられるというものだろうか。
サイクロプスを取り囲む騎士団の動きに、心強い味方を持ったはずのジェスター達の方が、当惑と焦りを表情に浮かべている。完全に形勢が逆転した空気が雨の中の山岳に漂う中で、今か今かと指揮官の指示を待つ騎士達が、第14小隊の面々が、武器を構えている。
直後、法騎士カリウスの号令と共に騎士達が眼前の魔物に向かって一斉に飛びかかる。人を超えた圧倒的なパワーを持つサイクロプスは、巨体を振り回して迎え討つものの、その強大ささえ、今のエレム王国騎士団の心を挫く要素にはなり得なかった。
敵は素早く、鋭い突きと高い腕力で以って攻めてくる。魔物ケンタウルスの勢いのある突進から繰り出される槍の一突きは、その的確さも手伝って、剣ではじいても手元に強い震動を残していく。
槍の一撃をはじくと同時に、はじいた方向とは逆に向けて自身も跳ねて、シリカはケンタウルスの突撃を回避する。さもなければ武器をかわしたところで、突進するケンタウルスの前足が自らを蹴飛ばして、絶大なダメージを与えてくるからだ。
踵を返してシリカに迫るケンタウルスの槍の突きの数々は、長いリーチも手伝ってシリカに防戦一方を強いてくる。馬の首元に等しい高所から次々と繰り出される槍の刺突は重く、加えて狙いも的確で、剣で捌くのも一回一回が命懸けだ。
シリカの頭に真っ先に浮かんでいる必勝法。この槍の攻撃をかわして接近し、奴の馬の脚を一本断ち切れば、それで勝利はぐっと近付く。それが叶わないのは、巧みにそれをさせぬよう計算されたケンタウルスの槍捌きであり、まるで人間の手練を相手取っているかのような賢い武器の扱いに、シリカもその勝ち筋をなかなか形にすることが出来ない。
しかし、いつまでも攻めあぐねて体力を費やすわけにもいかない。ここから先も、まだまだシリカは強敵達と戦いを強いられる見込みが強いのだ。早期決着を決意したシリカは一度後方に跳ね退き、剣を構える。次に敵が自らに接近した時に一瞬で勝負を決めるというシリカの意志は、対峙するケンタウルスにもはっきりと伝わり、士魂を持つ魔物の殺意もまた燃え上がる。
ケンタウルスの猛然たる突進がシリカに迫る。突きか、薙ぎか、相手の出方を考え得る限り想定するシリカに向けられたケンタウルスの攻撃は、ここまでに何度も突きを放ってきた攻撃パターンとは異なって、シリカの首元を狙った槍の横薙ぎだった。
前方に跳躍してそれをかわすシリカは、ケンタウルスの顔面を切り裂くべくその剣を振るう。しゃがんで回避などしていれば自らの足に蹴られるだけ、ならば跳躍で攻防一体の動きを取るだろうと予見していたケンタウルスは、その手に握った盾でシリカの剣撃をはじき返してみせる。
剣が盾にぶつかった瞬間、人を超えたケンタウルスの剛腕の押し返しがシリカを強く跳ね飛ばす。不安定な体勢のまま地面に向かうシリカを狙うケンタウルスの槍の突きは、着地と同時にシリカの体を貫くには充分の速さだった。
しかし傾いた姿勢のまま地面に足を着けたはずのシリカは、ケンタウルスの予想を上回り、地を蹴ってまっすぐにケンタウルスに向かった。あんな体勢から着地と同時に望む動きをとれる人間をこれまでに見たことのなかったケンタウルスは、その突きをシリカの首の横をかすめさせるだけに終えさせる。直後、槍とすれ違うシリカの握る剣が、ケンタウルスの右前脚を素早く切断した。
重い肉体を支える四本の足の一本を失ったケンタウルスが、その体勢を崩さない方が不自然だ。それでも即座に体のバランスを整え、槍と盾を構え直したケンタウルスのボディコントロールは見事なものであったが、再び地を蹴ってケンタウロスの後方から迫るシリカの速さには敵わなかった。ケンタウルスがその首を後方に向けてシリカを視界に入れたその瞬間には、シリカの騎士剣が、ケンタウルスの額から後頭部にかけてを削ぎ落とすように切り裂いていた。
頭部の大半を失ったケンタウルスは、足を失ったことも手伝って、その場に力無く倒れた。とどめを刺すために近付くことも、これだけの実力を持つ魔物相手には危険な行為でしかないとわかっているシリカは、わずかに距離を取ってケンタウルスを見計っている。
自らの死を受け入れたケンタウルスの目は、敵に敗れた悔しさに満ちたものではなかった。むしろ自らを破ったシリカに、この程度で満足なのかと言わんばかりの、挑戦的な眼差しを向けている。明らかに単なる強がりではない気質を纏ったその目に、シリカは目の前のケンタウルスのみならず、この戦場を取り巻く不穏な空気に、警戒心を強く保ったままでしかいられない。
ケンタウルスが事切れたかのようにその眼球をぐるりと転がした瞬間、それは起こった。後方から感じられた濃厚な殺意に、思わず横に跳ぶシリカ。直後、つい先ほどまでシリカがいた地面を強烈な風が抉り起こし、その先にいたケンタウルスの肉体を巻き込んで走り抜けていく。
屈強なケンタウルスの肉体が風の刃にずたずたに切り裂かれる様を視界に入れながらも、すぐさま振り返ったシリカの目に飛び込んできたのは、空中に漂う一匹の魔物。それは悪魔を模した魔物ガーゴイルに良く似た姿ながら、ガーゴイルよりも一回り大きな肉体と、二回りほど大きな巨大な翼を持つ、深い緑色の肉体を持つ魔物の姿だった。
「ケンタウルスを容易く葬り去るとはな。あと少し早くこの場に辿り着き、二人がかりで貴様を葬れなかったことを惜しく感じるよ」
翼をはためかせて腕を組み、流暢に人の言葉を話すその魔物もまた、シリカにとっては初めて目にする魔物。しかしその存在は、騎士団に属し、恐れるべき魔物の名を網羅したシリカにとって、その名を忘れるはずもない凶悪な魔物。
奇術と高い身体能力を武器に戦う脅威の魔物ガーゴイルの、さらに上位種にあたるその魔物。ネビロスと呼ばれるその魔物は、ガーゴイルを上回る力と速さ、魔力を武器として多くの人々を、騎士を、町を破壊してきた歴史を持つ存在である。
「悪いが遊んでやるほど寛容な想いにはなれんな。貴様のような強き人間は、生かしておけぬ」
両掌を合わせ、その間に距離を作る上空のネビロス。その掌と掌の間に膨大な魔力が渦巻いていることは、魔導士ではないシリカにもひしひしと伝わる。それだけ濃密な魔力だ。
「く……!」
「旋風砲撃!!」
直後ネビロスの手から、太い風の渦がシリカ目がけて真っ直ぐに襲いかかる。凄まじい速度で迫るその攻撃をあわやの所で回避するシリカだが、次の瞬間、ネビロスが上空からその腕を振り下ろして猛襲する。
鋭い爪による攻撃を剣ではじいて、即座に返す刃でネビロスの腹部に向けて剣を薙ぐシリカ。しかし足の爪でその攻撃をはじき返すと、再びネビロスは上空へと帰っていく。正面から対峙したならば、シリカより頭四つぶん大きな体躯を持つ大柄な魔物が、空中で翼をはためかせてシリカを見下ろしている。
木々も天井も無いこの山岳において、空の空間は無尽蔵に広い。その領域の支配権を持つネビロスの位置取りは、考えるまでもなくシリカの攻撃範囲外。その上で、強力かつ遠隔的な攻撃法を持つネビロスが、油断も慢心もない目でシリカを見下ろす姿には、シリカもその目を危機感に染める。
まず、どうやって敵にこの刃を届かせる? 空中にいる敵に、どのようにして抗えばいい?
「行くぞ、人間!! 旋風砲撃!!」
考えの纏まらぬうちにネビロスの放つ、地面を抉りながら走る風の一撃。直撃すれば全身を粉砕されることが容易に想像できる恐るべき技を、決死の想いで跳躍して回避するシリカ。
知識からでは対処法を導き出せない、制空権を持つ魔物との対決。第14小隊の仲間達から孤立した法騎士シリカに降りかかる危機は、紛れもなく過去最大の試練と呼べるものだった。




