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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第2章  彼女に集った七重奏~セプテット~
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第32話  ~今度こそ~



 筆記試験や乗馬試験において試験から下された評価と、この後に控える剣術試験の総合点で騎士に昇格できるか否かが定められる。筆記試験や乗馬試験でいくら点数が稼げなくたって、その場で基準値に到達し得ないから退場、という処遇を食わされることはない。もっとも、そこまでで自分がまだまだだと思ったならば、筆記試験ないし馬術試験が終わった後にその場で帰っていい自由も与えられている。


 もちろん、いくら馬術試験で気落ちしたユースとはいえど、こんな所で引き下がるようなことはしない。この後に控える剣術試験で実力を示せれば、騎士昇格の目だってあるはずだ。


 数多くの少騎士達が緊張した面持ちで待つ騎士館の待ち合い室で、ユースも強張った表情でじっと座っている。我慢できずに剣の素振りを始める者や、意味もなく歩き回って落ち付かない少騎士達の気持ちも、ユースにとってはよくわかる。何のためにここに来たか、そのために今日まで何をしてきたのかを思えば、最後の命運を握る剣術試験を前にしたその心持ちは言わずとも知れるというものだ。


「――ユーステット=クロニクス」


「……はい」


 待合室を訪れた高騎士に呼ばれ、ユースは試験の舞台に向かって歩き出す。秋の心地よい風の温度は良い意味でユースの体を温めも冷やしもしなかったが、胸に宿る熱意と緊張感から心臓を冷やす想いが交錯したユースの体は、良くも悪くも緊張した動きだった。


 力を抜き過ぎず、ほどよく緊張した時ぐらいが最も全力を出せるというのがひとつの通説だ。今のユースの肉体がそうした状態であるかは、計りづらい部分である。











 筆記試験の会場に使われなかった訓練場も含め、数多くの訓練場がこの剣術試験の会場として使われる。ユースが招かれたのは何の巡り会わせか、最も見慣れた第一訓練場であり、ここでユースと木剣を交わして彼の力量をはかるしるべとなる上騎士が、目の前に立って待っている。


「不思議な縁だ。法騎士シリカ様の部下として共に戦った君と、私が戦うことになるとはね」


 木剣を手に、自らを迎え入れた人物は、かつてアイマンの村でのヒュージタートル討伐任務をシリカが受け取り赴いた際、駐在騎士として村を守っていた小隊の隊長、ノーマー上騎士だ。ユースも魔物と戦う彼の姿は見ていたし、あの日は自分と上騎士の間にある力の差を強く認識したものだ。


 訓練場でノーマー上騎士と対峙したユースの周りには、4,5人の法騎士が、聖騎士が立っている。上騎士と戦う少騎士を客観的に見て、評決を下すための立会人に選ばれた騎士達は、歴戦の目とたたずまいで、会場に足を運んだ少騎士の緊張感をさらに引き上げる。


 そして、緊張感という意味ではノーマー上騎士も同じものを背負っている。少騎士と剣を交わす試験官として少騎士と剣を交わす者には概ね上騎士が選ばれるのだが、それは彼らも立会人の法騎士や聖騎士に、その腕前を査察される機会を作るという機会でもある。上官の前で不様な姿を晒せないという意味では、今のノーマーこそ、ある意味受験者にも勝るプレッシャーを感じていてもおかしくない。上騎士が少騎士に負ける姿など晒しては沽券に関わるというものだし、全力を以ってユースの前に立ちはだかってくるのは間違いないだろう。


 相手が自分よりも、一枚も二枚も上手の相手が全力で剣を振るってくる試験。それでもユースは、勝てないまでも、とは思っていない。たとえ相手がどれほど強い人物であろうと、これが実戦ならば敗北した瞬間に命を失い得るのだから。仮に相手が自分よりも強い人物であっても、勝つつもりで木剣を振るう覚悟はとうに決めている。それで意気込み過ぎて前に出過ぎて隙を作ってはいけないことも、シリカへ繰り返した挑戦で体に刻みこんでいる。


 心意気も、それに伴い必要とされる判断力も養ってきたはずだ。あとはユースの力量そのものが、どこまで辿り着いているかだけが問題である。


「準備はいいな? 試験を待つ者はまだまだ数多い。時間は限られているぞ」


 ノーマー上騎士はユースの持つ木剣と似た形の、騎士剣を模した木剣を握り、構えた。ユースも左腕に装着した愛用の盾を、改めて正しい位置に整え、木剣を握った右手にぐっと力を込めた。


「よろしくお願いします……!」


「来い!」


 勢いよく駆けだしてノーマー上騎士に立ち向かうユースを、立会人であり監査官である周囲の騎士の目を細めさせた。






 エレム王国騎士団の騎士というものは、実戦において武器を問われることはない。実際クロムは騎士剣など持たずに槍を扱っているし、シリカだって状況に合わせて短剣を扱う時はある。騎士剣の帯剣が絶対とされていた歴史も過去にあり、その制度が廃止されたり、復活したこともあったが、今のエレム王国騎士団においては騎士剣の帯剣は絶対ではない。斧、弓、フレイル、あるいは手足や拳につける闘具など、騎士は好きな武器を選んでいいことになっている。


 ただ、入隊試験や騎士昇格試験ではそうなのだが、最後に受験者の武器捌きを見定める戦闘試験は、剣術を以って計ることになっている。帯剣が絶対でないのに剣術で騎士となれるかどうかを計るというのは一見矛盾しているが、それには様々な事情がある。まず剣術はエレム王国騎士団においてさんざん究明されてきた分野であり、騎士団の要人たる人物たるものならば、剣の扱いを見ればそのものの力量が実に計りやすいという部分が大きいのだ。


 また、上騎士以上になった人物には、やがて見習い騎士や、自らの指揮する部隊の部下に剣の道を教え説かなければならない機会が訪れ得る。最低限の剣術を身に付け、そのまま剣の使い手として道を進んでいく者が一定数いないと、騎士団としては困るのだ。刀を扱うグラファス聖騎士や、大剣を振り回すラヴォアス上騎士のような人物がいることに何ら問題はないが、極論、誰もが誰もバラバラの武器を扱うのでは、人事を回す際に不必要な苦労をすることになる。一定の指針として、剣術という分野を絶やさぬ礎として、こうした試験では剣の扱いが必須とされるのだ。


 受験者が剣の扱いに慣れているかどうかなど、立会人の監査官からすれば一目瞭然だ。その上でどこまで努力をしてきたか、実戦でその人物が最も得意とする武器を握れば戦力になるかどうか、それを見定めるのが監査官の仕事であり、なかなか複雑で大変な仕事であるといえるだろう。ただ、今彼らの目の前で戦う少騎士は長らく剣を握ってきた者であり、留意点としては腕に装着した盾をどこまで活かして戦うか、ぐらいのもので、比較的シンプルに評決を下せる受験者だ。


 一切の言い訳は利かない。すべからく試験というものはそうだが、こと剣を扱うことに今日までを費やしてきたユースにとって、この剣術試験は誤魔化しの利かない正念場。地力を以ってして、己の実力を示すことに全力を傾ける他に道などなかった。






「――そこまで!!」


 立会人である監査官の一人の声が、高く響いた。目の前の相手を打ち倒すことに全神経を傾けていたユースとノーマー上騎士の意識にもその声は差し込んで、ほぼ同時に両者の動きが止まる。


 わずか5分間。何時間も、何百時間も、この日に向けて己の力を養うために費やしてきた時間と比べればあまりに短い時間で、少騎士達は自身の力量を見定められるのだ。釣り合わないようにさえ思える短時間に人生の一端が懸けられていることは、決して珍しいことではない。


 その僅かな時間に全身全霊を捧げていたユースは、全身から汗を噴き出したまま、肩で息をして引き下がる。5分間の戦闘など、本来なら慣れたもので息を切らすようなものではない。それだけの体力は日々の鍛練で身につけている。彼をそうさせるのは、乾坤一擲の覚悟でこの場に臨んだことを、図らずして全身が物語っているというだけの話だ。


 やるだけのことはやった。手が届かぬ上騎士様であると思っていたノーマーの剣撃を、一度だってこの身に受けることはなかったし、あと少しで相手の体に木剣を触れさせられようかという場面だって何度かあった。このまま続けていれば勝てたかもしれない、と思うほどユースも傲慢ではなかったが、今の自分の全力を示すことが出来た実感はあったつもりだ。


「少騎士ユーステット=クロニクス。ご苦労だった」


「――ありがとうございました!」


 ノーマーに一礼して、ユースは訓練場を後にする。疲労とはまた違った意味で心臓が高鳴り、すべてが終わって結果を待つだけの緊張感が全身を包む。やれるだけのことは出し尽くせたんだから、これで駄目ならばまだまだ騎士への道のりは遠いと覚悟は決められた。一方で、本当にこれでも駄目だったなら、騎士への道がまた遠く遠く見えてしまう悪夢に襲われる恐怖だってある。複雑な想いで試験会場を立ち去るユースは、脱力ともに長い息をつくのだった。






「――ノーマー上騎士。どうだった?」


 ユースを見定めていた法騎士の一人が、彼に問う。ノーマーは監査官の誰もが予想したとおり、苦笑いを返して見せた。


「……情けない姿をお見せしましたね。甘く見たつもりは、なかったんですが……」


 その言葉が意味するのは、全力を出したノーマーがユースに苦しめられたという事実。ユースに隙を見出すことが出来ず、その上でかの手から繰り出される積極的な攻撃の数々は、他でもないノーマー自身が誰よりも実感していることだ。


「少騎士ユーステット、か。何度も試験を受けて落ちていると聞いていますが、噂どおりですな」


「ええ……彼を騎士に昇格させるのは、やはり抵抗がありますが……」


「それには同意だ。しかし、あの力量を鑑みるに……」


「シリカ法騎士の小隊に所属する以上、少騎士でい続けさせても意味はないと思いますがね……」


 次の少騎士がここに来るまでの間、監査官とノーマーとの間で短い会議が行われる。最終的な決断はこの後に行うとしても、鉄が熱いうちにだけ交わせる意見の交換も必要ではあるのだ。


 ユースの命運を握る騎士達の会議が、次の少騎士の到着で打ち切られる。そんなやりとりが行われていたことなど知る由もないユースは、やがてただ一人家路に着くのだった。











「――ただいま」


「おかえり、ユース! どうだった!?」


 今か今かと同僚の帰還を待っていたかと言わん表情でアルミナが駆け寄ってくる。ガンマがその後ろに続き、小声でおかえりを告げるキャルがその横に並んでいる。


「まあ……いつもどおり、かな。やるだけのことはやったけど……」


「いつもどおりってことは、乗馬は相変わらずか?」


 くひひっと笑ってそういうマグニスの頭を、後ろからシリカが小突いて止める。そういえばそんな試験もありましたね。


「お疲れ様。まあ、詳しい話は風呂に入ってから聞かせてくれ。疲れただろう」


「はい」


 シリカの柔和な笑顔に緊張の糸が切れたユースは、玄関先での足取りよりはやや軽いもので、浴室に向かって歩いていくのだった。






 試験の結果が知れるのは明日の朝だ。今夜は結果を待って眠ることしか出来ないユースは、だいたい予想していたとおり、眠りにつくことが出来ずにいた。試験に全力を傾けた夜は、頭も体も疲れきってすぐに眠れそうなものなのだが、なかなか人間の体というものは不思議なものだ。それともシリカの苛烈な訓練に日々鍛えられているせいで、ちょっとやそっとじゃ疲れない体になっているのだろうか。


 こういう時、ユースは庭先に出て夜空を眺めて故郷の母を思い返すのが常である。空は誰の上にでもあるもので、今自分が見ている夜空を誰しもが眺めている可能性だってある。母もそうならば、というわけでもないが、同じ空の下にいる遠き大切な人を想い返す時、人が空を仰ぐのはきっとそのせいだ。


「夜更かしは体によくないぜ、少年よ」


 ふっと後方からユースの耳に届いた言葉はそれだった。声の主がマグニスであることは、聞き慣れた声色と軽い口調からすぐにわかったことだ。


 意外だったのは、そこにいた人物が二人だったこと。マグニスの隣でユースに視線を注いでいるのはチータだった。


「マグニスさん、チータとまた盤棋で夜更かしですか?」


「んあー、また負けちまったけどな。やっぱ強ぇわ、コイツ」


 どうせ金を賭けての盤棋だったのはユースにも想像つくのだが、その上で敗北報告をあっけらかんと済ませるあたり、チータ目線では食えぬ人だなという印象が重なる。この人は賭け金が上がった途端、滅茶苦茶強くなりそうだという疑念が、マグニスと盤棋を重ねるたびに強まってきているからだ。


 そんな二人の表情を見比べて、ユースはくすっと笑わずにはいられなかった。マグニスが食えない人物であるのはユースもよく知っているし、はじめとんだ食わせ者だと思っていたチータも、案外マグニスとは気が合っているように見えて、なかなかいいコンビに見えたから。


「笑顔にちょっと元気が足りねえなぁ。ま、気持ちはわからなくもねーけどさ」


 肩を強く叩いてユースに笑いかけるマグニスにも、今のユースの胸中は見えているだろう。結果を待つ身でナーバスになる彼の気持ちを想像できない身内など、いないと断言していいはずだ。


「努力している人間がいつかは報われる、って言葉は決して嘘じゃあねえんだぜ。それが明日か、また遠い未来かは知らねえが、前に進むことを諦めなかったお前なら、必ず道は拓けるはずさ」


 ふっと真剣な表情を見せてそう言うマグニスを見て、ユースが返す言葉はすぐに決まる。


「誰の言葉借りたんですか?」


「シリカに決まってんだろーが。あいつが言いそうなことパクってみた」


 結果主義かつ現実主義のマグニスが、自ら進んでこんな言葉を使うわけがない。それを知っているユースの切り返しにマグニスがかっかっと笑い、ユースも今度は随分と柔らかい笑顔を返すことが出来た。


「……ユース、どうだった? 試験は通りそうだったのか?」


 思ったより積極的に話に入ってきたのはチータだった。それを意外と捉えたのはユースもそうだが、答えを淀ませる要素にはならず、素直な想いを口にする。


「正直、わかんないな。いつも、今度こそは、今度こそはって思いながら、落ちてきたから」


「……そうか」


「まあでも、駄目だったとしてもまた頑張るよ。そしたらきっと俺、またすっげーヘコむんだろうけど、今の自分が駄目でも、次の自分が今より駄目にはしたくはないからさ」


 ずっと思っていたことを言葉にしたことで、ユースも今ようやく吹っ切れたような心地になる。結果が出る前に後のことを考えるのは皮算用だが、いずれの未来が目の前に転がってきてもそれを受け入れる心構えが今できたことで、この後はやや早く眠りにつけるかもしれない。


 ふうと息をついたユースに、心安らぐ彼に捧げる言葉がチータから少し漏れる。


「僕はお前が試験通ることに賭けてるから、出来れば通って欲しいな」


「んあ!? お前、俺で賭けやってんの!?」


「ちなみにお前が落ちたら、俺がクロムの旦那とチータから総取りすることになってっから。まあ、落ちたら俺を幸せにしたと思って胸張ってくれていいぞ」


 夜空に響くほどの声で驚愕したユースに、マグニスから強調される衝撃の真実。一瞬言葉を失いかけたが、冷静に考えてこの賭け事にクロムも関わっていると知ると、また一つの疑念が。


「え、ちょっと待って。まさか今までも?」


「え、知らなかった? 俺と旦那、毎回賭けてるよ」


 このオッサンどもは……心中でほとほと呆れながらユースはとりあえずチータに目線を向けるが、チータはひょいっと首ごと目を逸らし、すすっと距離を取って、悪びれないよという顔をしている。


「いいだろ、別に。ちょっとぐらい楽しんだって」


「よくねーよ!!」


 チータを捕まえようとするユースと、それから逃れるチータの姿が可笑しくて、マグニスはケラケラと笑っていた。先輩なので手を出されることもないし、高見の見物だ。


「こらお前ら、騒ぐな。とっとと寝ろ」


 そんな三人に近付いてきて彼らを制止したのは、クロムだった。月も高く昇った頃、そろそろあまり大きな声を出していては近所迷惑な時間帯である。


「珍しいっすね、旦那。旦那ならこういう戯れ好きそうだし、わざわざ止めたりしなさそうなのに」


「アホかお前。シリカが起きてきたら、うるさいぞって大目玉だろうが」


 以上、解散。この上なく説得力のあるお言葉に、夜更かし組の三人はとっとと自室に帰ることを決め込むのだった。











 騎士昇格試験の合否の発表は、朝早くに騎士館の一室にて貼り出される。そこで自分の合格を見届けた者は、昼頃に行われる騎士階級の階級章の授与式に参列できるのだ。試験を通過出来なかった者は肩を落として帰るしかないので、結果が良くてもその会場であまり顔には表せない複雑さが、その発表場には混在している。


 前日の疲れと夜更かしがたたってか、ややユースは寝坊気味だった。しっかりしろとシリカにちょっぴり苦言を呈されもしたものの、気持ちがわかる立場のシリカのお叱りが、やや軽いものだったのは気のせいではないだろう。別に致命的な寝坊でもなかったし、発表時間から一時間ほど経った頃に、ユースは合格者発表の結果が張り出された一室の前に立っていた。


 扉を開けると、そこはもう喜びと悲しみの入り混じった伏魔殿。先述の理由から、喜びを大きく見せ示すような少騎士はいなかったものの、合格したと見られる少騎士の表情の筋肉の緩み具合は、眼力の鋭くない者でも簡単に見て取れる。逆に試験を通らなかった少騎士の表情は、どんなに強がって見せていたとしても、喜びの気質が無い以上、残念な結果であったことを物語ってしまう。


 この後自分がどういう表情を浮かべることになるのか。部屋に入って一歩ずつ、発表された合格者達の名が連ねられた貼り出しに近付くたび、心臓の高鳴りが大きくなる。いくら覚悟してたって、結果をどう捉えられるかなんてまで予測しているはずもない。


 自らの名を示すユーステット=クロニクスの文字列を、意を決した少年騎士が探し始めた。











 シリカ達は待っていた。ただ一人、自分の行く末を定める騎士館の運命の地へ足を向けた部下、同僚が帰ってくる時間を、今か今かと待ちわびる想いだ。


 ユースには、結果がわかったらすぐに帰ってくるように言ってある。あれだけ強く言っておいたんだから、結果がわかれば寄り道せずに帰ってくるはずだ。だから、結果は見えている。


 合格していたなら、そのまま騎士館に滞在して、騎士の称号を意味する階級章を貰ってくればいい。そうでなかったなら、騎士館に用はないのだからすぐに帰ってくればいい。ユースがこの家を出たのは朝方で、今はもう昼下がり。ユースがちゃんと言うとおりにしているなら、答えは見えているはずだ。


 そんなシリカ達の想いに応えるように、ようやく玄関の扉が開いた。


「――ただいま!」


 駆け付けたアルミナとガンマ、キャルの目の前にあったのは、ここまでの殆どを走って帰ってきたことがすぐにわかるぐらい息を切らしたユースの姿。そしてその手には、ずっと力及ばない自分に自信が持てなかった少年が今までに見せたこともないような誇らしい笑顔と共に、騎士階級を示す階級章をその手に握られていた。


「通ったの!? ホント!?」


「マジで通った! やっと!」


 驚嘆の声を上げたアルミナにユースが元気いっぱいに答えると、ガンマが勢いよくユースに駆け寄ってバシンと背中を叩く。大きな声でおめでとうと言ってくれるアルミナとガンマのすぐ横で、いつもよりほんの大きな声でおめでとうと言うキャルが、二人と同じく、自分のことのように喜ぶような笑顔でユースを見守っていた。


 玄関での大騒ぎに、元より確信していた結果を実感したシリカ達も、年相応に落ち着いて静かに祝福していた。クロムも、マグニスも、ちょっと若いけれどおとなしいチータもだ。


 一人、そうでない者もいた。いてもたってもいられなかったか、席を立ってユースを迎えに行くその後ろ姿を、見守るクロムが声を殺して笑って見送っていた。


「――ユース」


「シリカさん……!」


 胸を張って階級章を握り、シリカに駆け寄ってそれを見せるユースは、きっと今の喜びをどうやって言い表せばいいのか頭が追い付かなかったのだろう。言いたい事がいっぱいあるだろうに、言葉もなく笑顔でそれを見せてくる部下の想いを察せぬはずがないシリカは、上官として部下を祝福するべく用意していた言葉を並べるべく、咳払いをする。


 だが、あらかじめ作っていた祝辞を口にする直前、言葉が詰まる。予想はしていたが、やっぱり無理だ。抑えきれない。


 シリカは右手をユースの頭に乗せ、くしゃくしゃと勢いよく撫でまわした。


「おめでとう……! お前も今日から、騎士になったんだな!」


「はい!」


 半人前から、一人前へ。自他共にそう認められる喜びは、何にも勝る感無量である。目の前の部下の努力が報われて、掛け替えのない喜びを今噛みしめる中、上官としての形式的な言葉で自分の喜びを表すことなど出来ないのだ。シリカはあるがまま、思うがまま、ユースの合格を祝う想いを全身で表現することしか出来なかった。


 シリカに引き連れられるような形で居間に駆け込んだユースを、クロムとマグニスとチータが拍手で迎え入れる。チータはそういうことを自らやろうという性格をしていないので、クロム辺りがそうするように囃し立てていたんだろうなと推察できる。


 ユースは階級章を左手に握ったまま、目の前の三人に向けてぐっと親指を立てて良き結果を示した。浮足立った後輩の態度に、おおー、とクロムとマグニスが笑う中、ユースはその親指を立てた握り拳をすーっとマグニスに向けた方向に動かす。


 そのままゆっくり、手首を返して、親指を下に向けた拳をマグニスに突き出す。


「マグニスさん、ご愁傷様でした」


「あ゛っ!! そうだ俺ユースの不合格に賭けてたんだった!!」


「「ざまぁ!!」」


 オーバーリアクションで大損害を唱え、頭を抱えるマグニスに、ユースとアルミナからざまぁの大合唱。ついでにクロムもざまぁコールに乗って、ガンマも一緒にざまぁの連発。


「いやー、よく合格してくれた。上手いこと儲けさせて貰ったわ」


「触るなっ! ギャンブラーめ!」


 後輩の合格と賭け金の両取りにご機嫌のクロムがユースに近寄るが、ユースは階級章をこんな男に触らせてたまるかとばかりに、彼から階級章を遠ざける。笑いながらの行動で、怒っている気持ちなどさらさらないのだが、ここはそういう行動に出てもいい場面である。


 いいじゃねえか減るもんじゃなし、と言いながら、階級章を見せろよとにじり寄ってくるクロムからユースが逃げ回る光景は、周りで見守る仲間達も笑顔で見守っている。クロムががしっとユースの腕を掴んだ拍子に階級章が床にカツンと落ちてしまい、大事な階級章になんてことするんですかとユースが大きな声で返すと、また第14小隊の集まるこの居間に笑いが巻き起こる。


 この日は、夕食時まで笑顔の絶えない時間帯だった。そして夕食時になると、シリカとキャルが腕によりをかけて作ったご馳走が食卓に並び、ユースの騎士昇格を全員で華々しく祝ったのだった。






 長く、騎士として生きていればつらいこともある。例えようもない大きな挫折につまづくこともあれば、仲間の死に立ち会うこともある。タイリップ戦役から生存したユースにとっても、その一端は経験していることだ。これからの日々で、その身を貫く苦しみに耐え忍ばなくてはならないことだって数え切れないほどあるに違いない。


 生きていくことはそれだけで、苦難に立ち向かう戦いだ。そしてそんな多くの障害を乗り越えた時、その先にある光の尊さは、例えようもなく眩しくて温かい。2年半の時を経てようやく騎士という称号の手にし、一人前の騎士であると名乗れるようになった少年が実感したそれは、次の光を求めて歩んでいくことへの大きな経験則として活きていく。


 今はただ、ようやく掴んだ夢を喜ぶだけでいい。たとえいつか、立ち上がれなくなるほどの大きな挫折が目の前に現れたとしても、苦難を乗り越え希望を掴んだ、過去の自分がその手を引いて導いてくれる日が必ず訪れる。夢を叶えることの尊さを知り、それを追う希望を強く持つことは、それだけで人を立ち上がらせて前に進ませる、大いなる力を持っているのだ。




 騎士、ユーステット=クロニクス。やがていつかエレム王国騎士団に永く語られる一つの英雄譚が、今ここに始まった。

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