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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第2章  彼女に集った七重奏~セプテット~
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第31話  ~騎士昇格試験~



 エレム王国騎士団において騎士団員と認められるには、ひとつの最低条件がある。それはまず、17歳以上であることだ。


 16歳以下にして騎士を目指すことを志した者は、騎士館の養成所に通うことを認められている。そこで見習い騎士としての称号を預かりながら、剣術や騎士道学を学んでいくのだ。シリカやユースもそうした過程を経て、今の立ち位置にいる。


 見習い騎士にして17歳を迎えた者達は、騎士団入隊試験を受ける資格が与えられる。ここで教養と手腕を証明し、試験に通れば晴れて少騎士、あるいは騎士、非常に優秀ならばこの時点で上騎士の称号を得られるのである。もっとも入団試験を通過した時点で上騎士の称号を預かれる者ともなれば相当に限られてくるし、ユースはその試験を経て少騎士の称号を得た。シリカのように、入隊の時点で上騎士の称号を得るような実績を持つ者といえば、見習い騎士であるうちから既に優秀な実績や成績を重ねて、なおかつその腕前が卓越していなければならない。それは極めて稀有な例だと言えるだろう。


 少騎士は、騎士昇格試験を通過することで、少騎士から騎士に昇格することが出来る。もっとも少騎士のうちにでも目覚ましい活躍を示すことが出来るなら、試験を通らずして少騎士から騎士に昇格する可能性もあるが、少騎士に預けられる任務など殆ど限られているため、その目は薄いと言える。ユースが騎士に昇格するには、この試験を受けるのが最短かつ合理的な手段だ。


 見習い騎士という期間を設けず、騎士団入隊試験の時点で抜群の手腕を示して見せたクロムのように、入隊した時点で少騎士の地位を飛び級した人物なら、騎士昇格試験には縁のない人生を送るだろう。ただ、騎士館の養成所に関わった過去を持たず、騎士団入隊試験で初めて騎士団と顔を向き合わせた人物が、どんな手腕を示そうと飛び級で上騎士となることはないので、こちらの場合はどんなに優秀でも騎士の称号が最大限である。上騎士は小隊を率いることになる可能性があるため、ある程度の期間は騎士団に属した事実がないと、流石に任せられない立ち位置であるからだ。


 12歳で王都に上り、見習い騎士として生きてきたユースは5年の下積みを経て実力を養い、入隊試験に合格して少騎士の称号を得ている。そして、あの日から2年半の時を経て、1年に4度行われる騎士昇格試験を何度か受けても、騎士昇格の夢は叶わずにいる。


 今度こそは、と心に決めながらも叶わなかった夢。この日ユースは、再びその夢に向かって挑戦するのだった。











「お前ホント、馬に乗るの下手だからなぁ」 


 朝早く、騎士館に向かう前の食卓を囲んで、クロムがしみじみとつぶやく。自覚しきっている最大の問題点を公言されることに、今さらユースも全く抵抗しない。


「乗馬の試験で思いっきり点数引かれるらしいな。学術試験では、取り返せるみたいだけど」


「何度も試験受けてるから、その辺はもう大丈夫みたいだけど。あとは剣術試験で取り返せば、って私は思うんだけどなぁ」


 ガンマに続いてアルミナが放った言葉が、無言で飯をかっ食らうユースの胸にちくちく刺さる。そう、乗馬の試験で減点されても、剣術試験や学術試験で取り返せれば試験には通るはずなのに。


「本番に弱い、ってのには同情しなくもねえが、命のやり取りの実戦じゃそれが命取りだからな。試験官どももそこまで甘く見てはくれねえだろ」


「……もったいないと、思う」


 マグニスとキャルの追い打ちだ。マグニスの指摘はダイレクトに胸に響くが、応援してくれる人に"勿体ない"と言われるのもなかなか応えるものである。


「まあ、そろそろ結果が出てもいい頃だとは思う。昨日までに培ってきた力を信じて、いい結果を私達の前に示して見せて欲しいところだな」


 そう、シリカの言うとおり、そろそろ結果を出さなくてはいけない。同い年で親友であるアイゼンが、1年前にすでに少騎士から騎士に昇格したことや、これだけ背中を押されているのになかなか結果を出せない自分とは早くさよならして、胸を張る自分でありたいとユースは思っている。故郷で一人自分を信じて、騎士団入りを認めてくれた母の想いに報いたいと思う気持ちだって常にある。


「……行ってきます」


 決意を胸に食卓を立ち、騎士館へ向かうべく玄関に立った少年は、仲間達を見返し一礼する。その姿から感じられる想いの強さは、彼に出会って日の浅いチータにも伝わるというものなのだが。






 ユースが家を出た後の居間では、今日のユースの命運を待つべく雑談が繰り返される。


「とっくに少騎士って器じゃないんだけどな、あいつ。俺から見れば」


「うーん……ワータイガーやミノタウロスにも立ち向かって勝ってきたあたり、私だって同じこと思うんだけどなぁ」


「乗馬が下手って言っても、他の少騎士とかと見比べてもあいつ全然強いよな。剣術の試験で充分取り返せる気はしてるよ、俺も」


「……筆記試験だって、勉強してるし、大丈夫なはずだと思う」


 クロムが、アルミナが、マグニスが、キャルがそれぞれの想いを口にする。それらを聞くシリカも、そろそろユースの開花を期待しながらも叶わなかった過去を思い返し、軽くため息をついている。


「まあとりあえず旦那、賭けましょうか。ユースが試験に通るどうか」


「んあ? 俺ぁ今回もユース合格に賭けるよ」


「ちょっともー、マグニスさん。そういうのやめましょうよ。クロムさんも乗らないで!」


 不謹慎な遊びを持ち出すマグニスを諌めるのは毎度の如くアルミナだが、ユースの合格に賭けるクロムにも少々の批判。同僚の成功に賭けるというのはある意味では愛を感じるが、実際に賭け事の種にまでしてしまう辺り、彼も同類といえば同類である。


「旦那そうやって今まで山ほど俺に献金してきてるのに、強気っすなぁ。愛着だけで賭け事は出来ないと思うんすけどね」


「おう、お前にしてはいい事言うじゃねえか」


 けらけらと笑うクロムと、しめしめと笑うマグニス。何を言っても無駄だなとシリカが改めて確信するのに時間はかからなかった。











 騎士館の試験会場に、定刻よりも随分早く到着したユースは、慣れた段取りを繰り返して受験の手続きを済ませる。慣れるぐらい何度も試験に受かってこれなかった過去が、哀しい形で表れている。


 試験会場に入場したユースは、まず一般教養や騎士学を問う筆記試験を受けることになる。今回の騎士昇格試験に集まった多数の少騎士達は、騎士館の鍛練区、普段は訓練場として使われる広い空間に多数の机を並べた試験会場に足を運ぶのだ。前日にはここへの備品の搬入が、試験後にはここからの備品の搬出が、それはもう忙しく行われていたことだろう。


 日頃は第5訓練場と呼ばれて使われている、この場所の一席に腰かけたユースの前に広げられた問題用紙と解答用紙。とりあえずここで、仮に百点満点を取れるならこの後の試験にも余裕が出来る。ユースは気負ってその手にペンを握った。






 騎士昇格試験の学術問題は、騎士となる者が備えていなければならない教養を問うためのものだ。簡単な算術の問題も出るし、掛け算割り算が試験中に速やかに出来るぐらいの教養がないと、まず試験の壁にぶち当たってしまう。勉強が大っ嫌いなガンマ辺りは、そういう部分から騎士団になんか絶対入らないと強く主張を繰り返している。


 問題は全部で100問ある。はじめ30問はそういった計算問題や、国語力を問うような簡単な問題の集合体で、まずこの辺りはユースも難点だとは思っていない。他の少騎士達も、こうした場所で凡ミスしないように注意を払っている程度のものだ。


(445人の大隊から負傷者が27人出て、76人の中隊がそこに合流して――相変わらずこの手の問題って長いよなあ。計算ミスしそうだ)


 問題用紙に筆算を書いて綿密に計算を進めるユース。こんな所でつまづきたくはないので、時間を多少使ってでも神経質になってしまう。




 次の30問が、少騎士達を悩ませる壁の一枚だ。エレム王国騎士団の歴史にまつわる問題が続くこの集合部が、一部の少騎士にとっては極めて難しい。なにせ長いエレム王国の歴史の中から、広い広い出題範囲を問われるのだから、試験対策の難しい場所だ。特に、この後に控える馬術や剣術に傾倒してきた少騎士にとっては、ここで随分と点数を削り取られる。


("第23代王騎士様の遺した格言の中で、騎士団指南書に掲載されているものをひとつ述べよ"、か……こんなの答えられる奴そんなにいないんじゃねえの……)


 騎士団の元帥とも言える立ち位置、王騎士というのは常に一人しかいない。だからこの問題で第23代王騎士と呼ばれる人物と言えば候補は一人しかいないわけだが、まずその名前が頭に出ないと答えられない問題である。ちゃんと勉強していないと、この問いには答えられない。


(まあヘリオス王騎士様のことだってわかれば、簡単な問題ではあるけどさ……)


 ユースは溜め息つきながら回答欄に、"偉大なる指導者は頭が良く、顔が悪い"と書いておいた。男前とは到底言えないような顔立ちながら、そんな自分を卑下することなく多くの実績を残し、民と部下から愛されたと伝わる第23代王騎士。冗談を言って部下を和ませることが好きだった、気さくな偉人の生き様を示した自虐的な格言は、知る者にとっては頭に残りやすい言葉だった。


("魔将軍エルドルが討伐された地は、今は何と呼ばれているか"、か……これはまあ、ラッキーかな)


 迷わず"カーボラス高原"と書けたユースの手の動きは速かった。かつて魔王マーディスが率いた魔物の生き残りの中でも、随一の実力を持つ魔物、魔将軍エルドル。その討伐の立役者である人物、ダイアン=カーボラス法騎士の性を冠したその地の名は、今や地図にも載る地名である。この名が制定されたのは4年前だが、そこに居合わせた人物にシリカという近しい人物がいたゆえ、ユースにとっては記憶に強い問題だったと言えるだろう。


 しっかりと勉強しておかなければ頭に入らない一方、騎士に昇格した後にその知識が活きる場面があるかどうか疑問の残りやすい、騎士団の歴史に関する問いの数々。それでも、騎士になりたいならばそれを勉学で抑えて来られるかどうかという意志を、出題者達は問うている。はじめこの周辺の問題を疑問視していたユースも、今となっては納得できる頭の作りになっているのは前向きなことだろう。




 はじめ60問を超えた少騎士達を待つ次の30問は、この筆記試験の最大の難関である。エレム王国、魔法都市ダニーム、魔導帝国ルオスという、3つの国家含めての時事問題が集結しているのだ。とかく騎士という人物は戦事に従属するだけでなく、各国の動きに敏感でなくてはならないことが多く、判断を迫られる時にそうした知識は必要とされる。


("昨今の魔導帝国ルオスにおける、三大魔導名家をすべて挙げよ"……あー、なんだっけな)


 魔王マーディス討伐に直接携わった大魔導士の属する名家、ズィウバーク家の名前は出る。帝国ルオスの皇帝が顧問魔導士家として宮廷に迎え入れている名家、ソルティシア家の名前も出る。もう一つが出てこない。多分、周りの少騎士達も同じような悩み方をしている気がする。


(サルファード家、だったっけなぁ……あんまり自信ないけど、それぐらいしか知らないし……)


 部分点を貰えればいいかな、という気持ちで3つ目の家名をユースは書いておいた。ダメもとでも白紙のまま提出するよりは、その方がいいだろう。


("魔王マーディスの討伐後、かの存在が居城としていた亡国ラエルカンの跡地に建てられた石碑は何と呼ばれているか"……ヤバいな、これ知らないぞ)


 ユースはこの問題を飛ばした。いくら考えても心当たりがないからだ。実はその石碑の製造に携わった人物の一人と言えばユースも知っている人物なので、そこに思い至れば答えを出せる可能性は充分にあったのだが、今のユースには手の出る問題ではなかったようだ。


 時事問題を絡めたこの問題群は、意地悪なことにここに限って配点も高く、多くの少騎士達を泣かせる部分である。何度試験を受けてもここの回答欄を埋め尽くせたことのないユースも正直、出題者の攻撃的な出題ぶりにはげんなりする想いだった。




 最後の10問だ。ここにある騎士道としての道を問う問題の数々は、得られた知識と自分の経験を通して答える問題である。正解などないとわかっている問いの数々に何と答え、それに何点の配点があるのかも知らされてはいないこの問題が、騎士達を真剣に問題用紙と向き合わせる。


("同盟国の甲国と、エレム王国とは無関係の乙国が争っている。戦争の原因は、乙国の国土内にある鉱脈を甲国を採掘し、その所有権を争ってのことである。エレム王国は同盟国である甲国に加担し乙国を鎮圧する指令を下したものとする。あなたが王騎士で決定権を持つなら、どうするか"……)


 他国の鉱脈を侵略する同盟国に加担すべきか否か。あるいは柔軟にその問題を解決するための手段を考え、その道を探すのかという行間も含む問いに、多くの少騎士達が頭を悩ませている。問題の性質上からも、絶対なる正解のない問いであることは明らかだ。しかし白紙では絶対に点数を貰えないこの状況に、回答者である少騎士は全力で答えなくてはならない。


 この後にも続く問題の数々が、少騎士達を、ユースを苦しめる。この問題群に入ってからの5問、ユースも相当に頭を疲れさせたはずだ。






 そして、最後に残った5問。この5問に関してはユースも見覚えがある。


 "エレム王国騎士団5つの難題"と呼ばれるこの問いは、見習い騎士時代に受けた入隊試験時の筆記試験の最終問題でも、全く同じ形で問われたことだ。そして何度も受けた騎士昇格試験でも、毎回変わらず最後はこの5問で締め括られるのである。


 騎士団入隊試験でも、騎士昇格試験でも、騎士団が何度も形を変えず、何年にも渡って騎士を志す者達に対して問うてきた5つの難題。エレム王国騎士団の歴史の中でも名高いそれと、何度も顔を合わせてきたユースだからこそ、周りの少騎士以上にこの問題に強い意味があることに対しては意識があっただろう。


 見慣れた5問を見て、改めてユースは考える。前回、3ヶ月前に騎士昇格試験を受けたあの時、書いた自分の答えは正しかったのか、間違っていたのか、誰も答えを教えてくれてはいないのだ。あの日と同じ答えを書くべきかどうか、ユースは今一度思い返していた。





 ・あなたが最も尊敬する騎士は誰で、その人物の何が魅力的であるか述べよ。


 ・100人の民と1人の上官、片方しか護れないとしたらどちらを護るか述べよ。


 ・騎士として最も必要なものは何であると思うかを述べよ。


 ・騎士としてではなくあなた個人が、人として最も大切にすべきだと思うことは何か述べよ。


 ・あなたは騎士として、何のために戦うかを述べよ。





 騎士として生きる先人、シリカとクロムは、自分がこの問いに何と答えたかを教えてくれていない。もとよりユース自身の言葉で紡がねばならない問いに、他者の言葉は必要ないのだから、深くは詮索することもなかったが、やはりここで改めて向き合うと、日頃自分がこの問いに対して考えていることが本当に正解であるかどうかに疑問を感じてしまう。


 ユースは、何度もこの試験に落ちている。ここの答えが騎士としての適性を問うものであるなら、ここに書いた答えが誤りであればその時点で不合格、という噂だって立っているのだ。今までと同じ答えを書くことには、試験を通過したいユースにとっては勇気が必要なことである。


(……それで落ちてるなら、俺はまだ騎士になるべきじゃないってことなんだろうな)


 前回試験を受けてから3ヶ月、あの日と変わらぬ答えをユースは回答する。これが、今の自分が思う素直な考えだ。決して諦観ではなかったが、少年騎士は自身が抱いた答えを信じ、騎士を目指す志を詰め込んだ回答用紙の横にペンを置いた。


 残る時間を見直しに費やして、あるいは空欄のまま進めた所に思い当たる答えを書けないかと立ち戻り、ユースは最後まで神経を研ぎ澄ます。やがて時間切れの鐘の音が鳴り響き、試験官達が少騎士達の回答用紙を回収し、試験終了の合図とともに騎士達に会場からの退出を促す。その時になってようやく、数多くの少騎士達の口から、重圧から一時的に開放された安堵のため息の集まりが一斉に吐き出された。


 ユースとて、同じ想いである。筆記試験特有の緊張感は、いくつになっても慣れないものだ。











 昼休みを挟んで乗馬の試験場に来たユースは、さながら魔物と敵対した時と匹敵するぐらいに緊張していた。何度も自分を騎士昇格試験からはじき返してきたこの乗馬の試験は、別の意味でユースにとっては魔物みたいなものだが。


 長い長い筆記試験の後の昼休みといえばつまり昼食時なのだが、シリカとキャル(とアルミナ)が心憎くもわざわざ弁当を作ってくれたおかげで、それを食べている間は、よし頑張るぞと気合を入れたものだ。今はもう、目の前の難関に頭がいっぱいだ。トラウマなのだ。


「次! ユーステット=クロニクス!」


「はい……!」


 騎士館の裏の広い広い大公園で、試験官である聖騎士に呼ばれてユースが前に出る。目の前にいる一頭の馬に乗り、定められたルートを走り、ある部分では壁に書かれたしるしに従って止まり、あるいは減速し、加速し、思うように馬を操られるかを問う試験である。すなわち一発勝負。


 初めてこの試験に立ち向かった時は、乗った馬が自分の命令を聞かず、指示された進行方向とは135度ぐらい違う方向に歩きだして試験官に呆れられたものだ。この世から消えてなくなってしまいたいとさえ思ったあの日の失態は、未だに頭に焼き付いて離れない。


(大丈夫だよな……シリカさんにあれだけ教えて貰ったんだし……)


 ユースは意を決して馬に乗り、足をかけるべき場所の鐙を踏みしめた。3ヶ月前も全く同じことを考えながら馬に乗って、全然馬が言うことを聞いてくれなかったけど、気にしない。


 目の前でユースを待つのは、数多くの騎士を乗せて戦場を駆けてきた名馬の一頭である。手綱から指示を受ければ素直に従うと信頼していいし、言い訳は通用しない。あとは自分の腕前次第だ。


 手綱を操ると、馬が前に進む。よし順調。ここまでは。


 しばらく歩いた先に、加速と右折を同時に指示するしるしがある。それに従い、ユースはそのつもりで手綱を操った。


「んが……!? ち、違う違う、早過ぎ……!」


 曲がれと指示されたポイントに至るより前に馬が加速し、その地点を大きく過ぎた場所でようやく右折した。加速の指示が早過ぎたか、順番がおかしかったか。ともかく指示された走行ルートからややはずれ気味。たぶん減点。


 なんとか軌道修正したものの、目の前にある鉄柵のような障害物。子供でも跳び越えられる程度の高さだが、目の前のしるしにあるのは避けて通れと言う指示。このままあの障害物に直進すれば馬が自分の意志で跳び越えるだろうから、ユースがその旨を指示しなくてはならない。


 ユースは手綱を引いて、鉄柵から離れた場所で馬を一度止める。馬も止まってくれた。あとはあの柵の横を通って、その場所を通過すればいいだけだ。そう指示すればいい。


 手綱を操って、馬に進めとの命令を下すユース。曲がって鉄柵を避けろという指示が上手く伝わっていないんじゃないかという手の動きに、この後の展開を予見した試験官が眉を動かす。


 馬は駆けだし、目の前の鉄柵を何のためらいもなく飛び越えた。進めって言われたから進んで、邪魔な鉄柵は跳び越えました、何か文句ありますか。ユースを乗せた馬が後頭部でそう語っている。


 ユースは何も答えなかった。そんな声が仮に聞こえていても、答えられないぐらいには自分の馬捌きの不得意さに打ちのめされて、がっくりとうなだれていたから。


 ともかく、乗馬だけは何度やっても得意になれないのがユースという人物だ。減速しろというしるしに従って馬を減速させようにも、慌てて手綱を引くと同時に足が動いてしまい、馬の横っ腹を蹴ってしまって馬が混乱する。行けと言うのか止まれと言うのかわからない馬がいななくと、その異変にユース自身が戸惑ってしまい、手綱をぐいぐい引っ張ってしまう。そうしたら結局馬は止まってしまって、減速しろというしるしの指示には従えていないことになる。


 右折左折を繰り返してジグザグに走るように指示された箇所も、なかなか上手くいかない。その指示を手綱で示すこと自体はユースにも出来ているが、自分の重心を移動して馬の走行の助けになることに努めきれていない。試験官から見ればそれもまた加点対象には出来ないし、途中でそれを思い返して体重移動を遂行するも、焦りから微妙に指示とタイミングがズレた体重移動には、馬もかえってやりづらそうにしている。悪循環だとわかっているから、ユースだってなお焦る。


 結局、指定されたルートを走って出発点までに帰って来るまでに、ユースは周りの少騎士達の倍近い時間をかけて戻ってきた。騎士昇格試験を受ける者達の中では比較的年上の方で、この場に慣れていて冷静さを長く保っていたユースは、周りの少騎士から見れば試験を通りそうな雰囲気をそこはかとなく醸し出し続けていたのだが、この試験を経てユースを見た少騎士達の多くは彼に対する第一印象をある程度改めただろう。馬脚を表わした、とか言われると笑えない冗談である。


「……ご苦労、ユーステット=クロニクス」


 試験官の哀れむような目線が突き刺さる。結局今日も、消えてしまいたいと心中で自分の失態を罵って、力なく馬から降りるのだった。


 人間誰しも、得意不得意がある。必要とされる技術が自分にとって不向きな分野であるとわかっている時にこそ、人は真価を問われ得るという。クロムがユースに教えてくれた言葉だ。


 先輩のありがたい言葉も、今は思い返したくない。今それを思い返すと、死にたくなるから。

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