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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
最終章  語り継がれる幻想曲~ファンタジア~
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第278話  ~第14小隊③ このままいくと大変なことになりますよ~



「どうも、チェックです」


「かー、負けた負けた。チータもだいぶ強くなったな」


 早起きしたチータがマグニスの部屋にまで赴き、盤棋なる駒遊びを嗜んでいる。朝の頭の体操代わりに知恵比べする二人の勝負は、チータに軍配が上がったようだ。第14小隊入りした時から、この遊びで勝負することの多かった二人だが、マグニスが非常に幅広い戦術を披露する軍師型であり、それと何度も戦い続けてきたチータも、えらく刺激されて腕を上げてしまったものである。


 じゃら、と駒と盤面を片付け、王都に帰ったらまた賭け試合しようぜ、と持ちかけるマグニス。いいですよ、と二つ返事のチータも、マグニスとの賭け試合は好きなようだ。当初は、下手なふりして賭け金の上がった戦いでのみ強いという、嫌らしいマグニスに何度も負かされたものだが、地力が拮抗してきた最近は、全力同士でひりつく勝負が出来るようになってきた。悪い遊びを共有する先輩後輩、やはり密に仲が良い。


「そうそう、チータ。例のプランは整ってるか?」


「まあ、流れもあるでしょうし安定するかどうかは微妙です。クロムさんも協力してくれるようですから、恐らく上手い具合に転がせると思いますが」


 クロムが一服しに宿の外へ行っている間、チータとマグニスの二人だけでの密談。そして、プラン。悪巧みの大好きなこの二人が、こんな会話をしていることが漏れたら、第14小隊の誰もが警戒するだろう。それをわかっているからこの二人も、この話は駒遊びするふりして、自然に密会して話す流れを作っている。


「個人行動そのものは上手くいくと思いますけど、タイミングが重要ですね」


「まあなんか合図くれや。ターゲットにはわからねえよう、上手にな」


 ひひひと笑うマグニスと、今から既に作戦を濃密に練り上げるチータ。二人とも、悪人の顔である。ここにクロムという協力者まで混じってしまうのだから、ろくなことになるわけがない。


 朝食出来ましたよー、とアルミナが呼びに来てくれたのをきっかけに、何気なく大広間へと歩いていくマグニスとチータ。目ざといアルミナにも、その策謀の気配は悟られていない。傍から見れば、いつもどおり盤棋を楽しんでいた二人が並んでいたようにしか見えないんだから。











 意図的に素朴なままの姿を残されたアピスの郷は、一般の村とさほど代わり映えない。どちらかと言えば田舎村寄りなほど、真新しくない民家が立ち並ぶ光景が続き、畑や緑が宿や旅館の集まる温泉街から、やや離れた場所に点在しているぐらいか。宿泊施設の集う区画と、生活区が隔離されている構成は特殊だが、あまり風景としては普通の村と変わらないという様相である。


 お昼から温泉街を巡り歩く第14小隊は、各々楽しい時間を過ごしていたものだ。風景そのものは故郷や祖国と変わらないものでも、みんなと旅行で訪れれば、観光地を歩く高揚感が自ずと出る。子供のようにはしゃいで、父へのお土産を出店で探すガンマの無邪気さや、ルオスの地でしか見られないアクセサリーに目を輝かせる、アルミナとキャルの楽しみようが温かい。それぞれが自分なりの楽しみ方で温泉街を歩き、旅行を満喫する形で結構だが、こうして幸せいっぱいを表に出す3人の姿だけでも、身内にとっては観光地の景色よりも胸が満ちる光景だ。


 午前中から正午過ぎまでだけで、遊び疲れるぐらい楽しんだ末、定食屋に腰を落ち着けての昼食。穴場をよく知るチータの案内のおかげで、外食ひとつ取っても美味しい店に巡り会える。元々温泉の出所近くに拓いたアピスの郷は、開拓によって山なるものをある程度削りはしたものの、土地柄的には山間の人里に近い。海の近いエレムとは違い、山の幸や緑を活用した郷土料理が売りのようで、エレム暮らしの長い第14小隊には新鮮な味わいが嗜める。逆にチータは、久しぶりのルオスの味が懐かしい。


「キャルー! 登っておいで! いい眺めだよー!」


 高台に上り、アピスの郷を一望できる場所から、地上でチータとお喋りするキャルを呼ぶアルミナ。ここからでは豆粒のような大きさのアルミナしか見えず、それだけ高い場所からここまで声を届けてくるあたり、アルミナの大声はよく通る。流石どんな混戦模様の戦場でも、高らかに味方を鼓舞する声を届け続けた傭兵だけあって、あの大声も単なる才能ではなく、計らずして養われたものだと思える。


「何とかと煙は高い所が好きって言うが」


「あいつの場合は射手の性分に依る部分もあるかもな」


 ごちゃごちゃした場所は射手にとっては働きにくい場所。逆に視界がクリアで、広くを見渡せる場所というのは、射手にとって風通しのいい光景だ。アルミナに呼ばれたキャルが、チータにまた後でねと言い、アルミナを追って高台に上っていく足も速い。今は戦時中でも何でもないのだが、キャルもいい眺めの見られる場所が無性に楽しみなのが、足取りからもよくわかる。本来の性分よりも、広く見渡せる光景が好きになってしまうこの症状を、射手病と言うらしい。


「ここから飛び立ってみたら、すごく気持ちいい気がするなぁ」


「アルミナ、もう飛べるの?」


「まだ上手くいかない。練習中なんだけどな」


 ベラドンナの助けあって顕現していた、優雅の翼(スパィリア)の魔法は、今のアルミナは上手く行使することが出来ない。魔法使いとしては素人同然なんだから。それでも最近は、念ずれば翼を作るぐらいは出来るようになったらしく、飛べないなりにもやがて成功への道が見え始めている模様。


「この日この気分でチャレンジしたら、上手くいったりするのかな?」


「失敗したら飛び降り自殺だよね?」


「あはは、やめとこ。そういう無鉄砲さはいらない」


 銃使いだけどね、と親父ギャグを吐くアルミナのお尻を、しょうもないこと言わないの、とばかりに、キャルがぺちんと叩いて突っ込みだ。朝から観光地を歩けるこの日、異国でのキャルとの時間を大事にしたいアルミナは、ずっとこの子に付きっ切りだ。昨日ほど、ユースに絡んでいかないアルミナの態度は、誰かさんにとっては安心しやすいものだろうな、とマグニス辺りに思われながら。


 おーい行くぞ、と空を駆け、高台でいちゃつくアルミナとキャルを迎えに来たマグニスに招かれ、再び地上に帰ってきた二人は、仲良く手を繋いで歩くほど。どちらかと言えばアルミナがキャルの手を引きたがり、手を握り返すキャルという構図だから、基本的にはアルミナ発信の行動だが。この年になって手を引いて貰うのは、子ども扱いされているように感じたりもしようものだが、満更でもないキャルにとって、これが悪い時間ではないのが明白だ。


「あっ、ガンマ何それ! 美味しそう!」


「あっひのお店で売っへたよ。二人も行っへ来たら?」


「だってさ! キャル、行こ!」


「あ、あんまり食べると太るよ……?」


 桜色のお饅頭を頬張っていたガンマに情報を受け取ったアルミナが、数秒後が楽しみな目でキャルを導き、美味しいもののある店へ歩いていく。最近恋を意識し始めたせいか、普段以上に自分のお腹の未来を気にし始めたキャルも、しょうがないなぁとついていく。先導するのはいつでもアルミナだが、目線はキャルの方が保護者っぽくなっていることも多い。


 自分のお饅頭を買って食べ、美味しいとわかった途端、その後小隊のみんなが一つずつ食べられるよう、そこそこ多めに買い込んでくるあたりがアルミナだ。自由気ままに散開していた仲間達に、ぱたぱた駆け寄りお饅頭を分け与えるアルミナの姿が、温泉街の真ん中でせわしなく輝いていた。











「たまにこう、アルミナと距離を置く時間って必要だと思うんだよな」


「なんか違うけど言いたいことはわかる」


 時は過ぎ、夕暮れ過ぎの村を歩くユースとチータ。会話の内容はアルミナについてだ。彼女の押しの強さは嫌いでも何でもないが、一緒にいると彼女のペースに巻き込まれるのは、活発系でないユースやチータにとって殆どのことだ。一緒にいて楽しいアルミナだけど、一日の10分の1ぐらいは彼女と離れて、マイペースな自分達の時間があるとなお良い。


 ユースもチータも自己主張があまり激しくなく、聞く側に回れるタイプの人間だから、対立しない限りは一緒にいて調子が狂うことがない。あまり気が合うように周りからは見えない二人だが、一緒にいる時間は実はそう少なくなく、二人で行動すると落ち着く自覚が両者にはある。たいした話もしないのだが、そういうゆったりした時間を愛せる性分の二人だから。


 なので、自然な流れでユースと二人きりの時間を作ることが出来たチータ。作戦はここまで上手く進んでいる。邪魔者さえ入らないなら、ここからはいい具合に事を運べるだろう。そんなチータが胸中で企んでいる悪意を、ここ最近チータの悪意の的にされていないユースの、鈍ったレーダーは感知できていない。


「んー……まだ夕食の時間まではしばらくあるな」


 所々に数秒の沈黙が出来るような、何気ない会話を繋ぎつつ、普段と変わらぬ空気を演出。さりげなく途中で織り込んだこの言葉が、作戦実行への第一歩であることには、あまりに自然すぎて感づかれない。


「せっかくだから、面白いところに案内してやるよ。ちょうど近いし、時間潰しにはなるだろ」


「ん、何かあるのか?」


 ちょうど近いんじゃなく、ぶらぶら歩いているふりして、その近くに誘導していたのだが。無垢に問い返すユースに対し、まあなと普通に返すチータは、温泉街から少し離れた場所にユースを導いていく。何だろう、と、好奇心を騒がせるユースと裏腹、少し前を歩いてユースに顔を見せないチータの目が光っている。


 さして時間をかけずに辿り着いたそこには、鳥居の先に石造りの道。この先にあるのはお社か何かかな、と想像力を刺激されるユースの前、チータはすたすたと鳥居をくぐっていく。


「温泉街として開発されたアピスの郷だけど、町として開発される前から愛された温泉の一つが、この先に解放湯としてそのまま残されてる。旅館や民宿からは遠いから利便性には欠けるが、自然のまま残された大温泉は、まるで秘湯のように楽しめるってわけだ」


 説明しながら歩くチータを追う中、周囲は木々に囲まれて、小さな林の中を歩くような道のり。やがてその先、ぽっかりと開いた空間には、チータに説明されたとおりの光景が広がっていた。湯気に満ち、岩盤に囲まれた白い濁り湯が広がっているその場所は、確かにまるで山中に隠された秘湯のようだ。


「せっかくだから入って行けよ、ユース」


「俺だけで? それも何だかな」


「どうせ夜にはみんなにも教えようと思ってたんだよ。ここは性質上混浴だし、先に楽しんでおいた方がゆっくり出来るぞ」


 脱衣所らしきものはあっちにあるから、と指差すチータの示す先には、確かに木々の中に紛れて、籠を集めた場所がある。熱気に満ちた温泉のそばを歩くチータに案内され、その近くまで辿り着くと、小さな看板もちょこんと立っている。肩こりやら腰痛やら、湯が持つ滋養効果について丁寧に書かれたものだ。湯の質が温泉街中心の露天風呂と違うのか、効能が向こうと違うのも興味深い。


「みんなに説明する時にも、先に入ったお前の感想とかを一緒に添えられれば、みんなも楽しみになるだろ。湯加減確かめる意味でも、一番風呂してくれる奴がいると、僕としても後が楽しみだ」


「んー……まあ、そういうことなら」


 ちょっと抜けがけするみたいで気が引けたユースだが、それなら先に入ってみようかなという気持ちになる。上の服だけ脱いだところで、寒空の冷たい風が肌を刺激し、目の前の湯に入りたい想いが強まっていく。


「チータは?」


「案内しておいてなんだけど、僕はこのお湯あんまり好きじゃないんだ。ちょっとぬるつくからな。人によってはそれがいいって言う人もいるから、そういう意味でもユースには楽しんでみて欲しいかなって」


 試しにお湯に指を入れて、指先をすり合わせてみると、確かに僅かにぬるつく。見方を変えれば、最初から石鹸を伴うお湯とも感じられて、湯の中で体を掌でこすると気持ち良さそうだが。


「えーコレ風呂上がり大丈夫か?」


「乾くと嘘みたいにさっぱりするんだよ。乾いた後の感じは僕も好きなんだが、入っている間が耐えられなくてさ」


 何かと理由をつけて入浴を拒むチータだが、弁は不自然ないためユースも違和感を抱けない。話を長引かせたくないチータは、脱衣所のそばにある大きなつづらを指差し、タオルはその中にあるからなと説明する。変に詮索される隙を与えず、自分のペースに持ち込んで、ユースを秘湯に導いていく。


「みんなには、事情を合わせて説明しておくよ。お前一人で勝手に抜け駆けしたと思われたら嫌だろ? その代わり、夕食の時間までには帰ってくるようにな」


「わかった。頼むよ、チータ」


 優しさめいたチータの気遣いに礼を述べ、去っていく友人を見送ったユース。さて、冷える。半分纏っていた服も脱ぎ去り、そそくさとそばにある湯に近付くと、足からゆっくり浸かっていく。


 寒空の下、冷えた体に濁り湯は抜群に効く。思わず年寄りみたいな溜め息が出るくらい、チータに案内されて辿り着いた秘湯は心地よかった。











「シリカとしてはこういうのどうよ。たまには着飾ってみたりさ」


「好きではあるけど……私には似合わないんじゃないかな……」


「まあいいからつけてみろって。こっちに試着用もあるからよ」


 土産屋でシリカに、銀のネックレスを勧めているのはマグニスだ。クロムがガンマを先導し、出店の射的で遊んでいたところに、本職のアルミナやキャルも混ざったようで、今はシリカとマグニスが二人で行動する形が出来ている。割とこの二人きりの図というのは珍しいのだが、別に一緒にいて楽しいのは、この小隊内どんな組み合わせでも同じ。


 試着してみたけど、やっぱりいいよ、と断るシリカも予想できていたマグニス。まあ、それでもシリカのような美人と一緒に歩いていて、マグニスも楽しそうなものだ。厳格な彼女は苦手だが、こうして一緒にお買い物するぐらいだったら、身内感情抜きにしてもシリカと一緒にいるのは楽しい。


「お前みたいなのが彼女だったら、どこ行っても自慢できるんだがな~」


「それはお前の方から願い下げだろ?」


「まあな。彼女にするのは何か違ぇわ」


 だってお前浮気とか許してくれねえだろ? と、堂々と語りかけてくるマグニスに、当たり前だろと笑いながら頭の後ろを小突くシリカ。強い一撃ではない。こういう奴だってわかってて、その上で友人として付き合ってきたマグニスの冗談ぐらい、シリカも楽しく笑って受け止めることが出来る。


「昔は本気で口説き落とそうとしてたんだがな。まあ、付き合いが深まるにつれ、彼氏彼女の関係よりも、これぐらいの距離感が一番いいように思えてきちまってさ」


「……そういえば、お前昨日もそんなこと言ってたな」


 日の沈んだ夜の町を歩きながら、シリカが少し神妙な面持ちで新しい話題を切り出す。シリカが言っているのは、昨日の別れ際にマグニスが言った言葉だろう。


 仮にも一度惚れた女だと、マグニスはそう言ったのだ。そういう風に見られていた時期が、一瞬でもあったことなんて、実はシリカも今まで知らなかったことである。マグニスはさりげない会話の中で口走ったが、あれは長年マグニスが伏せてきた言葉を、思わぬ形で聞かせてもらえたようにシリカには感じられた。


「堅物女は俺にとっちゃ苦手なもんだが、それはこっちの話聞いてくれねえ可能性が高いからであってだな。ほら、俺ってやっぱチャランポランな生き方してるし、真面目肌の奴からすれば、俺と話が噛み合わねえのは予想つくだろ」


 それは確かに。実際シリカも、初めて会った頃のマグニスには、何だこいつこんないい加減な奴も世の中にはいるのかと感じたものだ。第一印象はまさにそんな感じで、シリカの中でもマグニスに対する印象は悪かった。


「でもお前、一緒に仕事してる間は、俺の言い分とかちゃんと聞いてくれたじゃん。仕事が終わって、第6中隊みんなで酒場に行った時も、俺の馬鹿話に付き合ってくれてさ」


「付き合った、というか、お前の話は普通に面白かったしな」


 その昔、高騎士ダイアンの率いていた第6中隊に属していたシリカは、クロムの紹介で招かれて中隊入りしたマグニスに出会った。今となっては魔将軍エルドルとの戦いにて壊滅させられ、現在の世に残っていない中隊なのだが、当時の思い出は二人やクロムにとって忘れられないものだ。


「最初は俺も、お前堅物だろうから本音抑えて喋ったけど、最後の方は酒が回ってきて普通の俺にさ」


「いつでも後半はひどかったよな。だいたいお前のいい加減な生き様に、私が説教してた気がする」


 マグニスが普通に気兼ねなく喋ったら、下種な単語がぽんぽん出てくるのだ。最近新しい女が出来たから、金は欲しいけど休みたいので上には働いたことにだけして欲しいなぁとか、睡眠時間が欲しいから遅れて戦場に参加していいですかとか、真面目に生きている人には口に出来ないようなわがままを平気で言う。勿論マグニスも本気でそんなのが通るとは思っていないのだろうけど、ゴネ得で入念に交渉してくる彼をあしらうのって本当めんどくさい。


「でもお前、俺の話はちゃんと聞いてくれてただろ。頭ごなしに突っぱねるんじゃなくてさ」


「気持ちはわかるからさ。認めるわけにはいかなかったっていうだけで」


 休みは欲しい、金も欲しい、極論働かずに稼ぎたい。誰でもそういう、叶わないと知っていても抱えている夢妄想はあるものだ。そんな子供みたいな欲望を恥ずかしげもなく口にするマグニスに、シリカは決して嘲笑するような態度を取らなかった。今度の戦役で頑張れば、給料を上げてもらえるように上にも掛け合ってみようか、とか、わがままを直接叶えないにせよ、妥協案もしっかり提案してくれたりして。マグニスも酔えば、そうじゃなくってもっと楽してだなぁ、と、話題をループさせてシリカを困らせるのだが、叱るシリカの方だって、気持ちはわかるけど、という前置きを使う回数が多かった。自分の生き様とは全く違う、マグニスのわがままな価値観も、頭ごなしには否定してこなかった証拠だ。


「自分自身には頑固なほどの生き方を課していても、ちゃんと他人の価値観に理解を示し、話を聞けるのが大人ってやつだろ。お前って頭の堅い奴だなとは昔から思ってたけど、人の話に耳を傾けるふりじゃなく、ちゃんと聞ける奴だったとも思ってたからさ」


「私を育ててくれた人はみんなそうだったからさ。ラヴォアス様も、ダイアン様も。ナトーム様だって、非番の日には何度か相談に乗ってくれたことがあったし」


「あー、そういう所はあるかもな。お前の上司ども、厳格組含めても話のわかる奴多いし」


 マグニスの価値観において、相手が堅物であるかそのものはたいした問題ではないのだ。大切なのは、そいつに人の話を聞くだけの耳が備わっているかどうか。自分の生き様はどうしたって今さら変えられないし、長く付き合っていく女を選ぶのだとすれば、自分の価値観に理解を示してくれる人物でないと、マグニスは長い目で見て耐えられない。


 遊び好きの女が大歓迎なのは、遊び好きな自分と馬が合うからだ。シリカはそうじゃない、だから彼女とは付き合えない、というわけでもないのだ。形が違うのならば、自分にはない生真面目さを併せ持った上で、自分の価値観にも理解を示してくれるシリカを、付き合っている女性にしたいと思ったことも、昔のマグニスには多かったことだ。


「でもまあ、やっぱお前は生き様が綺麗すぎるよ。俺と一緒にいるのは勿体ないぐらいに」


「お前らしくないこと、言うもんだな」


「なんだよ、俺だって相手の気持ちを全く考えない人間じゃねえぞ?」


「大丈夫、それは知ってるから」


 ラエルカンでカティロス――スズとの戦いに踏み切る覚悟を決めたシリカに割って入り、かつての憧れの人と戦うつらさから解放してくれたマグニス。身勝手で、わがままで、自由気ままな彼の中にも、大事な誰かのために命すら懸けられる気概があるのは、シリカだって昔から知っている。そういう彼にとっての、大切な家族の人でいられることが、幸せなことだと自然に感じられるのもそのせい。頼もしくて、優しい友人だ。


 そんなマグニスをしても、流石に、自分には勿体ないだなんて言葉――要するに自分を謙るような言葉を使うのは似合わなくて、シリカも思わず笑ってしまう。キャラに合ってないよ、と。


「住み分けって大事なんだよ。お前の生きてきた世界と、俺の生きてきた世界ってのは、あまりにも違い過ぎる。そうした境界を越えた繋がりが、思わぬ絆に変わっていくことも少なくないが、それを真剣に追いかけるほど、俺とお前って男女のそれじゃないと思うんだよな」


「うん……まあ、そうだな。お前とは、ずっと親しい友人でいられれば一番だと思う」


 別に男としての魅力を感じていないわけじゃないぞ、と、念を押してくれる優しいシリカだから、マグニスも彼女との縁は決して手放したくない。当たり前のように毎日そばにいる友人を、日々の向こうからの温かい心遣いから、何度でもいい友人だと再認識できるような間柄なんて、白金にも勝る固い友情だ。


 それだけ親しくても、男女の付き合いにしていきたいと思うかと言えば、違うのだ。それはシリカにとってのクロムにも言えること。性ひとつ隔てるだけで、全く関係の本質はがらりと変わるのが現実であり、男と女というやつは本当に不可解なものだ。きっと誰にも、その理念を構文や定理に定められるものではないだろう。


「一度お前に惚れたっていうのも、男のそれとして本当だよ。時間がやがて、それは俺達の互いにとって、ベストな関係じゃないと思うようになったから、もう当時とは違う考えになっちまっただけでさ」


「もっと早く聞きたかったな、それ。私はずっと、女としての自分には自信がなかったし今もそうだから、そういうのが聞ければすごく嬉しかったと思うのに」


「あ、でも今でも抱きたいとは思ってるよ。セフレなら大歓迎」


 馬鹿野郎、と、弾いた指でマグニスの額を痛打するシリカ。目の前に星が飛んだかと思えるほどの威力だ。慣れた冗談、シリカも本気では怒っていないだろうが、さすがに今のはきつい突っ込みを貰っても文句は言えまい。


「あーでも初めてだわ。こんな上玉目の前にして、彼女にするのは違うって思うなんてよ」


「おだてても何も出な……あ、金でも借りたいのか」


「あ、わかって下さいます? 長い謹慎生活で金欠が深刻でしてさぁ」


 揉み手でごますり、ねだる商人の口で言い寄ってくるマグニスに、帰ったら考えてやるとシリカもあしらう。でも、口にした以上、帰ってからならちゃんと熟考してくれるということだ。マグニスなんて本人も自覚があるぐらい、金を貸していいタイプの人間じゃないのに、場合によっては助けることも視野には入れるシリカというのは、やはり彼への思い入れが強いということなのだろう。


 しばらく夜の温泉街を歩いていた二人の口は、何気ない話で弾んでいた。思えば民宿からずいぶん遠くに来たし、そろそろ引き返そうかとシリカが言いそうな頃合い。そんな折、不意に吹いたちょっと強めの風が、二人を揃って身震いさせる。やはり年末、夜の北風に吹かれると肌が痛い。


 それが、シリカの感想。風から感じた術者の意志力に、今が絶交のタイミングだという合図を受け取ったマグニスは、心中密かにほくそ笑んでいる。


「そういやアピスの郷って温泉街として開発済みだけど、自然のまま残してある湯もあるらしいな。確か、えーっと……広告見る限りじゃこっちの方だったか」


 温泉街の所々には、観光所への道のりが記された掲示板が立ててある。シリカを目的地の方へとさりげなく誘導しながら、近場の掲示板に目をつけたマグニスは、最初から知っていた目的地の位置を、シリカの前で確かめる。


「お、意外と近いじゃねえか。一度眺めていかねえか?」


「夕食までには……まあ、まだ時間がありそうだな」


 宿から随分離れてしまい、かつ近くに見所があるとなれば、寄り道していくのもいいだろう。行こうぜ、とシリカをリードして歩くマグニスに従うまま、シリカがアピスの郷の一角に残された、自然のままの秘湯へと歩いていく。


 やがて見えてくる、大きな鳥居の先に続いた石造りの道。マグニスと共に木々の間を歩くシリカ。やがて湯気に満ちた秘湯へと彼女が辿り着くまで、さほど時間はかからない。

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