第3話 ~護送任務の帰り道~
ナクレウスの村に着いたのは日暮れ前だった。それなりに距離のある旅路だったが、何事もなくその輸送は完遂された。野盗に襲われるかもしれないという危惧は、結局杞憂だったわけだ。
ナクレウスの村の商人と荷馬車の御者が商談を交わす横で、また別の商人が自警団のリーダーであるアーティスに感謝とねぎらいの言葉を連ねている。また別の商人も近付いてきて、騎士様に頭を下げている。
「私はあくまで傭兵なので……あまりかしこまって頂かなくていいですよ」
こう返せるアルミナは気が楽だ。頭を下げられたらこう言っておくだけで謙虚には振る舞えるから。少騎士のユースの方が、商人に厚い感謝の言葉を述べられて、返答に困っている。
騎士という立場は難しいのだ。傲慢な態度でいるのもよろしくないし、あまりに頼りない姿を見せてしまうのも、騎士として同僚の顔が立たない。
「彼はまだ若輩者でして。あまり堅いお言葉で感謝を申されると恐縮してしまうのですよ」
こうしたユースの気持ちは、かつて少騎士の立場も経験しているシリカにもよくわかっている。返事に迷うユースの代わりに、上官として当たり障りのない回答を示した。
「そうでしたか。とはいえ将来有望な風格を持った部下をお持ちのようで、不肖の使い走りを持つ身としては――」
商人の口からは世渡りに慣れた言葉がスムーズに流れ、一方でシリカの配慮を読み取った商人の話す先が、シリカに転換されている。助け舟を出して貰った形になったユースにとっては、これこそ対話のお勉強の機会そのものだ。
騎士として求められるのは強さのみにあらず、頼れる背中と民に愛され見習われるべき生き様。シリカに教えられたその言葉を、何度も反芻した毎日があっても、19歳のユースが結果を出すには少々若過ぎた。
やがて商談がまとまり、御者を乗せた馬車がナクレウスの村の商会に向けて歩を進めていく。御者は無事村に着いた時にシリカ達に告げた礼とは別に、もう一度振り返り騎士様達に会釈した。シリカも笑顔を返す。
アーティスはトネムの都を出発した時に預かっていた、護送に対する礼金をシリカ達に渡して、もう一度感謝の言葉を述べる。この礼金の一部が後にエレム王国への報酬として入り、やがては給料としてシリカ達に還元されるのだ。
全額がそうでないのは、傭兵のアルミナがこの任務に携わっているからだ。今回受け取った報酬の一部は一定の基準に基づいて、この時点でアルミナに支払われる。月に一回の給料を受け取る形でない傭兵のアルミナは、こうして給金を受け取るのだ。第14小隊という騎士団に属する形ではあれど、傭兵という立場はこう扱われる。
多くの任務に関われば、低い階級の騎士より余程大きい月給を得られるのが傭兵。一方で任務に恵まれなければ、食いっぱぐれるリスクもある。そこは実力次第。騎士団に属しながらあえて傭兵の立場を貫く者も、存外少なくはない。
「アーティス氏は、しばらくここに滞在されるのですか?」
「ええ、若い衆達にゃ仕事ばかりでも何ですし、少しはこのついでにナクレウスの村で遊ばせてやりますよ。故郷にばかり籠っていちゃあ勉強不足になるのは目に見えてますからね」
ふむ、とシリカが漏らしたのを見て、ユースとアルミナはシリカに注目する。もしかしたら社会勉強の一貫として、少しこの村でゆっくりしようだとか言いだしてくれるかもしれない。
エレム王都から他の地に行く機会は概ね限られているのだ。任務がなければ訓練漬けの毎日だし、たまにはよその地で色々見回ってみたい想いはある。
「法騎士シリカ様もどうですかね? うちの男どもも、騎士様に何かしらのご指南を受けられればいい勉強になるんですが。勿論、勉強代は払いますし」
無言でアーティスを応援するユースとアルミナ。
「せっかくのお申し出ですが、流石にそうもいかないのですよ。すみません」
概ね予想どおりの回答に、アーティスは冗談ですよと言わんばかりに笑った。
概ね予想どおりの態度に、冗談を受け止めたシリカはくすりと笑う。
概ね予想どおりの結果に、ユースとアルミナは肩を落とした。
「よし、帰ろうか、二人とも」
アーティスとの話にも一区切りつけ、シリカは二人を見返す。帰ったら訓練だぞ、という省略されたメッセージがばっちり頭の中に響いた二人は、隊長への背筋を伸ばした返答とは裏腹に、内心溜息をついていた。
ナクレウスの村からの帰り道はやや上り坂が多い。馬が疲れることを加味し、日が沈みかけている一方で、ゆっくりとした旅路になる。
行きの時と同じくシリカとアルミナは同じ馬に乗っているが、流石に1頭の馬に3人乗るのは何なので、帰りはユースが一人で馬に乗っている。トネムの自警団から1頭借りて、乗馬の練習がてらこうする形を取ったのだ。
時々、敢えてシリカは自分の乗る馬のペースを変えている。それを見たユースは隊長の動きに合わせて手綱を引くことを求められる。帰り道もお勉強だ。
「その引き手では、騎士昇格試験の乗馬の試験に通らないぞ。本気で騎士を目指すつもりなら、もっと神経を使え」
「すいません……ええと……」
少騎士たるユースが、一つ上の階級である"騎士"に昇格するには、そうした試験を受ける必要があるのだ。その試験には乗馬の腕を問う試験もあるため、手綱を引くユースの腕を磨く機会を、シリカはこうして設けるというわけである。
シリカの馬の減速に合わせられず、ユースの馬がシリカの馬より前に出るたびに、シリカの表情が悩ましく歪む。上官の前に出ること自体にへそを曲げているのではなく、長らく指導しているにも関わらず、ユースは乗馬の腕前だけはなかなか上達しないからだ。剣の道はともかく、これに関しては本当に向き不向きの壁があるんだなとシリカも参っている。
そうしたシリカの表情を見るにつけ、焦るユースの手綱を握る手に力が入る。馬は生き物だ。完全に操ることは理屈だけでは難しい。しかし、いざ肝心な時に馬を操りきれず、万全のはたらきが出来ないとなれば、それは言い訳にしかならない。シリカは言葉にしなかったが、乗馬をこなせないままのユースを、別にそれはいいよと甘く認めるわけにはいかない所以はそういう所にある。
まあ、乗馬の試験そのものはそこまで厳密な動きを求められはしないのだが。現役騎士である鬼上官の教えが、試験より厳しいのはよくあること。
ユースの手間取りも含め、帰り道はそれなりに時間がかかっている。日が沈んでも、エレム王都はまだ遠くに感じられる状況だった。ユースを教育するシリカの事情は充分にわかっていても、シリカの後ろに座るだけのアルミナにとっては、やや退屈な想いをする部分が多かった。
今日受け取った報酬の使い道を、アルミナが考えていた頃。ふと、街道の外に目を配っていたアルミナの視界に、速い影が映り込んだ。
「……シリカさん」
「ああ、わかっている」
ユースに上官として厳しい口調で語りかけていた声が、もうひと段階重くなってアルミナの耳に届く。手綱を引くことに集中していたユースは、その声を聞いて剣呑な空気を察知する。
シリカが手綱に力を入れて馬を加速させる。状況を察したユースもそれに倣い、馬を走らせる。街道の外側、草原を駆け抜ける素早い影を目で追いながら、アルミナは得物である銃に手をかけた。
草原を駆けるいくつかの影。馬に乗った何者か達がシリカ達の乗った2頭の馬に向かって迷いなく駆け寄ってくる。そしてその遠き影からでさえも充分に感じられるのは、漠然とした殺気の予感。夜道、街道を走る2頭の馬に向かってまっすぐに向かい来る馬の集団といえば、乗り手の意志を考えればその正体も相場が決まっている。
シリカ達がエレム王都に向かって走る前方からも、その走行路を遮らんとした動きでまた別の馬が2頭向かい来る。そして、後方から迫る数頭の馬の影。それは明らかに、シリカ達を包囲した動きであり、目を付けた対象の動きを止めるための連携。
野盗だ。
シリカは小さく舌打ちし、ゆっくりと馬の歩みを止める。この状況に強い緊張感を持つユースは馬を止めることに躊躇いを感じたものの、上官に倣い馬を減速させる。
「ユース、アルミナ、注意深く観察しろよ」
「はい……!」
「わかってます……!」
シリカがアルミナに強く注視するよう求めたのは、銃や弓のような飛び道具を持つ輩が敵に混ざっていないかに対する危惧だった。そうした敵がいるかどうかで、応戦の仕様が相当変わってくるからだ。
シリカ達を追い詰めた馬の数々が、一定の距離を保ち、動きを止めた。
ユースが睨む前方に2頭、シリカとアルミナが見張る後方に5頭の馬。敵の数が7人以上であることが決まったこの状況に、3人の神経が逆立つ。
馬を降り、シリカ達に接近してくる人影が5つ確認できる。しかし馬を降りず、遠巻きに様子を伺う人影が2つ残っている。5つの人影はいずれもナイフや棍棒、長剣といった近接武器を持っているから、ここはそうした戦い方を好むのだろう。
アルミナが目を切れないのは、遠くから伺う二人。ここが飛び道具を持っている可能性は強く感じられるからだ。
シリカ達、3人は馬を下りる。ユースも剣を抜き、アルミナは羽織ったマントを両肘ではねのけ、銃を握る腕をいつでも好きな方向に動かせる体勢を作る。そばに立つ少年騎士と同じく、交戦の覚悟を決めた傭兵少女は、下賤な連中の前に自らの素肌の多くを晒すこの現状にも、抱くべき羞恥心を封じて冷静に状況を見定める。
「生憎だが、急いでいる身なんだ。武器を下ろしてくれないか」
シリカが無表情で、まだ腰元の剣には手をかけず、野盗達に語りかけた。野盗達は話も聞かずにシリカ達を囲むように陣を取るが、これはまあ予想できた態度だ。
やがて、馬を下りずに遠くから様子を見ていた男が、声を発した。
「有り金、すべてだ。それで手を打とう」
話し合う余地が一切ないことを向こうが提示してきたのを聞いて、アルミナは今にも引き金を引きそうな想いだ。シリカがまだ剣に手をかけず、表情を揺るがさないことが、先走りそうな彼女をぎりぎりのところで抑えている。
「エレム王国騎士団、法騎士シリカの名のもと宣言する。貴方達の行為は野盗の所業と思しき強盗行為と判断せざるを得ない。得物を握り私達に向かい来るなら、私達は貴方達を討伐し、法の裁きを下すべく捕縛しなくてはならない。それを承知の上か」
騎士の名を出すことは、それだけで意味がある。賢明な野盗なら、戦闘訓練を積んだ騎士に勝負を挑むことを、敢えて避ける者もいるからだ。向こうは顔を見るまで、こちらの職柄なんて把握していないことも多い。
ただ。
「……シリカさん、向こうはわかってて来てるんじゃないですかね」
ユースが剣の切っ先を向ける先には、一人の中年男性がいる。その男はその手に長剣を握り、上品とは言えないにやけ面を晒している。
見覚えのある顔だった。それは昼頃、ナクレウスの村に向かう途中、旅人を装ってシリカ達の馬車から水を受け取って去っていった中年男性だった。つまりシリカ達が騎士団の一員であることは、連中にとっては充分わかり得る情報のはずなのだ。
真昼のあれは、旅人に対し情報を集める一環だったのだろう。荷馬車と自警団はナクレウスの村に滞在し、その日帰りのシリカ達が帰路で3人だけになることを、昼間の世間話で知って、目をつけたと見える。そして3人だけの騎士を食いぶちにしてやろうという算段が透けて見えるまで、時間はかからなかった。
野盗目線からすれば、女騎士と、二十歳にも満たないであろう少年と少女の3人。たとえ相手が騎士であってもこの絵面なら、7人がかりで勝算ありと見るのはさほど間違っていない読みだ。
シリカはユースに手招きした。守りやすい範疇にユースを置くためだ。ユースとしては本意ではなかったが、シリカに従う。
次の瞬間、草原に発砲音が響いた。馬にまたがったままの野盗が、シリカに向けて手元の銃から凶弾を放ったのだ。
瞬時、シリカは腰元の剣ではなく、短剣を引き抜いてそれで銃弾をはじき返した。シリカの脇腹を貫くはずだった銃弾が地面に転がり、野盗達が驚きの表情を浮かべるが、その頃にはシリカは短剣を鞘に収め、剣を抜いていた。
「野盗行為とみなす。ご覚悟召されよ」
腹を決めた野盗達が、一斉に襲いかかる。ユースの目に炎が宿り、剣を握るその手に、柄が呻き声を上げんばかりの力が加えられた。
ユースに襲いかかる二人の野盗。得物はそれぞれ、棍棒と長剣だ。
ところが、迎え討とうとしたユースの横を一閃の光のように駆けた影が一つ。
シリカだ。ユースに襲いかかるはずだった野盗の一人を、瞬時に一太刀に切り捨てていた。シリカの剣は、棍棒を持った野盗の肩口から鮮血を吹き出させる。
ユースの方が驚いて一瞬動きが鈍ったが、それこそ野盗の方も同じで状況に差はなかった。だが、長剣を握った野盗の剣が、殺意を持ってユースに襲いかかる。
極めて冷静に、薙ぎ払われた長剣を愛用の騎士剣ではじき上げるユース。体格でも武器の大きさでも明らかに野盗の方に分のある勝負であったはずだが、ユースにとってはさして難しい迎撃ではない。これよりも遙かに速い、重い、鋭い太刀を放つ上官と何度訓練したものか。
長剣をはじき上げられた野盗の顔面をユースの騎士剣が、ただし刃ではなく、剣身の横の平面部が、フルスイングで殴り飛ばした。普段は剣が傷むし絶対にやらない使い方なのだが、一撃必殺で敵の命を奪っていたはずの剣撃は、野盗の頬骨をめきりと破壊して体ごとぶっ飛ばした。死ななかったというだけマシではあるものの、かなり悲惨な結果にはなってしまったが。
早々にユース側の野盗2人が片付くその直前のこと。アルミナの銃から放たれた銃弾は、先ほどシリカに向かって発砲した不届きな野盗の二の腕を的確に貫いていた。
唐突な痛みに、馬上から思わず銃を取り落とした野盗を見ても、アルミナの目は浮わつかない。3人の野盗がアルミナに向かって突進してきたからだ。
野盗の2人がいよいよアルミナに武器を届かせようかという距離に達したその瞬間。後方でユースに襲いかかった野盗に致命的なダメージを与えたばかりのシリカが、風のように立ち戻り、一瞬で野盗二人を切り捨てた。短剣を握った2人の野盗の一人は皮鎧ごと腹部をばっさりと斬られ、次の瞬間にはもう一人の脇腹が貫かれていた。
残った一人の棍棒を持った野盗は、一瞬怯むもののアルミナに襲いかかる。両手で握った棍棒が、アルミナの右上の位置から勢いよく斜に振り下ろされる。
アルミナは銃の先に装着した長い銃剣を、振り降ろされる棍棒の側面に叩きつけ、自らの右へ空振るように受け流す。先ほどのユース同様、切っ先や刃ではなく、剣身の側面だ。刃を棍棒に突き立てては、武器を自由に扱いづらくなる。
体勢の崩れた野盗が顔を上げようとした瞬間には、すでにアルミナの銃口が、野盗の至近距離でにんまりと光っている。頭を撃ち抜くことも容易な一瞬だったが、アルミナが選んだ着弾箇所は野盗の手の甲だった。
銃弾に手を貫かれた野盗は悲鳴とともに棍棒を取り落とす。直後、シリカの蹴りがこめかみに直撃し、野盗はそのまま卒倒する。なんというか、容赦のない上官だ。
馬を降りてシリカ達に襲いかかってきた5人の野盗は、ものの数秒の間に2人が気絶、あとの3人も深い傷を負って錯乱している。あれが仮に、責任感を以って任務を遂行しようというどこぞの兵士や自警団だったりするなら、あの手傷でも立ち上がり襲いかかって来る恐れはあったが、あれは人様の財産をかすめ取ることで至福を肥やそうという輩だ。割に合わない傷を負った後も徹底抗戦するような覚悟なんて、持ち合わせているわけがない。積極的に動くとしたら全力で逃走するぐらいだろう。
馬上に残った二人の野盗の決断は早かった。あまりに早い決着に、埋められようもない実力の差を悟り、手綱を振るうと馬を走らせた。言わずもがな、逃走の動きだ。先ほどアルミナに銃弾で撃ち抜かれた方の野盗は武器を失い、もう一人の野盗も実は腰元に銃は持っていたのだが、今さら使っても戦局が変わる予感もしなかったのだろう。
賢明な判断ではあった。しかし、仲間を見捨てて逃げようという姿勢が女騎士の癪に触ったか、その目がきゅっと細まる。女騎士は無言で、先ほどの野盗の一人が持っていた棍棒を拾い上げ、逃亡する野盗のうち無傷である方の後頭部目がけてぶん投げた。
狙いは的中し、野盗が力なく落馬する。あれを受けて意識を保っていられる人間がいたら、そいつはたぶん人間をやめているのではなかろうか。
横目でその惨状を見た、負傷した野盗は焦ったことだろう。手綱を握る腕にも、二の腕の傷から血が吹き出そうとお構いなしで力が入る。
「ごめん」
風になびいた毛皮のマントが腕に絡みそうになるものの、それを振り払って銃を構えると、小さくそう呟いてアルミナが引き金を引く。銃弾は勢いよく銃口から飛び出して、野盗の乗る馬の後ろ脚を貫いた。
馬がいななきバランスを崩す。傍から見ても大きく崩れた馬の動きは、馬上の者にすればその数倍の動きとなって伝わる。このまま駆けて逃げる以外のことを考えていなかった野盗は、その激動に耐えきれずあえなく落馬する。
地面に叩きつけられた野盗が痛みにうめき、顔を上げた瞬間。シリカの容赦ない蹴りが延髄を薙ぎ払い、野盗は白目を剥いて泡を吹いた。
先ほどシリカに斬り伏せられ、手傷を負っただけの野盗達も、錯乱から覚めて逃亡を計ろうとしていた。しかし思考がそれに向かうより早く、ユースの拳に顎を捉えられて失神した者一名。
走ろうとした矢先にアルミナにふくらはぎを撃ち抜かれ転倒した者、一名。
そして、どの方向に走ろうとしても自分の位置が悪く、どう動いても3人のうち誰かに捕捉される予感しかしなくて、絶望とともにおろおろとするしか出来ない者一名。
その少し哀れな約一名にも、今しがた蹴飛ばして気絶させた野盗から銃を奪ったシリカが、それを顔面目がけてぶん投げる。直撃と同時に、野盗の意識は夜闇に消えた。
「どうします? さすがに7人を、同時には運べませんよ」
「かと言って、放っておいたら失血死もありえますし」
一戦終えた後のユースとアルミナが、隊長に指示を仰ぐ。二人とも、ひと汗かいてはいるものの、とうに息は整っている。
「そうだな。ユースとアルミナは今すぐ馬に乗って王都まで戻り、人を呼んできてくれないか。連行するにもやはり馬車ぐらいは用意しよう。衛生班は必ず連れてくるように。私の方でも止血はしておくが」
汗ひとつかいてないシリカが、夕飯の献立でも軽い気持ちで提案するような口調で淡々と命令を下す。先刻の戦いでは明らかにユース達よりも速く大きく動いていた彼女が、どうしてこう部下よりも涼しげなのやらといえる様だ。
ユースは隊長の指示どおり、馬にまたがる。あとはアルミナがその後ろに座るだけ――なのだが、アルミナがなかなか動かない。
「……まあ、いいですけど」
「……お前、そんなに俺の後ろに座るのがイヤか」
「別にイヤとまでは言わないけどさぁ。なんかこう、さぁ」
シリカがくすくすと笑う。渋々といった感じでアルミナはユースの後ろに座り、なんとも微妙な顔つきでユースの腰の回りに手を回した。馬に二人乗りするなら、特に馬の扱いに不慣れなユースの後ろに座るなら、こうせざるを得まい。振り落とされて怪我でもしたら、たまらない。
傍から見たら少年少女の体が接する甘酸っぱい光景なのだが、アルミナは露骨に、もっと素敵な殿方の後ろなら喜んで座るのに、という空気を醸し出している。ユースも、なんで隊長わざわざ俺とコイツを同乗させますかねぇ、と言わんばかりの溜息を洩らす。
別に嫌い合ってはいないが、このシチュエーションはいらない。それが二人の総意だった。
「なるべく急げよ。遅くなればなるだけ、夕食が後になるぞ」
ここに騎士を連れてきて、野盗達を連行して貰い、事情を説明して、今日の任務完遂の旨を騎士団に報告する。家路に着けるのはその後だ。なるほど確かに急がないと、夕食がいつになるかわからない。
ユースは気を取り直して、手綱を握って馬を走らせる。
戦闘不能とはいえ、7人の野盗がいる場所に女性であるあの人を一人残していくのは、本来の騎士の理念からすれば、すべきことではないのだけれど。
ユースは全然気にしなかった。どうせ何かの奇跡が起こって野盗達が完全回復して、7人同時にあの人に飛びかかったとしても……と思えば、何の危惧も必要なかった。
騎士団が到着した頃、気絶した野盗も目を覚ました野盗も、同じ場所に集められていた。気絶した人間が勝手に動くわけがないから、誰かさんが引きずったのだろう。
その引きずった張本人と思しき人物は、剣の素振りをして退屈を凌いでいた。騎士団が近付くと剣を鞘に戻し、わざわざご足労ありがとうございます、と同僚である騎士達に頭を下げた。
それを見た騎士達は恐縮した表情で腰の低い言葉を連ねる。そこにいる騎士達は、下は少騎士、最上位にあたる者でさえも『上騎士』の称号を持つ者だ。『法騎士』であるシリカと比較すれば格下である。シリカは相手が年上である可能性も加味して先ほどの態度を示したが、格下の騎士達からすれば、むしろおやめ下さいというものだ。
野盗達が負った傷は、概ね布や包帯で止血が済まされていた。シリカが施したその応急処置を、集まった衛生班がもうひと工夫して、より良いものへと変える。連行する中で罪人が命を落とさないためにも、最善は尽くされねばならない。
その後、野盗達は拘束されて騎士団の馬車に詰められ、まるでどこかに身売りでもされるかのような悲壮感を纏って、エレム王都の方へと旅立っていく。行き先が明確に裁きの場、その後牢獄と確定しているぶん、希望を持てというのが無茶な話か。
王都に戻り、諸々の説明と報告が完遂され、家路に着く頃にはもう夜更けだった。本来想定されていた夕食の時間よりは、2時間ほど遅れているだろう。
「御苦労だったな、二人とも。今から夕食を作るから、しばらく待っていてくれ」
「あ、手伝いますよ。二人でやった方が早く済みますから」
「ちょっと! 二人って、私は最初からはじかれてるわけ!?」
アルミナがぷんすか怒って、ユースとシリカが立つ台所まで駆け寄ってくる。ユースとしては、あまりアルミナに台所には立って欲しくなかったのだけど。アルミナはちょっと、味覚に難のあるタイプだから。
「ふむ、それじゃあアルミナは野菜を切っておいて貰えるかな。ユースはそっちで、スープのだしを取っておいてくれ」
簡単な作業を部下に任せ、てきぱきと料理を進めていくシリカ。
既に両親のいないアルミナにとっても、親元から離れてこのエレム王都で騎士として生きていくユースにとっても、こうした日常の中での彼女の姿はまるで姉のような存在だった。だからこそ、堅苦しく隊長と呼ぶのではなく、敬称をつける形ででも彼女の名前を気軽に呼ぶことを許されていることが、二人にとっては何よりありがたかった。
夕食が食卓に並んで、3人が手を合わせる。よく動いた日、よく働いた日には、こうした一時が本当に一日の疲れを溶かしてくれる。シリカがゆっくりと目の前の晩餐を口に運ぶよりもよほど早く、少年少女の箸が元気よく皿の上の獲物をたいらげていく。
「今日はひと波あったが、何事もなくて何よりだったよ。二人とも、ちょっと危なげには見えたけどな」
「ああそうそう、シリカさん。別にあそこ、手助けして貰わなくたって多分普通にいけましたよ。もう少し任せて欲しかったなあって」
朗らかな笑顔で、さほどの真剣味は醸し出さずに言っていたシリカに反発したのはユースだった。自分に2人の野盗が向かってきた時、そのうち一人を片付けてくれたあの一件に対しての発言だ。自分一人で何とか出来ていた自信はあったから。
「結果的にはそうであっても、まだまだ任せきりには出来ないな。悔しかったら、私が安心して背中を預けられる程度にまでは強くなることだ」
シリカの声は穏やかではあったが、ユースにとっては少し悔しかった。自分一人に野盗二人の撃退を任せるほどの信頼は、シリカ目線ではまだ無いということだからだ。
もっとも、あの一瞬で野盗二人ともをなぎ倒すことも出来るはずだったシリカが、あえて片方だけ仕留めたのは、一人相手ならユースも上手くやるだろうという信用があってこそ、という見方もある。それがわかっているアルミナは、口を挟まなかった。
護送任務の帰り道の思い出。決して大きな事件ではなかったが、実戦の中における経験を、計らずしてひとつ積んだ少年騎士の胸中には、あの短い時間の中だけでも数多くの理念と思索が遺されていく。
野盗の命を奪わない戦い方を選んだのは間違いではなかったか。
今回は予想を下回る敵の強さだったが、そうでなければどうすべきだったか。
背後から自分に銃弾が迫っていたら正しく対処できていたのか。
仮に一人であの状況を迎えていたら、どう動くべきであったのか。
隊長だったらあの状況を一人で迎えても、一人逃さず討伐していただろう。
もっと強くならなければ。いつかあの背中に追いつかなければ。
間もなく一日が終わる。今日の前進を追って明日もまた一歩前に進むために、年若い少年騎士は意気改めておかわりの飯をよそいに席を立った。
「やはり思い返せば、今日の二人の動きにはまだまだ未熟な面が目立つな。夕食後、1時間だけ訓練に付き合おうか」
アルミナが箸を落としかけて、ユースが飯をよそうしゃもじを掴みそこねた。
「好きなだけ食っていいが、今から1時間後には訓練場に集合だ。二人とも遅れるなよ」
そう言ってシリカの箸の動きが少し早くなる。同時に彼女から放たれていたお姉さん気質のオーラが、上官のそれへと変わり空気が濁る。
やる気はあるんだけど、確かにあるんだけど、今からですか。
喉の奥から出てきそうなその禁句を、ユースは必死こいて呑み込んでいた。
飯をついで食卓に座った瞬間、この話題への入口を作ったユースに対してアルミナのじとりとした眼光が突き刺さる。彼女からすれば、気分はヤブヘビだ。
ユースは食事が終わるまで、アルミナとは一切目を合わせられなかった。