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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第2章  彼女に集った七重奏~セプテット~
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第28話  ~別れを告げてその先へ~



「広義における"魔法"とは、霊魂にはたらきかけ、己の精神から魔力を抽出し成せる全ての事象に対し、使われる言葉だ。派生した単語は数多いが、魔法という単語でそれはひと括りにされる」


 自宅の居間にて、目の前に座る4人の部下に対して教えを説くのは法騎士シリカ。今日の講義が楽しみで仕方のなかったアルミナはそわそわしているし、物聞きのいいキャルはおとなしくシリカの目をじっと見つめている。勉強嫌いのガンマが貧乏ゆすりをする横で、気真面目にメモを取って話を聞いているのがユースだ。


「聖騎士グラファス様の"真空波斬(しんくうはざん)"は、みんな一度は見たことがあるな? 離れた場所に立てられた目標を、刀を振るうことで切断してみせたあの技だ」


 昨年夏のエレム王都で開かれたお祭で、催しごとの一つとして騎士同士の公開闘演が行われたことがある。その日祭りの中心地であるエレム王都の大庭園で、聖騎士グラファスと別の聖騎士が剣と刀を交えて披露したのは、多くの一般民にとってはこの上なく見所のある見世物で、騎士達にとっても非常に勉強になる光景だった。


 その日グラファスが見せた、遠方の敵を斬り裂いて見せる技。その公開闘演では、相対する騎士の回避も手伝って鎧の一部を切り裂いただけだったが、あのグラファスの技を初めて見た一般民も、観客に混じってそれを見たユースやアルミナ達も、その奥義には驚嘆したものだ。


「聖騎士グラファス様の奥義、真空波斬(しんくうはざん)は、武器である刀に魔力を纏わせることをはじめとし、"遠方にいる対象を刀を届かせずして斬る"という意志を魔力に変えて放つことで、その効力を発動させる。グラファス様は魔法と形容せず、単なる"技"と呼ばれておられるが、その本質は"魔法"と形容して充分に成り立つそれと定義できるだろう」


 タイリップ山地でグラファス聖騎士が使いこなしたその技は、多くの野盗と魔物を葬るに至っている。剣豪と呼ばれて久しい実力に、そんな技が加わって乱戦を支配するグラファス聖騎士の実力を口にするシリカも、どことなく彼に対する畏怖を醸し出している。


「シリカさんが使うアレも、魔法だったりします?」


「うん? アレ、とは?」


「ほら、昔ラハブ火山でミスリルゴーレムを真っ二つにした技」


 過去のことを思い出したアルミナが質問を投げかけた。とある任務で、全身をミスリル鉱で構成する鉱石巨人の魔物、ミスリルゴーレムをシリカが討伐した時の話だ。鉄の剣で鉄の塊を斬ることが難しいという一般論を覆すかのように、ミスリル製の剣でミスリルの塊である魔物を斬り捨てたシリカの姿は、アルミナの記憶にも強く残っていた。


「そうだな。私は自身の精神から抽出した魔力で、自らの持つ武器に"いかなる障害も断ち切る"という願いをかけるんだ。それが私の剣の切れ味を増し、ミスリル製の剣でミスリルゴーレムの肉体を断つことが出来た、というわけだ」


 タイリップ山地でも、シリカはヒルギガースの固い鎖を巻きつけた拳を、鎖ごと両断した上でヒルギガースの顔面までをも真っ二つにしている。いかにミスリルの騎士剣が優れた強度と切れ味を持っていても、腕力に秀でていないシリカの腕と剣だけで、そこまでのことを成すのは本来不可能なはず。それを叶えているのが、彼女の魔法ということだ。


「ミスリル製の私の騎士剣は、そもそも高い親和性を持つ武器だ。加えてキャル、剣というものは何のために使われる道具として作られる?」


「……何かを断ち切り、貫くための道具として作られたものです」


 小さな声で答えたキャルの姿勢は、自信がなかったから、というわけではない。これが彼女には自然体であり、それをよく知るシリカも、うむとそれを肯定して返すのみ。


「"断ち切るため"に作られた道具に、"断ち切るため"の魔力を纏わせて望みを実現させることは、魔力が非常に相性良く混ざり、上手くいく可能性が比較的高いとされている。要するに、その道具が何のために作られたか、というのが、魔力との相性と無関係ではないということだ」


 付け加えるならば、と前置きし、闇を照らすためにつけられた松明の炎が、より強い光を放つよう魔力を注いだり、海を渡るための船に、水上をよりスムーズに進めるよう魔力を注いだりすることは、望みの実現を比較的容易とする、とシリカは述べた。実際、魔法都市ダニームとエレム王都を繋ぐ海路を渡る船は、ダニームの魔法使いの魔力によって稼働しているものもある。船は水上を渡るために作られたものであり、水上を渡るための魔力を受け取りやすいのだろう。


 物には心や魂が宿っていて、大事にすれば長持ちするし、心無い使い方をしたりすると物が恨みを持って化けてしまう、と、幼い頃に親に教えられた者も少なくないだろう。ある意味それも、こうした魔法の理念と通じた話なのかもしれない。


「この原理の最たる所以がどこにあるのかは、今のところ魔法学においても曖昧だ。物そのものに本当に意志や心があり、それが使用者に応えているのか、あるいは使用者の精神が、自らの握る武器が持つ用途を無意識に意識した結果、精神が目的を達するための魔力の抽出を容易にしているのか……って、ガンマ。聞いているか?」


 真昼時だというのに目を細くし始めたガンマに、シリカが目をつけた。慌ててぱちっと目を開けた、勉強嫌いのガンマは気まずそうな顔をする。


「んー、あー……ごめんなさい……」


 ガンマの性格も、苦手分野も知っているシリカは、あまりガンマを咎めない。一息ふぅとついた後、特に彼を責めることもしないまま、話の筋を元の方向に正す。


「魔法は、白兵戦においても戦局を大きく左右する要素だ。たとえば木の剣と盾を持った戦士と、鉄の剣と盾を持った戦士が戦った時、実力が同じだとすれば、どちらが勝つかは想像がつくな?」


 木の剣で鉄の盾に打ち込んでも、効果がない。鉄の剣で木の盾に打ち込めば、やがて盾は削がれ、そのはたらきを失っていく。鉄の剣と木の剣を打ち鳴らせば、どちらが押されるかは明白だ。


「ただ、ここに魔法という要素が一枚噛めば話は変わる。魔力を帯びた木の剣が、鉄の盾を斬り裂き、木の盾に振り下ろされた鉄の剣が折れることだって起こり得る」


「……木の方が、鉄よりも親和性が高いんですよね」


「うむ、キャルの言うとおりだ。特に今の例について語るなら、木の剣や盾の方が親和性が高く、鉄の剣や盾よりも、魔力の恩恵を受けやすいという側面がある。よって、魔法を用いる前提があるなら、木の剣や盾とて侮れぬ武器となるわけだ」


 鉄を斬り裂く木剣、と聞けば著しく現実味を損なうように聞こえる話だ。しかし、それを可能にするのが魔法の力である。意図あって長らくユース達にその扱い方を教えてこなかったシリカだが、出来ることなら今からでも、魔法に対して前向きになって欲しい想いはあるだろう。


「ガンマも、攻防どちらにも優れる武器を扱っているが、油断すれば敵の思わぬ武器に斧を貫かれ、痛手を受けることもあるかもしれないぞ」


「魔物にも、そういう魔法を使う奴がいるんですか?」


「魔王マーディスの配下達の特徴として、奴らは何かしらの武器を扱う者が多かった。その武器に魔力を込めて戦うような魔物は、私もこの目で見た事は無いけれど、そうした敵もいるという話は聞くぞ」


 現在も、討ち倒された魔王マーディスのかつての配下が、人里離れた場所に多く潜伏している。ミノタウロスやヒルギガースはそんな魔物の代表格であるし、ゴブリンやコボルドやオーガも、武器をその手に持つ特徴はマーディスの配下の特徴に一致する。


「上騎士ラヴォアス様や、法騎士ボルモード様のように、魔法の才覚に秀でておられずとも長らく戦陣の最前線で戦い続け、戦果を成し続けられる方々もいる。だから、魔法の力が全てではないが、敵もそうした力を扱い得るということは、常に知識として頭に置いておくことだ」


「気を抜くな、ですね?」


 シリカの口癖を復唱し、うむとシリカをうなずかせるユース。今まで部下達に、そういう敵と戦わせることは未然に避けてきたシリカだが、こうした話をするということは、今後はそういう敵との交戦時、ユース達と並んで戦う可能性を示唆している。そうした含みが最後のうなずきには込められており、シリカの性分と振る舞いをよく知る第14小隊の四人は、その言外に込められた意味をしっかり読み取り、心に刻みつけていた。


 ユースにも、アルミナにも、ガンマにも、キャルにも、それはまさしく望むところだ。これまで限られた中でしか頼られなかった過去を一新し、さらなる危険にも自分たちが踏み込み、よりシリカの力となれる未来への第一歩。タイリップ山地の戦役という一つの修羅場をくぐり抜けた少年少女達の顔つきは、かつてよりも随分変わり映えたものだとシリカも感じていた。






 シリカは壁にかけられた時計に目線を送る。先ほどから何度かそちらを見て時間を気にしていたシリカは、そろそろかな、とばかりに目の色を変えた。


「……今日はここまでとしよう。そろそろ出発するぞ」


 タイリップ山地での戦役を終えてから2日後の今日。シリカはこの日、騎士館にて執り行われる重要な冠婚葬祭への参列を決めていた。それは彼女が率いる部下である、目の前の少年少女4人、今は私用で出払っているクロム、ダイアン法騎士の元へ魔法学を学びに行っているチータ、そして遊び人と名高い傭兵のマグニスですら、参列を決めているものだ。


 魔法学講座を締め括ったシリカに対し、はい、と返事するユース達を見受けて、シリカも自室に帰っていく。それぞれが自室に戻り、騎士館に赴くための準備をしなくてはならない。


 今日は小雨日和。2日前のタイリップ戦役を思い返す、第14小隊の面々の胸中を表すかのように、真昼の空は決して明るいものではなかった。











「……あいつらが、タイリップ山地に潜んでいたんですね」


「不運としか言いようがないな」


 騎士館の居住区、ダイアン法騎士の個室に足を運び、来客用の椅子に座る人物が一人。報告書に目を通す部屋の主を眺めながら、来客ナトーム聖騎士は冷淡な声を放った。


「今、連中がどこにいるかは絞れるか?」


「時間がかかりそうですね。足取りを追える以上、不可能ではないでしょうが」


 報告書を眺めがら、白紙の紙に素早い動きで何かを描き始めるダイアン。真剣なその眼差しからは、落書きにさえ見えるぐちゃぐちゃの何かが、当人にとっては重要な意味を持つ、記号と文字列の集合体であると充分に読み取れる。


「あと三体、というところまで来て、長年討ち取れずにいる相手です。妙な動きをする前に、一刻も早くその動向を見定め、討ち果たしたいところですね」


「今さら当然のことを言わなくていい。お前は私のことを、どんな人間か知らぬわけではあるまい」


「……失言でした」


 ナトーム聖騎士の目が鋭く尖るのを見て、ダイアン法騎士は頭を下げる。両者の間にあり、未だ完全には解けぬ確執が、二人の間の空気を思わぬ形で張り詰めさせる。


 重い沈黙の中だが、両者とも己の中にある思考を全力で回すことに意識を傾け、場の空気にはさほど足を取られる様子も無い。時間が少し過ぎれば、ナトームとダイアンの間にも、いくつかの言葉がかわされ、やがて両者の意見が最終的には一致し始める。


「――僕はここだと思いますね。あるいは、ここ」


「随分と大穴を指すものだな。素直に見て、ここだと思うがね」


「賭けてみますか?」


「好きにしろ」


 目の前に広く広げられた、エレム、ダニーム、ルオスの3大国家の周辺地方を一様に見渡せる地図を指さしながら、二人の騎士が言葉を交わす。次に敵が潜むであろう場所を今の情報から読み、その意見を交換しているのだ。


 武人としてよりも参謀職としての働きに秀でた二人の騎士の会話は止まらない。しかし、時計の針がある時刻を指したその時、ダイアンはふぅと息をつき、席を立つ。


「そろそろ時間ですので、行ってきます。……ナトーム様は?」


「私は行かん。部屋に戻って、調書と照らし合わせて次を読む」


 冷徹な目でそう言い放つナトームに、ダイアンの目が難色を示す。他者の行動や倫理観念をあまり不用意に咎めぬスタンスを自然体とするダイアンなのだが、これにはやはり想うところがある。


「……僕達が草案した作戦で、命を落とした騎士達の葬儀ですよ。せめて足を運ぶぐらいはしても、彼らの魂が悲しむことはないでしょう」


「行って何をする。殉職者が帰ってくるわけでもあるまい」


 ナトームは席を立ち、部屋を出る方向に向けて歩き出す。ああ、この人はやはり変わらない、と、ダイアンは自らの知るナトームの人物像をより確固たるものとする。そしてそんな彼の想いを否定する気になれないのは、彼がナトームに一定の敬意を払っていることに変わりないからだ。


「邪魔をしたな。続報を待っていろ」


「……お疲れ様です」


 部屋を去るナトームを見送り、ダイアンはこれから足を運ぶ場にふさわしい姿を取るため、長らく着なかった自らの愛用の鎧を身に付け、部屋を後にした。











 騎士館の裏にある、広い霊園。巨大な一枚の慰霊碑のもと、かつてこのエレム王国騎士団に属した者の亡骸が眠るこの公共霊園に、数多くの騎士が集っていた。シリカ率いる第14小隊もこの場に立ち、霊界に旅立った仲間達への最後のお別れを、2日遅れで見届ける形となっている。


 騎士団に思い入れのない自分が、国葬の前列に立つことは正しくないと強く主張したマグニスは、タイリップ山地で最前線を駆けた法騎士シリカと、その周囲に立つ第14小隊の面々と離れ、霊園に広く立ち並ぶ騎士達の後方に立っている。チータも同じ立ち位置だ。火葬され、骨だけになって骨壷に詰められたかつての同士を見送る騎士達の表情がよく見えるその場所からは、広く、深く、小雨の中にたたずむ悲しみの霧を、感じ取らずにはいられなかっただろう。


 かの戦役で失われた、47人の尊い命。野盗達が逃亡せぬようダニームから派遣されて山地の周囲を囲んでいた魔法使い達が、燃え盛る山の一部を消火した翌日――つまり昨日、騎士団から派遣された数多くの調査隊により、亡骸を回収された騎士達の遺骨が、骨壷に納められて運ばれていく。葬事を司るエレム王都の神官たちがその手に握る骨壷には、その中に眠る騎士の名が刻まれており、知人の名をそこに見た騎士達は、元より暗かった表情をさらに歪めたものだ。


 ユースのすぐそばに立つ友人、同い年でかつてユースと同じ小隊で切磋琢磨し合った親友であるアイゼンが、目の前を通り過ぎた神官の持つ骨壷に刻まれた名を見た瞬間、ずっと堪えていた大粒の涙を流した。今はエレム王国第26中隊に属する騎士アイゼンが、その中隊に属するようになってから実に1年半、アイゼンの良き先輩として彼を導いてくれた先輩上騎士の名が、今はこの世にいない者の名を刻む壺に刻まれている。ほんの3日前、先輩とタイリップ山地の一大任務に並んで立つことに緊張し、意気込み、互いに決意を確かめ合ったあの日のことが、まるで嘘のようだ。


 毎日のように顔を合わせていた、尊敬し、仰ぎ、親しかった人物が、今はもう二度と顔を合わせることもなく、言葉を交わすことも出来なくなった。決して嘘なんかではないその現実を受け入れるには美しい思い出はあまりにも残酷で、涙を流してその現実をようやく実感したアイゼンは、拳を握りしめてわなわなと震えさせている。極めて幸いなことに第14小隊の仲間を失うことのなかったユースとて、その想いが想像できないわけではない。不幸など、想像しただけで胸が詰まる。


 現実として知己の死を受け止めたアイゼンと、想像でしかそれを汲みきれないユース。何事も腹を割って話し合える間柄だった二人だったが、この時ばかりはユースにも、親友にかけるべき言葉を思い描くことができなかった。






 何人もの神官が慰霊碑に向かって歩き、やがて最後の神官が、最後の骨壷を持って歩いてくる。その骨壷に刻まれた名を見る者が、次々と悲しみをその顔に露にする。


 霊園に立ち並ぶ騎士達の最前列には、タイリップ戦役の総指揮官を務めたグラファス聖騎士が無表情でたたずんでいる。その彼を挟む形で、法騎士シリカと法騎士カリウスが同じく表情を動かさず、骨壷に刻まれた名を見送っている。そしてグラファスと反対側のシリカの隣では、タイリップ戦役には参戦しなかった、一人の大柄な上騎士が姿勢を正して立っていた。


「……よく頑張ってくれた」


 骨壷に刻まれた名を見て、彼の死を知った時からずっと言えなかった言葉を、その上騎士は堪え切れずに小さな声で漏らす。かつて自ら率いる小隊に入隊した、ボルモード少騎士の顔が、今でも脳裏に刻まれている。やがて彼が騎士に、上騎士に、昇格した時には、毎度高い酒を奢って祝福したものだ。やがて彼が、自分の上騎士という立場を追い抜いて高騎士という立場に立った時には、生意気にも彼の方からこちらに高級な酒を奢ってきたことが、昨日の出来事のように思い出せる。


 "私がここまで来られたのは、あなたの元に就き、多くの事を学ばせて頂いたからです"


 そんな言葉とともに、世話になったと格下の先輩に、月給まるまるはたいてようやく買えるような高級酒を持ってきた義理固いかつての部下の顔は、今でも忘れることが出来ない。


「ラヴォアス様……」


「……いつか、こんな日が来るとは覚悟していたことだ」


 ボルモード法騎士の名が刻まれた骨壷を、憂いた目で見送るラヴォアス上騎士が、階級を無視した口調でシリカに語りかける。胸に渦巻く哀しみから、形式を意識する余裕がないことを如実に表すその姿に、シリカはかつての自らの上官である彼に、かける言葉が見付けられない。


 重い甲冑に身を包み、部下を守る盾となり、その手に握る大きなハルバードを武器に戦場を駆け抜けた法騎士ボルモード。数多くの人を守り、救い、多くの魔物を討伐してその地位まで辿り着いた彼が、いつか戦場で命を落とし得たことなどラヴォアスにもわかっていたことだ。かつての若い部下達が、年老いた自分よりも先に霊界に旅立つ背中も何度だって見送ってきた。30年以上も騎士をやっていれば、そんなことは嫌というほど経験してくるものだ。


 元気づけようとしてもそれを叶えられない、そんな苦悩を抱えたシリカの目が、背の高いラヴォアスを見上げている。言葉にできない想いを胸にした、今生きて目の前にいる、法騎士となったかつての部下の目を見て、ラヴォアスは我が子に向けるような優しい眼差しを返す。


「……親しかった者とのお別れというのは、やはり慣れんなぁ」


 涙も枯れたような目でシリカに対して微笑むラヴォアスの表情。それを見て胸を痛めるシリカは、言葉を失うほかなかった。降りしきる小粒の雨さえ、悲しみを洗い流すことは決して出来ないのに、痛みを抱える今のラヴォアスにさえもこんな表情をさせるのは何故だろうか。それはきっと、彼の隣に、生きた大切な人が未だ立っているからなのだろう。


 失ったものは確かにある。残されたものは確かにある。人の死は心に大きな穴を開け、胸の中に白い血を流させる病。それを乗り越えるきっかけとなる特効薬があるとするならば、それはきっと、今なおそばにいる大切な人々の存在そのものなのかもしれない。


 たった一日で失われた、エレム王国騎士団が誇る47の命。その命が、生き残った同士達の道を切り拓くために戦い、今は霊界でゆっくりと翼を休めている。生き残った者達は、悲しみを受け入れ、それに打ち勝ち、かの者達が拓いた未来に向けて歩いていかなくてはならない。


 戦う男が、涙を流してはいけない道理などどこにもない。大切なのは前に進む意志を新たに掲げ、生きていくことなのだ。今は亡き同士を見送るこの葬儀が、短くもない時間をかけて雨の中で行われることには、それだけの重要な意味が込められている。











「ボルモード法騎士を亡き者にした魔物の名は、恐らく――」


 報告書にまとめられた情報の数々から一つの結論を導き出したダイアンは、国葬の後にシリカを自室に招き、シンプルな結論を告げた。その魔物の名を聞いた時にシリカの表情が強張ったのも、当然の出来事だったと言えるだろう。


「ならばやはり、聖騎士グラファス様と対峙したという黒騎士も……」


「ああ、仮説と言うにはあまりに悠長な事実だと言えるだろう。"奴"も、そこにいた」


 かつて魔王マーディスの側近として広く名を知らしめた、二匹の魔物。魔王マーディスが討伐された今となっても、未だいずこかに隠遁するその存在の名を思い浮かべ、シリカは眉を潜めずにいられなかった。


「たとえ奴らが地の果てまで逃げようとも、絶対に討伐しなくてはならない相手。長らく姿をくらませていたようだが、こんなに近くで顔を出すとは思っていなかった」


「それでは……」


「ああ。今後もエレム王国領内において姿を現す可能性は低くないだろう。民衆に恐れを抱かせるのは本意ではないが、この事実は政館にも報告しなくてはならない」


 やがてこの事実を知った多くの者が、先ゆく未来に不安を覚えることは想像に難くない。それだけ、かの二匹の魔物の名はエレム王国において、あるいは魔法都市ダニームや遠方の魔導帝国ルオスにおいても名高い、人の世を恐怖に包みこむ存在だった。


「君の部下達も、今のままではいつ命を落とすかわからないよ。残酷な例え話をしたくはないが、それだけ切迫した状況であることは、強く理解しておいて欲しい」


「……存じております」


 ダイアンの言葉は、シリカ自身にも向けられたものだ。若くして法騎士の立場に立ち、卓越した力を持つシリカとて、今のままでは敵わぬ魔物など山ほどいる。少なくとも、タイリップ山地で姿を現した二匹の魔物と、今のシリカが一騎打ちをすれば、それこそ勝ち目も無いだろう。シリカが苦戦の末に討伐したヒルギガースとて、かの怨敵と比較すれば赤子のような存在なのだ。


「国葬に知人の名が並ぶ姿など見たくはない。わかってくれるかな?」


「はい」


 一礼したのちシリカは、決意新たな顔でダイアン法騎士の部屋を去る。背中を見送るダイアンにもその覚悟のほどは伝わったが、だからこそやがてさらなる危険な戦場に足を運ぶであろう彼女の宿命を思い浮かべずにはいられず、何とも言えない表情で小さくため息をつくのだった。






「……ん、ユース? 先に帰ったんじゃなかったのか?」


 ダイアン法騎士の部屋を出たシリカを待っていたのは、国葬が終わって家に帰ったと思っていた少年騎士だった。ここに来ることは確かに伝えてはいたが、まさかここで顔を合わせるとは思っていなかった。


「――シリカさん、今日は鍛練は休みだって言ってましたよね」


「ああ。2日前の戦役の疲れが癒えきってない者も多いからな。無理をするとかえって良くない」


 昨日も、鍛練は休みだった。マグニスは堂々と遊びに行けると喜んでいたもので、他の面々も抱える私用をここ二日で済ませるためにそれぞれが好きに動いていた。明日からは鍛練も再開するだろうが、昨日今日は休日扱いとなっていたのだ。


「……稽古、つけて貰えませんか」


 少年騎士の言葉に、シリカはしばし押し黙る。


「無理をすると良くない、と今言ったところなんだがな」


「じっとしてなんかいられないんです」


 真剣な眼差しでそう言ってくるユースを見て、思わずシリカは苦笑せずにはいられなかった。物分かりがよくて、上官の言うことに従順な姿は見てきた一方、時に己の抱く想いを抑えられず、こうして心をぶつけて訴えかけてくる少年の姿もまた、彼の真なる姿だと知っている。


 こんな少年騎士を見るたびにシリカは思うのだ。いつかの自分に、よく似ていると。


「自ら望んだ以上、一切の弱音は許さんぞ。覚悟しておけよ」


「はい」


 日暮れ過ぎには、訓練場で完膚なきまでに叩きのめされ、指一本動かせずに倒れた少年騎士の姿があるだろう。それを知ってなおその道を選ぶ少年が望んだものは、壮烈なる痛みを乗り越えてでも、今以上の力を手にしたいという想いに他ならない。そうでなければ誰が望んで、容赦も慈悲もない教官の木剣の前に我が身を晒すと言うのだろうか。


 騎士館を出て我が家に帰る道、二人の騎士はそれぞれの想いを表情に表わしながら歩く。前を歩き振り返らないシリカにも、シリカの背中を追うユースにも、互いの表情は見えなかった。覚悟を決めて決意の表情を浮かべるユースとはやや対照的に、無表情に近いシリカの顔色は、ほんの少しだけ上機嫌に見えなくもない色を表わしていた。


 本当に、ほんの少しだけ。

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