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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第3章  絆を繋げる二重奏~デュエット~
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第34話  ~魔導帝国ルオス~



 早朝から船に乗って魔法都市ダニームまで北上し、馬に乗って東へ駆けると、やがて魔導帝国ルオスに辿り着く。朝早くから出発したのに、到着したのは夕方前で、ここまでの遠出をしたのはユースやアルミナにとっては初めてのことだった。


 エレム王国よりも遙か遠方に位置する帝国ルオスではあるが、その地の名は誰もが知るところだ。強力な軍隊を要するラエルカン皇国の軍事力は名高いものであったが、剣と魔法の両文化を深く追及するルオスの国力もまた相当なものであり、かつてはルオスとラエルカンの二国ある限り、この地から人の歴史が消えることはあるまいと長く語られていたものだ。


 皇国ラエルカンは魔王マーディスの侵攻により滅亡してしまったが、その魔王マーディスの討伐にエレム王国が先陣を切って望んだ時、魔法都市ダニームの協力のみならず、魔導帝国ルオスからも支援があったことは、それ以上に大きな助力であったと誰もが知っている。ダニームの魔導士達でさえ、己の自尊心を天秤にかけてもそれを肯定しているのだ。それだけ、ルオスが戦時において発揮する実力の大きさは信頼できるということ。


 ラエルカン皇国亡き今、エレム王国に陸を繋いで近くある三つの国では、最も戦事においては有力な力を持つと言われる帝国ルオス。その性質からルオスを訪ねたことの無い者は誤解しがちだが、ルオス帝国そのものは好戦的とは決して形容し難い、温和な国である。勿論いたずらに侵攻してくるような輩や魔物に対して容赦なき報復を下す勇猛さはあるが、それはあくまで自衛の一貫である。高い軍事力と平和を愛する心、悪を挫く正義を掲げたこの国は、この地に生まれ育った多くの人々が胸を張って愛国心を唱えられる、気高き国家なのだ。






 高い軍事力を持つ帝国という響きは、端的にルオスを言い表した表現として、ユースやアルミナにも間違った印象を与えていた。こうしてその地に訪れてみれば、その光景からだけでも、その極端な思い込みに誤りがあったかな、と思えるほどには、ルオスの帝都は綺麗な町並みだった。


 帝都のそばにある大きなルオス湖に面した帝都は、水の恵みによって多くの花々に彩られた都だ。鉄筋造りや石造りの建物が立ち並ぶ風景も、彩られた屋根の色や整えられた形、均整の取れた立地の立ち並びは、本来無機質なはずの建物の面々をまさしく活きた町へと表わしており、街ゆく数多き人々の足並みが、そんな印象をさらに強めて見せてくれる。今日初めてこの帝都に足を踏み入れたユースやアルミナの目にも、ここが民に愛される素晴らしき都であることは充分に見てとれるというものだ。エレム王国第二の都、トネムの都に地元贔屓を重ねても、そこと良い街比べをしていい勝負をしそうなぐらいだから。


 帝国と呼ばれる地に足を運ぶことに少し緊張気味だった二人に、シリカが事前に、素晴らしい街だよと念押ししていたことは、間違いではなかった。自分たちが旅人の立場だったなら、この都に滞在してもっとこの町のことを知りたいと考えていたに違いない。


「この都に来ると、ゆっくりと見回りたくなるのだがな。皇帝様との謁見を控える以上、あまりのんびりせず、迅速に行動するよう努めることだ」


 あくまで、招かれた騎士としての任務としてここに来た事実を、シリカが強調する。街をゆっくり見て回れないことへの残念さをシリカ自身も感じている、その裏返しでもあるのだが。


「皇帝様か……エレムでいうところの国王様でしょ?」


「そんな人に、俺達が招かれるって何なんだろうな……」


 これに関しては二人とも、緊張感を拭えるはずもなかった。これだけ立派な国を築き上げた先人の後を継ぎ、今なおその国を引っ張る偉大な皇帝と顔を合わせることの畏れ多さは、二十歳を前にした少年少女にも察せられるというものだ。聞いた話によると当代のルオス皇帝は、歴代の中でも名君として後世に語られるであろう人物であるとも言われるそうだし、言葉を交わせるというのはありがたい話だが。


「私も正直、驚いているよ。まあ、ちょっとした巡り合わせの良さだと思っておけばいいさ」


 そう言って巡り御者の停留所に歩み寄り、そこへ辿り着いた御者に声をかけ、馬車に乗り込むシリカ。この馬車に乗って城に向かい、これからルオスの皇帝様とお顔を合わせるのだ。


 わくわくとどきどきが混在する胸の高鳴りを抑え、アルミナもシリカに続いて馬車に乗る。一方、この地に辿り着いてから一度も言葉を発していないチータは、帝都の町並みをしばらく遠い目で眺めた後、静かな足取りで馬車に乗り込んだ。


 この日のわずか前、シリカに強烈な叱責を受けたユースは、馬車内に座るシリカの隣で緊張を解けずにいた。シリカは先日の怒りを引きずっている風ではなかったものの、やはりあれだけきつく叱られた手前、シリカの前ではやはり緊張する。ルオス皇帝との謁見という任務を除けば、多少の旅行気分で帝都を見回してもいいものなのだが、そうなれない気分に到る程度には、今のユースにとってシリカは怖い上官であった。











 騎士団に属する立場として、王宮や騎士館に近しい日常を送る第14小隊の面々にとって、大きな建物を眺める経験は少なくない。エレムの王宮と騎士館を合わせた大きさよりも一回りほど大きなルオスの城も、大きさだけで言うならば気押される部分は少ないと言える。


 不思議なもので、長年この帝都の芯を守るための鉄壁の城としてそびえ立ってきたこの城が放つ圧倒的な威圧感は、城の造形美になど通じたこともないユースやアルミナにさえ伝わるものだった。大きいだけではなく、どっしりと重々しくその地に居座るその城は、たとえ間違いを思い起こしてこの城に攻め入ろうとすることあろうと、きっと上手くはいかないだろうなと、そうした推測を自ずと駆り立てられる無言の迫力がある。戦事のあらゆる事象に対応できる細やかな構成のもと造られたその城が無意識にそう語りかけるのか、はたまた無機質なはずの建物が語る不思議な魅力という奴か。いずれにせよ、民に愛される造形美に趣深いエレムの王宮とはまた一線を画し、ルオス城が強さと頼もしさを物語るのは、造りの違いからして当然なのかもしれないが。


 城兵に案内されるまま、皇帝が待つという謁見の間に向かうシリカ達。一定の階級以上でないと立ち入れぬ区画が定められているようで、途中で二度ほど案内人が変わったものだ。変わるたびにその案内人が階級の高い兵士に変わるようで、案内人の年も徐々に年老いていくのが印象的だった。


 やがて辿り着いた謁見の間は予想どおり広いもので、赤い絨毯に導かれるまま入口から玉座に向けて真っ直ぐに伸びる道が、この先に偉大な人物がいることを物語っている。実のところルオスの皇帝と顔を合わせるのは初めてのシリカも、この時ばかりは緊張を禁じ得なかったが、部下の手前そうした表情を見せてしまうのも潔しとは出来ず、努めて冷静を振る舞うのだった。ユースとアルミナは足が震えそうな心地だったし、堂々とした上官の姿は頼もしいものだと助かっていただろう。


 目の前にいる皇帝とある一定の距離まで辿り着き、立ち止まるシリカ。その僅か後ろをついて歩くユースとアルミナ、チータもすぐそばで止まる。皇帝たる人物を前にして立ち止まり、(ひざまず)くならばこの距離感だという地点は、シリカが熟知してくれているはずだ。


「かしこまらなくてよいぞ。立ったままで、話をさせてくれい」


 頭と膝を下げようとしたシリカを、その僅か前に引き止める形で皇帝が言葉を放つ。この場における第一声を、自身の挨拶で始めるべきだと思っていたシリカは、しまったなと心中で反省する。


「お初にお目にかかります、ドラージュ=ハイヤーン=ルオス様。この度は、お招き頂きありがとうございます」


「うむ」


 誰もがその名を知る魔導帝国皇帝、ドラージュは、頭を垂れるシリカと、それに倣うように慌てて頭を下げるユースとアルミナ、シリカとほぼ同じタイミングで頭を垂れたチータの4人を見届け、はじめの挨拶に頷いた。つまづきかけた最初のご挨拶だったが、やんごとなく済んだと言えるだろう。


「今日そなた達を招いたのは、感謝の意を伝えたく思ってな。話は聞いておるかな?」


「はい」


 ユースとアルミナ、チータは聞いてない。答えはすぐに、ドラージュの口から紡がれる。


「ルオスより逃亡した、魔導士を捕えてくれたそうじゃな。我が国の不始末を拭ってくれたことに感謝を告げると共に、それによって多大な迷惑をかけたことを、ここに詫びたく思う」


 皇帝たる権威の象徴たる人物ゆえ頭こそ下げなかったが、一国の主たる風格と荘厳な威圧感を放つドラージュの口から放たれたのは、他国のいち騎士や傭兵という者に向けた感謝と謝罪の言葉。対等な関係ならば、ありがとうやごめんなさいなどといった明言あってもいいような場面だが、政に携わる要人の姿勢というものは一般人と同じくして語れぬもののようだ。


 レットアムの村で、第14小隊入りしたばかりのチータとともに、魔導士の女と戦い捕縛した過去を思い返して、ようやくユース達の中で、招かれた理由が一本の線に繋がった。それにしたってわざわざ自分たちをこんな場所まで招くのだろうか、という疑問も沸いたが、定期的にルオスとエレムの間には人を交わす習慣があり、今回は手前の一件がちょうどいいきっかけになって、シリカ達がルオス皇帝のもとを訪ねるエレムの人材として選ばれたという形になったのだ。それはわざわざ、ここで口に出して語られることではなかったが。


 シリカの地位が高いからこういうことになる。シリカが一つ下の階級の高騎士だったなら、いくらルオスの不手際を自国で片付けた第一人者とは言っても、皇帝との謁見を任されることなんて無いだろう。おかげ様で騎士、傭兵という身分違いの場違いでここまで引き連れられたユースとアルミナは、終始どんな顔と姿勢で立っていればいいのかわからない。


「法騎士シリカ=ガーネット。騎士ユーステット=クロニクス。騎士団員アルミナ=マイスダート。同じく騎士団員チータ。ここに今一度、改めて礼を言わせて欲しい」


 数日前に騎士昇格したばかりのユースを少騎士と呼ばないあたり、情報の把握が流石に早い。また、誇り高きエレム王国騎士団に名を連ねる二人の傭兵を、傭兵という単語を使わずに形容したのも、ドラージュなりの両者の立場を尊重した表れなのだろう。呼称や挨拶、敬意の表し方の是非というものはつくづく国ごとに正解がなく難しいが、言葉の端々に配慮を重ねる辺りはさすが皇帝と言うべきか。


 同時に、チータと皇帝に呼ばれた魔導士の少年は、思わず横に立つシリカを見やった。姓を重ねて皇帝に紹介されている他の三人とは異なり、自分の姓が皇帝に知らされていないからだ。


「法騎士シリカの配慮だ。ありがたく受け取っておくとよい」


 明らかな戸惑いを見せるチータへ、にこやかに語りかけるドラージュ。確かにチータは自身の姓を隠してきたが、ルオス皇帝に名を紹介するのであれば、流石に礼儀として姓を吐くつもりであった。ここに来て皇帝に名を名乗るように言われれば、小隊の仲間達の手前なれど、隠してきた姓も明かす覚悟をしてきたのだ。これだけのお偉いさんを目の前にして、自分の隠し事を優先して、上官や仲間達の顔に泥を塗るようなことなど出来るはずがない。


 名を偽りなく語ることは、礼節においては基本以前の問題である。それに首を振ってまで目の前の皇帝にチータの本当の名を語らずこの場を片付けるシリカの姿勢は、エレム王国の代表としてルオスの皇帝に謁見する上官として、物議を醸しかねない行為であるとシリカ自身が誰より知っているはずだ。部下の私情を他国の皇帝よりも優先したシリカの行動に、チータは驚きを隠しきれなかった。


「……深きご理解に心より感謝します、皇帝ドラージュ様」


「構わぬよ。礼節は美徳なれど、重き私事情を蔑ろにしてまで尊重するのでは乱暴というものだ」


 時に相手に合わせて事情を汲み取る必要性は、政に携わる要人ならば必要な姿勢だ。しかし皇帝たるドラージュが、相手の名を知らされぬ不義には憤慨のひとつぐらいはしてもおかしくない場面である。それを認めて笑う時点で、ドラージュは心からそれを受け入れる姿勢を見せている何よりの証拠だ。一国の皇帝が、他国の兵に腰を低く合わせる必要性がどこにあるというのだという話である。


 跪かなくていいと言われた言葉の手前、それをすることは叶わなかったシリカだったが、込められるだけの想いを込めて深く頭を下げる。そんな彼女の想いを、意図の深きまで知り得ること叶わずとも、察したユースとアルミナも同じだけ、あるいはもっと低く頭を下げた。


 そんな三人を見届けたドラージュは、言葉を失っているチータに満足げな表情で語りかける。


「おぬしは、良い上官と仲間に恵まれておるぞ。今一度、その事実を再認識するべきではないかな」


 チータはその言葉を受け、ドラージュと瞳を合わせる。たとえ相手が皇帝であったとしても、それで物怖じしないだけの芯の強さ、乱暴に言えば図太さを持つチータは、真っ直ぐにその言葉を受け止める。時には他者に不遜を疑われる要素ではあるが、だからこそ持てる強さもある。


「……ありがとうございます。この慮り、決して忘れません」


 立場や建前を抜きにした、本心から沸き出る強い感謝の想い。堅苦しい言葉である一方、少年がそんな胸中を露にした目の前の事実は、何人もの人間を見てきた人生経験豊富な皇帝の目に正しく読み取られ、その表情は微笑ましく第14小隊を見降ろしていた。






 さて、ここからが大変である。まさかご挨拶だけ済ませたらさっさと帰れ、だなんて言いだす皇帝ではないし、それで名君だと語られているなら世界が信じられなくなりそうだ。ひととおりシリカ達と当面の謁見目的を果たしたドラージュだったが、ユースが恐れていたとおり、会食の場にシリカ達を招いてくれたのだ。


 それは身に余る光栄ではあるし、素直に感謝の思いだって沸いてくる。問題はそこではなく、一国の皇帝様との会食なんてどう振る舞えばいいのやら、という難題。粗相を起こすことなんて言語道断、細かいテーブルマナーのひとつでもしくじれば、自分のみならずシリカにまで恥をかかせることになる。そしてその壮絶な危機感は、アルミナだって感じ取っている。


 広い晩餐の間に招かれ、皇帝ドラージュとその隣に親衛隊達が座って並ぶ会食の間。向かい合う形でルオス皇帝、帝国の要人達と対面する、ユースとアルミナの心臓を鷲掴みにする緊張感は並大抵のものではない。ユースは少し前にシリカに叱られ、その時にも身を凍らせたものだが、今回は今回で恐れでなく畏れという圧迫感がある。先日といい今日といい、今月は厄月か。


「コブレ廃坑の治安は大丈夫かの? 噂はかねがね聞いていただけに、心配しておったのだが」


「今は安定してございますよ。そうしてお気遣い頂いていたことを伺えたのも、有難い話です」


「はっは、魔物に脅かされた者を案じるのは当然ではないか」


 この場に及んでから、ようやく皇帝ドラージュの風姿をその目で認識できる程度まで、頭がはたらくようになってきたユースとアルミナ。群青色を基調とした、襟が正されながらもゆったりした生地の衣服は、赤や黄の明るい色をした輝かしい貴族服を纏う王様の絵姿とは一線を画したもの。帝国の最上級位の者、皇帝のみが着られる由緒正しき紫のマントを羽織り、ルオスの象徴石であるジルコニアの大宝石を先端にあつらえた杖を持つドラージュは、皇族であると同時に、彼自身が見識に富んだ有力な魔導士の一人であることをも感じさせるご尊容だ。年老いて真っ白になった頭髪や長い口周りの髭も、全身から醸し出す貫録と併せれば、その半生で踏んできた経験深さを匂わせる一因となる。


 楽しそうに若き法騎士と談笑するドラージュの姿は、孫と語らう祖父のように柔らかい。とはいえ、その気さくさにある程度緩和して貰っているものの、シリカも完全に肩の力を抜けているわけではない。無礼はよくない、かと言ってこの場に招かれた以上、無言による退屈を与えるのは愚の骨頂。


 これは疲れる。若い時の苦労は買ってでもしろとは言うが、接待を学ぶことは二十代の若者にとって最大の試練と言っても過言ではないだろう。


 そうした役目をシリカが一手に担っていることに素直に甘え、チータはのびのびと食事中。元々どこで学んだのかテーブルマナーは完璧に近く、話の流れに合わせ、目の前の料理に手を伸ばすタイミングに誤りもない。勿論まったく緊張感を持っていないわけではなかったが、最低限をこなせる自信があったチータは、皇帝の側近に語りかけられる話に相槌を打ちつつ、肩の力を抜いて上手に立ち回っていた。


 ご馳走の美味しささえ嗜む余裕のないユースとアルミナが、まさしく針のむしろである。日頃仲間達との会話で身につけた空気を読むスキルだけで渡り合っていけるほど、振って沸いた皇帝様との会食の立ち回り方は容易なものとは思えない。実際には、ドラージュ含むルオスの要人達も、年若い少年少女がそうした思いに駆られることなど織り込み済みなので、どんな粗相があったところで笑って済ませるだけの器があるのだが、そんなのユースとアルミナの知ったこっちゃないという話である。


「……美味しいわよね、ユース」


「……うん、多分。絶対旨いはずだよな」


 味覚が麻痺するぐらい思いつめて、まるで葬儀かと思えるほど暗い表情の二人を、ドラージュもルオスの要人達も微笑ましく見守っている。誰しも差異あれど、そうした若い頃を経て今の地位まで上り詰めているのだ。お偉いさんの懐の深さを甘く見てはいけない。甘え過ぎるのも良くはないが。


「それにしても、若い者は良いのう。わしも昔のように、戦場に立ちたいものじゃがな」


 エレム王国は、戦う者と政治に携わる者が、政館と騎士館が分かれていることからもわかるようにはっきりと分かれている。一方ルオスの政治に携わる者の多くは、戦人としても名高い人物が多く、ドラージュもその例に漏れず、過去には勇猛なる魔導士として名を馳せた過去がある。文武両道を地で進むルオス皇帝に寄せられる信頼は、政治家としての手腕だけによるものではないのだ。


 年のせいもあって今では戦陣から退いていることを苦々しく語りながら、隠居後には魔法学の追究しきれなかった部分を掘り起こしてみようかと、老後の楽しみを語るドラージュは、70歳を超えてしわがれたその顔も、ふと若々しくも見えてくる。なんとなく、20年後になってもまだまだ元気にやっていそうに見える彼を見ていると、年を取るのも決して悪いものではないのかもしれない、とシリカも感じたりする。体を痛めつつ玉座から腰を上げていたドラージュが、それを受け入れ人生を謳歌している姿は、そう思わせるには充分な魅力を持っていた。


「若くして平穏な世を築くために駆けて下さった先人がいるからこそ、こうした今があるんです。時が経った今、私達が次の世代にこれを繋げていくことが使命だと思っています。いつまでも、先人の方々に甘えてなどいられませんよ」


 日頃から抱いている想いがあると、こうした場では強い。素直な想いを正しい言葉で形容するだけで、場を繋ぐのみならず偉人と胸を張って疎通が出来る。若き者の率直な声を聞きたいと会食の前に言い置いていたドラージュにとって、こうした言葉が聞けるのは有難く、また、頼もしい。


「ほほう、言うではないか。つまりは、老兵は退けと?」


「い、いや、決してそのような……誤解を与えたなら……」


 意地悪を敢えて言ってみせるドラージュだが、流石にシリカも慌てて、そういう意図ではないと弁解する。勿論ドラージュもすぐ後に、冗談じゃよと笑って見せたが、心臓に悪い冗談だ。


「エレム王国は素晴らしい国じゃと思う。おぬしのみならず、そうした想いを持つ者達が集い、国を、人々の平穏を守るために身を粉にして戦う姿を、わしは何度も目にしてきた。かの国の後姿には、若き頃――今もかな、学ばせて貰えたことも多いものじゃ」


 法騎士として王国に日々を捧げるシリカが抱く愛国心など、誰よりも自らの国を愛する皇帝ドラージュにとっては、シンパシーを以ってすぐに読み取れることだ。称賛の意を目の前の人物のみならず、その者が愛するものに対しても含めて述べるドラージュの語り口は、シリカの胸を熱く満たす。


 お褒めの言葉を貰えることは、誰しも嬉しいものだ。それ以上に、自分が愛する何かを称賛されることの喜びの大きさというものを、ドラージュは知っている。帝国ルオスが素晴らしい国であるという言葉を人々から聞けた時の喜びは、何度も経験してきたことだからだ。


「おぬし達をここに招き、エレム王国の誉高き者達と語らう機会を作れたことは、わしの想像していた以上に良き思い出として残るじゃろう。今日は、よく来てくれた。感謝するぞ」


「……身に余る光栄です」


 その地位にありながら感謝の言葉を容易く吐く皇帝の姿から感ぜられるのは、多少腰を下げたところで揺るがぬ絶大なる貫録と、それを正しく自覚した余裕の表れに他ならない。長い年月を経てその地位を確立してきた人物というやつは、その身の振る舞いだけでその大きさを示してくれるものである。だからこそ、人が後ろについてくる。


 緊張感は相変わらずだったが、若いユースにとってこうした人物と近くで語らえたことは、本人は無自覚ながら良い経験になったことだろう。目標としては高すぎる人物ではあるけれど、やがて自分が人の上に立つのならば、目指す所はこういう後ろ姿なのだから。






「今日は、一晩この町に泊まっていかれるのじゃろう? 部屋も用意しておるから、存分に甘えてくれてよいぞ」


 恐縮を誘う提案だが、ドラージュはそれを見越して、その代わりと言っては何じゃが、と一言付け加える。


「少し、お使いを頼まれてくれぬかの。聞いた話によると国へ戻るのは明日で良いそうじゃし、頼みたいことがある」


 今から帰れば、エレム王都に辿り着くのは日を跨いで朝方になりかねない。寝泊まりする部屋まで用意して貰える立場で、ドラージュの頼みごとを断る理由など見つからないだろう。


「そうじゃな……ジャービルよ、あとはおぬしの口から説明してやってくれぬか?」


「はい」


 ジャービルと呼ばれた、皇帝のすぐ隣に座っていた男が応じた。50過ぎと聞くその事実によく似合い、落ち着いた顔立ちと黒い口髭が特徴の人物。黒い軍服と帽子に身を包み、腰にサーベルの収められた重色の鞘を下げたその姿だけで、皇帝の最も近くでその安全を守る、強い男の風格を感じ取れるというものだ。落ち付き払ったその顔の裏、恐らく非常時にはその仮面を捨てて武人の顔になることを容易く想像させる、彫りの深い練達者の顔は、ある意味では年老いたルオス皇帝よりも静かな威圧感を放っている。


 はじめ、この会食の場に並んだ時にも自己紹介は済まされている。ジャービル=シエル=ソルティシアと名乗ったその人物もまた、エレム王国や魔法都市ダニームの多くの人々でさえその名を知る、偉大な魔法戦士として名高い人物である。そしてその手が為したとある大きな実績は、歴史や時事に比較的疎いアルミナでさえ知っていることだ。


「法騎士シリカどの。貴女には私と共に、大森林アルボルに赴いて欲しいのです」


 ジャービルの口から語られる依頼の内容を、姿勢を正して耳を傾けるシリカ達。明日もまた、忙しい日になりそうだ。

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