第36話 ~暗雲ひしめく開戦令~
「何か弁解する言葉はあるか」
「……ありません」
ナトーム聖騎士の部屋に招かれたシリカは、椅子に腰かけた目の前の上司が机の上に両肘を置き、組んだ手の上に顎を乗せた視線に晒される形で、じっと立ちすくんでいた。聖騎士の眼差しは極めて冷ややかで、その目の色には強い非難の意味が込められている。
「今まで貴様のことは、随分大目に見てきたつもりだ。だが、此度のルオス皇帝様への無礼ばかりは、見過ごすことの出来ない失態だ。理解しているな?」
ナトームは、部下チータの名をルオス皇帝に名乗らせなかった無礼の責任を、第14小隊の隊長たるシリカに責任を問うている。反論の余地などないとわかっているシリカは、反発的な目を返すこともなく、ただ手を組んだナトームの目よりも僅か下の位置に、視線を集めるのみだ。
「今さらルオス皇帝様に名を言上しても、この失点は拭えまい。貴様はこの責任を、どう取るべきだと思う」
舐めるようにシリカを見上げるナトームだが、単なる意地悪での問いかけではないのは明白だ。事と返答次第では、シリカに対してどんな処遇でも下し得る人物であることは、シリカ自身が誰よりもよく知っている。
長い沈黙をシリカが貫いても、ナトームは一切動かない。シリカが何らかの返答を返すまでは、何時間でも言葉を待つ心積もりのようだ。黙秘は絶対に許さない、そんな聖騎士の意志がはっきりと表れている。
自身の処遇など自分で決められるはずのないシリカにとっては、一任させて頂きたいの一言のみが、この場において発したい言葉だ。しかしそう答えたところで、"答えになっていない"の一言で切って捨ててくるナトームの性格も、シリカはわかっている。聞かれたことに対し、具体的な回答を示さぬ限り、話は永遠に硬直したままだ。
「……私は、法騎士の器ではないと思います」
「それは、降格を望む主張と捉えていいのか」
こればかりにはシリカも答えが出せなかった。再び沈黙を返すシリカであったが、この沈黙には意図があることを知っていたナトームは、次の彼女の言葉を待たず、間をおいて次の言葉を紡ぐ。
「エレム王国騎士団、誇り高き法騎士があるべき責務を全うせず、失態を盾に降格を望むなど断じて許されるものではないな。貴様は法騎士の名を持つことが、エレム王国の名誉を背負っているという事実に、無自覚が過ぎるのではないか」
「……申し訳ありません。仰るとおりです」
「降格による処分を下すぐらいならば、いっそそんな人材は除隊した方がましと言うものだ。失態を見せれば降格、で済むとでも思っているのなら、そんな者はエレム王国騎士団には邪魔でしかない」
背筋に氷を詰め込んだかのような戦慄を覚えたシリカの表情を、ナトームは静かに見つめている。シリカのように、騎士として生きることにこれまでの人生を捧げてきた者にとって、除隊を示唆する発言は、ある意味死刑をほのめかす宣告に近い。
彼女は、騎士以外として生きるすべを知らないのだ。騎士団に身を置けなくなったら、と思えば、これからどうすれば、どころの不安も抱けない。騎士に非ず生きる自分を、全く想像できないのである。
「それだけは……」
思わずそこまで言葉が漏れた瞬間、シリカははっとなって口を紡ぐ。上官の次の言葉を待たずして魂から溢れた言葉は、彼女の本音そのものだ。だが、そんな情に甘んじてシリカの処遇を決めるような人物ではないナトームにとっては、さして意味のある言葉として耳に入らない。
「貴様は、今後も変わらず法騎士だ。エレム王国騎士団の名誉あるその名を胸に歩いていることを常に自覚し、騎士団の名に傷をつけぬよう正しく振る舞って貰わねば困るんだよ」
「……はい」
シリカを除隊させる意図はナトームには無い。それを半ば確定させる言葉ではあったものの、自身の過ちを身につまされたシリカは、その事実に安堵できるような心持ちではなかった。
「いかに貴様が法騎士の責務に重圧を感じようとも、降格によって貴様を処分することは今後も無いと思ってくれていい。たとえばそうすべきだと判断した場合、私は降格よりも除隊を選ぶという事実を、貴様は今一度強く認識することだな」
「……申し訳、ございませんでした」
捉えようによっては、次は無いとも取れる言葉。シリカはその重い言葉を受け止め、それを突きつけたナトームは、変わらぬ瞳の色で彼女を見定めるのだった。
「まあ、言われてもしゃーないわな」
自宅に戻ったシリカにその一件を聞いたクロムは、シリカと彼しかいない真夜中の居間でそう言った。客観的に見て、ルオス皇帝に対し無礼をはたらいたことは事実だし、お叱りを受けることは当然だとクロムも考えている。それによって除隊という話にまでなれば、思うところもあるだろうが、そうはなっていない以上、クロムもこの一件に関してこれ以上何か言うつもりもなかった。
シリカはあらかたの説明を終えてから、だんまりになってしまった。うつむいて何か考え事をする表情から、長年の付き合いから胸中を読み取ったクロムは、何気なしに言葉を紡いでみせる。
「アルミナやキャルは、お前っていう人間の下でしか戦えねえと思う。それだけお前を尊敬してる。あわやクビ、ってのは、あいつらにとっても良くない話だってのは、わかっておいて欲しいな」
「……憶えておくよ」
憔悴した弱々しい笑顔を返すシリカの、力のないこと。クロムに指摘されるまでもなく、小隊の長を務める身としての責任感は元々抱いていたし、危うくそれを放棄しかねない状況に自らを陥れたことに対して、シリカ自身が強く自責していたからだ。
「個人的感情のみで言や、身内のチータを尊重したお前の判断を否定したくはねえけどな。処分を覚悟で、っていうのと釣り合わねえ話だったってことだけ、わかっておいてくれや」
そう言って目の前の酒瓶をぐいっと飲み干して、クロムは席を立つ。言葉の端々がシリカの胸に刺さるものだが、話の受け皿になってくれたクロムの背中を、シリカは柔らかな瞳で見送っていた。
「法騎士様ってやつは大変だよな」
しみじみそう言って、クロムは振り返った。強い隊長としての表情で第14小隊を引っ張り続けた彼女が今、こうして憂いた表情を浮かべているのを見れば、身内なら尚更それを実感するだろう。
「だからお前は、騎士になるのが嫌だと言っていたな」
「おう。纏まったカネも権力も要らねえから、俺ぁ気楽に生きてえんだ」
両者が夜長に声を殺して笑い合う。苦悩に苛まれた心もこうして和らげてくれる隣人に恵まれたことは、若くして法騎士という地位に立ったシリカにとっては極めて幸運だったことだ。
「さて、そろそろお前も寝ろよ。明日はでっけえ任務だろ?」
「ああ。お前やマグニスにも、活躍して貰わなければ困るほどのな」
「お手柔らかにこき使ってくれや」
シリカも立ち上がり、居間を離れてそれぞれの自室に歩いて行く。途中まで二人の歩く道は一致していたが、その間、どちらからともなく並んで歩く二人の姿は、心を通じ合わせ、信頼を寄せる男女のそれそのものだったと言えるだろう。
曇天模様のコズニック山脈。上空の積乱雲は真昼の太陽を強く遮り、日差しに照らされぬ岩肌が日頃より重々しく見える色使いだ。今にも雨が降り出しそうなその空模様は、これから起こる激戦を、この地に集った騎士達に予感させるには充分だった。
エレム王国騎士団の勇士達が集うこの場所は、プラタ鉱山の名で呼ばれ、今も多くの人々に愛される鉱脈の入口である。
かつてシリカ達が任務で訪れたコブレ廃坑よりもさらに山奥、現在も有力な鉱山として活きているこの場所は、ミスリル鉱などの武鉱石に加え、銀や亜鉛や鉄などの便利な鉱物が未だに採取できる。広い山脈の比較的深い場所にも関わらず、古来より多くの鉱夫達が利を求め、ここへ何度も通い詰めた歴史が長く刻まれてきた。
コブレ廃坑やプラタ鉱山を擁するコズニック山脈の最奥地に、魔王マーディスが顕在だった頃には、この鉱山付近にも多くの魔物が出没したものだ。騎士団や魔導士に護衛を依頼した鉱夫達によって鉱物の採掘が行われたり、あるいは騎士団の方が鉱夫を雇い発掘に前向きになったりと、当時はエレム王国と、鉱山を管轄するエクネイスの間で今以上に協力し合ったものである。武器を作るにも鉱石という名の資源が必要だし、魔王の住む地とて、浅い部分に踏み入る勇気は必要だった。
魔王マーディスが討ち果たされて以降も、この近隣には魔物が出没し得る。とはいえ昔と比べれば危険性は遙かに下がったと言えるし、エレム王国騎士団とエクネイスの鉱夫達の協力関係のもと、今は昔よりも活発に開拓が進められていた。まだまだ鉱山が死に絶えるまで時間がかかりそうだし、人間達にとっても山の恵みとして有難い地だったと言えるだろう。
しかし、先日この地を訪れた勇騎士によって発覚したひとつの事実。それが、今となってはこの場所を、コズニック山脈の中でも最も危険な地の一つだと呼べる、大きな根拠とさせてしまった。その勇騎士が持ち帰った情報を元に、騎士団の参謀格達が導き出した結論は、勇騎士率いる旅団の力で、この鉱山に潜む、悪辣な存在を討伐せねばならぬという事実。
勇騎士という立場は、王宮の政館内まで立ち入って国王の衛兵となる資格を得られる立場でない中で、最高位の階級である。騎士団のトップから数え、王騎士、近衛騎士、衛騎士、その下が勇騎士だ。王宮と王都の平和を守る最後の砦と言われる3階級を除けば最上位である勇騎士は、騎士館内を主な働き場とする階級の中では、実質トップと呼べる階級として一般に知られている。
その勇騎士の一人が、此度の任務の指揮官として戦列に並ぶのだ。そこから導き出されるシンプルな結論は、いかにこの任務が重要であるかと、敵の強大さが明確に示唆された事実である。
「雨が降るだけならいいが……土砂崩れなどに繋がらないことを祈らなきゃな」
プラタ鉱山の入口の前に辿り着いた騎士達の最前列で、最悪の事象を想定して勇騎士がつぶやいた。その少し後ろに立つ聖騎士グラファスは、湿気を纏う着物と袴を疎ましく思いながらも、冷静に空を見上げて後の戦いに備えていた。
聖騎士グラファスの隣には、もう一人の聖騎士がいる。見たところ11歳の子供にも劣るような身長に、実年齢を聞けば誰もが驚くような、子供のような顔立ちをした人物が、黒く重々しい鉄鎧を肩や胸元に纏った上で、フラスコをそのまま巨大化したような、長い棒先に刺突きの鉄球をあつらえた、いかにも凶悪な武器を握っている。メイスという単語で形容しようにも、あまりに無骨すぎる武器だ。開戦前のこの場においては鉄球の先を地面に置いてゆったりしているが、いざ戦いとなればあの体躯が、西瓜の倍ぐらいの径を持つ大きな大鉄球をあつらえたあの武器を振り回し、戦場を縦横無尽に駆け回るという話。にわかには信じがたいものである。
"猛撃のクロード"の異名を持つ彼の所以は、きっと戦場でのその活躍を目の当たりにするまで、誰にも実感が沸かないだろう。聖騎士クロード=トーレ=ルイベールとして名ばかりが広く知られる彼だが、その高き階級にはそれだけ重き功績と結果を重ねてきた過去が秘められている。
「山は嫌いではないが、この天気は頂けませんのう。山中部隊は足元に気を付けねばな」
誰がどう見たって子供にしか見えないような、50代半ばの聖騎士が胸元から菓子を取り出してがりがりかじりながら真剣に喋っている。口調だけは大人びたものであるが、つんつんととんがった茶髪と幼い顔立ちのせいで、いかにも似合っていないのが印象的だ。
「ふふふ、クロードどのは相変わらず若々しくていいな」
「子供扱いするでない! おぬしこそ最近体がなまっとるのか、足の運びが悪うなっとるぞ!」
「自覚しているさ。私もいつまで現役でいられるかわからぬよ」
垢抜けない姿ばかり目立つ聖騎士クロードと、着物と袴に草履を携えた、老兵たる風貌と気質をわかりやすく纏う、落ち着いた聖騎士グラファスの会話は、階級を等しくする者同士の会話にして極めて対照的だ。傍から見たら祖父と孫にさえ見える両者だというのに、これらが近い年頃という事実がいまいち現実感に欠ける。
「グラファスも、クロードも、仲良くね。これから任務だからさ」
「はい、存じております」
「むぅ……」
元よりクロードに強い敬意を払っているグラファスは淀みなく答え、心中ではグラファスのことを同士として敬愛するクロードは、素直にそれを口に出せないのか、むくれて答えている。それでも目の前の勇騎士様の手前、ケンカしているように見えてしまったのであればまずいかなと思ったか、クロードはグラファスに対して手を差し出す。老兵グラファスはにこやかに、握手を返した。
グラファスとクロードという二人の聖騎士。その後方には何人かの法騎士が並び、シリカもその中に顔を連ねている。彼女に比較的近い場所には、先日タイリップ山地へ野盗団討伐任務に赴いた際に大隊を率いた、カリウス法騎士の姿もあった。それらの後方には、彼ら率いる高騎士を先頭にした、騎士達の面々が立ち並んでいる。第14小隊のメンバーは、勿論シリカのそばに集まっている。
そして、総勢にして2816名の騎士達の総指揮官となる勇騎士が、その先頭でふぅと息をつく。蒼く淡く光を放つような、ミスリル製の鎧と小手でその身を固めたその人物は、今にも雨が降りそうな空模様に、鉱山内ではなく山の外部を走る部下達への心配を示している。ばさりと長い黒髪を、額に巻いた赤いバンダナでおさえていることで、周りからよく見えるその表情からは、これから厳しい戦場に足を運ぶ、経験の少ない少騎士や騎士に対する僅かな不安が感じ取れる。
「……コズニック山脈、か。忌まわしい記憶の多い地だ」
かつて魔王マーディスを討ち果たした勇者達の中に名を連ね、生ける英雄としてエレム王国の多くの人々に敬愛される人物、ベルセリウス=サイレザーブ勇騎士が、想い巡らせる過去を脳裏に浮かべて独り言のように呟いた。
「あれがベルセリウス様……」
冬も近付いてきている上に悪天候の風に晒されて、騎士団の面々も冷える体を外套やマントで温かくしている。日頃から袖の長いクロムを除けば、概ねが軽装で肌を晒す者が多い第14小隊の面々も、クロム以外ここまでは使い捨てのマントを羽織ってきたものだ。アルミナは日頃から毛皮のマントを戦場における普段着としているが、へそや腕、膝上下を風に晒すマントの下の着こなしは、傍から見れば見るからに寒々しい。そんな姿をしながらも、崇拝する人物を目の前にした今のアルミナは、寒さを意識さえしないほどに上の空だった。
法騎士であるシリカは、比較的ベルセリウスに近い場所にいる。そのそばに立つアルミナもまた、運のいいことに、やや近い場所でベルセリウスの顔を見られる環境にあった。噂の勇騎士ベルセリウス様の顔を一目見たいと思う騎士の多くが、旅団後方にて残念な想いをしていることを考えると、法騎士シリカのそばに常に立てる第14小隊は、なかなか会えないはずの人物のご尊顔を拝みやすい場所だ。件の勇者様を拝めるだけで胸がいっぱいなのか、肌寒さに時々体を震わすユースの横で、アルミナは寒さも忘れたかのようにベルセリウスに見とれていた。
実際、凄いものだ。シリカの周囲に並ぶ法騎士の数は総勢10名に上り、若くして法騎士になったと巷でも話題になったシリカはある程度の注目も集めているし、長い歳月をかけて法騎士になった者達はそれはそれで、年相応の貫録と気質を纏って、その背を見る若き騎士達を圧倒している。そしてそんな法騎士達の前には、そんな法騎士達よりもさらなる高みにいる叩き上げの英傑、聖騎士が二人も立ち並んでいる。さらにそれを率いる勇騎士様付きともなれば、騎士団を尊敬する一般庶民なら金を払ってでも見たいような光景だ。
「あのクロードってガキと喋ってみてえな。たぶん年相応に遊びにも通じてそうだし」
「聖騎士様だぞ。お前頭おかしいんじゃねーの」
ぼそりと隣の旦那に呟いたマグニスに、当の旦那クロムはくっくっと笑いながら応じる。怖いもの知らずな傭兵マグニスの態度には、シリカもぎょっとして彼の方を見やったが、そういったシリカの反応が面白くって笑えるクロムの図太さも大したものだ。彼もクロードより格下の騎士だというのに。
直後、シリカが最も危惧していた事態が訪れる。背の低いクロードがつかつかとシリカの方に歩み寄って来る。
「せ、聖騎士クロード様、申し訳ありません……! 彼の無礼は私がお詫び致します……!」
開口一番に怒鳴る直前だったクロードよりも早くシリカが頭を下げ、出鼻を挫かれる形になったクロードは一旦間を置いた。下からじろりと睨み上げられたシリカは、蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
「おぬしに免じて許してやるが、わしを子供扱いしたら許さぬとしっかり教えておけ!!」
「お、お言葉のままに……大変失礼致しました……」
のっしのっしとシリカから離れていくクロードを見送って、シリカは首の皮が繋がった想いに心底息をついた。大鉄球付きの巨大鉄球棒を引きずりながら歩く姿は、危うく彼を敵に回しかねなかった立場のシリカにとっては、嫌な形で彼の剛腕無双ぶりを見せつけられる形だ。
息をついた直後、きゅっと首を上げてマグニスを睨みつけるシリカ。俺知~らない、という態度丸出しのクロムをよそに、マグニスも流石に一歩退いた。
「あの、とりあえずすんませんした」
何を言っても許して貰えないと悟りきっているマグニスが諦め丸出しの謝罪を述べた直後、シリカの鉄拳が彼の頭頂部に振り下ろされた。
「――ユースはベルセリウス様と、一度お話してるんだよね」
「まあ、一応は……」
「いいなぁ……私も一度でいいから、お話してみたい……」
アルミナがベルセリウスに向ける眼差しは、彼女が魔法剣士ジャービルに向けていた視線と同じで、エレム王国の平和を脅かした魔王マーディスを討伐した勇者への敬愛の色に染まっている。もしも彼と言葉を交わせる機会があろうものなら、真っ先にマーディスを討ってくれた礼を告げようと、アルミナは昔から心に決めている。
アルミナが傭兵として騎士団入りした動機は、若くして法騎士になったシリカに憧れて戦う道を選んだこともあるが、自身の英雄様が身を置く騎士団で働きたかった想いもあった。単なる一人の傭兵なれど、両親の仇を討ってくれた勇者様の遠い助けになれれば、という確固たる意志もある。
「あのクロードって人の戦い方、俺にとっては参考になりそうだな。今回一緒に戦えそうなのは、なんか嬉しいよ」
背の低い体躯に巨大な斧を携えたガンマが、自分よりも小さな体で、自身の斧にも負けず劣らずの巨大鉄球棒を得物に持つクロードを見て、そうつぶやいた。傍目には乳臭く見えるクロードの風貌も、他者の実力には本能的に敏感なガンマにとっては判断材料にならないようだ。
タイリップ山地の野盗団討伐任務で、上官の顔ぶれに緊張感を抱いた経験を持つユースも、多少は同じシチュエーションには慣れたか、あの日ほどには固まらずに済んでいると見える。もっとも、目の前の法騎士様、聖騎士様、勇騎士様のそれぞれの顔と名前が、ユースにとってはお勉強済みであり、どんな実績を持つ方々かもある程度知っているため、全く緊張せずというわけにはいかないが。
勉強の一貫とは言え、ユースは騎士団について詳しくなり過ぎた。庶民の中にいる騎士団オタクにも引けを取らない知識量と尊敬心を持つ少年騎士にとって、この空気に緊張するなと言う方が無理がある。傭兵のアルミナ達よりも神経過敏になるのは当然なのだ。
そんなユースの背中をさすってくれるキャルがいて、ユースはありがとうと、肩を落として言う。キャルは優しいのだが、そんな彼女に気を遣われる日が多くて、ユースとしてもささやかなプライドが、こう。
「騎士になってから初めての大仕事だぞ。そんな顔をするな」
声に応じてふっと顔を上げると、目の前にいたのは凛としたシリカの表情。頼もしい上官の表情は、彼女を敬愛する部下にとっては奮起を促す最大の触媒だ。
同時に、シリカは先日の言を撤回したのか、ユースのことを"少騎士"と呼ばず敢えて"騎士"と称している。驚きに眼を丸くするユースだったが、そんな彼の表情を見てシリカは、その拳でこつんとユースの額を軽く押す。
「調子に乗るなよ。自他共にお前が騎士と認められるにはまだ早い。あくまで階級がそうであるから、そう形容しているだけだ」
釘を刺すシリカ。本心ではやはり認めていないのか、あるいは敢えてそれを口にする以上、一定の評価はユースに対して抱いているのか、それは本人にしか知り得ないことだ。どちらとも捉えられる口ぶりではあったものの、先日のこともあって、ユースにそれを前向きに捉えられる心境はなかった。
一瞬目線を下げそうになったものの、眼差し強くシリカを見据えるユースの目は、決して反抗的なものではない。たとえ認められていないとしても、ならば認められるように。その目が語るシンプルな真意は、シリカに伝わっただろうか。
「頼むぞ。騎士ユーステット」
「――はい」
過剰な緊張が一瞬で吹き飛んだ。雑念を捨て、目の前にある戦いに向けて集中力を研ぎ澄まし、為すべきことを為すための覚悟も、決めるとなれば一瞬だ。人によっては時間のかかる戦場への覚悟の形成を、きっかけありでも即座に固められてこそ、一人前への第一歩。
肩書きだけで自分を一人前だと語るにはまだ早い。少年は改めて自身に言い聞かせ、奮い立つ。
開戦を間際にして、山肌に冷たい秋空の風が吹く。強い寒さが第14小隊全員の肌を刺すが、誰もがその身を貫く痛みを退け、命を懸けた戦いに臨む覚悟を以って、そんな雑念を上書きする。
「さあ、行こうか。出撃だ」
直後に勇騎士ベルセリウスが放った言葉をきっかけに、二人の聖騎士が武器を掲げ、法騎士達もそれに伴い剣を高く上げる。その瞬間に騎士達が山脈に轟かせた雄叫びの大きさは、先日タイリップ山地に集まった連隊とは比にならぬ、空まで届かんばかりの轟音だった。
「……足りますかね、あれで」
「どのみち、選択肢は無かった」
法騎士ダイアンの部屋を訪れた聖騎士ナトームは、プラタ鉱山の魔物討伐任務に赴いた騎士達を案じるダイアンの言葉を、短く一蹴した。本当ならば、あと少しでも兵力をあちらに割きたかったという想いは、ダイアンにもナトームにはあったのだ。
魔王マーディス軍の残党達を追う任務の数々には、概ねナトームとダイアンが携わっている。勿論今回の作戦に関しては、彼らよりも上の立場である勇騎士や衛騎士の参謀達も関わっているが、その面々と席を並べても一定の発言力を持つ程には、両者とも騎士団内においては軍師として名高い。
その両者が、先日のタイリップ山地の野盗団討伐任務に伴って得られた魔物の動向、その後勇騎士ベルセリウスによって得られたコズニック山脈の調査結果、加えて数々の騎士達による山岳調査の結果を鑑みて、導きだした結論。今、魔王マーディスの配下の中でも名高かった魔物達の首領格は、プラタ鉱山付近に居を構えている可能性が極めて高いという推察だ。
"マーディスの遺産"と呼ばれる4匹の魔物。そのうち1匹は残党狩りの過程で既に葬られたが、残る3匹は未だ討伐されていないのだ。逃亡と迎撃を繰り返して、魔物の親玉を負う人間達をあざ笑うかのように生き延びる3匹の魔物を追い詰めることに、ナトームとダイアンは執念を燃やしている。
「僕は、せめてあと一人の聖騎士を添えたかった。遺産のうち、何匹がそこにいるかわからない」
「私はあれが最大数だと思っている。遺産の一角が、手薄と見たエレム王国やエクネイスを攻めてくる可能性を加味してな」
今、騎士団の有能な人物率いる連隊が、コズニック山脈とエレム王都の間にある小国エクネイスにも駐在して砦となっている。プラタ鉱山に騎士達が攻め込んで兵力をそちらに割いた以上、その隙を突いて魔物の一部がエクネイスを、あるいはエレム王国を攻め立てる可能性もあるのだ。前衛がプラタ鉱山突入隊だとすれば、後衛をエクネイスに置くことも必要なのである。
魔物達は拠点に対してこだわりがない。人間達を葬ることに前向きになる道が開ければ、拠点だったプラタ鉱山など放り捨てて人里に赴くことに、抵抗もないだろう。究極的に最悪な例を挙げるなら、すでにプラタ鉱山を魔物達は捨て去って、もぬけの空になったアジトにベルセリウス勇騎士率いる旅団をおびき寄せたあと、エクネイスに全軍襲来、などということだってあり得るのだ。
もちろん、その最悪は極めて薄いと見てナトームもダイアンもこの作戦を決行している。数々の情報と、状況の推移、最速で打った決断によって、プラタ鉱山に立て籠もった魔物達が居を移す前に、それらを叩ける確信がある。
「ベルセリウス様やグラファス様、クロード様がいる以上、奴らにも引けを取ることはないと思いますが……」
「……どうだろうな」
軍師は安全な場所から結果を待つのみだ。血を流す、現場の騎士達と比べてしまうのならば、気楽なものだという見方もあるだろう。
戦場に赴いた騎士達の帰還の日まで、酒も飲む気になれない参謀達の戦いはこれからなのだ。かつて武器を持って何度も戦場を駆た過去を持つ二人は、命のやりとりを魔物達と交わす痛みと苦難の重みを、身に沁みて知っている。そんな世界を今現在に生きる上官や部下、同僚の命が、この作戦を作り上げた二人の手腕にかかっていると言っても過言ではないのだ。
第14小隊の面々をはじめとする、プラタ鉱山に赴いた騎士達には、昨晩なかなか眠りにつけずにいた者も少なくないだろう。暗い部屋で言葉を交わすナトームとダイアンの目つきが今日ひときわ良くないのも、彼らが同じ想いで昨夜を過ごしたからだ。




